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多田麻美

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新連載! ユーラシア後ろ歩き (写真・文:多田麻美)

中国で17年、ロシアに6年。その間、文化関係を専門とする物書きとして、無数の旅をし、さまざまな人々と出会い、それを文章に記してきた。まだ北京に住んでいたある日、ロシアの画家で思想家でもあったニコライ・レーリヒの存在を知った。それから時は流れ、先日たまたま彼の生涯を追ってみると、彼がおよそ100年前に探検したロシア、モンゴル、ウイグル、チベットなどの土地が、自分のかつて旅行でたどったルートとかなり重なることに気づいた。それは偶然のはずだったが、まったくの偶然とも思われなかった。そんな不思議な発見に導かれて始まったのが、この『ユーラシア後ろ歩き』である。

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ユーラシア後ろ歩き 2  ウランバートルでの悪夢 (写真・文:多田麻美)

普段の私は好奇心の塊で、トランジットであれ、不時着であれ、その他の理由でたまたま転がりこんだ場所であれ、暇さえあれば、あれこれ見に行かずにはいられない。だが今回ばかりは、無理だった。せっかくのウランバートル滞在にもかかわらず、私はひどい風邪をひいてしまい、ほとんど外に出られなかったからだ。3日の滞在期間、外に出たのはただの1回。 これまで、私の旅行中の健康運はわりと良い方で、昔、インドでお腹をひどく壊した時だって、外に出られなかったのは丸一日程度だった。私は事前に体調を整えておけなかった不覚を悔いた。

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ユーラシア後ろ歩き 3  ウランバートルの悪夢と極楽 (写真・文:多田麻美)

これは夢なんじゃないか? そうならば抜けだせるはず……そう思いながらもがいているうちに、目が覚めた。背中が湿っているのを感じた。冷や汗か寝汗をかいたのだろう。 草原を走り抜ける馬たちを映していたテレビ画面は、いつしかパオの中で民族衣装を着たおばさんがインタビューを受けているシーンへと変わっていた。昔と違い、最近はマイクを向けられても緊張したり口ごもったりする人は少ない。それはモンゴルでも同じらしく、そのおばさんもまるでテレビ慣れしているかのように、よどみなく自然な口ぶりで言葉を発していた。本業は物売りだろうか。言葉が分からないのが本当に残念だった。 理解できない言葉の羅列は、人を眠りに誘う。頭がひどく重たい、何だか頭の中に粘土がぎっしり詰めこまれたみたいだ。

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ユーラシア後ろ歩き 4  バラエティ豊かな出会い (写真・文:多田麻美)

その日の夕方、私は滞在したホテルのフロントで頼んでおいた車で、空港に向かった。来るときに迎えを頼んだ運転手に会えるのを期待していたが、現れたのは、例のロシア語の解るホテルのマネージャーだった。さすがに、予約をすっぽかした運転手に頼むのは気まずかったのかもしれない。 フライトは夜だったが、万全を期すために、私は早めにホテルを出た。都心の渋滞から逃れた車は、深まっていく夕闇の中を静かに走っていった。空が暗くなると明るさが際立つのは商店の看板だ。とくにコンビニの照明が明るくて目に留まる。

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ユーラシア後ろ歩き 5  ハードでスリリングな国境越え (写真・文:多田麻美)

「け、K―ETAは取得できた? 」 息を切らせながら、航空会社の青年は言った。 「できました。ただ、さっきのフライトのキャンセルがうまくできなくて。次のフライトのチケットは見つかったんですが……」 「ああー、よ、良かった! キャ、キャンセルしなくていい! 新しいチケット、買っちゃた? まだ? ああ良かった! それも買わなくていい! 飛行機が故障しているんです。修理が必要なので、まだ何時間かは飛べない。だから今から乗る手続きをしても間に合います!」 まさに奇跡だった。 私の手際がもっと良くて、すぐさまキャンセルなどができていたら、この奇跡はむしろ残念な出来事に変わってしまっただろう。いわば私は、自分の不器用さに救われたのだった。

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ユーラシア後ろ歩き 6  幻想のハルビンからカシュガルへ (写真・文:多田麻美)

