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Wasabi~裏長屋の変身アトリエ

上野と浅草のちょうど中間にある台東区松が谷。日本一の調理道具街・合羽橋があることで知られる松が谷は、その便利なロケーションにもかかわらず、地下鉄の最寄り駅(銀座線稲荷町/田原町)から徒歩十数分という

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池袋のラバー女神たち

5月6日=「ゴムの日」にちなんだ、フェティッシュ・イベント「デパートメントH ラバーマニア大集合」編リポートを、5月9日配信号でお届けしたが、そのステージで大フィーチャーされたのが池袋に拠点を置くラバー・ファッション工房『KURAGE』。この2月にはNHKの「東京★カワイイTV」でも特集されたので、番組で見た!という方も多いのでは。そのKURAGEが新店舗開設を記念して、いま東新宿軍艦ビル内のワンルーム・ギャラリー『どっきん実験室』にて、初の展覧会を開催中だ(7月28日まで)。

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隙ある風景 ロードサイダーズ・リミックス 04 食べる人、読む人(ケイタタ)

バンコクのような暑さと臭さの大阪もいよいよ涼しくなってきました。われわれ、熱帯ではなく温帯に住んでいたのですね。基本、ぶっかけうどんかアイスしか食べていなかったぼくも、食欲がわいてきました。「食欲の秋・読書の秋」ですね。ということで今回は「食欲の隙・読書の隙」。「食べる人」と「読む人」をテーマにお送りします。それでは「読書の隙」から。

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下品な装いが最高の復讐である――会津若松のオールドスクール・ヒップホップ・コレクション

いまやFUKUSHIMAは世界共通語になってしまったが、福島県自体は太平洋側の「浜通り」、郡山や福島市がある「中通り」、そして西側の「会津」の3地域にわかれ、それぞれずいぶん異なる風土と歴史を持っている。今年は大河ドラマ『八重の桜』で久々に注目を浴びた、会津地方の中心地・会津若松市。「白虎隊」とか「鶴ケ城」とか「東山温泉」とか、観光要素には事欠かないものの、東北新幹線のルートから外れていることもあって、土地っ子が「若松」と呼び習わす会津若松市の中心部は、驚くほど寂しい雰囲気が漂っている。「大河ドラマが終わったら、どうなっちゃうんだろう」と思いつつシャッター商店街を歩いて行くと、しかしじきに君はもういちど驚くことになる。商店街の裏手はどこも、やたらに飲食店が多い。それもスナックからキャバクラ、風俗店まで、おびただしい数の「夜の店」が密集しているのだ。

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隙ある風景 ROADSIDERS' remix 09 寝てる人 冬(ケイタタ)

さてさてあけましておめでとうございます。2014年一発目の今回は、正月休み明けでぼーっとしている読者のみなさんの心のコンディションにあわせて、ぼんやりとした写真をご用意。『寝てる人 冬』どうぞよろしくお願いします。

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21世紀の傾奇者

2014年1月12日の朝、北九州市の中心である小倉の、北九州メディアドーム前は異様な熱気に包まれていた。パンチパーマと並んで(!)小倉が発祥地である競輪用のレーストラックを備えたこの多目的ドームで、きょうは2014年度の成人式が開催されるのだ。毎年、成人の日が近づくと「どこの成人式は荒れる」とか「暴走族が騒いだ」とか、お決まりの話題がマスコミを賑わすが、小倉の成人式はその絢爛豪華にして独創的な衣裳で、ここ数年かなりの注目を集めるようになってきた。式典開始の午前10時前から、ドーム前の広場は人、人、人、色、色、色で埋め尽くされる。カラフルという言葉ではとうてい追いつかない、彩度マックスの色見本がぶちまけられた、巨大なパレット状態だ。

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新宿が生きていたころ――昭和40年代新宿写真展

新宿という地名に、地元以外のひとはなにをイメージするだろう。歌舞伎町や新宿3丁目の喧騒とも、西新宿の高層ビル街ともちがう、静かな住宅街が広がる三栄町。靖国通りを挟んで防衛省と向き合うこの一角に、新宿歴史博物館がある。本館のほかに林芙美子記念館、佐伯祐三アトリエ記念館、中村彝(つね)アトリエ記念館などを併せ持つ区立の文化施設なのだが、どれくらいの方がご存知だろうか。その新宿歴史博物館でいま開催中なのが『新宿・昭和40年代 ―熱き時代の新宿風景―』と題された写真展。いまやすっかり毒気を抜かれてしまった感のある新宿が、たぶん日本でいちばんエネルギッシュだった街だったころを振り返る、興味深い展覧会だ。

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ワルというダンディズム

『ヤンキー人類学』に出展する新潟県南魚沼郡の『BIRTH JAPAN』は、「極ジャー(極道ジャージ)」、「悪羅悪羅(オラオラ)」などと通称される不良ファッションの人気ショップである。2011年のあいだの半年と少し、ふつうのファッション誌があまりに画一化しておもしろくないと思っていた僕は、『SENSE』という高級メンズファッション誌で『ROADSIDE FASHION』という変わったファッション連載をしていた。ファッション誌にはよく出てきて、街場ではほとんど見かけない高級商品ではなくて、ファッション誌にはまったく出ないけれど、街場ではよく見る、ほんとうに日本の男たちが着ている服を見せたくて、その連載を始めたのだったが、残念ながら高級ファッション誌に広告を出すクライアントたちのお気に召さず、1年持たずに終了してしまった。ハイブランドは、いつだってストリートからアイデアを盗んできたくせに。

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祭りの街に生まれて

このメルマガで以前、山谷の男たちの肖像写真を発表してくれた(2012年6月13日号)「浅草&山谷のオフィシャル・カメラマン」多田裕美子さんが、今年は久しぶりに自分も半纏を着て祭りの写真を撮りに行ったというので、さっそく見せてもらった。毎年、あらゆるニュースに三社祭の映像は溢れかえるが、そのほとんどすべては、たくさんの神輿とたくさんの人間を撮っただけの、単なるスナップに過ぎない。でもさすがにこの地で生まれ育った彼女の眼とレンズは、外から来た報道カメラマン、アマチュア写真家とはまるで異なる、ずっと深くて親密で、ときに近寄りがたい場所を、表情をまっすぐ見ていて、背筋をシャンとさせられる思いだった。今週のロードサイダーズ・ウィークリーでは、2014年度の三社祭りを撮影した多田裕美子さんの写真を、彼女自身による文章とともにお送りする。

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新連載 ハダカのこころ、ハダカの眼

去年の夏、「アサクサ・コレクション」という一風変わった手作りの展覧会に参加した時のこと。『東京右半分』のプリントを壁に貼っていたら、となりのブースでモノクロのプリントを床にたくさん並べて、その真ん中にしゃがんでいたのが牧瀬茜さんだった。牧瀬茜(まきせ・あかね)は「1998年に船橋の若松劇場で初舞台を踏み、以降、日本各地に点在するストリップ劇場を10日ずつめぐりながら、行く先々のステージで踊り、そして裸で表現するという日々を送ってきました」(ブログより)というように、ストリップ・ファンなら知らぬもののないベテランであり、2012年に劇場から離れるまで、不動の人気を誇った舞姫でもあった。

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百年の時装――世界のファッション展@神戸ファッション美術館

久しぶりに会った神戸の友人に、「きのうファッション美術館に行って・・」と話したら、「へ?」と怪訝そうなので、「ほら、六甲アイランドの」と言うと、「あ~、埋立地んとこにあるやつでしょ、遠いよ~」。遠くねえよ! 三宮から20分かそこらだよ。でも、神戸のおしゃれピープルたちは行かない。ナニワのファッショニスタ(笑)たちも、カフェめぐりで忙しくて行かない。CNNで「世界の十大ファッション・ミュージアム」に選ばれたほどなのに。間違いなく、日本最強のファッション・ミュージアムなのに。そういう不遇な神戸ファッション美術館でいま、『世界のファッション―100年前の写真と衣装は語る―』という、タイトルは地味だが要注目の展覧会が開催中だ(10月7日まで)。

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ベイビーたちのマッド・ティーパーティ

『下妻物語』でフィーチャーされたロリータ・ファッション・ブランドが「ベイビー・ザ・スターズ・シャイン・ブライト」。いまは亡き『流行通信』の連載『着倒れ方丈記』で取材させてもらったのも2004年だったので、あれからやっぱり10年。そのあいだにベイビーは全国各地に20数店舗を展開、パリ店、サンフランシスコ店に続いて、今年はニューヨークにも店舗をオープンさせている。世間的に話題に上ることは少なくなっても、世界的なレベルでは「ゴスロリ・ネバー・ダイ!」なのだ。そのベイビーが10月19日、新装なった東京ステーションホテルで「お茶会」を開催した。参加費用1万7000円(ただしフルコースの食事にたくさんのお土産つき)、120名の席が予約開始10分間で完売。このお茶会に出席するために、外国から来日したファンもいたという。

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華やかな女豹たちの国

いまからちょうど10年前の2005年に僕は週刊朝日で『バブルの肖像』という連載をしていて、それはいまからちょうど25年前(四半世紀!)のバブル期をうれし恥ずかしく振りかえるシリーズだった(2006年に単行本化)。いまもたまに飲み話に出たりするけれど、あのとき日本に、いったいなにが起こったんだろう。株価が2万円に乗るかどうかぐらいで大騒ぎしている2015年のいまから考えると、それは「不可思議」としか言いようのない時代だった――

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雨のなかの涙――山口小夜子展をめぐって

すでに4月11日から始まっていて、今月28日には終わってしまう東京都現代美術館の『山口小夜子  未来を着る人』展。とっくに訪れたかたも多いだろう。なぜこのメールマガジンで取り上げないのか、不審に思っていたかたもいらっしゃるかもしれない。1949年生まれの山口小夜子は1972年にパリ・コレクションに初参加、翌73年には資生堂の専属モデルになった。ちょうどそのころ資生堂のCMやポスターや『『花椿』』誌で存在を知り、70年代末から編集者として外国取材に頻繁に出かけるようになってからは、トレンディな日本人の代表として行く先々でそのイメージに出会ってきた小夜子さんは、僕にとって10代後半から30代までのさまざまな体験と強烈にリンクする存在だった。おまけに2000年代に入ってからは、仕事こそご一緒できなかったものの、数回お会いして、そのいつまでたっても神秘的なルックスと裏腹な、すごくオープンマインドで積極的に若いアーティストたちと関わっていく姿に感銘を受けもした。

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新連載! 捨てられないTシャツ 01 パチもんのアイラブニューヨーク

むかしむかし、スーツやドレスが、Tシャツにジーンズよりエラい時代があった。いま、ひとはTシャツを使い分けることを覚えた。無地は部屋着、お気に入りの柄Tを勝負着に、というふうに。そして捨てられないレコードや本のように、捨てられないTシャツがだれにもある。穴が開いて、ところどころ黄ばんで、丸首はよれよれで、奥にしまいこまれて・・・なのに「燃えるゴミ」には出せない、そういうTシャツが。それは燃やしてしまうことのできない、「T」のかたちをした思い出だから。

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捨てられないTシャツ 02

東京都出身。いつも図鑑を持ち歩くオタク的少年時代を過ごしたのち、早稲田大学法学部を卒業。司法試験合格を目指すが、いろいろな事情で諦め家業をつぐ。家業は祖父の代から受け継ぐ自社ビルの管理。お気楽な仕事と思われがちだが、壁が剥がれたといえばペンキを塗り、雪が降れば雪かき、エアコンが壊れれば電気屋を呼ぶという便利屋(自称、代表戸締り役)として、せこせこ(?)働く日々。

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捨てられないTシャツ 03

THE CARS/30歳女性(小説家)/東京都出身。標本と図鑑と天文が好きな少女時代を過ごし、高校2年生で大江健三郎とスーザン・ソンタグに出会い、文章を読むことに興味を持つ。大学では鶴屋南北の怪異について研究、その後小説家に。いまは3匹の猫を愛でながら、長編小説に取り組んでいる。

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捨てられないTシャツ 04

プーケットのダイビングショップTシャツ/年齢秘密女性(義足モデル兼ブラジリアンワックス店経営)/目立ちたがりやだけど、恥ずかしがりやな少女時代。昔を知ってる友達はたぶん、静かな子って言うと思う。14歳のときに骨肉腫を患い、右足を大腿部から切断。そこから義足生活が始まった。5年ほど前にアングラ専門のキャスティング会社と出会い、義足モデルとして活動開始。モデル活動が1年を過ぎたころ、もうすこし自分の売りを作ろうとブラジリアンワックスの資格を取り、2カ月後に開業。現在も二足のわらじで楽しく暮らしている。

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捨てられないTシャツ 05

ボアダムス/40歳男性(フリーライター、編集者)/奈良県出身、高校で男子校に進学するが、運動部が強い進学校のノリについていけず、寺山修司と出会ったことによりアングラの世界にハマる。女子と一言も話さない3年間に不安を覚え、あえて1浪。予備校近くにあるレコード屋に通うようになるうち、大阪アンダーグラウンド・シーンにどっぷりと。大学卒業後、東京のレコード会社に就職するも、東京に馴染めず1年で退職。その後、インディーズのレコード会社、編プロを経てフリーに。いまは猫2匹と都内に暮らし、カレーの食べ歩きが唯一の楽しみ。

