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ボリューム感満載のROADSIDERS' weeklyを是非お楽しみください!
2013年10月02日 Vol.085 | 2014年07月23日 Vol.125 | 2015年06月03日 Vol.166
2014/07/23号 Vol.125
ロードサイダーズ・ウィークリー125号をお届けします。 |
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濾過された記憶
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濾過された記憶
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『ヨコハマトリエンナーレ2014』がいよいよ8月1日からスタートする。「華氏451の芸術:世界の中心には忘却の海がある」と題された今回の「横トリ」は、アーティスティック・ディレクターに森村泰昌を迎え、65組の作家が参加するという。すでに週末の予定に組み込んでいるひともいらっしゃるだろう。 |
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横トリの第1回で、僕は鳥羽秘宝館の一部を再現展示したのだったが、あれが2001年だから、すでに13年前・・・。今回は今年5月21日配信号の記事『移動祝祭車』で紹介した、やなぎみわによる台湾製ステージ・トレーラーなど、本メルマガ好み(笑)の作品がいろいろ見れそうで楽しみだが、まずは直前レビューとして、参加作家のひとりである大竹伸朗の新作『網膜屋/記憶濾過小屋(Retinamnesia Filtration shed)』を紹介しよう。7月初旬、うだるような暑さのなかで進められていた、展示会場となる新港ピアでの制作最終段階の様子をお見せするとともに、作家本人から作品への思いを聞いてきた――。 |
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今回は去年の年末ごろから制作を始めたのかな。話をもらったときに、いつもみたいに宇和島のアトリエでひとりでつくるんじゃない、いままでやったことのないかたちでなにかつくれたら、と条件を出してスタートしたんだよね。 |
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それが2~3年前に、宇和島で刀の鍔をつくってる若い職人と知り合って、鉄材を使えるようになってきたのも大きいよね。だから今回は、直島銭湯や女木島の『女根』で一緒にやった建築のチーム(sunia / 津田朋延)や、宇和島や大阪の鉄工作集団(TOOP design works. inc)と組んで、同時並行で作業を進めていけた。宇和島では部屋部分の内装と、外壁の棚。それに造船所でページの部分をつくって。大阪では車体と、本の部分の表紙と背を。 |
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それでできたパーツを、尼崎の貸し工場に運んで組み立てた。合体作業には3週間かかったけど・・・。で、全部できたところでいちどバラして、横浜に運んできて、いま最終的に組み直してるところ。 |
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関西に通いながら、京都の仏具屋を回ったり、動物園前とか、飛田に久しぶりに行ってみて。いまの飛田・・・ぶっ飛んでるよね、アムステルダムどころじゃないっていうか。入口まわりのピンクのライトとか、スポットの当たりぐあいとか。あれを見てるうちに、気持ちがピタッと来て。だから今回の作品は、けっこう関西がインスピレーションかも(笑)。 |
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円筒形のタンクがあるでしょ、あれは宇和島の、たぶん豆腐工場かなにかで使われてた、水の濾過器なんだよね。廃棄されて野ざらしになってたんだけど、「大竹さん好きでしょ」って見せられて(笑)。それで濾過っていうのがおもしろいなと思いはじめた。「記憶を濾過する装置」みたいな。だからこれも偶然見つかったものだけど、そこで焦点が合って、方向性が固まったんだね。 |
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2012年カッセル・ドクメンタ(13)での『モンシェリー』、去年の常滑INAXライブミュージアムでの『焼憶』など、大竹伸朗の近作には巨大な本/スクラップブック仕立ての作品が目立つ。それは彼にとって、これまでのスクラップブック・シリーズの拡大版というよりも、「記憶の束」「記憶の家」という思いの表現であるようだ。 |
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ドクメンタのときに、小屋とキャンピングカーを合わせた作品をつくったでしょ。あのとき、キャンピングカーってすごいなと思ったんだよ。3.11のときに、その場所から離れられない家があって、でもそこには帰れなくて。だけどキャンピングカーなら、どこへでも行けるじゃない。だからあれは「移動できる家」と「移動できない家」の組み合わせだったんだけど、今回はその、移動できる家の発展形でもある。移動できる記憶の集積としての住居というか・・・。 |
