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ボリューム感満載のROADSIDERS' weeklyを是非お楽しみください!

2014/07/23号 Vol.125

ロードサイダーズ・ウィークリー125号をお届けします。
先週、多くの読者を驚かせ、一部の浜松人を「お祭りにラッパ吹くの自分たちだけだったんだ・・」と困惑させた、浜松まつりとラッパの物語。今週の後編も貴重な考察、写真、動画満載です!
さらにオープン直前・ヨコハマトリエンナーレ2014の大竹伸朗・新作のプレビューもあり、旅情を誘う「案山子X」もあり。そしてさらに! 今週から始まる異端の連載「老遊女」が、みなさんを東京の最深部にお連れします。
来週30日は第5水曜日にあたるため、メルマガは配信お休み。2週間分の濃密なストーリーを、じっくりお楽しみください!


art 濾過された記憶
 ――ヨコハマトリエンナーレ2014と大竹伸朗

music 浜松、ラッパ吹きの祝日 後編
――Bugler's Holiday in Hamamatsu――(奥中康人)

lifestyle 新連載! 老遊女 01(中山美里)

travel 案山子X 12:本城案山子まつり(大分)(ai7n)

告知1

7月26日(土)、新宿ラバンデリアでトーク

告知2

爆音カラオケ vol.4 7月28日(月)!

告知3

7月30日(水)、大竹伸朗x都築響一@青山ブックセンター

告知4

岡本太郎とアール・ブリュット展@川崎市岡本太郎美術館

告知5

MOZYSKEY展、仙台で開催中!


art 濾過された記憶
 ――ヨコハマトリエンナーレ2014と大竹伸朗


『ヨコハマトリエンナーレ2014』がいよいよ8月1日からスタートする。「華氏451の芸術:世界の中心には忘却の海がある」と題された今回の「横トリ」は、アーティスティック・ディレクターに森村泰昌を迎え、65組の作家が参加するという。すでに週末の予定に組み込んでいるひともいらっしゃるだろう。


ヨコハマトリエンナーレ2014,新港ピア会場での最終組立作業

横トリの第1回で、僕は鳥羽秘宝館の一部を再現展示したのだったが、あれが2001年だから、すでに13年前・・・。今回は今年5月21日配信号の記事『移動祝祭車』で紹介した、やなぎみわによる台湾製ステージ・トレーラーなど、本メルマガ好み(笑)の作品がいろいろ見れそうで楽しみだが、まずは直前レビューとして、参加作家のひとりである大竹伸朗の新作『網膜屋/記憶濾過小屋(Retinamnesia Filtration shed)』を紹介しよう。7月初旬、うだるような暑さのなかで進められていた、展示会場となる新港ピアでの制作最終段階の様子をお見せするとともに、作家本人から作品への思いを聞いてきた――。




今回は去年の年末ごろから制作を始めたのかな。話をもらったときに、いつもみたいに宇和島のアトリエでひとりでつくるんじゃない、いままでやったことのないかたちでなにかつくれたら、と条件を出してスタートしたんだよね。

やっぱりひとりでできることの限界って、あるでしょ。鉄を使った溶接作業とか、大きな構造の強度計算とか。いままでも考えたけど実現できなかったことが、けっこうあって。たとえばページが1メートルあるスクラップブックをつくろうとしたことがあるんだけど、木材じゃ重量がぜんぜん持たなくて、実現できなかったとか。


最初期のプラン、まだ内部スペース、濾過タンク、車輪は出てきていない。大まかなかたちが浮かんだ、去年11月ごろ


プラン最初期の内部スペース案

それが2~3年前に、宇和島で刀の鍔をつくってる若い職人と知り合って、鉄材を使えるようになってきたのも大きいよね。だから今回は、直島銭湯や女木島の『女根』で一緒にやった建築のチーム(sunia / 津田朋延)や、宇和島や大阪の鉄工作集団(TOOP design works. inc)と組んで、同時並行で作業を進めていけた。宇和島では部屋部分の内装と、外壁の棚。それに造船所でページの部分をつくって。大阪では車体と、本の部分の表紙と背を。




宇和島で進められたページ部分の制作(制作プロセス撮影:津田朋延、奥野雄)

それでできたパーツを、尼崎の貸し工場に運んで組み立てた。合体作業には3週間かかったけど・・・。で、全部できたところでいちどバラして、横浜に運んできて、いま最終的に組み直してるところ。

まあいつもそうだけど、今回も最初から綿密なスケッチとかあったわけじゃなくて、偶発的に生まれていったところがけっこうあるよね。いちばん初めは、100ページの本をこのサイズでつくろうとしたんだけど、予算的にも重量的にもぜんぜん無理ってことになって、それが結果的にこういうかたちにつながっていったというか。








大阪での鉄材加工作業

関西に通いながら、京都の仏具屋を回ったり、動物園前とか、飛田に久しぶりに行ってみて。いまの飛田・・・ぶっ飛んでるよね、アムステルダムどころじゃないっていうか。入口まわりのピンクのライトとか、スポットの当たりぐあいとか。あれを見てるうちに、気持ちがピタッと来て。だから今回の作品は、けっこう関西がインスピレーションかも(笑)。






尼崎の工場での組み立てプロセス

円筒形のタンクがあるでしょ、あれは宇和島の、たぶん豆腐工場かなにかで使われてた、水の濾過器なんだよね。廃棄されて野ざらしになってたんだけど、「大竹さん好きでしょ」って見せられて(笑)。それで濾過っていうのがおもしろいなと思いはじめた。「記憶を濾過する装置」みたいな。だからこれも偶然見つかったものだけど、そこで焦点が合って、方向性が固まったんだね。










2012年カッセル・ドクメンタ(13)での『モンシェリー』、去年の常滑INAXライブミュージアムでの『焼憶』など、大竹伸朗の近作には巨大な本/スクラップブック仕立ての作品が目立つ。それは彼にとって、これまでのスクラップブック・シリーズの拡大版というよりも、「記憶の束」「記憶の家」という思いの表現であるようだ。






ドクメンタのときに、小屋とキャンピングカーを合わせた作品をつくったでしょ。あのとき、キャンピングカーってすごいなと思ったんだよ。3.11のときに、その場所から離れられない家があって、でもそこには帰れなくて。だけどキャンピングカーなら、どこへでも行けるじゃない。だからあれは「移動できる家」と「移動できない家」の組み合わせだったんだけど、今回はその、移動できる家の発展形でもある。移動できる記憶の集積としての住居というか・・・。

長い時間をかけて、世界各地で作家本人が集めてきた、おびただしい数の写真、おもちゃ、剥製、印刷物。奇妙な和風のしつらえの内部空間。原色に塗りたくられたページを半開きにした、一冊の本としての全体像。濾過器からときおり吐き出される白煙に見え隠れするミラーボール。どんなメッセージを受信するのかわからない、安アパートの屋上のようなアンテナ群。そして太いタイヤがこの不可解で、巨大な図体を持つ物体を、いつでもどこにでも運び去ってしまうように、かりそめ感を漂わせながら、ある記憶の総体としてそこにある。


ページにあたる部分


濾過タンクからはスモークが噴射される


穿たれた窓から内部を覗きこんだところ


壁一面に写真が貼り込められた扇型の内部空間


スチールの棚が全面に取り付けられたサイド






片方の壁面(表紙)に並んだ4つのガラスケース内コレクション

それは大竹伸朗という作家の記憶の集積であるのかもしれないし、内部の壁にびっしり貼り込まれて巨大な「アルバム壁」と化した、その無名の被写体たちの記憶の総合であるのかもしれないし、外壁に並べられた人形や玩具に染み込んだ、子供たちの記憶の上澄みであるのかもしれない。画像であれ、色であれ、光であれ、物質であれ、そういうすべてが発する記憶の熱量を、濾過し、外部へと放つ装置として、この『網膜屋/記憶濾過小屋』はいまここに停泊している、ように僕には思える。






展示会場の一角に並べられて、出番を待つブツたち

ヨコハマトリエンナーレ2014は11月3日まで開催されるが、大竹伸朗は10月12日からロンドンの現代美術財団『パラソルユニット』での個展も予定されている。コラージュをテーマに、1980年代後半から2014年の新作まで、平面・立体作品あわせて50点近くが展示されるという。20代の初めにロンドンに渡り、決定的な影響を受けてアーティストへの道を歩み始め、30年が過ぎたいま実現する、精神的な里帰りとも言えそうなミニ・レトロスペクティブ。こちらもいまから楽しみ、というか貯金しないと・・・。


