ニュー・シャッター・パラダイス 37 ずっと太古から走っている (写真・文:オカダキサラ)
余裕を持って生きたい。 そう思って約束の時刻よりも前に現地についているように心がけてはいるのですが、何回かに一回は必ずギリギリになってしまいます。 事故や天災ならまだしも、原因は自分のウッカリによ…
photography 紅子の色街探訪記 |
|
ノスタルジックな遊郭や赤線の残景に惹かれるひとは多いが、8月1日に荒木町のアートスナック番狂わせで始まったばかりの写真展「紅子の色街探訪記」は、ノスタルジーとしての色街風景を並べながら、そこに仄かなノイズのようなものが含まれているようで、「色街写真家」と名乗る紅子さんのことが気になった。 |
紅子さんがSNSで色街の写真を発表するようになったのは、まだ2年ほど前から。つまりコロナ禍になってからのこと。YouTubeチャンネル「紅子の色街探訪記」は、去年8月に始めたときはフォロワーが知り合いの2名だけだったのが、1年経たないいま、すでに2万6千人を超すフォロワーを持つ。今回の展覧会も、YouTubeのプログラムを観た番狂わせのママさんから依頼があって実現したのだった。その急展開にも驚くけれど、紅子さんは色街を歩き写真に撮る以前に、色街で働く側、つまりセックスワーカーだったという。いったいどんなひとなんだろう。 |
|
紅子さんは1972年埼玉県生まれ、49歳。中学生の息子とふたりで、いま東京で暮らしている。 |
小さいころから、ほかのひととどう関わっていったらいいのか、ぜんぜんわからなかったんですね。小学校に入った時点でもういっさい、ひと言も口がきけなくて。押し黙ってるだけの気持ち悪いやつということで、ものすごくいじめられました。声が出るまで鉛筆で刺されたり。家がゴミ屋敷みたいで、雨戸も開けないし、親が家にいなくてお風呂もあまり入らなかったから、私のからだもいつも汚れていて、「臭いから近寄るな」ってトイレ掃除のデッキブラシで殴られたり。返事ができなかったり、給食がひと口も食べられなかったりで、先生からもぶたれたり体罰がしょっちゅうで。こころの休まる日が一日もなくて、小学校に入ってすぐのころからあんまり学校に行かなくなってしまったんです。1年生のときにそういう自分がイヤになって、虫刺されのキンカンを飲んで自殺を図ったんですが、いつもの仮病だと思われて家族からも相手にされなくて、3日ほどひとりで苦しんで終わったり、ということもありました。私には双子の妹がいるんですが、そちらはとても明るい普通の子だったので、私だけ学校にも家にも居場所がないという気持ちの毎日でした。 |
|
中学校でもすごくいじめられたのであまり行かずに、街をふらふらしながら、盗みばかりしてました。アクセサリーとか文房具とか、普通に女の子が欲しがる雑貨みたいなもの。ひとりになりたかったんじゃなくて、友達は欲しかったのに、どうしたら友達ができるのかがわからなくて。高校もそんな感じだったので、だれでも入れるような高校にいちおう入学したけれど、人間関係に悩んですぐにやめちゃいました。 |
|
西川口から店を転々として、池袋、渋谷……店もピンサロだったりヘルスだったり。でも、渋谷とか都会じゃないですか(笑)。当時、店の子はガングロギャルみたいな子ばっかりで、私だけ黒髪にロングスカートみたいな地味だったので、ぜんぜんなじめなかった。女の子たちからみたらひとりだけ異質ですから、気味悪がられてました。当時は風俗と並行して天ぷら揚げるバイトもしてたので、時間的にもすごく大変で、けっきょく後半は美術学校もあまり行けなくなっちゃって……本末転倒ですよね(笑)。 |
|
美術学校と吉原でソープ嬢という二重生活を送りながら、紅子さんはパフォーマンスアートの世界にも足を踏み入れる。1990年代のパフォーマンス全盛期に重要な役割を果たした霜田誠二との出会いから、川端希満子(かわばた・まみこ)という本名で1996年ごろ活動を開始。「私とキスをしてください」といって観客数人をステージに上げ、ペニスのサイズを測ったのちにディープキスをしていくなど、伝説的なパフォーマンスを日本国内、また欧米、アジアのフェスティバルなどで披露していった。 |
