追悼・オリンピックおじさん
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オリンピックおじさんこと山田直稔(やまだ・なおとし)さんが3月9日、心不全で死去された。92歳、2020年の東京オリンピックまであと1年と少しというタイミングだった。ご本人もさぞ心残りだったことだろう。 |
インタビューをお願いしたとき、「ちょうどアテネ・オリンピックの壮行会があるから、まずはそちらにいらっしゃい」と言われて会場の九段会館に赴くと、それはオリンピック参加選手ではなく、応援に駆けつけるご自分の壮行会だったと判明、驚かされたのも懐かしい思い出だ。 |
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記事を書いたのが2004年。そのあとももちろん山田さんのオリンピック応援活動は続き、2008年には北京に出陣。いちどは82歳という高齢を理由に引退を発表するが、のちに撤回して2012年のロンドンにも参加。母校の富山工業高校が甲子園に出場することになって急遽帰国、そちらの応援に駆けつけ、さらに2016年のリオデジャネイロ大会でもいつもの元気な応援姿を披露した。 |
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哀悼の意を込めて、ひとりでも多くの方に読んでいただけるよう、記事を公開させていただく。団長、お疲れさまでした! |
故 山田直稔 国際オリンピック応援団長 お別れの会 |
オリンピックおじさん 公式サイト:http://www.naniwa1001.co.jp/olympic/ |
社長さんは世界の応援団長 |
オリンピックといえば思い出すのが、「オリンピックおじさん」。どの競技のテレビ中継を見ても、かならず観客席で立ち上がって、羽織袴で日の丸の旗を振りまわして応援している、あのおじさんだ。いったいなんなんだろうあの人はと、だれもが疑問に思っているにちがいない。オリンピックおじさんの本名は山田直稔(なおとし)さん。1926年生まれというから今年で78歳、工業用ワイヤロープ加工販売のトップメーカー浪速商事を率い、さらにロープ事業のほかにホテル経営、不動産事業にも進出、いまもバリバリ現役の会社経営者である。 |
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山田直稔 73年の歩み |
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山田さんとオリンピックの出会いは、1964年の東京五輪にさかのぼる。いまから40年前になるわけだが、そこでいっぺんにオリンピックの魅力に取り憑かれてしまった山田さんは、以来今年のアテネに至るまで10大会、長野の冬季五輪も含め、すべてに参加することになる。 |
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おそらく世界でも類を見ないオリンピック通であり(日本がアメリカに追随して不参加だったモスクワ大会にまで、足を運んでいるのだから)、「オリンピック会場でもっともよく知られた日本人」である山田さんのお話には、大会にまつわる興味深いエピソードが数えきれないほど登場する。著書やウェブサイトにはそのいくつかが紹介されているので、ぜひチェックしていただきたいが、山田さんのすごいのは応援がオリンピックにとどまらないところ。大相撲、プロ野球にメジャーリーグ、サッカーのワールドカップにまで、いつもの羽織袴に国旗と扇子を携えて駆けつける。しかも山田さんには「国際オリンピック応援団長」(インターナショナル・オリンピック・チアリーダー)のほかにも、大事な肩書きがある。政治家から芸能人まで多士済々な顔ぶれが集まる<笑おう会>の第3代会長(日本国笑裁)だ。 |
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山田直稔さんが生まれたのは富山県井波町。県南西部の八乙女山麓に広がる、人口1万人あまりの小さな町である。生家は屋根屋、薄く切った材木で瓦屋根の下地や、飯場の屋根を葺く商売だった。材木を扱うことから弁当の折り箱も作っていたが、小学校に入学したころから、1メートルにも満たないからだに折り箱を何百も担がされ、毎朝登校前に料理屋に届けさせられたという。口を開けば「仕事しろ」という両親は、男5人、女2人の兄弟全員にきっちり仕事を与え、そのかわり仕事量に応じて小遣いを与え(そのまま郵便貯金にまわされたのだが)、兄弟で貯金高を競わせたのである。 |
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入学後は授業にも、また体育部長として運動にも熱中していた山田青年を、突然の災難が襲う。2年生の秋、体育祭に野球から陸上までフル出場、大活躍して下宿に帰ってきたその晩から発熱し、急性肺炎から結核に進行してしまったのだ。 |
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すっかり病も癒えた山田青年は、卒業と同時に登別で出会ったワイヤロープ会社社長のもとで働きはじめ、持ち前のバイタリティですぐに頭角をあらわしていく。昭和35年には念願の自社・浪速商事株式会社を設立、ついに社長となったわけである。 |
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そこまで自分の持てるものすべてを投じて応援に賭けることで、はじめて競技する選手と一体になることができ、高揚感で「しばしば言葉をなくすことさえある」と山田さんは語る。オリンピック中は「常日頃では考えられないほどにこころが澄んで純粋になり、会社のこと、家族のこと、金儲けのこと、そんなことはすべて忘れてしまい、国境を越えて世界の人々を限りなく大きい愛で包み込んでしまいたくなる」。ほとんど宗教的な法悦の境地に、山田さんはそのとき遊んでいるのだろう。 |