ヨコハマトリエンナーレ2014
8月1日~11月3日
@横浜美術館、新港ピア
http://www.yokohamatriennale.jp/2014

Shinro Ohtake
@Parasol unit, London
10月12日~12月12日
http://parasol-unit.org/shinro-ohtake


music 浜松、ラッパ吹きの祝日 後編
――Bugler's Holiday in Hamamatsu――

写真・文 奥中康人


早出連ラッパ隊 2009

先週に続いてお送りする、浜松まつりとラッパの物語。毎年ゴールデンウィークに開催される、浜松市民以外にはほとんど知られていない、しかし浜松市民にはこよなく愛されてきたローカル・カルチャーの、ひとつの完成形である。静岡文化芸術大学の奥中康人さんによる渾身のリポート、その後編をお楽しみください。

ところで「なぜ「浜松まつり」で、ラッパが使われるようになったのか?」という疑問に答えておきたい。

ラッパというと、一般には軍隊をイメージする人が多い。おなじみの正露丸のCMのラッパも軍隊ラッパで、あのメロディは〈食事〉を示している。

そもそも、かつての浜松には陸軍歩兵第67連隊があり、大正期からしばらくの間、凧揚げ合戦がその練兵場でおこなわれていたことから、「浜松まつりのラッパは軍隊ラッパが起源だ」という説が、一般に流布している。たとえば、2007年の『浜松まつりガイドブック』には「そこの連隊長さんが気を利かせてラッパ隊を出してくれるようになった」と書いてある。


戦前の軍隊ラッパ

しかし、近年になってこの説には異論が唱えられている。明治期の浜松における凧揚げについての新聞記事を網羅的に調べたある大学生が、明治16年の新聞記事に、

各町毎に隊伍を組み夫々の屯所には消防に用ふる旗をたて伍長とおぼしき者等は手に指揮棒をもち合図は太鼓喇叭で進退し(下線引用者)

と書いてあることを発見したのである。

このことから、浜松まつりのラッパの起源は消防のラッパではなかったかと、地元の郷土史家や研究者たちは推測している。おそらくこの推測は正しいと、私も思う。

ラッパは、幕末の日本が軍隊を近代化(西洋化)する必要にせまられ、兵隊を動かす道具として導入された。戊辰戦争のころには用いられていたが、明治に入ってから、政府の軍隊だけでなく、各地の消防組でも用いられていた。用途は軍隊と同じで、信号を伝えるため、あるいは行進などの訓練や儀式をするときの合図としてである。


長野県では現在でも消防団ラッパ隊が盛んに活動している 2005

改めて考えてみると、昔から「お祭り」の担い手になる若衆たちは、たいていその地域の消防組にも属していた。したがって、お祭りのカルチャーは、消防のカルチャーとほぼ重なっている。さらに付け加えておくと、近世以来、消防(火消し)は鳶職とも密接な関係がある。城下町の浜松には職人も多く、明治になってからの消防組の組織化も早かった。


早出連ラッパ隊 2012

おそらく、明治時代のある時、一人の若者が、町の消防組の壁に掛けてあった――いつも消防訓練で使っている――ラッパを手にして、凧揚げの会場に駆けつけ、吹き鳴らしたのではないだろうか。確証はまったくないのだが、浜松まつりの衣装が消防組の衣装と似ているだけでなく、私(たち)には意味不明の「練り」といわれる独特の歩行様式が、実は消防組の「かけあし訓練」の名残だとすれば、納得がゆく。


浜松のレコード店がリリースしたEPレコード『激練 GEKI-NERI』のジャケット。現在もCDで販売されている


鍛冶町通りをゆく木戸町。屋台のお囃子とラッパの音が混ざるところがとっても魅力的 2014 

ただ、ラッパが明治期から使われていたとしても、それは近年に至るまでごく少数であり(私の取材によると「昔は1団体に1人いるか、いないかだった」と言う人もいる)、現在のように、数十名ものメンバーで構成される「ラッパ隊」が組織されるようになり、ラッパ人口が増えたのは、1980年代以降のことで、各地に子供ラッパ隊つくられたことが契機となっている。


ラッパを吹く子供たち 2014


ラッパを吹きながら歩けば、迷子になりませんね 2007

先に述べたとおり、「浜松まつり」の主役は初子と凧なのだが、実際に凧を揚げる行為に従事することができるのは、体力と腕力のある成人男性たちだけである。そうすると、主役の初子は例外としても、多くの子供たちは、凧糸に触れることはもちろん、危険な凧場のなかに立ち入ることすら難しい。

「子供たちがもっと近くで凧揚げを見学できるようにするには、どうすればよいだろうか」と、大人たちは思案した。凧揚げ技術の次世代への継承も重要な課題である。そこで、子供たちにラッパ教えて、傍らで演奏することを通して、凧揚げに参加できるようにしたらしい。


日頃の練習の成果をみてもらう「ラッパの発表会」 2005

もっとも、子供たちが学校で習うリコーダーやハーモニカと違って、ラッパは音を出すだけでも難しい。だが、昭和50年ころ、あの大手楽器メーカーが「需要創出」のために各地の小学校に営業マンを送り込み、学校の予算で金管楽器を一括購入させ、「トランペット鼓隊」や「金管バンド」をつくっていた。とくに本社のある浜松市では多くの小学校で創設されたらしいのだが、それがここで役に立った。

マウスピースで音を出すことに慣れていた児童たちは、ラッパを吹くこともできる。逆に、浜松まつりで初めてラッパという金管楽器に触れた児童たちは、これを入り口として中学生になってから吹奏楽部に入るものもいるという。


息継ぎのために(?)、変形したフレーズが伝承された子供ラッパ隊。お辞儀と太鼓が可愛い 2005

そんなことは想定外であったにちがいない。大手楽器メーカーの学販戦略が、子供ラッパ隊の結成を促進させた。とはいえ、既に述べたとおり、コンサートホールのオーケストラや吹奏楽などの音楽文化と、浜松まつりのラッパ文化は、やはり別世界であるといわざるをえない。

「下手くそ」「音程が間違っている」「耳がおかしくなりそう」「浜松の恥だから、他県の人には聴かせられない」などなど、眉をひそめながらあからさまに侮蔑の言葉を口にする浜松の「高級音楽」関係者は多い(実は「高級音楽」の世界に身を置いていた私には、その気持ちも分からなくもないが)。せっかく「トランペット鼓隊」や「金管バンド」、あるいは吹奏楽部などで、正しい奏法を教えているのに、あの(悪魔の儀式のような)「浜松まつり」のせいで、すっかり台無しになってしまう、というわけだ。


繁華街の様子 2012

ただし、割合としてはごく僅かであるが、高級音楽のトランペット奏者でありながら、浜松まつりにも理解を示し、この期間だけラッパ吹きとして活躍する柔軟な人もいる。かれらにとって〈凧ラッパ〉を吹くのは朝飯前。雑然とした凧場のなかに、そうした奏者が一人でも混ざっていると、まさに「掃き溜めのなかの鶴」のようによく目立つ。すべてのメロディを、1オクターブ上で演奏してしまうトランペット奏者もいる。


とびきり上手な十軒町のラッパ。凧が落ちてきても動じない! 2013

かれらは、それぞれの地域の子供たちの「ラッパの先生」としての役割も果たしている。春になると神社の境内や公民館に子供たちをあつめ、ラッパの吹き方を手とり足とり教える活動は、一見すると地味かもしれないが、派手に「音楽の街・浜松」を推進しようとする政財界よりも、はるかに重要な意味をもっているように思える。


住吉町の子供ラッパ隊の練習 2005

浜松の小さな楽器店もラッパ文化を支えている。市内のある楽器小売店は、若い女性たちの間で、――たとえ演奏できなくても――法被姿でラッパを持って歩くことが流行していることに目をつけ、数年前から「ファルコン」という、すこし小ぶりでて低価格のラッパを独自に開発・販売をした。すると、おしゃれでカッコいいファッション・アイテムとして注目され、発売からわずか3年で1000本以上を売りさばいたという。腰にさげるための専用の革ベルトも作られている。

今年になって、この楽器小売店は通常より1オクターブ低い音をだすことができる「でかラッパ」なる楽器を新発売した(これは『中日新聞』にも取りあげられた)。当然、世界に類を見ないオリジナル楽器である。ついつい、わたしも購入をしてしまった。


革フォルダーと「ファルコン」 2010


左の2台が「ファルコン」、右が「でかラッパ」 2014

あるラッパ手は、買ったばかりの自分のラッパがピカピカなのが気に食わない。そこで、わざわざサンドペーパーで塗装を削り落とし、しばらく薬品に浸して、ツヤのない渋い黄土色に変色させて、ようやくご満悦。


帯にはさんだラッパ 2014

また別のラッパ手は、凧場で落としたり、何かにぶつけたりしたことで、ベルや管が歪んでしまったラッパを、修理に出すことなく――これまでの自分の「戦歴」を誇るかのように――そのまま使っている。


ベルの歪んだラッパ 2003

自分でマウスピースを加工してしまう人もいる。職場にある旋盤をつかえば簡単なことで、わざわざ楽器店に行って、高価な舶来品のマウスピースを選定する必要はない。

他人のラッパと間違えないように、ベルに油性ペンで大きく名前を書いたり、シールやステッカーを貼ってデコレーションしたりする人もいる。こうした一見すると無造作で雑な、しかし愛情のある楽器の扱いは、オーケストラの世界では見られない。今年は、なんと「ヒョウ柄」「ホワイトタイガー柄」に塗装した素敵なオリジナル・ラッパを発見することができた!




