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ロボットレストランというお祭り空間

新宿歌舞伎町の中心部、区役所裏の超一等地に、ロボットレストランがいきなり姿をあらわしたのがこの7月のこと。大通りを走り回るロボット・カーに度肝を抜かれ、道端で配られたティッシュの「オープン迄にかかった総費用・総額100億円」の文言に二度ビックリ。で、ロボットレストランというから、ロボットがサービスしてくれる、未来型ハイテク・レストランかと思いきや、肌もあらわなセクシー美女たちが踊ってくれる「ロボット&ダンスショー」が楽しめる、シアター形式の店だという・・・。ほとんどワケのわからないまま、この夏の東京の、夜の話題を独占した感のあるロボットレストラン。

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日曜日のゾンビーナ

うららかな秋日和のサンデー・アフタヌーン。六本木ミッドタウンの前は、お洒落な犬を連れたお洒落なカップルや、高そうな乳母車を押す高そうな外国人カップルが、ほがらかに行き交ってる。ミッドタウンの正面にはメルセデスベンツのショールーム。そのおとなり、飲食ビルの2階の、とある店。ほがらかな気分でドアを押し開けると・・・いきなりゾンビが襲ってきた! 「いらっしゃい~~」とくぐもった声を出しながら、ぶらぶら腕を伸ばして迫ってくる・・・ああ気持ち悪い! 知る人ぞ知る六本木の隠れフェティッシュバー「CROW」を舞台に、毎月最終日曜日に開かれているのが「ソンビバー」だ――。

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ゼン・プッシーが閉じた夜

西荻窪――というより「西荻」という街には、独特の臭みがある。それは新宿とも下北沢とも、高円寺とも吉祥寺ともちがう臭みで、僕は長いこと、それにあまりなじめないでいた。そういう西荻で一軒だけ、ここなら安心して泥酔して気も失えるくらい好きだった店が南口の商店街を抜けた奥にあって、それは『ZEN PUSSY』という、名前からして異常な店だった。屋台みたいな駅前飲み屋街から、住宅街のおしゃれなレストランまで、ありとあらゆるタイプの飲食店がそろう西荻で、ゼン・プッシーはほかのどのタイプにも属さない店だったし、お客さんもほかのどこにも属さないタイプのひとたちだったと思う。

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酒を聴き、音を飲む —— ナジャの教え 01

尼崎・塚口に関西一円から東京のワイン通、料理好きまでが通いつめる、しかも旧来の気取ったフランス料理店や高級ワインバーとはまったくテイストのちがう、「とんでもなくすごい店」があると聞いたのは、つい最近のことだった。なんの変哲もない、目印は「となりがコンビニ」というくらいの、地味なロケーション。すぐ向かいの女子大の学生たちもただ通り過ぎるだけ、派手なオーラのひとつもない店構え。しかしここは夜毎、大阪の中心で新感覚のワインバーを持つ若手ソムリエやシェフから、東京から「ここで飲み食いするために」わざわざ足を運ぶ熱心なファンまでが足を運び、深夜まで椅子の空くことがない。といっても店内の半分はうずたかく積まれたワインのケースで占められてしまって、満席でも20人くらいしか入れないのだが。その店の名は「Nadja(ナジャ)」。シュールレアリスト、アンドレ・ブルトンの記念碑的な小説から名前をとった、その店のオーナー/シェフ/ソムリエ/DJが米澤伸介さんだ。

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酒を聴き、音を飲む—— ナジャの教え 02

地元の人間がさまざまな感情を込めて「尼」と呼び習わす兵庫県尼崎。とびきりのガラの悪さと居心地良さが渾然一体となった、ぬる〜い空気感に包まれたこの地の周縁部・塚口にひっそり店を開く驚異のワインバー・ナジャ。関西一円から東京のワイン通、料理好きまでが通いつめる、しかも旧来の気取ったフランス料理店や高級ワインバーとはまったくテイストのちがうその店の、オーナー/シェフ/ソムリエ/DJが米沢伸介さんだ。独自のセレクションのワイン、料理、そして音楽の三味一体がつくりあげる、これまで経験したことのない至福感。喉と胃と耳の幸福な乱交パーティの、寡黙なマスター・オブ・セレモニーによる『ナジャの教え』。第2夜となる今回は、「大地のエロス、海のエロス、野生のエロス」と題した、真冬の夜の官能あふれるハーモニーをお聞かせする。

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ほんやら洞のこと

先週金曜(1月16日)未明に出火、全焼した京都の喫茶店・ほんやら洞については、ツイッターやFacebookなどはもちろん、テレビ、新聞など大手のメディアにも取り上げられて、ちょっと驚いた。開店から42年目の古ぼけた喫茶店の火事、というだけのニュースがこれほど拡散したのは、どのメディアにもほんやら洞ファンがいたのかもしれない。これまで京都には2回住んできたが、最初に引っ越した1980年代末は、雑誌の仕事を離れて一息ついたところで、京都大学の聴講生に申し込んで日本美術史や建築史の授業を取り、そのまま自転車で授業に出てきた寺院を見に行ったりしていた。いまから考えると夢のような日々だったが、通学路にほんやら洞があって、昼飯やコーヒーに寄るようになった。

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酒を聴き、音を飲む ―― ナジャの教え 04

地元の人間がさまざまな感情を込めて「尼」と呼び習わす兵庫県尼崎の周縁部・塚口にひっそり店を開く驚異のワインバー・ナジャ。独自のセレクションのワイン、料理、音楽の三味一体がつくりあげる至福感。喉と胃と耳の幸福な乱交パーティの、寡黙なマスター・オブ・セレモニー、米沢伸介さんによる『ナジャの教え』。第4夜となる今回はおだやかな秋の宵に、かすかに不穏な空気感をブレンドするミックスを披露してくれた。

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Neverland Diner 二度と行けないあの店で 03『甘くて甘くて、怖い雲』平松洋子(エッセイスト)

あの頃、「おみせやさんごっこ」に興じた少年はどのくらいいたのだろう。カゲロウのように朧な記憶をまさぐってみると、あれは少女の遊びで、男の子はいやいや引きずりこまれるものだった。姉が弟にエプロンをさせ、魚屋さんの役どころをあてがう(昭和三十年代は童謡「かわいい魚屋さん」がずいぶん愛されていた)。最初は強引なコスプレを恥ずかしがっていた弟も、すっかりその気になっている姉に煽られ、だんだん調子がでてくるという筋書き。「へい、らっしゃい!」

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Neverland Diner 二度と行けないあの店で 05『まちがいなく生きものがいた』いしいしんじ(小説家)

二十代から三十代にかけて、浅草から、隅田川にかかる赤い橋をわたった東側の、本所吾妻橋に住んでいた。年号は平成に変わっていたが、いまだ昭和、東京の匂いが、色濃く残っているように思った。当時まだ珍しかった、高層公団マンションの十七階。日が暮れて帰り着くと、ドアの前にホームレスのおっさんが座って待っていたり、あるいは、勝手に部屋にはいりこんだイラン人四人が、ペルシア語のビデオを見たりしていた。鍵をかけると絶対外でなくすのでかけたことがなかったのだ。食事はほぼ百パーセント外食だった。武闘派のオヤジがやっている鰻屋、夏は冷やし中華しか出さない中華屋、鉄板で唾を焼きつつ喋りまくる店主のもんじゃ屋。吾妻橋界隈はいろんな意味で濃厚な料理屋が多かった。

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Neverland Diner 二度と行けないあの店で 06 『あってなくなる』俵万智(歌人)

 歌集『サラダ記念日』の見本が出来た日、編集者が食事の後に連れて行ってくれた。新宿の厚生年金会館の裏側にある小ぢんまりしたバー。「英(ひで)」を一人で切り盛りしているのは、ママの英子さんだ。カウンターから見える位置に神棚のようなものがあって、そこに本を飾ってもらうと売れるという言い伝えがある。出来たてほやほやの一冊を、置いてもらった。

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Neverland Diner 二度と行けないあの店で 07『北京に捨ててきた金正日』向井康介(脚本家)

北京で初めて北朝鮮料理を食べた。日記を辿ると2016年7月1日となっている。誘ってくれたのは、語学学校で知り合ったNさんという夫がトヨタだかスバルだかに勤める駐在員の奥さん。まもなく帰国することが決まっていて、帰る前にどうしても行っておきたかったのだという。北京に来る前はインドに駐在していたこともある人で、なかなかに好奇心が強い人だった。

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Neverland Diner 二度と行けないあの店で 08『煙が目にしみる』玉袋筋太郎(芸人)

「ほ~ら、エサの時間だよ~ぴぃ~ぴぃ~ぴぃ~って小鳥みたいに泣きな~」、5歳の息子は無邪気に小鳥の雛の真似をして「ぴぃ~ぴぃ~ぴぃ~」とさえずり、口を鳥の嘴のように尖らかせ、手を羽根のように羽ばたかせ、オレの箸から与えられるユッケをついばむ。「よ~し、よ~し、可愛い小鳥だなぁ……、美味しいか?」「おいしい、ぴぃ~ぴぃ~」「そうか、ならほら、またあげよう」「ぴぃ~ぴぃ~」 前に一緒に見た動物番組の鷹が雛に、捕らえたエサの動物の肉やら内臓を嘴でちぎって雛にエサを与える映像を、ユッケに見立てて真似るバカな親子の遊びを妻は「馬鹿な事やってんじゃないよ」と呆れていた。

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Neverland Diner 二度と行けないあの店で 09『ホープ』水道橋博士(芸人)

「ホープ」という店名の洋食店だった――。10代の終わり、明治大学に進学することを口実に地元・倉敷から上京した。しかし、心に秘めた野望はビートたけしの下へ行くことだった。テレビのタケちゃんマンは思春期のボクのスーパーヒーローだった。そして、ラジオのビートたけしはボクの救世主に違いないと思った。あの日の深夜放送は、ボクの耳元で「あんちゃんはさー、オイラのところへ来いよ!」と言っているように聞こえた。

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Neverland Diner 二度と行けないあの店で 10 『渋谷駅、スクランブル交差点周辺の数百軒』江森丈晃(グラフィック・デザイナー/編集者)

行けない店。ざっと思い出すだけで20軒は浮かぶ。最新の記憶は「紹興酒を飲みながら静かに本を読んでいるお兄さん」として通(とお)っていたはずの自分が、中国人店主の仕切るカウンターの金具に中指を挟まれ大流血。おしぼりはみるみる真っ赤に染まり、それに気づいた店主は自分を厨房に呼び入れ、その場の常連客全員の視線を集めるように「イタイノガマンシテネー! ニンゲンモシメサバモイッショヨー!」とパフォーマンス。バックリと開いた傷口に塩と酢をぶっかけられ、ふたたび席に戻されたこと。もうあのときの客には会いたくないし、「アナタデサンニンメヨー!」と笑った店主には静かな怒りもあったりする。

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Neverland Diner 二度と行けないあの店で 11『真夏の夜の夢』土岐麻子(歌手)

その店は、世田谷区某駅から歩いて15分ほどのはずれにあった。にぎわう商店街を過ぎて、ひっそりとした住宅地を進む。かつてはおそらく細い川だったんじゃないかというような、緩くくねったカーブの坂をのぼり、お地蔵さんのいる祠を2ポイント越してやっと辿り着く。昔からあるごく小さな喫茶店で、夜はスナックとしても利用できる。好きな人はとても深くハマり、通い詰めるような魅力があるらしい。私の身近な音楽関係の知り合いにもファンは多い。

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Neverland Diner 二度と行けないあの店で 12『ホワイトハウス』安田謙一(ロック漫筆家)

1980年代の、ちょうど10年間を京都で過ごした。以前、こんな文句ではじまる文章を書いたことがある。雑誌のカフェ特集の中のエッセイで、京都時代に出会った、今は無くなってしまったいくつかの喫茶店について書いた。「二度と行けないあのお店」というお題をいただいて、いくつかの食堂を思い出そうとすると、やっぱり80年代に京都で出会った店のことばかりが出てくる。たとえば、河原町通りから蛸薬師を西に数十メートル入ったところにあった「大文字」という蕎麦屋。売りである茶そばの味もさることながら、アールデコを取り込んだ内装が素晴らしかった。壁にある東郷青児の画を褒めると、店主は恥ずかし気に、複製ですと答えていた。レジで代金を支払うと釣りといっしょに駄菓子のようなガムを手渡してくれた。

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Neverland Diner 二度と行けないあの店で 13 『酔うと現れる店』林雄司(デイリーポータルZ編集長)

銀座に酔ったときにだけたどり着ける焼鳥屋がある。たいてい2軒ぐらいはしごして、午前2時すぎに次の店を探していると現れるのだ。いちど昼に酔ってない状態で探してみたが見つけられなかっただけど、酔っているときは暗い路地に輝くその店が簡単に見つかる。晴海通りよりも西、中央通りよりも北のブロックのどこかだと思っているのだけど、確かではない。店の入口は1階にある。狭くて奥に長い店で、入ると左側に通路、右側にテーブルが通路沿いに二つか三つ並んでいる。奥には厨房とレジがある。その店の名物はフォアグラ。焼鳥のように串にささっている。こってりした味とふわふわの食感。1本でじゅうぶんな濃厚さである。ほかの焼鳥も特に変わったところはないのだが、オーソドックスにきちんと美味しかった。塩でお召し上がりくださいとか、バジルが上に乗っかったりはしてない。ぷりぷりと弾力あって、鶏肉の味がする。

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Neverland Diner 二度と行けないあの店で 14『エスカルゴと味噌ラーメン』古澤健(映画監督)

僕の父親はミュージシャンだった。80年代にはレコード会社と契約して、自分のリーダーバンドのアルバムを何枚か出していた。ライブがあるときには子供が起きている時間には見かけなかった。何日も家をあけるときがあったが、それは少し前に「旅だから」という言葉で予告されていた。ライブツアーのことをうちの両親は「旅」と言っていたが、それが一般的な用語なのかはわからない。父のアルバムのひとつには、ツアーでまわった距離をそのままタイトルにした二枚組のライブ盤があり、それくらい「旅」は(その頃の古澤家には)日常だった。父が売れるようになると家にいる時間は減り、だから一番下の妹は父と一緒に過ごしたあまり記憶がない。

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Neverland Diner 二度と行けないあの店で 15『祖父の行きつけのクラブ』滝口悠生(小説家)