美術学校を卒業してから、24~25歳ころだったと思いますが、絵を描くことが孤独すぎて、ひとと関わりたくなって舞踏とかいろんな表現を見ていくうちに、たまたま霜田誠二さんのパフォーマンスアートに出会ったんですね。1996年あたりからいろんなパフォーマンスアートのフェスティバルに出るようになって。2000年にニューヨークのジャパンソサエティで「I am not an artist. I am a sex worker.」というコンセプトでのパフォーマンスをやりまして。そのときのディスカッションで初めて「私は東京の吉原という風俗街で働くセックスワーカーで……」とカミングアウトしたんです。お客さんも、関係者のかたたちにもけっこう驚かれました。 |
当時はハスラー・アキラやブブ・ド・ラ・マドレーヌたちのバイターズが注目されたりと、現代美術にジェンダー、セクシュアリティを問う表現が次々に現れた時期でもあったが、紅子さんのパフォーマンスはそのメインストリームには乗っていかなかった。 |
パフォーマンスアートに関わっていくうちに、なんか違和感のほうが大きくなってきちゃったんです。日本のフェミニストのひとたちからは、若いのに性的な表現をウリにしてるとか「なんかずるいよね」って、ずいぶん批判されたりして。だんだん表現としてやっていくのがきつくなってきて、追いつめられて、なにがやりたいのかわからなくなっていったんです。人に好かれたいという思いでずっと生きてきたのに、裸になって表現してもまた嫌われるとは、人生辛いな……って。 |
|
吉原のソープのほうもからだがきつくて疲れ切って、2004年に32歳で引退しました。それから高円寺にあった女性のためのアダルトグッズ・ショップのラブリーポップで働いてましたが、そのころ結婚してた相手が「ほかに結婚したい相手ができたから」って、結婚5年目に出ていっちゃった。息子が産まれた翌年の離婚でした。 |
そんな日々を送っていた紅子さんが、ふたたび表現に向き合うようになったのは、古い友人との再会がきっかけだったという。 |
たまたま昔の友達に会う機会があって、「またなんかやろうよ」って誘われたんですね。で、私はなにができるだろうと思って、「オー・チン・チン」(ハニーナイツ)の曲にあわせたパロディっぽい映像を作ってみたりしたんです。それから、自分が作った映像と、自伝みたいなテキストの朗読と、ダンサーの牧瀬茜さんのダンスを組み合わせたステージを一緒につくってみたり。それが去年なので、まだ1年半ぐらい前。ほんとについ最近なんです。 |
|
いま、遊郭や赤線・青線跡を歩くのが好きなひとはいっぱいいて、昭和のラブホテルもそうだけど、特に女性の愛好家がすごく多い。僕自身の経験でもそうしたテーマのトークイベントを開くと参加者は女性ばかりで、それはうれしくもあるけれど、たとえば「きょうはちょっと早く着いちゃったので、トーク前にソープでひと汗流してきました」とかツカミで話そうものなら、会場は一気に冷ややかな空気に包まれるだろう。でも、紅子さんは現役ではないけれど、もともとセックスワーカーとして、みんなが外から眺める場所で働いていた人間だ。そういう紅子さんが「色街」を撮る、当事者としての心情を僕は聞いてみたかった。 |
そうですね~、イメージとしての遊郭や赤線青線と、実際にそこで行われてきた行為があまりリンクしていないというか、すごく美化されてるんじゃないかと思うときがあります。ただカワイイと言ってるひとたちの表面的な見方となにが違うかというと、私はこの「色街探訪」を執念でやってるところがあって。 |
|
紅子さんの写真の根源にある「文化人が愛するきれいな色街という幻想への劣等感と違和感」は、僕にもすごくよくわかる。バブル絶頂期に京都に住んでいて、お茶屋文化も少し見る機会があったので、紅子さんのお話を聞きながら最近話題になった祇園の元舞妓さんの告発を瞬間的に思い出した。谷崎潤一郎の「陰影礼賛」をお約束みたいに引用しながら、京都のお茶屋文化の奥深さを語りたがる文化人は山ほどいるが、現実のお茶屋の夜はそんなきれいなものではぜんぜんない。冒頭に書いた、紅子さんの写真を見た印象――ノスタルジーとしての色街風景を並べながら、そこに漂う仄かなノイズのような気配――は、彼女の半生というリアリティに裏打ちされた、色街の風景を見つめる視線の強度のあらわれなのだった。 |
|
紅子さんのYouTube配信を見て、その赤裸々な体験談と、ものすごく上品で穏やかな語り口のギャップにやられてしまうひとが急増しているが、今年3月からは『デラべっぴんR』というウェブサイトで連載「紅子の色街探訪記」を開始。さらに5月からはYouTube配信プログラム「夕やけちゃんねる」でも「色街の仕事人」が始まっている。 |
|
写真展 紅子の色街探訪記 |