おそらく世界で唯一、白羽町のヒョウ柄ラッパとホワイトタイガー柄ラッパ 2014

浜松のすべてのラッパ吹きたちは、自分が「外国の楽器」を演奏しているとは、まったく意識していない。それは無知だからではなく、ラッパがもはや「自分たちの文化」になっているからである。


ラッパ親子 2014


田町の「組長」コール 2012

幕末明治以来、日本にはピアノやヴァイオリンに代表されるいろいろな西洋楽器が入ってきた。「楽器」といえば、私たちがまず思い浮かべるのはそうした西洋楽器であり、琵琶や三味線のような和楽器ではない。それくらい広く普及、定着している。しかしながら、ピアノやヴァイオリンには、どうしてもベートーヴェンやショパンの影がつきまとう(したがって、多くの人々にはどうしてもなじめない)。

浜松のラッパのように、私たちの生活のなかに――もはや異文化の楽器とは意識されないくらいまでに――溶け込み、あたかも昔からの民俗楽器であるかのように浸透している西洋楽器はなかった。そういう意味で、浜松のラッパ文化は、日本の音楽史上きわめて興味ぶかい事例なのである。


ファルコンを販売している楽器小売店が試作した、チューバを改造した特大ラッパ 2010

ローカルな浜松まつりは、全国的にはあまり認知されていない。私も、約10年前に浜松出身の知人(大学院時代の後輩のハカマタさん)に教えてもらうまでは、まったく知らなかった。

もともと私は、19世紀後半に軍隊や消防で用いられていた信号ラッパについて研究をしようとしていた。ただし、あまり史料が残っていない。しかも、通信技術の発達により、ラッパは用いられなくなり、現在では自衛隊などで儀礼や式典に用いることはあっても、もはや過去の遺物となっている…。

そのような話をハカマタさんにしていたら、「いえいえ、浜松ではラッパはまだ現役の楽器で…」と、故郷の「浜松まつり」について語りだした。詳しく聞いてみると、かつての「信号」目的から離れて、お祭りの「鳴物」としてラッパを使っているというのだから、音楽研究者にとってこれほど面白いネタはない。ところが浜松出身の後輩は、生まれた時から「お祭り=ラッパ」という環境に育ったので、イマイチその面白さがわからないらしい。かわいそうに。

いずれにせよ、ラッパ研究をするのなら見ておいた方がよい、という強い勧めで、2003年の「浜松まつり」を見学することになった。


2003年のポスター

5月3日の夕方、ビデオカメラを片手に大通りのパレード(合同練り)を交差点で見ていると、ひときわ上手に〈凧ラッパ〉を吹くラッパの集団が私の前を通り過ぎた。他のラッパ隊と異なり、この団体は単旋律の〈凧ラッパ〉だけでなく、2声部に分かれてハーモニーを響かせるファンファーレも高らかに吹奏し、観客から拍手を浴びている。

紺色の法被の背中には赤い大きな字で「早出」(そうで)とあった。


早出連のラッパ隊 2003

それ以来、毎年ゴールデン・ウィークになると、とにかく浜松に駆けつけて、まつりを見学することが恒例となった。何しろ、160以上の団体が参加する大規模なイベントなので、一度や二度で全体を把握することは不可能である。

ビデオカメラを片手に、広大な凧場をさまよいながら観察をしていると、だいたいどの団体にも1~2人のラッパ手が存在し、ラッパ隊を組織しているところも少なくないことが分かってくる。ごく稀に、とびきり上手なラッパ奏者を発見することもできる。だが、最初の年に感心させられた「早出」のラッパ隊のように、メンバー全員のラッパが平均的によく鳴っている団体は、なかなか他には見あたらない。そこで、2008年になってから集中的に取材をすることになった。


2008年のポスター


2008

早出町は、浜松市中区の北東部の端。浜松駅から北に5キロのところにある閑静な住宅地である。人口は約7000人。早出町が浜松まつりに「早出連」として参加するようになったのは、今から約30年前(昭和58年)のことで、これは古くから参加している浜松の街中の団体にくらべると、まだまだ新参といえる。

自分たちの手で凧を揚げることは長年の悲願だったという。この時にラッパ隊も創設された。


浜松まつり前日に行われる前夜祭の様子 2009年

新設のラッパ隊を指導したのは、町内に住む消防団音楽隊に所属していた人物で、かれによる基礎づくりがよかったのだろう。どんな音色・音質でもとにかく〈凧ラッパ〉が吹ければよし、という安易さは一切なく、息の量やスピード、音の響かせかたなどに、こだわった。

現在も練習を初めるときには、ちゃんとロングトーンやタンギングのエクササイズは欠かさない。しかも、たかが信号ラッパとはいえ、かれらは音楽に対してマジメなのである。

普段は冗談ばかり言っている陽気なメンバーたちであるが、ラッパの練習が始まると、とたんに真顔になる。練習でもお祭り当日でも、疲れたからといって途中で吹くのをやめる者もいないし、酒が入っていても、ふざけてラッパの曲をデタラメに吹く者もいない。


早出連ラッパ隊のメンバー 2009


早出連ラッパ隊の将来を担う若手のトオルさん 2009


ラッパ隊だけで初練り 2010


大杯という儀式 2010

また、他のラッパ隊はたいてい若い世代が中心だが、早出連のラッパ隊は、創設時のメンバーがまだたくさん在籍しているので、平均年齢が少々高い。メンバーの更新がうまくいっていないとも言えるが、やはり真面目に遊ぶ(演奏する)ことが楽しいのか、ほとんど同じメンバーが毎年参加する。したがって、ラッパを吹くのは1年のうち4月から5月5日までの短期間とはいえ、年数を重ねていくと、最初は素人であっても技術は蓄積され、次第に上手になっていく。


早出町の初練り 2009


早出連ラッパ隊 2009

2009年と2010年も、4月になると奈良の自宅から早出町を訪問して、ラッパ隊の練習を見学した。わたしが音楽の研究者ということを知って、時には「吹いてみるか?」と、ラッパを手渡されるのだが、うまく音が出ない(あまりにも悔しいので翌年には立派に吹けるように練習しておこうと、毎年のように誓うのだったが)。


早出連ラッパ隊 2009

満足にラッパを吹けない「音楽」研究者に、「太鼓なら大丈夫でしょ」と、太鼓とバチを渡してくれるのだが、これがラッパより難しい。2台の太鼓が2打ずつ掛け合うだけの単純なリズムなのだが、ラッパ奏者たちが気持ちよく吹くには、微妙なグルーブ感が必要になる。一瞬でも気を抜くとテンポが乱れ、多数のラッパ奏者に迷惑をかけてしまう。いや、そんな失敗をしてしまっては、子どもを祝福するその場のムードが、台無しになってしまう。なるほど、ラッパを手にしたときにかれらが真顔になる理由がよくわかった。


太鼓のお姉さんたちのリズムがすばらしい! 2010


震災のため開催されなかった2011年のポスター

2003年に浜松のラッパ文化を「発見」してから8年(2008年から早出町を集中的に調査するようになってから3年)が経過した2011年の春、まったくの偶然で、私が浜松市にある静岡文化芸術大学に赴任することになった(私自身も驚いたが、ラッパ隊の人々はもっと驚いただろう)。

その年は東日本大震災のため浜松まつりは中止になったが、2012年から、私もかれらの練習に――観察者としてではなく――自分で購入したラッパを手にして本格的に参加することになった。

約10年前に感嘆したあのラッパ隊のメンバーとして(昨年からは、学生もひきつれて)、一緒にラッパを吹いている。最近は「『練り』とは何か」などということを、小難しく考えるのが面倒になってきた。