八丈島は伊豆七島の最南端にあって、東京から行くと羽田から飛行機で四十分ほど、船だと竹芝港から毎日定期便があるが、黒潮を越える関係で高速船の運航ができず、こちらは十時間もかかる。「東京から行くと」と書いたけれど、八丈島も東京都なので、島の人の言い方を借りれば、「内地から行くと」となる。距離にして内地から約三五〇km。勘違いする人が結構いるので念のため付記しておくと、小笠原諸島ではない。小笠原は本州から一五〇〇kmくらいで、もっとずっと遠い。

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Neverland Diner 二度と行けないあの店で 16『YOSHIWARA』遠山リツコ(建築設計事務所ケイ・アソシエイツ代表)

'90年代初頭、芝浦にあったクラブ“GOLD”の事を語るとき、その隆盛を知る人であれば誰しも「伝説のクラブだった」と言うだろう。「それまでディスコしかなかった日本に初めて登場した伝説のクラブ」と。では“YOSHIWARA”のことは皆覚えてくれているだろうか。その“GOLD”の中に奥深く潜む隠れ家があったことを。

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Neverland Diner 二度と行けないあの店で 17『珈琲家族を忘れない』髙城晶平(音楽家)

この15年ほどで、僕の地元である吉祥寺の街はだいぶ様変わりした。バウスシアターがなくなってラウンドワンやドンキホーテが建った吉祥寺なんて、かつての自分には想像もできなかっただろう。居酒屋やバーにおける変遷も特筆すべきことだろうけど、普段あまり酒を飲まない僕にとっては、とりわけ古い喫茶店の減少のほうを強く実感している。老舗だった『ボア』や『エコー』『ドナテロ』はなくなり、父が学生時代にアルバイトしていた『ボガ』はイタリアンバルになってしまった。最近では、あの素晴らしいパスタとコーヒーを出していた『ダルジャン』の閉店も記憶に新しい。東京のどの街でもそうだろうけど、吉祥寺もまた御多分に洩れず“二度と行けない店”の話題には事欠かない。閉店した店の中で最も僕が訪れていたのが『珈琲家族』という店だった。

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Neverland Diner 二度と行けないあの店で 18『春の頃、私的最果ての店』内田真美(料理研究家)

随分と前に、ポルトガルに旅をした。東京の写真展にてポルトガルに暮らす方に出会い、そのAさんを訪ね、リスボン滞在後に、ポルトガル最南端のファロの近くにあるオリョンという街に向かった。本来なら、電車で移動するはずが、東京で調べた電車はなくなっていて、どのようにしたらいいか駅であぐね、Aさんに聞いていた電話番号に電話しても通じず、結局はバスでの移動となった。ポルトガルの田舎道は春というのもあって、草花が茂り、オレンジやレモンと思われる木々には実がたわわになっている風景が続く。そのたわわな果実を誰も採るという感じもなく、ポルトガルらしい呑気で穏やかな車窓を眺めつつバスに数時間揺られた。何度か寄った休憩所では、つとめて郷土菓子達を選び、覚えたての「ガラオン・ポルファボーレ」と言うと、大きなガラスに入ったミルクコーヒーが出てくる。

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Neverland Diner 二度と行けないあの店で 19『池袋ウエストゲートカツ編』イーピャオ/小山ゆうじろう(漫画ユニット)

東京第二のターミナル・池袋駅西口を抜けた雑踏の中に「あの店」はあった――はじめまして僕たちは以前にWEBマンガ「とんかつDJアゲ太郎」を描いていた者です。「とんかつDJアゲ太郎」は渋谷に住むとんかつ屋の少年がとんかつ屋兼DJとなって活躍するマンガです。「とんかつ」がテーマのマンガということで、連載当時よく2人でいろんなとんかつ屋に取材に行っていたのですが、数ある行った店の中で今でもよく2人で「あの店うまかったよね・・・」という話になる店がありました。

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Neverland Diner 二度と行けないあの店で 20「失恋レストラン」吉井忍 (フリーライター)

中国人と結婚し、日中間を行き来する生活を続けていた。数年前の冬、東京から北京に戻ると、夫の様子がおかしい。トイレが長い、目を見て話さない、年末に予約していた熱海旅行をキャンセルしたいと言い出す。日本文化センターの図書館から日本語の雑誌をわざわざ借りてきて、テーブルの上に目立つように置いている。その特集記事が「離婚」。「なんで?」と聞くと、「君、興味あるかと思って」。いや、ないです。1週間ほどしたある日曜日、夜9時ごろ。大気汚染物質PM2.5の濃度が高く、こういう日は早めに寝るに限るので、私はベッドに寝転がりながらノートパソコンで天気予報を見ていた。

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Neverland Diner 二度と行けないあの店で 21「どん感がすごい」コナリミサト(マンガ家)

「Neverland Diner 二度と行けないあの店で」というこちらのコラムのタイトルを聞いたときぽんと思いついたお店がある。実家から車をぴゅんと走らせたところにある「ステーキのどん」だ。「ステーキのどん」は関東を中心に幅をきかせているステーキチェーン店で看板の「どん」の表記のとこがほんとに勇ましく「どん」としているので看板をみるたび「どん感がすごい」と感服していた。小学校の頃の家族4人揃っての外食はもっぱらここの店で、父が仕事を納めたのであろう日は小祝いを兼ねてなのかぴゅんとこの店に行くといった流れだった。

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Neverland Diner 二度と行けないあの店で 22『土曜夜 新宿 コマ劇近くで』永島農(2017年より荒木町にて紹介制ワインバー HIBANA開業)

その時は都心の高級老舗イタリア料理店で下働きをしていた。上司や先輩にタメ口で喋る一番年上の「M」さんと、僕も顔が濃いのだが、さらに顔が濃すぎて日本人に見えない「S」さんの下で働いていた。その日は土曜日で営業はあまり忙しくなく、Mさんが焼肉に行こうと言い出した。僕は都下の実家にいた為に先輩の誘いがあると必然的に始発まで時間を過ごさねばならない。レストランの営業後なので飲み始めは24時頃になるから。翌日の定休日の日曜は地元の先輩の結婚パーティーが六本木で昼頃からあるので断りたかったが、昔は先輩の誘いはそういうわけにもいかなかった。ま、多分奢ってもらえるし頑張って起きればよいかと思い3人で焼肉に出かけた。

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Neverland Diner 二度と行けないあの店で 23『呪いの失恋牛すじカレー』谷口菜津子(イラストレーター・漫画家)

店に行けないのならば作ればいい! 長年、あの味を思い出しながら牛すじカレー作りに挑戦し続けていた。牛すじを何度か湯こぼしし、柔らかになるまで3、4時間煮込む。店の棚に並ぶ食材の景色、味の印象の記憶を頼りにスパイスを選ぶ。バターで玉ねぎを飴色に炒め、トマトも煮詰まるまでよく炒め、牛スジを加えとろとろになるまで煮込む。完成したカレーは手間暇かけただけあってとっても美味しい。でもあの味ではない…。

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Neverland Diner 二度と行けないあの店で 24『本当の洋菓子の話をしよう』石井僚一(歌人)

自分の話から始めるけれども、ちょうど一年くらい前に就職の関係で関東に越してきて、それまではずっと北海道の実家にいた(今は29歳)。バイトに精を出すタイプの学生ではなく、大学卒業後就職が決まらなかった時にはほとんど家に引きこもっていたから、実家暮らしと言えどもお金はそんなになくて、あったとしてもCDや本に費やすのが常だった。そもそも食べることにそんなに興味がないタイプの人間で(ついでに言うと僕が住んでいたのは北海道の江別というところ(いわゆる札幌市のベッドタウン)の住宅街で、関東みたいに昔からありそうなちょっと怪しげな個人経営の店のようなものはあまりなかった。周囲にあるのは飲食店というと基本的にはチェーン店だ。

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Neverland Diner 二度と行けないあの店で 25 『北極の雪原で味わった「食」の極限』 佐藤健寿(フォトグラファー)

人よりも多く旅をしているせいで「危険な経験はないんですか」と、よく聞かれる。この旅人FAQみたいな質問に、僕はいつも、これといった答えがなくて困っている(いっそプロフィールに「危険な経験特になし」と書きたいくらい)。アフリカの呪術師に呪われそうになって逃げたとか、タヒチの廃墟で野犬の群れに追いかけられたとか、イランの国境で立ち小便をして警察に捕まったとか、いくらか奇妙な経験はある。しかし例えばブラジルで拳銃強盗に襲われるとか、中東で兵士に拘束されるといった、分かりやすい危険な経験は特にない。だからこういうことを続けてられている。とも自分では思うのだが、聞き手はもっと危険をかいくぐってきた、みたいな話を聞きたいのだと思う。すると不発に終わった質問の次に、だいたいこう問うのだ。「じゃあ、一番美味しかったものは?」

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Neverland Diner 二度と行けないあの店で 26 『六本木シュルレアリスム前夜』和知 徹(料理人)

東京のレストランで働くことが決まり、フランス研修から帰国して直ぐ、白金にあった店の寮に入った。六畳一間の部屋に二人。寝るだけに帰るからと最初は気にしなかったが、相方はサービスマンで帰って来るのが自分より遅く、眠りについたところでレッドホットチリペッパーズをガンガン流されて、よく寝不足になっていた。給料は手取りで八万ちょい。それでも遊びたい盛りだったし、六本木から歩いて帰れるからと、朝まで遊んでそのまま出勤なんてこともざらだった。

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Neverland Diner 二度と行けないあの店で 27『佐野さん、あのレストランの名前、教えてよ。』九龍ジョー(ライター、編集者)

食のことなんておざなりだった20代前半、一年間だけ築地市場で働いていたことがある。きっかけは……なんだったっけ。4年付き合った彼女にフラれたから、新卒で入った映像制作会社をやめたかったから、いずれにせよたいした話じゃなかった。立川流の落語家になりたくて、当時の前座は河岸修行すると聞いたから、ってたまに人に話してきたけど、たぶんあとからデッチ上げた理由だ。許してほしい。魚のことなんて何も知らなかった。それでもどうにかなった。朝4時に場内に着くと、まずダンベに入った魚の名前と目方をメモする。これなんだろ? あ、ホウボウ。マルにヨ? 養殖か。

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Neverland Diner 二度と行けないあの店で 28『東京ヒルトンホテル オリガミ』篠崎真紀(イラストレーター)

父親の仕事の関係で、子供のころはよく赤坂の東京ヒルトンホテルに行っていた。家族4人で年末から新年にかけ宿泊して、隣の日枝神社に初詣にいくことも多かった。ヒルトンホテルは1963年、日本初の外資系ホテルとして開業。障子や蒔絵をつかったシックな和洋折衷は、子供心にも「これが素敵な大人の世界なんだ」と強く影響を与えた。今でもこの世界が一番好きだ。私と弟が子供だったので、よく行ったレストランは「コーヒーハウス オリガミ」。

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Neverland Diner 二度と行けないあの店で 番外編『さよなら、アーバン・ウエスト』写真・文 臼井悠(アーバンのママ)

みなさん、こんにちは。スナックアーバンのママです。今回のネバダイ、本当は通常営業の予定だったのですが・・・・。はぁぁ、聞いてくださいよぉぉ、神戸でやっていたアーバン・ウエストという小さなお店がある日突然、急速な地上げからの1ヶ月で立ち退きという衝撃的な展開に!!! はぁぁあぁぁ・・・。なので今回は急遽、番外編としてそのことを書いてもいいですか。てか、こんなことってある?! 地上げ、めっちゃ大変だった!! まさか自分の店が、本当に二度と行けないあの店になるなんて(涙)!

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Neverland Diner 二度と行けないあの店で 29『営業許可のない大久保ロシア食堂の夜』ツレヅレハナコ(編集者)

ロシアには、あまり良い思い出がない。初めて現地に行ったのは小学生で、まだソビエト連邦時代だった。当時、私と兄は剣道を習っており、「短期交換留学」なる制度で1か月ほどホームステイをしたのだ。今も当時も私の興味は食べ物にしかなく、行く前から「世界の食べもの/ロシア編」という週刊「朝日百科」のムックを読みあさっていた。ビーツなる赤いカブのような野菜と肉を煮込んだスープ「ボルシチ」、ひき肉をスパイスとともに炒めてパン生地に詰めた揚げパン「ピロシキ」、そばの実をオーブンで煮込んで作る粥「カーシャ」、ふわふわのパンケーキにサワークリームとイクラ(!)を山盛りにのせて食べる「ブリヌイ」……。ロシア料理など見たことも聞いたこともない時代。一人妄想をふくらませ、剣道の練習の数倍は熱心に「ロシアで食べたいものリスト」をノートにみっしりと書き連ねた。

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Neverland Diner 二度と行けないあの店で 30『欲望の洞窟』Mistress Whip and Cane(女王様)

10年以上前、新宿でよく飲んでいた。いつも数名で集まって飲んでいたが、その中のひとりに、自分が何をやりたいのか分からないというようなことを話していた時だと思う。突然、「女王様やればいいじゃん」と言われた。そしてその一言で、「ああ、そういうことか」と、それまでのモヤモヤが一気に晴れた。

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Neverland Diner 二度と行けないあの店で 31『自覚なく美しかった店とのお別れ』佐久間裕美子(ライター)

マンハッタンからクイーンズに渡ったすぐのロング・アイランド・シティに、ファイブ・スターというインディアンのダイナーがある。行かなくなって5、6年になるだろうか。10年ほど前、よく訪れていた。夜遅くまでやっていて、店の前に黄色いタクシーがいつも何台か駐車されていた。となりはバンケット・ホールになっていて、休日にはインド人の結婚式をやっているのを何度か見かけた。カウンターがあって、残りは二人がけと四人がけのブースだった。が、ここにくる人の大半は、おそらく休憩中のタクシー運転手たちで、いつ訪れても一定数のお客がいた。混んでいることもなかったし、客がまったくいないこともなかった。

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Neverland Diner 二度と行けないあの店で 32『レインボーズエンドの思い出』吉岡里奈(イラストレーター)

美大卒業後、卒業制作の集団での映画製作に疲れきった私は金輪際創作に関わることは一切やめようと在学中からアルバイトしていた蒲田のインド・ネパール料理店のシフトを増やしフリーター生活に突入。ランチタイムに出すカレーセットのデザートとしてマンゴープリンを作るようになり、それをお客さんが褒めてくれた事がきっかけでお菓子作りにハマっていった。インドカレーが好きでインド人、ネパール人スタッフ達も優しくてこんな素敵な職場はないと思っていたのに図に乗って「ちゃんとお菓子を勉強したい」と7年間もお世話になったカレー屋をあっさり辞めてしまった。

