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バックナンバー:2022年07月06日 配信号 収録

lifestyle 新連載! 新宿区立総合天然宙屯地  1 埴輪ハウスの思い出 (画・写真・文:小指)

「小指」と名乗るアーティストと出会ったのは1年ほど前だった。音楽の印象を絵にするというシリーズの展示で、その奇妙な美しさに惹かれつつ、自費出版でつくってきたイラスト入りの旅日記には、淡々とした文章のなかに、若さに似合わぬつげ義春的な昭和の哀愁が隠れていて、すっかり感心してしまった。こういうひとがメルマガに参加してくれたらいいな~と思い、喫茶店でおしゃべりしているうちに、むかし住んでいたという新宿のアパートの話にこころをつかまれ、寄稿をお願い。それからしばらく連絡が途絶えてしまい、どうしたんだろうと思っていたところ、友人の展覧会場で偶然再会。「あれからいろいろ書いてみたんですけど、書きたいことがありすぎてまとまらなくて……」と言うので、まとめなくていいからとにかく送ってください!と強くお願いしたら、4万字近い長編原稿を届けてくれた。

当時、小指さんが描いていた絵やイラスト、それに発掘してもらった写真を散りばめながら、これから5回にわたって集中連載させてもらう。おもしろおかしいけれど、しんみりもしみじみもする、味わい深い裏新宿の青春日記。こんなふうに20代を送れたら……と思うひともいるはず。小指さんの思い出にゆっくりお付き合いいただきたい。

小指/小林紗織:
https://koyubii.wixsite.com/website
https://twitter.com/koyubii


埴輪の家

 大学を卒業し、ろくに就職もせずフリーターをしていた頃、私は歌舞伎町から徒歩数分のところにあるほったて小屋のような木造一軒家に住んでいた。
 その家は築70年の木造モルタル建築で、薄汚れた外壁には謎の悪臭を放つ蔦植物が這っており、斜めに傾いた家のてっぺんには安物のかつらのように不安げなトタン屋根が乗っかっていた。
 胸を張って人に見せられるような家ではなかったが、私はこの家をまあまあ気に入っていて、バイトで生計を立てつつ絵や漫画を描いたりしながらこの家で細々と暮らしていたのだった。ちなみに2階建てで1階と2階にはそれぞれ六畳の和室があり、あとは便所(和式)と風呂(バランス釜)、台所がついて、家賃は水道代込みで5万円。私はこの家の2階を間借りしていた。

 私はそれまでもいろんな場所で一人暮らしをしてきたが、この新宿の家は今まで住んだ家の中でもいちばん変わった家だった。
 さっきもご説明したとおり、私はこの家の2階、そして1階には知らない人が住んでいたわけだが、もともとこの家は2世帯で住む仕様で作られてなどいない。ただの木造一戸建てを、1階と2階で雑に仕切って無理やり2世帯の賃貸にしているだけの、大家のDIYによる世にも適当な家だった。その仕切りというのが、1階と2階の階段の手前のところに立てかけられているだけの薄いベニヤ一枚というのだから驚く。一応何箇所か釘が打ち付けられていたが、触れるだけでガタガタと怪しい音がするので、このベニヤに手をつくことは禁じられていた。多分すぐ外れてしまうからだろう。
玄関の横には2階用の勝手口があり、私はいつもそこから出入りをして生活していた。


 そして、この家の一番変わっているところは、家の周りに沢山の謎の「埴輪」が置かれていたことだった。それも、1体や2体ではないのだ。玄関先や家の前の私道にはいつも10体近い埴輪が並べてあり、多い時には30体近くもある時さえあった。しかも、それは夜になると忽然と姿を消し、朝になると出てくるのでなお不気味だった。
 これらの埴輪はすべて、この家の1階に住んでいる「謎の老人」の私物だった。私と薄いベニヤ一枚越しに生活しているこの赤の他人のじいさんは、どうも相当な埴輪好きらしく、何の目的かは知らないが自ら所有しているこの大量の埴輪たちをこうして毎日家の前に並べているのだった。