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捨てられないTシャツ 06

シャネルN°5/36歳女性(フリーライター)/佐賀市出身。海外ペンパルとの文通に勤しむ中高時代を経て、東京外国語大学に進学、ロンドンに留学。しかし間もなく家賃が払えなくなり、半年先の帰国までをバックパッカーで過ごす。卒業後はかねてより憧れていたコレクション取材記者となり、29歳で妊娠が発覚するまで世界を飛び回る。現在はフリーランスのライターとして、主にファッション&ビューティ分野でだらだら執筆中。

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捨てられないTシャツ 07

マクドナルド/33歳女性(エッセイスト・タレント)/東大阪で生まれ、7歳で兵庫へ。もともとマンガは好きだったが、小学校6年生のときに出会った『幽遊白書』をきっかけにドハマり、漫画家を夢見るようになる。その後、14歳で宮城へ引っ越し。中高は女子校でさえない感じ。サブカル好きだったが、オタクと思われるのが嫌で、自分が「萌え」の感情を持つマンガはこっそり読んでいた。同時に高2からギャルに憧れ、ラブボートやアルバローザを着るように。

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捨てられないTシャツ 08

アバークロンビー/38歳男性(アパレル会社勤務)/岩手県出身、小学校低学年のころリカちゃん人形を裸にして遊んでいたら、それを見た家族からヤバいと思われ、家族会議の結果すべて取り上げられる。しょうがないので、それ以降は自分で少女漫画を描き出す。岩手出身ということもあり、憧れは池野恋。高学年で自分に才能がないことを自覚し、漫画の参考に買っていたファッション雑誌から洋服に興味を持つ。当時のブームはアイビー系とストリート系、藤原ヒロシの影響が大きい。

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捨てられないTシャツ 09

デュランデュラン/33歳女性(ゲーム会社勤務)/アニメのセーラームーンをきっかけにオタクの世界に足を突っ込み、その後、幽☆遊☆白書でどっぷり。小学校後半からは隣駅のアニメイトに毎日自転車で通う。アニメイト各店には交流の場としてノートが置いてあり、そこで同じようなアニメが好きな、学校とは別の友達が増えた。中学に入ると今度は雑誌『QUICK JAPAN』を読み出し、音楽が好きに。最初はオザケン、コーネリアス、電気グルーヴ。そこからテレビの歌番組を見るようになり、ビジュアル系にハマる。

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捨てられないTシャツ 10

トニーそば/46歳男性(アパレル会社勤務)/ちょうどバブルの終焉と共に大阪芸大を卒業、就職活動をいっさいしていなかったため、そのまま無職に。その後、大阪の有名なソウルバーで働き始める。そこから服飾販売、運動靴の企画販売を経て、現在はジーンズアパレル会社で企画を担当。

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捨てられないTシャツ 11

カーミット・クライン/32歳男性(オルタナティブ建築家)/東京生まれ、10歳で親元を離れ、箱根で寮生活を行う。3年後に新宿へ舞い戻り、映像と音をコラージュしたノイズ作品の制作を始めた。当初は女性用スクール水着を着用し、肛門にホースを刺し脱糞する等の過激なパフォーマンスに明け暮れていたが、23歳のころにバンドを結成。以後、奇行に走っていた全エネルギーをバンドに注ぐようになる。

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捨てられないTシャツ 12

レイ・ミステリオ/36歳男性(音楽プロデューサー/ベーシスト/漫画家)/田んぼに囲まれたのどかな田舎に生まれる。小学生のころから足が早く、中学校では陸上部に入る。種目は3,000メートル。部活以外することがなかったので練習に打ち込むが、そこまで真面目でもないし、途中で膝も悪くなったため、陸上では目が出ないと徐々に諦めの気持ちに。中学生のときは尾崎豊など聴いていたが、高校生になるとブランキー・ジェット・シティやミッシェル・ガン・エレファント、洋楽ではNIRVANA、GREEN DAY、OFFSPRINGなどロック系を聴くようになった。友達とバンドを組むが、ギターはやりたいひとが多くやらせてもらえなかったので、ベースを始める。

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捨てられないTシャツ 13

白川郷/26歳男性(ベーシスト)/江戸川区生まれ。ゲームよりも外で遊ぶのが好きで、缶蹴りや鬼ごっこのようなスポーツ以外の遊びに熱中する子供だった。小学校高学年になると、「モーニング娘。」と「19」にハマり、楽器を演奏するように。最初はブルースハープのようなハーモニカ、その後おじいちゃんの家においてあったアコギを手に取るように。地元の中学校に進学し、軟式テニス部に入部。ハタチくらいのお兄さんたちが駅前で弾き語りをしているのを見て、19の影響もあり、僕らもやってみようと友人と二人で弾き語りを始める。オリジナル曲もあったが、その地元のお兄さんや学校の先生がくれた曲なども演奏していた。

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東京駅のアリスたち(写真:山田薫)

1988年に誕生し、1997~98年ごろからロリータ・ファッションに専念するようになった「ベイビー・ザ・スターズ・シャイン・ブライト」は、いまや全国各地に20数店舗を展開、パリ店、サンフランシスコ店、ニューヨーク店と、海外にも影響力を広げている。毎回のお茶会にも海外からファンが参加するようになったし、パリから上海まで、海外のファンによる現地お茶会も増えている。日本のハイファッション・メディアが取り上げることはないけれど、「ロリータ」「ゴシック・ロリータ」はすでに日本発の世界的なトレンドとして、しっかり根付きつつあるのだ。コアなファンが「本部お茶会」と呼ぶ、ベイビーのお茶会の第6回目が、9月21日に前回と同じく東京ステーションホテルで開催された。今回のテーマは『BABY仕掛けの♡Fairy tale♡ ~pop-up Labyrinth~へようこそ』。ポップアップとは「飛び出す絵本」のことで、それは一冊の絵本を開くことから始まる物語という設定の、お茶と食事とファッションショー、そして幸運にも参加できた120名のファン同士の交流を深められる濃密な時間だった。

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捨てられないTシャツ 14

乱一世/44歳女性(喫茶店経営)/浅草でホットケーキが美味しい店として知られる小さな喫茶店「珈琲 天国」をひとりで切り盛りする店主。もともと文化服装学院からアクセサリーの会社に入ったが、ほどなく神保町のマニアックなCD&DVD屋に転職。20代でカフェ・ブームを体験し、「いつかは自分でも」と思いながら10年が過ぎたころ、ついに開業を決意。「ホットケーキが似合う街」を探して人形町か浅草に的を絞るものの、人形町では物件に巡り合わず、浅草を歩くうちに現在の店の前を通りかかり、「貸店舗」の札を見て即決。今年6月で10周年を迎えた。Tシャツは往年の人気深夜テレビ番組『トゥナイト2』で人気絶頂、しかし「トイレはCMの間に」発言でどん底に叩き落された乱一世のTシャツ。20代中頃、渋谷のTシャツ・ショップで購入したもの。

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捨てられないTシャツ 15

九州芸工大準硬式野球部/52歳女性(不動産管理)/福岡県出身。博多のど真ん中で生まれ育ち、九州芸術工科大学(現在の九州大学芸術工学部)に進む。女性ながらメカ好きで、専攻は工業設計。卒業後は自動車メーカーに7年間勤務、そのあと京都のギャラリーに7年間勤め、現在は実家の保有する不動産管理を担当している。「どんな楽な仕事かと思って(博多に)帰ってきたら、もう大変で・・・水漏れとか鍵の紛失とか、細かすぎる対応にせこせこ働きまくる毎日です」。

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捨てられないTシャツ 16

GAP/67歳女性(著述業)/熊本県生まれ。子どものころから映画が大好き。「悲しみよこんにちは」のジーン・セバーグや、オードリー・ヘップバーンのボーイッシュなスタイルなど、映画に出てくるファッションにすごく憧れたものの、地元にはそんな洋服を売っているお店がないので、母親に頼んで作ってもらったりしていた。高校を卒業したら早く家から出たいと思っていたが、まったく勉強していなかったので大学は諦め、試験のなかったセツ・モードセミナーに入学。

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捨てられないTシャツ 17

スヌーピー/40歳女性(翻訳、tassel boyの制作・広報など全ての業務)/生まれたのは新宿だが、八王子に近いほうの相模原に中学のときに引っ越す。自分のおおらかな性格はそこで培ったと思う。中学校は都内のはずれで、学校帰りに遊んでいたのは渋谷や町田。ほとんど校則がない自由な校風で、大学まで同じ学校に通うことに。学生時代は「自分で責任を取るかぎりは好きなことをしていい」と言われていた。お母さんが自由なひとだったので、その影響が大きい。大学生になると車に乗り始めて、親からは「あなたは4年間で東京の裏道をかなり覚えたね」と言われるほどに。

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捨てられないTシャツ 18

座頭市/51歳女性(主婦)/大阪出身。中高時代は部活(バスケット)に明け暮れていたが、短大卒業後、某コピー機器会社に入社し、上京する。その時期からブラックミュージックにハマって、夜の部活に明け暮れるように。東京の生活に疲れ、大阪に戻ってきてからも、酒好きが嵩じて西道頓堀にあったソウルバー『マービン』の常連客になり(近所には系列店の焼肉ハウス『セックスマシーン』もありました)、そこで知り合ったのが今の旦那。

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「和服」の誕生――日本衣装絵巻展を見る

「着物」と言い、「和服」と言う。でも店は「呉服屋」。外国圏では「KIMONO」で通るだろうが、欧米で着ているものは「アパレル」だったり「ウェア」だったりして、「ウェスタン・アパレル」なんて言いはしない。着物という存在のありようは、そのまま重層的な日本文化のありようなのかもしれない。現存するいちばん古い着物って、なんだろう。正倉院に残っている布はいまから1200年以上前のものだけれど、それはあくまでも「裂(きれ)」、断片であって、身につけるまるごとの着物というのは、だいたい江戸、いちばん古くて桃山ぐらいではないだろうか。それは掛け軸や屏風や刀剣や焼き物とちがい、着物を美術品として見ることが一般的ではなかったことなのかもしれないし、素材がそんなに長期間、完全な状態で保存できなかったからかもしれない。

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捨てられないTシャツ 19

ジョーイ・ラモーン/42歳女性(バー経営)/神奈川県生まれ、中2で夜遊びを覚える。高校時代はバンドブームど真ん中だったため、迷わずバンギャの道へ。そしてそのまま売り子になる。わらしべ長者のように様々な繋がりが生まれ、演劇映画現代美術の裏方に。DJだったりもした。その後、とあるお偉いさんの理不尽さに啖呵を切り、裏方仕事を干される。サブカル系本屋店員・雑貨屋店員・こども電話相談室の中の人を経て、新宿御苑近くの小さなバーの2代目ママとなって、現在4年目。

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捨てられないTシャツ 20

テーブルクロス/36歳女性(通販会社勤務)/生まれも育ちも、現在もずっと神戸に住んでいる。子供の頃は習い事ばかり。母親に言われるがまま、小中時代はピアノ、フルート、声楽、水泳、書道、塾をいくつも掛け持ち。夕飯はいつもひとりで外食。小学校では卓球部と小大連(あらゆるスポーツを片っ端からやるクラブ)にも所属。それだけやっていたのに中学受験に失敗、不本意ながら公立の学校に進む。中学時代も忙しく、バトミントン部、生徒会と、引き続き習い事。よくよく考えたらぜんぜん友達と遊ぶヒマのない、多忙な子供時代だった。

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捨てられないTシャツ 特別編 捨てられないハイレグ/44歳男性(不動産賃貸業)

1980年代後半から90年代前半に青春、というか青臭い時期を送った人間(つまり現在の中年)にとって、「ハイレグ」とはバブル時代を象徴する単語のひとつだろう。レースクイーンのハイレグ、飯島直子のハイレグ、岡本夏生のハイレグ・・・。どんな体型の女性でも、それなりに足を長く、ウエストをスリムに見せる、それはほとんど「魔法のデザイン」だったが、ハイレグが世の中から消滅して、もうずいぶん時がたつ。バブル経済がダウンしたあとも過激度をアップしていったハイレグ水着が、セクシーさのピークを迎えたのは1999年と一説に言われているが、その反動でレースクイーンの衣装規制が実施されたあたりを境に、ハイレグは急速に水着売り場から姿を消していく。

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捨てられないTシャツ 21

退職祝い/27歳女性(写真家)/オカダキサラさんのお宅で雑談していたときのこと、「私も捨てられないTシャツ持ってます!」ということで提供いただいた秘蔵Tを、今週はご紹介。学校に通いながら、葛西臨海公園の水族園の中にあるレストランでバイトしていた時期があった。退職したのが3月で、ちょうど同じタイミングで卒業や就職が決まって辞めるひとがけっこう多く、バイト仲間で合同退職祝いの打ち上げ宴会を企画してもらった。

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捨てられないTシャツ 22

手描きのエログロ/34歳女性(案山子家、漫画家)/広島県出身。子どもの頃からグロテスクなものに興味があり、小学生のころは父親にレンタルビデオ屋に連れて行ってもらい、たくさん並べられたホラー映画のビデオパッケージを見るのが楽しみだった。ねだってもなかなかホラービデオを借りてくれなかった親が、やっと1本借りるのを許可してくれ、自分で選んだホラー映画『ヘルレイザー』を見たが、あまりの怖さにショックを受けトラウマに。以降ホラーやグロテスクが苦手になり、そういったものとはあまり縁の無い生活を送っていた。