長い時間をかけて、世界各地で作家本人が集めてきた、おびただしい数の写真、おもちゃ、剥製、印刷物。奇妙な和風のしつらえの内部空間。原色に塗りたくられたページを半開きにした、一冊の本としての全体像。濾過器からときおり吐き出される白煙に見え隠れするミラーボール。どんなメッセージを受信するのかわからない、安アパートの屋上のようなアンテナ群。そして太いタイヤがこの不可解で、巨大な図体を持つ物体を、いつでもどこにでも運び去ってしまうように、かりそめ感を漂わせながら、ある記憶の総体としてそこにある。 |
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それは大竹伸朗という作家の記憶の集積であるのかもしれないし、内部の壁にびっしり貼り込まれて巨大な「アルバム壁」と化した、その無名の被写体たちの記憶の総合であるのかもしれないし、外壁に並べられた人形や玩具に染み込んだ、子供たちの記憶の上澄みであるのかもしれない。画像であれ、色であれ、光であれ、物質であれ、そういうすべてが発する記憶の熱量を、濾過し、外部へと放つ装置として、この『網膜屋/記憶濾過小屋』はいまここに停泊している、ように僕には思える。 |
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ヨコハマトリエンナーレ2014は11月3日まで開催されるが、大竹伸朗は10月12日からロンドンの現代美術財団『パラソルユニット』での個展も予定されている。コラージュをテーマに、1980年代後半から2014年の新作まで、平面・立体作品あわせて50点近くが展示されるという。20代の初めにロンドンに渡り、決定的な影響を受けてアーティストへの道を歩み始め、30年が過ぎたいま実現する、精神的な里帰りとも言えそうなミニ・レトロスペクティブ。こちらもいまから楽しみ、というか貯金しないと・・・。 |
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ヨコハマトリエンナーレ2014 |
music
浜松、ラッパ吹きの祝日 後編
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先週に続いてお送りする、浜松まつりとラッパの物語。毎年ゴールデンウィークに開催される、浜松市民以外にはほとんど知られていない、しかし浜松市民にはこよなく愛されてきたローカル・カルチャーの、ひとつの完成形である。静岡文化芸術大学の奥中康人さんによる渾身のリポート、その後編をお楽しみください。 |
ところで「なぜ「浜松まつり」で、ラッパが使われるようになったのか?」という疑問に答えておきたい。 |
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しかし、近年になってこの説には異論が唱えられている。明治期の浜松における凧揚げについての新聞記事を網羅的に調べたある大学生が、明治16年の新聞記事に、 |
各町毎に隊伍を組み夫々の屯所には消防に用ふる旗をたて伍長とおぼしき者等は手に指揮棒をもち合図は太鼓喇叭で進退し(下線引用者) |
と書いてあることを発見したのである。 |
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改めて考えてみると、昔から「お祭り」の担い手になる若衆たちは、たいていその地域の消防組にも属していた。したがって、お祭りのカルチャーは、消防のカルチャーとほぼ重なっている。さらに付け加えておくと、近世以来、消防(火消し)は鳶職とも密接な関係がある。城下町の浜松には職人も多く、明治になってからの消防組の組織化も早かった。 |
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おそらく、明治時代のある時、一人の若者が、町の消防組の壁に掛けてあった――いつも消防訓練で使っている――ラッパを手にして、凧揚げの会場に駆けつけ、吹き鳴らしたのではないだろうか。確証はまったくないのだが、浜松まつりの衣装が消防組の衣装と似ているだけでなく、私(たち)には意味不明の「練り」といわれる独特の歩行様式が、実は消防組の「かけあし訓練」の名残だとすれば、納得がゆく。 |
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ただ、ラッパが明治期から使われていたとしても、それは近年に至るまでごく少数であり(私の取材によると「昔は1団体に1人いるか、いないかだった」と言う人もいる)、現在のように、数十名ものメンバーで構成される「ラッパ隊」が組織されるようになり、ラッパ人口が増えたのは、1980年代以降のことで、各地に子供ラッパ隊つくられたことが契機となっている。 |
先に述べたとおり、「浜松まつり」の主役は初子と凧なのだが、実際に凧を揚げる行為に従事することができるのは、体力と腕力のある成人男性たちだけである。そうすると、主役の初子は例外としても、多くの子供たちは、凧糸に触れることはもちろん、危険な凧場のなかに立ち入ることすら難しい。 |
もっとも、子供たちが学校で習うリコーダーやハーモニカと違って、ラッパは音を出すだけでも難しい。だが、昭和50年ころ、あの大手楽器メーカーが「需要創出」のために各地の小学校に営業マンを送り込み、学校の予算で金管楽器を一括購入させ、「トランペット鼓隊」や「金管バンド」をつくっていた。とくに本社のある浜松市では多くの小学校で創設されたらしいのだが、それがここで役に立った。 |
そんなことは想定外であったにちがいない。大手楽器メーカーの学販戦略が、子供ラッパ隊の結成を促進させた。とはいえ、既に述べたとおり、コンサートホールのオーケストラや吹奏楽などの音楽文化と、浜松まつりのラッパ文化は、やはり別世界であるといわざるをえない。 |
