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バックナンバー:2022年07月20日 配信号 収録

lifestyle 新宿区立総合天然宙屯地  3 大島てる (画・写真・文:小指)


 この家に引っ越してきてからしばらくした頃、私は「大島てる(管理人・大島てるさんが管理する事故物件情報共有サイト)」のサイトでこの家のことを少しばかり探りを入れてみたことがあった。ざっくりと、この辺りかな?という場所に地域を選択してみると、近所の新宿一帯は事故物件であることを表す炎マークが大炎上していた。さすが新宿、と思った。変に感心しながら、そこから更に拡大し、我が家のある場所にカーソルを合わせた。すると、どうやら意外なことに、この埴輪ハウスは事故物件には該当していないようだった。怪しい雰囲気の割には、たいしたことは起きていなかったようである。
 だが、びっくりしたのはここからだった。我が家の2軒先には、いつも物干し竿にモモヒキばかりを干している、見るからに牧歌的な雰囲気の一軒家があったのだが、なんとその家に炎マークがついていたのだった。事件性なんて1ミリも感じないあの家に、なにかの間違いでは……?と思いながら、恐る恐るクリックしてみると、そこにはまさかの「殺人」とあった。
 血の気が引いた。火事などの事故であれば、気の毒でも残念だなという感じだが、殺人になると話は別である。人が人を殺すということは考えただけでも恐ろしい。本当に、人と家は見かけによらないものだなと思った。
 それにしても、一体どんな殺し方を・・・と恐々詳細を見てみると、そこには衝撃的な内容が書かれてあった。
「漬物石で撲殺」
 …今時そんな殺し方があるのだろうか。この時ばかりは本当にゾッとした。

 後になって、この近隣一帯は、かつて大きな処刑場の跡地があったということを人づてに聞いた。どうやら、そもそもここらへん一帯が巨大な事故物件だったようなのだ。知人のスピリチュアル系占い師に聞いても、我が家の近所は誰かが漬物石で凶行に及んでも仕方がないくらい磁場が狂っているらしい。
 でも、埴輪の守護のおかげか、私はここに引っ越してから怖い目には一度も遭っていない。


ヘクソカズラの話

 この家は、当初から外壁の全面に謎の植物が絡まっており、のちにそれは「ヘクソカズラ(屁糞葛)」という名の雑草であることがわかった。ヘクソカズラとは、その名のとおり「屁」と「糞」の臭いを放つという、とんでもない特徴を持つ草である。そんなものがなぜ我が家に取り憑いてしまったのか、全く見当もつかないのだが、私はこの草にほとほと困らされていた。

 夏になると、このヘクソカズラ(通称ヘクソ)は湿気で蒸らされ、ますますひどい悪臭を放った。どんなもんかというと、屁糞の臭いというよりも、ヨダレでびちゃびちゃにした巨大枕を乾燥させて再び顔面に押し付けられたような、そんな臭いがするのだ。それが自分の枕元から発されるなら仕方がないにしろ、家全体から臭ってくるのだからたまったものじゃない。
 また、夏はヘクソの成長期でもあった。まるで夏休みの中学生のように成長を持て余したヘクソは、外壁では飽き足らず、家の中にまで侵入するようになった。しかも、風呂場の窓から入ってくるところがまたいやらしい。何度かハサミでちょん切ってやったが、奴らは風呂場からどんどん侵入し、そのツルを伝ってまるでジャックと豆の木のように変な虫やナメクジまでが家の中へ入ってくるのだった。
 鋏で切ってもすぐに伸びてくるので困っていると、ある日突然ヘクソは不気味な白い花を咲かせた。その花の感じが、昔読んだゲゲゲの鬼太郎の「妖花」という話にとても似ており、ますます具合が悪くなるのだった。

 追い詰められた私は、とうとう大家にこのヘクソ被害を訴えることにした。私は、深夜の歌舞伎町帰りの大家を捕まえてヘクソの実害を話した。そして「どうにかしてくれ」と泣きつくと、大家は「ああ、俺もお前らんちの前を通るたびに臭くてたまんねえなって思ってたよ。よく住んでるなあって毎日感心してたんだけど、さすがのお前も我慢できなくなったか」と呑気に笑っているのだった。どうやら、もっと早くに訴えてよかった案件だったらしい。
 そして大家から、あのヘクソが実はとても厄介な雑草であることを聞かされた。