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捨てられないTシャツ 23

2匹の猫/34歳女性(通販会社勤務、現在産休中)/神戸市出身。幼少期を思い出すと、生肉が異常に好きな子供だった。お菓子屋さんで売ってないから、スーパーでこっそり鳥のモモ肉を買ってきて、親に見つからないよう、布団の中で醤油をかけて食べたこともある。部活は小学校からずっと水泳。スイミングクラブでは選手コースに選ばれ、毎夜練習で土日は試合。種目はバタフライ、兵庫県で一番になったほどだが、小学校卒業のときに、いちど水泳も卒業。

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捨てられないTシャツ 24

剣道/30歳女性(ショップ販売員)/福岡のショップで販売員をしているが、生まれは岩手県久慈市、「あまちゃん」のロケ地として有名になった普代村堀内。父が自衛隊だった関係で、11歳の夏まで青森県三沢市で育つ。米軍基地があったので、アメリカ人の子供と遊んだり、基地でハロウィンとか、外国文化が意外に身近だった。

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捨てられないTシャツ 25

デヴィッド・リンチ/40歳男性(テレビ局勤務)/生まれは東京築地だが、父親の仕事の関係で都内を転々。3歳のときにアメリカ・ニュージャージーに引っ越す。最初から地元の学校に通い、土曜だけ日本語を忘れないために日本人学校で補足授業を受けていた。超引っ込み思案な性格のため、家でひとりレゴ遊びばかり。子供のころから音楽が好きだったので、唯一仲が良かったユダヤ人の男の子と、6歳のころからブルース・スプリングスティーンのテープを一緒に聴いていた。

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捨てられないTシャツ 26

WWFのパンダ/68歳男性(イラストレーター)/・・・というか、今回はせっかくなので空山基さんに「捨てられないTシャツ」を提供していただくことにした。1947(昭和22)年、愛媛県今治市生まれ。父は大工、母は裁縫という家庭で、自分でおもちゃを作ってしまうような、手を動かすのが好きな子どもだった。漁師になるか土建屋になるかヤクザになるかしかないような町で、学校をサボって映画館に通ったり、「静かな不良生活」を送る。

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捨てられないTシャツ 27

豚/34歳男性(設計事務所社長)/3人兄弟の末っ子として神戸市に生まれる。やりたいと言ったことはとりあえずやらせてくれる家風で、小学生のころからやたら習い事をしていた。英会話、ピアノ、声楽、公文、習字、サッカー、学習塾・・・、放課後はほとんど予定が入っていたから、宿題の日記には「毎日忙しい」と書いていた。ピアノだけいちばん長く中2まで続いたが、他は中1のとき、阪神大震災をきっかけにほとんど辞める(震災の思い出は、みんなが喜ぶと思って、小学校に来ていた自衛隊の避難所用のお風呂に、家から入浴剤を持って行って勝手に入れたら、こっぴどく怒られたこと)。

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捨てられないTシャツ 28

モスクワ地下鉄マップ/41歳男性(映像作家)/幼少期から現在に至るまで、特に目立たない、明るすぎず暗すぎず、いたって平凡な男子。欲がないとよく言われる。自分では自己顕示欲が強いほうだと思っているが、まわりに個性の強い面々が多いため、彼らに比べたら弱いらしい。中学校時代に通っていた塾で、ひとりの先生(当時ICUの男子大学生、画家、詩人、のちに主夫、やくざ、現在は肉体労働)と仲よくなり、音楽、芸術、その他もろもろ文化や思想をプライベートで教示してもらう。

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ツギハギの光と影

本メルマガではもうおなじみの神戸ファッション美術館で、1月末から『BOROの美学――野良着と現代ファッション』と題された展覧会が開催中だ(4月10日まで)。「BORO」で関西、となれば『大阪で生まれた女』・・・ではもちろんなくて、「襤褸(ぼろ)」=文字どおりボロボロになった端切れなどを繋ぎ重ねて衣服や実用の布類に仕立てた、貧しい人間たちの生活の知恵であり、サバイバル・デザインである。

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捨てられないTシャツ 29

ヘインズV/43歳男性(ウェブ制作会社経営)/石川県出身。戦中生まれの父親はもともと金沢の大学病院に勤務していたが、安保闘争で学生側に立ったため、目をつけられ居づらくなり、地方の病院を転々とすることに。ゆえに生まれは舞鶴、その次は富山と、毎年のように引っ越しを繰り返す。ようやく破門が解かれ石川県に戻れたが、金沢ではなく七尾市の、できたばかりの小さな病院に勤務することになった。七尾に引っ越したのは3歳のとき。真面目なキリスト教徒の園長がやっている、小さな幼稚園に通ったあと、地元の公立小学校に進学。本が好きで、性格も理屈っぽかったらしい。

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捨てられないTシャツ 30

ウィングス/50歳男性(レコード会社勤務)/福島県小名浜出身、父親がゼネコン系の建設会社の社員だったため、原発関係の港湾工事で小名浜・福島・東海村と引っ越しを繰り返す。いちばん長く過ごしたのは福島県。小学校高学年から高校を出るまで、いわき市の近郊だったが、震災の10キロ圏内にあり、いまはもう入れない。小学校のころからカルチャー体質というか。母親が同じ転勤族のお母さんたちと買い物に行くと、子供たちは映画館にぶち込まれていた。都合よく子供向けの映画がやっているわけではないので、『小さな恋のメロディ』から『ベンジー』まで、時間がちょうど合うものはなんでも。

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捨てられないTシャツ 31

ミッキーマウス/36歳男性(出版社勤務)/神奈川県横浜市に生まれる。父親は公務員、母親は専業主婦の一般的な家庭に弟とともに育ち、つい最近まで一緒に住んでいた。当時はまだまだ野球の人気が高く、大洋ホエールズのお膝下だったこともあり、近所の子たちと少年野球チームに入り夢中でボールを追いかける日々。中学校に入りそのまま野球にまっしぐらと思いきや、当時始まったJリーグもあってか、坊主頭で野球をやっていることへ疑問を感じ始める。人並みに多感な思春期に、父親のレコード棚にあったビートルズやサイモン&ガーファンクルなどの親世代のベタなチョイスにコロっとやられてしまい、「バンド」という何やら恰好良さげな活動に惹かれるようになり、気づけばバットはギターに代わっていた。

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捨てられないTシャツ 32

ドルチェ&ガッバーナ/50歳男性(建築家)/1965年生まれ、東京都出身。父親は競馬評論家で、各地の競馬場を渡り歩いていたから、あまり家にいることがなく、周囲からは母子家庭と思われていたことも。いつも白いスーツに短いパンチパーマ、グラデのサングラスというスタイルだったし、喧嘩っぱやいしで、子供ごころにもかなり違和感があった。小学校に上がるころから、すでに建築をやろうと思っていた。その当時から小遣いを貯めて『モダンリビング』とか『住宅設計実例集』を買ったり、誕生日には椅子が欲しいとか言ったり。銀座松屋のグッドデザインコーナーにも、せがんでよく連れて行ってもらった。設計、デザインの本がほんとうに好きで、中学に上がるころには建築家になると完全に決めていた。いま思うと、おままごとが好きだった影響もあるかも(笑)。

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捨てられないTシャツ 33

ドーバーストリートマーケット/54歳男性(マーチャンダイザー)/宮城県仙台市出身。もともと伊達家に仕えていた家系ということで、酒屋・菓子・染め物など親戚には商売人が多い。祖父は日本画家、父親だけ堅実的でサラリーマンになっていた。小学校のころは、一回も習ったことはないけれど、ダンサーになりたいと思っていた。気がついたらずっとソファーの上で踊ってるような子どもで、ダンスの定位置だった鏡の前の床が抜け落ちて、すごく怒られたたこともある。いまでも会社の余興やスナックでのカラオケなど、なんだかんだで踊る機会が多い。

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捨てられないTシャツ 34

ルーパス/47歳女性(校正者)/1968年、東京都下生まれ。小3の夏、埼玉県の新興住宅地に転居する。体育・運動全般が大の苦手なのと、日曜は都内の書道教室に通いたいので運動部でなく文化系の部に入りたいと思ったが、小学校、中学校とも新設校で、選択肢は合唱部と美術部だけ。合唱部は仮入部で「こりゃムリだ」と感じ、美術部に入部する。その時中学3年生だった部長(創設から2代目)の「斉藤先輩」に知らないうちに片想いしはじめ、これが自分の“初恋”だったと思う。中学のほぼ3年間、さらに高校1年の年度前半ぐらいまで、この片想いが続いた。

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捨てられないTシャツ 35

ライナス/カート・コバーン 53歳(アパレル会社執行役員)/神奈川県出身。横浜というものの、山のほうのガラが悪い田舎で生まれ育つ。子供のころから、根は暗いものの社交性はあり。当時は野球ブームの最盛期、みんな草野球チームを作って野球ばかりしてた。巨人・大鵬・卵焼きをひきずる世代で、水島新司の野球漫画が好きな阪神世代でもある。『ベースボール・マガジン』も購読し、どちらかというと昔から雑学に詳しくなるタイプだった。小学校高学年になるとカルチャーに触れだす。映画館で映画を観るのが一大アミューズメントとなった。『タワーリングインフェルノ』、『ポセイドン・アドベンチャー』、『大脱走』、『荒野の七人』・・・映画雑誌『スクリーン』や『ロードショー』で映画をチェック。

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捨てられないTシャツ 36

ベルリン/60歳(コーディネーター/コンサルタント)/埼玉県出身、もう人生の半分以上を過ごしているニューヨークに在住。エンジニアのまじめな父親と、元幼稚園の先生のまじめな母親の長女として生まれる。父親の父、おじいちゃんはプロテスタントの牧師、父母の両方の親戚もみなクリスチャンという家柄だった。アルバムを見ると、黒いタートルネックに黒いタイツで、とっても楽しそうに踊っている3歳くらいの自分がいる。どなたかのおうちでレコードにあわせながら、スピーカーの前でくるくると、それはうれしそうに踊っている私。子どものころから踊るのが大好きだった。

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捨てられないTシャツ 37

ばあちゃん/33歳女性(デザイナー)/福島県生まれ、小学2年生までを福島で過ごし、埼玉県に夜逃げに近いかたちで引っ越し、中学1年生で再び福島に戻る。学校というものにまともに行ったのは小学校まで。中学は不登校、高校は寝ていた記憶しかない。校門まで行くが、180度回転して友達の家へ。あとは友達のうちで寝ているか、酒を飲んでいるか、たばこを吸っていた。髪の色はピンク、緑、白、青、いろいろ試した。髪が緑色で、机に寝伏せってばかりいるので、先生に「芝生」と呼ばれていた。

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捨てられないTシャツ 38

シャム猫/33歳男性 小説家/母親の実家がある東京の離島で生まれ、その後埼玉へ転居して西武線沿線で育った。子どもの頃は野球少年。チームにも入っていたが、土日が練習でつぶれるのと体育会系のノリがいやで五年生の時にやめる。中学でも体育会系を避けて理科部に入部。理科室で遊んだりしゃべったりして、飽きたら帰る。運動部を脱落した連中と不良の吹きだまりのような部で、実験など一回もしなかった。

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捨てられないTシャツ 39

デストロイヤー/49歳男性(アートディレクター)/母親の実家のある岡山県倉敷市に生まれる。父親の仕事の関係で滋賀県野洲市(当時は町)で幼少期を過ごす。地元では「近江富士」と呼ばれる三上山のふもと、田んぼが広がるのどかな場所。住まいは父親の会社の社宅で、裏手に保育園、道を挟んで向かいに小学校という、通園通学には非常に便利な場所だったが、極度の人見知りから最初の1年間は登園拒否児童となり、昼間はずっと家で母親と過ごしていた。

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捨てられないTシャツ 40

ネクタイ/37歳男性(通販会社勤務)/田んぼに囲まれた山形の町に生まれた。喘息、アトピー、アレルギー持ちとなかなか病弱な子供だったようだが、いつの間にか全部治った。通っていた保育園で、納豆ごはん・卵かけご飯・納豆卵かけご飯を毎昼ローテーションで食べさせられたのがよかったのか。幼稚園では非常にもてた。卒園式の日、保育士の先生からひとりだけこっそりと超合金のおもちゃをプレゼントされた。こんな異常な状態は今だけだろうな、と幼心に予感していた。見事に当たった。

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捨てられないTシャツ 41

ユニコーン/40歳女性(アパレルPR)/母親の実家・広島で生まれ、幼稚園までは西明石、そのあと小学校まで神戸で暮らす。小1の終わりごろ、大学病院で働いていた父親が留学することになり、テキサス州ダラスに家族で引っ越した。平日は現地の小学校、土曜は日本人学校に通うが、とにかくカルチャーショックが凄くて。アイスクリームは学校で売ってるし、トイレに行ってる間に同級生が机からなにか盗もうとしてるし!