レーリヒについてあれこれ考えを巡らせた後、私の意識はふたたびハルビン行きの夜行列車に舞い戻った。思えば、北京からハルビンに向かう列車では、他にもじつにいろんな人たちと出会った。 その昔、中国の長距離列車は、とても賑やかだった。車内放送で流行歌が頻繁に流れていたし、「周囲へのサービス」とばかりに、勝手に持参のラジオのスイッチを入れて音楽を流す人もいた。人々のおしゃべりや持参した食べ物の分け合いも盛んだったので、私は勧めを断りきれず、いろいろな食べ物を賞味することになった。

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ユーラシア後ろ歩き 7  人生が語られたカシュガルの夜 (文:多田麻美 / 写真提供:張全)

嫌いではない。むしろ自慢したくなるほど理想的な相手なのだが、結婚して家庭を築くとなると、ちょっとばかり気が重い。 そんな王さんの心境は、結婚以上にやりたいことが山ほどあった当時の私には、別世界の出来事に思えた。だが、自由なようで自由でなく、すべて完璧なはずなのに何か物足りないというのは、きっと独特のつらさなのだろうと、自分なりに想像してみた。 生粋の西北人王さんと、東北出身の西北人との、腹を割った会話は続いた。 きっと店主も王さんも、誰かと心行くまで話したい気分だったのだろう。人にはなぜか、見知らぬ人にあれこれと打ち明け話をしたくなる時がある。

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ユーラシア後ろ歩き 8  タクラマカン砂漠の満天の星 (文:多田麻美 写真提供:張全)

やがて私は、カシュガルを出て、東へと向かった。今思えばそれは、トルファン経由でウルムチに行くという、かつてレーリヒ一行がたどったのと同じルートだった。 東に行くにつれ、漢族の人口の割合がふたたび増え始め、トルファンに戻る頃には7割ほどになり、街にも漢族の営む商店やレストランが目立つようになった。 帰りのバスで、私は青年4人組と出会った。彼らは新疆の油田で働いている若者たちだった。みな山東省出身で大学を出たばかりだと言う。彼らは計画経済のもと、国家が卒業生に自動的に職をあてがう「統包統配」の制度を適用された最後の世代だった。石油関連の学問を修めていた彼らは、ごく自然な成り行きとして、新疆の油田の仕事をあてがわれたのだ。 山東省から新疆ウイグル自治区……私はまた目の眩む思いがした。ハルビンから新疆ほどではないとしても、東の果てから西の果てまでの、4,000キロはある移動だ。中国は就職のための移動もスケールが大きい。

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ユーラシア後ろ歩き 9  読経に守られた難所越え (文・写真:多田麻美)

神聖なるチベットの大地は、はるか遠くにあってこそ、人に強い憧れを抱かせるのだろう。そうは思っても、自由な個人旅行が好きな者にとって、現在のチベットはあまりにも遠すぎる場所となってしまった。聞いた話では、限られた移動手段で入境し、数の限られたツアーに参加して、高い外国人向け料金を支払いながら旅行する以外に選択肢がないと言う。安全なことは安全かもしれないが、あまりにもパターン化されていてまるでファーストフードの何とかセットみたいだ。自由な旅が好きな者にとっては不粋この上ない。 だが幸い、私が訪れた2004年頃のチベットはもうちょっと緩かった。もちろんそれも、私自身が少し鈍く、向こう見ずだったからだが。

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ユーラシア後ろ歩き 10  チベット高原での修羅場 (文・写真:多田麻美)

私や他の旅行客たちが期待とともに思い描いていたチベットのイメージ、つまり人間がまだ汚していない、清らかで崇高な最後の秘境というイメージは、排せつ問題という、きわめて卑近で切迫した問題によって、押し流され、かき消えそうになっていた。それは夜行バスという古びた殻の中で、混濁の度を増し、人の心の闇のどす黒さのみならず、ある種のきな臭さまで帯び始めていた。 正式なチケットを買っていない、定員オーバーの乗客をたくさん載せていたバスは、検問所が近づくと、いったん停まり、定員オーバーの客を降ろした。

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ユーラシア後ろ歩き 11  ヨーグルト祭りとインドの中のチベット (文・写真:多田麻美)

