東京キャバレー文化の終焉
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2018年12月30日で赤羽と北千住のハリウッドが閉店したのはご存じのとおり。銀座白いばらに続いてのハリウッド閉店で、東京のキャバレー文化はついに終焉を迎えることになった。1945年、終戦の年に進駐軍用に銀座松坂屋地下にオアシス・オヴ・ザ・ギンザが開店してから73年。最盛期にはどの飲み屋街にもシンボルのように存在していたグランドキャバレーは、これで完全消滅。他の都市を見ても、関西エリアに数店舗、生バンドなしのカラオケ営業店が生き残っているほかは、熊本八代市に一軒、キャバレー白馬があるくらい。平成の終わりになって、昭和が生んだキャバレー文化はほぼ絶滅したのである。 |
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2010年から11年にかけて東京の東側を取材して歩き、2012年に『東京右半分』(筑摩書房刊)としてまとめられた単行本に、赤羽と北千住のハリウッドを取材した記事を掲載した。昨年逝去された昭和のキャバレー王・福富太郎さんからもお話を伺うことができたこの記事を、キャバレー文化の終焉への手向けとして無料公開させていただく。両店ともまだ営業時に取材したものだが、あえて加筆は施さないでおく。さらに、メールマガジン「ロードサイダーズ・ウィークリー」で2015年に掲載した、東京最大級のキャバレー・歌舞伎町クラブハイツの最後の夜を訪れた記録も再録するので、併せてお読みいただきたい。またひとつ、失われて初めて知る輝きを惜しみつつ。 |
キャバレー・ハリウッド北千住店 |
ロンドン、ハワイ、ハリウッド・・・これ、みんな昭和30〜40年代に最盛期を迎えた、日本のキャバレー・チェーンの名前である。思えばそれは、外国の地名がまだ、夢を誘ってくれる時代でもあった。 |
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食堂部、慰安部などと並んで設けられたキャバレー部によって、その年の11月には銀座松坂屋地下に〈オアシス・オヴ・ザ・ギンザ〉なるダンスホールがオープン。相前後して開かれた新しいスタイルの店舗によって、日本人は「明るく楽しく飲んで踊る」楽しみに目覚めたのだった。 |
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しかしオイルショック、風営法改正、そしてディスコやスナックなど、夜遊びの業態変化に伴って、キャバレーは昭和39年のオリンピックあたりから数を減らしていった。昭和52年の時点で東京都内には700軒のキャバレーがあったというが、いまはいったいどれくらい生き残っているだろうか。最盛期には数十店舗あった福富さんのハリウッドも、いまは赤羽、北千住、池袋の3店舗しか残っていない。その3店のうち、ふたつが北区と足立区。現代のキャバレーは、やっぱり東京右半分が似合うのだろうか。 |
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昔ながらのオヤジ天国系飲み屋横丁に、最近は若者系のお洒落店がちらほろ目立つようになって、これから雰囲気が変わっていきそうな北千住駅前。駅から歩いて1分もかからない、格好のロケーションにそびえるのがハリウッド北千住店。4階がキャバレー・ハリウッドで、5階が〈ニューマブハイ〉という名のフィリピンパブになっている。 |
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広々として、しかしボックスのあいだは高めの仕切りで、お客さん同士が見えにくく配慮されている席に案内されると、さっそくホステスさんがやってくる。初めてなら馴染みのホステスさんを指名するわけにもいかないから、店の人にお任せすると、こちらに合ってそうな子を選んでくれる。そのホステスさんが、平日でも5〜60人、週末ともなれば80〜90人は出勤しているというから、このご時世でたいしたものだ。年齢も20代から60代まで(!)豊富に取りそろえてるので、どんな客層にも対応可。だってお客さんは70代、80代の人もいるのだから、あんまり年のちがう子が来ても、話題も合わないし。こういうところが、キャバクラとちがって楽しいんですね。 |
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「どんなお客さんが来るの、年配の人が多いから、遊び方もゆったりしてるんでしょ?」と、隣に座ってくれた子たちに聞いてみたら、「いーえ! 男の人は60代になっても、70代になってもいっしょ、だいたい7割のお客さんは、わたしたちを口説くために来てるんですから」と意外なお答え。入店する前にちゃっかり結婚指輪を外してくるひとも少なくないらしいが、「ゴルフとかしてるひとだと、焼けてないからわかっちゃうんですよねー、すぐに」(笑)。 |