ただし、割合としてはごく僅かであるが、高級音楽のトランペット奏者でありながら、浜松まつりにも理解を示し、この期間だけラッパ吹きとして活躍する柔軟な人もいる。かれらにとって〈凧ラッパ〉を吹くのは朝飯前。雑然とした凧場のなかに、そうした奏者が一人でも混ざっていると、まさに「掃き溜めのなかの鶴」のようによく目立つ。すべてのメロディを、1オクターブ上で演奏してしまうトランペット奏者もいる。 |
かれらは、それぞれの地域の子供たちの「ラッパの先生」としての役割も果たしている。春になると神社の境内や公民館に子供たちをあつめ、ラッパの吹き方を手とり足とり教える活動は、一見すると地味かもしれないが、派手に「音楽の街・浜松」を推進しようとする政財界よりも、はるかに重要な意味をもっているように思える。 |
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浜松の小さな楽器店もラッパ文化を支えている。市内のある楽器小売店は、若い女性たちの間で、――たとえ演奏できなくても――法被姿でラッパを持って歩くことが流行していることに目をつけ、数年前から「ファルコン」という、すこし小ぶりでて低価格のラッパを独自に開発・販売をした。すると、おしゃれでカッコいいファッション・アイテムとして注目され、発売からわずか3年で1000本以上を売りさばいたという。腰にさげるための専用の革ベルトも作られている。 |
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あるラッパ手は、買ったばかりの自分のラッパがピカピカなのが気に食わない。そこで、わざわざサンドペーパーで塗装を削り落とし、しばらく薬品に浸して、ツヤのない渋い黄土色に変色させて、ようやくご満悦。 |
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また別のラッパ手は、凧場で落としたり、何かにぶつけたりしたことで、ベルや管が歪んでしまったラッパを、修理に出すことなく――これまでの自分の「戦歴」を誇るかのように――そのまま使っている。 |
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自分でマウスピースを加工してしまう人もいる。職場にある旋盤をつかえば簡単なことで、わざわざ楽器店に行って、高価な舶来品のマウスピースを選定する必要はない。 |
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浜松のすべてのラッパ吹きたちは、自分が「外国の楽器」を演奏しているとは、まったく意識していない。それは無知だからではなく、ラッパがもはや「自分たちの文化」になっているからである。 |
幕末明治以来、日本にはピアノやヴァイオリンに代表されるいろいろな西洋楽器が入ってきた。「楽器」といえば、私たちがまず思い浮かべるのはそうした西洋楽器であり、琵琶や三味線のような和楽器ではない。それくらい広く普及、定着している。しかしながら、ピアノやヴァイオリンには、どうしてもベートーヴェンやショパンの影がつきまとう(したがって、多くの人々にはどうしてもなじめない)。 |
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ローカルな浜松まつりは、全国的にはあまり認知されていない。私も、約10年前に浜松出身の知人(大学院時代の後輩のハカマタさん)に教えてもらうまでは、まったく知らなかった。 |
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5月3日の夕方、ビデオカメラを片手に大通りのパレード(合同練り)を交差点で見ていると、ひときわ上手に〈凧ラッパ〉を吹くラッパの集団が私の前を通り過ぎた。他のラッパ隊と異なり、この団体は単旋律の〈凧ラッパ〉だけでなく、2声部に分かれてハーモニーを響かせるファンファーレも高らかに吹奏し、観客から拍手を浴びている。 |
それ以来、毎年ゴールデン・ウィークになると、とにかく浜松に駆けつけて、まつりを見学することが恒例となった。何しろ、160以上の団体が参加する大規模なイベントなので、一度や二度で全体を把握することは不可能である。 |
早出町は、浜松市中区の北東部の端。浜松駅から北に5キロのところにある閑静な住宅地である。人口は約7000人。早出町が浜松まつりに「早出連」として参加するようになったのは、今から約30年前(昭和58年)のことで、これは古くから参加している浜松の街中の団体にくらべると、まだまだ新参といえる。 |
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新設のラッパ隊を指導したのは、町内に住む消防団音楽隊に所属していた人物で、かれによる基礎づくりがよかったのだろう。どんな音色・音質でもとにかく〈凧ラッパ〉が吹ければよし、という安易さは一切なく、息の量やスピード、音の響かせかたなどに、こだわった。 |
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また、他のラッパ隊はたいてい若い世代が中心だが、早出連のラッパ隊は、創設時のメンバーがまだたくさん在籍しているので、平均年齢が少々高い。メンバーの更新がうまくいっていないとも言えるが、やはり真面目に遊ぶ(演奏する)ことが楽しいのか、ほとんど同じメンバーが毎年参加する。したがって、ラッパを吹くのは1年のうち4月から5月5日までの短期間とはいえ、年数を重ねていくと、最初は素人であっても技術は蓄積され、次第に上手になっていく。 |