 そんな色々と訳ありの家だったが、それでもここに住み続けていた理由はやっぱり家賃の安さととにかく立地の良さだった。新宿駅にも歩いて出られるし、歌舞伎町が目と鼻の先にあるいかにも騒がしそうなエリアにも関わらず、ここはどこか新宿らしからぬ落ち着いた雰囲気のある場所で、近くには昔からの喫茶店や小さな飲食店や銭湯があった。私は、そんな近所の雰囲気ごととても気に入っていたのだった。

 引っ越してきたばかりの頃、昔からの友人Aが「私が変な家に住み始めたらしい」と聞きつけ覗きにきたことがあった。Aはこの家を見て、「お前、一軒家なんて住んですげーなあ、出世したなあ」と随分感心してくれたが、目ざとく家の周りの埴輪に気づき「なんだこれ」と聞いてきたので、私は「下のじいさんの埴輪だよ」と言った。
「じいさん?お前じいちゃんいたっけ?」
「ううん。下に住んでるだけのじいさん」
「え、他人?」
「うん。知らないじいさん」
この時点で、Aは必死に笑いを堪えていた。この時の印象は、ただの不審な隣に住む埴輪好きの老人といったところのようだが、後にAはこの埴輪とじいさんのファンになりサインまで貰うことになるのだから人生ってわからないものだ。

 「どうぞ」と勝手口の引き戸を開けて招き入れると、Aは目の前に突然現れた階段を見上げ、まるで異世界への入り口を見つけた子供のような目をしていた。そして再び目ざとく、次はあの貧乏くさいベニヤの存在に何か勘づいたようだった。
「怪しいぞ。なんだこの板は」
 Aはかなりベニヤが気になる様子だった(この時はただの仕切りだということを言っていない)。
 日頃からゼルダの伝説などのゲームをやりすぎのAは、この1枚だけ他の壁と色が違う怪しげなベニヤの向こう側に、隠し扉かなにかがあると思ったようだ。外れる恐れがあるのであまり触ってほしくなかったが、Aはベニヤの面を押したり叩いたりし、耳を当ててしばらくした後、なにかとんでもないものを発見してしまったかのような深刻な顔をして「……ねえ、向こう側に空間がある」と言った。
 Aはこの時、ベニヤの向こう側に、秘密の空間や壁に埋められた死体かお宝のようななにかがあると思ったらしい。だが、残念ながらこの向こうにあるのはただの1階のじいさんの居住スペースである。
 そして、細くて急な昔ながらの階段を登っていくと、とうとう2階の私の部屋が現れた。Aは「すげー!!」と驚いて辺りをキョロキョロと眺めながら、この家はまるで秘密基地みたいだな、と言った。私も同じことを思っていたので、そう言ってもらえて嬉しかった。
 そして、Aをはじめとした一部の親しい友人たちは、我が家のことを「埴輪ハウス」と呼ぶようになったのだった。


 ちなみに、大家いわく、この家の契約期間は「下の階に住むじいさんが亡くなるまで」ということだった。この時は「また大袈裟に言っているな」とは思っていたが、大家は内心この家を早く建て替えたいらしく、とはいえ1階のじいさんがいる間は追い出すわけにもいかないので、その間だけ空き部屋だった2階を私に貸してくれたらしい。だからあながち冗談でもないようだが、それが本当であれば、もしじいさんの身に何かあった時は私もまた引っ越しをしなければならないということだった。
「じいさん付き、期限応相談」という特殊条件が、この家の安さの秘密のようだ。

なぜここに住み始めたか

 子供の頃から憧れていた作家のように、私も学生時代のうちにデビューしたり、なにかしらの活動の足掛けのようなものが見つけられたらと思っていたが、どうやら自分はそっち側の人間ではないらしいとやっと自覚した頃にはもう大学卒業が間近に迫っていた。すっかり勘違いしていた私はもちろん就活などもしておらず、この先どうしようかなとやっと考えだした時に東日本大震災がきて、世の中の混乱に乗じて私はところてんが押し出されるようにぬるっと社会に出ることになった。

