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バックナンバー:2024年08月07日 配信号 収録

art 追悼 宮間英次郎


“帽子おじさん”宮間英次郎が6月13日に逝去された。1934年12月17日生まれ、89歳の大往生だった。

宮間さんに出会ったのは2004年から06年にかけて月刊誌『サイゾー』で連載した「珍日本超老伝」の取材で、畸人研究学会の海老名ベテルギウス則雄さんにお願いして横浜寿町のドヤを訪ねたとき。「珍日本超老伝」は2007年に双葉社から単行本に、11年にはちくま書房で文庫化されたし、ロードサイダーズ・ウィークリーでは2014年の鳥取アール・ブリュット展にあわせて9月10日号から3週連続で「宮間英次郎物語」を掲載。海老名さんとふたりで聞き書きした、これまでだれにも明かしてこなかった人生の光と闇を語り尽くしていただいた。翌2015年には恵比寿ナディッフでの「帽子おじさん宮間英次郎 80歳記念大展覧会」にあわせた長編記事もあったし、宮間さんが参加したグループ展の紹介などを含めれば何度も誌面を飾っていただいた。

振り返れば20年あまり宮間さんと交流させてもらったわけだが、海老名さんのほうは宮間さんと、ほぼ30年のお付き合いだった。

今回は宮間英次郎という稀代のパフォーマーにもっとも親しく寄り添ってきた海老名ベテルギウス則雄さんに、追悼文を寄せていただいた。後述するように現在、近江八幡のボーダレス・アートミュージアムNO-MAでは20周年企画「人生はボーダレス! 作家たちの今と回想録」が始まったばかり。宮間さんが帽子を被った勇姿や、インタビュー映像を含む記録も出展されている。在りし日の帽子おじさんの、あの小さな身体からあふれんばかりのエネルギーに、近江八幡でぜひ再会していただきたい。


宮間さんの思い出

文:海老名ベテルギウス則雄

第一部:思い出

 「ざれ言に淋しみを含み、可笑しまにあはれを尽くして、人情、世態、無常、観相残すところ無し」
 これは江戸時代末期の俳人、 惺庵西馬が小林一茶の俳句について評した一文である。一見戯言やおかしさに溢れているように見える一茶の俳句には、人情や人生の機微、世間のあり方がぎゅっと詰まっていると評価している。自分は一見荒唐無稽のように思える宮間英次郎さんの帽子姿にも、同じような印象を持っている。

 宮間さんのことを初めて知ったのは1994年ころ、約30年前のことである。縁あって横浜の簡易宿泊所街(ドヤ街)、寿町に関わる仕事をしていた私の前に、しばしば頭に風変わりなかぶり物をした男が現れるようになった。寿町に住む住民の中には個性が強い人も決して珍しくない。「また新顔の変人が現れたな」。宮間さんのことを見かけるようになった当初、自分の感想はその程度のものであったと記憶している。
 しかしこの新顔の変人、どんどん頭のかぶり物が進化を遂げていく。最初の頃は長くした髪の毛をまとめて立て、それをトイレットペーパーの芯で覆う程度のものであったものが、トイレットペーパーの芯を造花で飾り立てるようになり、やがて造花で飾り立てたカップ麺容器を頭にかぶるようになった。一見荒唐無稽のように見えたが、なかなかのセンスで目が離せない。私はこの人物の名は宮間英次郎といい、既に60歳を過ぎていることを知った。