2009年と2010年も、4月になると奈良の自宅から早出町を訪問して、ラッパ隊の練習を見学した。わたしが音楽の研究者ということを知って、時には「吹いてみるか?」と、ラッパを手渡されるのだが、うまく音が出ない(あまりにも悔しいので翌年には立派に吹けるように練習しておこうと、毎年のように誓うのだったが)。 |
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満足にラッパを吹けない「音楽」研究者に、「太鼓なら大丈夫でしょ」と、太鼓とバチを渡してくれるのだが、これがラッパより難しい。2台の太鼓が2打ずつ掛け合うだけの単純なリズムなのだが、ラッパ奏者たちが気持ちよく吹くには、微妙なグルーブ感が必要になる。一瞬でも気を抜くとテンポが乱れ、多数のラッパ奏者に迷惑をかけてしまう。いや、そんな失敗をしてしまっては、子どもを祝福するその場のムードが、台無しになってしまう。なるほど、ラッパを手にしたときにかれらが真顔になる理由がよくわかった。 |
2003年に浜松のラッパ文化を「発見」してから8年(2008年から早出町を集中的に調査するようになってから3年)が経過した2011年の春、まったくの偶然で、私が浜松市にある静岡文化芸術大学に赴任することになった(私自身も驚いたが、ラッパ隊の人々はもっと驚いただろう)。 |
『和洋折衷音楽史』春秋社刊 |
lifestyle 新連載! 老遊女 01 |
ほとんどストリップ業界のオフィシャル・フォトグラファーのような立ち位置で、激減するストリップを撮り続ける写真家が谷口雅彦さんだ(http://homeurl.web.fc2.com/taniguchi/)。その谷口さんとおしゃべりしていたとき、「前に『漂流遊女』っていう連載をしてたことがあって、その続編をやりたいんですけど、どの雑誌もウンと言ってくれなくて・・」と嘆くので、企画内容を聞いてみたら、AVや風俗で働く老女たちを訪ね歩きたいのだという! 谷口さんが写真、フリーライターの中山美里さんがテキスト。だいたい一般誌で取り上げられないネタを引き受けるのがエロ雑誌だけど、エロ雑誌ですら引き受けられないネタ・・・それはメルマガしかない! というわけで、これから月にいちどのペースで想像を絶する、しかもどこか愛おしい老女たちの生きざまをご紹介してもらうことになりました。 |
10代半ばからアンダーグラウンド界に足を踏み入れ、10代後半からは六本木でショーダンサーとして働く。22歳で出産後、24歳からベビー雑誌のライターに。その後、フリーライターとして、風俗やAVなどの合法風俗の他、援交などの素人売春などセックスカルチャーをメインに取材・執筆をしてきた。 |
という、業界で知らぬ者のないツワモノ。いまはフリーライターのお仕事のほかに、「大人の女性のラブメディア」というウェブマガジン『JESSIE』(http://jessie.jp)も務めていて・・・最近の人気トピックというのを見ても「女子同士でイチャイチャできるレズデリヘルで遊んでみた」「お持ち帰りモードから上手に逃げつつ、次回の機会も手に入れる上級テクとは!?」「ガマン汁は透明なのに、妊娠してしまうその原理とは?」など、クリックを重ねざるを得ない引きの強さ。無料サイトなので、こころゆくまでサーフしてみてください! |
老遊女の性活 |
文 中山美里 |
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ああ、そういえば、以前コンビニチェーンの方から聞いた話だが、コンビニで最も金を使っているのは団塊世代だという。「若者のもの」というイメージのあるコンビニでさえ、もはや超熟世代のものなのだ。 |
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若い風俗嬢やAV女優の話は、版元が「こういうものを」と求めるためもあるのだが、ダメな男との恋愛、若いシングルマザーで貧困生活、レイプ体験……といった暗くて悲しくなるような話に傾きがちだ。正直、そういう話にはもう飽きてもいたし、悲劇をあおって「人の不幸は蜜の味」的なスタンスの企画ももともとそんなに好きではなかったので、人生経験が長いだけに酸いも甘いも様々な老人の話は非常に新鮮だった。 |
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彼女には「最年長AV女優」、そのような冠がついていた。 |
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さて、黒崎さんである。 |
今はカラオケと散歩ですね。昔はね、山登りが好きだったんですけどね、数年前に膝を痛めてから、山歩きも厳しくなっちゃったんですよ。この年になると、みんなどこかしら痛めていますからね。あとはカラオケですね。女友達と歌広場に行って歌うのが楽しいんです。得意なのはテレサ・テン。あとは梓みちよの『二人でお酒を』とか小林幸子の『再び』ね。彼氏がね、『二人でお酒を』が好きなのよ。 |
お見合いじゃないんだから、趣味なんて聞くなよと思ったが、意外や意外。それがジェネレーションが違いすぎて面白く、さりげなくノロケ話も交えてくるのだから、妙に盛り上がる。ちなみに巣鴨がやはり良く行く町なんだそうで、そこの歌広場も行きつけだという。 |
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そんな黒崎礼子さんは、昭和11年12月、東京で生まれた。現在は、すでに77歳になっている。 |