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キャバレーだから、ちゃんとダンスフロアもあるし、生バンドも入っているし、毎日のように演歌歌手やコメディアンのショータイムもある。「でもいまは、踊りに来るお客さんもずいぶん減ったし、歌手のひとが歌ってても、あんまり真剣に聴いてくれるお客さんがいないから、かわいそうになっちゃう」そう。そんな店じゃないのに、女の子が座ろうとすると、サッと手をお尻の下に伸ばしてきたりするお客さんも珍しくないそうで、ほんとにしょうがないですねー、いくつになっても、男という動物は。 |
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そんなバカ話に興じて、なぜかキャバレーにはどこもつきものの、おいしいカツサンドを頬張って(ちなみに北千住店では、ほかにイカの一夜干しとかがおすすめだそうです)、ナマの歌も聴いて、気が向いたら同じフロアにあるカラオケ・コーナーにホステスさんともども移動して歌いまくって、それでお会計のほうは、7時までに来店して制限2時間の「セブンコース」なら、おひとりさま5,250円! しかも焼酎・ウイスキーのいずれかボトル1本、またはビール2本に、お料理1品付き! キャバクラなんかで、こっちの財布しか興味ないのが見え見えのキャバ嬢の、こっちが話し合わせてご機嫌とって、それで何万円も取られるより、ぜんぜんいいでしょ! |
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ちなみにハリウッド・グループ総帥である福富太郎さんのオフィスも、このビルの上階にあって、いまだによく、店に降りてきてはお客さんに挨拶して回ったり、飲んだりしているそう。今年70歳なのに、すばらしいエネルギーですねえ。 |
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キャバレー・ハリウッド赤羽店 |
清野澄さんのヒット漫画『東京都北区赤羽』で認知度も高まり、そこかしこで話題の、しかしそれにしてはオシャレ若者がぜんぜん増えた気配のない赤羽駅東口に立つ。 |
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いにしえの高級ホテルのようにゆったりとしたエントランスを抜けると、ボックス席の向こうに吹き抜けのダンスフロアが広がる。専属の生バンドがダンス・ミュージックを奏でる頭上で、光吹雪をまきちらすミラーボール。広さは北千住店の3倍近くあろうか。行ったひとはわかるだろうが、歌舞伎町のクラブハイツが閉店してしまったいま、広さで言えば銀座の名店〈白いばら〉と双璧をなす、いまや東京屈指のスケールである。 |
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ハリウッド赤羽店の在籍ホステス(フロアレディと呼ぶ)は150人ほど。平日でも60~70人は店に出ているそう。お店に入りたての若い子もいれば、『赤羽キャバレー物語』という自伝まで出版した、もう20年以上無休で働き、ナンバーワンを維持している伝説のホステス千尋さんのような、業界の有名人もいる。 |
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そう、赤羽店にかぎらずハリウッド・グループは実のところ、働き口を探す女性には素晴らしく好条件な、というよりむしろ駆け込み寺のような、男にとっては羨ましすぎる職場なのだった。 |
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お客さんにも、働く側にも優しいシステムが、ハリウッド独特の居心地よさをつくっているのだろう。みのもんたが赤羽店の常連であることは有名だが、店内には総理大臣から大御所演歌歌手まで、ものすごい有名人の色紙がずらり。遊びをわかってるひとは、みんなこういうところを選ぶのかもしれない。 |
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生バンドをバックに熱唱する演歌歌手の声に聴き惚れながら、焼酎をグビグビ、ナプキンに巻いてア〜ンってしてくれるカツサンドを頬張って、懲りないオヤジ客のセクハラ話とかに爆笑して、気持ちよくなったらお会計。凍えそうな雨が降る中を、こちらの背中が見えなくなるまで、肌もあらわなドレス姿のまま、席についたホステスさんたちが見送ってくれる。 |
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ちなみにハリウッド赤羽店の斜め向かいには、立ち飲み屋ファンには聖地とされる〈いこい〉が、朝7時から営業中。こういう町に沈没して余生を送るってのも、いいですねえ。 |
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クラブハイツ最後の夜 |