ラサでの滞在は、夢心地だった。 まず、頭痛や息苦しさや眩暈といった、高山病の症状を抑えるため、深呼吸をしながら、夢遊病者のようにゆっくり歩かざるを得なかった。 夏のチベット高原の異様に明るい陽射しと、雨傘として手にしていた傘が数分後には日傘として役立ってしまうような気まぐれな天気も、初めて訪れる者には「非日常」そのものだった。 朝、寝不足のまま目を醒ました私は、まだ頭痛はしたものの、無理のない範囲で外に散歩に行くことにした。早くラサの街を見てみたいという気持ちと、前の日はリンゴ一つしか食べていなかったことによる空腹が原動力だった。

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ユーラシア後ろ歩き 12  いざ、チョモランマへ (文・写真:多田麻美)

花で彩られていたのは、花壇だけではなかった。 ノルブリンカ宮殿では、色とりどりの花を植えた植木鉢があちこちに並べられていて、その鮮やかで華やかな色合いは、建物や公園全体に色のアクセントを添えつつ、お祭りの楽し気な雰囲気をも彩っていた。 私は宮殿などの建物もくまなく見て回った。それらは息をのむほど素晴らしかった。ダライラマ14世の宮殿、クテン・ポタンでは、随所に精緻な文様と洗練された家具があり、軒の装飾なども、変化とバラエティに富んでいて、見応えがあった。

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ユーラシア後ろ歩き 13  大地の母神のふもとで (文・写真:多田麻美)

実入りの悪い客を、上前を撥ねた上で、他の業者の団体客の中に押し込む。 もちろん輸送効率は良くなるのだろうが、高いチャーター料金を取られながら団体客の中に押し込まれた側からすると、理不尽だ。乗車料金がいくらかでも払い戻されるのなら、我慢できるしむしろ大歓迎だが、すでに成立してしまった値段交渉をやり直すのは、中国ではとても難しい。 すべてはチョモランマのためだ、とぐっと耐えた。

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ユーラシア後ろ歩き 14  深く謎めいたラサの夜 (文・写真:多田麻美)

今はどうなのか分からない。だが、私が訪れた21世紀初頭のチベットは、まだまだ理性だけでは受け入れがたい、不可知な闇の世界への入り口があちこちにあるように見えた。 印象に残っている風景がある。今となっては幻のようだが、確かに目にした風景だ。 それはある町の、警察署のすぐ近くでのことだった。用事を終えた私は、食事でもしようと、裏通りの地味な喫茶店に入った。席を探しながら気づいたのは、店の空間が普通でないことだった。通り沿いの部屋は飲食用だが、奥にベッド付きの部屋があり、着飾った女性が座っていたのだ。 私ははっとした。ここって売春宿じゃないだろうか? 客が来たらきっと、奥の部屋に入れて、扉を閉めるのだ。

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ユーラシア後ろ歩き 15  天の湖、ナムツォへ (文・写真:多田麻美)

ナムツォに行こう、と決めたものの、私は肝心の行き方をおじさんに聞くのを忘れていた。外国人に人気の観光地であれ、地元の人の間で有名な巡礼地であれ、きちんとアップデートされた正確な情報がないと、なかなかたどり着けないどころか、かなり無駄足を踏みかねないということを、私は身に染みて知っていた。どこかにきちんと辿り着きたければ一番確実なのは、そこに最近行ったことある人に話を聞くこと。数人に聞いて比較できれば、さらに安心だ。 次の日、私は散歩をした後、私は恐る恐る例の店を覗いてみた。情報を得たいという気持ちやおじさんの恋愛への応援より、怖いもの見たさの気持ちの方が若干、勝っていた。

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ユーラシア後ろ歩き 16  祈りの湖、ナムツォからバイカル湖へ (文・写真:多田麻美)