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捨てられないTシャツ 42

PR-y/40歳男性(キュレーター)/広島県生まれ。家の裏はヤクザの事務所で、周囲は飲み屋や風俗街が並ぶ環境で育つ。家の前はポルノ映画館で、小さい頃から常に女性の裸の写真を目にしてきたため、エロに対する免疫力が薄れ、あまり興味関心を持てないでいた。少年時代は野球チームに所属し活躍。通っていた体操教室ではバク転をこなすなど、人前にスポーツもやっていたが、集団行動が苦手で次第に「週刊少年ジャンプ」の漫画を読み漁ったり、ファミコンゲームに熱中したりするインドアな子どもになっていった。

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捨てられないTシャツ 43

目黒寄生虫博物館/28歳女性(ミュージシャン/スナックホステス)/兵庫県出身、子供の頃から飲んべえの母親に、スナックやホテルのバーに連れ回されていた。歌謡曲ってなんだかいいなと思いつつ、恥ずかしくてカラオケには手を出せなかった。小学校4年生の時、阪神大震災をきっかけに東京に引っ越す。パソコンクラブに所属するような地味で内向的な子どもだったが、その反面、大好きだったシノラーの格好をして通学、さらに関西弁だったことが悪目立ちして、女の子たちから仲間はずれにされる。それを過干渉な母親が心配して「もう学校に行かなくていい!」ということになり、小学校5年生から中学受験まで学校には登校せず、塾や家庭教師で勉強。

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捨てられないTシャツ 44

SUMICHAN OKAERI!!!/32歳男性(会社員)/神戸生まれ。3人兄弟の長男で、妹がふたり。初めて住んだ場所は山口組本部のすぐ近くで、組の抗争による銃撃戦もあったらしいが、覚えていない。ちなみに桂文珍も近くに住んでいた。3歳の時に、現在の実家がある別の区に引っ越す。最初に住んだ環境が関係したわけではないと思うが、幼いころは癇癪持ちで、気に入らないことがあると、柱に頭突きをゴツゴツかまし続けたり、グオンとのけぞって後頭部を床に叩きつけようとする奇行に走るので、いつもオカンとおばあちゃんが座布団を持って動いていた。

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捨てられないTシャツ 45

骸骨アトム/33歳女性(不動産証券会社勤務)/母親の実家の山形で生まれ、父親の仕事の関係で板橋に引っ越し、幼稚園から父親の実家である川越で暮らす。父親は公務員で、母親は専業主婦。外で遊ぶことも多かったけれど、人形遊びのほうが好きな子どもだった。小学校は学校のバトン部に入りつつ、1つ上の親戚のお姉さんに誘われて地域のバレーボールクラブにも所属。幼稚園からピアノも習っていたが、バレーボールが楽しすぎて、もうピアノは諦めたいと母親に言ったら「覚悟してやりなさい」と釘を刺される。

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捨てられないTシャツ 46

moog/39歳女性(編集プロダクション勤務)/昨年末、荷物を大幅に整理する必要があったので、たくさん持っていたはずのTシャツもほとんど処分してしまった。残ったのはこれを含めて4~5枚ぐらい。別にやむを得ず、という感じでもなく、数年前からTシャツ選びの基準が完全に変わってしまったので、タイミングがよかったともいえる。埼玉のほうがよっぽど都会、という東京郊外に生まれて25歳までそこで暮らす。きちんと両親に愛されて育った自覚はあるものの、持ち前のじめっとした性格のせいか小さな頃からどうにも卑屈さが常にあった。

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捨てられないTシャツ 47

PPFM/40歳男性(特殊呼び屋/会社員)/1976年に北海道帯広市で生まれる。父親の仕事の関係で、北海道内の足寄町、標茶町、中標津町、幕別町、帯広市などを転々とした。小学校入学前から帯広に定住することになり、高校卒業まで暮らす。小学校の頃、毎朝欠かさずにやっていたのはワイドショウをじっくり観ること。学校から帰ってきたら、母親と一緒にまたワイドショウを観てから、夕方のドラマ再放送を観ていた。田宮二郎版『白い巨塔』『特捜最前線』、天知茂『江戸川乱歩の美女シリーズ』や、『花柳幻舟獄中記』などの再放送を楽しみにしていた。ちょうど小学校に入った頃に『ロス疑惑』、その後は『豊田商事事件』『岡田有希子自殺』もあって、取材報道が過熱していた時代。他の子供が観ている様なアニメとかウルトラマンや戦隊モノはほぼ関心なしだった。

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捨てられないTシャツ 48

ヴィヴィアン・ウエストウッド/43歳女性(写真家)/京都府北部、港町の舞鶴出身。一般的には『岸壁の母』の港だが、マッチがその昔、漁港で『ギンギラギンにさりげなく』を歌って、ザ・ベストテンで中継されたこともある。育った町がヤンキーも多かった場所なので、赤いミキハウスのトレーナーにボンタンのケミカルジーンズを履いていた過去もあるが、中学生になったころからイギリスに憧れを抱くように。セックスピストルズやクラッシュなど、パンク系の音楽とファッションに惹かれたのがきっかけ。地元にはなにもなかったので、14歳の時に初めてRED or DEAD の厚底ラバーソールを買って、京都市内のロンドンナイトに出かけた。しかし若かりし頃憧れていたパンクスの実態は、NO DRUG、NO ALCOHOL、ONLY SEX と、いたって健全だった。

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捨てられないTシャツ 49

もっさん/40歳男性(自営業)/千葉県の真ん中あたりの東京湾側、工業地帯近くのところで生まれる。3人兄弟の末っ子で、放牧というか奔放に育つ。小さい頃からテレビっ子だったようで、原体験としての映像は、お風呂の中からおでんの具が出てきて「ぎゃ~」と叫ぶ、ホラーをパロディにしたようなものだった。アレは何の番組だろう。誰か教えて欲しい。

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捨てられないTシャツ 50

色川武大/阿佐田哲也 [38歳男性(印刷工/写真家)] 幼少の頃から小学校6年まで2、3年ごとに転勤を繰り返す。最初の記憶は幼稚園の大阪時代。なんでもやりっ放しのため、先生に「パナシくん」と呼ばれた。外でよく遊んだが、タコ糸にチクワの輪切りを付けザリガニ釣りをしていたら、針も無いのにチクワを飲み込みフナが釣れた。その時の興奮と衝撃は強烈で、少年時代もっともアドレナリンが出た瞬間だと思う。以来魚や釣りが好きになる。小学校は3回転校。ちんこを出したりバカなことをすれば、直ぐに仲よくなれることを自然と学ぶ。

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捨てられないTシャツ 51

JAWS2/48歳女性(編集者)/1968年、東京都葛飾区立石で生まれる。その後、吹きっさらし感全開の千葉の新興住宅地に移転。きょうだいは2歳下の弟と8歳下の妹の3人。家の隣はピーナツ畑だった。エアラインに勤めていた父が出張で成田空港を使うことが多いから、ここに建てたと親は言っていたが、経済的な理由も大きかったと思う。父は北海道の滝川の、訳ありで貧しい家の出身で、気合いと努力だけで東京に出てきた人。50歳過ぎまで奨学金を返済していた、と大人になってから聞いた。父は体が大きな人で、野性味と洗練と人間味がぐちゃぐちゃに混じった、なんともいえないチャームがあった。アクアスキュータムのトレンチコートがよく似合っていた。

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捨てられないTシャツ 52

Kiss ME qUIck/32歳男性(建築家)/母方のおじいちゃんが住む東京の杉並区で生まれ、すぐに神戸の御影という山側の景色がいい場所に戻って、そこで小2まで過ごす。父親は理系のエンジニアで寡黙な人間。母親は文系でピアノや歌をうたうことが好きな明るい性格。兄弟は4人、姉貴と弟がふたり。生まれ育った御影は、わりとハイブリッドな郊外住宅地で、降りればそれなりに街、裏はすぐ山という環境。空き地で焚き火をして、むっちゃ怒られたりした。その後、明石から2駅の田舎町(いまは開発されているが、そのころは畑ばかり)に戸建てを建てて引っ越す。しかし、お母さんも「なんでこんなとこに・・・」と絶句した田舎。言葉も全然ちがって、カルチャーショックだった。

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捨てられないTシャツ 53

ALOHA HAWAII/50歳女性(編集者)/1966年、岩手県北上市で生まれる。お育ちのよい母とお育ちのあまりよくない父を持つ。母は華道と茶道の師範で服装にもうるさかったが(華美はダメ、でもきちんと)、さすがに 70代になってからは「楽なのね」とTシャツを着はじめた。いっぽう父には、家でも襟付きを着ることを強要している。定年を迎えて母のプレッシャーから逃れたいのか、狂ったようにひとりで海外旅行に行っている父が、エジプト旅行土産に買ってきた象形文字入りのTシャツを、母は捨てようとした。

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捨てられないTシャツ 54

河井克夫/28歳女性(出版社勤務)/山形で3番目の街、新庄市で生まれる。父親はコンサルタントをしていて、単身赴任であちこちの会社を行ったり来たりで、週末だけ実家に帰ってくるような生活だった。母親はいまは専業主婦だが、昔は薬局の調剤師をしていた。父も母もとても真面目なひと。兄弟は兄と妹がいる。小学校のころは、男の子と取っ組み合いをして、怪我をさせては親が謝りに行くような子どもだった。プレステ第一世代だったが、外で遊ぶほうが好きで、川でドジョウを捕まえたり、蛙の卵をたくさんとってきたり。ほんとうはリカちゃん人形とかバービーが欲しかった・・・けど、父が特に厳しくて、嗜好品みたいなものは絶対に買ってもらえなかった。できたばかりのマクドナルドにも、絶対に連れてってもらえなかった。

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捨てられないTシャツ 55

毎回「ひとに歴史あり!」を実感させてくれる『捨てられないTシャツ』ですが、今回はあまりに波瀾万丈、紆余曲折! アンダーグラウンド版・大河ドラマのごとき大長編になるため、連載始まって以来の前後編、2週にわたってお送りします。実はTシャツもリバーシブルだし!――ア・ベイジング・エイプ(前編)/48歳女性(求職中)/東京都港区表参道で生まれ育つ。生まれてすぐに父母が離婚、母に引き取られて母子家庭の一人っ子だったが中学2年で母が再婚し、2番目のお父さんができた。母は公務員として働いていたので、典型的なカギっ子。小学校低学年のころは、学校が終わったらそのまま児童館で学童保育を受けていた。

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捨てられないTシャツ 55

毎回「ひとに歴史あり!」を実感させてくれる『捨てられないTシャツ』。あまりに波瀾万丈、紆余曲折! アンダーグラウンド版・大河ドラマのごとき大長編になるため、連載始まって以来の前後編、2週にわたってお送りする、今回は後編。Tシャツも前回のリバーシブルです!――ア・ベイジング・エイプ(後編)/48歳女性(求職中)/レンタルビデオ屋で知り合った彼氏と5年近く同居生活を送ったあと、原宿で知り合った男と仲良くなって2ヶ月後には結婚。それまでの生活をあっけなく捨てて。25歳のときだった。

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捨てられないTシャツ 56/アイオワ/33歳男性(編集者)

アイオワ/33歳男性(編集者)/大分県大分市の山のふもと、ど田舎で生まれ育つ。中心部までは車で20分ぐらいとはいえ、公共手段でいうと最寄りのバス停まで徒歩20分、最寄り駅まで徒歩1時間半ぐらい。父親がそこの生まれで、母親は同じ大分でも港町のほう出身。共働きだったので、ほとんど婆ちゃんに育てられた。幼稚園に入るまでは、人間の友達がいなかった。本を読んだり、婆ちゃんのレコード(『釜山港に帰れ』とか。ちなみに『釜山港に帰れ』は完璧に耳コピして、3歳のときに親戚の宴会で熱唱したら神童扱いされた)を聞いたり。あとは裏山で木に登ったり、探検したり。

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捨てられないTシャツ 57

グラフィティ/27歳男性(グラフィックデザイナー兼絵描き)/東京都世田谷区出身。4人兄弟の末っ子で、上の兄姉がみんなちゃんとしてただけに、自分はグレた(笑)。親が共働きで、おばあちゃんが半分親代わりだった。親父がずっとサッカーをやっていた影響で、小学生からサッカーを始める。すごく楽しかったので、サッカーは真面目にやっていたけれど、ヤンチャなところもあって、学校帰りに禁止されてたコンビニでモナ王を買い食いしたり、小学校5年のときに初めて友達とチューハイを買ったり、塀を蹴り壊したり、可愛い犬がいると勝手に餌をあげたり、チョコレートを万引きしたりしていた。

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捨てられないTシャツ 58

エミリーテンプルキュート/24歳女性(アーティストの経理・プロジェクトマネージャー)/出身は広島県広島市。ずっとひとりで、家の中でいくらでも遊べる子どもだった。人形遊びが好きで、リカちゃん、ジェニーちゃんから指人形までなんでも。両親は共に武蔵野美術大学出身、日曜美術館を毎週観るような家庭だった。母親は専業主婦で、父親はサラリーマン。4つ上の兄と2つ上の姉がいる。小学生になっても性格は変わらなかったが、わりと優等生タイプでもあったので、たとえばだれも立候補しないのがイラッとなって、しかたなくみずから学級委員になったり。

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捨てられないTシャツ 59

タケオキクチ/35歳男性(フリーランス)/生まれは千葉県市川市。夢を見て上京した人たちが最後にしがみつく東京である小岩と、中流のための高級住宅地である船橋に挟まれた、夢破れた漂流者を中流にたどり着かせないためのフィルターみたいな街だった。安保闘争や学生運動に挫折した店主の古本屋なんかもけっこうあって、いつも世界同時革命とか言ってたり、生計を立てるためのエロ本を店主に向かって右側、古典やら現代思想やらを左側に陳列していたのが、やっぱりこだわりなんだろうか?と思ったのを覚えている。

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捨てられないTシャツ 60

K.P.M./38歳男性(編集者)/鳥取県の中部地方、倉吉に生まれる。「人口が最も少ない県」第3の市は良く言えば鳥取における名古屋だけれど、人口は5万人、つまり東京ドームに全員が入ってしまう。4回勝てば甲子園の「水と緑と文化の都市」は、当時「トイレ」で町おこしをしていた。打吹天女の物語から採った「天女の忘れもの」というウ○コ型のおまんじゅう、今も販売してるのだろうか。