 大学を卒業する少し前に、私は杉並区阿佐ヶ谷にある風呂なしアパートに引っ越した。ここも築60年ほどの古い木造アパートで、4.5畳の和室が2つで家賃は3万円だった。ここには2年ほど住んだが、当時エアコンも付いていなかったのによく暮らせたなと思う。
 この頃は学生時代から続けていたバンドでドラムを叩きながら、自分達で作ったC Dのデザインやライブのフライヤーを作ったり、金銭面は日雇いのバイトや効果不明の湿布の治験等で生計を立てながらなんとか暮らしていた。大学は一応美大に進学してデザインを学んだが、向いてなかったのかひどい劣等生でますます自信を無くし、思い描いていた人生とのギャップにあーだこーだと悩んでいる内になににもなり損ねたままこんな年になってしまった。
 大学の入学式のオリエンテーションで、「卒業後の進路」という円グラフを見せられ、確かその2%だかが「消息不明」とあり(うろ覚えだが)、それがスライドに映った途端周りの学生がどっと笑って、私も「わざわざ大学を出てそんな人いるんだなあ」なんて思った記憶があるが、私は今、まさにその2%になってしまっていた。実家からも「就職しないなら帰ってこい」と言われていたが、どうしても実家には帰りたくなかった。一度帰ってしまったら、もう二度と自由にできず本当に人生を諦めないといけなくなると思っていたからだ。私は「持ち込みに行ってる」なんて嘘をつきながら、現実を見ず、いつか絵を描いて生活できる日々がくるに違いないと根拠のない妄想に浸りながら、古いアパートの汚い部屋で日々を過ごしていた。

 ある日、ボロアパートの郵便ポストに珍しくだれかからの封書が届いていた。開けてみると、そこには大家から賃貸の更新日が迫っていることを知らせる文書が入っていた。期日までに更新料を払わなければ退室しなければならないという。その期日というのが、なんと5日後だった。もっと早くから投函されていたようなのだが、ポストの中がポスティングされたチラシやゴミだらけですっかり気がつかなかったのだ。勿論、そんなイレギュラーな出費に耐えられる貯蓄は私にはなかった。
 当時23歳だった私は、「人間ってこんなに簡単に家を失えるんだ……」と愕然とした。この時の感情がよっぽど強かったのか、いまだに更新料を払いそびれて家を追い出される夢をよく見るので、よっぽど私の心に根深くトラウマになっているんだろうなと10年経った今でも思う。


撮影:ソノダノア

 その時、ちょうどよく美大時代の同級生から電話が来た。その子のバイト先のスナックが人手不足で、暇なら一緒に働いてみないかという誘いだった。きっとどこかで私がまだフラフラしてると聞いて連絡をくれたのだろう。「時給は安いけど楽だよ」なんて言うが、聞くと普段の私のバイトの2倍の時給だった。
 場所は歌舞伎町だという。私は二つ返事で「やる」と言い、早速その日の夕方に面接に行った。

