[追悼・紫苑ママ]
ニューサザエの紫苑ママが6月13日に亡くなった。 |
永遠のニューサザエ |
TimeOut TokyoのWeb連載『東京観光案内所』で紹介した『ニューサザエ』。5月1日号の告知でお知らせしましたが、見ていただけたでしょうか。新宿2丁目最古の現役老舗店という重要スポットでありながら、マスターの紫苑(シオン)さんにお聞きした、あまりに激動の半生が、TimeOut Tokyoでは字数の関係でまったく書けなかったので、ここであらためてお送りしたいと。文字数1万8000字オーバー、じっくりお読みください! |
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撮影:山田薫 http://kaoruyamada.com/ |
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「いいえ、いまだって『うちはディスコよ!』って僕は言ってますよ」と教えてくれたのは、『ニューサザエ』のマスター「紫苑(しおん)」さん。いまの店の近くに『サザエ』という名前で1966年にオープンした店が、12年ほど経って現在の場所に移動。『ニューサザエ』という名前に変わってから、前のマスターに替わって店を切り盛りするようになった。だからもう35年間も、毎晩この店でお客さんをさばいたり、一緒に騒いだり、ケンカを諌めたりして過ごしてきたわけだ(『ニューサザエ』は年中無休!)、すごい・・・。 |
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平日でも朝5時まで、週末は朝7時まで年中無休で店をやって、「あっという間でした」という紫苑さんの35年間。「店さえ開けておけば、昔のお客さんにも会えるし。だからここは仕事場っていうより、ここがあるからみんなに会えたんだし、いまも会えるって場所ですよね」という。 |
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ゲイでもノンケでもOK。若くても、年取っててもOK。変態さんでも、変態じゃなくてもOK。値段だって最初が1ドリンク1000円で、あとはドリンクもフードもぜんぶ700円という超安心価格設定。2丁目でいちばん古い歴史を誇るのに、たぶん2丁目でいちばん敷居の低い店。そういう奇跡のような空間に、いちども足を踏み入れたことがないのであれば、それは君はまだ2丁目のことをなにも知らないってことだ。 |
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ニューサザエ |
[紫苑さんとの一問一答] |
都築(以下T) 今日はよろしくお願いします。僕は30年くらい前にこちら、よく来てたんですよ。あとは(同じビルの上階の)『MAKO』とか『ブラックボックス』とか、そのへんをうろうろ廻って記事を書いたのがこの業界に入るきっかけになったので、ものすごく懐かしいです。上のMAKOさんもめちゃくちゃ古いですよね。あちらは代は替わられてるんですか。 |
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紫苑 いや、変わってないですよ。MAKOさんはこのビルができてから3階に入ってきたから、まあ35年ですね。35年前だとディスコ形式だったんですよね。いまはもうカラオケになっちゃったから、のんびりやってますよ。 |
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紫 そうそう、木造時代が12年ぐらいあって、最後の1~2年にお客として遊びに来てたんです。そのときここの社長というかオーナー、あとはスタッフにもかわいがってもらってたから。で、遊びに来てても、従業員が勝手にいなくなったりするから、「お手伝いお願い!」から始まったんです。 |
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T じゃあ、小学校高学年っていう、すごく多感なときをフランスで過ごされてたんですねえ。 |
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紫 あと僕、文章書くのがすごく好きだったんですよ。書くのが好きっていうか、自己発散なんです。自分の置かれている環境がね、両親が亡くなって親戚のところを転々としてっていう。それで最終的に引き取られた、僕の死んだ母のお姉さんの家。そこの兄弟とかに、育ててもらってるというか、そういう思いがあったから。我慢することには慣れてたけど、そういうところで文章を書いて表現することで、自己発散するっていうのかな。歌うこと、書くこと、書いて表現すること。環境が自分を育ててくれたところがありますね。 |
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紫 はい、それで15~16歳のときに高校行きながら、ひとりで生きなきゃいけないって思ったんでしょうね、長崎にNBCっていうテレビ局があるんですが、そこのラジオ部でパーソナリティやってたんです。しゃべりと歌ったりして。だからおマセだったかもしれないけど、いじめられたりはなかったですね。みんなから可愛がってもらってたし。 |
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紫 後で考えたら、あれが三途の川だなっていう。で、それからは、ひとの意識がこう(自分に)ピーーーッと敏感に入ってくるの。 |
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紫 営業とかじゃなくて、言いたいことはっきり言うから、僕は。そういうこと積み重ねてきて。 |
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T だけど、そうやって長崎で無事に生き返ってですよ、ラジオもあり、モデルもやり、傍から見ると、かなり楽しい生活っていうふうに見えると思うんですけども。 |
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T へえー! それって時代としてはロックンロールになるのかな? GSですかね。 |