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捨てられないTシャツ 61

軽井沢骨折T/44歳男性(メルマガ運営)/滋賀県出身。両親ともに地方公務員、共産党員の家庭で育つ。小学生のころ、人がいっぱいいて楽しかった祭りの記憶は、今思うとメーデーの集会だった。赤旗新聞の集金をすると小遣いがもらえた。中学生では選挙前にはビラ折りのノルマがあったし、高校生になると駅前で拡声器で喋ってる父を発見した。このころ父は市役所を辞めて近所にできた左翼系診療所の事務長に転職し、活動がパワーアップしていたんだと思う。ちょうど今の自分と同じ年齢くらいかと思う。

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捨てられないTシャツ 62

ネズミ講/31歳男性(半野宿会社員)/佐賀県出身。中学生の頃、校内で乱闘騒ぎがあり、暇だったので傍観していた。「見ているだけでもイジメです」との理由で反省文を書かされた。『人間社会の成り立ちは闘争の歴史であり、戦争行為も法律で規定されているということは、人間の本質的な因子の中に暴力は組み込まれており、そこに勝者と敗者が介在するのはイジメる遺伝子を持つ人間とイジメられる遺伝子を持つ人間がいるからであり、抜本的にイジメを根絶するためには道徳ではなく、人類全体の遺伝子治療が必要だ』という旨をしたためて提出した。

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捨てられないTシャツ 63

ミスターピーナッツ/61歳男性(自営美術)/就職もしないままそこにい続けて、『自然と盆栽』という雑誌のカットを請け負うようになった。 定期的に大宮盆栽村に通い、写真では伝わりにくい枝や根の剪定イラストをその部屋で描きながら、相変わらず「自分の作品」を作り続けた。

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捨てられないTシャツ 64

ベルベット・アンダーグラウンド/55歳男性(デザイナー)/1961年生まれ、ホコリまみれの公害も激しい川崎で小学2年まで育つ。川崎競馬場の焼き鳥屋で捨てられた串を拾って虫かごをつくり、競馬場にいるバッタを捕まえてその中に入れ、負けた人に売っていた。20円か30円くらいだった気がする。その稼いだお金で買っていたのはベニヤ板。ベニヤ板の会社が学校の近くにあり、そこでベニヤを見て、なんてかっこいいんだと思って集めていた。小学校の途中で母親が原因不明の病気になり、治療のため静岡に引っ越す。父親は病院の近くに住み、ひとつ上の姉と自分は母親の実家で、爺ちゃん婆ちゃんと中学まで暮らした。

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捨てられないTシャツ 65

荒川銀河野球団/36歳男性(会社員)/生まれが神奈川県茅ケ崎市で、近くに海がありました。その後の住環境においてもけっこう影響していて、都内の中でもなるべく「空が広く見えるところ」を探して住んでます。親の影響で小学校の低学年から野球好きで、巨人ファンでした。月曜日以外の夜7時からはナイター中継が始まるんで、僕らの世代の男の子ならみんな見てたであろう、ドラゴンボールや北斗の拳、聖闘士星矢とかは見てません。代走専門の栄村忠広とか、シュートが得意な二軍の最多勝投手松谷竜二郎とか、クセのある地味な選手が好きでした。

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お立ち台のシンデレラガール

今週はみなさまをディスコ・トレインに乗せて、1980年代の日本のダンスフロアへとお連れする。2016年のいま、クラブに行くのにお洒落するといっても、せいぜい渋いTシャツを着用するくらいだろうが、当時のディスコはなによりも「男と女の出会いの場」だったから、夜ごと精一杯めかしこむのが当たり前だった。80年代のディスコ・カルチャーが日本独自の発展を遂げた、そのプロセスは装いにもっともよく現れている。ニューヨークともロンドンともパリともちがう、東京(や名古屋や大阪や・・)ならではのディスコ・ファッションのガラパゴス的進化をじっくりご覧いただきたい。現在のクラブと当時のディスコのちがいは、もちろんファッションだけではなかった。覚えているひとにとってはいまも鮮明な思い出だろうし、知らない世代には想像すらできないその差を、いったいどこまで説明したらいいのかわからないけれど・・・とりあえず時代を30年ほど巻き戻して、「今夜はディスコで弾ける!」と決めたハタチそこそこのOLや学生や、新人サラリーマンになったと思ってもらいたい――

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捨てられないTシャツ 66

RUSSELL/38歳男性(出版社勤務)/徳川埋蔵金で話題になった群馬県赤城村(いまは合併して赤城町)の生まれ。本はまったく読まず、音楽もそんなに聞かず、まわりがやってるから野球をやるような、主体性があまりない子どもだった。その、のんびりした感じは高校卒業まで続くが、実は家庭環境は複雑で、母親が自殺未遂したり、父親は出ていったり、また戻ってきたりを繰り返すようなぐちゃぐちゃな感じだった(両親は一度離婚、現在は復縁後にまた父親が出ていってしまった状態が続いている)。

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捨てられないTシャツ 67

川崎ゆきおの「ガキ帝国」/54歳男性(音楽評論家)/神戸生まれ、神戸育ち。小さい頃から引っ越しの多い家庭で、覚えているのは幼稚園のころに住んでいた西宮あたりから。近くでガス爆発があり、父親が嬉しそうに見に行ったのを記憶している。そのころから本が好きで、住んでいたボロ屋に台風がきても、屋根修理の傍らロウソクで本を読んでいるような子供だった。小学生になると三宮近くの市営住宅に越し、そこで卒業まで過ごす。大安亭市場の近くの大変ガラのよくない場所で、クジラの解体場がとてつもない異臭を払っていた。

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捨てられないTシャツ 68

HOOTON 3 CAR/39歳男性(建築家)/広島県福山市出身、3人兄弟の長男。父親はもともとはトラック運転手で、そのあとは磯渡し(釣り船)をやっていた。母親は専業主婦。小さいころはお調子者で、とにかく目立ちたいタイプ。運動もまあまあできて、もちろん外で遊ぶのは好きだけど、知識欲みたいなのも強く、小学生で『現代用語の基礎知識』を読んだり、理科の実験などは特に好きだった。物理とか天文学とか、なぜか子供ながらに興味があった。

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捨てられないTシャツ 69(最終回)

目から手(小嶋独観子)/22歳女性(風俗嬢)/1994年生まれ、東京都杉並育ちの一人っ子、父は外資系企業勤め、母は専業主婦。毎年海外旅行に行くくらいの裕福な家庭だった。不妊治療の末に生まれてきた私は、とにかく両親に溺愛された。母は私が生まれた日からほとんど毎日、小学校に上がるまで私の成長を写真に撮っていた。父は毎朝5時前に起床して、イギリスの大学のMBA資格を取るために英語と経営を勉強、毎朝の靴磨き、筋トレして仕事に出かける勤勉で堅実な人だった。抱っこひもで私をかかえたまま本屋で立ち読みしたり、通勤がてら幼稚園の送りをしてくれて、当時は育メンなどという言葉も浸透していなかったから、父は地元でも珍しがられた。多忙ななかで、少しでも娘と一緒にいたかったのだろう。卓球、読書、水泳、サッカー鑑賞が大好きな父だった。

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[番外編]捨てられたTシャツ

思わぬ好評をいただいた「捨てられないTシャツ」は今週の69回目をもって連載終了。「ボーナストラック」を加えて、2017年の春には筑摩書房より単行本化される予定です。まとめて読むと、また楽しさもしみじみさも倍増のはず。楽しみにお待ちください! 連載の最終回は、もともと僕自身の「捨てられないTシャツ」を載せようと思っていたのですが、かつて一瞬ダイエットにハマったときに、「二度とリバウンドしないように」という決意を込めて、ぜんぶ捨ててしまったのでした! 自分を信じちゃダメってことですね~。バブル全盛期に、京都先斗町の舞妓ちゃんたちにずらっと寄せ書きしてもらったTシャツとか、見せたかった!笑 というわけで思い出したのが、『着倒れ方丈記』を連載していた雑誌『流行通信』で(こちらもすでに廃刊になって久しい)、なにかの機会に番外編として自撮りしたTシャツ・コレクションの写真。写真集の『着倒れ方丈記』にも、もちろん入れてないので、見たことあるひとは少ないのでは。

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「べっぴん」と「別品」――ファッション都市神戸展によせて

今年は神戸開港150周年だそう。1868年(慶応4年、明治元年)1月1日正午に開港した神戸港を記念して、いま神戸ではさまざまな催しを実施中。本メルマガではおなじみの神戸ファッション美術館でも、『ファッション都市神戸――輝かしき国際港と地場産業の変遷』という、タイトルは硬めだが、そこはファッション美術館らしいヒネリの利いた展覧会を開催中だ。「神戸洋服」や「神戸靴」という言葉があるように、日本の洋服産業の発展は神戸という土地を抜きにして考えられない。横浜とも、銀座ともちがう神戸ならではのファッション・センスがかつて、たしかにあった(もしかしたら現在も)。今回の展覧会では開港時、鹿鳴館から、バブル前夜のDCブランドまで、それぞれの時代を飾った洋服を、一部当時のマネキンと組み合わせて見せるという凝った展示スタイルである。

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アリス・イン・フューチャーランド 第1回

サイトウケイスケという画家と出会ったのは2013年だった。『ヒップホップの詩人たち』のトークイベントで声をかけてくれたのだったが、1982年山形に生まれて、ずっと山形で活動していたサイトウくんは、ちょうど30歳になったその年に東京に移住。それからずっと、働きながら絵を描いている。去年の夏から秋にかけて原宿、高円寺界隈をサイトウくんとうろついていた時期があった。「都築さん、ネオカワイイって知ってます?」と聞かれて、「なにそれ?」と尋ねたら、「なんか、不思議な感じの女の子たちと、原宿や高円寺や、イベント会場でいっぱい会うようになって~」と言う。

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アリス・イン・フューチャーランド 第2回(文:サイトウケイスケ)

「渋原」(渋谷~原宿間)や高円寺を揺り籠に育ちつつある新種の「カワイイ」生きものたち。先週に続いてのフィールドワークは、案内役をつとめてくれる画家・サイトウケイスケの自己紹介から始めよう。さて、サイトウケイスケは1982年山形市生まれのアーティスト。2013年に『ヒップホップの詩人たち』のトークで声をかけてくれたのが、知り合うきっかけだった。――こんにちは。サイトウケイスケと申します。山形出身の音楽好きな絵描きです。小さいころからチラシの裏や授業中のノートに落書きばかりしていました。高校時代は音楽にのめり込み、パンクバンドのフライヤーの質感に憧れ、NIRVANAを崇拝していました。高校3年生でようやくバンドを組み、オリジナルの曲を作って叫んでいましたが、「これ以上叫んだらポリープできるぞ」と耳鼻咽喉科の先生に言われて、歌うことを断念。

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アリス・イン・フューチャーランド 第3回

世間一般の「かわいい」とは明らかにちがう、でも「かわいい」としか言いようのない、(たぶん)東京のどこかを震源に育まれつつある新種の「カワイイ」感覚を探る連載の第3弾。今週は僕がずいぶん前から「定点観測」を続けている、ひとりの女の子を紹介したい。最初に「かんだ♡みのり」(アーティストネーム)と出会ったのは2010年、いまは亡き美術雑誌『Prints 21』で、コスプレイヤーたちのレイヤー姿と普段着を撮影、対比してみる連載『当世とりかえばや物語』でのことだった。当時、東京藝大の先端芸術表現科に通っていたみのりさんは、学校から近い取手のマンションで、大好きな楳図かずおの「ピョン子ちゃん」のコスプレで僕を出迎えてくれた。高校1年生のころに、「そのころ流行ってたメイド喫茶に感化されて、かわいいなあって」メイドのコスプレをしてみたのが始まりという彼女のことを、記事でこんなふうに書いた――

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『捨てられないTシャツ』単行本、できました!

本メルマガで2015年から16年にかけて連載した『捨てられないTシャツ』が、ようやく単行本になりました。今月26~27日ごろには全国の書店に並ぶ予定です! 連載で紹介した69枚、それにスペシャル・ボーナストラックとしてもう1枚、計70枚のTシャツと、70とおりの物語。それに序文と、僕自身の「捨てられないTシャツ」を後記として紹介した、なかなか読みごたえたっぷりの一冊。しかもその文章のほとんどは、Tシャツの持ち主が書いたそのままか、インタビューをまとめただけなので、これまで僕が発表した書籍のうち、「もっとも自分で書いてない本」でもあり!

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平成のファッションとはなんだったのか

先週の兵庫県立美術館や芦屋市立美術館など、神戸周辺には美術ファンにおなじみのミュージアムがいくつもあるが、本メルマガで何度か取り上げてきたのが六甲アイランドにある神戸ファッション美術館。一般的な観光スポットとは言えないながらも、なかなか挑戦的な企画展をいくつも開催してきた・・・のだけれど、去年は美術館の入る神戸ファッションプラザがオーナー企業の市税滞納でほぼ廃墟化してしまったり、運営管理が神戸市から神戸新聞の関連事業体に移管されて、なんとなく微妙な展覧会が増えたりと、厄年っぽい雰囲気が漂っていた。いまもメインの企画展は『息を呑む繊細美 切り絵アート展』という・・・いや、切り絵は別にいいんですけど、それファッションなんですか?と突っ込みたくなるが、切り絵ファンで賑わう展示会場の奥、収蔵コレクション展示室ではいま『平成のファッション展』を開催中。その意欲的な構成に学芸員の意地を見た(涙)のは僕だけかもしれないけれど、切り絵展から出口にいたる途中にコレクション展もあるので、切り絵ファンの中年女性グループが「あら、懐かしい!」と立ち止まったりして、ちょっといい雰囲気。

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ドレス・コード?展、開幕!