 ヘクソ(本名:屁糞葛 へくそかずら)の学名である「Paederia」は、ラテン語の「paidor(悪臭)」を語源としており、英語でも「Skunkvine(スカンクのつる草)」と呼ばれるほど万国共通で臭がられている雑草だった。悲しくなるほど酷い言われようの植物で、よりによってなんでこんなのが生えてしまったのかと情けなくなってくる。
 普通の雑草のように、引っこ抜いたり根っこを鎌で断ち切れば駆除できると思っていたのだが、この「ヘクソ」は非常に生命力が強くてしぶとい雑草のようで、ここまで大きくなってしまうと専門の業者を呼ばなけれどうにもできないらしい。しかも、一度の作業でなんと1万5千円もかかるという。大家が渋っていた理由がわかった気がした。「除草剤で枯らすのはどうか」と聞いてみたが、それは既に何度も試しているらしく、このヘクソは薬剤程度ではまったく太刀打ちができないという。何十年も前から生えているので、根が樹木のように太くなっており、これほどにまでなってしまうともう根を火炎放射器のようなもので焼き切るしか方法は無いと言う。
「火炎放射器!?」
 私は思わず叫んでしまった。だって、火炎放射器で根を焼くもなにも、目の前にあるのはマッチ一本で全焼しそうな頼りない我が家である。火炎放射器と聞くと、映画「ゴーストバスターズ」のゴースト捕獲銃のようなものが頭に浮かんでくるが、勿論本物なんか見たこともないし使ったこともないので、どれほどの威力かもまったく想像がつかない。とにかく、しぶといヘクソを焼くよりも先に家のほうが燃えてしまいそうだと思った。
 もはやこれは、私たちの命懸けのヘクソ駆除だった。大家も「もしなにかあったら、自分が持ってる他の物件に引越しさせてやる。その時は少し家賃が上がってしまうけど……」と言い始めたので、同じことを考えていたのだろう。
 そして大家に業者へ電話をしてもらうと、早速翌日に駆除業者が来てくれることになった。

 そしてヘクソ一掃大作戦が始まった。
 ヘクソ駆除は、私がバイトに行っている間に始まり、家に帰る頃にはもう決着はついているようだった。万が一のことを考えながら、休憩時間のたびに携帯で「新宿区 火事」と検索したりして、生きた心地がしないままその日一日の労働を終えた。

 そして、バイトから帰ってきて私は驚いた。
 あんなに家のまわりに執拗に絡みついていたヘクソが、すっかりきれいになくなっていたのだ。埴輪のじいさんも外に出て「すっきりしましたねえー」と、まるで床屋帰りの人にするような褒め方をしていた。外壁も、火炎を放射されたせいか、心なしかトーストのようにこんがり焼き色がついているような気がした。
 こうして、ヘクソもいなくなり悪臭の根源も絶たれ、やっと私たちに清々しい日々が訪れた。・・・と思ったが、ヘクソはこれで終わりではなかった。私は、この時はまだヘクソの本当の恐ろしさを全然わかっていなかったのだった。

 なんと、ヘクソはひと月も経たずに復活した。そして、「逆境が私を強くさせた」と言わんばかりにますます激しく蔓を伸ばし、瞬く間に今まで以上に家の周囲を猛然と覆ってしまったのだった。

 ちなみに、屁糞葛の花言葉は「人嫌い」「誤解を解きたい」というものらしい。もう、人間が嫌いでも一向に構わないから、とにかくどこか遠くへ行ってほしい。そもそも、ここまできて一体なんの誤解を解きたがっているのか。臭いのは事実なのだ。
 怖いもの知らずの大家もこのヘクソの生命力にはおののき、「もう諦めろ」とのことだった。


まきぐそ事件

 貧乏くさい家に住むのも、たまには良いことがある。まず、ここに住みだしてからというものの変なセールスやNHKの集金などがまったく来なくなった。ヘクソの悪臭や埴輪の魔除けが一役かっている可能性もあるが、時々宅急便や郵便配達の人ですら我が家を迷うので、この家はもしかして外から見えていないんじゃないかと思うくらい、他人からも社会からも隔絶されているような感覚になることがあった。でも、正直このくらい世の中から無視されてるほうが気楽だった。

 誰が見ても貧乏くさい我が家は、泥棒の標的にはなりそうもなかったが防犯面ではガバガバだった。特に私の方の玄関(勝手口)は、相当古い引き戸だったので、急いでいる時なんかに慌てて閉めようとすると、よく戸ごと外れた。そうなると一人で直すのが大変なので、バイトに遅刻しそうな時などはもう諦めて外れたままで外出したこともあったくらいだ。
 小学生の頃、飼育小屋でウサギの世話をしているときに誤って閉じ込められたことがよくあったものだが、この家は少し押せばすぐ玄関ごと外れて脱出できるので、今思えばウサギ小屋以下のセキュリティの家に住んでいたんだなと思う。
 それでも、埴輪のじいさんに関しては常に玄関は開けっぱなしだし、心配も多かったが、この家は不思議なほどに平和だったのだ。