[紅子・誌上写真展 現代に生きる色街編] |
|
[紅子・誌上写真展 遊郭・赤線・花街の跡地編] |
|
[特別掲載 自伝的物語「まん毛姫」朗読テキスト] |
私の名前は色街毛子と言います。 |
|
余裕を持って生きたい。 そう思って約束の時刻よりも前に現地についているように心がけてはいるのですが、何回かに一回は必ずギリギリになってしまいます。 事故や天災ならまだしも、原因は自分のウッカリによ…
Art center college of Design in Los Angelsでの最後の年、The Band, Ray Charles, Tina Turner, Rolling Stones,…
今回は旅する写真について書く。旅をするのは私ではない。写真である。 地球規模の災禍も収縮の兆しを見せ、人も物も再び動き出した世界。 街を歩けばそこここで見かける外国人観光客にインバウンドの戻りを感…
寒中お見舞い申し上げます、どうも平田です。今年もぐっと胸にくるような街角、時空を超越したような酒場を求めて歩き回りますので、よろしくお付き合い願います。今回のスナックショットは長野県北信地方、15年前…
地方に出張する機会が多くなりました。 移動時間に、景色を楽しめる余裕があるときはいいのですが、片付けなければならない仕事が溜まっていると、その時間がもったいなく思うときもあります。 空き時間を有効…
ロードサイダーズではおなじみの写真家・天野裕氏による初の電子書籍。というか印刷版を含めて初めて一般に販売される作品集です。
本書は、定価10万円(税込み11万円)というかなり高価な一冊です。そして『わたしたちがいたところ』は完成された書籍ではなく、開かれた電子書籍です。購入していただいたあと、いまも旅を続けながら写真を撮り続ける天野裕氏のもとに新作が貯まった時点で、それを「2024年度の追加作品集」のようなかたちで、ご指定のメールアドレスまで送らせていただきます。
旅するごとに、だれかと出会いシャッターを押すごとに、読者のみなさんと一緒に拡がりつづける時間と空間の痕跡、残香、傷痕……そんなふうに『わたしたちがいたところ』とお付き合いいただけたらと願っています。
稀代のレコード・コレクターでもある山口‘Gucci’佳宏氏が長年収集してきた、「お色気たっぷりのレコードジャケットに収められた和製インストルメンタル・ミュージック」という、キワモノ中のキワモノ・コレクション。
1960年代から70年代初期にかけて各レコード会社から無数にリリースされ、いつのまにか跡形もなく消えてしまった、「夜のムードを高める」ためのインスト・レコードという音楽ジャンルがあった。アルバム、シングル盤あわせて855枚! その表ジャケットはもちろん、裏ジャケ、表裏見開き(けっこうダブルジャケット仕様が多かった)、さらには歌詞・解説カードにオマケポスターまで、とにかくあるものすべてを撮影。画像数2660カットという、印刷本ではぜったいに不可能なコンプリート・アーカイブです!
プロのアーティストではなく、シロウトの手になる、だからこそ純粋な思いがこめられた血みどろの彫刻群。
これまでのロードサイド・ライブラリーと同じくPDF形式で全289ページ(833MB)。展覧会ではコラージュした壁画として展示した、もとの写真280点以上を高解像度で収録。もちろんコピープロテクトなし! そして同じく会場で常時上映中の日本、台湾、タイの動画3本も完全収録しています。DVD-R版については、最近ではもはや家にDVDスロットつきのパソコンがない!というかたもいらっしゃると思うので、パッケージ内には全内容をダウンロードできるQRコードも入れてます。
書籍版では掲載できなかった別カットもほとんどすべて収録してあるので、これは我が家のフィルム収納箱そのものと言ってもいい
電子書籍版『TOKYO STYLE』の最大の特徴は「拡大」にある。キーボードで、あるいは指先でズームアップしてもらえれば、机の上のカセットテープの曲目リストや、本棚に詰め込まれた本の題名もかなりの確度で読み取ることができる。他人の生活を覗き見する楽しみが『TOKYO STYLE』の本質だとすれば、電書版の「拡大」とはその密やかな楽しみを倍加させる「覗き込み」の快感なのだ――どんなに高価で精巧な印刷でも、本のかたちではけっして得ることのできない。
伝説のグランドキャバレー・ベラミ・・・そのステージを飾った踊り子、芸人たちの写真コレクション・アルバムがついに完成!