早出連「中央練り」の様子 2014


早出連 2014


早出連 2014


早出連ラッパ隊 2009


『和洋折衷音楽史』春秋社刊
この5月に発売されたばかりの、奥中さんの新刊。これまで書きためたエッセイを集めたものだが、北村大沢楽隊など歴史的な記録はもちろん、最近のイッキコールからホストのシャンパンコールまで考察が及んでいて、興味のエリアが完全にかぶっているのにびっくり! ワールドミュージック好きも、アウトサイダー・ミュージック好きも必読です。


lifestyle 新連載! 老遊女 01

ほとんどストリップ業界のオフィシャル・フォトグラファーのような立ち位置で、激減するストリップを撮り続ける写真家が谷口雅彦さんだ(http://homeurl.web.fc2.com/taniguchi/)。その谷口さんとおしゃべりしていたとき、「前に『漂流遊女』っていう連載をしてたことがあって、その続編をやりたいんですけど、どの雑誌もウンと言ってくれなくて・・」と嘆くので、企画内容を聞いてみたら、AVや風俗で働く老女たちを訪ね歩きたいのだという! 谷口さんが写真、フリーライターの中山美里さんがテキスト。だいたい一般誌で取り上げられないネタを引き受けるのがエロ雑誌だけど、エロ雑誌ですら引き受けられないネタ・・・それはメルマガしかない! というわけで、これから月にいちどのペースで想像を絶する、しかもどこか愛おしい老女たちの生きざまをご紹介してもらうことになりました。

中山美里さんは、プロフィールによれば――

10代半ばからアンダーグラウンド界に足を踏み入れ、10代後半からは六本木でショーダンサーとして働く。22歳で出産後、24歳からベビー雑誌のライターに。その後、フリーライターとして、風俗やAVなどの合法風俗の他、援交などの素人売春などセックスカルチャーをメインに取材・執筆をしてきた。

という、業界で知らぬ者のないツワモノ。いまはフリーライターのお仕事のほかに、「大人の女性のラブメディア」というウェブマガジン『JESSIE』(http://jessie.jp)も務めていて・・・最近の人気トピックというのを見ても「女子同士でイチャイチャできるレズデリヘルで遊んでみた」「お持ち帰りモードから上手に逃げつつ、次回の機会も手に入れる上級テクとは!?」「ガマン汁は透明なのに、妊娠してしまうその原理とは?」など、クリックを重ねざるを得ない引きの強さ。無料サイトなので、こころゆくまでサーフしてみてください!

老遊女の性活

文 中山美里


日本は、世界一の高齢化社会だと言われている。人口の4人に1人は65歳以上ということだが、今現在の私の仕事のベースであるエロ本制作もメイン読者は50歳代~60歳代だ。字は驚くほど大きくなり、EDや男性更年期といった記事も増えている。誌面を飾る女優も、30歳代、40歳代のいわゆる熟女女優が登場する雑誌のほうが多いくらいだし、なかには超熟女と言われる五十路、六十路専門の雑誌もある。ちなみに、これらはマニア雑誌として書店(マニアックなエロ本やDVDなどが売られているアダルトの専門書店)で売られているのではなく、青いビニールテープをつけられて、コンビニで売られているものだ。


撮影:谷口雅彦

ああ、そういえば、以前コンビニチェーンの方から聞いた話だが、コンビニで最も金を使っているのは団塊世代だという。「若者のもの」というイメージのあるコンビニでさえ、もはや超熟世代のものなのだ。

そんななかで、周囲の風俗嬢たちからは「こないだ70歳すぎのおじいちゃんがお客さんで来たけど元気だった」とか「今、私を本指名してくれるお客さんの最高年齢は80歳代のおじいちゃん」などという話も良く聞く話題となってきた。それだけじゃなく、超熟女専門の風俗店も出てきているし、もう皆さん、バリバリ現役なのである……ってことをイヤでも体感する日々なのである。

さて、『漫画ナックルズ』で以前連載していた「漂流遊女」という連載を始め、他の媒体などでも機会があれば、50歳代、60歳代の風俗嬢やAV女優のインタビューの企画を出してきた。実際に何度か取材も行ったのだが、非常におもしろかったのである。


インタビュー中の中山美里さん 撮影:谷口雅彦

若い風俗嬢やAV女優の話は、版元が「こういうものを」と求めるためもあるのだが、ダメな男との恋愛、若いシングルマザーで貧困生活、レイプ体験……といった暗くて悲しくなるような話に傾きがちだ。正直、そういう話にはもう飽きてもいたし、悲劇をあおって「人の不幸は蜜の味」的なスタンスの企画ももともとそんなに好きではなかったので、人生経験が長いだけに酸いも甘いも様々な老人の話は非常に新鮮だった。

というわけで、「老人のAV女優や風俗嬢の連載やインタビューをやりたい」と様々な媒体に話を振ってみたのだが……。「老人はちょっと……」とどうにもこうにも編集者たちはノリ気になってくれない。超熟女専門の雑誌だと、ものすごく低予算で作っているので、女優への謝礼が発生し、ライターのギャラも高額になるインタビューのページは予算的に不可能だ。そんな理由が様々にあって、「やりたいなあ」と思いつつも、なかなか実現できずにいたのが、この老遊女のインタビューという企画だった。

なぜ、私が「老遊女」というものに興味をもったのか。それにはもちろんきっかけがある。この企画が始まるにあたって、その女性のことを書きたいと思う。


『大正エロス 黒崎礼子』ドリームステージ 2014

彼女には「最年長AV女優」、そのような冠がついていた。

当時74歳の黒崎礼子さんに会ったのは、2011年の初秋のことである。やはり最年長AV男優で当時77歳だった徳田重男さんとの、AV業界最年長同士の対談という企画がコアマガジンの漫画雑誌で通ったため、二人の老人が出やすい水天宮のシティホテルに部屋を取り、対談形式のインタビューを行った。なんでそんな企画をやりたいと思ったのか、しかもどうしてそんな企画が若い男性向けの漫画誌で通ったのか、今となっては相当謎なのだが、とにかく非常におもしろい対談だったことは確かなのである。

対談当日、狭いシティホテルの一室には、異なった加齢臭が充満し、その時妊娠4カ月でまだつわりが残っていた私には、かなりつらい環境だった……のだが、そのつらさを忘れてしまうくらい、含み笑いが耐えなかった。ちなみに、本人を前にして爆笑することは失礼すぎてできないために含み笑いになってしまっただけで、きっと本人がいなかったら爆笑していたと思う。


撮影:亀井健

さて、黒崎さんである。

その日、取材に行ったのは、身長180cmのイケメン編集者(32歳)とカメラマン、そして私(34歳)の3人だった。インタビューをしたのはイケメン編集者と私で、74歳の老女と77歳の老人から見たら、非常に若い異性である。そのため、老女はイケメン編集者に、老人は私に、好き勝手に話し出し、質問には答えないし、対談にもならない。しかも、老女に何を質問すればいいのか分からないイケメン編集者は、間をつなぐために、とりあえず質問をしまくる。そんな現場だった。

例えば、こんな……。

――黒崎さん、趣味はなんですか?

今はカラオケと散歩ですね。昔はね、山登りが好きだったんですけどね、数年前に膝を痛めてから、山歩きも厳しくなっちゃったんですよ。この年になると、みんなどこかしら痛めていますからね。あとはカラオケですね。女友達と歌広場に行って歌うのが楽しいんです。得意なのはテレサ・テン。あとは梓みちよの『二人でお酒を』とか小林幸子の『再び』ね。彼氏がね、『二人でお酒を』が好きなのよ。

お見合いじゃないんだから、趣味なんて聞くなよと思ったが、意外や意外。それがジェネレーションが違いすぎて面白く、さりげなくノロケ話も交えてくるのだから、妙に盛り上がる。ちなみに巣鴨がやはり良く行く町なんだそうで、そこの歌広場も行きつけだという。

さらに、AV女優として活躍するだけでなく、超熟女専門の風俗でも働いていると言い始めるのだから、ただただ驚く。しかし、非常に行動的な老遊女である。


撮影:亀井健

そんな黒崎礼子さんは、昭和11年12月、東京で生まれた。現在は、すでに77歳になっている。

今回、この連載を始めるにあたって、再度インタビューを申し込んでみたのだが、プロダクションの社長曰く、どうやら返事がなかったようだ。「なんかもう、あんまり外に出歩くのが億劫みたいで……。腰が痛いとか、膝が痛いとか言っていて……。仕事受ける判断基準がギャラとかじゃないんですよね。気分っていうか。基準が私にもよく分からないんです。すみません」と、インタビューを実現できなかったことを詫びていた。

聞けば3年の間に、だいぶ年もとってしまったみたいで、最近はほとんどAVの仕事もしておらず、風俗の仕事はとっくの昔に辞めているようだ。残念だけど仕方ない。だけど、これが老人の性なのだと、つくづく思った。1年、半年、数カ月……という単位で老いていく。でも、だからこそ、黒崎さんや徳田老人のように、性も生も謳歌している人の話は、少し切なくておもしろい。