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Neverland Diner 二度と行けないあの店で 33『カレーの藤』松永良平(リズム&ペンシル)

ああ、ここも違ったか、と思う。いつもいつも考えているわけでもない。だけど、たまにメニューに見つけると、もしかしてあの味に近いものがあるんじゃないかとオーダーしてしまう。カレースパゲティ。早稲田大学の周囲にはご多聞に漏れず、学生向けの価格やボリュームを誇る飲食店が居並んでいる。中でも、本部キャンパスの西門を抜けて早稲田通りに向かう路地には、とんでもない名物メニューを持つ店が3軒あった。「三品」の「ミックス」は、皿に持ったご飯の上にカツカレーと牛丼を合体させた超絶アブラギッシュな特別メニュー。「フクちゃん」の「チョコとん」は、その名の通り、豚肉とチョコレートを衣にくるんで揚げていた。そして、「カレーの藤」の「スペドラ」。超大盛りのドライカレーの中央を土手状に固め、そこにカレールーと生卵を落とし込んだものだった。

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Neverland Diner 二度と行けないあの店で 34『レモンライスのあのお味』劔樹人(ミュージシャン・漫画家)

2000年代、私は大阪市阿倍野区周辺で、モーニング娘。や松浦亜弥などハロー!プロジェクトのオタク(当事は「モーヲタ」などと呼ばれていた)として、仲間たちと日々を過ごしていた。私は大学を卒業したばかりでまだ20代前半だったが、その仲間たちは大体30歳前後。皆未婚どころか付き合っている彼女もおらず、いつも誰かしらが失業している無職保存の法則の中、概ね金もなく将来も見えない状況ではあったものの、夜な夜な誰かの部屋に集まってはDVDを観たり、推しメンの素晴らしさについて議論したりと楽しい毎日であった。

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Neverland Diner 二度と行けないあの店で 35『週刊ファイトなお好み焼き屋』堀江ガンツ(プロレス・格闘技ライター)

小さい頃からプロレスが好きで、プロレスのことばかり考えていたら、大人になってプロレスライターになってしまった。当然、その途中経過である大学生活もプロレス一色だった。というか、宇都宮から東京の大学に進学したのも、東京でプロレスを生観戦しまくりたい、という決して親には言えない(だけどバレてる)理由なのだから当然だ。大学に入ったら、すぐにプロレス研究会に入ろうとも思っていたが、残念ながら僕が入った大学にプロレス研究会はなかった。ないなら作ればいい。ボクは『週刊プロレス』の「文通希望」欄にある「FC情報」というコーナーに以下のような投書をした。「プロレス観戦サークル『ファイティングネットワーク』を立ち上げました。当方、大学1年生の19歳。同年代のプロレスファンの方、男女問いません。一緒にプロレス観戦を楽しみましょう」

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Neverland Diner 二度と行けないあの店で 36『山口お好み屋』見汐麻衣(歌手/ミュージシャン)

母が40代、私は11歳だった。母はいつも唐突に私を連れまわすことが多かった。昼は競艇場の舟券売り、夜はスナックを経営し、24時間働いていた母と、親子の時間、会話などの思い出はあまりない。あるのは、母と、母の友人達に連れられ贅の限りを尽くした料理を食べさせてもらっていた記憶。夜中に突然「焼肉食べにいくけん」なんてこともあったし、「鰻ば食べたか」「蕎麦寿司の美味しい店があるったい」「寿司屋行くよ」と、深夜早朝関係なく、まいど訳も分からず車に乗せられ気づくと知らない場所、知らない店にいる。

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Neverland Diner 二度と行けないあの店で 37『深夜のドライブと恵比寿ラーメン』小宮山雄飛(ホフディラン)

子供の頃の食べ物屋さんの思い出というのは、味じゃないんですよね。子供の頃って、そもそも食にそんなに興味ないじゃないですか。味だけなら、丁寧に作られたお店の味なんかより、むしろスナック菓子やカップラーメンの方が美味しいと思ってしまう年頃ですから。子供時代のお店の思い出というのは、味よりもそこのお店に行った行為そのものの思い出というか、家族みんなで行ったから楽しかったとか、旅行先で行ったからワクワクしたとか、つまりは”体験”としての思い出なんでしょうね。恵比寿にあった、その名も『恵比寿ラーメン』は、僕にとってまさしく体験としての思い出のお店です。

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Neverland Diner 二度と行けないあの店で 38『ばってらと調製豆乳』朝吹真理子(小説家)

あのこいつもばってら買いに来るね、とまで言われていたかはわからないけれど、小学校からの帰り道、よくおやつにばってらを買っていた。学校は当然買い物を禁止していたはずだが、電車に乗って小学校に通っていた私は、最寄り駅に着いたら何をしてもいいことに勝手にしていた。ばってらください。定期券入れから小銭を出して待っていると、おばさんがパックを手早く紙で包んで、渡してくれる。ランドセルを背負ってばってらを頼む子供が珍しかったらしく、買わない日でも、軽い挨拶を交わしたりした。家に帰ると、煎茶を淹れてもらって、魔法少女クリィーミーマミのレーザーディスクをみながら食べた。

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Neverland Diner 二度と行けないあの店で 39『謎のカレー屋の店主は、空の雲を自在に操った』吉村智樹(ライター)

僕は「超能力」というものに強い関心がある人ではない。そこへさらに宗教やスピリチュアルの要素が加われば、うさんくさく感じ、できるだけ遠ざかろうとしてしまう。しかし……実際に「あれ」を見せられてから、超能力の存在そのものは否定できなくなった。かつて千葉県成田市に存在した「王様の蔵」というカレー屋さん。そこのオーナーのTさんが、僕の眼の前で、指先で、空に浮かぶ雲を自在に操ったのだ。

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Neverland Diner 二度と行けないあの店で 40『孤独うどん』ケイタタ(写真家、コピーライター)

住宅街の急な坂道の真ん中にその店はあった。自転車からみんな下りて歩くほどの急な坂道だった。小学校低学年のときは駄菓子だった。高学年になると文房具屋になった。中学校になるとクリーニング屋になった。立地が悪いからだろう、店はすぐに変わった。高1のとき、うどん屋になった。『たか乃』という屋号だった。30半ばぐらいのおっさんがやっていた。恰幅が良く、いつも裸の大将のような白いランニングシャツを着ていた。ヤノマミ族のような髪型をしていた。

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Neverland Diner 二度と行けないあの店で 41『道玄坂を転がり落ちた先の洞窟』スズキナオ(酒場ライター)

数年前まで、渋谷の道玄坂を上りきった場所にあるビルの中のIT企業で働いていた。パソコンに向かい、仕事をしている風を装ってウトウトしているか、どうしても眠気が引かない時は個室トイレにしゃがみ込んで寝る。とにかく眠くて仕方なかった。有能な同僚や競合他社ではなく、私のライバルは眠気だった。なんとか終業時間までたどり着くと、道玄坂を転げ落ちるような勢いで降りていき、いつも「細雪」という居酒屋を目指すのだった。

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Neverland Diner 二度と行けないあの店で 42『かけめぐる青春 ~吉祥寺・シャポールージュ~』益子寺かおり/ベッド・イン(地下セクシーアイドル)

どんなに街の景色が変わっても、自分が変わっても、君が特別な存在であることだけは変わらなかった。君も変わらず、ずっとそこに居てくれると思っていたのに…。ああ、私が愛した吉祥寺の「シャポールージュ」よ! ともに青春を生きた、心の友よ。どうしていなくなってしまったの…。――想いを綴り始めたら、Romanticが止まらなくなり、クサくて稚拙な深夜のラブレターみたいになってしまった。大変お恥ずかしい。穴があれば入れたい…いえ、入りたい心地だが、ここに赤裸々な記憶を記しておきたいと思う。

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Neverland Diner 二度と行けないあの店で 43『ずっと、チャレンジャー。』中尊寺まい(ベッド・イン)

あの頃の私、22歳。とにかく、家を出たかった。家庭にこれといった大きな問題があったわけではない。母子家庭ながら、周りの大人たちのおかげでひもじい思いをしたことは一度もなかった。ひとりっ子だったし、なんだかんだ欲しい物は買ってもらえていたし、おやつとかお菓子とか、生まれてこの方分けたことなんてないし、ふかひれの姿煮を白いごはんに乗せてクチュクチュして食べさせてもらっていたし。父がいなかったからといって、それを悲観したこともなかったし、家族と大きな喧嘩をしたこともなかった。ただ、その分ずっと家族に気を遣っていたから、そんな中途半端にお利口な自分と付き合っていくのが、もうだるくなっていた。

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Neverland Diner 二度と行けないあの店で 44『新宿、サグ・パニール、恋。』小谷実由(モデル)

カレーが大好きだ、物心ついた頃からずっと。毎日お昼ご飯がカレーでもいい。毎日お昼ご飯はカレーがいい。幼少期、保育園の給食のメニューは毎週金曜日が必ずカレーだった。ちなみに木曜日は麺類。たとえミートソーススパゲティが出てみんながワイワイ喜んでいても、私にとってそれはカレーが近づいてくることを感じさせるプロローグに過ぎなく、気持ちは翌日のカレーへと華麗に奪われていた。そんな幼少期を過ごして大人になったいま、私の好きなカレーはインドカレー。一番好きだったカレー屋さんは今年の4月末、45年の歴史に突然幕を閉じてしまった。

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Neverland Diner 二度と行けないあの店で 45『カフェのランチでよく出てくるミニサラダ』川田洋平(編集者)

「二度と行けないあの店」について書くということはつまり、「無愛想な店主が作ったあの優しい味が忘れられなくて」とか、「あの店には恋人と過ごした甘酸っぱい時間がたっぷり詰まってて」とか、きっと自分の人生のある重要な一時期を強烈にフラッシュバックさせるような「自分にとっての名店」について書いてくれよ、という主旨の依頼なのだと解釈している。しかし、二つ返事で引き受けたはいいが、いくら思い返せど、僕にとってそんな連載のセオリーに沿う店など思い浮かばない。どんなにおいしい料理でも感極まるのは口に入れたその一瞬だけ。1年も経てば、もはやその店に行ったことすら忘れてしまう。それでも「二度と行けないあの店」は、きっとある。あるはず。

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Neverland Diner 二度と行けないあの店で 46『「浮かぶ」の正しいナポリタンとハイボール』安田理央(ライター)

飲むことについての原稿をよく書いていたりするので、酒場に詳しいと思われることが多い。でも実は、一人で酒場に行けなかったりするのだから、酒飲みとしては半人前だ。家で一人飲みするのは好きなのだが、一人で酒場で飲むのはどうも苦手だ。居酒屋だと、手持ち無沙汰なので、すごいスピードで飲み食いしてしまい、お腹もいっぱいになって、すぐ店を出るはめになる。一人でぼーっと酒を飲む、ということが出来ないのだ。人見知りなので、スナックみたいな店で初対面の人と会話するなんてことも難しい。だから一人で飲みに行けるのは、知り合いがやってる店くらいなのだ。その数少ない店のひとつが、「浮かぶ」だ。

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Neverland Diner 二度と行けないあの店で 47『まんまる』上迫愛(案山子家)

20代の中頃、私は広島市内に住みサラリーマンをしていた。給料は手取りで15万ほど、ボーナスなど無いのであまり贅沢はできず、休みの日には散歩をして気になったお店に入って食事するのが楽しみの一つだった。広島駅周辺には昔からある安くて面白い味のあるお店が多く、政令指定都市の駅前とは思えないような古い鉄骨むき出しの廃墟のような建物もあり、そういった場所を散歩すると妙に落ち着くのでよく訪れていた。今にも崩れそうでボロボロな建物の中に「駅前横丁」という飲食街があり、1m程の通路の両脇に小さなお店が10店舗ほど入っていた。その駅前横丁の入口の角に、うどんとおはぎと巻き寿司が食べられる「まんまる」というお店があった。

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Neverland Diner 二度と行けないあの店で 48『カトマンズのチャイ店 』向田麻衣(IRIS SUN)

その店はネパールの首都カトマンズのチャイ店だ。そこに店名があったかはわからない。初めて行ったのは20年前で、その店はいつのまにかなくなってしまった。1998年のカトマンズは、まだ今ほど道も舗装されていなくて、土埃が舞っていた。パタンホスピタルからタメルに向かう道の途中にそのチャイ店は現われた。畳一畳分くらいの小屋の中で大きな寸胴鍋の中に、茶葉を入れたミルクがふつふつと沸いている。カトマンズについてはじめてひとりで町を歩いたときに、私はそのチャイ店の前で足を止めた。

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Neverland Diner 二度と行けないあの店で 49『「鶴はしラーメン」の絶品鴨スープのラーメンを作る、熊の刺身を食べなかった「チーフ」』呉(ゴ)ジンカン(フリーマンガ編集者・総合マンガ誌キッチュ責任編集)

普段滅多に鳴らない私の電話はしかし、時期によっては偽物の黒電話の音で持ち主を呼び出す。漫画家は24時間仕事しているので、編集者もそれに対応しなければいけない。しがないフリーの編集者とは言え、締め切りの時期によって予期せぬ時間にさまざまな連絡が来ることがある。約5~6年前のことだったか、その電話は漫画家からではなく、意外な相手「ジュンちゃん」からのものだった。「あの…ご無沙汰しております。このたび父が他界いたしまして、そちらにもお知らせを…」「はっ?」まだ死別を多く経験していない三十代前半だったからか、不意に素の声で返してしまった。「ジュンちゃん」の言う「父」とは、私が2000年に日本の大学に入学した時から、大学を離れるまでの十数年間通っていたラーメン屋さん「鶴はし」の「チーフ」のことである。

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Neverland Diner 二度と行けないあの店で 50『その店は、居間にあった。』小石原はるか(フードライター)

昔の記憶全般がそろいもそろってあいまいなのだが、その店がうちにあったことは、確実だ。居間が、その店だったから。今もわたしはそこにいるが、ここにあの店はもうない。43年ほど前に、当時 “最先端の二世帯住宅”的な触れ込みで建てられたという、3フロアからなる一軒家。その二階で、母親が店を始めたのはたぶん自分が中学生のころ。昼は一般家庭の居間、夜は完全予約制&紹介制(「第一種住居地域」という用途地域であるところに“なんとか地区”という別のルールが重なっていて、表立っての飲食店営業はご法度な区域であるため)の料理屋という二毛作空間が誕生した。にほんのおかず、といった感じの、普段うちの食卓に登場していた料理を小皿であれこれとメインはステーキ、炊きたてごはんとおみおつけ、香の物で締めくくるとおまかせコースが、たしか10,000円。