 その店は歌舞伎町の区役所通り沿いにあるスナック(ラウンジ?)で、飲食店ばかりが入ったビルの最上階にあった。エレベーターフロアから大理石でできており、お店に入ると紅いベルベットの布張りのソファが敷き詰められ、まるで火曜サスペンス劇場で客のヤクザが撃ち殺されるシーンなんかで出てきそうな雰囲気だなと思った。酒場なんて高円寺の大将か四文屋くらいしか行ったこともない上に、なんなら今日も風呂なしアパートからノコノコやってきたくらいなのに、あまりの場違いさに私はすっかり縮み上がってしまった。
 「すみませーん」と声をかけると、奥からこの店のママらしき女性が出てきた。着物姿で、街で見かけたらすぐ目を引くだろうなと思うくらいとても綺麗な人だった。私の方はというと、服はちゃんと洗濯したかも怪しく、ノーメイクで、ヒゲも伸びて口元もカワウソのようになってるしで、水商売の面接に来る女として正気とは思えない姿だった。更新料のことがあまりにも心配で、身なりにまで気をつけていられなかったのである。そして、私は服を着たカワウソのまま、一応面接をしてもらう運びになったのだった。
 緊張してなにを喋ったかも忘れてしまったが、相手は会話のプロなので気づいたら瞬く間に1時間以上経っていた。弱っていたのもあってかもうそのまま帰りたくなくなってしまい、こうやって男はこういう店に通いはじめるのだなとしみじみ思った。
 おっさんでもないのにママに心を開ききった私は、思わず今現在家を追い出されそうになっているということを話してしまった。
 すると、さすがのママも「えっっ!」と驚き、その反応に私は「しまった」と思った。さっきまでのノリなら笑って聞いてくれるかなと思っていたのだが、思ったほか心配されてしまった。よく考えたらこんな話、区役所通りのスナックじゃなくて本物の区役所ですべきである。誰かに話して少しでも心が軽くなりたい一心だったが、余計なことを言ってしまったなあと落ち込んだ。
 ママは色々と心配してくれたが、最終的に「大変だろうけど頑張ってね」と送り出された。
 ああ、落ちたなと思った。

 夜の歌舞伎町をトボトボ悲しみに暮れながら帰宅し、自宅のアパートに戻ると、いつもの貧乏くさい部屋がより翳って見えた。あの時見た仄暗い部屋は、恐らく私の心象風景でもあるだろう。大家さんに分割でお願いしますと頭を下げるしかないなあ、惨めだなあ……と項垂れていると、だれかからメールが来た。さっきの店のママからだった。
 結果は分かってるんだから別にいいのに、としょぼくれながらメールを開封して、私は二度見した。信じられないが、「今週からよろしく」とあった。急に真っ暗闇のドブの中に、一筋の光明がさしたようだった。これなら初めのうちだけ日払いにしてもらえば、更新料だって払うことができる。急に未来の見通しが立ち、丹田あたりから力が込み上げてきたのだった。
 カワウソは早速気合を入れ直し、次の出勤のためにヒゲと最近濃くなり出したすね毛を剃り落とした。

 そして出勤初日。
 そもそも水商売の作法や常識を全く知らずに飛び込んでしまったわけだが、蓋を開けてみると客のほとんどは高齢者で、そこにはまるで老人会のようなのどかな空気が流れていた。ここでは、顔の美醜や色気なんかよりも、足元がおぼつかなくなった客をトイレまで誘導したり、客の気管にお通しのミックスナッツが1粒詰まろうものなら背中を叩き、立っていられない人も腕力で無理やり持ち上げて人形劇浄瑠璃の人形のようにチークダンスさせてあげたり…と、どちらかというと介護職に近い能力が求められていた。ここなら、私も働いていけるかもしれないと思った。
 そして、ひととおり挨拶を終えた後、ママが不動産業を営むHさんという常連客を紹介してくれた。この人は自分でも色々と物件を持っていて、大家業もしているらしい。なんとこの大家さんにママが私の状況を相談してくれたらしく、安い物件を紹介してくれると言うのだ。
「俺んとこに一軒余ってる家があるから、そこだったら安く貸してやるぞ。支払いも金ができてからでいいから」
 なんとその家は、歌舞伎町からほど近い立地にあるにも関わらず、もう1年以上人が入っていないのだという。もちろんその家には風呂もついており、なんと一軒家だと言うのだ。こんな良物件、賃貸情報鑑賞が趣味だった私でもこれまで一度だって見たことがなかった。
 大家は「古い家だから、若い女は嫌がるかも」と若干躊躇い気味だったが、私はすかさずこの話に飢えたスッポンのように喰らいついた。
 そして、この常連客の大家さんとママのご厚意でその家を紹介してもらうことになり、翌日には早速内見に向かったのだった。
 それが、あの埴輪ハウスのことだった。