そんな黒崎さんの話を振り返ってみたい。

高校卒業後、黒崎さん曰く“職業婦人”となり、女友達とコンパなどへ出かけるようになったそうだ。とはいえ、今のような“お持ち帰り”や“王様ゲーム”のようなものがある合コンではない。見知らぬ男性と女性が同じ場所でお酒を飲める場所で出会いもある。そんな場所なんだそうである。

バーカウンターなどで飲んでいるとね、『あちらの女性にも同じものを……』なんて男性から言われて、飲み物をごちそうしてもらってお話したりしましたね。こういうところですぐに仲良くなれる女性もいたけれど、私は、ダメでしたね。お酒も弱くて、2~3杯しか飲めなかったから、パーッとできないんですよ。すぐに仲良くなれる発展している女性って羨ましいなと思っていました。

“発展している女性”という表現に、妙に痺れる!! パーッとやれる女性が羨ましかったんだ!! へえ、そういう感覚は昔も今もあんまり変わらないもんなんだなあ、などと思いながら、フムフムと相づちをうち続きを促す。

そんなアフター5を送っていた職業婦人の日々、会社からの帰り道、同じ時間帯に電車に乗り合わせるなかに、気になる男性ができた。少しずつ会話をするようになり、いつしか、彼が所属する野球チームの応援をするためにお弁当を作って出かけるなど、周囲からも公認の仲になっていった。そして、二人の間では結婚の意志も確認し、婚約も行った。

20歳のときに、成人式の帰りに旅館へいきました。今だと考えられないことかもしれないんですが、当時は20歳を過ぎてからするものという暗黙のルールがあったんですよ。

だが、はじめてのセックスは痛いばかり。すっかり苦手になってしまった。けれども、相手の男性はまだ若く、ヤリたい盛り。結局、なんだかんだと関係がぎくしゃくし、2度目のセックスはないまま、相手の男性と別れることになってしまった。

けれども、なんと……。

別れてすぐのときに、相手の家に鯉のぼりが上がったんですよね。

つまり、赤ちゃんが産まれたということである。えーっ、いつの間にか、二股かけられていたんだ! という衝撃。昭和初期の男にも、案外ワルがいるもんだと妙な感心をしてしまう。

でね、それを見た近所の人達が、「あなたも早くお嫁にいかなきゃ」とせっついてきたので、お見合いをしました。

3姉妹の末っ子で育った黒崎さんは、姉たちの結婚生活を見て、「お義母さんが一人(夫に先立たれている)の男性がいいな」ということで、そういう人を選んで、結婚したそうだ。なんともお見合いっぽい選択基準である。

昔の夫婦は今みたいなことはしないですよ。家だって、遮るものは障子だけでしょう? 私の場合は、お義母さんしかいませんでしたが、同居家族が大勢いることも多かったから、みんな周囲に気遣いながらのセックスだったんじゃないかしらね。私もそうでしたよ。若い頃は、今時のスポーツみたいなセックスはしたことなかったわね~。今しているみたいに声を出したりしたら大変ですよ。セックスがいいとか悪いとか、まるで分からなかったわ。

夫は年上で、先生のように美術品に関することなどを教えてくれ、趣味の世界を広げてくれた。だが、性的にはいたって淡白。お義母さんが亡くなったあとは、一生分のおしゃべりをしたというくらいに色々な話をしたが、セックスはいつしかレスに。結婚生活の後半はセックスなんてしなかったそうだ。

とはいえ、長年の結婚生活で作り上げた関係性のため、自分から誘うこともできなかった。そのため、セックスの楽しさ、気持ちよさを知らないまま、50歳のときに夫が亡くなって、結婚生活は終わりとなった。

この時点で、黒崎さんの男性経験はわずか2名ということになる。


『お婆ちゃんの童貞狩り』母屋(小林興業) 2010

ところが、突然の変化がやってくる。それはすでに還暦になってからのことだった。

60歳のときに10歳年下の彼氏ができたんですよ。

そこで黒崎さんは性的に開花したのである!!

でもね、若い人達と違って、年寄りの恋愛は大変なの。財産があればあるほど、子供や子供の配偶者や孫などが口を出してくるし、お金がなきゃないで、2人の年金だけで生活をしなければならないし……。だって、女の年金を当てにするような男なんてねえ~。甲斐性なしじゃない? 好きだからってすぐ結婚っていうわけにはいかないの。その彼氏以外にも何人かつきあってみたけど、結婚にいたることはなかったわね。

しかも、その彼氏以外にも、同時に交際していたというから、驚きである。還暦をすぎて、自由を手に入れると男女交際に関する常識とかは変化してしまうんだろうか? 多分、変わるんだろうな。

何股もかけてたけれど、その10歳年下の彼氏との交際は長く続いていった。そんなある日……

ラブホテルに入ったときに、よく一緒にAVを見ていたんです。その時に、「あなたがこういう映像に出ているところを見てみたいなあ~」と彼が言ったんですね。「じゃあ、出てみようか?」なんて話しましてね。その後、AVのプロダクションのモデル募集の広告を見つけて、応募してみたんです。そうしたら、1~2カ月して仕事が来たんです。

なんというか、ものすごい度胸である。普通、AVっていったら、「若くてきれいな女性が出るもの」というイメージが一般的にはある。けれども黒崎さんが見つけた募集には、「年齢制限がない」「熟女もOK、太っていてもかまいません」みたいなことが書かれていたそうだ。だから、「自分でもいけるかな?」と応募してしまうのだから、いやはいや、はじけた老人とはなんとも怖いもの知らずである。

そしてプロダクションに所属するやいなや、熟年AVメーカーでは人気女優となり、1年間に2~4本ほどの撮影の仕事が入るようになった。

――AVに出てみた感想ってどんなものなんですか?

伊豆のプリンスホテルに泊まって撮影したのが最も楽しかったですね。同年代の男優さんと話もあうし、お酒を飲みながら食事をして……。

――旅行気分ですね。

ええ、本当にそんな感じです。部屋に露天風呂もついていたし、最高ね! それで、男優さんが寝てしまったところを『あら、してないわよ』などといって、揺り起こしてセックスしたんです。このシーンは、自分が新婚旅行でできなかったことを再現しているかのような気分になりましたね。これは今まで撮ったAVのなかでも最も楽しい思い出になりましたね。


『熟年交尾 フルムーン伊豆の旅』ルビー 2009

もはやAV出演が人生の思い出作りの場になっているのである。黒崎さんが所属しているプロダクションの社長も「黒崎さんは楽しんでやっているから、こっちも楽しいですよ」と言っていた。

あとね、びっくりしたのは銭湯のAV。撮影中にのぼせた男優さんが倒れてしまったんですよ。20代の男優さんだったんだけど、救急車も来て、撮影も3時間くらい中断したんです。

その撮影は、結局夜中の12時過ぎまで長引いてしまったそうだ。「70歳過ぎのおばあちゃんがピンピン夜中まで頑張っているのに、20代が倒れちゃうなんてねえ~」。まさに、同感である。

――そんな夜中まで撮影して疲れなかったですか?

撮影していると頭がコーフンするのか、疲れを全く感じないのよ。

素敵すぎます、その姿勢。そしてもちろんAVに出演した後は、彼氏と一緒に出演作をラブホで見るのである。

月に1回くらいだけど、彼氏とホテルに行って、自分が出演しているAVを見させて彼氏に焼きもちを焼かせるのね。それで彼氏が「負けないぞ!」と夢中になってセックスするのが楽しいわね。

完全なノロケ。しかも、今流行の「寝取られ」を実戦しているなんて、なんとも性を謳歌している老カップルである。しかし、なんでこうもセックスに対して前のめりなのだろうか? やはり若い頃に経験がないから? オーガズムを知った年齢が遅いから? 黒崎さんによると、その心は、

スケベな人が長生きするのよ! 先がないんだから、私たち。あと何年生きられるか、あと何本撮れるのか分からないのよ。だからもっと撮影に呼んでほしいわね~!