五体投地をする人々の姿、一心にラサへと進む無我の境地に触発され、ひとしきり祈りの形について思いを馳せているうちに、バスはダムシュンに着いた。ラサで出会ったおじさんが「当雄」と呼んでいた場所だ。 そこからナムツォまで車をチャーターすると、かなり高くつくので、私は翌日に定期バスが走ることを願いつつ、ダムシュンで宿をとった。 今はどうか分からないが、私が訪れた時のダムシュンの町は、舗装道路の両脇に一列に店が並んでいるだけで、とくに印象に残る建物などもなかった。ダムシュンを特徴づけているのは、町そのものより、周囲を囲む雄大な山々だった。それらは夏でも所々で雪をかぶっていた。 集落自体は日本の田舎と同じで、店の品ぞろえは少ないが物価は高く、ホテルの宿泊料もどこも高めだった。その一つに部屋をとると、テレビのチャンネルが2つしかないところまで、昔の日本の田舎を思い出させた。一つだけ大きく違ったのは、携帯の電波ばかりはきちんと届いたことだ。

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ユーラシア後ろ歩き 17  火と水の世界 (文・写真:多田麻美)

バイカル湖の湖岸を手が届きそうなほど低く羽ばたく鳥たち。その何かを語りかけるかのような飛び方は、火を使った儀式に引き寄せられたようにも、バイカル湖の底知れぬ深さがもつ引力から逃れられずにいるようにも見えた。 だが、もちろんいずれも錯覚に違いなかった。やがて雪がちらつき始めると、私は彼らが低く飛んでいたのは低気圧のせいだろう、と思い直した。 それにしても、まだ8月なのに雪とは。空中を氷の粒が舞う様子は、火の儀式の後だけに、余計ドラマチックに感じられた。

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ユーラシア後ろ歩き 18  湖上の森林 (文・写真:多田麻美)

ふと気づくと、私は夏の明るい日差しの中で、ボートに揺られていた。キパリソボエ・オゼロ、直訳すれば「糸杉の湖」にと呼ばれるその地名通り、ボートの周りには、香りの良い糸杉がたくさん生えている。その間を木にも人の頭にもぶつからぬよう、注意深く漕ぎ進めているのはカーチャだ。ダム湖であるその湖では30分500ルーブルでボートが漕げるようになっているのだが、ボートを操るのは少し難しかった。水の下には木の根がある可能性があったし、同じところで水泳や浮き輪遊びをしたり、カヌーを漕いだりしている人がいたからだ。景色としては面白いが、危なっかしくて仕方ない。水遊びといえば、私は潜水が好きだったが、ここでは絶対にやめた方がいいだろう。潜っている間に、背後からボートが来てはたまらない。

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ユーラシア後ろ歩き 19  橋を渡ってクリミアへ (文・写真:多田麻美)

慎重に自分の人生の目標や方向を定めたつもりでも、知らぬ間に環境が変わったり、思わぬ出来事に巻き込まれたりして、あれ、こんなはずじゃなかったという結果になることはままある。ましてやカーチャのように感情に操られたり、私のように無防備に思いつくまま生きたりしては、かなり危ない。そういう人は往々にしてそれなりの痛い目に遭うのだが、すべてが悪い方に転がるかというと、そうでもないのが人生の皮肉であり、妙味だ。 例えば私があの頃、ただカーチャに会うためだけに、深い考えもなくアナパに行ったのは、今思えばいい決断だった。なぜなら数年後に始まったロシアのウクライナ侵攻の影響で、平和な行楽地だったアナパはかなり危険になり、よほどの覚悟がないと行けない場所になってしまったからだ。

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ユーラシア後ろ歩き 20  ペテルブルグ行きの列車で (文・写真:多田麻美)

私が乗った列車は、北へと向かっていた。かつての帝都、サンクトペテルブルグへ。 さすが、今でもモスクワに続きロシア第二の地位を占めている都市へと向かう列車は設備が良かった。まず車両自体が新品そのもので、各座席に電源があった。トイレに便座シートと石けんがあったのも、他の車両では目にしなかったことだった。 だが、車両で繰り広げられる会話は、やはりいかにもロシアらしかった。隣席に座っていた女性は、私が日本人だと知ると、自分はウラジオストック出身だと語った。

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ユーラシア後ろ歩き 21  ペテルブルグの屋根の上で (文・写真:多田麻美)

