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2013年10月02日 Vol.085 | 2014年07月23日 Vol.125 | 2015年06月03日 Vol.166
2013/10/02号 Vol.085
ロードサイダーズ・ウィークリー085号をお届けします。 |
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百年の孤独
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百年の孤独
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その名前も知らなければ、作品も知らない。でも、たまたま見た一枚の作品写真が妙に気になって、頭の隅にこびりついて、そのもやもやがだんだん大きくなって、どうしようもなくなる――そういう出会いが、ときどきある。だれかがネットに上げた江上茂雄さんの絵が、僕にとって久しぶりのそんなもやもやだった。 |
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なんだか気になって検索してみると、その日の夜に福岡の小さなアートスペースで、江上茂雄さんの息子さんふたりによるトークイベントがあると知り、あわてて羽田に向かった。浜松町からモノレールに乗っているあいだに携帯で飛行機の座席を予約し、ネットを見た3時間後には福岡のアートスペース・テトラという場所の、固い椅子に座っていた。 |
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2010年の福岡展にあわせて、私家版として発行された(300部)『江上茂雄作品集』の冒頭に掲げられた序文で、江上さんはこんなふうに書いている(抜粋)―― |
私の絵暦 |
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水彩風景画は現地写生で一年三六五日、一日一枚(四つ切)、一月一日と台風の日以外無休で雨の日も描いた。 |
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私も日本人のはしくれ、「枯れる」というように終わりたいが、シメリケの多い私ですから「萎れる」というぐらいがおちだ。 |
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隣の大牟田とともに、三井三池炭鉱の町としてかつては栄え、いまは大牟田と同じように静かに寂れている荒尾の、小高い丘の上に江上さんのお宅はあった。同じような一戸建てが並ぶなかで、息子の徹さんが設計したという江上さんの家は、屋根から伸びたアトリエの明かり取りが少しだけ目立っていた。 |
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「もうこんな歳ですから夏冬が、特に冬の寒さがこたえますねえ」と言いながら、101歳のいまでも毎日、午前と午後の2時間ほどを木版画の制作にあてている江上さん。家族が育ち、巣立っていったこの家で、いまもひとりで暮らし、絵を描く日々を過ごしている。 |
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江上茂雄さんは明治45(1912)年、大牟田に隣接する山門郡(現・みやま市)に生まれた。「おまえは紙と鉛筆をやっておけばおとなしかった」と母・アキノさんに言われていたそうだが、12歳で父の茂三郎さんを失い母子家庭で育った茂雄さんにとって、お母さんの存在はそれからもかけがえなく大きなものだった。後年、定年退職と同時に第1回個展を大牟田のデパートで開催したのも、「なんとかお母さんが元気なうちに見せてやりたかったから」という。 |
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ちなみに1912年生まれというのがどんな年代かというと、サルヴァドール・ダリの8歳年下、フランシス・ベーコンの3歳年下、ウォーホルの16歳年上! ということになる。 |
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江上さんが初めて絵の才能を認められたのは大正12(1923)年、11歳のときだった。新設された大牟田市内の小学校に転校した際に、新任の美術教師から絵を褒められ、目をかけられるようになったのがその始まり。当時は鉛筆、色鉛筆、クレヨンが主な画材だった(そのあと愛用するクレパスをサクラクレパスが開発・発売するのは1925年のこと)。 |
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前述したように12歳で父をなくし、13歳で現在の中学にあたる高等小学校に入学するが、15歳で卒業するとすぐに三井三池鉱業所に入社。建築課で働きながら、日曜画家として絵を描く生活が始まった。 |
そのころはなんといっても石炭増産の時代でしたから、炭鉱も活気がありました。ただ自分がいたのは建築設計課というところで、ほとんどは大学出の建築士さんですが、私は学歴がないので、仕事は建物の整理でした。ひとつひとつの建物が図面どおりに建てられているか調べたり、使われ方を記録したり。建物ひとつずつに1枚のカードを作って、管理する仕事ですね。部下もいない、三井三池でたったひとりの、特殊な仕事でした。ま、おもしろくはないから(笑)、人気はなかったんですが、ひとりでできたので、私には向いてたんですね。会社を出たら、あとは自分の時間になれましたし。 |