 だが、そういえば一度だけ物騒な珍事件があった。
 この家は、細い私道の奥まった所にあるので基本的に住人以外が立ち入ることはなく、普段はとても静かだが、その日の夜に限って何かの騒がしい音がした。その時はまた、「大家が酔っ払った友達でも連れてきたのかなあ」なんて思って気にせず寝ていたが、翌朝玄関を出てみると、そこには信じられないものが置かれてあった。
 我が家の玄関先に、まるで漫画に出てくるようなでっかい「マキグソ」が置かれてあったのだ。私はあまりの驚きで言葉を失った。

 それは、まるでアラレちゃんが棒を刺して持ってるやつみたいに整った形をしており、初めは「作り物か?」と思ったくらいだった。だけど、近くに寄ってみるとやっぱりそれはまごうことなき本物だった。
 恐らく、昨日の夜の騒がしくしていた人物が関係しているに違いない。でも、見れば見るほど、「尻から出しただけでこんなに器用に巻けるものなのか?」と不思議に思うくらい、非常に立派な造形なのだ。犯人は彫刻家出身の人間だろうか。人間の肛門って、こんなソフトクリーム製造機みたいに巻けるものなのだろうか?と、感心してしまうほどの出来だった。だからこそますます、「一体なんのために?」と不気味で怖くなるのだった。

 とにかく大家に報告しなければいけない。でも、伝えたらきっと「片付けとけ」と言われるだろうし、正直片付けたくないしバイトも遅刻しそうだったので、私はこの巻き糞を現地に残しひとまず自分は職務のためにその現を離れることにした。そして、私は自転車で颯爽と職場のコンビニへと向かったのだった。

 その夜、スナックに出勤すると大家がすごい怖い顔で店のソファに座っていた。私は今朝の一連の出来事を思い出し、慌てて控え室へ逃げこもうとしたが見つかってしまった。大家は、私の顔を見るなりめちゃくちゃ怒りはじめた。
「あの糞、お前か!!片付けといたからな!」

 信じ難いことに、大家はあのマキグソを私がひり出したものと疑っているらしい。確かに片付けずにそのまま立ち去ったのは悪かったが、目の前の家に帰れば便所があるのに、なんで私がわざわざ家の前でしなければならないのか。
 私は、昨夜の不審者のことを大家に伝えようと思ったが、聞き入れてもらえるような状況ではなかった。それにしても、騒いでいたのが大家の友人ではないのなら一体誰が…。謎はさらに迷宮入りしていったのだった。

 そんな世にも奇妙な未解決事件が我が家にもあったわけだが、数年越しに、この事件の解決に繋がる重要な糸口が発見された。

 昔から一緒にバンドをしているAと、いつもの喫茶店で世間話をしていた時のことである。昔やった自分達のバカバカしいことを順々に言い笑いあっていると、Aが「昔、よく私の家の近くまで自転車できて、私を驚かせるために毎回何かしらの「お土産」を置いていっていた」と言い出したのだ。
 そんな「ごんぎつね」みたいなことされたっけ?と記憶を手繰り寄せていると、「あ!!」と全てを思い出した。そして、あの忘れかけていた巨大なシルエットが浮かびあがってきたのだった。

「まさか……昔、私の家の前にでかい巻き糞しなかった?」
「うん、した」
 こうして数年越しに、私たちの未解決事件が収束した。


撮影:ソノダノア

大家のブタ汁

 最初の大家の印象というのは、口は悪いし絶対に堅気には見えないし、枕元に札束を置き「自分を絶頂に導けた女性には100万円を渡す」なんていう「100万円チャレンジ」なるものをやっていると風の噂で聞いていたものだから(過去の大病による手術で棒の部分を切除しているため、かなりの難易度らしい)、とにかく怖い存在だった。だが、家を紹介してもらいご近所さんになってからというもの、急激に性格が丸くなりだしように感じた。私以外の人間にはまだギラギラしているのかもしれないが、私にとってはなんだか親戚のじいさんみたいな存在だった。

 時々、私は隣に住む大家の庭へ草むしりをしに行く。こうした手伝いをすると、大家は「ちゃんと飯食えてるか」と、家にある賞味期限が切れそうなレトルト食品やお菓子を大量にくれるので、私は食糧目当てによく大家の家へ手伝いに行っていたのだった。