 翌日、内見のため教えてもらった住所へと足を運んだ。歌舞伎町から日清食品の本社のある通りを渡ると、急にそれまで騒がしかった街の雰囲気がガラッと変わり、古い家屋がポツポツと目立ち始めた。新宿は世界堂へ画材を買う時によく降りていたが、ここまで奥の方へ歩いたのは初めてだった。途中、青いビニールシートがかけられたゴミ屋敷とも廃墟とも見分けのつかない家があったり、最近では珍しい共同玄関のアパートがあったりと、新宿にもこんな一帯があるんだなあと感心しながら周辺を歩いた。
 そして、家に到着。
 大家立ち会いのもと家を見た第一印象、確かに築年数も相当経っていて古い家だったが、一軒家だし部屋も広く、家の雰囲気もよくて私は一発で気に入ってしまった。微かにどこかから犬のフンのような匂いがしたが、これは家に絡みついている雑草の臭いらしく、どこかに糞が落ちてるわけではないとのことだった。臭いに関しては前のアパートの方がひどく、剣道狂の住人が防具を廊下にいつも干していて、それが以前訪れた伊豆大島のくさや工場に匹敵する臭いだったので、これ位なら全然許容範囲だった。
 家には玄関が2つあり、勝手口のような引き戸の方から部屋の中を案内された。戸を開けると、目の前にいきなり細くて急な階段が現れる。まるで忍者屋敷みたいだなと思った。階段の脇はベニヤ板が釘で打ち付けられていて、多分この板の向こうが1階部分なのだろうなと思った。こちら側からは、1階には入れなくなっていた。
 まるで隠し階段のような2階へと続く階段を登っていくと、四方が木で出来た温かみのある台所に出た。そして、奥に6畳の和室、“バランス釜”と呼ばれる当時の私は聞いたこともなかった種類の風呂(古い家には多いらしいのだが、如何せんそれまで風呂無し物件ばかりを住み渡っていたので知らなかった)と和式便所があり、田舎の親戚の家に来たような気持ちになる家だった。大家が「ベランダも広いぞ、見てみろ」と言うので窓を開けると、部屋にビュッと爽やかな風が入ってきた。ベランダからの景色も素晴らしかった。この窓から空を眺めながら昼寝をしたら、どれだけ気持ちがいいだろう。それに、裏の土手に生えたドクダミの香が微かに風に乗って流れてきて、実家のことを思い出した。
 完璧な風通しで日当たりも良く、この部屋にいるだけで新しいなにかがはじまりそうな気分だった。私はこの部屋で、一から自分の人生を立て直したい……そう強く思ったのだった。
 もう言うことなしの家だったが、ひとつ大家に聞いておきたいことがあった。それは、階段を上がる手前にあった、あの釘で打ちつけられた謎のベニヤのことだった。確かに1階は存在するのに、なぜあんなものでわざわざ塞いでいたんだろう。昔、怪談の特番か何かで“あまりにも曰く付きの事故物件には、こうして板を打ち付けて「開かずの間」にしてしまう”という曖昧な記憶が蘇ってきて、そう思って見てみると、柱の傷や天井のシミが、なんだか禍々しく見えだしてきたのだった。
 大家に聞いてみると、「幽霊? お前そんなもん信じてんのか?」と明らかに馬鹿にしているような哀れむような目で呆れられたので、私は拍子抜けした。そう言われてしまうと恥ずかしくなってくる。
 だが、このベニヤの意味はのちになってわかってくることになるのだった。