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けっきょく私がこんなふうに絵を描いてきたのは、まず貧乏だったことがあります。小遣い銭もないから油絵の具のような高価な画材を使えなくて、それでクレヨンやクレパスや色鉛筆を使わざるを得なかった。絵の先生につくこともできなかった。自分の稼ぎだけで7人家族を養わなくてはならなかったし。だから美術雑誌を購読するぐらいが、唯一の贅沢でした。 |
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そして学歴がなかったことと、酒が飲めなかったこと。それで普通の人付き合いができなかったんです。遊びごとができない。それが、「オレひとりでやっていくんだ」という気持ちになったんでしょうねえ。なので退職してから大牟田のデパートでは何度か展覧会を開きましたが、公募展とか市の文化祭とか、そういう機会にはいっさい出品しないできました。ぜんぶひとりでやると決めてたから。人間ぎらいなのかもしれないです・・・(笑)。 |
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昭和47(1972)年に定年退職すると、「それまで住んでた社宅を出なくちゃならないので」、翌年に荒尾に新居を建てて転居。それまでの「日曜画家」時代から、現場写生の「路傍の画家」時代が始まった。ご本人の言葉どおり、元旦と台風の日をのぞいた毎日、自宅から1~2時間歩いた場所で、水彩画を1枚仕上げて帰ってくる。平成21(2009)年に体力の衰えから、屋外での水彩画制作をやめるまで、およそ40年間の制作の日々で、水彩画だけでも約1万枚が手元に残っているという。 |
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それまではクレヨン、クレパスをおもに使ってたんですが、脳血栓で入院してから(1979年、67歳)、水彩に切り替えました。クレヨンやクレパスは、力がいるんです。滑べらせるだけじゃあ線はつくけれど、色はつかないから。水彩は力がいらないからね。 |
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11歳のころから数えれば90年(!)にわたる画業のなかで、江上さんはほとんど身近な風景ばかりを描いてきた。 |
たまに描けなくなって、伊豆の踊子みたいに会社の休みを使って三隅半島を巡り歩いたりもしましたが、うまくいきませんでした。このあたりの画家はよく阿蘇山を描いたりもしますが、それも一枚もない。私は大牟田と荒尾だけ、それでもう百年です(笑)。 |
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自然や風景が多いのは・・・自然はつねに優しいから。貧乏人にも金持ちにも、同じ顔を見せてくれる。でも人間には差別がありますでしょ。あんまりそんなこと言うもんじゃないでしょうが・・・それで風景の中にのめりこんだんですね。街を描くのでもゴミ捨て場とか、古ドラム缶のある風景とか、洗濯物が干してある風景とか、ちょっと変わった場所が多くて。やっぱり自分が貧しい環境で育ったことから、華々しい美しさよりも、少し沈んだもののほうに惹かれてしまうんですね。 |
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作品を見ればわかるように、江上茂雄さんの絵は年代によって画風を少しずつ変化させながらも、ある意味で絵画の王道を歩んできた。けっしてアウトサイダー・アートではない。絵の先生もいなければ、高級な画材も使えないという厳しい環境の中で、東京から送られてくる美術雑誌などで学ぶ美術界の動向を貪欲に吸収し、自分なりに消化して作品に仕上げてきた。退職後のわずかな個展の機会を除けば、だれに見せようとも、だれの評価も受けようともしないまま。 |
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これだけ年齢を重ねて、子どもたちはもちろん一緒に暮らそうと誘うのだが、「絵を描くにはひとりがいいから、ちょっと待っててくれと言ってるうちに、こんな歳になってしまいました」と笑う、執念とも呼びたい絵にかける思いの強度。 |
もう眼も、手足もよく動かなくなったけど、それでも毎日、絵をやってないと寂しい、情けない気持ちになって、落ち込むんです。絵を描いておれば飽きることがないし。それで毎日、これが最後の作品になるかもしれないと思いながら、つくってるんです。 |
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60歳で得た画友に向けた手紙が、作品集の巻末に掲載されていた。その抜粋を最後に読んでほしい。3年前、98歳で書かれた一文だ――。 |
毎晩二四時にスイッチを押すだけに炊飯の |
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これまでたくさんの取材を通して、たくさんのお年寄りと出会ってきた。ものすごいお金持ちもいれば、ものすごい貧乏人もいた。見るからにハッピーなひとも、哀しいひともいた。そうして思い至ったのは、前にも書いたかもしれないが、人生の「勝ち組」と「負け組」というのはけっきょく、財産でも名声でもなんでもない、死ぬ5秒前に「あ~、おもしろかった」と言えるかどうかだという、単純な真実だった。どんなにカネや部下や大家族や奴隷に囲まれても、「ほんとは音楽やりたかったのに」とか「絵を描いてたかった」とか、最後の瞬間に頭に浮かんでしまったら、それは「負けの人生」だ。 |
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福岡県立美術館の江上茂雄展は10月5日から。同時開催のうち、田川市立美術館での展示はすでに終了してしまったが、大牟田市での展覧会は12月初めまで開催中。このメルマガでも過去に何度か取り上げた大牟田の街を、江上さんの描いた風景を眺めたあとで歩き直すのも楽しそうだ。 |
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『江上茂雄 風ノ影、絵ノ奥ノ光』 |