バーカウンターなどで飲んでいるとね、『あちらの女性にも同じものを……』なんて男性から言われて、飲み物をごちそうしてもらってお話したりしましたね。こういうところですぐに仲良くなれる女性もいたけれど、私は、ダメでしたね。お酒も弱くて、2~3杯しか飲めなかったから、パーッとできないんですよ。すぐに仲良くなれる発展している女性って羨ましいなと思っていました。 |
“発展している女性”という表現に、妙に痺れる!! パーッとやれる女性が羨ましかったんだ!! へえ、そういう感覚は昔も今もあんまり変わらないもんなんだなあ、などと思いながら、フムフムと相づちをうち続きを促す。 |
20歳のときに、成人式の帰りに旅館へいきました。今だと考えられないことかもしれないんですが、当時は20歳を過ぎてからするものという暗黙のルールがあったんですよ。 |
だが、はじめてのセックスは痛いばかり。すっかり苦手になってしまった。けれども、相手の男性はまだ若く、ヤリたい盛り。結局、なんだかんだと関係がぎくしゃくし、2度目のセックスはないまま、相手の男性と別れることになってしまった。 |
別れてすぐのときに、相手の家に鯉のぼりが上がったんですよね。 |
つまり、赤ちゃんが産まれたということである。えーっ、いつの間にか、二股かけられていたんだ! という衝撃。昭和初期の男にも、案外ワルがいるもんだと妙な感心をしてしまう。 |
でね、それを見た近所の人達が、「あなたも早くお嫁にいかなきゃ」とせっついてきたので、お見合いをしました。 |
3姉妹の末っ子で育った黒崎さんは、姉たちの結婚生活を見て、「お義母さんが一人(夫に先立たれている)の男性がいいな」ということで、そういう人を選んで、結婚したそうだ。なんともお見合いっぽい選択基準である。 |
昔の夫婦は今みたいなことはしないですよ。家だって、遮るものは障子だけでしょう? 私の場合は、お義母さんしかいませんでしたが、同居家族が大勢いることも多かったから、みんな周囲に気遣いながらのセックスだったんじゃないかしらね。私もそうでしたよ。若い頃は、今時のスポーツみたいなセックスはしたことなかったわね~。今しているみたいに声を出したりしたら大変ですよ。セックスがいいとか悪いとか、まるで分からなかったわ。 |
夫は年上で、先生のように美術品に関することなどを教えてくれ、趣味の世界を広げてくれた。だが、性的にはいたって淡白。お義母さんが亡くなったあとは、一生分のおしゃべりをしたというくらいに色々な話をしたが、セックスはいつしかレスに。結婚生活の後半はセックスなんてしなかったそうだ。 |
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ところが、突然の変化がやってくる。それはすでに還暦になってからのことだった。 |
60歳のときに10歳年下の彼氏ができたんですよ。 |
そこで黒崎さんは性的に開花したのである!! |
でもね、若い人達と違って、年寄りの恋愛は大変なの。財産があればあるほど、子供や子供の配偶者や孫などが口を出してくるし、お金がなきゃないで、2人の年金だけで生活をしなければならないし……。だって、女の年金を当てにするような男なんてねえ~。甲斐性なしじゃない? 好きだからってすぐ結婚っていうわけにはいかないの。その彼氏以外にも何人かつきあってみたけど、結婚にいたることはなかったわね。 |
しかも、その彼氏以外にも、同時に交際していたというから、驚きである。還暦をすぎて、自由を手に入れると男女交際に関する常識とかは変化してしまうんだろうか? 多分、変わるんだろうな。 |
ラブホテルに入ったときに、よく一緒にAVを見ていたんです。その時に、「あなたがこういう映像に出ているところを見てみたいなあ~」と彼が言ったんですね。「じゃあ、出てみようか?」なんて話しましてね。その後、AVのプロダクションのモデル募集の広告を見つけて、応募してみたんです。そうしたら、1~2カ月して仕事が来たんです。 |
なんというか、ものすごい度胸である。普通、AVっていったら、「若くてきれいな女性が出るもの」というイメージが一般的にはある。けれども黒崎さんが見つけた募集には、「年齢制限がない」「熟女もOK、太っていてもかまいません」みたいなことが書かれていたそうだ。だから、「自分でもいけるかな?」と応募してしまうのだから、いやはいや、はじけた老人とはなんとも怖いもの知らずである。 |
伊豆のプリンスホテルに泊まって撮影したのが最も楽しかったですね。同年代の男優さんと話もあうし、お酒を飲みながら食事をして……。 |
――旅行気分ですね。 |
ええ、本当にそんな感じです。部屋に露天風呂もついていたし、最高ね! それで、男優さんが寝てしまったところを『あら、してないわよ』などといって、揺り起こしてセックスしたんです。このシーンは、自分が新婚旅行でできなかったことを再現しているかのような気分になりましたね。これは今まで撮ったAVのなかでも最も楽しい思い出になりましたね。 |
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もはやAV出演が人生の思い出作りの場になっているのである。黒崎さんが所属しているプロダクションの社長も「黒崎さんは楽しんでやっているから、こっちも楽しいですよ」と言っていた。 |
あとね、びっくりしたのは銭湯のAV。撮影中にのぼせた男優さんが倒れてしまったんですよ。20代の男優さんだったんだけど、救急車も来て、撮影も3時間くらい中断したんです。 |
その撮影は、結局夜中の12時過ぎまで長引いてしまったそうだ。「70歳過ぎのおばあちゃんがピンピン夜中まで頑張っているのに、20代が倒れちゃうなんてねえ~」。まさに、同感である。 |