 外へ出ると、なぜかさっきまで閉まっていたはずの、勝手口とは別のもうひとつの玄関が空いていた。私は「開かずの間」を思い出し、「まさか…!」と青ざめたが、レースのカーテン越しに家具や私物が色々と置かれてあるのが見えた。どう見てもそこには人が住んでいるようだった。玄関口には色とりどりの造花と間抜けな顔をした埴輪が置かれてあり、呆気に取られていると、大家もそれに気づいて「ったく、今日はしまえって言ったのにしょうがねえなあ」と言った。私は、「1階にどなたかが住んでいるんですか?」と尋ねると、大家はちょっと間を置いて「じじいがひとり、住んでる」と言った。
 想定外の返答に、思わず「えっ」と叫んでしまった。
 その時だった。1階の玄関から、まるでどっかのサナトリウムから逃げ出してきたような、浴衣姿の痩せた老人が現れた。
 その人は、大家を見るなり「こんにちわあ!」と大きな声で挨拶し、そのままヒョロヒョロとどこかへ出て行ってしまった。私の存在には気づいてないようだった。
「……もしかしてあの人が、そのおじいさんですか」と聞くと、大家はしばらく黙ってから「まあ、変わってるけど悪い奴じゃねえよ」と言った。
 幽霊ではなかったが、なんだかすごいじいさんが住んでいるようだった。
 大家いわく、「1階にジジイが住んでるけど、ちゃんと1階と2階で分かれてるから大丈夫」とのことだったが、その「仕切り」というのがあの私が怪しんでいた薄汚れたベニヤのことらしい。
 さっきまで大喜びで内見していたものの、正直少し心配になった。今の私は家を選べる立場ではないが、住むと決まれば毎日ここへ帰ってこないといけない。見た感じ、さっきの1階のおじいさんは危なそうな人ではなかったが、もし万が一住んでから何か問題がでてきたらと思うと心配だった。なんせあんな頼りないベニヤ一枚隔てただけのところに住んでいるのだ。実質同居である。
 でも、前のアパートの退去日は決まっていたし、正直ここを断ったところで他の引越し先を見つけられる自信もなく、退去までの間は休みなくバイトのシフトを入れてしまったために物件を探す暇もない。心配は心配だったが、私にはここしかないのだ。
 それに、よく考えたら私はバンドで叩いていたドラムのおかげで上半身が筋肉隆々だったので、もし万が一なにか起きてもあのじいさんなら反撃できるだろうとも思った。そして私は、どうにでもなれと思って賃貸書類一式にハンを押したのだった。


 そうして私は、早速この家に住み始めるようになったのだが、いざ住んでみるとあんなに疑ったのが申し訳ないくらい埴輪のじいさんは普通にいい人だった。変わっているところは、ただ異常な量の埴輪を所持しているだけのようである。
 よくよく考えたら、私だってつげ義春先生の「李さん一家」の李さんのようなものだ。そんな私に文句ひとつ言わずに受け入れてもらった感謝を肝に銘じ、今後じいさんとも良好な関係を築いていこうと思った。
 だが、意外なところに盲点があった。家を紹介してくれ、店にも週5で顔を出しているあの常連の大家が、なんと隣の家に住んでいたのだ。こうして、私のプライバシーはスナックの他の客に筒抜けとなった。

 プライバシーがゼロという以外は家賃も安くていい家だったが、さすがにここに馴染みすぎてしまうと人間が駄目になりそうだなと思い、お金が貯まったらまた普通の賃貸アパートへ引っ越そうと考えた。目標ができると不思議と目の前の霧が晴れ上がったような気分になり、アドレナリン全開の私はあちこちに面接を受けに行き、朝はコンビニ、昼は事務、夜はスナックとトリプルワークを始めるようになった。そして、平日はこの3つの職場からなるゴールデントライアングルの中をぐるぐる自転車で回りながら労働に勤しみ、休日や空き時間に作品を作る毎日が始まったのだった。

 私の計算では、大体半年で貯金が貯まったらちゃんとプライバシーが守られるまともな家に引っ越すつもりでいた。
 だが、人間って恐ろしいものである。私はじいさんの埴輪にも隣に住む大家の存在にも慣れ、すっかりこの家に馴染んでしまい、気づいた頃には私もすっかりこの家の変な住人のひとりになっていた。
 そして、結局それからこの家に7年も住むことになろうとは、この時の私も全く知るよしもなかったのだった。

(来週に続く!)


