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バックナンバー:2022年07月27日 配信号 収録

lifestyle 新宿区立総合天然宙屯地 4  埴輪ハウスに集う動物たち (画・写真・文:小指)

 最初の異変に気づいたのは、ここへ引っ越して間もない頃のことだった。ひとりで部屋にいると、天井裏から「パタタタ……」と小さな足音のようなものが聞こえるのだ。私はテレビの音を消し、耳をすませた。
 パタタタタ……
 やはり何かがいる。だが、この家には私と埴輪のじいさんしかいないはずだ。一瞬、江戸川乱歩の小説「屋根裏の散歩者」のような屋根裏を徘徊するじいさんの姿を想像したが、下の階からジャーっとトイレを流す音がしたので、やっぱり上から聞こえてくる足音はじいさんのものではないようだ。もしや泥棒?と怖くなり、更に注意ぶかく聞いてみると、やっぱりさっきの「パタタ……」という音に加え、「カリカリ…」という、何かを齧っているような音まで聞こえてきた。私は慌てて、天井に向かって枕を投げつけた。すると、物音はパタリとやんだ。
 私のこれまでの人生経験から想像するに、屋根裏の正体は、千葉の舞浜にある遊興施設のあいつだろうとピンときた。とうとう我が家にも出てしまった。というか、この築年数からして出ないわけがないとは思っていたが、実際出るとわかるとショックなものである。その日は一晩中ソワソワし、どうも寝た気がしなかった。

 翌朝、家の前で、捕獲機の中に入ったネズミを水責めしている埴輪のじいさんの姿を見かけた。やっぱりあの屋根裏の物音は、ネズミで間違いないようだ。
 ネズミの恐ろしさは、ネズミに縁がない人生を送っている人には一生わからないだろうと思う。わかりたくもないだろうが。私もこれまで、保管していた米をフンだらけにされたりと諸々酷い目に遭ってきたが、そんなのはまだまだ序の口で、私の先祖である曽祖父は、ネズミから耳を疑うような恐ろしい被害を受けていた。その話を少し、注意喚起のためにもここで話したいと思う。

 曽祖父は生前、大の甘党で、その日も布団の上で饅頭を食べながらウトウトしていたという。そして、そのまま寝てしまった曽祖父は、深夜に突然かつて経験したことのないような激痛を感じて飛び起きた。一体何が起こったのかと辺りを見回すと、目の前の布団に血だまりができていた。恐る恐る、血で真っ赤に染まった右手を見てみると、なんとさっきまで饅頭を持っていたはずの手が、指ごと無くなっていたらしい。
 なんと、ネズミが曽祖父の人差し指を、饅頭と一緒に指ごと齧り食ってしまったのだった。
 曽祖父は不運なことに、ただ寝ながら饅頭を食ってたというだけで指を落とし間違えたヤクザのような手となってしまい、何に落とし前をつけるわけでもなく人差し指が無いまま一生涯を過ごした。…という、ただただ言葉を失うような話をよく父から聞かされて育ったものだから、私は本当にネズミが怖いのだった。ネズミが出てしまったら最後、自分の身すら危険なのである。
ネズミはけして舐めたらいけない。この恐ろしさ、わかってもらえただろうか。


 だが、埴輪のじいさんがネズミを捕獲してくれていても、天井裏の足音は倍々ゲームで増えていった。近所で古い家が解体されていたので、恐らくそこから棲家を失ったネズミたちがこちらへ逃げてきているのだろう。
 しばらくすると、天井裏は毎晩運動会でもやってるんじゃないかと思うほどの騒音になり、「これはそろそろ本当にまずいかも」と真っ青になった頃には時すでに遅し、足音や家をかじる音が縦横無尽に響き渡るようになってしまっていた。
 しかも、いつの日からかドスン!とかなり大きな謎の音までするようになった。どうやらネズミよりもでかい尻をもつ謎の生き物が、走っては転び、尻もちをついているようなのだ。
 天井裏の連中は日を追うごとに図々しくなり、私が料理なんかをするとその匂いに興奮してか饗宴のような騒ぎとなり、騒ぐわ齧るわ繁殖するわの乱痴気騒ぎで、まるで不良だらけのクラブと化していた。もはや、運動会を開催していた頃はまだ可愛いげがあったくらいだ。ドッスンドッスンとネズミとは思えない音も聞こえてくるし、私は恐怖からストロングタイプの耳栓をして毎晩寝るようになった。