[大牟田まで行ったら、足を伸ばしてこちらも――塔本シスコ展@宇城市不知火美術館] |
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この秋、九州では注目の展覧会が重なっている。江上茂雄展に行く機会に、もう少しだけ時間を取って、ほかの展覧会も巡れたら、さらに充実の旅になるはずだ。 |
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1913(大正2)年というから、江上茂雄さんの1年後に、塔本シスコは美術館のすぐ南の村落・現在の宇城市松橋町に生まれた。シスコという名前は、お父さんが憧れていたサンフランシスコから取ったのだという。 |
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実家に帰省して自分の絵がなくなっているのに絶句、しかしまったく独学で描かれた母の作品の素晴らしさに感動した息子は、シスコさんを熱心にサポートするようになり、それからの彼女はあふれる創作意欲に導かれるまま、大量の作品を生み出していった。 |
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これまでもアウトサイダー・アートのグループ展にはずいぶん出品されてきたが、今回の個展では50歳代の初期から92歳の最晩年まで、50点あまりの作品が出展される。日本のアンリ・ルソーでもあり、グランマ・モーゼスでもあり、なにより観るものの気持ちを幸福感で満たすことについては、数あるアウトサイダー・アーティストのうちでも格別な資質を持つ彼女の作品を、これだけまとまって鑑賞できる機会はなかなかない。 |
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江上茂雄の同時代人でもあった塔本シスコ。百年前に生まれたふたりのアマチュア画家を同時に知ることのできる、この秋は僕らにとって特別な季節になるはずだ。 |
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『生誕100年 塔本シスコ展』 |
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天使の誘惑
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101歳のアマチュア画家・江上茂雄さんに荒尾でお会いした翌日、福岡市に戻ってもうひとり、ずっとお会いしたかったアマチュア画家にお目にかかることができた。モンド画伯・・・こちらは10歳のアーティストである。 |
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モンド画伯――本名・奥村門土くん――は福岡の小学4年生、先月10歳になったばかりだ。 |
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3人兄弟の長男である門土くんのお父さんは、福岡の音楽シーンでは知らぬもののないミュージシャンであり、イベントオーガナイザーでもある「ボギー」さん。公式サイトの自己紹介によれば―― |
福岡を拠点にお祭り生活をおくる日々。93年、親不孝通りの路上にてデビュー。94年、ライブハウス照和で歌い始める。96年、三味線や玩具太鼓を駆使したニューウェイブバンド「ひまわり」結成(01年解散)。96年に福岡にてヨコチンレーベル設立、主催イベント「ハイコレ」は97年から始め現在111回を数える長寿イベント。現在はトロピカル&ダンサブルなバンド「nontroppo」を活動のメインにしつつ、最近はルーツである弾き語りでのライブも増えている。2010年、自作の曲を108曲歌うという偉業を7時間半かけて達成(ギネス非公式記録)。名前の「ボギー」とはボーカル/ギターの略。 |
ということになる。 |
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小さいころから絵を描くのが好きで、「ポスターカラー、クレヨン、マジックなど、けっこう鮮やかな色彩の画材を好んで、3歳ぐらいから描いてましたねえ」とお父さん。ボギーさん自身、18歳ごろまでは漫画家を目指し、デザイン学校に進んだぐらいなので、絵ごころを受け継いだのだろうか。しかしお父さんは「デザイン学校で学んでも、あまり得るところがなかったですから」、門土くんにもああしろ、こう描けというような絵の指導は、一切していないという。 |
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門土くんが6歳というから小学校に上がったころ、自分のイベントのフライヤーにイラストを描かせてみたらおもしろいかと思いついたボギーさんのアイデアが、「モンド画伯」誕生のきっかけだった。最初に描いたのは「ヒカシュー、お小遣い200円くれたんだよね!」 それからエンケンさん、三上寛など、ボギーさんがイベントに呼ぶゲストを次々に描くようになり、描かれたほうは全員大喜びとなる。そりゃそうだよなあ。 |
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去年からはボギーさんのイベントでも、会場の一角に「モンド画伯の似顔絵コーナー」を設置。毎回、数十人のお客さんに似顔絵を描いてあげるようになった。1枚(ひとり)に15~20分はかけるという丁寧な画風なので、イベントではいつも長い列ができてしまうという。 |
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福岡のシーンではそうやって知られるようになったモンド画伯だが、半年ぐらい前から『モンド今日の絵』と名づけたブログを開設。毎日1枚(!)、作品を発表するようになって、いきなり全国のスキモノたちに広まっていった。なんとも言えないサインペンのタッチ、なんとも言えないモデルのチョイス。そしてとりわけ、なんとも言えず効果的な空間(白場)の使い方と、画面構成力! それはもはや、10歳にして到達してしまった、コンテンポラリーな禅画の境地だ。 |