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2009年に『エスクァイア』誌のために書いた、『クラブハイツ最後の夜』。いまからちょうど6年前の出来事だけど、あれから文中にある札幌クラブハイツもすでに閉店してしまったし、「歌舞伎町ルネッサンス」は順調に進行中。コマ劇場跡はもう来月となる2015年4月に、都内最大級のシネコン〈TOHOシネマズ新宿〉と〈ホテルグレイスリー新宿〉に生まれ変わって開業予定だ。そんなもん、歌舞伎町じゃなきゃいけないのか! |
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2009年2月27日午後9時、歌舞伎町コマ劇場前の広場は異様な雰囲気に包まれて・・・と書きたいところだが、むしろプレイボール2時間前の野球場のように閑散としていた。黒服の新人ホストたちも、通り過ぎる女の子に食らいついていくでもなく、建物の陰でけだるげにおしゃべりしているだけ。歌舞伎町が夜のエネルギーに輝くのは、まだずっとあとなのだ。 |
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コマ劇場が閉館するときはずいぶんマスコミに騒がれたが、クラブハイツの前にはテレビカメラの列が並ぶこともなく、ただ寡黙な男たちがまっすぐにエレベーターに乗り込んでいくだけだ。出てきても「次、どこ行く?」と騒ぎたてるでもなく、ただひっそりと歌舞伎町の奥へと消えていく。ほんとうに大切なものがなくなるときって、こんなふうなのかもしれない。 |
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名前からわかるように、東宝会館とコマ劇場が建っている約5,400平米の土地所有者は東宝だが、8階のフロアを借りてクラブハイツを運営してきたのは東京テアトル株式会社。昭和21年に東京興行株式会社という名前で、映画興行をメインに設立された会社である。 |
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そのテアトル東京も1981年に閉館。跡地がセゾン・グループによってホテル西洋銀座という超バブリーなホテルになり、10年ほど前からは東京テアトルが土地建物を取得、経営母体となっている。東京テアトルの現在の代表取締役会長が、堤一族の堤猶二氏であることからもわかるように、セゾン・グループと関係の深い会社なのだ。 |
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歌舞伎町のクラブハイツがオープンしたときから現在まで、36年間の歴史のうち30年以上、ほとんど一貫して店を見てきた支配人の野中辰裕さんによると、歌舞伎町店ができた1970年代前半が、キャバレー文化の全盛期だったという。ハリウッド、クインビー、ハワイ・チェーンといった“中箱店” があり、大箱では渋谷の〈エンパイヤ〉、赤坂の〈ミカド〉、〈月世界〉、〈ニュー・ラテンクォーター〉といった名店が、クラブハイツと集客を競っていた。 |
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時代はバブルに突入する前、会社の接待費もゆるかったころだから、フトコロに余裕のあるお客さんが、ヘネシーとかレミーマルタンとか、高いブランデーのボトルを注文して、「石原裕次郎じゃないですけど、ブランデーグラスを手にするのがステイタスでしたねえ」。 |
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そういう店で、男たちはお気に入りのホステスを“ナンバー・クラス”にしようと、競ってお金を使った(キャバレーは昔もいまも現金会計が基本だ)。女の子も、ナンバーになりたいとがんばった。「お客さんが応援してくれれば、女の子も競争になるわけです。そうすると、同じ女の子を指名しているお客さんには負けたくないと、お客さん同士の張り合いになってきて。アタッシュケースに現金詰め込んで持ってきて、相手がいくら使ったか、ケースを開けながら勝負したりしてね」と、そういう時代がバブルの前に、ここではあったのだ。 |
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指名が多い子、お客さんひとりあたりの売上額が大きい子、どちらにしても売り上げが群を抜けば“ナンバー”になれるのだが、野中さんによれば、そういう売れっ子さんはとにかく一生懸命さが際立っていた。「どんな仕事でもそうだと思うんですけど、朝早く起きてお客さんに電話するわけですよ、会社とかにね。会社に行ったりもする。それでお客さんを呼んでナンバーになっていくので、こういうお店のナンバーになれれば、どこに行っても成功すると思うんです。お店辞めてから、自分でお店やっている人も多いんで。努力家じゃないと、これだけの人数の上に立てませんね。 |