1996年


1997年

 ところで私は就職後、大学時代の友人3人とともに畸人研究学会という活動を行っていた。畸人研究学会とはその名の通り畸人、すなわち変わった人の研究を活動目的としていて、1996年からはガロの連載を持つようになった。連載をする中で当然、宮間さんのことは取り上げるつもりであった。宮間さんのことを取り上げる機会を伺っている中で、担当の白取千夏雄さんから、漫画家の根本敬さんと畸人研究学会とのコラボ企画をやらないかとの話が持ちかけられた。これは宮間さんのことを紹介する絶好のチャンス到来と、急ぎ寿町に宮間さんを訪ね、写真を撮って企画の打ち合わせに備えた。
 打ち合わせ当日、根本さんと白取さんに宮間さんの写真を見せ、コラボ企画で宮間さんを紹介することを提案したところ、根本さんから「かぶり物をかぶった宮間さんは王様のようだ! 宮間さんを特殊AV男優の亀一郎とコラボさせてみたらどうだろうか?」との提案が出され、宮間英次郎&亀一郎企画がスタートした。
 撮影当日、宮間さんと亀一郎はともに寿町、中華街、元町、山下公園を練り歩いた。初対面の二人であったが相性が良く、横浜の中心街はいきなり二人の醸し出す非日常の雰囲気に染まった。周囲の目をどうしても気にしてしまう自分とは異なり、宮間さんは周囲の視線や雰囲気に驚く人々のことをむしろ楽しんでいた。根本さんは私に「宮間さんの活動をこれからもずっと支えていくといいよ」。とアドバイスして下さったことを覚えている。1996年8月号のガロの表紙は宮間英次郎さんが飾り、「寿町の芸術王、宮間さんインタビュー」の記事が掲載された。


特殊AV男優・亀一郎と


第2回畸人研究学会発表大会@ロフトプラスワン 1997年、隣は唐沢俊一氏

 その後、ロフトプラスワンの企画に登場していただいたり、帽子をかぶってサンリオピューロランドに特攻して追い出しを食らったりなどという出来事があった。もちろん年に何回かは宮間さんのところへ行って、新しい帽子作品を見せていただいた。帽子の進化はとどまることを知らずどんどん巨大化するとともに、赤い金魚を入れた容器で飾り立てるようになり、またパットのようなものを入れて胸を膨らませるようになった。宮間さんの住まいである簡宿の3畳半くらいの部屋は、帽子や帽子を飾る造花や人形などのアイテム、衣装などでいっぱいとなった。また1998年に私は結婚したが、私とともに妻も宮間さんのところに一緒に行くようになった。
 2004年の夏コミケの会場で、「都築響一さんが宮間さんに会いたいので連絡をして欲しい、急いでいるので早めの連絡をお願いします」。との伝言を貰った。人の波でごったかえす暑いコミケ会場から都築さんに連絡を取ったことを今でも覚えている。お話を伺うと、都築さんが連載する「珍日本紳士録」で宮間さんを取り上げたいとのことであった。宮間さんの了解を得て9月に都築さんの取材が行われ、約2か月後、宮間さんの紹介記事が雑誌に掲載された。


寿町、ドヤの屋上にて 2004年


ドヤの自室、ここが生活空間であり制作空間でもあった

 2006年のことであった。はたよしこさんから「都築さんからお話を伺ってご連絡しました。私たちは滋賀県でアートギャラリーNO-MAという美術館をやっています。この秋に老いてますます盛んに芸術活動を行うお年寄りたちの作品を集めた展覧会を企画しています。宮間英次郎さんにもぜひ出品していただきたいと思っています」。との連絡があった。はたさんによれば誰か良いお年寄りを知りませんか?と、都築さんに尋ねたところ、都築さんから「この人しかいない!」と紹介されたのが宮間さんであった。
 宮間さんとはたさんとの初対面は中華街の円卓もあるようなお店であった。はたさんから展覧会の主旨を説明し、出品をお願いしたところ「自分の帽子はアートなんかじゃない、買いかぶらないでもらいたい」と言って帰られてしまった。しかし翌日には宮間さんから「昨晩はすまなかった、もう少しお話を聞きたい」との連絡が入り、その後、2~3回宮間さんと話をしていく中で出品を決意した。出品の決意が固まったところではたさんが再び横浜を訪れ、中華街などで宮間さんの帽子姿をビデオに収めた。アートギャラリーNO-MAの展覧会「快走老人録」への出展は、宮間さんにとって初の展覧会出展であった。ネットなどの反応も上々で、良い展覧会デビューを果たせた。