ということらしい。ちなみに、黒崎さんが出てみたいというAVは、自分1人に対し、男優さん4~5人が胸を揉んだり、お股を舐めたりするという乱交モノ。欲を言えば、伊豆などの温泉旅館などにいって、露天風呂に入って、広い畳の部屋などで男優さんに色々してもらうというのが最高なのだという。

ラブホで乱交のものを見ると楽しそうだなと思うんですよ。経験してみたいですね。

という話をしていたら、突如、思い出したというようにこんなことを言っていた。

それにしても今の若い女優さんはみんなきれいですね。痩せているのに胸も豊満だし。でも、皆おんなじ顔をしているみたい。目の形とか。不思議ですね~。

けっこう多くの女優さんが、整形しているんですよと言おうかと思ったが、止めておいた。AV業界や風俗のことを、あまりよく知らないまま、楽しんでいるくらいが、きっと幸せなのだろうと思うし。

その日、黒崎さんと途中まで一緒に帰ったのだが、「今日は、家に帰らないで、そのまま友達の家に泊まりにいくの」と言っていた。子どもを持たなかったので、現在はまるっきりの一人暮らし。誰も黒崎さんを縛る人もいないし、誰かを気にかけて自由を制限されることもない。本当に自由気ままに毎日を送れるのだ。

しかもさらなる秘密がある。それはAVや風俗という副業である。年金だけだと生活をやや切り詰めないといけないようだが、風俗やAVの収入があるため、ちょっとだけリッチに暮らせるのである。ちなみに、その収入は、親戚の子どもにお小遣いとしてあげたりするようである。なかなかシュールな使い道だ。

「楽しいわね~。今、いちばん楽しいわね」とイケメン編集者の隣でにこやかに笑う黒崎さん。

でも、気を使う義母が亡くなってすぐに夫も亡くなってしまった時は、「これから夫婦ふたりの時間を楽しもう」という矢先のことだったろうから、その当時はきっとショックだったに違いない。だが今となってみたら、セックスの関係もなく、家事をあれこれしてあげなきゃいけなく、何をするにも気を使わなければならない年上の夫存在がなくて良かったのではないだろうか……? もし生きていたら、フラッと女友達の家に泊まることだってできなかっただろうし、彼氏もできないし、AVに出ることもなかったはず。


『銭湯の女将さん』ルビー 2011

このインタビューから3年が経ち、77歳になった黒崎さんとは残念ながら会えなかった。今、どんな生活を送っているかは知らないが、きっと私が会ったときの黒崎さんは、長い老年期のなかでも、最も輝いているときだったに違いない。

黒崎さんに会ってから、老人になってからも恋を楽しみ、セックスを愉しんでいる、イケイケの女性に会って話を聞いてみたいと思うようになった。

できたら、年を取ってから、なぜか風俗やAVで働き始めたという女性に話を聞いてみたい。一体どんな理由で働きはじめたのか? と。もちろん、黒崎さんのような人ばかりでなくてもいいのだけれど、様々な形の老人の性を知ってみたかった。

なぜなら、健康で長生きしてしまえば、いつかは自分もその年になるはずだし、アラフォーとなった今、性欲が湧かなくなった、たまに性感がグッと低下する、濡れなくなった……という中年的な悩みを抱えるようになってきたから、というのもある。今の私はダンナのことが大好きなので、できたら老人になってもラブラブと気持ちのいいセックスをしていきたい。でも、それは可能なのか? 私も枯れつつあるけれど、ダンナは一時期中折れする時期もあったし、仕事に疲れすぎてセックスの途中で寝てしまうようなことも度々あった。こんな状態で、老人になっても、ギンギンビチョビチョイケルのだろうか? そんな不安がたまにふっとやってくる。

はたまた、ダンナが先に死んでしまったら、私はどうしたらよいのだろうか? もしくは逆に私が死んでしまったら、ダンナはまた誰かと恋をして、セックスもするのだろうか? そして、それは、どんな感覚なんだろう? そんなこともチラホラと気になったりしていた。

それに、親もそろそろ介護世代に差し掛かるため、ときおり友人や知人と介護の話題をすると、老人ホームで恋愛をして大変だとか、デイケアセンターで老人がセクハラをするとか、そういったことを耳にする。そのたび、「本当に、そんなに元気にハッスルしているのだろうか?」と若干ナゾでもあった。こんな非常に私的でぼんやりとした気がかりが、この連載の根っこにある。

というわけで、黒崎さんの話題に戻る。前のインタビューでは、風俗のことはほとんど聞けなかったので、今回は風俗のことは特に聞いてみたいことだった。それから、あの後の男遍歴のことも聞きたいなと思っていたのだった。

けれども、かえってきた返事は冒頭に書いたように、なかった。まだ、元気に生きてはいるのだろうけど、老いてしまってセックスに対してのモチベーションはなくなったということだろうか? 前の彼氏とは別れてしまったのだろうか? そもそも、もう男なんかに興味はなくて、腰や膝の痛みがつらくて、もう出歩いたりすうること自体、面倒になってしまったのだろうか? あんなに元気だったのに?

切なかった。でも黒崎さんは、3年前にはもう「もうすぐ死んじゃうんだから」とも言っていたな。あのハッスルの日々は、冥土に行く前の最後のハジケっぷりだったのかもしれない。

いつまで元気に動けるか分からない。だから、今、最大限に愉しむ。老人の性のひとつの在り方だろう。もう少し聞きたかった。けれど、もう聞けない。インタビューの機会もまた、老人の性のハッスルと同じように、一瞬しか訪れないのだ。


撮影:亀井健


travel 案山子X 12:本城案山子まつり(大分)

写真・文 ai7n

こんにちは。ai7n(アイン)です。
今回は大分県日田市天瀬町本城の「本城案山子まつり」を紹介します。


本城案山子まつりが開催される日田市は大分県の西部に位置し、福岡県と熊本県に隣接している地域です。
天瀬町は日田市の東部に位置し、別府・湯布院と並んで豊後三大温泉と呼ばれる天ヶ瀬温泉があります。1300年前に開湯したといわれる歴史のある温泉で、JR天ヶ瀬駅周辺に温泉宿が立ち並んでいます。
天ヶ瀬温泉の真ん中を流れる玖珠川の川岸には川湯と呼ばれる露天風呂が数カ所あり、どこも100円で入浴できるそうです。中には「わんこの湯」というペット専用の変わった露店風呂もあります。

天ヶ瀬温泉から5キロ程の場所にある山間の小さな集落が案山子祭りの会場です。
毎年彼岸花が咲く頃に開催されており、地元の農産物の販売や案山子の総選挙が開催される日もあるそうです。
合楽川沿いに咲く約10万本の彼岸花を見ながら案山子祭りを楽しむ事ができるそうなのですが、私が行った時は時期が悪かったようで彼岸花が咲いておらず残念でした。
最寄り駅はJR天ヶ瀬駅。
日田~小国・黒川方面をむすぶ「スカイファームロードひた」沿いに会場の集落があります。


お祭りの会場へと向う橋。緑色の「案山子まつり」と書かれた旗に混じって、「しない させない 飲酒運転」と書かれたオレンジ色の旗が。


法被を着たカラフルな案山子達。


橋には川を覗き込んでいる案山子もいました。遠くから見ると人間そっくりです。


スクールバスを待つ子ども達。ピカピカの一年生です。


作業服を着た案山子。手が熊手で、足は竹箒で作られています。


頭部にひょうたんを使用した、ひょうたんおやじというタイトルの作品。


車が1台しか通れないような細い道にも案山子が立てられていました。


案山子の取材をする案山子。


発泡スチロールや缶を使用して作られたビデオカメラ。


栗拾いがテーマの作品。
しゃがんで栗を拾っているシーンを表現しています。


バイオリンを弾いている女性と思いきや、ウクレレでした。


白いピアノを弾く女性。ピアノの中身は小人のいるミニ盆栽でした。


富士山のカラーリングが見事な作品。富士山の横の赤い札には達筆で「祝世界遺産登録」と書かれています。


ひげを生やした男性。顔と首の部分は服を使用して作られています。


今でしょ!案山子。ピンクの毛糸を三つ編みして作られた唇がとても可愛いです。


イヤリングがオシャレなおもてなし案山子。2013年は他の地域の案山子祭りでも滝川クリステルの案山子を見かけました。どの案山子もスカーフがオシャレに巻かれていました。


あまちゃん案山子。今でしょ!、おもてなし、あまちゃんと作者が同じなのか、みんな達筆なタスキをかけています。


「GOD SPEED」と書かれた厳ついトレーナーを着た案山子。


集会場の側には子ども案山子が沢山いました。みんな様々な遊びをしています。


かくれんぼをしているのか、そっと様子を伺う子ども達。


食物を運ぶ人と猿。


真っ赤な顔の猿がサツマイモを食べようとしています。


広い田んぼの中に立てられた東京オリンピックをテーマにした作品。


選手達は様々なポーズをとっています。


農夫と、イノシシを枕にして寝る子ども。


凧揚げをする母と子。


空高く昇る凧もあれば、地面に落ちた凧も。凧のデザインが素晴らしいです。


面子をして遊ぶ子ども達。面子をする時の前かがみの姿勢がよく表現できています。


楽しそうなポーズの男の子。毛糸の帽子で髪の毛を表現。


ぶどう等のイラストが描かれた面子の中央には「かかしまつり」と並べられた面子が。


羽根つきをして遊ぶ子どもが持つ羽子板にも「かかしまつり」の文字が。子どもをおぶさる母親の洋服がとてもオシャレです。


焼酎のペットボトルを持ったまま昼寝をしているおじさん。


いはら先生。小学校に実在のモデルがいるのかもしれません。


方言をテーマにした作品。看板には方言を使った様々な言葉が書かれています。



石臼をひく男性。手足は木彫りで作られています。


カラフルなお菓子を持った女性。看板には「町っち言うてん、年ようばっかし 誰かん よめごんなっちくるる人はおらんやろうかネー。おたげん 兄ちゃんに」と書かれています。