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バブルが弾ける前までは年中無休、閉店するのは大晦日と正月3ヶ日ぐらいだったそうだが、お客さんが少なくなるとともに日曜を閉めることにして、イベントやライブ、変わったところではプロレス興行にも場所を貸し出すようになった。お客さんの使うお金もずいぶんスケールダウンして、飲み物はビールかウィスキーか焼酎が定番になった。お気に入りの子を呼んで、飲んでおしゃべり、踊っても1万円かそこらですむ、リーズナブルな値段で遊べる店になっていた。 |
健康のためにここに来てるんだよ、ここで毎晩ダンスして、からだ動かしてるから丈夫でいられるんだと言ってくれるお客さん、オレのタイムカード作ってくれと言うお客さん、いろんな常連さんに恵まれてきました。 |
そういう皆勤賞のお達者じいさんたちを眺めながら飲むのが、僕はすごく楽しかったけれど、あの人たちはクラブハイツが閉店したら、どこへ行ったらいいんだろう。20代から50代まで、150人からのホステスさんたちは、社交ダンス用の演奏ばかりしてきたバンドの人たちは、このあとどこへ行ったらいいんだろう。 |
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東宝会館が建つコマ劇場前広場(正式にはシネシティ広場という冴えない名前だが、その前はヤングスポットと、もっと恥ずかしい名前がついていた・・・だれも使わなかったが)は、東宝のほかに新宿TOKYU MILANOの東急レクリエーション、東亜会館の東亜興業、そしてヒューマックスパビリオンと地球会館を持つヒューマックスの4社が、広場を囲んでいる。 |
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夜11時を過ぎ、バンドはすでに最後の曲を演奏し終え、楽器を片付けている。フロアにはお客さんとホステスさんがたくさんでてきて、抱きあったり、携帯電話で記念写真を取りあったりして、最後の別れを惜しんでいる。顔なじみになった何人かのホステスさんに聞いてみても、みんな「ほんの2週間ぐらい前に閉店って聞いたので、いまはこのあとどこで働けばいいのかわからない」と溜息をつくばかり。とりあえず携帯の番号を交換して、エレベーター前まで送ってもらって、もういちどハグ、ハグ。エレベーターのドアを押さえてくれている高橋さんも、直前まで病院で療養中だったのを「こういうことなら、出てこなくちゃなりませんから」と無理して来たので、明日からはまた療養生活に戻ると、疲れきった表情だ。 |
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報道によればコマ劇場と東宝会館の開発にはビル解体に1年、建築に3年はかかると見られている。つごう4年間、歌舞伎町の中心の5,400平米が、ぽっかり空洞になるわけだ。 |
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ROADSIDE LIBRARY
天野裕氏 写真集『わたしたちがいたところ』
(PDFフォーマット)
ロードサイダーズではおなじみの写真家・天野裕氏による初の電子書籍。というか印刷版を含めて初めて一般に販売される作品集です。
本書は、定価10万円(税込み11万円)というかなり高価な一冊です。そして『わたしたちがいたところ』は完成された書籍ではなく、開かれた電子書籍です。購入していただいたあと、いまも旅を続けながら写真を撮り続ける天野裕氏のもとに新作が貯まった時点で、それを「2024年度の追加作品集」のようなかたちで、ご指定のメールアドレスまで送らせていただきます。
旅するごとに、だれかと出会いシャッターを押すごとに、読者のみなさんと一緒に拡がりつづける時間と空間の痕跡、残香、傷痕……そんなふうに『わたしたちがいたところ』とお付き合いいただけたらと願っています。
ROADSIDE LIBRARY vol.006
BED SIDE MUSIC――めくるめくお色気レコジャケ宇宙(PDFフォーマット)
稀代のレコード・コレクターでもある山口‘Gucci’佳宏氏が長年収集してきた、「お色気たっぷりのレコードジャケットに収められた和製インストルメンタル・ミュージック」という、キワモノ中のキワモノ・コレクション。
1960年代から70年代初期にかけて各レコード会社から無数にリリースされ、いつのまにか跡形もなく消えてしまった、「夜のムードを高める」ためのインスト・レコードという音楽ジャンルがあった。アルバム、シングル盤あわせて855枚! その表ジャケットはもちろん、裏ジャケ、表裏見開き(けっこうダブルジャケット仕様が多かった)、さらには歌詞・解説カードにオマケポスターまで、とにかくあるものすべてを撮影。画像数2660カットという、印刷本ではぜったいに不可能なコンプリート・アーカイブです!