 ある日の深夜、私は家の前で不思議な体験と遭遇した。
 丁度丑三つ時くらいの時間帯だろうか。スナックから帰ってくると、家の前に光を放ちながら佇む謎の未確認生物がいた。とうとう自分がネズミのストレスでおかしくなってしまったかとも思ったが、それは幻覚でもなく夢でもなく、本当にそこにいた。その謎の発光体は、クラッチバッグほどの大きさで、全身から黄金色の光を放ち、こちらを見ていた。
 私は慌てて鞄から携帯を取り出し、その発光体Xの写真を撮ろうとした。すると、そいつはピュン!と目にも止まらぬ早さで跳び上がり、隣りの敷地の草の茂みに潜って、気付いたらあっという間にいなくなってしまっていた。私は真っ暗な夜の中、ひとり残され呆然としていた。

 翌日、「もしかしてあれはこの家の神様なんじゃないか?」と思った。大家や近隣に住む人たちに昨日の発光体のことを話してみたが、「疲れてんじゃねえのか」と誰も取り合ってくれない。でも、私はあの発光体Xを本当に見たのだ。その時はたいして酔ってもいなかったし、睡眠不足でもなかった。
 あの生き物は、一体なんだったのだろう。早速私は図鑑で探してみることにした。ペラペラとページをめくり、「これだ!」と思ったのが、まず「イタチ」だ。でも、まさか新宿に…と思ったのだが、どうやらイタチは意外に都心でも出るらしい。確かにこんな顔だったような気がするし、毛もちょっと金色がかっていて、何よりシルエットがそっくりだ。絶対こいつで間違いない、と確信した。
 他にも色々調べてみると、新宿区では「ハクビシン」や「アライグマ」なんかの目撃情報もあった。びっくりしたが、よく考えたら近くに新宿御苑のような自然もあるし、残飯も豊富だろうし、もしかすると暮らしやすいのかもしれない。そして、時々天井裏から聞こえてくるあの大きな物音の方は、こいつらかイタチのどれかなんじゃないかな、と思った。
 私はこの時、「ネズミは嫌だけど、アライグマとかだったら動物園みたいで面白いなあ」なんて、のんきなことを考えていた。だが、その後「天井裏 動物」で検索すると、それら野生動物による身の毛もよだつ深刻な健康被害がわんさかと出てきて私は震え上がった。無知って本当に恐ろしい。
 その中でもいちばん恐ろしかったのは、「アライグマの糞から出た回虫が、なにかしらの方法で人体に入って脳障害になる」というものだった。どういう経緯で人体に入るかは書かれていなかったが、今回のように天井裏が巣だった場合、口を開けて寝ている間にポトリとされてしまえばいくらだって人体に入り得る可能性はある。そんな理由で死んでしまったら、私の人生って一体なんだったんだろう。
 一瞬「この家の神様かも」と有り難がったあのイタチも、被害の全容を知ってしまうと、頭の中では既に「どう殺すか」ということが争点になっていた。天井裏にバルサンでも押し込めば一発なのだろうが、頭上であんな大きな動物がバタバタ死なれたらと思うと嫌すぎる。だが、こうしてるうちに奴らはガンガン糞をしてるだろうし、私には一刻の猶予も残されていなかった。
 大家に相談すると、「実は俺んとこにも出てたんだよ(ネズミ)」とのことだった。大家いわく、ここらへんのネズミたちは昼間は歌舞伎町にいて、夜になるとこっちに戻っているらしい。だから、そのいなくなっている昼間のうちに家の隙間などを塞ぎ、戸締りをしっかりして穴という穴を塞げばネズミはこなくなる、と言うのだった。
 何故大家が、ネズミ達のライフスタイルにそこまで詳しいのか疑問ではあったが、とりあえず大家の言う通りやってみようと思い家の穴を探すことにした。だが、穴なんて、こっちがネズミでもないのに探せられるものではない。どうにもできずに項垂れていると、急にピンときた。あまりにもガバガバの、あの大きな穴があったではないか。
 私は慌てて、埴輪のじいさんのところへ行き「今後、不在の時はドアを閉めてほしい」とお願いした。すると、不思議なことにしばらくして本当に、天井裏の足音が一切消えてしまったのだ。まさか玄関から堂々侵入していたとは想像もしていなかった。
 そして、埴輪ハウスには束の間の平穏が訪れた。だが、この平穏こそが嵐の前の静けさだったということを、その時の私は知る由もなかったのだった。

