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バックナンバー:2022年08月03日 配信号 収録

photography 紅子の色街探訪記


高松市城東町ソープ街

ノスタルジックな遊郭や赤線の残景に惹かれるひとは多いが、8月1日に荒木町のアートスナック番狂わせで始まったばかりの写真展「紅子の色街探訪記」は、ノスタルジーとしての色街風景を並べながら、そこに仄かなノイズのようなものが含まれているようで、「色街写真家」と名乗る紅子さんのことが気になった。

「紅子の色街探訪記」は1ヶ月の会期のうち、8月1日から16日までの前半が「現代に生きる色街」、17日からの後半が「遊郭・赤線・花街の跡地」と題した前後半二部構成の写真展。紅子さんはこれが初めての写真展であり、展示にあわせてつくられた2冊の作品集も、初出版物だという。


「紅子の色街探訪記」YouTubeチャンネル

紅子さんがSNSで色街の写真を発表するようになったのは、まだ2年ほど前から。つまりコロナ禍になってからのこと。YouTubeチャンネル「紅子の色街探訪記」は、去年8月に始めたときはフォロワーが知り合いの2名だけだったのが、1年経たないいま、すでに2万6千人を超すフォロワーを持つ。今回の展覧会も、YouTubeのプログラムを観た番狂わせのママさんから依頼があって実現したのだった。その急展開にも驚くけれど、紅子さんは色街を歩き写真に撮る以前に、色街で働く側、つまりセックスワーカーだったという。いったいどんなひとなんだろう。


紅子さん、2021年 撮影:インベカヲリ★

紅子さんは1972年埼玉県生まれ、49歳。中学生の息子とふたりで、いま東京で暮らしている。

小さいころから、ほかのひととどう関わっていったらいいのか、ぜんぜんわからなかったんですね。小学校に入った時点でもういっさい、ひと言も口がきけなくて。押し黙ってるだけの気持ち悪いやつということで、ものすごくいじめられました。声が出るまで鉛筆で刺されたり。家がゴミ屋敷みたいで、雨戸も開けないし、親が家にいなくてお風呂もあまり入らなかったから、私のからだもいつも汚れていて、「臭いから近寄るな」ってトイレ掃除のデッキブラシで殴られたり。返事ができなかったり、給食がひと口も食べられなかったりで、先生からもぶたれたり体罰がしょっちゅうで。こころの休まる日が一日もなくて、小学校に入ってすぐのころからあんまり学校に行かなくなってしまったんです。1年生のときにそういう自分がイヤになって、虫刺されのキンカンを飲んで自殺を図ったんですが、いつもの仮病だと思われて家族からも相手にされなくて、3日ほどひとりで苦しんで終わったり、ということもありました。私には双子の妹がいるんですが、そちらはとても明るい普通の子だったので、私だけ学校にも家にも居場所がないという気持ちの毎日でした。

学校に行かないでなにをしてたかというと、ゴミ屋敷みたいになった薄暗い部屋で、女のひとがハダカにセクシーな下着とかを着けた絵をひとりでずっと描いてました。そういう女のひとにすごく憧れがあって、自分が大きくなってこんなふうになれたら、きっとみんなに好かれるんじゃないかと思って……。その絵は家族にも見せなかったんですが、隣に住んでるおじさんにだけは見せに行って、一枚50円で売ってました(笑)。小学校2年のときに、親の財布からなけなしの1万円を盗んで、ひとりでファミレスに行って豪遊したことも覚えてます。


飛田新地・早朝

中学校でもすごくいじめられたのであまり行かずに、街をふらふらしながら、盗みばかりしてました。アクセサリーとか文房具とか、普通に女の子が欲しがる雑貨みたいなもの。ひとりになりたかったんじゃなくて、友達は欲しかったのに、どうしたら友達ができるのかがわからなくて。高校もそんな感じだったので、だれでも入れるような高校にいちおう入学したけれど、人間関係に悩んですぐにやめちゃいました。