ROADSIDE LIBRARY vol.005
渋谷残酷劇場(PDFフォーマット)
プロのアーティストではなく、シロウトの手になる、だからこそ純粋な思いがこめられた血みどろの彫刻群。
これまでのロードサイド・ライブラリーと同じくPDF形式で全289ページ(833MB)。展覧会ではコラージュした壁画として展示した、もとの写真280点以上を高解像度で収録。もちろんコピープロテクトなし! そして同じく会場で常時上映中の日本、台湾、タイの動画3本も完全収録しています。DVD-R版については、最近ではもはや家にDVDスロットつきのパソコンがない!というかたもいらっしゃると思うので、パッケージ内には全内容をダウンロードできるQRコードも入れてます。
ROADSIDE LIBRARY vol.004
TOKYO STYLE(PDFフォーマット)
書籍版では掲載できなかった別カットもほとんどすべて収録してあるので、これは我が家のフィルム収納箱そのものと言ってもいい
電子書籍版『TOKYO STYLE』の最大の特徴は「拡大」にある。キーボードで、あるいは指先でズームアップしてもらえれば、机の上のカセットテープの曲目リストや、本棚に詰め込まれた本の題名もかなりの確度で読み取ることができる。他人の生活を覗き見する楽しみが『TOKYO STYLE』の本質だとすれば、電書版の「拡大」とはその密やかな楽しみを倍加させる「覗き込み」の快感なのだ――どんなに高価で精巧な印刷でも、本のかたちではけっして得ることのできない。
ROADSIDE LIBRARY vol.003
おんなのアルバム キャバレー・ベラミの踊り子たち(PDFフォーマット)
伝説のグランドキャバレー・ベラミ・・・そのステージを飾った踊り子、芸人たちの写真コレクション・アルバムがついに完成!
かつて日本一の石炭積み出し港だった北九州市若松で、華やかな夜を演出したグランドキャバレー・ベラミ。元従業員寮から発掘された営業用写真、およそ1400枚をすべて高解像度スキャンして掲載しました。データサイズ・約2ギガバイト! メガ・ボリュームのダウンロード版/USB版デジタル写真集です。
ベラミ30年間の歴史をたどる調査資料も完全掲載。さらに写真と共に発掘された当時の8ミリ映像が、動画ファイルとしてご覧いただけます。昭和のキャバレー世界をビジュアルで体感できる、これ以上の画像資料はどこにもないはず! マンボ、ジャズ、ボサノバ、サイケデリック・ロック・・・お好きな音楽をBGMに流しながら、たっぷりお楽しみください。
ROADSIDE LIBRARY vol.002
LOVE HOTEL(PDFフォーマット)
――ラブホの夢は夜ひらく
新風営法などでいま絶滅の危機に瀕しつつある、遊びごころあふれるラブホテルのインテリアを探し歩き、関東・関西エリア全28軒で撮影した73室! これは「エロの昭和スタイル」だ。もはや存在しないホテル、部屋も数多く収められた貴重なデザイン遺産資料。『秘宝館』と同じく、書籍版よりも大幅にカット数を増やし、オリジナルのフィルム版をデジタル・リマスターした高解像度データで、ディテールの拡大もお楽しみください。
円形ベッド、鏡張りの壁や天井、虹色のシャギー・カーペット・・・日本人の血と吐息を桃色に染めあげる、禁断のインテリアデザイン・エレメントのほとんどすべてが、ここにある!