花火を鑑賞している浴衣姿の女性達。


他の案山子祭りでもよく見かける、昭和の家族の団欒風景。


あまちゃん案山子。ウニを右手に持ち、喜びのポーズ。


子どもとおじさん。どんなシチュエーションなんでしょうか。


おじさんのお面はなぜか加トちゃんです。


ミレーの落穂拾いを再現した案山子。もう少し右の位置から撮影すれば良かったと思いました。


洋服の色やポーズ等、かなりそっくりです。


青森県発祥の「スコップ三味線」を天瀬町の名物にしようと、地元の方達が練習に励んでいるそうです。


スコップを栓抜きで打ち鳴らして演奏をするのだそうです。


案山子達のスコップ三味線は、竹、厚紙、銀紙等を使用して作られていました。


女性らしい体つきが見事に表現されています。


スコップ三味線の演奏を観ているカップル。


案山子祭りを見に来た老人ホームの方達が、スコップ三味線を背景に記念撮影をしていました。


1体だけ離れた場所に立てられた、高さ3メートル程の巨大な案山子。


近付いてみると…大ヒット漫画「進撃の巨人」のキャラクターでした!進撃の巨人には筋肉が剥き出しになったような姿の巨人が登場するのですが、そのキャラクターを藁や様々な素材を使い制作しています。藁は赤い紐を使ってござのような形状にした後白いビニール紐でボディーに巻き付けられており、かなり手間暇かけて制作されているようです。藁で筋肉を表現するとは本当に驚きました。


迫力のある顔!よく見ると口はがま口を使用しているので、口が開くのかもしれません。


巨人に補食される人間も作ってありました。×マークの目が可愛いです。

クオリティの高過ぎる進撃の巨人案山子にとにかくビックリしたお祭りでしたが、他にもほのぼのとした表情の案山子が多く癒されました。
このお祭りでは地域の方々が作った案山子以外に、小学生が制作した案山子が多いと思いました。
天瀬町にあるいつま小学校では、本城案山子まつりの概要を学んで案山子を制作する行事があるそうで、そこで作られた案山子がお祭りに展示してあるようです。
こうした地域のお祭りに参加した子どもが大人になって、案山子祭りをずっと引き継いでいってくれたらいいな…と思いました。

「本城案山子まつり」
日程:2013年9月21日(土)~11月10日(日)
場所:大分県日田市天瀬町本城合楽川沿い

ai7nWEBサイト http://ai7n.com/
漫画家もやってます→http://www.poco2.jp/comic/mimicri/


[告知1]
7月26日(土)、新宿ラバンデリアでトーク


すでに告知したように、『ROADSIDE BOOKS』発売記念トークが今週から来週にかけて続きます。

今週土曜日にはミニコミ販売の雄・模索舎の主催で、新宿2丁目のラバンデリアにてトークあり。自費出版を中心にディープな話題をたっぷりお話できそうです。予約、問い合わせは模索舎までお願いします!

ROADSIDE BOOKS発売記念トーク:
7月26日(土) カフェ・ラバンデリア
19:30開場、20:00 開演
問い合わせ:模索舎 http://www.mosakusha.com/
TEL:03-3352-3557


[告知2]
爆音カラオケ vol.4 7月28日(月)!


究極の色物企画と思われながら、まさかの隔月定期開催となってしまった『爆音カラオケ』。第4回は来週月曜日の28日。ゲストはおなじみ湯浅学くん。

回を重ねるたびに、レーザーディスクのお宝映像も次々発見中。音楽と映像とお酒で、昭和の爆笑ナイトをお楽しみください。お待ちしています!

爆音カラオケ vol.4
7月28日(月)
19:15 開場、20:00 開演
@音楽実験室・新世界
予約サイト:http://shinsekai9.jp/2014/07/28/bakukara4/


[告知3]
7月30日(水)、大竹伸朗x都築響一@青山ブックセンター

26日の新宿ラバンデリアに続いて、30日の水曜には青山ブックセンター本店でトークがあります。

8月1日に横浜トリエンナーレのオープニングを控えた大竹伸朗くんがゲストに来てくれるので、横トリの話もしてもらえるはず。ふたりの公開対談はかなり久しぶりになるので、ご期待ください!

ROADSIDE BOOKS発売記念トーク:
7月30日(水) 青山ブックセンター・青山本店
19:00 開演
予約サイト:http://www.aoyamabc.jp/event/roadside-books/
店頭レジでも受付中


[告知4]
岡本太郎とアール・ブリュット展@川崎市岡本太郎美術館


先週土曜日(19日)から川崎市生田緑地の岡本太郎美術館では、『岡本太郎とアール・ブリュット――生の芸術の地平へ』と題された企画展を開催中です。

ふだんあまり結びつけて見られることがないかもしれませんが、岡本太郎は既成の美術体系に属さない、ナマの芸術表現であるアール・ブリュット/アウトサイダー・アートに早くから注目してきました。

未開人も子供も狂人も、論理的に明らかに矛盾していること、例えば自分が自分であると同時に兎であるとか、雲だというような、あり得べからざることを平気で信じたり、夢で見た世界と現実の世界とを矛盾のままごちゃごちゃにして、ともに実在だと考えたりします。

彼らの表現はノーマルな社会の分別では到底考えられない、恐ろしい程の激しさを持っているのです。それはかえって我々を根源的な感動に回帰させる異常な魅力です。

と『アヴァンギャルド藝術』で彼が書いたのは、1950年のこと。ジャン・デュビュッフェが「アール・ブリュット」を唱えはじめたのと同時期です。今回の展覧会では国内外のさまざまな作家の作品が並びますが、カタログには僕も短い文章を書きました。よかったらご覧ください。

美術館のある生田緑地には、日本民家園もあれば、藤子・F・不二雄ミュージアムもあり。広大な緑地を散歩するだけでも気分爽快なので、一日遊べます!

岡本太郎とアール・ブリュット――生の芸術の地平へ
@川崎市岡本太郎美術館
~10月5日(日)まで開催中
http://www.taromuseum.jp/exhibition/current.html


[告知5]
MOZYSKEY展、仙台で開催中!


アルファベットと日本語を巧みに組み合わせ、それにアラブ書道のような装飾性を加えた、独自の図形世界を描き続ける「文字アーティスト」、それがMOZYSKEY(モザイスキー)です。

90年代から東京のグラフィティ・シーンで活動を続けてきた彼は、すでにグラフィティ、スケート、ヒップホップ・シーンではよく知られていますが、東北地方初となる展覧会が先代の2会場で開催中。今月26日(土)までは、僕もトークをやらせてもらった仙台パンゲアにて。そして25日(金)からは、本メルマガでも紹介した仙台在住グラフィティ・アーティストのSYUNOVENが主宰するギャラリー・ホロンに場所を移して。両会場とも展示作品は異なるそうです。






パンゲアの展示風景

グラフィティを「落書き」ぐらいにしか思ってないひとは、このメルマガ読者にはいないでしょうが、ほとんどアメリカの真似としか思われてこなかった日本のグラフィティが、ここまで独自の進化を遂げているのに、驚くかたもいらっしゃるはず。なかなかまとまって観る機会のない表現なので、この機会にぜひご覧ください!