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モンド画伯によれば―― |
題材はだいたいお父さんが、自分の好きなのを選んで、それをパソコンで見ながら描くの。でもたまには、僕の好きなひとを描くこともあるよ。 |
お父さんによれば―― |
門土は意外と女性を描くのが苦手で、男の絵のほうが多いんですよね。女のひとを描いても、おっさんぽくなっちゃう(笑)。 |
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それで毎日1枚だから、「描いたらお小遣いやる」とか、「描いたらゲームやっていい」とか、ご褒美で釣って描かせることもあるんですが、やっぱり気持ちが乗ってる絵と、乗ってない絵がよくわかるんです。眠いときは塗りかたが雑だったり。でも、それがまたいい味というか、パンクな感じになってたりもするし。満足できないときは、次の日にもう一回描いたりもしてますよ。 |
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ふだんはサインペンが多いけれど、時間が取れる終末などは絵の具で彩色することもあるというモンド画伯。現在ではブログに加えて『NO!』という福岡の地元誌で、『モンド画伯の似顔絵講座』なる連載も展開中――「絵を描くのはいいけど、(読者が)送ってくる絵にコメントを書くのが大変なんだよね!」。そして最新情報としては、お父さんの「音楽人生20周年記念盤」となる新譜『アルコールメモリーズ』(10月1日発売)のジャケットに使用された大作を手がけてもいる。 |
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モンド画伯の作品はブログで見られるほか、絵葉書も販売中だが、今月は九州を中心に『アルコールメモリーズ』リリース記念ライブが多数予定されているので、もしかしたら会場に画伯の似顔絵コーナーが設置されるかもしれない。自分の似顔絵を描いてもらう、めっちゃ貴重なチャンスだ! |
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モンド今日の絵: |
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[地下音楽現場物語」&「アルコールメモリーズ」完成記念ツアー] |
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モンド画伯の特選絵葉書11枚セットを、2名の方にプレゼントしちゃいます! 下記までふるってご応募ください。締め切りは10月6日(日)いっぱいです!!! 外れた方は、こちらから通販可能:http://blog.livedoor.jp/bogey4649/archives/30929980.html |
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[モンド画伯・誌上作品展] |
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travel 連載:スナックショット 31 宮崎写真・文 平田順一 |
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どうも平田です。全国のスナック街の写真を撮って歩いてる人間です、と紹介されたり自分で話したりすることがあり、ここの地方はスナックの写真は撮りましたか? と関心を持たれることがあって嬉しいのですが、行っていない地方については返答に窮することになります。今回取り上げます宮崎県は昨年の連載開始時には未踏の場所で、宮崎をどげんかせんといかん! と今年2月に奮起して行ってきました。 |
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大都市圏以外でのタレント首長の誕生で、驚きをもって迎えられた東国原知事の就任が2007年1月。最近のことのようでいて、かなり風化しつつもある(県知事から国政への転身の早さも驚いた)。この時に訴えていたのが、遅れていた交通網の整備と、低迷する観光業や地域経済の振興で、黄色いハッピを着用した「宮崎のトップセールスマン」として一定の成果を残した。ここであらためて、宮崎の置かれた地理的条件を認知した人も多いのではないかと思う。 |
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東京から見ると鹿児島も宮崎も南九州の一部に変わりないが、交通のアクセスにはかなり差がある。JR九州でも博多から宮崎まで直通する特急列車が5時間以上かかるので、新幹線で新八代まで行き、バスに乗り換えて3時間というルートを推奨している。雄大な自然環境には恵まれており、これが観光資源になっているものの、交通費と移動時間がかかる故に取り残されたような感もある。しかし2月の週末に訪れた宮崎市一番街は祭りのように賑やかで、ネガティブなイメージを払拭するインパクトがあった。 |
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東国原前知事を輩出した都城市は盆地にある街なので、九州地方の大きな街には珍しく港がなく、南国的なムードも漂わない。かつて新婚旅行のメッカと言われた宮崎県でも、この辺は観光客の入れ込みが少なそうに見える。 |