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Neverland Diner 二度と行けないあの店で 51『究極の「うまくないけど食いたいもの」だった、うどんとおでん』兵庫慎司(ライター)

今から20年くらい前、なので30歳前後の頃、故郷広島に帰省した時のこと。帰ると必ず会う、高校の同級生である友人が「いい店があるから行こう」と言う。我々の地元はJR広島駅にほど近い府中町というところなのだが、彼は当時、呉市内で仕事をしていて、そのあたりを日々クルマで走り回っていて、見つけた店だという。「何屋?」「うどんとおでん」「よく行くの?」「うん、週2,3は」「へえー。うまいんだ?」「うーん、うまいというか、おもしろい」

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Neverland Diner 二度と行けないあの店で 52『今はなき広島文化の最深部』YOSHI YUBAI(写真家)

2012年の夏、長崎へ移住するつもりで当時働いていた屋形船の仕事をほっぽり投げて浅草を飛び出した。ゲストハウスを拠点に一年くらい長崎をプラプラしながら写真を撮る・・・つもりが気がつけば、広島に不時着。まずはじめに待ち受けていたのは、当時駅前にあった純喫茶のウィンドー。さりげなく金正日と小泉純一郎が握手している写真が・・・。なんとも強烈な洗礼でしたが、駅前の愛友市場もいい感じだし、地元の福山までも電車で一本。さらに駅から徒歩5分、猿猴川沿いに家賃3万5千円で2DK、小汚いけど快適そうな部屋を見つけたので広島に住み着くことにした。

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Neverland Diner 二度と行けないあの店で 53『限りある時間を慈しむ』ヴィヴィアン佐藤(ドラァグクイーン、美術家)

「二度と行けないあの店」は山のようにある。むしろもう行けないお店のほうが人生においてはるかに多いはず。店が潰れてしまったり再開発で立ち退かされたり。店主やスタッフが亡くなったりどこか行ってしまったり。色々理由はある。いやむしろもう物理的に行けなくなって、店は初めて完成されるのかもしれない。「殿堂入り」というような。

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Neverland Diner 二度と行けないあの店で 54『父と煮込みとバヤリース』とみさわ昭仁(ライター)

東京は森下町に、その店はある。もつ煮込みの名店として、いまも連日大賑わいで営業を続けている。だけど、ぼくが行きたかったあの店は、もうそこにはない。ぼくが生まれ育ったのは千歳町という町。墨田区の下端にあって江東区と接するところ。そこに親戚のおじさん(吉田佐吉似)が経営する運送屋があり、父はそこのトラックドライバーだった。会社のすぐ裏には木造一軒家の社宅があり、ぼくら一家はそこを借りて住んでいた。父は夕方に仕事を終えると、まずは銭湯へ行って汗を流す。それから帰宅して夕飯を……と言いたいところだが、無類の酒好きなのでまっすぐ帰宅することはせず、近くの酒場で一杯引っ掛けるのを日課にしていた。その間に母が夕飯の支度をする。いい頃合いで父を呼びに行くのは、ぼくの役目だ。

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Neverland Diner 二度と行けないあの店で 55『凍った英国の庭に行った話』伊藤宏子(季刊誌『住む。』編集長)

地べたを這う旅をしたことがある。ミレニアムを挟んでの10年間くらいだっただろうか。東京・南青山の花店「ル・ベスベ」の高橋郁代さんと毎年つくっていたル・ベスベダイアリーのためにと称して、随分あちらこちら旅をした。彼女は毎年約束するその1週間をとても楽しみにしていたと思う。独立する前から自分の店を持ったら行こうと夢見ていた場所を常々口にしていたのだった。バラの咲く季節に英国を旅する、パリのお花屋さんを巡り実際に花束を注文してみる、イタリアのヴィラに泊まって撮影するなどなど。旅行日を決定するのが大変なほど多忙なので、海外の花の旬を予測して旅行日程を組む係の私は毎年ドキドキしていた。

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Neverland Diner 二度と行けないあの店で 56『再築される愛憎』理姫(歌手 アカシック/ボーカル)

帰ればいいのに、私達にも一応明日があるんだから。って、明日っていうかもうこの後だよ。あ、やばい、ちょっとメンバーに電話するから待って。もしもし?いぇーい!ごめん、ちょっとマジ飲みすぎちゃったわ! このように私は自らがボーカルを務めるバンド、アカシックのリハーサルをお酒のせいにしてよくサボっていました。サボったっていうか、気がついたら行けなかったのです。

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Neverland Diner 二度と行けないあの店で 57『ハマーの味』大井由紀子(編集業)

初めての台湾行きは「牯嶺街少年殺人事件」のリバイバル上映を観たあとだから、確か1998年。隣町に行くくらいの気軽さで台湾に通い始めてからは12年ほどになる(ここ数年は手元不如意と円安も手伝ってそうもいっていられないが)。もっと頻繁に台湾に渡り、より深くかかわっている人は身近にもたくさんいる。私はこの間、一貫して旅行者だった。中国語も情けないほどに上達していない。

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Neverland Diner 二度と行けないあの店で 特別編 スナックの灯よ 闇夜を照らせ ―― 被災地スナックめぐり

2011年3月11日の東日本大震災から8年経って、いまだに5万人以上のひとが故郷を離れて避難生活を送っている。震災はまだぜんぜん、歴史上の出来事じゃない。 あの日、揺れが収まって被害のすさまじさがだんだん明らかになってきたときから、こういう仕事をしているものとして、被災地に行くことを考えない日はなかった。でも、マスコミのあとを追っかけて嘆き悲しみ怒りに震えている人々のただなかに土足で踏み込んでいくのも、異様に美しく見えてしまうに決まっている破壊された風景を撮影するのも嫌だった。ようやく重い腰を上げて被災地に初めて足を踏み入れたのは6月になってから。週刊朝日の記者と連れ立って、「被災地のスナックをめぐってみよう」という企画を立てたのだった。またそんなことを・・と笑われもしたけれど、それは僕なりに真剣に向き合った取材だった。 今週の「二度と行けないあの店で」は特別編として、あのとき通って取材した記事を、写真も増やして再録させていただく。訪れた店がいまも営業中なのかは、調べていないのでわからない。なくなってしまった店も、いまも元気に盛り上がっている店もあるだろう。でも、あのとき飛び込みの、それも東京からちょこっと訪れただけの取材記者にうんざりしていたにちがいないのに、あたたかく迎えてくれたママさんや常連さんと過ごした時間は、僕にとってかけがえのない記憶だ。その思いのカケラだけでも伝わってくれたらうれしい。

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Neverland Diner 二度と行けないあの店で 58『飯能、おにぎりと磯辺餅だけの店』古賀及子(会社員)

なにを頼んだらいいのかまるでわからない。メニューをなんどみても見当がつかずどうしたものかとても困惑した。店は埼玉県の飯能駅に近い商店街にあった。店名や詳しい場所は覚えていない。私は小学5年生で、放課後だったか休日だったか、その日ははーちゃんという同級生の女の子と一緒だった。

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Neverland Diner 二度と行けないあの店で 59『祇園の片隅で』いぬんこ(絵描き・絵本作家)

やたらおもろうて悲しゅうてわけわからん美大時代――そんな日々を、私は京都の下宿の四畳半で過ごした。神社や仏閣などにはまるで触れず、オールナイト上映やアングラライブ三昧の日々。当然のことながら、金が尽きる。下宿代として仕送りしてもらった分では全然足りない。遊興費を稼ぐために、バイトも色々こなしていた。せっかくするなら面白げなのをと、美大に貼り出されたバイトから、似顔絵描きや映画撮影所のエキストラ、忍者村のクノイチなんかをしたうち、比較的普通?な鉄板焼き屋のバイトをはじめたのは、場所柄からか時給が良かったという理由からだった。

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Neverland Diner 二度と行けないあの店で 60『カリブサンドだけは、今でもほんとうのまま』飯田光平(編集者)

どこにあるのか、どんな名前だったか、自分はそこで何を食べたのか。その詳細を、ほとんど覚えていない店がある。でも、ひとつだけ、おぼろげな記憶の中ではっきりと輪郭を持ったイメージある。ボリューム満点のサンドイッチを頬ぼる、あさぐろの先生。その料理は、たしか「カリブサンド」なんて名前だった気がする。

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Neverland Diner 二度と行けないあの店で 61『最初で最後。すさみの黒嶋茶屋』逢根あまみ(ラブホテル探訪家)

私は、寂れてしまった観光地や昭和の頃に建てられたレジャー施設が好きで、数年前からそれらを愛でるための旅をしている。ここ5年くらいは、その中でも「昭和の趣の残るラブホテル」に特に魅了されてしまい、週末のたびにあちこちのラブホテルで昭和の残り香を探すことに心を尽くしている。

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Neverland Diner 二度と行けないあの店で 62『深夜の路地で、立ち食いサラダバー』椋橋彩香(地獄研究家)

私は「タイの地獄寺」というものに惹かれ、数年前からタイ全土を旅している。地獄寺とは、敷地の一角にキッチュでグロテスクなコンクリート像をもって地獄を表現している寺院のことである。2010年に都築響一氏による『HELL 地獄の歩き方《タイランド編》』(洋泉社)が刊行されているので、ご存知の読者も多いかもしれない。地獄寺はタイ全土に70か所以上存在しているが、その多くは外国人観光客がまったく訪れないような田舎町にある。時が止まったようなゆったりとした空気の中で、見渡す限りのサトウキビ畑や水牛の群れを横目に地獄めぐりをすることもしばしばだ。

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Neverland Diner 二度と行けないあの店で 63『仙人茶館 重慶』菊地智子(写真家)

2010年の初夏、私はうだるように暑い長江のほとりの大都市重慶で友人のドラァグクイーン達を撮影していた。バーで夜働き昼間寝ているクイーン達と一緒に生活を共にしながら、朝になると都市開発の波で壊されつつあった重慶の古い町並みを徘徊するようになった。毎日撮影していた重慶の若者たちと、壊されていく街の風景が繋がっているような不思議な感覚を覚えたからだ。

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Neverland Diner 二度と行けないあの店で 64『1980年代前半、サイゼリヤ 稲毛駅前店』マキエマキ(自撮り熟女)

今でこそ、デートで行きたくない店の代名詞のようになってしまったサイゼリヤだが、1980年代前半、私が中学生〜高校生の頃のサイゼリヤは、まだ大掛かりなチェーン展開を始める前で、通っていた高校の最寄り、稲毛駅前のサイゼリヤは煙草とワインの匂いの篭る、千葉大学の学生御用達の店だった。店構えも、現在のようなファミレス形式ではなく、薄暗い、穴蔵のような店内に、藁に包まれた丸い形状が特徴だった、キャンティ・フィアスコの空き瓶がびっしりとディスプレイされた、大人の雰囲気を漂わせる店だった。

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Neverland Diner 二度と行けないあの店で 65『打ち上げ花火と水餃子』村上巨樹(ギタリスト)

それはミャンマーの山岳都市・タウンヂーでの話。半月もミャンマー国内を一人旅していた僕は、当然ながら毎日ミャンマー料理を食べていた。米粉を使った麺料理、土着のカレー、揚げた惣菜(日本で言う天ぷら)。美味しいのはもちろんのこと、日本で嗅いだことのない香辛料や出汁の匂いがエキゾチズムをくすぐった。そんな至福の食事も、連日連夜食べ続ければどうしても飽きてくる。禁断症状のように日本食が恋しくなった。それに拍車をかけたのは、油を大量に使うミャンマー流儀ゆえの胃もたれだった。さっぱりした浅漬けが食べたい。駅の立ち食いそばが食べたい。寿司が食べたい。

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Neverland Diner 二度と行けないあの店で 66『オリオン座の下にあったミヤマ』村上賢司(映画監督・テレビディレクター)

「映画が好きになったキッカケはなんですか?」。これが一番困る質問。質問した人は「父親と一緒に観た『ダンボ』に感動したから」とか、「浪人中にブラリと入った名画座で観た『仁義なき戦い』に勇気づけられたから」とかと、明確な作品名とシチュエーションが欲しいのだろう。しかし、そんなものはない。

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Neverland Diner 二度と行けないあの店で 67『シンプリーのスペカツ』桑原圭(編集デザイナー)

私が育った福井県大野市の田舎町には2つの高校があった。いわゆる進学校とやんちゃな学校。高校時代、私は進学校に行き、仲のいい友達はほとんどやんちゃな学校に行った。当時はヤンキー全盛の時代、美しい田園風景が広がるこの田舎にも例外なくヤンキーはあちこちにいた。下校途中の農道では鬼ハンバリバリの自転車にまたがった先輩に出くわし、無駄にボンタンを買わされ、お疲れさまです!と社会人になってからも出したことのない大声を出していた。そんなごく普通の弱い高校生の時の話。もう20年以上も前のお店の記憶。

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Neverland Diner 二度と行けないあの店で 68『神田神保町のめし屋「近江や」と「美学校」』直川隆久(CMプランナー)

東京は神保町の細い路地にある「近江や」という、カウンターだけの小さなめし屋。今から20年ほど前の大学生時代、その店でサバの塩焼きをずいぶんと何度も食べた。すぐそばの「美学校」に通っていたからだ。「美学校」をご存じない方のために簡単に説明すると、1969年に設立された芸術表現の学校である。学校とはいっても、美大でも、美大受験予備校でもない。絵画教場(当時)、石版画工房、細密画教場などの講座があって、年齢も職業もバラバラな「学生」が雑居ビルのワンフロアに寄り集まって作品を制作し指導を受ける。

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Neverland Diner 二度と行けないあの店で 69『修行道場 高野山』梶井照陰(僧侶/写真家)

ピピピピ........目覚まし時計の音で目が覚めた。ぼんやりとした頭でまわりを見ると、同部屋の仲間たちがあくびをしながら布団をたたみ衣に着替えている。仲間に促されて私も布団をたたむと、“まだ寝ている者はいないか”と指導員が見回りにやって来た。指導員の去った廊下には、修行を告げる半鐘(はんしょう)を鳴らすため、この日の日直が撞木(しゅもく)を手に待機している。窓の外はしんと静まりかえり虫の声さえ聴こえない。時計の針は2時を回ったばかりだ。