「快走老人録 ~老ヒテマスマス過激ニナル~」2014年8月9日~11月24日

 「快走老人録」開催中のことであった。アールブリュット(アウトサイダーアート)専門の美術館として世界的に知られる、スイスのローザンヌにあるアールブリュット・コレクションの館長らが日本を訪れた。アートギャラリーNO-MAやその関係者の招請による来日とのことであった。アールブリュット・コレクションの館長、ルシアン・ペリーさんは、アートギャラリーNO-MAで開催中の「快走老人録」を見るなり興奮しだして、はたよしこさんに「何としてでも宮間さんに会わねばならない!」と直談判したという。何でもかつて宮間さんのように自製の帽子をかぶって町を練り歩いた、宮間さんの先輩にあたるアーティストが2人いたのだという。ルシアン・ペリーさんは主に1960年代に活躍したその2人には出会えなかったのだが、目の前に3人目が現れたのである。
 結局、ハードスケジュールを縫うようにルシアン・ペリーさん一行は2回も宮間さんに会いに来た。特に2回目は受け入れ側である日本側が「日程的に無理だ」というのを無理やり押し切る形で宮間さんに会いに来た。スイスや随行する日本側のスタッフに対し、宮間さんは嫌な顔一つせず長時間帽子姿で取材に応じた。ルシアン・ペリーさん一行の中にカメラマンの大西暢夫さんがいた。後ほど触れるように大西さんは私たち夫婦の最後の宮間さんとの面会時に一緒であった。
 2007年10月末、スイスのアールブリュット・コレクションで翌年2月から開催される「日本展」のオープニングに宮間さんに参加して欲しいとのオファーが入った。早速宮間さんに確認すると「外国にも行ってみたいがぜひ飛行機に乗ってみたい!」と言う。70歳を過ぎるまで宮間さんは飛行機に乗った経験がなかった。2008年2月、生まれて初めての飛行機に乗り、宮間さんはスイスへと向かった。窓際に座った宮間さんは子どものように窓に張り付くように景色をみていた。スイスでも宮間さんはローザンヌの街を帽子をかぶって自転車で快走したり、オープニングでカラオケを披露したりと元気いっぱいに活躍した。


ローザンヌの路上にて

 思い出してみると一緒にいろいろなところに行った。世界デビューを果たした宮間さんは、各地の展覧会に参加するようになった。埼玉県のさいたま市、兵庫県の芦屋市、広島県の福山市鞆の津、広島市、鳥取県の米子市……新幹線にも乗ったし飛行機にも乗った。毎年のように平塚の七夕祭りに行き、宮間さんが大好きな原宿をともに歩いたこともあった。故郷である三重県伊勢市に一緒に行き、先祖の墓参りや幼いころ住んでいた場所巡りに同行したこともあった。両親のお墓に手を合わせる宮間さんの顔が真剣そのものであったことを覚えている。一緒に行動しても疲れた印象はあまり無くて、楽しかったことが数多く思い出される。とにかくどこへ行っても宮間さんは食欲旺盛で、30歳以上若い自分の倍近く食べ、タフであった。
 また地元横浜で、宮間さんの活動に注目し続けてきたArtLabOvaさんたちと一緒に、宮間さんと中華街を回るイベントや写真展を行ったことも忘れられない。このArtLabOvaさん関連のイベントを通じて、宮間さんを師匠と仰ぐ千絵さんと知り合うようになった。


故郷の伊勢二見浦にて


鳥取県境港・水木しげるロードにて






横浜中華街にて

 2012年、宮間さんは長年申し込んできた市営住宅が当選し、寿町近くの高齢者向けの市営住宅に引っ越した。宮間さんはその市営住宅で最期を迎えることになる。
 80歳の誕生日を翌日に控えた2014年12月13日、宮間さんは畸人研究学会のメンバーや根本敬さん、宮間さんのファンであった画家のタカノ綾さん、ArtLabOvaさん、宮間さんを師匠と仰ぐ千絵さんらとともに、盛大な80歳の誕生会を行った。そして2015年3月には80歳記念の個展「頭上ビックバン! 帽子おじさん宮間英次郎80歳記念大展覧会」を恵比寿のNADiffで開催した。開催に向けて全面協力していただいた都築響一さんをはじめ、根本敬さん、はたよしこさん、タカノ綾さんら、これまで宮間さんと関わりがあった方々やファンの皆様たちからのバックアップを受け、展覧会は盛大に行われた。