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紫 それから歌には芝居ごころが必要だから、芝居を勉強しろっていうことになって。で、佐分利さんに付いて。もう最後のほう、佐分利さんの。それでお芝居もしてね。 |
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T そうだったんですか?! でも当時の2丁目っていったら、いまと全然ちがってたでしょう。 |
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紫 そうそう。だから外国人多かったのね。いまでもアンダーグラウンドのほうでは、外国でのほうがうちの店の名前は知れてますよ。 |
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T えーっ。 |
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紫 そこでね、ゴーゴーガールのお姉ちゃんが踊ってるんだけど、まわりのお客も踊ってて。「お前も踊るか?」なんて言われて、一緒にステージ出してきて踊るんだけどね。 |
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T だってめちゃくちゃモテたでしょう? |
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T そしたら、友達に連れてこられた2丁目で、水を得た魚っていうか・・・ |
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T そのころの2丁目は、もっと大人でしたよね。僕なんかは20代で来はじめたけど、大人のひとばっかりだったという記憶があります。背伸びしなきゃならないっていう。 |
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T お店の中身っていうのは、最初は外国人が多かったりとかあったと思うんですが、だんだん変わってきたんですか。 |
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T 最初は外専の店っていうイメージが大きかったのに。 |
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T そんなんで、お体は大丈夫なんですか。 |
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T えー、ヒマなんてことないでしょう。 |
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T お客さんにとっても、ここに来ればいつでも紫苑さんに会えるっていうのがありますよね。 |
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T ここで遊んで育ったひとが、お店を持ってるんですからねえ。音楽もあれですけど、文章を書くのもお好きということでしたら、そのうちサザエの歴史というようなものをぜひ・・・。 |
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紫 その子ね、子供できちゃって9ヶ月だったから、堕ろせなかったのね。実家が足立区だったんだけど、「あんちゃん、生まれた、男の子だった」って言うから、「それで、どうするんだ?」って聞いたら、その子の家も複雑だったんだけど、お母さんが北朝鮮のひとだったのね、3回結婚してて。彼女自身は2人目の旦那さんの子だったんだけど、(その)お義父さんにね、籍に入れてくれるように頼んだんだって。でも「そうしたらね、自分の子供なのに、一生弟として接するんだよ。どうする? それでいいのか?」って聞いたの。それで彼女が返事しなかったから、「亭主にはなれないけど、父親がいない子供がどんな気持ちか、自分が味わって知ってるから、僕の籍に入れて、お前が母親として育てろ」って言ったの。 |
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T ほんとに親として育ててらしたんですね。 |
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T その男の子も、女の子を連れて挨拶に来たって、えらいですね。 |
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T だって、ずっとそういうふうに生きてこられたわけですから。 |
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紫 で、事情聴取されてるあいだに暴れるからって、僕がそばにいて。暴れると僕が怒って。そうすると「ハイ、ハイ」ってね(笑)。それで父親に電話したら、それが南アフリカ(の大使館)で警察顧問やってるなんていって、名刺見せられるとおまわりの態度が、ほら外交官とかになると態度がコロッと変わって。で、そういうのを見ると、今度は僕がおまわりに食ってかかって(笑)。でも、そのお父さんからは「いや~、うちの子が迷惑をおかけしました。なにかあったときには言ってください」なんて名刺もらって。僕はそういう特権とか肩書きとか、関係ないから。 |
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紫 うちはね、2階に移ってからは女の子も入れるのね。それまではゲイだけ。最初はモデルとかデザイナーとかね、外人のね。知り合いだけは入れてたんだけど、そうすると「なんであたしたちはダメで、あの子たちは入れるの?」ってなるから、もうめんどくさくて(笑)。もうみんなウェルカム。だから昔、ゲイだけでやってたときと比べたら、女の子は増えてますよ。 |
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T それは見てて歯がゆいでしょう。 |