先週土曜日、猛暑の京都で『ドレス・コード?――着る人たちのゲーム』展が初日を迎えた。すでにお知らせしてきたように10月14日まで京都国立近代美術館で開催され、そのあと熊本市現代美術館に巡回するこの展覧会、僕も写真で参加している。機会があればご覧いただけるとうれしい。近現代ファッションの展覧会は珍しいものではないが、そのほとんどは有名デザイナーの業績や、ある時代のトレンドに焦点を当てた作品展だ。今回の大規模なグループ展は「18世紀の男女の宮廷服や20世紀初頭の紳士服など歴史的な衣装類から現代の衣服まで、京都服飾文化研究財団(KCI)が収蔵する衣装コレクションから精選した約90点を中心に、現代アート、映画ポスター、演劇やマンガとのコラボレーションなど合計300点強」(公式サイトより)で構成される、ややヒネクレたとも言える「服の見方」を提起する展覧会である。

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花はどこへ行ったのか

毎週メルマガを書いているというのに、どうしてもこぼれてしまったり閉幕直前になってしまう展覧会やイベントがたくさんあって、ほんとうに申し訳ない。今週日曜(9月1日)まで神戸ファッション美術館で開かれている『Flowers 』も、ずっと気にかかっていたものの訪れる時間がないまま、気がついてみれば終了間近になってしまった。いつものファッション美術館の展示と同様、あまり一般には知られていないかもしれないけれど、予想を超えた充実の展覧会だったこと、そしてもしかしたらこの週末に京都国立近代美術館で開催中の『ドレス・コード?』展に行く予定のひとがいたら、神戸にも足を伸ばしてくれるかもというわずかな期待を込めて、急いで記事をつくらせてもらった。これを書いているいまは配信前夜の23時、間に合うか!

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着倒れ続けてマーク・ジェイコブス

カメラマンとしてファッションのお仕事をすることは数年に一度くらいしかないけれど、8月には珍しくファッション撮影の機会があった。マーク・ジェイコブス(Marc Jacobs)のファンを写真に撮るという企画である。『HAPPY VICTIMS 着倒れ方丈記』は去年、原版から10年ぶりに復刊になった(復刊ドットコム刊)。その中にはマーク・ジェイコブスの着倒れさんも収録されているが、「そのひとと連絡取りたい」と、マーク・ジェイコブスのニューヨーク本社から突然、連絡が来たのが数ヶ月前のこと。いまになって怒られるのか!?と一瞬身構えたが、そうではなくニューヨークでイベントをやるので、あの写真をTシャツにしたいのだという。『着倒れ方丈記』はもともと、今は亡きファッション誌『流行通信』に1999~2006年まで続いた連載で、マーク・ジェイコブスの回は2002年に取材・掲載。かなりの月日が経っているので連絡先を探すのに時間がかかったけれど、なんとか発見。そんなやり取りをしているうちに、「新たにマークの着倒れさんたちを撮影できないか」という提案をもらったのだった。

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ドレス・コード?東京展、開幕前の会場から

昨年8月に京都国立近代美術館でスタート、秋に熊本市現代美術館に巡回したまではよかったけれど、4月から初台オペラシティ・アートギャラリーで開催されるはずだった東京展は、新型コロナウィルス直撃であえなく延期……しかしめでたく7月4日からのスタートが決定しました。中止じゃなくてよかった! オープンまではまだ2週間以上あるのですが、「これからなんかあったら大変なので!」という担当学芸員の切ない気合いで、先日早々と設置作業に立ち会ってきました。京都では展示室の左右の壁にわけて、熊本ではL字型にプリントを並べましたが、オペラシティでは最終コーナーというか、主展示室から出口に向かう廊下をまるごと使えることになって、高さ2.4メートル、長さがなんと約26メートルという、巨大な壁面写真が登場します!

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着るものと着られるもの ――特別展「きもの KIMONO」@東京国立博物館

このところ数十年から百年以上も前の記録映像が、AIのおかげできれいに修復・着色されて見られるようになってきた。明治・大正・昭和初期の映像もずいぶんあって、そういうものを見つけるたびに、僕は撮影された市井の人々の、衣服の着こなしに見入ってしまう。このあいだYouTubeに上がったばかりのこの映像は1913~15年、つまり大正初期の東京・浅草六区あたりの風景で、巡査や小学校の先生といった少数の例外をのぞけばほぼ全員が着物姿だ。男も女も、老いも若きも。あたりまえだが、その自然な着こなしがすごくいい。成人式やお茶の稽古や歌舞伎鑑賞といった、現代のハレの場の衣裳というのとはぜんぜんちがって。いま初台オペラシティ・アートギャラリーで開催中の『ドレス・コード?』展の解説に書いたように、「数千年の西洋文明のなかで、洋服はいまのようなかたちになってきた。でも日本ではほんの百年かそこら前まで全員が着物を着ていたのに、突然ほとんど全員が洋服になってしまった」。日本人にとっての衣服というものが、わずか百年でほんとうに激変してしまった事実を、東京国立博物館で開催中の特別展「きもの KIMONO」は僕らにあらためて突きつけてくれる。すでにかなり話題になっている展覧会だが、前後期展示替えをあわせて約300件の作品が披露されるのは、質量ともに世界最大の着物コレクションを持つ東博といえども実に47年ぶり。

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アンチコロナ・ファッションショー!@鶯谷デパートメントH

新型コロナウィルス感染防止のためにたくさんの定例イベントが中止や延期を余儀なくされてきたが、このメルマガでは創刊の2012年から何度も取材させてもらった「デパートメントH」もその被害者のひとつ。アメリカン・コミックス・スタイルの作風で知られるイラストレーター・ゴッホ今泉さんが主宰する日本最大級の、もっともよく知られたフェティッシュ・パーティであるデパH。スタートしたのが「よく覚えてないけど、たぶん1991年から93年ぐらい」(ゴッホさん談)というから、もうすぐ30年! 毎月第一土曜にほとんど欠かさず開かれてきて、これまで通算2百数十回以上は開催されたご長寿イベントであるものの、「こんなことはデパH史上初めて!」という未曾有のコロナ禍。ステージの出演者のみによる無観客配信も試みたが、やはりお客さんと一緒につくる場のエネルギーに勝るものはないはず。そこで7月4日の土曜深夜~日曜明け方にかけて、いつもの鶯谷・東京キネマ倶楽部で開催されたのが「200名限定スペシャルナイト・アンチコロナ・ファッションショー」という、果敢なイベントだった。

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服はだれのものだったのか――「ファッション イン ジャパン 1945―2020 流行と社会」

当初2020年6月に東京六本木の国立新美術館でスタートする予定が、コロナ禍でちょうど1年延期、いま島根県益田市の島根県立石見(いわみ)美術館で開催中の「ファッション イン ジャパン 1945―2020 流行と社会」。「もんぺからサステナブルな近未来まで、戦後の日本ファッション史をたどる、世界初の大規模展!」というキャッチコピーが多少おおげさかと思いきや、会場に足を運んでみると「こんなのあったのか!」とか「あ~これ、これ!」とか、観るひとそれぞれの年齢・年代に応じてのファッション体験と人生体験がフツフツとこみ上げてきて、動けなくなる展示が多数。島根展は会場サイズの関係で東京展より点数が少ないそうだが、それでも2時間、3時間と経っているのに、脚の痛さで初めて気がついたりする。

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わたしたちにはmameがある――長野県立美術館「10 Mame Kurogouchi」に寄せて (文:アーバンのママ)

先日紹介した「ファッション イン ジャパン」展でも終盤の展示エリアでフィーチャーされていた Mame Kurogouchi(マメ・クロゴウチ)。いま、日本のファッション・デザイン界の先頭を走る若手デザイナーである。そのマメの美術館初個展が、彼女の出身地でもある4月に開館したばかりの長野県立美術館で開催中だ。 ファッションではあるけれど流行ではない、フェミニンではあるけれどセクシーではなくて、でもそこに深い官能性はある。そして見る相手ではなく着る自分をなにより鼓舞してくれる、袖を通した人間にだけわかる特別なちから。マメの大ファンであるスナック・アーバンのママと、彼女のマメ・フレンズたちに、Mame Kurogouchiの魅力を語り尽くしてもらった。

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新連載! Tシャツをめくるシティボーイ / 文:高畑鍬名(QTV)

去年(2021)、「ファッション イン ジャパン 1945-2020」(国立新美術館)と「Walls & Bridges 世界にふれる、世界に生きる」(東京都美術館)、ふたつの展覧会で生配信番組「ニコニコ美術館」に呼んでもらえた。そのときのディレクターとおしゃべりしていたら、「実はずっと研究しているテーマがあって、今度展覧会もやるんです」と言う。なにを研究してるのか聞いてみたら、「Tシャツの裾をパンツにたくしこむ(タックイン)か出しておく(タックアウト)かについての歴史的考察で」と教えられて絶句。なんと早稻田大学大学院の修士論文が「日本人とシャツのすそ―東京の若者たちはいつからTシャツのすそを出しはじめたのか―」だったという。おもしろすぎ! 2021年10月末には新宿眼科画廊で「1991年の若者たちがタックアウトしたTシャツを2021年の君たちは」展を開催、それは美術展というより文化祭の研究発表のすごく凝ったバージョンぽくもあり、すごく興味を惹かれてメルマガでもなにか書いてくれるようお願いした。

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Tシャツをめくるシティボーイ 第2回  下着だったTシャツの運命を変えた男たち・前編/文:高畑鍬名(QTV)

シティボーイの肖像と、Tシャツの裾の裏にあるファッション史の「死角」。本日もめくっていきましょう。 第2回のテーマは「下着だったTシャツの運命を変えた男たち」です。 先に名前をあげてしまうと、それはマーロン・ブランドとジェームス・ディーンです。この二人が1950年代に主演した映画でのスタイリングが、Tシャツの運命を変えることになります。 ということで今回は1910年ごろの「Tシャツ前夜」ともいえる下着の資料から、二つの世界大戦を挟んで大きく変わっていったTシャツのパブリックイメージ、そして2022年の現在まで、Tシャツの運命がどのようにめくられてきたのか見ていきます。 まずは2022年の話から。 今年の初め、ある男性のTシャツ姿が話題になりました。 ウクライナ大統領ゼレンスキー氏のカーキ色のTシャツです。

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Tシャツをめくるシティボーイ 第3回  下着だったTシャツの運命を変えた男たち・後編 / 文:高畑鍬名(QTV)

シティボーイの肖像。 Tシャツの裾の裏にあるファッション史の「死角」。 めくっていきましょう。 第3回のテーマは前回に引き続き「下着だったTシャツの運命を変えた男たち」です。前回は二つの世界大戦を軸に、1910年代から戦後にかけて無数の名もなき兵士たちによってTシャツの印象が変わっていった様子を確認しました。今回の後編では1950年代の映画を見ていきます。 Tシャツの運命を変えた男たち。 それはマーロン・ブランドとジェームズ・ディーンで、映画は『欲望という名の電車』と『理由なき反抗』です。 この二人、この二つの映画は、ファッションに限らず「若者文化」「ポップカルチャー」に関する歴史に必ず登場します。それほど大きなインパクトをアメリカに、そして日本に与えています。

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Tシャツをめくるシティボーイ 第4回  ルシンダ・バラード、下着だったTシャツの運命を変えた女/文:高畑鍬名(QTV)

Tシャツをめくるシティボーイ、第4回は「ルシンダ・バラード、下着だったTシャツの運命を変えた女」をお届けします。 ルシンダ・バラードは『欲望という名の電車』の衣装を演劇版・映画版ともに担当した女性。つまりTシャツの運命を変えた映画の、そのTシャツに命を吹き込んだ人物です。 冗談抜きに、『欲望という名の電車』という一つの映画がTシャツの運命を変えてしまいました。主演したマーロン・ブランドのTシャツの着こなしによって今わたしたちはTシャツを街着として一枚で着ることができています。 下着とみなされていた存在の運命を、一つの映画がすべてを変えてしまった。 それはルシンダ・バラードが「汚れ」「破れ」の美を映画衣装の中にもってくることで成し遂げられたのです。

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Tシャツをめくるシティボーイ 第5回  和服からTシャツへと洋装化する日本の腰つき・前編 / 文:高畑鍬名(QTV)

Tシャツをめくるシティボーイ。 第5回は「和服からTシャツへ洋装化する日本の腰つき」の前編をお届けします。 江戸時代まで和服を着ていた日本人が、いつから洋服を着るようになったのか。 今回も「Tシャツの裾」にこだわってファッション史の死角をめくっていければと思います。 和服から洋服へ。 日本の西洋化にともなった大きな断絶は、十中八九、明治に起きています。 そんな文化的な断絶の記録をまとめた本が石井研堂による『明治事物起源』です。