撮影していると頭がコーフンするのか、疲れを全く感じないのよ。 |
素敵すぎます、その姿勢。そしてもちろんAVに出演した後は、彼氏と一緒に出演作をラブホで見るのである。 |
月に1回くらいだけど、彼氏とホテルに行って、自分が出演しているAVを見させて彼氏に焼きもちを焼かせるのね。それで彼氏が「負けないぞ!」と夢中になってセックスするのが楽しいわね。 |
完全なノロケ。しかも、今流行の「寝取られ」を実戦しているなんて、なんとも性を謳歌している老カップルである。しかし、なんでこうもセックスに対して前のめりなのだろうか? やはり若い頃に経験がないから? オーガズムを知った年齢が遅いから? 黒崎さんによると、その心は、 |
スケベな人が長生きするのよ! 先がないんだから、私たち。あと何年生きられるか、あと何本撮れるのか分からないのよ。だからもっと撮影に呼んでほしいわね~! |
ということらしい。ちなみに、黒崎さんが出てみたいというAVは、自分1人に対し、男優さん4~5人が胸を揉んだり、お股を舐めたりするという乱交モノ。欲を言えば、伊豆などの温泉旅館などにいって、露天風呂に入って、広い畳の部屋などで男優さんに色々してもらうというのが最高なのだという。 |
ラブホで乱交のものを見ると楽しそうだなと思うんですよ。経験してみたいですね。 |
という話をしていたら、突如、思い出したというようにこんなことを言っていた。 |
それにしても今の若い女優さんはみんなきれいですね。痩せているのに胸も豊満だし。でも、皆おんなじ顔をしているみたい。目の形とか。不思議ですね~。 |
けっこう多くの女優さんが、整形しているんですよと言おうかと思ったが、止めておいた。AV業界や風俗のことを、あまりよく知らないまま、楽しんでいるくらいが、きっと幸せなのだろうと思うし。 |
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このインタビューから3年が経ち、77歳になった黒崎さんとは残念ながら会えなかった。今、どんな生活を送っているかは知らないが、きっと私が会ったときの黒崎さんは、長い老年期のなかでも、最も輝いているときだったに違いない。 |
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travel 案山子X 12:本城案山子まつり(大分)写真・文 ai7n |
こんにちは。ai7n(アイン)です。 |
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本城案山子まつりが開催される日田市は大分県の西部に位置し、福岡県と熊本県に隣接している地域です。 |
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クオリティの高過ぎる進撃の巨人案山子にとにかくビックリしたお祭りでしたが、他にもほのぼのとした表情の案山子が多く癒されました。 |
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すでに告知したように、『ROADSIDE BOOKS』発売記念トークが今週から来週にかけて続きます。 |
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究極の色物企画と思われながら、まさかの隔月定期開催となってしまった『爆音カラオケ』。第4回は来週月曜日の28日。ゲストはおなじみ湯浅学くん。 |
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26日の新宿ラバンデリアに続いて、30日の水曜には青山ブックセンター本店でトークがあります。 |
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先週土曜日(19日)から川崎市生田緑地の岡本太郎美術館では、『岡本太郎とアール・ブリュット――生の芸術の地平へ』と題された企画展を開催中です。 |
未開人も子供も狂人も、論理的に明らかに矛盾していること、例えば自分が自分であると同時に兎であるとか、雲だというような、あり得べからざることを平気で信じたり、夢で見た世界と現実の世界とを矛盾のままごちゃごちゃにして、ともに実在だと考えたりします。 |
と『アヴァンギャルド藝術』で彼が書いたのは、1950年のこと。ジャン・デュビュッフェが「アール・ブリュット」を唱えはじめたのと同時期です。今回の展覧会では国内外のさまざまな作家の作品が並びますが、カタログには僕も短い文章を書きました。よかったらご覧ください。 |
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アルファベットと日本語を巧みに組み合わせ、それにアラブ書道のような装飾性を加えた、独自の図形世界を描き続ける「文字アーティスト」、それがMOZYSKEY(モザイスキー)です。 |
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グラフィティを「落書き」ぐらいにしか思ってないひとは、このメルマガ読者にはいないでしょうが、ほとんどアメリカの真似としか思われてこなかった日本のグラフィティが、ここまで独自の進化を遂げているのに、驚くかたもいらっしゃるはず。なかなかまとまって観る機会のない表現なので、この機会にぜひご覧ください! |
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BLACK COOK / MOZYSKEY |