BLACK COOK / MOZYSKEY
@仙台PANGAEA
~7月26日(土)まで開催中
http://pangaea-sendai.com/


MY NAME IS MOZYSKEY
7月25日~8月3日
@仙台 Holon gallery
http://holongallery.blogspot.jp/p/blog-page_15.html

MOZYSKEY アーティスト・サイト:http://mozyskey.tumblr.com/


アフターアワーズ:編集後記

今週も最後までお付き合いありがとうございました。浜松、横浜、大分・・・今週も日本各地からお送りしました。そして74歳のAV女優! いかがだったでしょうか、その生き様。ご感想、ぜひFacebookページまでお寄せください。

来週の30日は第5水曜なので、メルマガをお休みさせていただきます。実は4月にも水曜が5回あったのですが、僕を含めスタッフのだれも気づかず、第5水曜も配信! あとで気がついて愕然としましたが、今回はカレンダーどおり(笑)、お休みさせてください。そのあいだに遠出してネタ、拾ってきます。最近は「メルマガが長すぎて読むのが追いつかない!」というご意見も多々いただくので、この機会に読み逃した号をじっくり掘り返していただけたらうれしいです。メールの他に、サイトのアーカイブからもすべての記事をお読みいただけますので。

http://www.roadsiders.com/
(ID、パスワードを入れていただくと、過去記事がすべてご覧いただけます。覚えてない!という方は、運営までご一報を。すぐに連絡差し上げます――http://www.roadsiders.com/contact/(お問い合わせページ)

先週は土曜日の早朝に東京を出て、名古屋でレンタカーを借りて、郡上八幡へ。夜は名古屋に帰ってきて、日曜はまたレンタカーを借りて関と蒲郡に行って、名古屋に帰って新幹線で大阪から尼崎へ。月曜は神戸に移動して、稲荷商店街のsalon i’maでトーク。そしていま火曜日の朝、神戸の喫茶店でこの後記を書いているという・・・あいかわらずの流れ旅です。おかげで8月はなかなか充実の旅行ネタをたくさん放出できそうなので、お楽しみに! 夏休みに間に合うよう、なるべく前半にたくさんぶち込みます。


小京都的な町並みと、郡上おどりで有名な郡上八幡。クルマでないと、ものすごく行きにくいけど、それがまたいいのかも


「蒲郡ファンタジー館」は珍スポット・マニアに愛され続け、惜しまれつつ閉館していたのが、なんと先週プレオープン! 「竹島ファンタジー館」と名前を変えて、ウェブサイトもできてるので、マニアは駆けつけるべし。郡上八幡とあわせ、こちらも8月6日配信号でがっつり紹介予定です。

夏休みぐらい旅行したいけど、お盆しか休めないし、どこも混んでるだろうし、ホテルは高いだろうし・・・と、けっきょく家でゴロゴロしてるうちに、休みが終わってしまうひともいるでしょう。ま、そのあいだにメルマガ読んでいただければいいんですが。でも、お盆休みのような繁忙期ですら、まるで観光客の来ない、寂しい町も日本各地にたくさんあり! そういう「隙ある町」を探して、低予算徘徊旅行してみるのも楽しいはず。ひと味ちがう旅行体験ができたら、ぜひこちらまで写真と文章お寄せせください。メルマガ内で紹介させていただきます。

それでは次回は8月6日、いつものとおり午前5時に!


スタッフより

「ROADSIDE JAPAN―珍日本紀行 東日本編」にも掲載されている茨城県の「牛久大仏」に行ってきました。「台座を合わせると高さ120m!」と言われてもピンとこないのですが、奈良の大仏が約15m、自由の女神が40mと聞けばその巨大さがわかります。ちなみに茨城県で一番高いビルをウィキペディアで調べたところ茨城県庁舎の116mでした。牛久大仏のほうが建造物としても大きいじゃないですかっ!!


スケールが大きすぎて、つい笑みが漏れます。


胸の3つの穴は展望窓。1つの穴が、ちょうどヒト一人分くらいの幅です。


この手の中に奈良の大仏が収まるとのこと。


頭のぶつぶつ(らほつ)のサンプル。1粒あたり直径1m、重さ200kg。

牛久市観光協会:牛久大仏ページ
http://www.ushikukankou.com/ushikudaibutsu.htm


よくあるご質問

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BOOKS

ROADSIDE LIBRARY vol.003
おんなのアルバム キャバレー・ベラミの踊り子たち(PDFフォーマット)

伝説のグランドキャバレー・ベラミ・・・そのステージを飾った踊り子、芸人たちの写真コレクション・アルバムがついに完成!

かつて日本一の石炭積み出し港だった北九州市若松で、華やかな夜を演出したグランドキャバレー・ベラミ。元従業員寮から発掘された営業用写真、およそ1400枚をすべて高解像度スキャンして掲載しました。データサイズ・約2ギガバイト! メガ・ボリュームのダウンロード版/USB版デジタル写真集です。
ベラミ30年間の歴史をたどる調査資料も完全掲載。さらに写真と共に発掘された当時の8ミリ映像が、動画ファイルとしてご覧いただけます。昭和のキャバレー世界をビジュアルで体感できる、これ以上の画像資料はどこにもないはず! マンボ、ジャズ、ボサノバ、サイケデリック・ロック・・・お好きな音楽をBGMに流しながら、たっぷりお楽しみください。

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ROADSIDE LIBRARY vol.002
LOVE HOTEL(PDFフォーマット)

――ラブホの夢は夜ひらく

新風営法などでいま絶滅の危機に瀕しつつある、遊びごころあふれるラブホテルのインテリアを探し歩き、関東・関西エリア全28軒で撮影した73室! これは「エロの昭和スタイル」だ。もはや存在しないホテル、部屋も数多く収められた貴重なデザイン遺産資料。『秘宝館』と同じく、書籍版よりも大幅にカット数を増やし、オリジナルのフィルム版をデジタル・リマスターした高解像度データで、ディテールの拡大もお楽しみください。
円形ベッド、鏡張りの壁や天井、虹色のシャギー・カーペット・・・日本人の血と吐息を桃色に染めあげる、禁断のインテリアデザイン・エレメントのほとんどすべてが、ここにある!

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ROADSIDE LIBRARY vol.001
秘宝館(PDFフォーマット)

――秘宝よ永遠に

1993年から2015年まで、20年間以上にわたって取材してきた秘宝館。北海道から九州嬉野まで11館の写真を網羅し、書籍版では未収録のカットを大幅に加えた全777ページ、オールカラーの巨大画像資料集。
すべてのカットが拡大に耐えられるよう、777ページページで全1.8ギガのメガ・サイズ電書! 通常の電子書籍よりもはるかに高解像度のデータで、気になるディテールもクローズアップ可能です。
1990年代の撮影はフィルムだったため、今回は掲載するすべてのカットをスキャンし直した「オリジナルからのデジタル・リマスター」。これより詳しい秘宝館の本は存在しません!

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圏外編集者

編集に「術」なんてない。
珍スポット、独居老人、地方発ヒップホップ、路傍の現代詩、カラオケスナック……。ほかのメディアとはまったく違う視点から、「なんだかわからないけど、気になってしょうがないもの」を追い続ける都築響一が、なぜ、どうやって取材し、本を作ってきたのか。人の忠告なんて聞かず、自分の好奇心だけで道なき道を歩んできた編集者の言葉。
多数決で負ける子たちが、「オトナ」になれないオトナたちが、周回遅れのトップランナーたちが、僕に本をつくらせる。
編集を入り口に、「新しいことをしたい」すべてのひとの心を撃つ一冊。

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ROADSIDE BOOKS
書評2006-2014

こころがかゆいときに読んでください
「書評2006-2014」というサブタイトルのとおり、これは僕にとって『だれも買わない本は、だれかが買わなきゃならないんだ』(2008年)に続く、2冊めの書評集。ほぼ80冊分の書評というか、リポートが収められていて、巻末にはこれまで出してきた自分の本の(編集を担当した作品集などは除く)、ごく短い解題もつけてみた。
このなかの1冊でも2冊でも、みなさんの「こころの奥のかゆみ」をスッとさせてくれたら本望である。

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独居老人スタイル

あえて独居老人でいること。それは老いていくこの国で生きのびるための、きわめて有効なスタイルかもしれない。16人の魅力的な独居老人たちを取材・紹介する。
たとえば20代の読者にとって、50年後の人生は想像しにくいかもしれないけれど、あるのかないのかわからない「老後」のために、いまやりたいことを我慢するほどバカらしいことはない――「年取った若者たち」から、そういうスピリットのカケラだけでも受け取ってもらえたら、なによりうれしい。

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ヒップホップの詩人たち

いちばん刺激的な音楽は路上に落ちている――。
咆哮する現代詩人の肖像。その音楽はストリートに生まれ、東京のメディアを遠く離れた場所から、先鋭的で豊かな世界を作り続けている。さあ出かけよう、日常を抜け出して、魂の叫びに耳を澄ませて――。パイオニアからアンダーグラウンド、気鋭の若手まで、ロングインタビュー&多数のリリックを収録。孤高の言葉を刻むラッパー15人のすべて。

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東京右半分

2012年、東京右傾化宣言!
この都市の、クリエイティブなパワー・バランスは、いま確実に東=右半分に移動しつつある。右曲がりの東京見聞録!
576ページ、図版点数1300点、取材箇所108ヶ所!

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東京スナック飲みある記
ママさんボトル入ります!

東京がひとつの宇宙だとすれば、スナック街はひとつの銀河系だ。
酒がこぼれ、歌が流れ、今夜もたくさんの人生がはじけるだろう、場末のミルキーウェイ。 東京23区に、23のスナック街を見つけて飲み歩く旅。 チドリ足でお付き合いください!

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