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スカジャンとはなんだったのか

すでに話題になっている横須賀美術館の「PRIDE OF YOKOSUKA スカジャン展」。「スカジャン」は横須賀のジャンパーだからスカジャンなので、開館15周年を記念して開催された本展はまさしく横須賀ならではの好企画だ。ちなみに展覧会タイトルの英語表記は「PRIDE OF YOKOSUKA Exhibition of Souvenir jacket」。スカジャンは日本土産の「スーベニア・ジャケット」として世界に広まっていったのだった。 リリースに記されているテーラー東洋は、戦後にスーベニア・ジャケットなど衣料品を米軍施設に納入していた「港商商会」を前身に、現在に至るまで半世紀以上スーベニア・ジャケットを作り続けていて、この展覧会ではテーラー東洋が所蔵する貴重なヴィンテージ・スカジャン約140点が一堂に展示されている。

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Tシャツをめくるシティボーイ 第6回  和服からTシャツへと洋装化する日本の腰つき・後編 / 文:高畑鍬名(QTV)

Tシャツをめくるシティボーイ。 第6回は「 和服からTシャツへと洋装化する日本の腰つき」の後編をお届けします。 ここまで何度も「ファッション史の死角をめくっていきましょう」と繰り返してきました。 しかし、これまでは服飾史の中でTシャツが誕生する瞬間、そして登場するシーンをつなげてご紹介してきました。 そのため死角感がそれほど出ていなかったと思います。 今回は最初に、Tシャツがいかに歴史の中に埋もれてきたか、相手にされてこなかったか、みていければと思います。

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Tシャツをめくるシティボーイ 第7回  日本で一番Tシャツの裾をインしにくい場所 / 文:高畑鍬名(QTV)

Tシャツをめくるシティボーイ。 第7回はクイズから始めます。 日本で一番Tシャツの裾を「イン」しにくい場所はどこでしょう。 これから2022年8月15日に撮影したストリートスナップを並べていきます。 同じ日に二箇所、べつべつの場所で撮影した光景。 Tシャツを「イン」しにくい場所は、どちらでしょうか。

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Tシャツをめくるシティボーイ 第8回  時代劇としての1990年代/ 文:高畑鍬名(QTV)

2023年になりました。 Tシャツをめくるシティボーイ。 今年もよろしくお願いします。 今回のテーマは「時代劇としての1990年代」。 さっこん増えてきた90年代の物語の映像化、 そのさいに「Tシャツの裾」が抱える問題について考えます。 1990年代の物語におけるTシャツの裾、 その具体例として今回は『SLAM DUNK』を取り上げてみましょう。

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Tシャツをめくるシティボーイ 第9回  同調圧力の時刻表/文:高畑鍬名(QTV)

Tシャツをめくるシティボーイ。 第9回は「同調圧力の時刻表」について。 この30年、Tシャツの裾がめくられるたびに、強烈な同調圧力が生まれてきました。 1991年……「Tシャツの裾出しはダラシない」。 2009年……「Tシャツの裾を入れるのはみっともない」。 2021年……「Tシャツの裾を出してると笑われる」。

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Tシャツをめくるシティボーイ 第10回  同調圧力の時刻表・その2 / 文:高畑鍬名(QTV)

Tシャツをめくるシティボーイ。 第10回は前回に引き続き、「同調圧力の時刻表」について。 前回は、同調圧力の「発信源」について見ていきました。 『Men's Non-no』のストリートスナップで2018年に「いなたい」感覚が流行していく、 つまりタックインの同調圧力が「始まっていく」様子を確認しました。 今回は同調圧力の「対岸」について考えます。 1990年代にはTシャツの裾出しの同調圧力が、若者だけではなく老若男女すべての人へ押し寄せていきました。 ファッションに興味のあまりない「対岸」にも同調圧力は届くのです。

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Tシャツをめくるシティボーイ 第11回  電車男とは何だったのか 前編 / 文:高畑鍬名(QTV)

Tシャツをめくるシティボーイ。 第11回は「電車男とは何だったのか」。 1990年代にはジーンズの外に出していたTシャツの裾を、 2020年代にはジーンズの中へ「イン」するようになった。 30年間で起きた若者たちのTシャツの裾の変化の真ん中に『電車男』の2005年があること。 この重要性を繰り返してきましたが、肝心の『電車男』の内容、 登場するオタクファッションそのものに触れておりませんでした。 2005年に社会現象を巻き起こしたTシャツの裾の表現を、しっかりと見ていければ。 今回は『電車男』を軸に、オタクファッションとは何か、 さらにいえばTシャツの裾にとってオタクファッションとは何だったのか考えていきます。

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Tシャツをめくるシティボーイ 第12回  電車男とは何だったのか 後編 / 文:高畑鍬名(QTV)

Tシャツをめくるシティボーイ。 第12回は再び『電車男』とはなんだったのか、考えます。 前回は映画版とドラマ版の『電車男』に登場するTシャツの裾を細かく見ていきました。 200枚近くの場面写真から見えてきたのは、 「ファッションを脱オタクしても、主人公は救われない」ということ。 むしろ「脱」ではなく、主人公たちは自らのオタク性をさらけ出すことで人生を切り開く。 そんな『電車男』の物語に、Tシャツの裾が応答していることでした。 しかし、そんな物語の核心とは関係なく、2005年の電車男ブームによって、 お茶の間では「タックイン=ださい」という図式が圧倒的に浸透します。 2005年に発売された『脱オタクファッションガイド』は、 2009年に『脱オタクファッションガイド 改』として改訂版が、 さらに2016年にはリニューアルして『脱オタクファッションバイブル』が出版されました。 それほどまでに、オタクファッションは脱するべき、という社会的な圧力がオタクの方々に重くのしかかっていたのでした。

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Tシャツをめくるシティボーイ 第13回  渋カジとは何だったのか・その1 / 文:高畑鍬名(QTV)

Tシャツをめくるシティボーイ。 第13回は「渋カジ」とはなんだったのか。 戦後日本のファッション史における最大のターニングポイントについて、 何回かに分けてじっくりと見ていければと思います。 今回は、なぜ「最大のターニングポイント」になるのか、 渋カジの特異性について、ファッション研究者たちの言葉を見ていきます。 しかしそもそも渋カジ、とい聞いてピンとくる世代と、 何の略称だろうかと考える世代と、略称であることすら知らない世代と。 渋カジは「渋谷カジュアル」もしくは「渋谷カジュアル族」の略称で、 この連載の第1回では、渋カジと『POPEYE』の関係について触れました。 なかでも、渋カジが日本で初めて「街が産んだスタイル」であったことに注目しました。

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Tシャツをめくるシティボーイ 第14回  渋カジとは何だったのか・その2 / 文:高畑鍬名(QTV)

Tシャツをめくるシティボーイ。 第14回も「渋カジ」について掘り下げていきます。 前回は渋カジの歴史的な位置づけをみていきました。 初めて街が産んだスタイルだったこと。 若者たちが「お仕着せ」のトータルファッションから、 自分たちなりに定番アイテムを「編集」して服を着こなすように変化したこと。 渋谷カジュアル、略して渋カジの歴史的な位置づけとして、大切なのはこの2点です。

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Tシャツをめくるシティボーイ 第15回  渋カジとは何だったのか・その3 / 文:高畑鍬名(QTV)

Tシャツをめくるシティボーイ。 第15回も「渋カジ」とは何だったのか考えていきます。 前回は「渋カジ元年」とされる1989年その当時の雑誌をめくっていきました。 ファッション雑誌として渋カジを最初に取り上げた『Checkmate』や、 『Hot-Dog PRESS』の紙面で渋カジがどのように紹介されてきたか見ていきました。 今回は『POPEYE』と渋カジの関係に焦点をあてていきます。 連載の初回で、渋カジにおいて『POPEYE』が果たした役割や、 雑誌がストリートを後追いしたことを裏付ける「敗北宣言」についてふれました。 あらためて問題点を確認しながら、実際の誌面をめくっていきましょう。

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祝祭の景色

国内出張でいちばんよく行く場所のひとつが神戸だ。三宮駅からJR三宮駅神戸線で4駅の住吉駅で六甲ライナーに乗って10分足らずの六甲アイランドには、ロードサイダーズでおなじみの神戸ファッション美術館がある。 神戸はいまから1973年に「神戸ファッション都市宣言」を発表。それから半世紀を経た2021年には「神戸らしいファッション文化を振興する条例」を制定。その目的は「市、事業者及び市民が共に、神戸らしいファッションを振興することにより、これを次世代に引き継いでいくこと」だそうで、「神戸らしいファッション」と言われても大半のひとにはピンと来ないと思うが、たしかに神戸にはファッショナブルなひとが多い気もする。

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Tシャツをめくるシティボーイ 第16回  渋カジとは何だったのか・その4 / 文:高畑鍬名(QTV)

Tシャツをめくるシティボーイ。 第16回も「渋カジ」とは何だったのか考えていきます。 前回は『POPEYE』と渋カジの関係に焦点をあてていきました。 雑誌がストリートを後追いしたことを裏付ける「敗北宣言」がなぜ書かれるにいたったのか。 『POPEYE』編集部の混乱を感じるべく、当時の誌面をめくっていきました。 今回は、ファッション中心ではない雑誌メディアに注目します。

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Tシャツをめくるシティボーイ 第17回  渋カジとは何だったのか・その5 / 文:高畑鍬名(QTV)

Tシャツをめくるシティボーイ。 今回も引き続き「渋カジとは何だったのか」考えていきます。 テーマは『CanCam』や『JJ』などにデート相手として登場するシティボーイの肖像です。 いつの時代も女性ファッション誌に呼び出される若者たち。 そんな彼らのTシャツの裾をめくっていきます。

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Tシャツをめくるシティボーイ 第18回  渋カジとは何だったのか・その後 / 文:高畑鍬名(QTV)

Tシャツをめくるシティボーイ。 前回は「渋カジとは何だったのか・その5」。 今回は「渋カジとは何だったのか・その後」です。 1989年に『POPEYE』が猛プッシュして全国にその名が広まった「渋カジ」でしたが、 『POPEYE』ではその舌の乾かぬ1990年に「渋カジを超えた新スタイルの誕生」という特集を組むのでした。

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Tシャツをめくるシティボーイ 第19回  Tシャツの裾と二つの定点観測・1990年代編 / 文:高畑鍬名(QTV)

Tシャツをめくるシティボーイ。 連載も残すところ、あと4回。 ここからは、二つの定点観測を追いかけながらTシャツの裾をめくっていきます。 1990年ごろに東京の若者、そして2020年ごろの若者たちのストリートスナップ。 二つの時代の二つの定点観測から、Tシャツの裾のイン点とアウト点を見つめます。 まず今回は、1990年ごろの若者たちのTシャツの裾について振り返っていきましょう。 東京の若者たちがTシャツの裾を出し始めたタイミングについては、 1989年:メンズノンノ「ファッション・コーディネート大賞」にてタックアウト。 1991年:月刊アクロス「定点観測」にてタックアウト。 この2つの定点観測が基準になります。

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Tシャツをめくるシティボーイ 第20回  Tシャツの裾と二つの定点観測・2020年代編 / 文:高畑鍬名(QTV)

Tシャツをめくるシティボーイ。 前回は二つの定点観測を追いかけながら、1990年ごろの若者たちの姿を見ていきました。 今回は2010年代から現在までに起きた、Tシャツの裾の変化に注目します。 東京の若者たちがTシャツの裾を入れ始めたタイミングについても、 前回と同様、 メンズノンノとACROSS 編集室の「定点観測」、この2つの定点観測が基準になります。 おしゃれ意識の高い若者たちの裾はメンズノンノで。 街の無意識はACROSS 編集室の定点観測で。 今回は先に「街の無意識」から見ていきましょう。

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Tシャツをめくるシティボーイ 第21回  東京の若者たちが2012年にTシャツの裾を入れたのは、なぜなのか / 文:高畑鍬名(QTV)

Tシャツをめくるシティボーイ。 連載も残すところ、あと3回です。 前回、前々回は、2つの定点観測を紐解きながら、 東京の若者たちがTシャツの裾を出し始めたタイミングと、 入れ始めたタイミングを明らかにしていきました。 1990年~2020年におけるTシャツの裾のうねりをおさらいすると、 Tシャツの裾を出し始めたのが1989年、一般化したのが1991年でした。 一般化するまでの3年間をタックアウトの「テクニック期」と呼んでいます。

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Tシャツをめくるシティボーイ 第22回 ストリートスナップ・肖像権・モザイク / 文:高畑鍬名(QTV)

Tシャツをめくるシティボーイ。 今回のテーマは「ストリートスナップ・肖像権・モザイク」です。 この連載では何度も「ストリートスナップ」を取り扱ってきました。 その中で私が繰り返してきたのが「カメラ目線の有無」についてです。 メンズノンノのファッションスナップ特集などに代表されるのが、 「カメラ目線のあるストリートスナップ」です。 そこにはおしゃれ自慢の若者たちの姿、つまり、「街の自意識」が表出します。 一方に、PARCO「ACROSS編集部」の定点観測があります。 街の若者を勝手に撮影する「カメラ目線のないストリートスナップ」です。 ここには「街の無意識」が表出しているはずだ、というのが私の仮説でした。

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Tシャツをめくるシティボーイ  第23回 木村拓哉と1000年後のTシャツの裾 / 文:高畑鍬名(QTV)

Tシャツをめくるシティボーイ。 最終回は予告通り、木村拓哉のTシャツの裾をめくっていきます。 木村拓哉の前に、もう一度だけ菅田将暉について。 2010年代から現在にかけての最重要ファッションアイコン、 そしてタックイン現象の大きな水脈である菅田将暉。 彼がいつから裾を入れていたのか。 大きな問題として前々回の第21回で取り上げましたが、 じつは菅田将暉はデビュー前にTシャツの裾をインしているのでした。

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「世界」を身にまとった越路吹雪

連日のようにテレビ、新聞、ネットニュースなどで取り上げられている早稲田大学演劇博物館の「越路吹雪衣装展」。もうご覧になったかたもいらっしゃるだろう、担当者が「これだけ入場者の多い展覧会はあまり記憶にありません」というほど、会場は賑わっている。 今年は越路吹雪の生誕100周年。没後、終生のパートナーだった音楽家・内藤法美さんからゆかりの品々が演劇博物館に寄贈され、1982年の「特別展・越路吹雪を偲ぶ」を皮切りにこれまで何度か展覧会が開かれてきたが、今回は2009年以来、15年ぶりとなる越路吹雪展だそう。演劇博物館には伝説の「ロングリサイタル」などで着用されたオートクチュール・ドレスが56着も収蔵されていて(今回はそのうち11着を展示、後期は展示替えであらたな11着が並ぶ)、会場は「あ~懐かしい!」と声を上げる越路吹雪のオールドファンと、ノートを開いてドレスのスケッチに励む服飾デザイン系の学生たちがなごやかに混在していた。

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[予告]EGO TRIPPIN’ 80s Hip Hop Clothing Exhibition!