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紫 僕はパソコンほとんど使えないから、そういうの全然やらないんだけど、お客さんが勝手にやってくれてるからね。やっぱり世界とつながってるから、そういうのを見てくれてね。ヤクザに追われてドイツに逃げたっていう、昔うちに来てた男といっしょになった女の子がね、そういうサイトを見て「あ、紫苑、まだがんばってるんだ」ってね。グアムで事業やってるひとも「紫苑、遊びにおいで」とか言ってくれる。『アド街ック』とか出るとね、「まだがんばってるんだ」って思ってくれるひとが多いしね。九州でまだ放映されてないときに出たんだけど、「いまはこっちでも流れてます」なんて言われて。「やべ、俺、まだ育ててもらった義理の家にカミングアウトしてないから、バレたらどうしよう」なんて(笑)。で、それ見た博多のひとが、僕のファンになっちゃったからって、ゴールデンウィークにわざわざ会いに来てくれたり。 |
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BOOKS
ROADSIDE LIBRARY
天野裕氏 写真集『わたしたちがいたところ』
(PDFフォーマット)
ロードサイダーズではおなじみの写真家・天野裕氏による初の電子書籍。というか印刷版を含めて初めて一般に販売される作品集です。
本書は、定価10万円(税込み11万円)というかなり高価な一冊です。そして『わたしたちがいたところ』は完成された書籍ではなく、開かれた電子書籍です。購入していただいたあと、いまも旅を続けながら写真を撮り続ける天野裕氏のもとに新作が貯まった時点で、それを「2024年度の追加作品集」のようなかたちで、ご指定のメールアドレスまで送らせていただきます。
旅するごとに、だれかと出会いシャッターを押すごとに、読者のみなさんと一緒に拡がりつづける時間と空間の痕跡、残香、傷痕……そんなふうに『わたしたちがいたところ』とお付き合いいただけたらと願っています。
ROADSIDE LIBRARY vol.006
BED SIDE MUSIC――めくるめくお色気レコジャケ宇宙(PDFフォーマット)
稀代のレコード・コレクターでもある山口‘Gucci’佳宏氏が長年収集してきた、「お色気たっぷりのレコードジャケットに収められた和製インストルメンタル・ミュージック」という、キワモノ中のキワモノ・コレクション。
1960年代から70年代初期にかけて各レコード会社から無数にリリースされ、いつのまにか跡形もなく消えてしまった、「夜のムードを高める」ためのインスト・レコードという音楽ジャンルがあった。アルバム、シングル盤あわせて855枚! その表ジャケットはもちろん、裏ジャケ、表裏見開き(けっこうダブルジャケット仕様が多かった)、さらには歌詞・解説カードにオマケポスターまで、とにかくあるものすべてを撮影。画像数2660カットという、印刷本ではぜったいに不可能なコンプリート・アーカイブです!
ROADSIDE LIBRARY vol.005
渋谷残酷劇場(PDFフォーマット)
プロのアーティストではなく、シロウトの手になる、だからこそ純粋な思いがこめられた血みどろの彫刻群。
これまでのロードサイド・ライブラリーと同じくPDF形式で全289ページ(833MB)。展覧会ではコラージュした壁画として展示した、もとの写真280点以上を高解像度で収録。もちろんコピープロテクトなし! そして同じく会場で常時上映中の日本、台湾、タイの動画3本も完全収録しています。DVD-R版については、最近ではもはや家にDVDスロットつきのパソコンがない!というかたもいらっしゃると思うので、パッケージ内には全内容をダウンロードできるQRコードも入れてます。
ROADSIDE LIBRARY vol.004
TOKYO STYLE(PDFフォーマット)
書籍版では掲載できなかった別カットもほとんどすべて収録してあるので、これは我が家のフィルム収納箱そのものと言ってもいい
電子書籍版『TOKYO STYLE』の最大の特徴は「拡大」にある。キーボードで、あるいは指先でズームアップしてもらえれば、机の上のカセットテープの曲目リストや、本棚に詰め込まれた本の題名もかなりの確度で読み取ることができる。他人の生活を覗き見する楽しみが『TOKYO STYLE』の本質だとすれば、電書版の「拡大」とはその密やかな楽しみを倍加させる「覗き込み」の快感なのだ――どんなに高価で精巧な印刷でも、本のかたちではけっして得ることのできない。
ROADSIDE LIBRARY vol.003
おんなのアルバム キャバレー・ベラミの踊り子たち(PDFフォーマット)
伝説のグランドキャバレー・ベラミ・・・そのステージを飾った踊り子、芸人たちの写真コレクション・アルバムがついに完成!
かつて日本一の石炭積み出し港だった北九州市若松で、華やかな夜を演出したグランドキャバレー・ベラミ。元従業員寮から発掘された営業用写真、およそ1400枚をすべて高解像度スキャンして掲載しました。データサイズ・約2ギガバイト! メガ・ボリュームのダウンロード版/USB版デジタル写真集です。
ベラミ30年間の歴史をたどる調査資料も完全掲載。さらに写真と共に発掘された当時の8ミリ映像が、動画ファイルとしてご覧いただけます。昭和のキャバレー世界をビジュアルで体感できる、これ以上の画像資料はどこにもないはず! マンボ、ジャズ、ボサノバ、サイケデリック・ロック・・・お好きな音楽をBGMに流しながら、たっぷりお楽しみください。
ROADSIDE LIBRARY vol.002
LOVE HOTEL(PDFフォーマット)
――ラブホの夢は夜ひらく
新風営法などでいま絶滅の危機に瀕しつつある、遊びごころあふれるラブホテルのインテリアを探し歩き、関東・関西エリア全28軒で撮影した73室! これは「エロの昭和スタイル」だ。もはや存在しないホテル、部屋も数多く収められた貴重なデザイン遺産資料。『秘宝館』と同じく、書籍版よりも大幅にカット数を増やし、オリジナルのフィルム版をデジタル・リマスターした高解像度データで、ディテールの拡大もお楽しみください。
円形ベッド、鏡張りの壁や天井、虹色のシャギー・カーペット・・・日本人の血と吐息を桃色に染めあげる、禁断のインテリアデザイン・エレメントのほとんどすべてが、ここにある!