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「笑顔のふれあい」 |
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BOOKS
ROADSIDE LIBRARY
天野裕氏 写真集『わたしたちがいたところ』
(PDFフォーマット)
ロードサイダーズではおなじみの写真家・天野裕氏による初の電子書籍。というか印刷版を含めて初めて一般に販売される作品集です。
本書は、定価10万円(税込み11万円)というかなり高価な一冊です。そして『わたしたちがいたところ』は完成された書籍ではなく、開かれた電子書籍です。購入していただいたあと、いまも旅を続けながら写真を撮り続ける天野裕氏のもとに新作が貯まった時点で、それを「2024年度の追加作品集」のようなかたちで、ご指定のメールアドレスまで送らせていただきます。
旅するごとに、だれかと出会いシャッターを押すごとに、読者のみなさんと一緒に拡がりつづける時間と空間の痕跡、残香、傷痕……そんなふうに『わたしたちがいたところ』とお付き合いいただけたらと願っています。
ROADSIDE LIBRARY vol.006
BED SIDE MUSIC――めくるめくお色気レコジャケ宇宙(PDFフォーマット)
稀代のレコード・コレクターでもある山口‘Gucci’佳宏氏が長年収集してきた、「お色気たっぷりのレコードジャケットに収められた和製インストルメンタル・ミュージック」という、キワモノ中のキワモノ・コレクション。
1960年代から70年代初期にかけて各レコード会社から無数にリリースされ、いつのまにか跡形もなく消えてしまった、「夜のムードを高める」ためのインスト・レコードという音楽ジャンルがあった。アルバム、シングル盤あわせて855枚! その表ジャケットはもちろん、裏ジャケ、表裏見開き(けっこうダブルジャケット仕様が多かった)、さらには歌詞・解説カードにオマケポスターまで、とにかくあるものすべてを撮影。画像数2660カットという、印刷本ではぜったいに不可能なコンプリート・アーカイブです!
ROADSIDE LIBRARY vol.005
渋谷残酷劇場(PDFフォーマット)
プロのアーティストではなく、シロウトの手になる、だからこそ純粋な思いがこめられた血みどろの彫刻群。
これまでのロードサイド・ライブラリーと同じくPDF形式で全289ページ(833MB)。展覧会ではコラージュした壁画として展示した、もとの写真280点以上を高解像度で収録。もちろんコピープロテクトなし! そして同じく会場で常時上映中の日本、台湾、タイの動画3本も完全収録しています。DVD-R版については、最近ではもはや家にDVDスロットつきのパソコンがない!というかたもいらっしゃると思うので、パッケージ内には全内容をダウンロードできるQRコードも入れてます。
ROADSIDE LIBRARY vol.004
TOKYO STYLE(PDFフォーマット)
書籍版では掲載できなかった別カットもほとんどすべて収録してあるので、これは我が家のフィルム収納箱そのものと言ってもいい
電子書籍版『TOKYO STYLE』の最大の特徴は「拡大」にある。キーボードで、あるいは指先でズームアップしてもらえれば、机の上のカセットテープの曲目リストや、本棚に詰め込まれた本の題名もかなりの確度で読み取ることができる。他人の生活を覗き見する楽しみが『TOKYO STYLE』の本質だとすれば、電書版の「拡大」とはその密やかな楽しみを倍加させる「覗き込み」の快感なのだ――どんなに高価で精巧な印刷でも、本のかたちではけっして得ることのできない。
ROADSIDE LIBRARY vol.003
おんなのアルバム キャバレー・ベラミの踊り子たち(PDFフォーマット)
伝説のグランドキャバレー・ベラミ・・・そのステージを飾った踊り子、芸人たちの写真コレクション・アルバムがついに完成!
かつて日本一の石炭積み出し港だった北九州市若松で、華やかな夜を演出したグランドキャバレー・ベラミ。元従業員寮から発掘された営業用写真、およそ1400枚をすべて高解像度スキャンして掲載しました。データサイズ・約2ギガバイト! メガ・ボリュームのダウンロード版/USB版デジタル写真集です。
ベラミ30年間の歴史をたどる調査資料も完全掲載。さらに写真と共に発掘された当時の8ミリ映像が、動画ファイルとしてご覧いただけます。昭和のキャバレー世界をビジュアルで体感できる、これ以上の画像資料はどこにもないはず! マンボ、ジャズ、ボサノバ、サイケデリック・ロック・・・お好きな音楽をBGMに流しながら、たっぷりお楽しみください。
ROADSIDE LIBRARY vol.002
LOVE HOTEL(PDFフォーマット)
――ラブホの夢は夜ひらく
新風営法などでいま絶滅の危機に瀕しつつある、遊びごころあふれるラブホテルのインテリアを探し歩き、関東・関西エリア全28軒で撮影した73室! これは「エロの昭和スタイル」だ。もはや存在しないホテル、部屋も数多く収められた貴重なデザイン遺産資料。『秘宝館』と同じく、書籍版よりも大幅にカット数を増やし、オリジナルのフィルム版をデジタル・リマスターした高解像度データで、ディテールの拡大もお楽しみください。
円形ベッド、鏡張りの壁や天井、虹色のシャギー・カーペット・・・日本人の血と吐息を桃色に染めあげる、禁断のインテリアデザイン・エレメントのほとんどすべてが、ここにある!