予感通り、その日の夜はなかなか眠れなかった。年齢も自分とそう変わらない、この家の家主のやせ細った後姿が頭から離れなかった。彼の人生を想像し、自分の人生と重ね合わせた。今こそ、呑気に旅なんかしているが、もし重い病気になったら、あるいは仕事が続けられなくなったら、私はどうなってしまうのだろう。そもそも、ちゃんと暮らして行けるのだろうか? 幸い、貧乏暮らしには慣れているから、日々の出費を最小限に抑えて、ひっそりと暮らすことはできるだろう。だが体力が衰え、家を出るのさえままならなくなったら……さらに大病なんかしたら、再起できるだろうか? 私は無性に心細くなった。目に涙が込み上げた。

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ユーラシア後ろ歩き 22  ペテルブルグのアングラ・ワールド (文・写真:多田麻美)

翌日、ナターシャはパーティで同郷の友達を通じて知り合ったという作家のアトリエに連れて行ってくれた。そのアトリエは、街の大通りからあまり離れていない古いレンガのビルの一階部分にあった。一歩部屋に入ると、すぐに目に入ったのは、つい見入ってしまうほどカラフルな床だ。模様はいろいろで、虹をかき混ぜたようなものも、木の年輪をゆがませたようなものもある。床の一部を切り取ったものを手に取ると、ほんのり焼けた肌が白っぽい金髪のベリーショートに似合う作家は、顔に無邪気な笑顔を湛えながら、こう説明した。 「これは特殊な樹脂を溶かしたものに顔料を流し込んで模様を作ってから、固めたものよ」

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ユーラシア後ろ歩き 23  人は地下鉄で暮らせるか (文・写真:多田麻美)

私は、早く宿に戻りたかったので、バスから地下鉄へと乗り換えた。バスや路面電車と違い、地下鉄だと最寄りの駅から宿まで少し歩くことになったが、夜に路線を乗り間違えた時の恐さを思うと、行き先が解りやすい地下鉄の方が気楽だった。 ロシアではモスクワの地下鉄の駅がその宮殿のような豪華さによって有名だ。だが、ペテルブルグの地下鉄の駅にも、なかなかの意匠が凝らされている。

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ユーラシア後ろ歩き 24  ヘルシンキで寝そべる (文・写真:多田麻美)

ミニバスで国境越え。 それは、長距離列車や飛行機などの大型の乗り物ばかりに乗って大陸を横断してきた私には、少し拍子抜けさせられる出来事だった。フィンランドは、ヨーロッパ・ロシアを除いては、私が初めて訪れるヨーロッパだった。その記念すべき第一歩を踏み出すのが、20人乗りの夜行ミニバスとは。 だが、考えてみれば、驚くには値しないのだった。大陸では自家用車で国境越えをするのだって日常茶飯事なのだから。

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BOOKS

ROADSIDE LIBRARY
天野裕氏 写真集『わたしたちがいたところ』
(PDFフォーマット)

ロードサイダーズではおなじみの写真家・天野裕氏による初の電子書籍。というか印刷版を含めて初めて一般に販売される作品集です。

本書は、定価10万円(税込み11万円)というかなり高価な一冊です。そして『わたしたちがいたところ』は完成された書籍ではなく、開かれた電子書籍です。購入していただいたあと、いまも旅を続けながら写真を撮り続ける天野裕氏のもとに新作が貯まった時点で、それを「2024年度の追加作品集」のようなかたちで、ご指定のメールアドレスまで送らせていただきます。

旅するごとに、だれかと出会いシャッターを押すごとに、読者のみなさんと一緒に拡がりつづける時間と空間の痕跡、残香、傷痕……そんなふうに『わたしたちがいたところ』とお付き合いいただけたらと願っています。

特設販売サイトへ


ROADSIDE LIBRARY vol.006
BED SIDE MUSIC――めくるめくお色気レコジャケ宇宙(PDFフォーマット)

稀代のレコード・コレクターでもある山口‘Gucci’佳宏氏が長年収集してきた、「お色気たっぷりのレコードジャケットに収められた和製インストルメンタル・ミュージック」という、キワモノ中のキワモノ・コレクション。

1960年代から70年代初期にかけて各レコード会社から無数にリリースされ、いつのまにか跡形もなく消えてしまった、「夜のムードを高める」ためのインスト・レコードという音楽ジャンルがあった。アルバム、シングル盤あわせて855枚! その表ジャケットはもちろん、裏ジャケ、表裏見開き(けっこうダブルジャケット仕様が多かった)、さらには歌詞・解説カードにオマケポスターまで、とにかくあるものすべてを撮影。画像数2660カットという、印刷本ではぜったいに不可能なコンプリート・アーカイブです!