 やっぱりそれで終わるネズミ卍軍では無かった。しばらくすると、今まで以上の勢いで先鋭部隊のように侵入してきたのである。
 家の柱を齧る音にも、前よりずっと気合が入っていた。特に深夜が一番ひどく、そのカリカリカリカリカリと朝まで続く音のせいで私は完全に睡眠障害になってしまい、心療内科で睡眠薬を処方されるまでになってしまった。完全にネズミ達の復讐劇が始まったのである。
 しかも、そのカリカリと齧る音は、日に日にこちら側へ迫ってきているような感じがした。何が目的か知らないが、どうやら映画「大脱走」並のテンションで、天井裏からこちら側へと脱出を試みているようなのだ。ここまで柱を齧られてしまうと、この家自体もブッ倒れてしまう可能性がある。折角この家が気に入ってきたのに、また神は私から家を奪うのか。本当に勘弁してほしかった。

 ある日、大阪へ数日旅行して帰ってくると、家の中が水浸しになっていた。どうやらついにネズミ連中がこちら側への脱出に成功し、その穴から雨漏りをしたようなのだ。特に台所がひどく、IH調理器が壊れて新しいのを買う羽目になってしまった。ネズミたちはあの時、トンネル貫通を祝ってテープカットでもしたのだろうか。あの時のIHの値段が今回の原稿料と同じだったなと、今回ネタにさせてもらってふと思い出した。


交通事故

 そんなこんなの中、轢き逃げに遭ってしまった。
 夜、四ツ谷の三栄通りの坂道を自転車で走っていたら、青信号の横断歩道でいきなりタクシーが脇からぶつかってきたのだ。私は絵に描いたように吹っ飛ばされ、道路の上で尻餅をついて、呆然とした。しばらく立ち上がれずにいると、車から動揺した様子の運転手が降りてきて、「大丈夫ですか?」と聞いてきた。私はこの時すっかり気が動転してしまっていて、咄嗟に「大丈夫です」と言ってしまった。これが、どうやらよくなかったようだ。運転手は急に「そうですか」とひとこと言い残し、そそくさと現場から立ち去ってしまったのだ。
 車道に投げ出されたままぽかんとしてると、歩道で事故の一部始終を見ていた親子がバタバタ駆け寄ってきて「あなた大丈夫?!」と声をかけてきてくれた。「すごい音だったわよ、轢き逃げよ! 警察に連絡したほうがいいわよ!」そういえば……と思って辺りを見渡すと、私の自転車がぐしゃぐしゃになって転がっていた。全壊し、まるで私の身代わりになったようだった。
 やっと状況が飲み込め、私はその場で110番をした。しばらくしたら交番のお巡りさんが来て、その後すぐに捜査官っぽい警官がふたりやってきた。そしてその場ですぐ、テレビで見るような現場検証が行われたのだった。

 捜査官っぽい人たちは私と親子から状況を聞き、道路のブレーキ痕などから過失の割合などを調べ始めた。運転手は逃げてしまっているし、相手が一時停止したかなんてわかるわけないだろうと思っていたのだが、プロなら道路を見ればすぐにわかってしまうらしい。そしてあれこれ測ったのち、おばさんの証言も追加され、ひき逃げタクシーはなんと信号を無視した上に一時停止もせず私のところへ突っ込んできた、という事実が発覚した。私は、現代の技術に心底感心すると同時に、もしかしたら自分が死んでいたかもしれないと思うととてもゾッとしたのだった。
 向こうの過失割合が10(要は、すべて悪い)ということで、轢いた運転手が捕まった場合、解雇になって免許も剥奪される可能性があるらしい。運転手が無職になるのは気の毒だなと一瞬同情したが、逃げたのでやっぱり同情の余地は無いと思い直し、被害届を出すことになった。
 だが、肝心のタクシーが行方不明なのである。警察から「タクシーの色や会社は覚えていますか。せめてナンバーの一部だけでも……」と尋ねられたが、普段タクシーなんて乗らないから会社名など知らないし、数字にも弱いので一文字だって覚えていなかった。特定は絶望的かと思ったその時、私の頭に何かが降りてきた。あのタクシーが立ち去る直前の残像のようなものが、頭の中に浮かびあがってきたのだった。
 そして、私はまるで宜保愛子のように、その残像に浮かび上がる車体のナンバーを警官の前で読み上げた。その場にいた全員が「まさか」という感じだったが、万が一と調べてみると、すぐにタクシー会社が特定され、なんと私が口頭で言ったナンバーと同じナンバーの車が近くの警察署に出頭してきたとの連絡があったのだ。
 運転手は轢き逃げしたことを認めており、車体にはくっきりと私と自転車の追突痕が残っていたという。普段、特に記憶力がいいわけでもないし視力だって両目0.1なのに、この時だけ火事場の馬鹿力というか、謎の能力が目覚めてしまったらしい。この時のことを、今も私は「ひき逃げの奇跡」と呼んで様々な場所で語り継がせている。