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冬場のスポーツニュースはプロ野球のキャンプ地レポートが恒例になっており、宮崎空港や宮崎駅前でも野球帽やグッズを抱えた、それらしき人を見かける。宮崎県は南北に長く、真ん中にある宮崎駅を東京駅の位置に置き換えると、北部の延岡は栃木県小山市、南部の日南は鎌倉市と同じくらいの距離感覚になる。行きやすい方の日南市に向かったところ、ここは広島東洋カープのキャンプ地なので宮崎=読売ジャイアンツというわけではなく、商店街やスナックの入口には広島カープのマスコットキャラクターのイラストが飾られていた。 |
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日南市は漁港の油津と城下町の飫肥と、性格が異なりながら歴史のある2つの町が隣接している。人口は5万人少々だが経済規模とスナック街の充実が一致しないのは鳥取や高知でも見てきており、大都市から離れるほど顕著になるとおもう。油津にはまとまった規模のアーケード商店街と、鹿児島・宮崎に店舗を構える山形屋百貨店が出店していた。歓楽街だけを切り取ってみていると、もっと大きな規模の街に見える。 |
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城下町の飫肥は、事前に準備した「るるぶ情報版宮崎」、移動中にみたソラシドエア機内誌、JR九州のPR誌でこぞって「九州の小京都」と取り上げられていた。武家屋敷や古い商家がまとまった規模で残っているという。すでに宮崎市から都城と油津のスナック街を巡ったので、小京都を歩いてみるのもいいが少々通俗的かもしれない。 |
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しかし実際に飫肥駅から城跡に向かって歩くと、観光客らしき姿は見えず、地元の人ともほとんどすれ違わない。城跡のすぐ手前に大型バスの駐車場と土産物屋があり、ここまで来てやっと歩く人の姿を見かけるが、俗化した観光地というイメージには程遠く、街全体が昼寝をしているようだった。街の規模からするとスナックの数は異様に多いが、経済・商業の中心地として栄えた飫肥藩の伝統なのかもしれない。 |
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photography
隙ある風景 ロードサイダーズ・リミックス 03
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今回は「寝てる人 初秋編」。このテーマ、実は連載のきっかけとなったものなのである。今夏に行なわれたFREEDOMMUNEに行った私は、自身のブログ「隙ある風景」で明け方に踊り疲れてあちこちで寝ている人の写真をアップしたところ(http://keitata.blogspot.jp/2013/07/blog-post_3409.html)、同じくFREEDOMMUNEに出演していた都築氏の目にとまることとなり「一度会いませんか」とTwitterにメッセージが来たのであった。 |
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music ROADSIDE RADIO:コージー大内&W.C.カラス |
先週日曜日のインターFM・ロードサイドラジオでは、コージー大内とW.C.カラスという、ふたりのブルース・シンガーを取り上げました。 |
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実は最近、ブルース・ファンのあいだで「弁ブルース」という言葉が広まっているのですが、これはいろいろな地方に住むミュージシャンたちが、自分たちの地方の言葉で歌おうという動きで、もちろんそのおおもとは憂歌団などの関西ブルースマンたちにあるのですけれど、いまではさまざまな場所で、さまざまな言葉で、日本のブルースが歌われれるようになってきました。今回録音させてもらったのは、8月17日に愛知県豊橋市のライブハウス「House of Crazy」で開催された、5人のブルースマンたちによるライブです。出演者は―― |
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コージー大内は大分県日田市出身、47歳。日田は古い町並みが残って情緒豊かな雰囲気で、「九州の小京都」と呼ばれているそう。ちなみにこれまで「角打(かくち)ブルース」(2008)と「X(ばってん)ブルース」(2012)の2枚のCDをリリースしていますが(角打とは、北九州エリアで言われる、酒屋での立ち飲みのこと)、そのライナーノーツによれば、日田は「日本のテキサス」だそう。田園風景と人情とブルース・フィーリングに満ちた、林業とナバ(シイタケ)と焼酎と濃霧と雷(ライトニン!)の町どいうわけ・・・。 |
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放送した曲目は以下のとおり。いずれも強烈な日田弁で、ときには「標準語訳」を織り交ぜないと聞き取れないほどですが、それがまたブルース・ギターと合うんですねえ、見事なまでに。 |
ブルースん奴隷 |
後半お送りしたW.C.カラスは富山県小矢部市出身で、現在は高岡市在住。20歳の時、ジョン・リー・フッカーの富山公演を見て衝撃を受け、カントリー・ブルースの道を目指すようになったそうです。ちなみにW.C.はワイルド・チャイルド・カラスのこと。音楽を続けていくためにさまざまな職についてきましたが、ここ10年ぐらいは木こりをやりながら、歌とスライドギターで日常を歌い続ける、48歳のブルースマンです。 |
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W.C.カラスは演奏歴30年にして、今年ようやくファーストCDを発表しましたシンプルに『W.C.カラス』と題されたそのアルバムは、春に発売されたものの、一部のマニアックなレコードショップ、あとは通販かライブ会場でしか入手が難しかったのですが、9月18日にめでたくP-VINEからあらたにリリースされたばかり。いまでは簡単に入手可能です。 |