 ある日も、いつものように軍手にジャージ姿で大家宅へ向かうと、台所から今まで大家の家から嗅いだことのないような家庭的な匂いが充満しているのに気づいた。常日頃から「一人暮らしだから料理はしない」と言っていたが、最近プラトニックな関係の女ともだちができて、その人から料理を教えてもらうようになったらしい。それで、最近覚えたブタ汁を、草むしりに来た私のためにと鍋いっぱい作っておいてくれたようなのだった。なんだかその気持ちが、しみじみと嬉しかった。

 その日、私はいつも以上に気合を入れて草をむしり、落ち葉まですべて拾い集め、仕事を終えた後は大家とテレビを見て芸能界のゴシップにあーだこーだ言いながら一緒にブタ汁を食べた。私は次々とおかわりし、一気に5杯もの豚汁を食べ尽くしてしまった。
 後でママから聞いた話によると、その夜大家は「小指が俺が作ったブタ汁を5杯も食ってったぞ」と、他の客に自分の料理自慢をしていたらしい。嬉しそうだったよ、とのことだった。
 なんだかその日のことを、今もよく覚えている。

埴輪のじいさんのサイン

 ある日、友人Aが「おれもじいさんの埴輪が欲しい」と言うので、私の部屋にある大量の埴輪のうちのひとつを譲ってあげることにした。Aは喜んだが、それだけでは飽き足らないようで「ついでにじいさんのサインもくれ」などと言ってきた。毎日顔を合わせている埴輪のじいさんに今更サインを貰うなんて、なんだか恥ずかしいな……とも思ったが、Aはかなり本気の様子だった。でも、私もよく考えてみたら埴輪のじいさんがどんなサインをするのか気になった。そして、「いいよ」と言って、早速埴輪とサインペンを持ってじいさんの部屋を訪問したのだった。

 その日は、珍しくじいさんのほうの玄関がしまっていた。どこかへお出かけ中かなと思い、部屋の戸を何発か叩いてしばらく待っていると埴輪のじいさんが「ハーイ」と出てきた。この家はインターフォンがないので、戸を叩くしか相手を呼ぶ方法がないのだ。
 私は少し緊張しながら、「友だちが埴輪の大ファンらしくて、サインも欲しいみたいなんですけどお願いできますか」と尋ねると、じいさんは「ええっ」と驚いた顔でのけぞった後に「いいですよ」と快く応じてくれた。
 早速Aに「サインOKだって!」とメールすると、「やったー! 大切にする!」と瞬速で返ってきた。こんなに喜んでもらえるなら、私も頼んだ甲斐があったなあと嬉しく思った。

 埴輪のじいさんに埴輪とサインペンを渡そうとすると、首を振って断られた。不思議に思っていると、じいさんはこう言った。
「この埴輪に何かを書く時は、昔から使っている特殊な顔料でないといけないんです。こういう時のために、専用にしている特別な筆がありますので、それを持ってきます。えーとどこいったかな……」と言って、部屋の奥へと探しに行った。そんなものがあるなんて埴輪の世界も奥深いなあと感心しつつ、その「特別な筆」というものを見ることができるなんてラッキーだなと楽しみだった。

 外で蚊に刺されながら待っていると、「お待たせしました、見つかりました!」と埴輪のじいさんが何かを片手に持って出てきた。「お願いします」と埴輪を渡そうとした時、埴輪のじいさんが右手に持っているものを見て、私は脳が停止した。
 それはどう見ても、特別な埴輪用の筆などではなく、私が数週間前に家の中でなくしたと思っていたアイライナー(化粧品)にしか見えないからだった。

 一体どういうことなのだろうか? でも、埴輪のじいさんは当たり前のように、今にもそのメイベリンのアイライナーでサインをしようとしている。しばらく頭で理解ができなかった。
 いやいやそんなわけない、まさか見間違えだよね……と思ってもう一度目を擦ってよく見てみても、やっぱりそれはどう見ても私が新宿のドンキで購入した定価1400円のアイライナーだった。じいさんは「昔から使っている特殊な筆」と言っているが、それは当時よくCMで流れているくらいのやつでどちらかというと新作である。確実に何かの間違いに違いない。
 私は混乱しながら「あの……それが特別な筆なんですか?」と、しどろもどろで聞くと、じいさんは一寸の曇りもない目で「そうですよ!」と元気よく返事した。
 アイライナーで埴輪にサインをしているじいさんを見ていると、あまりのシュールさにこの状況を目撃しているのが私だけであることがとにかく残念で仕方がなかった。埴輪のじいさんは、アイライナーで埴輪の内側にシュシュっとサインをした後、「よしっ」と叫んで私にその埴輪を渡してくれた。そして、「ご友人様によろしくお伝えください」と言って、ドンキのアイライナーを片手に再び静かに部屋の中へ引っ込んでいった。
 まるで不思議な夢を見たかのような気分だった。