 轢き逃げタクシーが見つかってホッとしていると、警官が「救急車を呼んで、念の為病院へ行きますか」と聞いてきた。だが、明日もコンビニのバイトが朝からあったことを思い出し、つい断ってしまった。警官は「事故直後は興奮して痛みなどを感じにくいことがあるので、何日かして痛みや不調が出てきたらその時は病院で診断書をもらってきてくださいね」と言い、心配してくれ、近所まで送ってくれた。正直この時は、まだ「そんな大袈裟な」という感じで、完全に交通事故というものを舐めきっていたのである。恐らく、あの時既に相当な興奮状態だったように思う。
 翌朝起きると、なんとも言えない吐き気や首のだるさに襲われ、昨日の話を思い出して私は青ざめた。店長に電話すると、休んでいいからとにかく病院へ行けと言われた。自転車も壊されているので、一人とぼとぼと歩きながら病院へ向かうと、道中でどうにも具合が悪くなり、近くでタクシーを捕まえて九段下病院まで運んでもらった。タクシーを呼ぶ時も、何度かうっかり昨日私を轢いたタクシーと同じ会社のタクシーに乗り込みそうになり、心落ち着く暇はなかった。

 医者に事情を話しレントゲンを撮ってもらうと、「頚椎捻挫」とのことだった。頚椎と言われてギョッとしたが、要は「むち打ち」のことらしい。しばらく治るまで近場の整骨院へ通ってくださいと言われ、帰された。大したことがない怪我でよかったが、仕事を休んだり通院代のことを考えると不安だった。
 警察からは、恐らく数日後にタクシー会社側の保険会社から連絡がくると言われていたので、その連絡を待つことにした。


 事故翌日の昼頃、知らない番号から電話が掛かってきた。電話に出てみると、まるでサラ金の取り立てのような恐ろしい声のおっさんだった。このおっさんこそが、タクシー会社の保険屋だった。
 おっさんの態度は明らかに轢かれた相手にするものではなく、その上「被害届を取り下げろ」などとのたまい始めた。でも、警察からは「もし向こうから連絡が来て被害届を取り下げてほしいと言われても、よく考えてから返事をしてください。被害届を取り下げると、後遺症などが出たりして後で揉めた時に責任を追求できません。それに、一度取り下げてしまった被害届は再び出そうと思っても受理されることが非常に難しくなってしまいます」と言われていたので、私は「しません!」と断り続けた。
 それに、被害届を取り下げて示談となると、加害側が示談金を支払うのが一般的だと思うのだが、このタクシー会社の保険屋においては「被害届を取り下げろ、だがこちらからはビタ一文支払わない」と無茶苦茶なことを言うのだ。私が若い女だから脅せばどうにかなると思っているのだろうか。非常に屈辱だった。あれだけドンと轢かれていたのだから、年寄りや子供だったら死んでいたかもしれないのだ。その時、あまりの悔しさに私の脳内で戦闘開始のゴングが鳴り響き、私の中の戦士の火がけたたましく燃え始めたのだった。

 保険屋とあれこれ言い合っていると、埒が開かないと判断したのか、向こうが「それなら、これからお宅に伺います」と言いだした。出た! 直接脅迫にくる気だ。
 それなら、こっちだってヤクザのような人を出してやろうじゃないか。
 そして私は、隣に住んでる大家に「助けてくださーい!」と泣きついたのだった。