いまから10年半前になる2013年11月13日号「下品な装いが最高の復讐である――会津若松のオールドスクール・ヒップホップ・コレクション」で紹介した会津若松のDJ、ILLLLLLLLLLLUSS(イルマスカトラス)氏が収集してきた1980~90年代の勃興期ヒップホップ・ファッション。いまのようにアメリカのヒップホップがウルトラメジャーになる以前の、古き良きラッパーたちのスピリットを体現した装いに、たまらない懐かしさを覚えると同時に、東京でも大阪でもなく会津若松に(失礼)!こんな貴重なコレクションが隠されていたのかと驚愕したのだった。ちなみにイルマスカトラス=白井與平さんは会津若松で400年以上続く老舗酒店・植木屋商店の第18代目当主でもある。

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EGO TRIPPIN’ 80年代ヒップホップ・ファッションとダッパー・ダンのこと

先週、こんな予告記事を書いた。読んで、福島市に足を運んでくれたひとがどれくらいいたろうか―― いまから10年半前になる2013年11月13日号「下品な装いが最高の復讐である――会津若松のオールドスクール・ヒップホップ・コレクション」で紹介した会津若松のDJ、ILLLLLLLLLLLUSS(イルマスカトラス)氏が収集してきた1980~90年代の勃興期ヒップホップ・ファッション。いまのようにアメリカのヒップホップがウルトラメジャーになる以前の、古き良きラッパーたちのスピリットを体現した装いに、たまらない懐かしさを覚えると同時に、東京でも大阪でもなく会津若松に(失礼)!こんな貴重なコレクションが隠されていたのかと驚愕したのだった。そのイルマスカトラス氏による久しぶりのコレクション展が、福島市のOOMACHI GALLERYで開催中。7月13日から21日までという短い会期だが、どうしても見ておきたくて新幹線に飛び乗った。

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再会! 1970年のポップ・アイコンたち

いろんな催しで大賑わいの万博公園を出口に向かってひたすら歩いていると、気になるポスターを発見。「EXPO’70 パビリオン企画展 1970年大阪万博ユニホーム・コレクション」ですと!  まあ、たいしたことないだろうけど、いちおう寄っておくか・・・くらいの気持ちで公園の奥にあるEXPO’70 パビリオン――ちなみにこの建物はEXPO’70閉幕後に残された、数少ないパビリオンのひとつ鉄鋼館――に足を運び、入場料を払って入館したら・・・なんと実際に着用されたユニホーム(一部は再製作)65種、80着が並び、しかもデザイン画や発注仕様書など初公開の資料もあり!という、予想をはるかに超える充実の展示なのだった!

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BOOKS

ROADSIDE LIBRARY
天野裕氏 写真集『わたしたちがいたところ』
(PDFフォーマット)

ロードサイダーズではおなじみの写真家・天野裕氏による初の電子書籍。というか印刷版を含めて初めて一般に販売される作品集です。

本書は、定価10万円(税込み11万円)というかなり高価な一冊です。そして『わたしたちがいたところ』は完成された書籍ではなく、開かれた電子書籍です。購入していただいたあと、いまも旅を続けながら写真を撮り続ける天野裕氏のもとに新作が貯まった時点で、それを「2024年度の追加作品集」のようなかたちで、ご指定のメールアドレスまで送らせていただきます。

旅するごとに、だれかと出会いシャッターを押すごとに、読者のみなさんと一緒に拡がりつづける時間と空間の痕跡、残香、傷痕……そんなふうに『わたしたちがいたところ』とお付き合いいただけたらと願っています。

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ROADSIDE LIBRARY vol.006
BED SIDE MUSIC――めくるめくお色気レコジャケ宇宙(PDFフォーマット)

稀代のレコード・コレクターでもある山口‘Gucci’佳宏氏が長年収集してきた、「お色気たっぷりのレコードジャケットに収められた和製インストルメンタル・ミュージック」という、キワモノ中のキワモノ・コレクション。

1960年代から70年代初期にかけて各レコード会社から無数にリリースされ、いつのまにか跡形もなく消えてしまった、「夜のムードを高める」ためのインスト・レコードという音楽ジャンルがあった。アルバム、シングル盤あわせて855枚! その表ジャケットはもちろん、裏ジャケ、表裏見開き(けっこうダブルジャケット仕様が多かった)、さらには歌詞・解説カードにオマケポスターまで、とにかくあるものすべてを撮影。画像数2660カットという、印刷本ではぜったいに不可能なコンプリート・アーカイブです!

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ROADSIDE LIBRARY vol.005
渋谷残酷劇場(PDFフォーマット)

プロのアーティストではなく、シロウトの手になる、だからこそ純粋な思いがこめられた血みどろの彫刻群。

これまでのロードサイド・ライブラリーと同じくPDF形式で全289ページ(833MB)。展覧会ではコラージュした壁画として展示した、もとの写真280点以上を高解像度で収録。もちろんコピープロテクトなし! そして同じく会場で常時上映中の日本、台湾、タイの動画3本も完全収録しています。DVD-R版については、最近ではもはや家にDVDスロットつきのパソコンがない!というかたもいらっしゃると思うので、パッケージ内には全内容をダウンロードできるQRコードも入れてます。

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ROADSIDE LIBRARY vol.004
TOKYO STYLE(PDFフォーマット)

書籍版では掲載できなかった別カットもほとんどすべて収録してあるので、これは我が家のフィルム収納箱そのものと言ってもいい

電子書籍版『TOKYO STYLE』の最大の特徴は「拡大」にある。キーボードで、あるいは指先でズームアップしてもらえれば、机の上のカセットテープの曲目リストや、本棚に詰め込まれた本の題名もかなりの確度で読み取ることができる。他人の生活を覗き見する楽しみが『TOKYO STYLE』の本質だとすれば、電書版の「拡大」とはその密やかな楽しみを倍加させる「覗き込み」の快感なのだ――どんなに高価で精巧な印刷でも、本のかたちではけっして得ることのできない。

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ROADSIDE LIBRARY vol.003
おんなのアルバム キャバレー・ベラミの踊り子たち(PDFフォーマット)

伝説のグランドキャバレー・ベラミ・・・そのステージを飾った踊り子、芸人たちの写真コレクション・アルバムがついに完成!

かつて日本一の石炭積み出し港だった北九州市若松で、華やかな夜を演出したグランドキャバレー・ベラミ。元従業員寮から発掘された営業用写真、およそ1400枚をすべて高解像度スキャンして掲載しました。データサイズ・約2ギガバイト! メガ・ボリュームのダウンロード版/USB版デジタル写真集です。
ベラミ30年間の歴史をたどる調査資料も完全掲載。さらに写真と共に発掘された当時の8ミリ映像が、動画ファイルとしてご覧いただけます。昭和のキャバレー世界をビジュアルで体感できる、これ以上の画像資料はどこにもないはず! マンボ、ジャズ、ボサノバ、サイケデリック・ロック・・・お好きな音楽をBGMに流しながら、たっぷりお楽しみください。

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ROADSIDE LIBRARY vol.002
LOVE HOTEL(PDFフォーマット)

――ラブホの夢は夜ひらく

新風営法などでいま絶滅の危機に瀕しつつある、遊びごころあふれるラブホテルのインテリアを探し歩き、関東・関西エリア全28軒で撮影した73室! これは「エロの昭和スタイル」だ。もはや存在しないホテル、部屋も数多く収められた貴重なデザイン遺産資料。『秘宝館』と同じく、書籍版よりも大幅にカット数を増やし、オリジナルのフィルム版をデジタル・リマスターした高解像度データで、ディテールの拡大もお楽しみください。
円形ベッド、鏡張りの壁や天井、虹色のシャギー・カーペット・・・日本人の血と吐息を桃色に染めあげる、禁断のインテリアデザイン・エレメントのほとんどすべてが、ここにある!

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ROADSIDE LIBRARY vol.001
秘宝館(PDFフォーマット)

――秘宝よ永遠に

1993年から2015年まで、20年間以上にわたって取材してきた秘宝館。北海道から九州嬉野まで11館の写真を網羅し、書籍版では未収録のカットを大幅に加えた全777ページ、オールカラーの巨大画像資料集。
すべてのカットが拡大に耐えられるよう、777ページページで全1.8ギガのメガ・サイズ電書! 通常の電子書籍よりもはるかに高解像度のデータで、気になるディテールもクローズアップ可能です。
1990年代の撮影はフィルムだったため、今回は掲載するすべてのカットをスキャンし直した「オリジナルからのデジタル・リマスター」。これより詳しい秘宝館の本は存在しません!

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捨てられないTシャツ

70枚のTシャツと、70とおりの物語。
あなたにも〈捨てられないTシャツ〉ありませんか? あるある! と思い浮かんだあなたも、あるかなあと思ったあなたにも読んでほしい。読めば誰もが心に思い当たる「なんだか捨てられないTシャツ」を70枚集めました。そのTシャツと写真に持ち主のエピソードを添えた、今一番おシャレでイケてる(?)“Tシャツ・カタログ"であるとともに、Tシャツという現代の〈戦闘服〉をめぐる“ファッション・ノンフィクション"でもある最強の1冊。 70名それぞれのTシャツにまつわるエピソードは、時に爆笑あり、涙あり、ものすんごーい共感あり……読み出したら止まらない面白さです。

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圏外編集者

編集に「術」なんてない。
珍スポット、独居老人、地方発ヒップホップ、路傍の現代詩、カラオケスナック……。ほかのメディアとはまったく違う視点から、「なんだかわからないけど、気になってしょうがないもの」を追い続ける都築響一が、なぜ、どうやって取材し、本を作ってきたのか。人の忠告なんて聞かず、自分の好奇心だけで道なき道を歩んできた編集者の言葉。
多数決で負ける子たちが、「オトナ」になれないオトナたちが、周回遅れのトップランナーたちが、僕に本をつくらせる。
編集を入り口に、「新しいことをしたい」すべてのひとの心を撃つ一冊。

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ROADSIDE BOOKS
書評2006-2014

こころがかゆいときに読んでください
「書評2006-2014」というサブタイトルのとおり、これは僕にとって『だれも買わない本は、だれかが買わなきゃならないんだ』(2008年)に続く、2冊めの書評集。ほぼ80冊分の書評というか、リポートが収められていて、巻末にはこれまで出してきた自分の本の(編集を担当した作品集などは除く)、ごく短い解題もつけてみた。
このなかの1冊でも2冊でも、みなさんの「こころの奥のかゆみ」をスッとさせてくれたら本望である。

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独居老人スタイル

あえて独居老人でいること。それは老いていくこの国で生きのびるための、きわめて有効なスタイルかもしれない。16人の魅力的な独居老人たちを取材・紹介する。
たとえば20代の読者にとって、50年後の人生は想像しにくいかもしれないけれど、あるのかないのかわからない「老後」のために、いまやりたいことを我慢するほどバカらしいことはない――「年取った若者たち」から、そういうスピリットのカケラだけでも受け取ってもらえたら、なによりうれしい。

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ヒップホップの詩人たち

いちばん刺激的な音楽は路上に落ちている――。
咆哮する現代詩人の肖像。その音楽はストリートに生まれ、東京のメディアを遠く離れた場所から、先鋭的で豊かな世界を作り続けている。さあ出かけよう、日常を抜け出して、魂の叫びに耳を澄ませて――。パイオニアからアンダーグラウンド、気鋭の若手まで、ロングインタビュー&多数のリリックを収録。孤高の言葉を刻むラッパー15人のすべて。

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東京右半分

2012年、東京右傾化宣言!
この都市の、クリエイティブなパワー・バランスは、いま確実に東=右半分に移動しつつある。右曲がりの東京見聞録!
576ページ、図版点数1300点、取材箇所108ヶ所!

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東京スナック飲みある記
ママさんボトル入ります!

東京がひとつの宇宙だとすれば、スナック街はひとつの銀河系だ。
酒がこぼれ、歌が流れ、今夜もたくさんの人生がはじけるだろう、場末のミルキーウェイ。 東京23区に、23のスナック街を見つけて飲み歩く旅。 チドリ足でお付き合いください!

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