ROADSIDE LIBRARY vol.001
秘宝館(PDFフォーマット)
――秘宝よ永遠に
1993年から2015年まで、20年間以上にわたって取材してきた秘宝館。北海道から九州嬉野まで11館の写真を網羅し、書籍版では未収録のカットを大幅に加えた全777ページ、オールカラーの巨大画像資料集。
すべてのカットが拡大に耐えられるよう、777ページページで全1.8ギガのメガ・サイズ電書! 通常の電子書籍よりもはるかに高解像度のデータで、気になるディテールもクローズアップ可能です。
1990年代の撮影はフィルムだったため、今回は掲載するすべてのカットをスキャンし直した「オリジナルからのデジタル・リマスター」。これより詳しい秘宝館の本は存在しません!
捨てられないTシャツ
70枚のTシャツと、70とおりの物語。
あなたにも〈捨てられないTシャツ〉ありませんか? あるある! と思い浮かんだあなたも、あるかなあと思ったあなたにも読んでほしい。読めば誰もが心に思い当たる「なんだか捨てられないTシャツ」を70枚集めました。そのTシャツと写真に持ち主のエピソードを添えた、今一番おシャレでイケてる(?)“Tシャツ・カタログ"であるとともに、Tシャツという現代の〈戦闘服〉をめぐる“ファッション・ノンフィクション"でもある最強の1冊。 70名それぞれのTシャツにまつわるエピソードは、時に爆笑あり、涙あり、ものすんごーい共感あり……読み出したら止まらない面白さです。
圏外編集者
編集に「術」なんてない。
珍スポット、独居老人、地方発ヒップホップ、路傍の現代詩、カラオケスナック……。ほかのメディアとはまったく違う視点から、「なんだかわからないけど、気になってしょうがないもの」を追い続ける都築響一が、なぜ、どうやって取材し、本を作ってきたのか。人の忠告なんて聞かず、自分の好奇心だけで道なき道を歩んできた編集者の言葉。
多数決で負ける子たちが、「オトナ」になれないオトナたちが、周回遅れのトップランナーたちが、僕に本をつくらせる。
編集を入り口に、「新しいことをしたい」すべてのひとの心を撃つ一冊。
ROADSIDE BOOKS
書評2006-2014
こころがかゆいときに読んでください
「書評2006-2014」というサブタイトルのとおり、これは僕にとって『だれも買わない本は、だれかが買わなきゃならないんだ』(2008年)に続く、2冊めの書評集。ほぼ80冊分の書評というか、リポートが収められていて、巻末にはこれまで出してきた自分の本の(編集を担当した作品集などは除く)、ごく短い解題もつけてみた。
このなかの1冊でも2冊でも、みなさんの「こころの奥のかゆみ」をスッとさせてくれたら本望である。
独居老人スタイル
あえて独居老人でいること。それは老いていくこの国で生きのびるための、きわめて有効なスタイルかもしれない。16人の魅力的な独居老人たちを取材・紹介する。
たとえば20代の読者にとって、50年後の人生は想像しにくいかもしれないけれど、あるのかないのかわからない「老後」のために、いまやりたいことを我慢するほどバカらしいことはない――「年取った若者たち」から、そういうスピリットのカケラだけでも受け取ってもらえたら、なによりうれしい。
ヒップホップの詩人たち
いちばん刺激的な音楽は路上に落ちている――。
咆哮する現代詩人の肖像。その音楽はストリートに生まれ、東京のメディアを遠く離れた場所から、先鋭的で豊かな世界を作り続けている。さあ出かけよう、日常を抜け出して、魂の叫びに耳を澄ませて――。パイオニアからアンダーグラウンド、気鋭の若手まで、ロングインタビュー&多数のリリックを収録。孤高の言葉を刻むラッパー15人のすべて。
東京右半分
2012年、東京右傾化宣言!
この都市の、クリエイティブなパワー・バランスは、いま確実に東=右半分に移動しつつある。右曲がりの東京見聞録!
576ページ、図版点数1300点、取材箇所108ヶ所!