 半分冗談だろうと思っていたが、その1時間後になんと本当に保険屋は来た。玄関に立っていたのは、まるで土佐犬が背広を来たような、いかつい風貌の男だった。いかにも危険という雰囲気を纏わせている。
 突然来ただけでもだいぶ失礼なのに、保険屋は電話の時と変わらない高圧的な態度で、懲りずに被害届の取り下げを要求してきた。私はすかさず、「祖父を呼びます、おじいちゃーん!」と叫んだ。すると、隣の家から大家が凄まじい顔で登場した。まるで鬼のようだった。
 保険屋の土佐犬は、大家を見た途端急に態度を変えた。さすがに鬼には犬も怯むようだ。私は内心「やっちまえ!」と思ったが、同時に、この世はどこまでも弱肉強食なのだなあと悲しくもなった。
 大家はこうした交通事故のやりとりに慣れているらしく(何故だろう。怖くて理由は聞けなかった)、いろんな保険の知識であーだこーだと捲し立て、最後には「お前ら、こいつ轢いといてその態度はどうなんだよ!」と怒鳴りあっという間に土佐犬を畳み掛けてしまった。そして、帰る頃にはなんと慰謝料や自賠責保険での治療費の支払いの約束まで取り付けてくれたのだった。
 大家がいなければ、私はあのまま言いくるめられ、治療費も自転車の買い替えもしてもらえずに泣き寝入りしていたことだろう。そして安心して整骨院へ通うことができ、ムチウチだけでなくなぜか猫背も改善し、この事件は一件落着となった。


 私は大家に、せめてもの感謝の気持ちを伝えたいと思い、貰った慰謝料でなにかお礼にご馳走させてほしいと言った。すると、ちょうど大家の古い友人が、近所に最近店を出したと言う。折角だからそこへ行こうとなり、私と大家は大久保通りにあるその焼肉店へと向かった。


 大家の友人がオープンしたというその焼肉屋は、大通りに面したとても良い立地で、なかなか立派なお店だった。だが、まだ宣伝が行き届いていないのか、入ってみると客は私たちだけだった。
 店の戸を開け、大家が「おーい、来たぞー」と叫ぶと、奥から眼鏡をかけた中年の男性が出てきた。その人が、大家の友人である、この店のオーナーだった。オーナーは、大家を見るなり「Hちゃん!!!来てくれたんだね!!」と、とても嬉しそうに駆け寄ってきた。相当大家のことを慕っているようである。昔、オーナーが前の店を失敗した時に大家に助けてもらった恩義があるようで、大家はオーナーにとって友人であり、恩人なのだと言っていた。
 大家は、私を指差し「こいつが車に轢かれた金で奢ってくれるっていうからよ」と言うと、オーナーは私にも「大変でしたね、大丈夫ですか?」と心配してくれ、大家の友人なのにえらい良い人だなあと思った。

「とにかく肉、どんどん出してくれ!」
 大家がそう言うと、本当にどんどん肉が運ばれてきた。ドリンクは飲み放題なのでまだしも、ここまで遠慮なく食われるとさすがにお会計が心配になってくる。大家は「お前もどんどん食え、な」と言うが、支払いは私である。新しい肉の皿が運ばれてくるたび、私の胃は巾着のようにキューと閉まった。
 それにしても、ここの肉はまあまあな値段をする割に、向こう側が透けて見えるくらい薄い肉だった。あまりにも薄すぎて「これ、しゃぶしゃぶ用のを間違えて出した?」と聞きたくなるレベルだった。もし本気で焼肉が食べたかった人たちにこれを出したら、みんな顔を真っ赤にして暴れるに違いない。だが、さすがに大家の友人の店なので文句も言えず、私は心を押し殺し黙々と薄肉を胃に運んだのだった。