どうやって生きていったらいいか、ぜんぜんわからなかったけれど、「私は絵を描くんだ」という思いはちょっとあったので、美術の専門学校みたいなところに、高校を1年で辞めたあと通うんです。当時はバンドブーム全盛期で、みんなバンド活動に夢中で、ちゃんと教室に座って絵を描いていたのは私ぐらいだったので、先生には可愛がられましたが。けっきょくその学校には5年間通ってました。

でも、高校を辞めていったのだからと、学費はすべて自分でまかなわなくてはならなくて、年間100万円くらいかかる学校だったので、アルバイトで学費を稼ぐようになったんです。昼間は天ぷらを揚げるバイトで……でもそれだけではとても足りなかったときに、「日給1万円」みたいなチラシ広告を見て面接に行ったのが西川口のピンサロ。私が10代後半で、それが最初の風俗仕事でした。

ピンサロがどんなサービスをするところなのかも知らずに行ってみたら、服を脱いで、口でして、口に出して……みたいな。口になにかを出す、ということもよくわからなかったから。あ、なにか口に入ったな、みたいな(笑)。白いものを口に含んで出す仕事なんだなと。それが精液だ!とわかってからは、逆に気持ち悪くなって苦手になっちゃったんですが。そんな感じだったのでヘタだし、お客さんは厳しかったですね。ここなら脱いでサービスしたら喜んでもらえるかと思いきや、脱いでもひとに嫌われるんだって。それまでの思い込みが一気に崩されて……。


西荻窪・青線跡地

西川口から店を転々として、池袋、渋谷……店もピンサロだったりヘルスだったり。でも、渋谷とか都会じゃないですか(笑)。当時、店の子はガングロギャルみたいな子ばっかりで、私だけ黒髪にロングスカートみたいな地味だったので、ぜんぜんなじめなかった。女の子たちからみたらひとりだけ異質ですから、気味悪がられてました。当時は風俗と並行して天ぷら揚げるバイトもしてたので、時間的にもすごく大変で、けっきょく後半は美術学校もあまり行けなくなっちゃって……本末転倒ですよね(笑)。

渋谷のピンサロで働いてたときに、説教好きのお客さんから「吉原に行ったら人生終わるよ」とか言われて、そのとき私は自分の人生を終わらせたかったので。吉原に行ったらどんなふうに人生を終われるのかと思って、それが吉原のソープで働くようになったきっかけです。ただ、行ってみたら人生は終わらなくて、「ここが私の居場所なんだ」とか思うようになっちゃったんですが。


吉原ソープ嬢時代、29歳

美術学校と吉原でソープ嬢という二重生活を送りながら、紅子さんはパフォーマンスアートの世界にも足を踏み入れる。1990年代のパフォーマンス全盛期に重要な役割を果たした霜田誠二との出会いから、川端希満子(かわばた・まみこ)という本名で1996年ごろ活動を開始。「私とキスをしてください」といって観客数人をステージに上げ、ペニスのサイズを測ったのちにディープキスをしていくなど、伝説的なパフォーマンスを日本国内、また欧米、アジアのフェスティバルなどで披露していった。

美術学校を卒業してから、24~25歳ころだったと思いますが、絵を描くことが孤独すぎて、ひとと関わりたくなって舞踏とかいろんな表現を見ていくうちに、たまたま霜田誠二さんのパフォーマンスアートに出会ったんですね。1996年あたりからいろんなパフォーマンスアートのフェスティバルに出るようになって。2000年にニューヨークのジャパンソサエティで「I am not an artist. I am a sex worker.」というコンセプトでのパフォーマンスをやりまして。そのときのディスカッションで初めて「私は東京の吉原という風俗街で働くセックスワーカーで……」とカミングアウトしたんです。お客さんも、関係者のかたたちにもけっこう驚かれました。

当時はハスラー・アキラやブブ・ド・ラ・マドレーヌたちのバイターズが注目されたりと、現代美術にジェンダー、セクシュアリティを問う表現が次々に現れた時期でもあったが、紅子さんのパフォーマンスはそのメインストリームには乗っていかなかった。