かつて日本一の石炭積み出し港だった北九州市若松で、華やかな夜を演出したグランドキャバレー・ベラミ。元従業員寮から発掘された営業用写真、およそ1400枚をすべて高解像度スキャンして掲載しました。データサイズ・約2ギガバイト! メガ・ボリュームのダウンロード版/USB版デジタル写真集です。
ベラミ30年間の歴史をたどる調査資料も完全掲載。さらに写真と共に発掘された当時の8ミリ映像が、動画ファイルとしてご覧いただけます。昭和のキャバレー世界をビジュアルで体感できる、これ以上の画像資料はどこにもないはず! マンボ、ジャズ、ボサノバ、サイケデリック・ロック・・・お好きな音楽をBGMに流しながら、たっぷりお楽しみください。
――ラブホの夢は夜ひらく
新風営法などでいま絶滅の危機に瀕しつつある、遊びごころあふれるラブホテルのインテリアを探し歩き、関東・関西エリア全28軒で撮影した73室! これは「エロの昭和スタイル」だ。もはや存在しないホテル、部屋も数多く収められた貴重なデザイン遺産資料。『秘宝館』と同じく、書籍版よりも大幅にカット数を増やし、オリジナルのフィルム版をデジタル・リマスターした高解像度データで、ディテールの拡大もお楽しみください。
円形ベッド、鏡張りの壁や天井、虹色のシャギー・カーペット・・・日本人の血と吐息を桃色に染めあげる、禁断のインテリアデザイン・エレメントのほとんどすべてが、ここにある!
――秘宝よ永遠に
1993年から2015年まで、20年間以上にわたって取材してきた秘宝館。北海道から九州嬉野まで11館の写真を網羅し、書籍版では未収録のカットを大幅に加えた全777ページ、オールカラーの巨大画像資料集。
すべてのカットが拡大に耐えられるよう、777ページページで全1.8ギガのメガ・サイズ電書! 通常の電子書籍よりもはるかに高解像度のデータで、気になるディテールもクローズアップ可能です。
1990年代の撮影はフィルムだったため、今回は掲載するすべてのカットをスキャンし直した「オリジナルからのデジタル・リマスター」。これより詳しい秘宝館の本は存在しません!
70枚のTシャツと、70とおりの物語。
あなたにも〈捨てられないTシャツ〉ありませんか? あるある! と思い浮かんだあなたも、あるかなあと思ったあなたにも読んでほしい。読めば誰もが心に思い当たる「なんだか捨てられないTシャツ」を70枚集めました。そのTシャツと写真に持ち主のエピソードを添えた、今一番おシャレでイケてる(?)“Tシャツ・カタログ"であるとともに、Tシャツという現代の〈戦闘服〉をめぐる“ファッション・ノンフィクション"でもある最強の1冊。 70名それぞれのTシャツにまつわるエピソードは、時に爆笑あり、涙あり、ものすんごーい共感あり……読み出したら止まらない面白さです。
編集に「術」なんてない。
珍スポット、独居老人、地方発ヒップホップ、路傍の現代詩、カラオケスナック……。ほかのメディアとはまったく違う視点から、「なんだかわからないけど、気になってしょうがないもの」を追い続ける都築響一が、なぜ、どうやって取材し、本を作ってきたのか。人の忠告なんて聞かず、自分の好奇心だけで道なき道を歩んできた編集者の言葉。
多数決で負ける子たちが、「オトナ」になれないオトナたちが、周回遅れのトップランナーたちが、僕に本をつくらせる。
編集を入り口に、「新しいことをしたい」すべてのひとの心を撃つ一冊。
こころがかゆいときに読んでください
「書評2006-2014」というサブタイトルのとおり、これは僕にとって『だれも買わない本は、だれかが買わなきゃならないんだ』(2008年)に続く、2冊めの書評集。ほぼ80冊分の書評というか、リポートが収められていて、巻末にはこれまで出してきた自分の本の(編集を担当した作品集などは除く)、ごく短い解題もつけてみた。
このなかの1冊でも2冊でも、みなさんの「こころの奥のかゆみ」をスッとさせてくれたら本望である。
あえて独居老人でいること。それは老いていくこの国で生きのびるための、きわめて有効なスタイルかもしれない。16人の魅力的な独居老人たちを取材・紹介する。
たとえば20代の読者にとって、50年後の人生は想像しにくいかもしれないけれど、あるのかないのかわからない「老後」のために、いまやりたいことを我慢するほどバカらしいことはない――「年取った若者たち」から、そういうスピリットのカケラだけでも受け取ってもらえたら、なによりうれしい。
いちばん刺激的な音楽は路上に落ちている――。
咆哮する現代詩人の肖像。その音楽はストリートに生まれ、東京のメディアを遠く離れた場所から、先鋭的で豊かな世界を作り続けている。さあ出かけよう、日常を抜け出して、魂の叫びに耳を澄ませて――。パイオニアからアンダーグラウンド、気鋭の若手まで、ロングインタビュー&多数のリリックを収録。孤高の言葉を刻むラッパー15人のすべて。
2012年、東京右傾化宣言!
この都市の、クリエイティブなパワー・バランスは、いま確実に東=右半分に移動しつつある。右曲がりの東京見聞録!
576ページ、図版点数1300点、取材箇所108ヶ所!