〈Scarborough Fair〉2016

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旅するごとに、だれかと出会いシャッターを押すごとに、読者のみなさんと一緒に拡がりつづける時間と空間の痕跡、残香、傷痕……そんなふうに『わたしたちがいたところ』とお付き合いいただけたらと願っています。

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捨てられないTシャツ

70枚のTシャツと、70とおりの物語。
あなたにも〈捨てられないTシャツ〉ありませんか? あるある! と思い浮かんだあなたも、あるかなあと思ったあなたにも読んでほしい。読めば誰もが心に思い当たる「なんだか捨てられないTシャツ」を70枚集めました。そのTシャツと写真に持ち主のエピソードを添えた、今一番おシャレでイケてる(?)“Tシャツ・カタログ"であるとともに、Tシャツという現代の〈戦闘服〉をめぐる“ファッション・ノンフィクション"でもある最強の1冊。 70名それぞれのTシャツにまつわるエピソードは、時に爆笑あり、涙あり、ものすんごーい共感あり……読み出したら止まらない面白さです。

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圏外編集者

編集に「術」なんてない。
珍スポット、独居老人、地方発ヒップホップ、路傍の現代詩、カラオケスナック……。ほかのメディアとはまったく違う視点から、「なんだかわからないけど、気になってしょうがないもの」を追い続ける都築響一が、なぜ、どうやって取材し、本を作ってきたのか。人の忠告なんて聞かず、自分の好奇心だけで道なき道を歩んできた編集者の言葉。
多数決で負ける子たちが、「オトナ」になれないオトナたちが、周回遅れのトップランナーたちが、僕に本をつくらせる。
編集を入り口に、「新しいことをしたい」すべてのひとの心を撃つ一冊。

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書評2006-2014

こころがかゆいときに読んでください
「書評2006-2014」というサブタイトルのとおり、これは僕にとって『だれも買わない本は、だれかが買わなきゃならないんだ』(2008年)に続く、2冊めの書評集。ほぼ80冊分の書評というか、リポートが収められていて、巻末にはこれまで出してきた自分の本の(編集を担当した作品集などは除く)、ごく短い解題もつけてみた。
このなかの1冊でも2冊でも、みなさんの「こころの奥のかゆみ」をスッとさせてくれたら本望である。

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独居老人スタイル

あえて独居老人でいること。それは老いていくこの国で生きのびるための、きわめて有効なスタイルかもしれない。16人の魅力的な独居老人たちを取材・紹介する。
たとえば20代の読者にとって、50年後の人生は想像しにくいかもしれないけれど、あるのかないのかわからない「老後」のために、いまやりたいことを我慢するほどバカらしいことはない――「年取った若者たち」から、そういうスピリットのカケラだけでも受け取ってもらえたら、なによりうれしい。

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ヒップホップの詩人たち

いちばん刺激的な音楽は路上に落ちている――。
咆哮する現代詩人の肖像。その音楽はストリートに生まれ、東京のメディアを遠く離れた場所から、先鋭的で豊かな世界を作り続けている。さあ出かけよう、日常を抜け出して、魂の叫びに耳を澄ませて――。パイオニアからアンダーグラウンド、気鋭の若手まで、ロングインタビュー&多数のリリックを収録。孤高の言葉を刻むラッパー15人のすべて。

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東京右半分

2012年、東京右傾化宣言!
この都市の、クリエイティブなパワー・バランスは、いま確実に東=右半分に移動しつつある。右曲がりの東京見聞録!
576ページ、図版点数1300点、取材箇所108ヶ所!

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東京スナック飲みある記
ママさんボトル入ります!

東京がひとつの宇宙だとすれば、スナック街はひとつの銀河系だ。
酒がこぼれ、歌が流れ、今夜もたくさんの人生がはじけるだろう、場末のミルキーウェイ。 東京23区に、23のスナック街を見つけて飲み歩く旅。 チドリ足でお付き合いください!

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