パフォーマンスアートに関わっていくうちに、なんか違和感のほうが大きくなってきちゃったんです。日本のフェミニストのひとたちからは、若いのに性的な表現をウリにしてるとか「なんかずるいよね」って、ずいぶん批判されたりして。だんだん表現としてやっていくのがきつくなってきて、追いつめられて、なにがやりたいのかわからなくなっていったんです。人に好かれたいという思いでずっと生きてきたのに、裸になって表現してもまた嫌われるとは、人生辛いな……って。


荒木町・花街跡地・石畳

吉原のソープのほうもからだがきつくて疲れ切って、2004年に32歳で引退しました。それから高円寺にあった女性のためのアダルトグッズ・ショップのラブリーポップで働いてましたが、そのころ結婚してた相手が「ほかに結婚したい相手ができたから」って、結婚5年目に出ていっちゃった。息子が産まれた翌年の離婚でした。

双子の妹はすごく真面目でちゃんとした女の子だったんですが、19歳で統一教会に入ってしまうんです。その洗脳を解いて助け出してくれたのがキリスト教の牧師さんでした。それがきっかけで妹がクリスチャンになったんです。で、離婚してシングルマザーの私も辛いことがあるだろうって、妹に誘われてプロテスタントの教会に行き始めたんですね。それが、牧師さんがギター弾いて歌ってくれるような楽しい教会で、自分もクリスチャンになって洗礼も受けました。それから10年以上、仕事と教会と子育てで、ずっと生きてきました。仕事は風俗じゃなくて、ふつうの事務系の。いままでそんな仕事はできないと思ってたけど、私にもできるんだとわかって。そのころは、それまで好きだったアートやサブカル関係からもきっぱり離れた生活でした。

そんな日々を送っていた紅子さんが、ふたたび表現に向き合うようになったのは、古い友人との再会がきっかけだったという。

たまたま昔の友達に会う機会があって、「またなんかやろうよ」って誘われたんですね。で、私はなにができるだろうと思って、「オー・チン・チン」(ハニーナイツ)の曲にあわせたパロディっぽい映像を作ってみたりしたんです。それから、自分が作った映像と、自伝みたいなテキストの朗読と、ダンサーの牧瀬茜さんのダンスを組み合わせたステージを一緒につくってみたり。それが去年なので、まだ1年半ぐらい前。ほんとについ最近なんです。

写真のほうは、もともとあちこちふらふら歩くのが好きで、記録に残しておきたいという思いで撮りはじめたんです。写真家になりたいとかではなくて。歩いてるうちに、あれ、これって昔のカフェー建築?みたいな出会いがあって、そういうのを記録しておきたくなって。だから「赤線跡を探訪してみたい」とか明確な目的ではなくて、放浪してるうちにたまたま引き寄せられたというほうが近いかな。そんなことしているうちに、方向が見えてきたのが、ごく最近のことですね。これまで撮影してきたのが向島鳩の街、川崎堀之内、池袋、熱海、西川口、尾道、高松、広島、道後、大阪……まだまだ行かなきゃいけない場所がいっぱいありますけど。


紅子さん、2021年 撮影:インベカヲリ★

いま、遊郭や赤線・青線跡を歩くのが好きなひとはいっぱいいて、昭和のラブホテルもそうだけど、特に女性の愛好家がすごく多い。僕自身の経験でもそうしたテーマのトークイベントを開くと参加者は女性ばかりで、それはうれしくもあるけれど、たとえば「きょうはちょっと早く着いちゃったので、トーク前にソープでひと汗流してきました」とかツカミで話そうものなら、会場は一気に冷ややかな空気に包まれるだろう。でも、紅子さんは現役ではないけれど、もともとセックスワーカーとして、みんなが外から眺める場所で働いていた人間だ。そういう紅子さんが「色街」を撮る、当事者としての心情を僕は聞いてみたかった。

そうですね~、イメージとしての遊郭や赤線青線と、実際にそこで行われてきた行為があまりリンクしていないというか、すごく美化されてるんじゃないかと思うときがあります。ただカワイイと言ってるひとたちの表面的な見方となにが違うかというと、私はこの「色街探訪」を執念でやってるところがあって。