 部屋に戻った私は、もらったばかりのサイン入り埴輪をそっと布でくるみ、念の為に化粧ポーチの中をもう一度だけ探した。やっぱりあのアイライナーだけ、どこを探しても無かった。というかじいさんの部屋にあるのだから当たり前だ。じいさんは、恐らくあのまま一生気づかずあの私のアイライナーを使い続けるのだろう。そう思うと、不思議な気持ちになった。

 そして、肝心のじいさんのサインである。どんなサインをしたのか無性に気になり、Aに渡す前に先に一人で見てしまうことにした。埴輪の裏を覗くと、そこにはなぜか「さおりさん江」とだけ一言書かれてあった。
 ……「さおり」とは私の本名である。
 普通、サインってじいさんの名前を書くものではないのだろうか? それに、これは友達のためにもらったものなので私の名前を書かれても困ってしまう。他人の名前が書かれていたことも知らず、今も楽しみに待っているであろうAの顔を想像すると心苦しくなった。もう一度サインをもらい直すべきか。でも、じいさんにも面倒をかけてしまうし、私も正直面倒臭いしで頭を抱えた。
 だが、じいさんのサインをじっと見ているうちに、“あの”埴輪のじいさんに頼んでおいて「普通」のサインを求める私たちのほうがそもそも愚問だったんじゃないかと思い始めた。このすべて間違ったサインにこそ、埴輪のじいさんらしさが詰まっているような気がする。ちょっと狂ったこの世界こそが、埴輪のじいさんの存在する世界線なのだ。…そう自分に言い聞かせ、私は「さおりさん江」と書かれた埴輪を友人に渡した。

 後日、友人は想像通り「なんでお前の名前が入ってるんだよ」と普通に怒っていた。


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旅するごとに、だれかと出会いシャッターを押すごとに、読者のみなさんと一緒に拡がりつづける時間と空間の痕跡、残香、傷痕……そんなふうに『わたしたちがいたところ』とお付き合いいただけたらと願っています。

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編集に「術」なんてない。
珍スポット、独居老人、地方発ヒップホップ、路傍の現代詩、カラオケスナック……。ほかのメディアとはまったく違う視点から、「なんだかわからないけど、気になってしょうがないもの」を追い続ける都築響一が、なぜ、どうやって取材し、本を作ってきたのか。人の忠告なんて聞かず、自分の好奇心だけで道なき道を歩んできた編集者の言葉。
多数決で負ける子たちが、「オトナ」になれないオトナたちが、周回遅れのトップランナーたちが、僕に本をつくらせる。
編集を入り口に、「新しいことをしたい」すべてのひとの心を撃つ一冊。

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書評2006-2014

こころがかゆいときに読んでください
「書評2006-2014」というサブタイトルのとおり、これは僕にとって『だれも買わない本は、だれかが買わなきゃならないんだ』(2008年)に続く、2冊めの書評集。ほぼ80冊分の書評というか、リポートが収められていて、巻末にはこれまで出してきた自分の本の(編集を担当した作品集などは除く)、ごく短い解題もつけてみた。
このなかの1冊でも2冊でも、みなさんの「こころの奥のかゆみ」をスッとさせてくれたら本望である。

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あえて独居老人でいること。それは老いていくこの国で生きのびるための、きわめて有効なスタイルかもしれない。16人の魅力的な独居老人たちを取材・紹介する。
たとえば20代の読者にとって、50年後の人生は想像しにくいかもしれないけれど、あるのかないのかわからない「老後」のために、いまやりたいことを我慢するほどバカらしいことはない――「年取った若者たち」から、そういうスピリットのカケラだけでも受け取ってもらえたら、なによりうれしい。

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咆哮する現代詩人の肖像。その音楽はストリートに生まれ、東京のメディアを遠く離れた場所から、先鋭的で豊かな世界を作り続けている。さあ出かけよう、日常を抜け出して、魂の叫びに耳を澄ませて――。パイオニアからアンダーグラウンド、気鋭の若手まで、ロングインタビュー&多数のリリックを収録。孤高の言葉を刻むラッパー15人のすべて。

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