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ROADSIDE LIBRARY vol.005
渋谷残酷劇場(PDFフォーマット)

プロのアーティストではなく、シロウトの手になる、だからこそ純粋な思いがこめられた血みどろの彫刻群。

これまでのロードサイド・ライブラリーと同じくPDF形式で全289ページ(833MB)。展覧会ではコラージュした壁画として展示した、もとの写真280点以上を高解像度で収録。もちろんコピープロテクトなし! そして同じく会場で常時上映中の日本、台湾、タイの動画3本も完全収録しています。DVD-R版については、最近ではもはや家にDVDスロットつきのパソコンがない!というかたもいらっしゃると思うので、パッケージ内には全内容をダウンロードできるQRコードも入れてます。

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ROADSIDE LIBRARY vol.004
TOKYO STYLE(PDFフォーマット)

書籍版では掲載できなかった別カットもほとんどすべて収録してあるので、これは我が家のフィルム収納箱そのものと言ってもいい

電子書籍版『TOKYO STYLE』の最大の特徴は「拡大」にある。キーボードで、あるいは指先でズームアップしてもらえれば、机の上のカセットテープの曲目リストや、本棚に詰め込まれた本の題名もかなりの確度で読み取ることができる。他人の生活を覗き見する楽しみが『TOKYO STYLE』の本質だとすれば、電書版の「拡大」とはその密やかな楽しみを倍加させる「覗き込み」の快感なのだ――どんなに高価で精巧な印刷でも、本のかたちではけっして得ることのできない。

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ROADSIDE LIBRARY vol.003
おんなのアルバム キャバレー・ベラミの踊り子たち(PDFフォーマット)

伝説のグランドキャバレー・ベラミ・・・そのステージを飾った踊り子、芸人たちの写真コレクション・アルバムがついに完成!

かつて日本一の石炭積み出し港だった北九州市若松で、華やかな夜を演出したグランドキャバレー・ベラミ。元従業員寮から発掘された営業用写真、およそ1400枚をすべて高解像度スキャンして掲載しました。データサイズ・約2ギガバイト! メガ・ボリュームのダウンロード版/USB版デジタル写真集です。
ベラミ30年間の歴史をたどる調査資料も完全掲載。さらに写真と共に発掘された当時の8ミリ映像が、動画ファイルとしてご覧いただけます。昭和のキャバレー世界をビジュアルで体感できる、これ以上の画像資料はどこにもないはず! マンボ、ジャズ、ボサノバ、サイケデリック・ロック・・・お好きな音楽をBGMに流しながら、たっぷりお楽しみください。

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ROADSIDE LIBRARY vol.002
LOVE HOTEL(PDFフォーマット)

――ラブホの夢は夜ひらく

新風営法などでいま絶滅の危機に瀕しつつある、遊びごころあふれるラブホテルのインテリアを探し歩き、関東・関西エリア全28軒で撮影した73室! これは「エロの昭和スタイル」だ。もはや存在しないホテル、部屋も数多く収められた貴重なデザイン遺産資料。『秘宝館』と同じく、書籍版よりも大幅にカット数を増やし、オリジナルのフィルム版をデジタル・リマスターした高解像度データで、ディテールの拡大もお楽しみください。
円形ベッド、鏡張りの壁や天井、虹色のシャギー・カーペット・・・日本人の血と吐息を桃色に染めあげる、禁断のインテリアデザイン・エレメントのほとんどすべてが、ここにある!