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Neverland Diner 二度と行けないあの店で 70『私がジョン・ヴォイトになった日』高橋洋二(放送作家、ライター)

荻窪の「丸福」に初めて行ったのは大学生になった1982年だった。当時のグルメジャーナリズムは今日のように多彩ではなく、そもそもラーメンについてあの店が美味いとか不味いとか皆がわあわあ言う習慣は無かった。そんな中、若い演芸評論家の山本益博氏が「東京・味のグランプリ200」をドーンと世に送り出し、いい店とそうじゃない店を実名で発表した。しかも寿司、天ぷら、鰻、洋食といったトラディショナルなジャンルに加えラーメンについても健筆を振るい、「丸福」は唯一の三つ星評価を獲得していた。

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Neverland Diner 二度と行けないあの店で 71『夜来香(イエライシャン) 名古屋・栄店』Oka-Chang(エッセイスト)

「実は」から始まる話が好きだ。「実は親が有名人」「実は浮気をしている」「実は真面目」「実は女」などなど。双方に「信頼」という下地作りがしっかりした「実は」もあれば、フライング気味の「実は」もある。「つい」とか「うっかり」とか、そんな「実は」の中にこそ、人間の味が隠れていたりするわけです。これからする話も「実は」の部類に入る。

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Neverland Diner 二度と行けないあの店で[特別編]『中野ぱじゃんかの思い出』

今年の初め、一枚の葉書を受け取った。中野のスナック「ぱじゃんか」のママさんだった稲垣政子さんのご家族からで、政子ママが介護施設に入居したお知らせだった。ぱじゃんかは『天国は水割りの味がする 東京スナック魅酒乱』の表紙にさせてもらった店だ。初めてうかがったのがちょうど10年前の2009年。当時すでに地上げでめちゃくちゃに荒廃していた中野ブロードウェー裏の一角に、一軒だけ電気が点いていた店で、おそるおそる覗いてみたのがぱじゃんかだった。

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Neverland Diner 二度と行けないあの店で 72『唐揚げ塾』ディスク百合おん(ミュージシャン)

2012年、「唐揚げ塾」という店がありました。その店は、中野のとあるイベント箱の近くに突如出来ました。私はミュージシャンをやっているのですが、ライブの音出しが早めに終わり「出番まで微妙に時間も出来たし、小腹でも雑に埋めちゃいますか!」とフラりと入塾したのでした。店内は塾に合わせてなのか、ロッカー、黒板、学習机・イスがあり、いわゆる小学校風。といっても当時を再現しているというよりは、コント番組やAVのセット寄りな安っぽさ。

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Neverland Diner 二度と行けないあの店で 73『永遠の21秒』豊田道倫(シンガーソングライター)

30代前半のある時期、通った喫茶店がある。学芸大学の商店街からちょっと入ったところにあったお店。マスターひとりでやっていて、カウンターが6,7席、小さなテーブル席が2つあった。小洒落た白を基調としたお店だったが、マスターは初老だけど精悍で、鋭い目をしていた。かつては映画関係の仕事をしていたと聞いた。ふっとその店に入って、独特だけど店にケレン味や棘はなく、居心地は悪くなかった。濃いフレンチコーヒーが好きになった。いつも「うちのはぬるいぞ」と言って出していた。熱くない。熱いと味が逃げるのかどうか知らないけど、ぬるいけど美味かった。

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Neverland Diner 二度と行けないあの店で 74『戦争オカマについて』茅野裕城子(作家)

海外から来ている友達から、どうしても行ってみたいというリクエストでもない限り、わたしは普段、新宿二丁目のゲイバーに飲みに行ったりすることはほとんどない。80年代、中上健次さんが元気だった頃は、二丁目の角にあった西武門(にしんじょう)という沖縄料理屋に時々呼び出されて、一時間二時間と大幅に遅れてやってくる中上さんを待ちながら、わたし以外誰も客のいない店内で、「日輪の翼」にでも出てきそうな従業員のおばあさんたちが、低い声で、問わず語りに身の上話などしているのを聞きながら、つき出しの豆腐の上に小魚が五つ並んでいるものを、これは一体どういう食べ物なんだろうか、とずっと眺めていたりした。が、二丁目の端っこにあったとはいえ、西武門はゲイバーではなかった。わたしが、今、二度と行けない店として思い出そうとしているのは、とある古臭いゲイバーなのだった。

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Neverland Diner 二度と行けないあの店で 75『白檀の香り』池田宏(写真家)

先日、古民家カフェに行った時のことだ。そのお店は週に2、3日しか営業しておらず、ランチも予約制というこだわりで、ナチュラル志向が強い人が好みそうな雰囲気のお店だった。ドリンクメニューにチャイがあったので、妻と「おっ、チャイあるね」と即決して注文した。二人とも20代の頃にそれぞれインドを旅行していたこともあり、メニューにチャイがあるとインドを懐かしんでつい頼みたくなる。しばらくしてニコニコした穏やかな雰囲気の女性店主が運んできてくれ、チャイを一口飲んでみた。しかしお互い特に感想もなく、しばらくくつろいでお店を出た後に妻がボソッと言った。「あの人絶対インド行ったことないよね」と。

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Neverland Diner 二度と行けないあの店で 76『夢の跡』金谷仁美(編集者)

道頓堀戎橋のたもと、高松伸設計のハイテク建築で有名だったKPOキリンプラザで色々な現代美術の展示がおこなわれていた頃、あのあたりに足を運ぶことが何かと多かった。脇には赤いネオンが妖しい宗右衛門町がある。そこを抜けて長堀通を渡り、川べり沿いに松屋町のコミューンまで徒歩で帰るのがお気に入りのルートだった。24時間のうどん屋を最後に長堀通を渡った途端、道頓堀に映る川面もさっきまでの彩りや賑やかさが嘘みたいな、静けさと暗さがある界隈になった。ある深夜、宗右衛門町をいつもとは一本ちがう道に入ったら、突然、昭和感あふれる大きいモータープールが現れた。

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Neverland Diner 二度と行けないあの店で 77『フリークスお茶屋の話』都築響一

先週特集した『ドレス・コード?』展の準備で、久しぶりに京都で何日か過ごすうちに、むかしこの街に住んでいたころのことをいろいろ思い出した。ただいま上海に出張中でいつもの「二度と行けない店」の書き手を準備できなかったので、今週は僕の「二度と行けない店」というか、「実はいちども行けなかった京都の店」の思い出を書かせてもらおうと思う。

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Neverland Diner 二度と行けないあの店で 78(特別編)『松屋バイトで見た十三の景色』徳谷柿次郎(編集者)

人生で一番しんどかった仕事は牛丼チェーン「松屋」のアルバイトだった。二十歳前後の頃、「松屋」で深夜アルバイトを始めた。一般的な人生のレールから大きく外れ始めたタイミングで、昼間の明るい時間帯に人と会いたくない、もっといえば地元の友だちと会うのを避けたい。泥まみれのコンプレックスを抱えて、誰も自分のことを知らないインターネットにもっとどっぷり浸っていたかった時期だ。

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Neverland Diner 二度と行けないあの店で 79『北浦和 さらじゅ』島田真人(編集者・カレー愛好家)

ほぼ毎日のようにカレーを食べ歩くようになってからもう10年以上経っている。そんな生活をしていたら、いつのまにか自分でカレー関係の本の編集をしたり原稿を書いたりをするようにもなってしまった。そういったことをしていると、やはり「いちばん好きなカレー屋はどこですか?」と聞かれることもある。これがまた答えるのが難しくて、そのときによって答えが違っていたりもするんだけど、最近ではいちおうそういったときに答える用のカレー屋もある。自分の中では「いちばん好きなカレー屋はどこか」という問題について、とくに最近は美味しい美味しくないというところでカレーを食べているというよりは、カルチャー的に楽しんで食べていることもあるので、まだきちんとした答えが見つかってはいないのが現実でもある。いつも出先でカレーを食べたりなんなりしていれば、数多くのカレー屋で食べてもいるし、いまはもう閉店してしまったカレー屋も数多くある。

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Neverland Diner 二度と行けないあの店で 80『突撃せよ!あさましい山荘』小林勇貴(映画監督)

「殺してやる、殺してやっからヨォー!」ぶん投げられて割れる酒瓶! 石にぶつかって散った破片が池に落ちると、餌と勘違いしたアホ面の鯉が水面からコンニチハ。ノーコンで酒瓶をぶん投げたサメハダのバカが「ゼッテー殺してやっからヨォオ」といって泣きながら、ゲロを吐きました。以前海水浴に行ったとき、海岸に打ち上げられていた瀕死状態のサメの子供をひたすら殴って撲殺したことから『サメハダ』と呼ばれるようになったこいつは、兎に角短気で超危険。数ヶ月前には殺したスズメバチを繋げて作ったネックレスを首から下げていたことでハチノコと呼ばれていました。本名はコウタロウ。コウは幸せと書きます。

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Neverland Diner 二度と行けないあの店で 81『しみいるうどんといなりずし』スケラッコ(漫画家)

こんにちは。私は普段マンガやイラストを書いて生活しています。文章を書くのは苦手なのですが、でもこのテーマ、「二度と行けないあの店で」というのは自分の思うところとぴったりで、字面だけで泣けてくるような気持ちです。以前マンガにも書いたことがある「弁慶食堂」のことを今回はちょっと細かく描きます。私は大学卒業後、京都の会社に就職してデザイナーの仕事を8年くらいしていたのですが、その時たまにお昼ご飯を食べに行っていたお店です。

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Neverland Diner 二度と行けないあの店で 82『三鷹アンダーグラウンド』平民金子(文筆家・写真家)

三鷹駅の南口を降りて中央通りをほんの1分ほど歩けば、左手に吉野家が目印のニューエミネンスビルがある。そこの階段を地下に降りると三鷹アンダーグラウンドカルチャー(地下飲食店街)の心臓部である喫茶店リスボンと中華そば「みたか」に辿り着くだろう。トイレは両店共用、和式。2011年の4月。そのころ西荻窪に住んでいた妻と私は、前年に「江ぐち」の味を継承し屋号を「みたか」とあらためた新しい中華そば屋を応援するような気持ちで、たまにここでラーメンを食べ、帰りにリスボンでコーヒーを飲むのが習慣だった。

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Neverland Diner 二度と行けないあの店で 83『東京の、みんなのとんかつ登亭』本人(ライター/インターネットユーザー)

西荻窪駅の南口を出てすぐ右手に流れると出くわす柳小路。3分で回れるくらいの狭いエリアには、カウンター席だけの飲み屋や個性的な飲食店などが雑多にひしめいて、JR中央線の魅力をわかりやすく教えてくれている。とんかつ登亭は、その横丁の一角に2006年まで存在していた。L字のカウンターテーブルに囲まれ、老夫婦が営む昔ながらの定食屋。そこではデミグラスソースのかかったカツやハンバーグ、サラダなどがワンプレートに盛り合わさって、味噌汁と米を付けて500円ちょっとで食べることができた。

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Neverland Diner 二度と行けないあの店で 84『大阪ミナミ・高島田』鵜飼正樹(社会学者・京都文教大学教授)

市川ひと丸劇団の役者・南條まさきとして舞台に立ち続けていた1982年4月から1983年6月にかけて、関西の劇場で公演があると、よく手伝いとして舞台に出る役者がいた。その役者は男だったが、舞台ではもっぱら、白塗りの女形を演じた。それも、芝居ではなく踊りで舞台に出ることが多かった。出演はおもに土日だったように思う。正確な年齢はわからなかったが、すでに老境に達していて、70代か、ひょっとするともう80代かもしれなかった。踊りで舞台に出るといっても、女形の足取りはどことなくピョンコピョンコとはねるようで、そんなに上手でなさそうなことは、入団間もない私にもわかった。一方で、着ている衣装や鬘が豪華で金がかかっていることも、よくわかった。「太田先生」。その役者は、楽屋ではこう呼ばれていた。

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Neverland Diner 二度と行けないあの店で 85『スナック・ストーン』石原もも子(芸術家)

1976年、今から43年前札幌から上京し大学を卒業した父は東京で働きはじめる。今でも当時の仕事について誇りに思い、情熱を注いでいたことが話す様子から伺える、本当に心底好きなことだったんだと。そんな仕事仲間に連れられて、24歳の父は四谷三丁目にあるスナック・ストーンを訪れた。そこから父の東京での青春がはじまるのだった。

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Neverland Diner 二度と行けないあの店で 86『どこまでも続く森』たけしげみゆき(シカク店主)

森で過ごす時間の不思議な静けさが、なんだか好きだった。森というのは、木がたくさんある森ではなく、我が家から自転車で10分足らずの近所にあったお好み焼き屋さんの名前。どこにも店名が書いていなかったのに、存在を教えてくれた友人も常連さんも「森」と呼んでいたので、私も同じように呼んでいた。

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Neverland Diner 二度と行けないあの店で 87 『ニンニクのにおい、駅ビルからの眺め』 VIDEOTAPEMUSIC(ミュージシャン、映像作家)

正月に久々に実家に行った。実家の場所は東京都小平市の西の端。かつてはこのあたりまで米軍基地関係の施設があって、今でもその名残で広い公園や運動場や、よくわからない更地は多い。その上を多摩モノレールがゆっくりと往復している。実家の近くには西武拝島線の駅があり、久々に駅前を歩くと、来る度に何かしらの新しいチェーンの飲食店できていて、同じように何かしらの店が無くなっている。子供の頃に初めて親に本を買ってもらった本屋はシャッターが閉まったままで、駅前には見覚えのないセブンイレブンが新しくできていて、好きだったラーメン屋はまた別のラーメン屋になっていた。

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Neverland Diner 二度と行けないあの店で 88 『イクツニナッテモアソビタイ、と台湾料理屋のママは云った』 友川カズキ(歌手、画家、競輪愛好家)

川崎に住んで五十年になんなんとしている。別段、居を定める、と云うほどの確信めいたモノは今の今まで無かったのだが、気づけば早、半世紀である。この間、市内で数度の引っ越しを経験してはいるが、つげ義春の『李さん一家』のごとく、何とは無しにここ西口界隈にとどまっているのである。五十年も暮らしていれば、どんな偏屈者でも馴染みの飲食店の五軒や六軒はありそうなものだが、私にとって堂々常連ヅラできるような気安い店は、今となってはほとんど無い。ここ数年、腰の調子がよくないのもあって、近所の呑み屋に一人フラッと入るようなことも、まったくと云っていいほど無くなった。