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放送したのは以下の5曲。 |
飯炊き男のブルース |
コージー大内とちがって、富山弁ではなく標準語で歌われるのですが、夕方のスーパーマーケットで、商品に割引シールが貼られるのを待っている酒臭いオヤジのことから、ボロボロになった自分の軍手まで、あくまでも生活に根ざしたリリックを、金属胴のナショナルギターをかきならしながら歌う、その姿は現在形のトロバドールのようでもあります。 |
よく思うのですが、ブルースもジャズもアメリカの黒人文化が生んだ偉大な音楽ジャンルではありますが、ではいまアメリカの黒人がみんなブルース好きかというと、そんなことはない。僕の友人の黒人にも、ブルースなんか聴かないという音楽好きがいっぱいいます。 |
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コージー大内:http://kozyouchi.adliv.jp/ |
[告知1]
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忘れたころにやってくる紀伊國屋書店の広報誌スクリプタ連載。今回は北海道財界誌の雄『財界さっぽろ』が、創刊50年を記念して出版した『リアルタイム・北海道の50年 すすきの風俗編』なる、上下2冊の珍しい地方出版物を取り上げました。創刊半世紀で、記念に出すのが「すすきの風俗」! 素晴らしすぎますね~。 |
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「創刊の1年後には東京オリンピックが開催され、日本経済の高度成長が加速する、ちょうど、その時期に「財界さっぽろ」は産声を上げました・・・このころが一番面白い時期でもあったのです・・・雑誌記事の“華”はスキャンダルとケンカです。また、読者が雑誌に求める興味関心は、カネ、権力、オンナ(女性の皆さん、ごめんなさい)、人事、そして成功のノウハウと他人の不幸です」(上巻前書きより)。 |
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[告知2]
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前にもお知らせしたとおり、今週日曜日(6日)には会津若松で『ヒップホップの詩人たち』をテーマに、トーク&ライブを開催します。大好きな福島で、初のトーク。うれしいですねえ。 |
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今回のテーマは今から20~25年程前のヒップホップのファッションです。 |
とのことなのでっ! こちらも楽しみ。会津のみなさま、日曜日にお会いしましょう!!! |
[告知3]
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先週末、渋谷で開催された「死刑囚の絵画展 ―囚われているのは彼らだけではない―」は、2日間だけだったにもかかわらず、900名以上の来館者が会ったそうです。僕も日曜日に寄らせてもらいましたが、すごくたくさんのひとが、ほんとにじっくり作品に見入っていました。 |
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先週告知したように、10月12日には死刑廃止国際条約の批准を求めて活動してきた『FORUM90』主催による、『響かせあおう 死刑廃止の声 2013』と題されたイベントがあります。 |
[告知4]
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先月2回にわたって掲載し、大きな反響をいただいた中村あゆみさんによるジャカルタ・パンクのリポート。新宿で開かれた上映会&トークは、いずれも超満員のソールドアウト状態でしたが、10月30日に中野で新たなイベントが決まりました! |
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中野ムーンステップ Presents「レンチョン・マレンチョン」 |
チケット:1000円+1ドリンク(500円) |
アフターアワーズ:編集後記 |
今週も最後までお付き合いいただいて・・・お疲れさまでした! 長かったですね~~、笑。 |
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会場の大きな壁面には、一面に貼り付けられた総計50台ものラジカセ! これぞ現代日本が誇る「ラジカセ博士」&「ラジカセ再生工場・工場長」である松崎順一さんが、数年間にわたって育んできたアイデアの、ひとつの到達点なのです。 |
「パキスタン人が盗難車を集めてこっそり輸出」とか「大量の自転車が万景峰号に積まれて北朝鮮に」なんて事件が話題になるたびに、出てくるのが「ヤード」という存在である。山奥や休耕地の一角を高い塀で囲んで、廃棄された自動車、自転車、家電製品などを集めて海外に送る一時的な集積地だ。 |
最近ではカセットの良さを再認識した、若いアーティストたちがカセットで新譜をリリースすることも増えてきています。そうしたなかで松崎さんが、足立区の片隅でコツコツと製作してきた「ラジカセ・メロトロン」は、50台のラジカセの、ひとつひとつに音源のテープを入れ、それをキーボードで操作することによって、往年のメロトロンを現代に蘇らせた、アナログのサンプリング再生マシンが生み出されたわけでした。 |