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MY NAME IS MOZYSKEY |
アフターアワーズ:編集後記 |
今週も最後までお付き合いありがとうございました。浜松、横浜、大分・・・今週も日本各地からお送りしました。そして74歳のAV女優! いかがだったでしょうか、その生き様。ご感想、ぜひFacebookページまでお寄せください。 |
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夏休みぐらい旅行したいけど、お盆しか休めないし、どこも混んでるだろうし、ホテルは高いだろうし・・・と、けっきょく家でゴロゴロしてるうちに、休みが終わってしまうひともいるでしょう。ま、そのあいだにメルマガ読んでいただければいいんですが。でも、お盆休みのような繁忙期ですら、まるで観光客の来ない、寂しい町も日本各地にたくさんあり! そういう「隙ある町」を探して、低予算徘徊旅行してみるのも楽しいはず。ひと味ちがう旅行体験ができたら、ぜひこちらまで写真と文章お寄せせください。メルマガ内で紹介させていただきます。 |
スタッフより |
「ROADSIDE JAPAN―珍日本紀行 東日本編」にも掲載されている茨城県の「牛久大仏」に行ってきました。「台座を合わせると高さ120m!」と言われてもピンとこないのですが、奈良の大仏が約15m、自由の女神が40mと聞けばその巨大さがわかります。ちなみに茨城県で一番高いビルをウィキペディアで調べたところ茨城県庁舎の116mでした。牛久大仏のほうが建造物としても大きいじゃないですかっ!! |
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牛久市観光協会:牛久大仏ページ |
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天野裕氏 写真集『わたしたちがいたところ』
(PDFフォーマット)
ロードサイダーズではおなじみの写真家・天野裕氏による初の電子書籍。というか印刷版を含めて初めて一般に販売される作品集です。
本書は、定価10万円(税込み11万円)というかなり高価な一冊です。そして『わたしたちがいたところ』は完成された書籍ではなく、開かれた電子書籍です。購入していただいたあと、いまも旅を続けながら写真を撮り続ける天野裕氏のもとに新作が貯まった時点で、それを「2024年度の追加作品集」のようなかたちで、ご指定のメールアドレスまで送らせていただきます。
旅するごとに、だれかと出会いシャッターを押すごとに、読者のみなさんと一緒に拡がりつづける時間と空間の痕跡、残香、傷痕……そんなふうに『わたしたちがいたところ』とお付き合いいただけたらと願っています。
ROADSIDE LIBRARY vol.006
BED SIDE MUSIC――めくるめくお色気レコジャケ宇宙(PDFフォーマット)
稀代のレコード・コレクターでもある山口‘Gucci’佳宏氏が長年収集してきた、「お色気たっぷりのレコードジャケットに収められた和製インストルメンタル・ミュージック」という、キワモノ中のキワモノ・コレクション。
1960年代から70年代初期にかけて各レコード会社から無数にリリースされ、いつのまにか跡形もなく消えてしまった、「夜のムードを高める」ためのインスト・レコードという音楽ジャンルがあった。アルバム、シングル盤あわせて855枚! その表ジャケットはもちろん、裏ジャケ、表裏見開き(けっこうダブルジャケット仕様が多かった)、さらには歌詞・解説カードにオマケポスターまで、とにかくあるものすべてを撮影。画像数2660カットという、印刷本ではぜったいに不可能なコンプリート・アーカイブです!
ROADSIDE LIBRARY vol.005
渋谷残酷劇場(PDFフォーマット)
プロのアーティストではなく、シロウトの手になる、だからこそ純粋な思いがこめられた血みどろの彫刻群。
これまでのロードサイド・ライブラリーと同じくPDF形式で全289ページ(833MB)。展覧会ではコラージュした壁画として展示した、もとの写真280点以上を高解像度で収録。もちろんコピープロテクトなし! そして同じく会場で常時上映中の日本、台湾、タイの動画3本も完全収録しています。DVD-R版については、最近ではもはや家にDVDスロットつきのパソコンがない!というかたもいらっしゃると思うので、パッケージ内には全内容をダウンロードできるQRコードも入れてます。
ROADSIDE LIBRARY vol.004
TOKYO STYLE(PDFフォーマット)
書籍版では掲載できなかった別カットもほとんどすべて収録してあるので、これは我が家のフィルム収納箱そのものと言ってもいい
電子書籍版『TOKYO STYLE』の最大の特徴は「拡大」にある。キーボードで、あるいは指先でズームアップしてもらえれば、机の上のカセットテープの曲目リストや、本棚に詰め込まれた本の題名もかなりの確度で読み取ることができる。他人の生活を覗き見する楽しみが『TOKYO STYLE』の本質だとすれば、電書版の「拡大」とはその密やかな楽しみを倍加させる「覗き込み」の快感なのだ――どんなに高価で精巧な印刷でも、本のかたちではけっして得ることのできない。
ROADSIDE LIBRARY vol.003
おんなのアルバム キャバレー・ベラミの踊り子たち(PDFフォーマット)
伝説のグランドキャバレー・ベラミ・・・そのステージを飾った踊り子、芸人たちの写真コレクション・アルバムがついに完成!