風俗業はほんとに汚いとされていて、私はずっと隠れながら地を這うようにして汚い場所で働いてきたし、そういう過去をずっと後悔もしてきました。特に教会に通うようになってからは、風俗どころか結婚までは純潔が当たり前みたいな価値観ですから。パフォーマンスをやっていたころはまだ「表現」という目的があって、こういう表現者だよねみたいな立ち位置があったけれど、それさえも離婚してからは隠して生きてきたので。

だからずっと息を潜めて、ずっと後悔しながら会社員として働いてきたんです。自分が思いがけず会社員として働けることを発見して、これならもっと前に会社員になっていたらよかった、あんな思いしないで、あんな人生送らなくてもよかった……人に言えないし……みたいなどろどろした気持ちがあって、そういう後悔ばかりしながらいま50になって、このまま死にたくないと。そういった思いを写真にぶつけているところがあります。

今回の展覧会の前半では「現代に生きる色街」と題して、いまの風俗街の写真も見せるようにしました。赤線の跡地で「タイルかわいい」とか言ってるひとたちは、無料情報館みたいな、いまの風俗街とかきっと見てないと思うし。なので、あえてそっち側というか、かわいいだけじゃない!という気持ちで、私は歩きまわって写真を撮ってるんです。


吉原コンパニオン募集

紅子さんの写真の根源にある「文化人が愛するきれいな色街という幻想への劣等感と違和感」は、僕にもすごくよくわかる。バブル絶頂期に京都に住んでいて、お茶屋文化も少し見る機会があったので、紅子さんのお話を聞きながら最近話題になった祇園の元舞妓さんの告発を瞬間的に思い出した。谷崎潤一郎の「陰影礼賛」をお約束みたいに引用しながら、京都のお茶屋文化の奥深さを語りたがる文化人は山ほどいるが、現実のお茶屋の夜はそんなきれいなものではぜんぜんない。冒頭に書いた、紅子さんの写真を見た印象――ノスタルジーとしての色街風景を並べながら、そこに漂う仄かなノイズのような気配――は、彼女の半生というリアリティに裏打ちされた、色街の風景を見つめる視線の強度のあらわれなのだった。


新宿歌舞伎町思い出の抜け道

紅子さんのYouTube配信を見て、その赤裸々な体験談と、ものすごく上品で穏やかな語り口のギャップにやられてしまうひとが急増しているが、今年3月からは『デラべっぴんR』というウェブサイトで連載「紅子の色街探訪記」を開始。さらに5月からはYouTube配信プログラム「夕やけちゃんねる」でも「色街の仕事人」が始まっている。


写真展 紅子の色街探訪記
8月1日(月)~31日(水)
@荒木町アートスナック番狂わせ
~16日前半「現代に生きる色街」
17日~後半「遊郭・赤線・花街の跡地」
※紅子さんの在廊日はTwitterでお知らせ。予約優先で、すでに満席の日が多いので、紅子さんに会いたいひとは急いでご予約を!

https://twitter.com/snack_bankuru?s=21

紅子 https://twitter.com/benicoirmachi
紅子の色街探訪記 https://youtube.com/channel/UC0ztdKiVQW7AXV7ia5QXeSA
デラべっぴんR「紅子の色街探訪記」https://dxbeppin-r.com/archives/124960
夕やけちゃんねる https://youtube.com/channel/UCf247rU9wLqARH-eNv9tzew

[紅子・誌上写真展 現代に生きる色街編]


川崎ちょんの間


熱海ストリップ劇場


池袋ストリップ劇場


池袋ラブホ街


吉原角えび本店


道後歌舞伎通り・ヘルス複合ビル


道後歌舞伎通り・案内所


川崎堀之内ソープ街


横浜親不幸通り


吉原・江戸通り


吉原のおんな


広島薬研堀風俗街


広島薬研堀案内所


吉原風景


高松市城東町ソープ街・夜


琴平ソープ


吉原・熟女店


鶯谷ラブホ街の女


飛田新地ピンクのネオン


飛田・募集

[紅子・誌上写真展 遊郭・赤線・花街の跡地編]