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今回そのラジカセ・メロトロンを駆使してパフォーマンスをしてくれたのは、嶺川貴子さん。先日DOMMMUNEで拝見したばかりですが、ライブはほんとうに久しぶりでした。終わったあとでちょっとお話したら、今回使用した音源は、嶺川さん自身が録音、用意したものだそうで、「まるで自分で新しい楽器を作ってるみたいでした」と楽しそう。ほんとにそうですよね! |
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ライブの際には、まず嶺川さんが1台のラジカセの前でスティックを叩いたり、チューブをぐるぐる回して出てくる音を録音し、それを壁のラジカセに挿入、演奏に使用するという、アナログ感満載のパフォーマンスもありました。松崎さんのほうは「もっと台数を増やして、もっと完成度を上げて、いろんな場所でやりたいんです!」と意気軒昂。 |
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今回は特別に松崎さん、嶺川さん、VACANTから許可をいただいたので、当日の演奏の短いダイジェストを、読者限定でお送りします! 静かに、穏やかに、お楽しみください。 |
「サウンド・ライブ・トーキョー」は今週末までプログラムが続行中。週末にかけては鶯谷の東京キネマ倶楽部で『倉地久美夫+マヘル・シャラル・ハシュ・バズ』、上野の東京文化会館で『飴屋法水+工藤冬里』などという、かなり興味深いライブもあるので、ぜひご参加を。 |
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Sound Live Tokyo 2013:http://www.soundlivetokyo.com/ |
スタッフより |
今日は、私のどんはまりの佐渡島、在住の友人Aちゃんより送られてきた写真をご紹介。佐渡島の最北端鷲崎にいく途中でみつけたという浮きロード、そこにはなんとも自由に描き彫られている、なかにはTPPの文字がなんともファンタジーですね。大崎そばの会というそば(食べ放題!)を食べながら、地元のおばさま方による相撲甚句 http://sado-doga.jp/movie.php?vid=b3jQcVmMkA や手作りの出し物をみて大盛り上がりするそうです。どうやら、30名集めると開催して頂けるということを聞き、ROADSIDERSツアーで皆さまといつか佐渡島にいくのが夢です。編集長どうでしょう? (金) |
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ロードサイダーズではおなじみの写真家・天野裕氏による初の電子書籍。というか印刷版を含めて初めて一般に販売される作品集です。
本書は、定価10万円(税込み11万円)というかなり高価な一冊です。そして『わたしたちがいたところ』は完成された書籍ではなく、開かれた電子書籍です。購入していただいたあと、いまも旅を続けながら写真を撮り続ける天野裕氏のもとに新作が貯まった時点で、それを「2024年度の追加作品集」のようなかたちで、ご指定のメールアドレスまで送らせていただきます。
旅するごとに、だれかと出会いシャッターを押すごとに、読者のみなさんと一緒に拡がりつづける時間と空間の痕跡、残香、傷痕……そんなふうに『わたしたちがいたところ』とお付き合いいただけたらと願っています。
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稀代のレコード・コレクターでもある山口‘Gucci’佳宏氏が長年収集してきた、「お色気たっぷりのレコードジャケットに収められた和製インストルメンタル・ミュージック」という、キワモノ中のキワモノ・コレクション。
1960年代から70年代初期にかけて各レコード会社から無数にリリースされ、いつのまにか跡形もなく消えてしまった、「夜のムードを高める」ためのインスト・レコードという音楽ジャンルがあった。アルバム、シングル盤あわせて855枚! その表ジャケットはもちろん、裏ジャケ、表裏見開き(けっこうダブルジャケット仕様が多かった)、さらには歌詞・解説カードにオマケポスターまで、とにかくあるものすべてを撮影。画像数2660カットという、印刷本ではぜったいに不可能なコンプリート・アーカイブです!
ROADSIDE LIBRARY vol.005
渋谷残酷劇場(PDFフォーマット)
プロのアーティストではなく、シロウトの手になる、だからこそ純粋な思いがこめられた血みどろの彫刻群。
これまでのロードサイド・ライブラリーと同じくPDF形式で全289ページ(833MB)。展覧会ではコラージュした壁画として展示した、もとの写真280点以上を高解像度で収録。もちろんコピープロテクトなし! そして同じく会場で常時上映中の日本、台湾、タイの動画3本も完全収録しています。DVD-R版については、最近ではもはや家にDVDスロットつきのパソコンがない!というかたもいらっしゃると思うので、パッケージ内には全内容をダウンロードできるQRコードも入れてます。
ROADSIDE LIBRARY vol.004
TOKYO STYLE(PDFフォーマット)
書籍版では掲載できなかった別カットもほとんどすべて収録してあるので、これは我が家のフィルム収納箱そのものと言ってもいい
電子書籍版『TOKYO STYLE』の最大の特徴は「拡大」にある。キーボードで、あるいは指先でズームアップしてもらえれば、机の上のカセットテープの曲目リストや、本棚に詰め込まれた本の題名もかなりの確度で読み取ることができる。他人の生活を覗き見する楽しみが『TOKYO STYLE』の本質だとすれば、電書版の「拡大」とはその密やかな楽しみを倍加させる「覗き込み」の快感なのだ――どんなに高価で精巧な印刷でも、本のかたちではけっして得ることのできない。
ROADSIDE LIBRARY vol.003
おんなのアルバム キャバレー・ベラミの踊り子たち(PDFフォーマット)
伝説のグランドキャバレー・ベラミ・・・そのステージを飾った踊り子、芸人たちの写真コレクション・アルバムがついに完成!