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ロータリーの女たち

歌舞伎町のキャバレー「ロータリー」が2月28日で閉店したのは大きなニュースになったし、NHK「ドキュメント72時間」をはじめとするテレビ番組も複数放送されたので、ご覧になったかたもいらっしゃるだろう。「白いばら」や「ハリウッド」の時と同じく、閉店の発表が流れたとたんに毎晩、満員御礼。最終日はとりわけ大混雑だったが、本メルマガではフィリピンパブや暴走レディースでおなじみの比嘉健二さんが長く愛用していた店ということで、最後の夜の取材に誘ってもらえた。

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Neverland Diner 二度と行けないあの店で 89 『売女に居場所を潰されて』 クーロン黒沢(人生再インストールマガジン「シックスサマナ」編集長)

私には「気に入るとそればかり続ける」という癖があって、今でも松屋の期間限定「ごろごろ煮込みチキンカレー」を日に2回、週7日食べたりするが、なかでもひと際熱心に続けたのが麻雀だった。90年代半ば、わけあってカンボジアのプノンペンに移住した私は、人生のほぼ半分をこの町で過ごした。

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Neverland Diner 二度と行けないあの店で 90『バーニングマンのラーメン屋台』柳下毅一郎(特殊翻訳家)

あれは2013年、はじめてバーニングマンに行ったときのことである。たしか6時半ごろにキャンプがあったはずなので、6時のFとかそのくらいだったと思う。そこにラーメンの屋台があった。バーニングマンは毎年8月の終わりにネバダ州の砂漠で開かれる巨大アート・フェスティバルである。なにもない砂漠のど真ん中に七万人の人間が集まり、一週間だけの町を作りあげ、それが終わると塵ひとつ残さずに帰っていく。バーニングマンについて語っているととうていこのスペースにはおさまりきらないので、どうしても必要なことだけ記しておく。ひとつはバーニングマンの会場(ブラック・ロック・シティと呼ぶ)ではお金は通用しないということである。そこは無償で人に与える“ギブ”だけがある世界なので、参加者はみな持ってきたものを惜しみなく配ることになる。

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Neverland Diner 二度と行けないあの店で 91『終末酒場にて/五反田・たこ平』幣旗愛子(編集・執筆)

ランチに、仕事上がりに通っていたそのお店は、昨年ついに閉まってしまったという。お店の外壁には、「おでん酒 わが家に戻り 難きかな 村山古郷」と書かれた看板があった。魚の絵が描かれたのれんがひらひらしていて、いつも気になっていた。ある日ようやくのれんをくぐったら、楽しくていつのまにかずっと通うことになった。そこで、わたしはスイッチお姉さんと呼ばれていた。秋葉原の部品市場で、パソコンの電源のオン/オフスイッチのパーツだけを買ったと話したら、常連さんたちがなぜかそう呼んできた。スイッチをカチカチとオン/オフすることで、忙しすぎる仕事から頭を切りかえられたらと思って買ったのだった。

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Neverland Diner 二度と行けないあの店で 92 『マクドナルドと客家土楼』 安田峰俊(中国ルポライター)

確か市バス113号線の桂庙新村バス停の向かいの雑居ビルの2階に「50年代」という垢抜けないアメリカンスタイルのバーレストランがあり、中華風の微妙なステーキを出していた。 さらに学府路を歩くと、黄色い看板の炒飯屋がある。日本円換算で1食75〜150円くらいでスープ付きの揚州炒飯が出て、腹を膨らませることができた。大学の食堂では1食30〜50円くらいの金額で食べられるとはいえ、学食は味がよくない。私たちが「黄色い看板」と呼んでいた炒飯屋は、比較的安いわりに味がよくて重宝していた。

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Neverland Diner 二度と行けないあの店で 93 『またみんなで行く♩』 平野紗季子(食いしんぼう)

家のごはんがおいしかった。という記憶があんまりない。母の作る唐揚げは、たいがい火が通り過ぎか通らなさ過ぎのどちからで、がぶりと噛み付いて違和感。鶏肉を見れば中心が血の赤で滲んでいて、オエー。理科室のカエルの解剖を思い出しながらレンジでチンして、ふやふやの衣とパサパサの肉を真顔で咀嚼したことが一度や二度ではなかった。でも、今になって時々母の家を訪ねてごはんを食べると、そこまでマズくない。というかむしろおいしい。なすの煮浸しとか豆腐ステーキとか、土井善晴が「ええやん」とコメントしてくれそうなしみじみいい味がする。言うほど料理下手じゃなかったんだな……。

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Neverland Diner 二度と行けないあの店で 94 『丸福(仮名)の醤油らーめん』 村田沙耶香(小説家)

子供の頃、私は千葉にあるニュータウンに住んでいた。私たち家族が引っ越したばかりのころ、そこは、工事現場と、空き地と、まっさらな家しかない世界だった。飲食店などもちろんほとんどなかった。徒歩で行くことができる飲食店はデニーズだけだった。駅前にはまだスーパーもできていなかった。私たち家族は、週末になると車に乗って遠くのスーパーまで買い物に行った。その帰り道に寄ることがあるのが、「丸福(仮名)」というラーメン屋だった。

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Neverland Diner 二度と行けないあの店で 95 『幻の本場インドカレー』 高野秀行(ノンフィクション作家)

本場のインドカレーは美味い──。昔から今に至るまでそう聞いているが、いまだに真実がわからないでいる。インドには四度も行っているのに。最初にインドへ行ったのは三十数年前、大学一年生の春休みだった。私にとって初めての海外旅行で、一人で一カ月ほど北部をまわった。当然毎日インドカレーを食べた。なにしろインドでおかずと言えば、すべてスパイスで味付けされた料理なのだ。カレーとは何か特別な料理でなく、日本で言うならしょう油みたいな、基本的な味つけのことなのだと知った。なのに、それが美味いかどうかはわからなかった。辛すぎたからだ。昭和の日本にはトウガラシが普及しておらず、今の若い人は驚くだろうが私は日本でピリ辛の食べ物を一度も経験したことがなかった。

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Neverland Diner 二度と行けないあの店で 96 『見えない餅』 工藤玲音(くどう・れいん 俳人・歌人・作家)

餅は餅屋と言うが、岩手に住んでいて祖父母が米農家のわたしは餅屋に行ったことがなかった。「家で食べられるものをわざわざお金払って食べるなんて」というのが工藤家の信条で、だとすると余るほど祖母から貰える餅を外食で食べるという選択肢はないのだった。しかし、ある日待ち合わせた友人がどうしてもくるみ餅を食べたい気分だと言った。餅を食べられる場所……と調べたのが、盛岡市上ノ橋町の「丸竹餅店」だった。和菓子屋だろうか、といつも通り過ぎていたところは餅屋だった。入り口には盛岡名物丸竹茶屋、と書いてあった。紫色の暖簾を潜り店内に入ると、狭いと思っていた店内は思いのほか奥行きがあり、席もたくさんあった。既に先客がたくさんいる。何年も使い古されて黒々と光る木の椅子に腰かけ手渡されたメニューを開く。

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Neverland Diner 二度と行けないあの店で 97  ミクシィ時代の「都会の森ガーデン」 田尻彩子(編集者)

私にとっての2000年代は、宴会の時代だった。盆暮れ正月花見はもちろんだけど、飲む理由は何でもよかった。そこに、宴会をしたい店があるからやるのである。2000年代といえばつい最近のようだけど、何しろLINEがない。大人数で飲もうと思ったら、メーリングリストを作るなり、幹事が一人一人電話やメールで誘うなりするわけで、想像するだけでもうめんどくさい。しかし当時の私たちにはミクシィがあった。宴会をしたければ、コミュニティを作り、仲間を招待すればいいのである。まさに宴会革命。宴会2.0だった。この頃には本当にたくさんの宴会したい店があった。そしてその店のすべては、もう今はない。

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Neverland Diner 二度と行けないあの店で 98 『なくなったピンパブ』 比嘉健二(編集者)

ドレスで着飾ったステージ上のフィリピーナに俺は花束を渡した。そのフィリピーナの腕には、すでに他の客から贈られた数本の花束が抱えられていたが、明らかに自分のが一番大きい。「オー、ケンジありがとうね」ライカがしばし俺を見つめる。気のせいだろうけど、間違いなく俺からの花束を一番喜んでいるように見えた。それまで女性に花束なんて一度も贈ったことはなかったし、とっくに還暦を過ぎた今、この先こういう体験もないだろうから、これが人生で最後の花束贈呈だろう。ライカというフィリピーナの、今宵は日本最後の夜になるサヨナラパーティ。覚悟していたとはいえ、遂にライカと別れる日が来たのだ。50を過ぎたおっさんの胸は切なさと言い知れぬ寂しさで、足が地についていない状態だった。このサヨナラパーティから逆算して、俺は9日間連夜この店に足を運んだ。

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Neverland Diner 二度と行けないあの店で 99  〈タイム〉と〈フェズ〉 バリー・ユアグロー(小説家) 訳:柴田元幸

マンハッタンのダウンタウン、〈タイム・カフェ〉の閉店。これはつらい喪失だった。2005年のことだが、今日もなお私には悲しい出来事である。ニューヨークのひとつの時代、ニューヨークのひとつの世界が失われたのだ。〈タイム・カフェ〉はノーホーの真ん中にあって、開店は90年代前半、ソーホーはむろんトライベカやイーストヴィレッジなどダウンタウン全体が、この都市の――この惑星の――新しい芸術的中心として三度目(四度目?)の超高速進化を遂げている最中だった。株式仲買人や企業弁護士ではなく、芸術家が(!)まだここには住んでいた。薄っぺらに明るい小売りチェーンや、値段ばかり高い観光客相手の店が本格的に侵入してくる前の話であり、ボヘミアンの気分と華麗な雰囲気とが妖しく混じりあっていた。私自身は、狭くて薄汚い、エレベータもなく、キッチンにバスタブがあるワンルームに住んでいた。

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Neverland Diner 二度と行けないあの店で 100(最終回) 『シドの酢漬け』 大竹伸朗(画家)

四国地図は左端中頃、予讃本線終着地「宇和島」でのコロナ式無移動軟禁生活が半年過ぎた。音を肴に新宿で呑んだのはたしか年明けだった。「ここから新宿三丁目は結構遠い」宇和島に来て30余年、いまだこのフレーズがふとこぼれ落ちる。郷愁色のボヤきのようなものだろう。「店」のひしめく歌舞伎町ビル群、押し寄せる靖国通り雑踏景もすでに他人事のように危うく消えかかる。 去年「ビル景巡回展」で展示した600点あまりの絵がスライドショーのように現実にオーバーラップして流れ去る。

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知ってるつもりの和食を教わり直す――国立科学博物館の和食展

昨秋に実施されたクラウドファンディングで目標1億円のところ、約5万7000人から9億円以上が集まったことで話題になった上野の国立科学博物館。僕も含め、大好きなひとがたくさんいるだろう。その科博で2020年に開催される予定だったのが新型コロナウイルスの影響で中止となり、あらためていま開催されているのが特別展「和食 ~日本の自然、人々の知恵~」。10月末から始まっていて、すでに多くの報道やSNSの書き込みがあるし、もう行ったというひともずいぶんいるはず。展覧会は今月25日まで、そのあと1年半以上かけて全国各地を巡回するそうだが、やはり上野で見ておかないと!というわけでなんとか閉幕前に駆け込み観賞してきた。

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電気の街の、わくわくうさぎランド

新・秋葉原の中心部に2月10日オープンしたばかりなのが『CANDY FRUIT うさぎの館』。その名のとおり、うさぎがいっぱいいる館なんです・・しかも動物のうさぎと、人間のうさぎが。猫カフェというのはよく聞くけれど、うさぎですか・・と絶句したら、連れてってくれた友達によると、すでに東京だけで10店以上、なぜか横浜にはさらに多くの「うさぎカフェ」が盛業中だとか。

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新連載 くいだおれニューヨーク・アンダーグラウンド 01 PUNJABI GROCERY & DELI(写真・文 アキコ・サーナー)

美大卒のデザイナーだったはずなのに、いつのまにか料理の世界に足を踏み入れて、いつのまにかニューヨークに移住したと思ったら、ユニークなケイタリングのプロジェクトを始めたり、ロウアーイーストサイドにレストランを開いたり。すっかりプロの料理人になっていて、こないだ久しぶりに会ったら、「ニューヨークはレストラン高いし、混んでるし最低! でも地元民しか知らない、気楽ないい店もまだあるんだよ」と言われて、じゃあ教えて!というわけで始まるのがこの新連載。不定期ではあるけれど、オシャレな雑誌やWebのニューヨーク特集にはぜったい登場しない、安くて美味しくてファンキーな(これが大事!)、取っておきの店にお連れします。さあ、きょうはなに食べさせてくれるんだろう!