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ROADSIDE LIBRARY vol.001
秘宝館(PDFフォーマット)

――秘宝よ永遠に

1993年から2015年まで、20年間以上にわたって取材してきた秘宝館。北海道から九州嬉野まで11館の写真を網羅し、書籍版では未収録のカットを大幅に加えた全777ページ、オールカラーの巨大画像資料集。
すべてのカットが拡大に耐えられるよう、777ページページで全1.8ギガのメガ・サイズ電書! 通常の電子書籍よりもはるかに高解像度のデータで、気になるディテールもクローズアップ可能です。
1990年代の撮影はフィルムだったため、今回は掲載するすべてのカットをスキャンし直した「オリジナルからのデジタル・リマスター」。これより詳しい秘宝館の本は存在しません!

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捨てられないTシャツ

70枚のTシャツと、70とおりの物語。
あなたにも〈捨てられないTシャツ〉ありませんか? あるある! と思い浮かんだあなたも、あるかなあと思ったあなたにも読んでほしい。読めば誰もが心に思い当たる「なんだか捨てられないTシャツ」を70枚集めました。そのTシャツと写真に持ち主のエピソードを添えた、今一番おシャレでイケてる(?)“Tシャツ・カタログ"であるとともに、Tシャツという現代の〈戦闘服〉をめぐる“ファッション・ノンフィクション"でもある最強の1冊。 70名それぞれのTシャツにまつわるエピソードは、時に爆笑あり、涙あり、ものすんごーい共感あり……読み出したら止まらない面白さです。

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圏外編集者

編集に「術」なんてない。
珍スポット、独居老人、地方発ヒップホップ、路傍の現代詩、カラオケスナック……。ほかのメディアとはまったく違う視点から、「なんだかわからないけど、気になってしょうがないもの」を追い続ける都築響一が、なぜ、どうやって取材し、本を作ってきたのか。人の忠告なんて聞かず、自分の好奇心だけで道なき道を歩んできた編集者の言葉。
多数決で負ける子たちが、「オトナ」になれないオトナたちが、周回遅れのトップランナーたちが、僕に本をつくらせる。
編集を入り口に、「新しいことをしたい」すべてのひとの心を撃つ一冊。

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ROADSIDE BOOKS
書評2006-2014

こころがかゆいときに読んでください
「書評2006-2014」というサブタイトルのとおり、これは僕にとって『だれも買わない本は、だれかが買わなきゃならないんだ』(2008年)に続く、2冊めの書評集。ほぼ80冊分の書評というか、リポートが収められていて、巻末にはこれまで出してきた自分の本の(編集を担当した作品集などは除く)、ごく短い解題もつけてみた。
このなかの1冊でも2冊でも、みなさんの「こころの奥のかゆみ」をスッとさせてくれたら本望である。

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独居老人スタイル

あえて独居老人でいること。それは老いていくこの国で生きのびるための、きわめて有効なスタイルかもしれない。16人の魅力的な独居老人たちを取材・紹介する。
たとえば20代の読者にとって、50年後の人生は想像しにくいかもしれないけれど、あるのかないのかわからない「老後」のために、いまやりたいことを我慢するほどバカらしいことはない――「年取った若者たち」から、そういうスピリットのカケラだけでも受け取ってもらえたら、なによりうれしい。

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ヒップホップの詩人たち

いちばん刺激的な音楽は路上に落ちている――。
咆哮する現代詩人の肖像。その音楽はストリートに生まれ、東京のメディアを遠く離れた場所から、先鋭的で豊かな世界を作り続けている。さあ出かけよう、日常を抜け出して、魂の叫びに耳を澄ませて――。パイオニアからアンダーグラウンド、気鋭の若手まで、ロングインタビュー&多数のリリックを収録。孤高の言葉を刻むラッパー15人のすべて。

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東京右半分

2012年、東京右傾化宣言!
この都市の、クリエイティブなパワー・バランスは、いま確実に東=右半分に移動しつつある。右曲がりの東京見聞録!
576ページ、図版点数1300点、取材箇所108ヶ所!

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東京スナック飲みある記
ママさんボトル入ります!

東京がひとつの宇宙だとすれば、スナック街はひとつの銀河系だ。
酒がこぼれ、歌が流れ、今夜もたくさんの人生がはじけるだろう、場末のミルキーウェイ。 東京23区に、23のスナック街を見つけて飲み歩く旅。 チドリ足でお付き合いください!

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