吉原カフェー建築「プリンス」


福生赤線跡地


松山市土橋・青線跡地に残る屋号


吉原カフェー建築「日の出」


尾道遊廓跡地


尾道遊廓跡地


広島赤線跡地「一楽旅館」


広島赤線跡地「一楽旅館」ばらの間


高松市・片原町パラダイス通り 順子の部屋


高松市・片原町パラダイス通り 地図


琴平遊廓跡地


横須賀・皆ヶ作銘酒屋街跡地・路地


横須賀・皆ヶ作銘酒屋街 跡地・ナスの意匠


飛田「鯛よし百番


飛田「鯛よし百番


飛田カフェー建築(豆タイル)


大阪西成・青線跡地


高松市・片原町パラダイス通り路地

[特別掲載 自伝的物語「まん毛姫」朗読テキスト]

私の名前は色街毛子と言います。
アソコの毛が長すぎて困っています。
毛子の「けい」は陰毛のモウと書きます。
でもちょっと地味すぎるから、まんげ姫って呼んで欲しいの。
スカートから少しだけはみ出しています。
はえてきたのは7歳の誕生日。
家族からは「気持ち悪い、ウチの子じゃありません」とのけ者にされていました。
毛子は馬用のシャンプーとリンスをこっそり買って毎日お手入れしていました。
陰毛の成長は止まりません。
切っても切っても1ヶ月で48センチずつ伸びてきます。
近所からは陰毛の森とささやかれていました。
少しおしゃれして、
三つ編みしたり、ポニーテールしてみたり、
レースのリボンをつけたり。
でも、どんなにおしゃれをしても
学校ではいじめられていました。
「あのこ、スカートから毛がでているわよ、
なんだか、不潔ね。
近づいたら私まで伸びてきちゃいそ。」
この長すぎる陰毛のせいで私はいっつもひとりぼっち。
跳び箱も陰毛が邪魔をして跳べず、プールで平泳ぎもできませんでした。
16歳になった毛子は
一年足らずで高校をやめて街中をうろつく、そんな毎日を送っていました。
誰も近寄よりもせず、触れられたことすらなかった。
友達がほしい、温かみを感じたい、ただそれだけなのに。
どうすれば私の身体に触れてくれるのでしょう。
いっそ山賊にでも襲われて身ぐるみはがされたい、
すっかり自暴自棄におちいっていました。
毛子の行き着いた先は青姦のメッカ上野公園の山のうえ。
そこには月夜の下で快楽をむさぼり酔いしれる、男女が集まっていました。
声をかけて来たのは歯が2本しかなく、頭の毛は全くない60代の男。
男は身体を擦りよせ、毛子のスカートに手を入れまさぐりました。
お嬢さんのあそこの毛はずいぶん長いんだね。
でも枝毛も一本もないし、艶やかで綺麗だよ。
と、毛子の陰毛を愛でてくれたのでした。
人生で初めて私のことを受け入れてくれた、この男は天使かもしれない。そんな錯覚に陥りまし
た。
私ね子どもの頃から馬用のシャンプーとリンスで毎日手入れして、ブラシで朝晩とかしているの。
『それでこんなにも黒光りしてるんだね、おじさんも使ってみようかな。』
なんて、甘酸っぱい会話をしながら
60代のあたまの艶やかな男と16歳の陰毛の長すぎる女は
茜色に染まった桜のした、陰毛の森をかきわけ、
ひとつとなりました。
私はその時初めて、人の温もりを感じ、男の口臭でさえ
甘く爽やかな吐息のように愛おしく思えたのでした。
二十歳になった毛子は社会から疎外された人生を送っていました。
風俗店を転々と渡り歩き
西川口のピンサロから池袋のファッションヘルス、川崎のちょんのま、そして行き着いた先は、日本が誇る最大の色街吉原。
毛子が入店したのは総額1万円の超格安素人専門店玉屋。
豆タイルが施された遊郭建築。
毛子の源氏名は、憧れのまんげ姫。
肌は白いが陰毛は真っ黒。
長いまんげの女がいると、たちまち話題となり、連日行列ができる程の、大入りとなりました。
まんげ姫の接客は高級店並みの即シャク即ベッドから始まり一回戦終わった後には、
長く艶やかな陰毛を存分に生かして、椅子洗いから華麗なるマットプレー。
殿方のぺニスに艶々な陰毛が巻きつき、寸止め状態を繰り返す。
竿舐め、玉舐め、アナル舐めと、これでもかと攻めつづけ、たちまち吉原のトップクラスに上り詰めました。
そんなまんげ姫も30歳を過ぎたころには、モウコンも枯れはじめ、ご自慢の陰毛は色艶を失い、若白髪もチラホラと目立ちはじめました。
32歳で吉原を引退した毛子は大人のおもちゃ屋で電動コケシ売りとなりました。
3年の月日が流れたころ浅草で知り合った
コケシ職人の男と結婚し玉のようなムスコが産まれました。
ですが、男は女をつくって出て行きました。
別れ際に男は吐き捨てるように言いました。
「長すぎる陰毛には飽き飽きした、俺は普通の長さが好きなんだ」と。
そんな大切なこと子どもが生まれる前に言ってほしかった…
短い結婚生活は終わり、ムスコを育てるため、街でコケシ売りの行商にでましたが生活は困窮するばかり。
夜はコンドーム工場でゴム製品を作っていましたが、そこも倒産してしまいました。
退職金がわりにコンドーム400個をもらいましたが、使い道すらありません。
この枯れ果てた白髪混じりの陰毛では、もう吉原に戻ることも出来ない。 毛子が行き着いた場所は 町外れにある古めかしいプロテスタントの教会。 牧師は400個のコンドームと電動コケシ、大、中、小、3本買い取ってくださいました。 毛子はこれまでの人生を悔い改め牧師の導きで、洗礼を授かり、キリストと共に歩むことを誓いました。 満開の桜の森の下、陰毛はこれまでとは違う温かな光りを灯しはじめたのでした。 これが私のこれまでの人生のお話しです。 最後に私の好きな性書箇所を朗読します。