 そして、恐怖のお会計である。
 会計の札を見て、私は「ゲッ」となった。なかなかの値段だったのだ。だが、自分で奢ると言った手前、もう引き返せない。泣きそうな顔で財布を出すと、大家が「おい、見せろ」と私の手から伝票をひったくった。そして、伝票にざっと目を通すと、オーナーに向かって店中に響き渡る声で「てめえ、あんな薄い肉でこんな金取る気か!!」と、恫喝を始めたのだった。うわー、と思うと同時に、やっぱりあの肉の薄さは異常だったのか、と自分の感覚にほっとした。
 そして、大家はオーナーの胸ポケットからボールペンを奪い、伝票を勝手に次々と改ざんし、「ほいっ、払え」と、私に伝票を渡してきた。会計は、2人で3千円になっていた。
 オーナーは、一言も文句を言わず、絶望しきった顔でレジ打ちをしていた。その気の毒な姿にどこかずっと既視感があり、そもそも初めて見た時から「何かに似ているなあ」とずっと思っていたのだが、その時やっとそれが誰なのかわかった。オーナーは、根本敬先生の漫画に登場する「村田」という悲惨な人生のキャラクターに、顔も性格もまるで生写しかのように似ているのだった。そして、大家もまた、漫画の中で「村田」を迫害する「佐吉」という粗暴なキャラクターに非常に似ていた。二人の関係性に、私はなんだか因果のようなものを感じたのだった。
 帰り際、大家は私に「ご馳走さん。残りは貯金しろよ」と言い、私たちはいつものように自転車で家へと帰った。


「Some Things Last A Long Time/ Daniel Johnston」(2013)

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ROADSIDE LIBRARY
天野裕氏 写真集『わたしたちがいたところ』
(PDFフォーマット)

ロードサイダーズではおなじみの写真家・天野裕氏による初の電子書籍。というか印刷版を含めて初めて一般に販売される作品集です。

本書は、定価10万円(税込み11万円)というかなり高価な一冊です。そして『わたしたちがいたところ』は完成された書籍ではなく、開かれた電子書籍です。購入していただいたあと、いまも旅を続けながら写真を撮り続ける天野裕氏のもとに新作が貯まった時点で、それを「2024年度の追加作品集」のようなかたちで、ご指定のメールアドレスまで送らせていただきます。

旅するごとに、だれかと出会いシャッターを押すごとに、読者のみなさんと一緒に拡がりつづける時間と空間の痕跡、残香、傷痕……そんなふうに『わたしたちがいたところ』とお付き合いいただけたらと願っています。

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ROADSIDE LIBRARY vol.006
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これまでのロードサイド・ライブラリーと同じくPDF形式で全289ページ(833MB)。展覧会ではコラージュした壁画として展示した、もとの写真280点以上を高解像度で収録。もちろんコピープロテクトなし! そして同じく会場で常時上映中の日本、台湾、タイの動画3本も完全収録しています。DVD-R版については、最近ではもはや家にDVDスロットつきのパソコンがない!というかたもいらっしゃると思うので、パッケージ内には全内容をダウンロードできるQRコードも入れてます。

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TOKYO STYLE(PDFフォーマット)

書籍版では掲載できなかった別カットもほとんどすべて収録してあるので、これは我が家のフィルム収納箱そのものと言ってもいい

電子書籍版『TOKYO STYLE』の最大の特徴は「拡大」にある。キーボードで、あるいは指先でズームアップしてもらえれば、机の上のカセットテープの曲目リストや、本棚に詰め込まれた本の題名もかなりの確度で読み取ることができる。他人の生活を覗き見する楽しみが『TOKYO STYLE』の本質だとすれば、電書版の「拡大」とはその密やかな楽しみを倍加させる「覗き込み」の快感なのだ――どんなに高価で精巧な印刷でも、本のかたちではけっして得ることのできない。

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おんなのアルバム キャバレー・ベラミの踊り子たち(PDFフォーマット)

伝説のグランドキャバレー・ベラミ・・・そのステージを飾った踊り子、芸人たちの写真コレクション・アルバムがついに完成!