「頭上ビックバン! 帽子おじさん宮間英次郎80歳記念大展覧会」2015年3月21日~4月24日

第二部:思い

 改めて宮間さんの写真を見ながら気づいたことがあった。宮間さんの帽子姿を見入る人たちの表情が本当に楽しそうなのである。楽しそうな人々の写真を見ながら、名優と呼ばれる喜劇俳優たちの演技は単に楽しいばかりではなく、人生の“コク”を体現しているがゆえの楽しさであることを思い出した。

 宮間さんは帽子の他にメッセージボードのようなものも身につけていることが多かった。これから印象的なメッセージボードをいくつか紹介したい。


1996年のメッセージボードから:
ぼくは4Kだ。きつい、汚い、危険、安い仕事をしながら今日も細々と生き続けている。皆さんはどうですか?
今日は花ぐもり、明日はどうだろう…昔の人も同じようなことを考えて生きてきたのだろうか……
ほくも当年とって57才~60才の老齢期を迎えた。もうひと花咲かせられるだろうか?多分ムリだろう…まあいいや

2002年のメッセージボードから:
冬なのに春?精神病者なのか?正常者?なのかよく解らない。
ただはっきりしている事は地球破壊は急速に進んでいる事に疑ひはない。
又、これは直接関係?が無いかも知れないが、不景気があと十年は続くであろう事は素人でも容易に判断できる…
難しい問題が我々の肩にのしかかっている…地球上の全人間様どう解決するのか期待しています…地球上に生息させていただいている動物一同


2012年「リサイクル・リサイタル」@福山市・鞆の津ミュージアムにて

2013年のメッセージボードから:
ストレス解消 自己けん示欲など…見渡してみれば大多数の人が上 学歴 中学卒、無学
このまま個人的にさみしく人生が終わってしまい無念さみたいな思いが強い…自分になんの能力もなく 努力もおこたってきたのに
あたり前だとは心のなかではわかっているなずなのだが…
人間(私の)ごう慢さのせいなのか…最初のころはチャカラかして人生色々 男もいろいろ咲き乱れたいのとか
偉そに地球環境をみんなで考える手助けになればと云うような意味を込めて プラカード(アドバルン)を生意気にかけて動くアートと気取っていた
でも最近は少しは自分の心の本音のような部分がみえてきたような気がする…

我が家に飾っている、宮間さんから頂いたメッセージボード:
春がきた 日本列島に…でも本当の春は?
こざかしい事をいうんぢゃない 子供みたいに素直に喜べこのバカもの…
そうだなんの取り得(え)もない俺みたいな人間を暖く受け入れてくれる世間地球に感謝しなくてはバチが当ル…ある意味もうバチが当っているかも…
でも宝クジなどは当った事がないんだよナ…もうお前は天然の大バカものだよな、ハイホメてくれてアリガトウ。。。