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酒を聴き、音を飲む ―― ナジャの教え 03

地元の人間がさまざまな感情を込めて「尼」と呼び習わす兵庫県尼崎。ぬる~い空気感に包まれたこの地の周縁部・塚口にひっそり店を開く驚異のワインバー・ナジャ。関西一円から東京のワイン通、料理好きまでが通いつめる、しかし旧来のフランス料理店や高級ワインバーとはまったくテイストのちがうその店の、オーナー/シェフ/ソムリエ/DJが米沢伸介さんだ。独自のセレクションのワイン、料理、音楽の三味一体がつくりあげる至福感。喉と胃と耳の幸福な乱交パーティの、寡黙なマスター・オブ・セレモニーによる『ナジャの教え』。第3夜となる今回は華やぐ春の宵に、かすかな狂気の香りをブレンドしてくれた。

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サナトリウムで一服

福岡市美術館の常設展『彫刻/人形』に作品を提供していた地元・福岡のアーティスト/造形師・角孝政。毎週末に福岡郊外の『不思議博物館』館長として君臨していることはすでにご報告済みだが(2012年10月24日号)、その不思議博物館がまさかの分室『喫茶/ギャラリー サナトリウム』を6月1日にオープン! しかも場所は天神の駅から徒歩1分! 市美術館を訪れたその足で、さっそく表敬訪問してきた。天神駅を出て、ほんとにすぐ。飲食店や風俗店がごちゃごちゃかたまり、ビルの壁はグラフィティだらけ。猥雑な街の、1階がパチンコの景品交換所、2階は長年潰れたままのキャバクラという猥雑なビルの3階に、そのサナトリウムはあった・・・。

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新連載! Neverland Diner 二度と行けないあの店で 01

誰にでも、二度と行けない、あるいは、二度と行かない、あの店がある。インスタ映えとか、食べログ3.5点以上!とかのおかげで、わたしたちの最近は「どこに新しいお店ができて、あそこのあの料理は最高に美味しくて、あの店にまだいってないの?」ということばかり。そりゃ人生、できたら美味しいものばかり食べていきたいけど、でもそれより、「どこにあるかわかんねー」とか「もうなくなっちゃったよ」とか「事情があっていけない」とか「やらかしていけない」とか「くっそまずくてもう行かねえ!」とか、そういう誰かの二度と行けない(行かない)店のほうが、よっぽど興味がある。これから1年と少しをかけて、そんな「あの店」を集めた連載を始めます。どの店もドアを3cmくらい開けて、覗き見したくなるに決まってる。残念ながら、行けないんだけど。

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Neverland Diner 二度と行けないあの店で 02『羽田の運河に浮かぶ船上タイ料理屋』矢野優(編集者)

そのタイ料理屋は、羽田空港に近い運河に停泊した大きな船の中にあった。船まるごとがレストランだった。辺りは薄暗く人通りがなく、船内に吊られた裸電球の黄ばんだ光で運河上に浮かび上がる船は、まるで映画のセットのように忽然と姿を現した。何十席もあったのに、客は僕と友人の2人しかいないようだった。たしか1990年代中程のことだった。その船上タイ料理屋に連れていってくれたのはA君という友人だ。

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Neverland Diner 二度と行けないあの店で 04『もう二度と味わえない、思い出の「1セット」』パリッコ(ライター)

「酒場ライター」なんて肩書きで、お酒や酒場についての原稿を書いて生活させてもらえるようになった現在の状況、そうなるまで、目指したことも、考えたことも、一度もありませんでした。全てはなりゆき。が、酒を飲むことが人一倍好きだという自負は、酒の味と楽しさを覚えて以来全く変わりません。一風変わった音楽を作ったり、漫画を描いたりといった活動をもう20年近くも続けているので、そういう分野から知ってくれた人は当然、僕のことをいわゆる「サブカル」に属する人間だと判断するでしょうが、自分には何かのジャンルに対する深い造詣もなければ、リスナーや読者としての人並み以上の情熱があるわけでもない。しかし、こと「飲酒」に関してだけは、心の底から好きだと断言できる。未知の酒場に入る前の無上のワクワク感。新しい飲み方を思いついた時の異常な興奮。まさに、人生を捧げて惜しくないと思える唯一のジャンルが、自分にとっての酒なのです。

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ニューヨーク・デリ物語

ニューヨークにあって東京にないものはたくさんあるけれど、東京にあってニューヨークにないものもある。そのひとつがコンビニだ。いや、セブンイレブンとかがないわけではないけれど、ニューヨークでは昔から「デリ」がコンビニのかわりにニューヨーク市民の生活をしっかり下支えしてきた。酔っ払って帰る途中で缶ビールとポテチを買い込む深夜のデリ。バカ高いホテルの朝食がもったいなくてヨーグルトやフルーツやベーグルを買う朝のデリ。近所で働くビジネスマンたちと一緒の列に並んでサンドイッチを頼み、そのボリュームにビビるランチタイムのデリ・・・・・・ニューヨークで過ごす数日間で、いちどもデリのお世話にならないというひとは、まずいないだろう。東京で過ごす数日間で、コンビニのお世話にならないひとがいないように。

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てっちゃんの記憶

札幌でいちばん好きな場所は『レトロスペース坂会館』と『大漁居酒屋てっちゃん』。そのてっちゃんが先週閉店と聞いて、呆然となった。コロナ自粛でしばらく店を閉めていたが、その以前から体力的にもかなり限界に近く、閉めどきを計っていたところだったこともあり、「臨時休業中のてっちゃんですが、このままそっと閉店いたします」(Facebookページより)となったのだそう。てっちゃんに初めて足を踏み入れたのはたぶん1990年代の終わりごろで、その店内装飾、料理、てっちゃんこと阿部鉄男さんと、店を支えるご家族の人柄、すべてに一瞬で魅了された。

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追悼 ロボットレストラン

先週SNSで広まった「ロボットレストラン復活!」という書き込みに驚喜し、続けざまに「わずか1日で閉店!」というニュースに唖然としたひと、けっこういたはず。 ロボットレストランは言わずとしれた、2010年代の歌舞伎町の名物スポット。2012年にオープンして大きな話題を呼び、後半は外国人観光客がメインの客層で盛り上がっていたが、コロナ禍の2020年3月から臨時休業。短期間再開したものの、けっきょく2021年に正式閉店となった。 ロボットレストラン再開!というニュースが飛び込んできたのは5月末のこと。新店舗は元のロボレスがあったビルに入る系列店「ギラギラガールズ」のフロアの一部を使って、13~17時の昼間だけ「ロボットレストランタイム」として営業。休憩を挟みながら3時間ほどのショーを行うというものだった。 再オープンは5月29日13時。しかし翌日には早くも閉店!

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韓国、しつこく美味しいもの紀行 (写真・文:アーバンのママ)

アンニョン~! 先日の仁川取材に続き、またしても気がついたらソウルで美味いもの満漢全席してしまいました。しかも今回は友達ふたりを連れ立って、完全なる楽しみだけを求めた旅程。ということは、いつも以上に食べて飲んで食べて飲んでの繰り返し! ひえ~!! それでは早速、山の上で食べた鶏鍋や街のはずれで食べた激辛イイダコ炒めなど、ふと思い出してしまう思い出ごはんをお届けします。

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くいだおれニューヨーク・アンダーグラウンド 02 SPICEY VILLAGE(写真・文 アキコ・サーナー)

だれにも人に教えたくない大好きなレストランというのが、1つか2つはあるもの。今日紹介する店は、私が週1通っているお気に入りの店で、実はあまり人に教えたくない店である。というのもここ最近、雑誌などにぼちぼちとりあげられ、週末の7時になると列ができるほどになってきているからだ。ただ私が行く時間帯、ほぼ昼前はかなりすいていて、日本のみなさんには、今回こっそりと教えることにしよう。ここはNYに来たあかつきには、是非とも足を運んでほしい店だから。

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ニューヨーク、ふたつのチャイナタウン満腹回遊記(文:スナック・アーバンのママ)

生まれて初めてニューヨークに行ってきた。これまで、アメリカに行く機会はめちゃくちゃあったはずなのに、選択肢があればヨーロッパを選んでしまってたし、後半にいたってはもっぱら、早くて安くて美味しいよ♪な東南アジアばっかり旅していた。でも時が来てしまった・・、わたしがNYに行く時が来てしまった・・・。ちょうどNetflixでやっていたトランプのドキュメンタリーも見たし、滑り込みで「さよなら、僕のマンハッタン」も見に行って、やたらTwitterで上がってきたDA PUMPの「U.S.A」も聴きこんだし、準備は完璧。で、せっかくだから、NYで暮らす最高の先輩ふたりに、ちょっとおもしろいごはん屋さんに連れてってと頼んでみたら、結果、全く違うところにあるふたつのチャイナタウンを味わうことになった。どちらもすごくおいしくておもしろかったので、この場を借りてリポートします! またしてもメルマガ史上最ゆる記事になりそうですが、箸休めにどうぞお付き合いください!

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Neverland Diner 二度と行けないあの店で 総集編3(文:臼井悠 [アーバンのママ])

ネバダイ総集編もついに第三回です。改めてみると、不思議な人選ですね・・・。そしてどれだけ書いてもらっても、絶対にかぶらないのにもびっくり。今回は広島のネバダイが3軒、京都は2軒、さらにカトマンズ・台湾・イギリスとインターナショナル! ちょっと旅をしたくなる総集編になりました。

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はばたけ!宴会芸! 第4回「遠野見聞録」 (日本宴会芸学会)

日本宴会芸学会研究員の塩見と申します。サラリーマン稼業の傍ら「宴会芸と組織論」をテーマに研究しています。この度、機会を頂き岩手県遠野市での宴会芸フィールドワーク研究を行ってまいりました。御手洗会長、キャリア英子さんのような先輩研究者の後に甚だ僭越なのですが、皆様の宴会芸研究のお役に立てば、という想いでここで研究報告させていただきます。遠野まつりとは、柳田國男大先生の「遠野物語」で有名な岩手県遠野市のお祭です。毎年9月の第三週の土日に開催されています。遠野の郷土芸能である南部ばやし、しし踊り、神楽、さんさ踊り、田植え踊り、神輿などが披露されます。

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私の香港 私の中國冰室 (写真・文:鈴木久美子)

2019年9月4日号「針と糸でつづる香港愛」で紹介した刺繍作家・鈴木久美子。2011年ごろから「macaroni」という活動名で作品を発表している鈴木さんはハンカチやトートバッグ、ポーチのようなかわいらしいサイズの布地に自分の好きなものを、絵を描くように刺繍しているのだが、macaroniという名前を付けたのも「香港の朝ご飯の定番がマカロニ=通粉だから」というくらいの香港偏愛者。その鈴木さんが「香港でいちばん好きな場所のひとつ」で、作品のモチーフにもしてきた中國冰室(チョンゴンビンサッ)が、昨年末でまさかの閉店。哀しみに暮れる鈴木さんに、「二度と行けないあの店」の思い出と、香港庶民文化の象徴ともいえる冰室への思いを書いていただいた。

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くいだおれニューヨーク・アンダーグラウンド 03 潭頭王記魚丸店(写真・文・調理 アキコ・サーナー)

振り返れば3年ぶりとなってしまった、アキコ・サーナーさんの「くいだおれニューヨーク・アンダーグラウンド」。そこでちょいと趣向を変えて、アッコさんお勧めの一軒に連れて行ってもらったのち、その店の名物を自宅で再現してもらおう!という、チャレンジングな企画にしてみました。世界一のフード激戦区ニューヨークを舞台に、自分のレストランやケータリングで活躍してきたアッコさんならではの記念すべき復活第1回は、今年6月13日号「ニューヨーク、ふたつのチャイナタウン満腹回遊記」で紹介した潭頭王記魚丸の名物ピーナッツヌードル! 見て、読んで、作って、食べてください!

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新連載! はばたけ!宴会芸! 第1回「羅漢だ羅漢だ」(文:御手洗太)

ロードサイダーズのみなさまにはおなじみ『隙ある風景』のケイタタさんが、「めちゃおもしろい会社の後輩がいるんです」と教えてくれた。ケイタタさんにそこまで言わせるとは!と聞いてみると、「最近コンプライアンスなどなどで消えゆく日本の宴会芸を保存、発掘し、後世につなげようとする『日本宴会芸学会』というものを主催しているものたち」なのだという。宴会芸……たしかに絶滅危惧種かも! そして「消えゆく大衆文化」といえば、本メルマガで取り上げないわけにはいかないですよね。さっそくお会いして執筆をお願い、これから6回にわたって連載をしていただくことになった。月にいちどくらいのペースで、消えゆく宴会芸の奥義を教えていただく予定。今年末の忘年会シーズンまでには最終講義が終了の予定なので、各自研鑽に励んでいただきたいと願いつつ、第1回の開講!

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はばたけ!宴会芸! 第2回「カッパふみふみ」(文:御手洗太)

前回ご紹介した明治の文献『宴会お座敷芸(1911)』には、日本古来の「あはれ」の精神を感じさせる演目が数多くありました。当時、宴会芸とは「喝采」を得るためのものであり、大人にとって不可欠な教養だと考えられていたことを、皆さんはすでに学んでいます。今回はその続きとして、戦後日本の宴会芸を解説して参ります。

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はばたけ!宴会芸! 第3回「人間カクテルシェイカー」(文:キャリア英子)

第1回、第2回での20世紀宴会芸史から、さらにフォーカスを絞りまして、バブル時代の宴会芸というものについて今回は語りたいと思います。宴会芸の歴史において、バブル期宴会芸は大変重要な研究対象です。しかしながら、バブル期宴会芸に厳密な定義はございません。80年代末の空前の日本経済の狂乱から、その後の「バブルがはじけた」と呼ばれる失速までの間に生まれ、実践された宴会芸を「バブル期宴会芸」と呼ぶ、という厳密な歴史主義をとる研究者もいれば、より広範に、いわゆるバブルを感じさせるものをバブル期宴会芸と呼ぶという向きもあり、これは日本宴会芸学会としても議論が尽きぬところであります。バブル期宴会芸研究としての私の立場は後者、バブルを感じさせるもの、というスタンスを取っています。それと言いますのも、バブルは数年間の出来事でしたが、当時を生きていた人々はその後も長らく日本の社会の真ん中に居続け、宴会の主役であり続けたからです。

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Neverland Diner 二度と行けないあの店で 総集編5(文:臼井悠 [アーバンのママ])

ネバダイ総集編もついに最終回です。これまでの84回、どの話をどこから読んでも面白くて、本当にこの連載が大好きだ! さて次回からは本編も復活です。残り少しですが、どうぞお楽しみに。とその前に、特別編として「二度と行かなくてもいいあの店 girls side」をお届けさせてください!