かつて日本一の石炭積み出し港だった北九州市若松で、華やかな夜を演出したグランドキャバレー・ベラミ。元従業員寮から発掘された営業用写真、およそ1400枚をすべて高解像度スキャンして掲載しました。データサイズ・約2ギガバイト! メガ・ボリュームのダウンロード版/USB版デジタル写真集です。
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――ラブホの夢は夜ひらく

新風営法などでいま絶滅の危機に瀕しつつある、遊びごころあふれるラブホテルのインテリアを探し歩き、関東・関西エリア全28軒で撮影した73室! これは「エロの昭和スタイル」だ。もはや存在しないホテル、部屋も数多く収められた貴重なデザイン遺産資料。『秘宝館』と同じく、書籍版よりも大幅にカット数を増やし、オリジナルのフィルム版をデジタル・リマスターした高解像度データで、ディテールの拡大もお楽しみください。
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――秘宝よ永遠に

1993年から2015年まで、20年間以上にわたって取材してきた秘宝館。北海道から九州嬉野まで11館の写真を網羅し、書籍版では未収録のカットを大幅に加えた全777ページ、オールカラーの巨大画像資料集。
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捨てられないTシャツ

70枚のTシャツと、70とおりの物語。
あなたにも〈捨てられないTシャツ〉ありませんか? あるある! と思い浮かんだあなたも、あるかなあと思ったあなたにも読んでほしい。読めば誰もが心に思い当たる「なんだか捨てられないTシャツ」を70枚集めました。そのTシャツと写真に持ち主のエピソードを添えた、今一番おシャレでイケてる(?)“Tシャツ・カタログ"であるとともに、Tシャツという現代の〈戦闘服〉をめぐる“ファッション・ノンフィクション"でもある最強の1冊。 70名それぞれのTシャツにまつわるエピソードは、時に爆笑あり、涙あり、ものすんごーい共感あり……読み出したら止まらない面白さです。

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圏外編集者

編集に「術」なんてない。
珍スポット、独居老人、地方発ヒップホップ、路傍の現代詩、カラオケスナック……。ほかのメディアとはまったく違う視点から、「なんだかわからないけど、気になってしょうがないもの」を追い続ける都築響一が、なぜ、どうやって取材し、本を作ってきたのか。人の忠告なんて聞かず、自分の好奇心だけで道なき道を歩んできた編集者の言葉。
多数決で負ける子たちが、「オトナ」になれないオトナたちが、周回遅れのトップランナーたちが、僕に本をつくらせる。
編集を入り口に、「新しいことをしたい」すべてのひとの心を撃つ一冊。

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書評2006-2014

こころがかゆいときに読んでください
「書評2006-2014」というサブタイトルのとおり、これは僕にとって『だれも買わない本は、だれかが買わなきゃならないんだ』(2008年)に続く、2冊めの書評集。ほぼ80冊分の書評というか、リポートが収められていて、巻末にはこれまで出してきた自分の本の(編集を担当した作品集などは除く)、ごく短い解題もつけてみた。
このなかの1冊でも2冊でも、みなさんの「こころの奥のかゆみ」をスッとさせてくれたら本望である。

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独居老人スタイル

あえて独居老人でいること。それは老いていくこの国で生きのびるための、きわめて有効なスタイルかもしれない。16人の魅力的な独居老人たちを取材・紹介する。
たとえば20代の読者にとって、50年後の人生は想像しにくいかもしれないけれど、あるのかないのかわからない「老後」のために、いまやりたいことを我慢するほどバカらしいことはない――「年取った若者たち」から、そういうスピリットのカケラだけでも受け取ってもらえたら、なによりうれしい。

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ヒップホップの詩人たち

いちばん刺激的な音楽は路上に落ちている――。
咆哮する現代詩人の肖像。その音楽はストリートに生まれ、東京のメディアを遠く離れた場所から、先鋭的で豊かな世界を作り続けている。さあ出かけよう、日常を抜け出して、魂の叫びに耳を澄ませて――。パイオニアからアンダーグラウンド、気鋭の若手まで、ロングインタビュー&多数のリリックを収録。孤高の言葉を刻むラッパー15人のすべて。

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東京右半分

2012年、東京右傾化宣言!
この都市の、クリエイティブなパワー・バランスは、いま確実に東=右半分に移動しつつある。右曲がりの東京見聞録!
576ページ、図版点数1300点、取材箇所108ヶ所!

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東京スナック飲みある記
ママさんボトル入ります!

東京がひとつの宇宙だとすれば、スナック街はひとつの銀河系だ。
酒がこぼれ、歌が流れ、今夜もたくさんの人生がはじけるだろう、場末のミルキーウェイ。 東京23区に、23のスナック街を見つけて飲み歩く旅。 チドリ足でお付き合いください!

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