ROADSIDE LIBRARY vol.001
秘宝館(PDFフォーマット)
――秘宝よ永遠に
1993年から2015年まで、20年間以上にわたって取材してきた秘宝館。北海道から九州嬉野まで11館の写真を網羅し、書籍版では未収録のカットを大幅に加えた全777ページ、オールカラーの巨大画像資料集。
すべてのカットが拡大に耐えられるよう、777ページページで全1.8ギガのメガ・サイズ電書! 通常の電子書籍よりもはるかに高解像度のデータで、気になるディテールもクローズアップ可能です。
1990年代の撮影はフィルムだったため、今回は掲載するすべてのカットをスキャンし直した「オリジナルからのデジタル・リマスター」。これより詳しい秘宝館の本は存在しません!
捨てられないTシャツ
70枚のTシャツと、70とおりの物語。
あなたにも〈捨てられないTシャツ〉ありませんか? あるある! と思い浮かんだあなたも、あるかなあと思ったあなたにも読んでほしい。読めば誰もが心に思い当たる「なんだか捨てられないTシャツ」を70枚集めました。そのTシャツと写真に持ち主のエピソードを添えた、今一番おシャレでイケてる(?)“Tシャツ・カタログ"であるとともに、Tシャツという現代の〈戦闘服〉をめぐる“ファッション・ノンフィクション"でもある最強の1冊。 70名それぞれのTシャツにまつわるエピソードは、時に爆笑あり、涙あり、ものすんごーい共感あり……読み出したら止まらない面白さです。
圏外編集者
編集に「術」なんてない。
珍スポット、独居老人、地方発ヒップホップ、路傍の現代詩、カラオケスナック……。ほかのメディアとはまったく違う視点から、「なんだかわからないけど、気になってしょうがないもの」を追い続ける都築響一が、なぜ、どうやって取材し、本を作ってきたのか。人の忠告なんて聞かず、自分の好奇心だけで道なき道を歩んできた編集者の言葉。
多数決で負ける子たちが、「オトナ」になれないオトナたちが、周回遅れのトップランナーたちが、僕に本をつくらせる。
編集を入り口に、「新しいことをしたい」すべてのひとの心を撃つ一冊。
ROADSIDE BOOKS
書評2006-2014
こころがかゆいときに読んでください
「書評2006-2014」というサブタイトルのとおり、これは僕にとって『だれも買わない本は、だれかが買わなきゃならないんだ』(2008年)に続く、2冊めの書評集。ほぼ80冊分の書評というか、リポートが収められていて、巻末にはこれまで出してきた自分の本の(編集を担当した作品集などは除く)、ごく短い解題もつけてみた。
このなかの1冊でも2冊でも、みなさんの「こころの奥のかゆみ」をスッとさせてくれたら本望である。
独居老人スタイル
あえて独居老人でいること。それは老いていくこの国で生きのびるための、きわめて有効なスタイルかもしれない。16人の魅力的な独居老人たちを取材・紹介する。
たとえば20代の読者にとって、50年後の人生は想像しにくいかもしれないけれど、あるのかないのかわからない「老後」のために、いまやりたいことを我慢するほどバカらしいことはない――「年取った若者たち」から、そういうスピリットのカケラだけでも受け取ってもらえたら、なによりうれしい。
ヒップホップの詩人たち
いちばん刺激的な音楽は路上に落ちている――。
咆哮する現代詩人の肖像。その音楽はストリートに生まれ、東京のメディアを遠く離れた場所から、先鋭的で豊かな世界を作り続けている。さあ出かけよう、日常を抜け出して、魂の叫びに耳を澄ませて――。パイオニアからアンダーグラウンド、気鋭の若手まで、ロングインタビュー&多数のリリックを収録。孤高の言葉を刻むラッパー15人のすべて。
東京右半分
2012年、東京右傾化宣言!
この都市の、クリエイティブなパワー・バランスは、いま確実に東=右半分に移動しつつある。右曲がりの東京見聞録!
576ページ、図版点数1300点、取材箇所108ヶ所!