かつて日本一の石炭積み出し港だった北九州市若松で、華やかな夜を演出したグランドキャバレー・ベラミ。元従業員寮から発掘された営業用写真、およそ1400枚をすべて高解像度スキャンして掲載しました。データサイズ・約2ギガバイト! メガ・ボリュームのダウンロード版/USB版デジタル写真集です。
ベラミ30年間の歴史をたどる調査資料も完全掲載。さらに写真と共に発掘された当時の8ミリ映像が、動画ファイルとしてご覧いただけます。昭和のキャバレー世界をビジュアルで体感できる、これ以上の画像資料はどこにもないはず! マンボ、ジャズ、ボサノバ、サイケデリック・ロック・・・お好きな音楽をBGMに流しながら、たっぷりお楽しみください。
ROADSIDE LIBRARY vol.002
LOVE HOTEL(PDFフォーマット)
――ラブホの夢は夜ひらく
新風営法などでいま絶滅の危機に瀕しつつある、遊びごころあふれるラブホテルのインテリアを探し歩き、関東・関西エリア全28軒で撮影した73室! これは「エロの昭和スタイル」だ。もはや存在しないホテル、部屋も数多く収められた貴重なデザイン遺産資料。『秘宝館』と同じく、書籍版よりも大幅にカット数を増やし、オリジナルのフィルム版をデジタル・リマスターした高解像度データで、ディテールの拡大もお楽しみください。
円形ベッド、鏡張りの壁や天井、虹色のシャギー・カーペット・・・日本人の血と吐息を桃色に染めあげる、禁断のインテリアデザイン・エレメントのほとんどすべてが、ここにある!
ROADSIDE LIBRARY vol.001
秘宝館(PDFフォーマット)
――秘宝よ永遠に
1993年から2015年まで、20年間以上にわたって取材してきた秘宝館。北海道から九州嬉野まで11館の写真を網羅し、書籍版では未収録のカットを大幅に加えた全777ページ、オールカラーの巨大画像資料集。
すべてのカットが拡大に耐えられるよう、777ページページで全1.8ギガのメガ・サイズ電書! 通常の電子書籍よりもはるかに高解像度のデータで、気になるディテールもクローズアップ可能です。
1990年代の撮影はフィルムだったため、今回は掲載するすべてのカットをスキャンし直した「オリジナルからのデジタル・リマスター」。これより詳しい秘宝館の本は存在しません!
捨てられないTシャツ
70枚のTシャツと、70とおりの物語。
あなたにも〈捨てられないTシャツ〉ありませんか? あるある! と思い浮かんだあなたも、あるかなあと思ったあなたにも読んでほしい。読めば誰もが心に思い当たる「なんだか捨てられないTシャツ」を70枚集めました。そのTシャツと写真に持ち主のエピソードを添えた、今一番おシャレでイケてる(?)“Tシャツ・カタログ"であるとともに、Tシャツという現代の〈戦闘服〉をめぐる“ファッション・ノンフィクション"でもある最強の1冊。 70名それぞれのTシャツにまつわるエピソードは、時に爆笑あり、涙あり、ものすんごーい共感あり……読み出したら止まらない面白さです。
圏外編集者
編集に「術」なんてない。
珍スポット、独居老人、地方発ヒップホップ、路傍の現代詩、カラオケスナック……。ほかのメディアとはまったく違う視点から、「なんだかわからないけど、気になってしょうがないもの」を追い続ける都築響一が、なぜ、どうやって取材し、本を作ってきたのか。人の忠告なんて聞かず、自分の好奇心だけで道なき道を歩んできた編集者の言葉。
多数決で負ける子たちが、「オトナ」になれないオトナたちが、周回遅れのトップランナーたちが、僕に本をつくらせる。
編集を入り口に、「新しいことをしたい」すべてのひとの心を撃つ一冊。
ROADSIDE BOOKS
書評2006-2014
こころがかゆいときに読んでください
「書評2006-2014」というサブタイトルのとおり、これは僕にとって『だれも買わない本は、だれかが買わなきゃならないんだ』(2008年)に続く、2冊めの書評集。ほぼ80冊分の書評というか、リポートが収められていて、巻末にはこれまで出してきた自分の本の(編集を担当した作品集などは除く)、ごく短い解題もつけてみた。
このなかの1冊でも2冊でも、みなさんの「こころの奥のかゆみ」をスッとさせてくれたら本望である。
独居老人スタイル
あえて独居老人でいること。それは老いていくこの国で生きのびるための、きわめて有効なスタイルかもしれない。16人の魅力的な独居老人たちを取材・紹介する。
たとえば20代の読者にとって、50年後の人生は想像しにくいかもしれないけれど、あるのかないのかわからない「老後」のために、いまやりたいことを我慢するほどバカらしいことはない――「年取った若者たち」から、そういうスピリットのカケラだけでも受け取ってもらえたら、なによりうれしい。
ヒップホップの詩人たち
いちばん刺激的な音楽は路上に落ちている――。
咆哮する現代詩人の肖像。その音楽はストリートに生まれ、東京のメディアを遠く離れた場所から、先鋭的で豊かな世界を作り続けている。さあ出かけよう、日常を抜け出して、魂の叫びに耳を澄ませて――。パイオニアからアンダーグラウンド、気鋭の若手まで、ロングインタビュー&多数のリリックを収録。孤高の言葉を刻むラッパー15人のすべて。
東京右半分
2012年、東京右傾化宣言!
この都市の、クリエイティブなパワー・バランスは、いま確実に東=右半分に移動しつつある。右曲がりの東京見聞録!
576ページ、図版点数1300点、取材箇所108ヶ所!