かつて日本一の石炭積み出し港だった北九州市若松で、華やかな夜を演出したグランドキャバレー・ベラミ。元従業員寮から発掘された営業用写真、およそ1400枚をすべて高解像度スキャンして掲載しました。データサイズ・約2ギガバイト! メガ・ボリュームのダウンロード版/USB版デジタル写真集です。
ベラミ30年間の歴史をたどる調査資料も完全掲載。さらに写真と共に発掘された当時の8ミリ映像が、動画ファイルとしてご覧いただけます。昭和のキャバレー世界をビジュアルで体感できる、これ以上の画像資料はどこにもないはず! マンボ、ジャズ、ボサノバ、サイケデリック・ロック・・・お好きな音楽をBGMに流しながら、たっぷりお楽しみください。
ROADSIDE LIBRARY vol.002
LOVE HOTEL(PDFフォーマット)
――ラブホの夢は夜ひらく
新風営法などでいま絶滅の危機に瀕しつつある、遊びごころあふれるラブホテルのインテリアを探し歩き、関東・関西エリア全28軒で撮影した73室! これは「エロの昭和スタイル」だ。もはや存在しないホテル、部屋も数多く収められた貴重なデザイン遺産資料。『秘宝館』と同じく、書籍版よりも大幅にカット数を増やし、オリジナルのフィルム版をデジタル・リマスターした高解像度データで、ディテールの拡大もお楽しみください。
円形ベッド、鏡張りの壁や天井、虹色のシャギー・カーペット・・・日本人の血と吐息を桃色に染めあげる、禁断のインテリアデザイン・エレメントのほとんどすべてが、ここにある!
ROADSIDE LIBRARY vol.001
秘宝館(PDFフォーマット)
――秘宝よ永遠に
1993年から2015年まで、20年間以上にわたって取材してきた秘宝館。北海道から九州嬉野まで11館の写真を網羅し、書籍版では未収録のカットを大幅に加えた全777ページ、オールカラーの巨大画像資料集。
すべてのカットが拡大に耐えられるよう、777ページページで全1.8ギガのメガ・サイズ電書! 通常の電子書籍よりもはるかに高解像度のデータで、気になるディテールもクローズアップ可能です。
1990年代の撮影はフィルムだったため、今回は掲載するすべてのカットをスキャンし直した「オリジナルからのデジタル・リマスター」。これより詳しい秘宝館の本は存在しません!
捨てられないTシャツ
70枚のTシャツと、70とおりの物語。
あなたにも〈捨てられないTシャツ〉ありませんか? あるある! と思い浮かんだあなたも、あるかなあと思ったあなたにも読んでほしい。読めば誰もが心に思い当たる「なんだか捨てられないTシャツ」を70枚集めました。そのTシャツと写真に持ち主のエピソードを添えた、今一番おシャレでイケてる(?)“Tシャツ・カタログ"であるとともに、Tシャツという現代の〈戦闘服〉をめぐる“ファッション・ノンフィクション"でもある最強の1冊。 70名それぞれのTシャツにまつわるエピソードは、時に爆笑あり、涙あり、ものすんごーい共感あり……読み出したら止まらない面白さです。
圏外編集者
編集に「術」なんてない。
珍スポット、独居老人、地方発ヒップホップ、路傍の現代詩、カラオケスナック……。ほかのメディアとはまったく違う視点から、「なんだかわからないけど、気になってしょうがないもの」を追い続ける都築響一が、なぜ、どうやって取材し、本を作ってきたのか。人の忠告なんて聞かず、自分の好奇心だけで道なき道を歩んできた編集者の言葉。
多数決で負ける子たちが、「オトナ」になれないオトナたちが、周回遅れのトップランナーたちが、僕に本をつくらせる。
編集を入り口に、「新しいことをしたい」すべてのひとの心を撃つ一冊。
ROADSIDE BOOKS
書評2006-2014
こころがかゆいときに読んでください
「書評2006-2014」というサブタイトルのとおり、これは僕にとって『だれも買わない本は、だれかが買わなきゃならないんだ』(2008年)に続く、2冊めの書評集。ほぼ80冊分の書評というか、リポートが収められていて、巻末にはこれまで出してきた自分の本の(編集を担当した作品集などは除く)、ごく短い解題もつけてみた。
このなかの1冊でも2冊でも、みなさんの「こころの奥のかゆみ」をスッとさせてくれたら本望である。
独居老人スタイル
あえて独居老人でいること。それは老いていくこの国で生きのびるための、きわめて有効なスタイルかもしれない。16人の魅力的な独居老人たちを取材・紹介する。
たとえば20代の読者にとって、50年後の人生は想像しにくいかもしれないけれど、あるのかないのかわからない「老後」のために、いまやりたいことを我慢するほどバカらしいことはない――「年取った若者たち」から、そういうスピリットのカケラだけでも受け取ってもらえたら、なによりうれしい。
ヒップホップの詩人たち
いちばん刺激的な音楽は路上に落ちている――。
咆哮する現代詩人の肖像。その音楽はストリートに生まれ、東京のメディアを遠く離れた場所から、先鋭的で豊かな世界を作り続けている。さあ出かけよう、日常を抜け出して、魂の叫びに耳を澄ませて――。パイオニアからアンダーグラウンド、気鋭の若手まで、ロングインタビュー&多数のリリックを収録。孤高の言葉を刻むラッパー15人のすべて。
東京右半分
2012年、東京右傾化宣言!
この都市の、クリエイティブなパワー・バランスは、いま確実に東=右半分に移動しつつある。右曲がりの東京見聞録!
576ページ、図版点数1300点、取材箇所108ヶ所!