あなたがたの陰毛を人々の前で輝かせなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、天の父をあがめるようにしなさい。
― 性書マタイ伝5章16節


紅子さん、2021年 撮影:インベカヲリ★

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ROADSIDE LIBRARY
天野裕氏 写真集『わたしたちがいたところ』
(PDFフォーマット)

ロードサイダーズではおなじみの写真家・天野裕氏による初の電子書籍。というか印刷版を含めて初めて一般に販売される作品集です。

本書は、定価10万円(税込み11万円)というかなり高価な一冊です。そして『わたしたちがいたところ』は完成された書籍ではなく、開かれた電子書籍です。購入していただいたあと、いまも旅を続けながら写真を撮り続ける天野裕氏のもとに新作が貯まった時点で、それを「2024年度の追加作品集」のようなかたちで、ご指定のメールアドレスまで送らせていただきます。

旅するごとに、だれかと出会いシャッターを押すごとに、読者のみなさんと一緒に拡がりつづける時間と空間の痕跡、残香、傷痕……そんなふうに『わたしたちがいたところ』とお付き合いいただけたらと願っています。

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ROADSIDE LIBRARY vol.006
BED SIDE MUSIC――めくるめくお色気レコジャケ宇宙(PDFフォーマット)

稀代のレコード・コレクターでもある山口‘Gucci’佳宏氏が長年収集してきた、「お色気たっぷりのレコードジャケットに収められた和製インストルメンタル・ミュージック」という、キワモノ中のキワモノ・コレクション。

1960年代から70年代初期にかけて各レコード会社から無数にリリースされ、いつのまにか跡形もなく消えてしまった、「夜のムードを高める」ためのインスト・レコードという音楽ジャンルがあった。アルバム、シングル盤あわせて855枚! その表ジャケットはもちろん、裏ジャケ、表裏見開き(けっこうダブルジャケット仕様が多かった)、さらには歌詞・解説カードにオマケポスターまで、とにかくあるものすべてを撮影。画像数2660カットという、印刷本ではぜったいに不可能なコンプリート・アーカイブです!