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旅のなごりのサンドイッチ

新型コロナウィルス感染防止の自粛要請で全国の飲食店は生死の境に追いやられているわけですが、そのおかげでテイクアウトからオンライン料理教室まで、さまざまに新しい取り組みというかサバイバルのスタイルが模索されてもいます。三軒茶屋の茶沢通りに面したビルの2階にあるカフェ「ニコラ」ではサンドイッチのテイクアウトを始めていますが、ここで紹介したかったのはそれが本メルマガでもニューヨーク・ジャクソンハイツの記事で紹介した小説家バリー・ユアグロウと、翻訳者の柴田元幸両氏とカフェによる、「小説+サンドイッチ」とも呼ぶべき楽しい企画だから。

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はばたけ!宴会芸!  緊急寄稿「リモート宴会芸に関する研究」 (写真・文 日本宴会芸学会)

はじめまして!ロブスター夫人です。ちょっと前までただのお裁縫好きな30代主婦(エビ好き)だったのですが、ひょんなことから日本宴会芸学会のお手伝いをするようになり、絶滅危惧宴会芸の研究などで衣装・小道具を担当してきました。近頃では、古典宴会芸を現代によみがえらせるパーティグッズ開発にいそしむなど、すっかり宴会芸の沼にはまっております。歴史ある日本宴会芸学会の中ではまだまだ若輩者ではございますが、御手洗会長からご指名をたまわり、今回の記事を書かせていただくことになりました。さて、日本宴会芸学会における喫緊の課題といえば、お察しの通り「リモート飲みにおける宴会芸=リモート宴会芸」でございます。ステイホームが浸透する中で、ズームなどのテレビ会議ツールを利用したリモート飲みは日本中に瞬く間に広がりました。私たちとしてもこれは一つの宴席のあり方として定着するのではないかと思っております。

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愛の不時着・歌舞伎町編

歌舞伎町で最後に残ったキャバレー「ロータリー」の最後を今年4月29日号でお伝えしたが、この6月末でもう一軒の、歌舞伎町の伝説をつくった店が閉店する。すでにニュースでご存じのかたもあるかと思うが、老舗ホストクラブ「愛本店」である。1971年創業だったので、足かけ50年目。ビル老朽化による閉店で、移転先はなんとロータリーのあった場所だという。 歌舞伎町ホストクラブ協力会・初代会長もつとめた愛田武社長(本名・榎本武)率いる「愛」グループは、日本ホストクラブの歴史そのものだった。僕はオトコなのでホストクラブにはぜんぜん縁がなかったが、十数年前にひょんなきっかけでお目にかかることができて、憧れの「愛本店」のインテリア撮影をさせてもらうことができた。これまでずいぶんエキセントリックな空間を見てきたが、もうエレクトリック・ウルトラバロックとしか表しようのない空間で、ブルーの光の海に沈みながら、ダンディなホストたちと杯を重ね、生バンドにあわせてチークを踊るというのは……世界的に見てもかなりの希少体験空間だったのではないか。

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Neverland Diner 二度と行けないあの店で 総集編2(文:臼井悠 [アーバンのママ])

いまわたしは香港の佐敦にいます。時間は朝の7:49。なんとか2時間でこの原稿を書いて昼ビールに繰り出そうと思っているので、前回に引き続きネバダイ総集編第二弾、さっそくいきたいと思います! 

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Neverland Diner 二度と行けないあの店で 総集編4(文:臼井悠 [アーバンのママ])

ついにネバダイ総集編も第4回です、感慨深い・・・。今回も海外はバンコク、重慶、タウンヂー、国内も和歌山、名古屋、福井・・・、さらには高野山の道場まで、全国津々浦々からのネバダイをお届けします。来週は残り4回分に加えて、「二度と行かなくてもいい、あの店」という特別編を書きたいと思います! お楽しみに。

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Neverland Diner 総集編 LAST!(文:臼井悠 [アーバンのママ])

連載開始は2017年12月、それから3年弱を経て「Neverland Diner 二度と行けないあの店で」がついに完結しました。都築編集長から始まって大竹伸朗さんで終了するという個人的に胸アツな構成に図らずしもなりましたが、総勢100名の二度と行けないあの店の話、毎週楽しみにしてくださった方も多いと思います、ご愛読ありがとうございました。連載はこれから編集作業に入り、来年の頭には書籍として発売します。連載開始時には思い描かなかったコロナウイルスの出現で、世の中のネバーランド・ダイナー化は加速していきそうです。いまある風景は必ず変わるということがひしひしとリアルになっていく感じがしますが、きっとこの先には新しくて楽しいことがめちゃくちゃあるはず! ネバダイは決して哀愁たっぷりの思い出語りではありません。なぜか忘れられない、どうでもいいことかもしれないけど自分のなかに残って消せないもの。この連載が皆さんそれぞれのネバダイを、たまに思い出すきっかけになったら嬉しいです。それでは最後の総集編、お気に入りの記事をぜひ見つけて下さい!

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羅東・花連・仁川、まだまだ美味しいもの紀行 (写真・文:アーバンのママ)

大家好!  まだまだ続くアーバンママのご飯紀行、今回は2月の台湾と3月の仁川からお届けします。少しでもみなさんの旅のお役にたちますように。 まずは今年の2月に旅した台湾の好吃から! この旅で最初に訪れた羅東は、台北からやや東側にある宜蘭市の中でふたつめに大きな街。移動手段は高速バスと電車があるけど、トンネルが開通したことで時間が大幅に短縮されたバスがおすすめ! だいたい台北から1時間弱で到着、片道チケット代は片道143元(1台湾元=約4.5円)! 

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Neverland Diner 二度と行けないあの店で 総集編1 (文:臼井悠 [アーバンのママ] )

2017年の12月から始まった「Neverland Diner 二度と行けないあの店で」(通称、ネバダイ)も、ついに84回を迎えました。それまでやっていた「捨てられないTシャツ」に続いて、ライベートな部分を覗き見するような原稿をたくさんの方に書いてもらいました。ふだん書くことを仕事にしていないひとたちも大勢います。ネバダイは「TOKYO STYLE」みたいな本を作りたくて考えた企画です。安くて美味しいものはたくさんあるし、人気のレストランはすぐにピックアップされていく時代のなかで、誰とも絶対にかぶらない場所、それが二度と行けないあのお店、じゃないのかなって。

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BOOKS

ROADSIDE LIBRARY
天野裕氏 写真集『わたしたちがいたところ』
(PDFフォーマット)

ロードサイダーズではおなじみの写真家・天野裕氏による初の電子書籍。というか印刷版を含めて初めて一般に販売される作品集です。

本書は、定価10万円(税込み11万円)というかなり高価な一冊です。そして『わたしたちがいたところ』は完成された書籍ではなく、開かれた電子書籍です。購入していただいたあと、いまも旅を続けながら写真を撮り続ける天野裕氏のもとに新作が貯まった時点で、それを「2024年度の追加作品集」のようなかたちで、ご指定のメールアドレスまで送らせていただきます。

旅するごとに、だれかと出会いシャッターを押すごとに、読者のみなさんと一緒に拡がりつづける時間と空間の痕跡、残香、傷痕……そんなふうに『わたしたちがいたところ』とお付き合いいただけたらと願っています。

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ROADSIDE LIBRARY vol.006
BED SIDE MUSIC――めくるめくお色気レコジャケ宇宙(PDFフォーマット)

稀代のレコード・コレクターでもある山口‘Gucci’佳宏氏が長年収集してきた、「お色気たっぷりのレコードジャケットに収められた和製インストルメンタル・ミュージック」という、キワモノ中のキワモノ・コレクション。

1960年代から70年代初期にかけて各レコード会社から無数にリリースされ、いつのまにか跡形もなく消えてしまった、「夜のムードを高める」ためのインスト・レコードという音楽ジャンルがあった。アルバム、シングル盤あわせて855枚! その表ジャケットはもちろん、裏ジャケ、表裏見開き(けっこうダブルジャケット仕様が多かった)、さらには歌詞・解説カードにオマケポスターまで、とにかくあるものすべてを撮影。画像数2660カットという、印刷本ではぜったいに不可能なコンプリート・アーカイブです!

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ROADSIDE LIBRARY vol.005
渋谷残酷劇場(PDFフォーマット)

プロのアーティストではなく、シロウトの手になる、だからこそ純粋な思いがこめられた血みどろの彫刻群。

これまでのロードサイド・ライブラリーと同じくPDF形式で全289ページ(833MB)。展覧会ではコラージュした壁画として展示した、もとの写真280点以上を高解像度で収録。もちろんコピープロテクトなし! そして同じく会場で常時上映中の日本、台湾、タイの動画3本も完全収録しています。DVD-R版については、最近ではもはや家にDVDスロットつきのパソコンがない!というかたもいらっしゃると思うので、パッケージ内には全内容をダウンロードできるQRコードも入れてます。

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ROADSIDE LIBRARY vol.004
TOKYO STYLE(PDFフォーマット)

書籍版では掲載できなかった別カットもほとんどすべて収録してあるので、これは我が家のフィルム収納箱そのものと言ってもいい

電子書籍版『TOKYO STYLE』の最大の特徴は「拡大」にある。キーボードで、あるいは指先でズームアップしてもらえれば、机の上のカセットテープの曲目リストや、本棚に詰め込まれた本の題名もかなりの確度で読み取ることができる。他人の生活を覗き見する楽しみが『TOKYO STYLE』の本質だとすれば、電書版の「拡大」とはその密やかな楽しみを倍加させる「覗き込み」の快感なのだ――どんなに高価で精巧な印刷でも、本のかたちではけっして得ることのできない。

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ROADSIDE LIBRARY vol.003
おんなのアルバム キャバレー・ベラミの踊り子たち(PDFフォーマット)

伝説のグランドキャバレー・ベラミ・・・そのステージを飾った踊り子、芸人たちの写真コレクション・アルバムがついに完成!

かつて日本一の石炭積み出し港だった北九州市若松で、華やかな夜を演出したグランドキャバレー・ベラミ。元従業員寮から発掘された営業用写真、およそ1400枚をすべて高解像度スキャンして掲載しました。データサイズ・約2ギガバイト! メガ・ボリュームのダウンロード版/USB版デジタル写真集です。
ベラミ30年間の歴史をたどる調査資料も完全掲載。さらに写真と共に発掘された当時の8ミリ映像が、動画ファイルとしてご覧いただけます。昭和のキャバレー世界をビジュアルで体感できる、これ以上の画像資料はどこにもないはず! マンボ、ジャズ、ボサノバ、サイケデリック・ロック・・・お好きな音楽をBGMに流しながら、たっぷりお楽しみください。

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ROADSIDE LIBRARY vol.002
LOVE HOTEL(PDFフォーマット)

――ラブホの夢は夜ひらく

新風営法などでいま絶滅の危機に瀕しつつある、遊びごころあふれるラブホテルのインテリアを探し歩き、関東・関西エリア全28軒で撮影した73室! これは「エロの昭和スタイル」だ。もはや存在しないホテル、部屋も数多く収められた貴重なデザイン遺産資料。『秘宝館』と同じく、書籍版よりも大幅にカット数を増やし、オリジナルのフィルム版をデジタル・リマスターした高解像度データで、ディテールの拡大もお楽しみください。
円形ベッド、鏡張りの壁や天井、虹色のシャギー・カーペット・・・日本人の血と吐息を桃色に染めあげる、禁断のインテリアデザイン・エレメントのほとんどすべてが、ここにある!

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ROADSIDE LIBRARY vol.001
秘宝館(PDFフォーマット)

――秘宝よ永遠に

1993年から2015年まで、20年間以上にわたって取材してきた秘宝館。北海道から九州嬉野まで11館の写真を網羅し、書籍版では未収録のカットを大幅に加えた全777ページ、オールカラーの巨大画像資料集。
すべてのカットが拡大に耐えられるよう、777ページページで全1.8ギガのメガ・サイズ電書! 通常の電子書籍よりもはるかに高解像度のデータで、気になるディテールもクローズアップ可能です。
1990年代の撮影はフィルムだったため、今回は掲載するすべてのカットをスキャンし直した「オリジナルからのデジタル・リマスター」。これより詳しい秘宝館の本は存在しません!

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捨てられないTシャツ

70枚のTシャツと、70とおりの物語。
あなたにも〈捨てられないTシャツ〉ありませんか? あるある! と思い浮かんだあなたも、あるかなあと思ったあなたにも読んでほしい。読めば誰もが心に思い当たる「なんだか捨てられないTシャツ」を70枚集めました。そのTシャツと写真に持ち主のエピソードを添えた、今一番おシャレでイケてる(?)“Tシャツ・カタログ"であるとともに、Tシャツという現代の〈戦闘服〉をめぐる“ファッション・ノンフィクション"でもある最強の1冊。 70名それぞれのTシャツにまつわるエピソードは、時に爆笑あり、涙あり、ものすんごーい共感あり……読み出したら止まらない面白さです。

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圏外編集者

編集に「術」なんてない。
珍スポット、独居老人、地方発ヒップホップ、路傍の現代詩、カラオケスナック……。ほかのメディアとはまったく違う視点から、「なんだかわからないけど、気になってしょうがないもの」を追い続ける都築響一が、なぜ、どうやって取材し、本を作ってきたのか。人の忠告なんて聞かず、自分の好奇心だけで道なき道を歩んできた編集者の言葉。
多数決で負ける子たちが、「オトナ」になれないオトナたちが、周回遅れのトップランナーたちが、僕に本をつくらせる。
編集を入り口に、「新しいことをしたい」すべてのひとの心を撃つ一冊。

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書評2006-2014

こころがかゆいときに読んでください
「書評2006-2014」というサブタイトルのとおり、これは僕にとって『だれも買わない本は、だれかが買わなきゃならないんだ』(2008年)に続く、2冊めの書評集。ほぼ80冊分の書評というか、リポートが収められていて、巻末にはこれまで出してきた自分の本の(編集を担当した作品集などは除く)、ごく短い解題もつけてみた。
このなかの1冊でも2冊でも、みなさんの「こころの奥のかゆみ」をスッとさせてくれたら本望である。

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独居老人スタイル

あえて独居老人でいること。それは老いていくこの国で生きのびるための、きわめて有効なスタイルかもしれない。16人の魅力的な独居老人たちを取材・紹介する。
たとえば20代の読者にとって、50年後の人生は想像しにくいかもしれないけれど、あるのかないのかわからない「老後」のために、いまやりたいことを我慢するほどバカらしいことはない――「年取った若者たち」から、そういうスピリットのカケラだけでも受け取ってもらえたら、なによりうれしい。

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ヒップホップの詩人たち

いちばん刺激的な音楽は路上に落ちている――。
咆哮する現代詩人の肖像。その音楽はストリートに生まれ、東京のメディアを遠く離れた場所から、先鋭的で豊かな世界を作り続けている。さあ出かけよう、日常を抜け出して、魂の叫びに耳を澄ませて――。パイオニアからアンダーグラウンド、気鋭の若手まで、ロングインタビュー&多数のリリックを収録。孤高の言葉を刻むラッパー15人のすべて。

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東京右半分

2012年、東京右傾化宣言!
この都市の、クリエイティブなパワー・バランスは、いま確実に東=右半分に移動しつつある。右曲がりの東京見聞録!
576ページ、図版点数1300点、取材箇所108ヶ所!

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東京スナック飲みある記
ママさんボトル入ります!

東京がひとつの宇宙だとすれば、スナック街はひとつの銀河系だ。
酒がこぼれ、歌が流れ、今夜もたくさんの人生がはじけるだろう、場末のミルキーウェイ。 東京23区に、23のスナック街を見つけて飲み歩く旅。 チドリ足でお付き合いください!

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