ROADSIDE LIBRARY vol.001
秘宝館(PDFフォーマット)
――秘宝よ永遠に
1993年から2015年まで、20年間以上にわたって取材してきた秘宝館。北海道から九州嬉野まで11館の写真を網羅し、書籍版では未収録のカットを大幅に加えた全777ページ、オールカラーの巨大画像資料集。
すべてのカットが拡大に耐えられるよう、777ページページで全1.8ギガのメガ・サイズ電書! 通常の電子書籍よりもはるかに高解像度のデータで、気になるディテールもクローズアップ可能です。
1990年代の撮影はフィルムだったため、今回は掲載するすべてのカットをスキャンし直した「オリジナルからのデジタル・リマスター」。これより詳しい秘宝館の本は存在しません!
捨てられないTシャツ
70枚のTシャツと、70とおりの物語。
あなたにも〈捨てられないTシャツ〉ありませんか? あるある! と思い浮かんだあなたも、あるかなあと思ったあなたにも読んでほしい。読めば誰もが心に思い当たる「なんだか捨てられないTシャツ」を70枚集めました。そのTシャツと写真に持ち主のエピソードを添えた、今一番おシャレでイケてる(?)“Tシャツ・カタログ"であるとともに、Tシャツという現代の〈戦闘服〉をめぐる“ファッション・ノンフィクション"でもある最強の1冊。 70名それぞれのTシャツにまつわるエピソードは、時に爆笑あり、涙あり、ものすんごーい共感あり……読み出したら止まらない面白さです。
圏外編集者
編集に「術」なんてない。
珍スポット、独居老人、地方発ヒップホップ、路傍の現代詩、カラオケスナック……。ほかのメディアとはまったく違う視点から、「なんだかわからないけど、気になってしょうがないもの」を追い続ける都築響一が、なぜ、どうやって取材し、本を作ってきたのか。人の忠告なんて聞かず、自分の好奇心だけで道なき道を歩んできた編集者の言葉。
多数決で負ける子たちが、「オトナ」になれないオトナたちが、周回遅れのトップランナーたちが、僕に本をつくらせる。
編集を入り口に、「新しいことをしたい」すべてのひとの心を撃つ一冊。
ROADSIDE BOOKS
書評2006-2014
こころがかゆいときに読んでください
「書評2006-2014」というサブタイトルのとおり、これは僕にとって『だれも買わない本は、だれかが買わなきゃならないんだ』(2008年)に続く、2冊めの書評集。ほぼ80冊分の書評というか、リポートが収められていて、巻末にはこれまで出してきた自分の本の(編集を担当した作品集などは除く)、ごく短い解題もつけてみた。
このなかの1冊でも2冊でも、みなさんの「こころの奥のかゆみ」をスッとさせてくれたら本望である。
独居老人スタイル
あえて独居老人でいること。それは老いていくこの国で生きのびるための、きわめて有効なスタイルかもしれない。16人の魅力的な独居老人たちを取材・紹介する。
たとえば20代の読者にとって、50年後の人生は想像しにくいかもしれないけれど、あるのかないのかわからない「老後」のために、いまやりたいことを我慢するほどバカらしいことはない――「年取った若者たち」から、そういうスピリットのカケラだけでも受け取ってもらえたら、なによりうれしい。
ヒップホップの詩人たち
いちばん刺激的な音楽は路上に落ちている――。
咆哮する現代詩人の肖像。その音楽はストリートに生まれ、東京のメディアを遠く離れた場所から、先鋭的で豊かな世界を作り続けている。さあ出かけよう、日常を抜け出して、魂の叫びに耳を澄ませて――。パイオニアからアンダーグラウンド、気鋭の若手まで、ロングインタビュー&多数のリリックを収録。孤高の言葉を刻むラッパー15人のすべて。
東京右半分
2012年、東京右傾化宣言!
この都市の、クリエイティブなパワー・バランスは、いま確実に東=右半分に移動しつつある。右曲がりの東京見聞録!
576ページ、図版点数1300点、取材箇所108ヶ所!