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ROADSIDE LIBRARY vol.005
渋谷残酷劇場(PDFフォーマット)

プロのアーティストではなく、シロウトの手になる、だからこそ純粋な思いがこめられた血みどろの彫刻群。

これまでのロードサイド・ライブラリーと同じくPDF形式で全289ページ(833MB)。展覧会ではコラージュした壁画として展示した、もとの写真280点以上を高解像度で収録。もちろんコピープロテクトなし! そして同じく会場で常時上映中の日本、台湾、タイの動画3本も完全収録しています。DVD-R版については、最近ではもはや家にDVDスロットつきのパソコンがない!というかたもいらっしゃると思うので、パッケージ内には全内容をダウンロードできるQRコードも入れてます。

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ROADSIDE LIBRARY vol.004
TOKYO STYLE(PDFフォーマット)

書籍版では掲載できなかった別カットもほとんどすべて収録してあるので、これは我が家のフィルム収納箱そのものと言ってもいい

電子書籍版『TOKYO STYLE』の最大の特徴は「拡大」にある。キーボードで、あるいは指先でズームアップしてもらえれば、机の上のカセットテープの曲目リストや、本棚に詰め込まれた本の題名もかなりの確度で読み取ることができる。他人の生活を覗き見する楽しみが『TOKYO STYLE』の本質だとすれば、電書版の「拡大」とはその密やかな楽しみを倍加させる「覗き込み」の快感なのだ――どんなに高価で精巧な印刷でも、本のかたちではけっして得ることのできない。

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――秘宝よ永遠に

1993年から2015年まで、20年間以上にわたって取材してきた秘宝館。北海道から九州嬉野まで11館の写真を網羅し、書籍版では未収録のカットを大幅に加えた全777ページ、オールカラーの巨大画像資料集。
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編集に「術」なんてない。
珍スポット、独居老人、地方発ヒップホップ、路傍の現代詩、カラオケスナック……。ほかのメディアとはまったく違う視点から、「なんだかわからないけど、気になってしょうがないもの」を追い続ける都築響一が、なぜ、どうやって取材し、本を作ってきたのか。人の忠告なんて聞かず、自分の好奇心だけで道なき道を歩んできた編集者の言葉。
多数決で負ける子たちが、「オトナ」になれないオトナたちが、周回遅れのトップランナーたちが、僕に本をつくらせる。
編集を入り口に、「新しいことをしたい」すべてのひとの心を撃つ一冊。

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書評2006-2014

こころがかゆいときに読んでください
「書評2006-2014」というサブタイトルのとおり、これは僕にとって『だれも買わない本は、だれかが買わなきゃならないんだ』(2008年)に続く、2冊めの書評集。ほぼ80冊分の書評というか、リポートが収められていて、巻末にはこれまで出してきた自分の本の(編集を担当した作品集などは除く)、ごく短い解題もつけてみた。
このなかの1冊でも2冊でも、みなさんの「こころの奥のかゆみ」をスッとさせてくれたら本望である。

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独居老人スタイル

あえて独居老人でいること。それは老いていくこの国で生きのびるための、きわめて有効なスタイルかもしれない。16人の魅力的な独居老人たちを取材・紹介する。
たとえば20代の読者にとって、50年後の人生は想像しにくいかもしれないけれど、あるのかないのかわからない「老後」のために、いまやりたいことを我慢するほどバカらしいことはない――「年取った若者たち」から、そういうスピリットのカケラだけでも受け取ってもらえたら、なによりうれしい。

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ヒップホップの詩人たち

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咆哮する現代詩人の肖像。その音楽はストリートに生まれ、東京のメディアを遠く離れた場所から、先鋭的で豊かな世界を作り続けている。さあ出かけよう、日常を抜け出して、魂の叫びに耳を澄ませて――。パイオニアからアンダーグラウンド、気鋭の若手まで、ロングインタビュー&多数のリリックを収録。孤高の言葉を刻むラッパー15人のすべて。

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東京スナック飲みある記
ママさんボトル入ります!

東京がひとつの宇宙だとすれば、スナック街はひとつの銀河系だ。
酒がこぼれ、歌が流れ、今夜もたくさんの人生がはじけるだろう、場末のミルキーウェイ。 東京23区に、23のスナック街を見つけて飲み歩く旅。 チドリ足でお付き合いください!

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