暖かくなってきますと上記の様なワケの解らない人間?が異常に増えてきますが これは高令者ばかりではなく将来の日本を背おって立つ若者にも最近見受けられるようになりました。でもよく考えてみると仕事もナイ収入もない自分の両親の面倒を見たくてもみられない時代に他人の介護保険などの面倒などみれるかと心の底で思っているのが現状だと思います。日本だけでなく全世界で困った問題が起きています…
と云っても若者でもなくイスラム国へいってみたいなどと云う超過激な考へは大多数のおんけんな日本人には考へも出来ない事だと思ふ。日本がこれからよくなるんだとなんの保証もないあてを唯一心のよりどころにして生きていくより仕方がないんだろうか…なにしろ自分達が生まれた土地だから…ああいやになる…なんで物事を暗くしか考へられないんだろう。
そうだこれからは明るく前を向いて歩いてゆこう 明るい未来が待っている
でもなんだかウソっぽいなあ…そうだ考へるのをよそう
バカな考へ休みに似たりっていふ立派な俳句?があるじゃないか
頭の良い全国から選ばれた国会議員さん達にまかせよう
〇か×か皆さんなっとく出来ましたか?
お前なんだ神田と云ひ乍ら本音はこざかしい事を云ひたかったんだろ?この頭デッカチ奴…


自室内の手づくり記者会見場


ダンボールの即席黒板に記された「金魚親父のルーツ」

 2014年のことであった。宮間さんから私と都築響一さんに「男だけに話したい話がある」と言われ、過去、痴漢行為に手を染めていた生々しい話をされた。30代の頃、西成で覚えたという痴漢行為によって警察沙汰になったこともあったが、逮捕拘留までには至らず、50代半ばにして足を洗った。その後、横浜の寿地区にやってきて、帽子おじさんになっていく。また宮間さんは最晩年、コロナ禍の中でマスク無しでの複数回の場外舟券売り場への来場を咎められ、出入り禁止となるまで長年の競艇マニアで、お金のやり繰りに困っていたことも再三あった。そして戦前生まれの宮間さんは戦時中、爆撃から逃げ惑った体験を持ち、成績が振るわずいじめにあった学校時代、最期まで一人暮らしの89年間の人生、不安定な日雇い仕事……メッセージボードにも書かれた人生の影は、宮間さんの持つ影や闇の反映でもあった。ただ単に明るく楽しいばかりでない人生のコクがあるからこそ、飽きが来ない、見る人々を笑顔にさせる優れた帽子が生み出されてきたのだろう。


思いの丈が綴られて・・・・・・

第三部:別れ

 2024年6月16日の日曜日、友人と昼食を食べていたとき、私のもとに宮間さんの訃報が入った。約30年間の付き合いの宮間さんとの別れは、なにかあっけなかった。

 宮間さんは80歳を過ぎても元気いっぱいであった、しかし衰えは急にやって来た。80歳記念個展が開催された2015年後半には明らかに活動力の低下が見られ、翌2016年には帽子姿を披露することも稀になった。自分の手元にある写真で最後の帽子姿は2016年12月17日、宮間さん82歳の誕生日祝いの際のものであった。宮間さんは目に見えて元気を無くしていき、家へ行くことも少なくなっていった。
 そのような頃、宮間さんが入院したという情報が入ってきた。私と妻は宮間さんが入院している病院にお見舞いに行ってみた。宮間さんはやつれた姿でベットに横になっていた。私たちの顔を見るなり「もう来ないでくれ」と言い、向こうを向いてしまった。どうも我々に衰えた姿を見せるのが嫌な様子であった。私たちは早々に宮間さんのもとを去ることにした。
 その後しばらく宮間さんとの音信は途絶えた。入院先から無事退院して家に戻ったという話は入っていたが、どうも足が遠のいてしまっていた。宮間さんと再び連絡を取るようになったきっかけをくれたのが宮間さん繋がりで知り合った友人、千絵さんであった。宮間さんを師匠と慕う千絵さんは、宮間さんの誕生会を行いたいとの希望をしばしば私たち夫婦に話していた。そして帽子をかぶっていた頃に宮間さんを取材したアメリカ人のライターさんから、大病の後、数年後になってようやく雑誌に掲載出来たので宮間さんに渡して欲しいとの依頼が来て、雑誌も送られてきた。重い腰を上げて連絡をとって見ると、いくぶん元気を取り戻していた宮間さんは私のことを歓迎し、アメリカから送られた雑誌も喜んでくれた。2022年12月には私たち夫婦と千絵さんとで宮間さんの88歳の誕生パーティも行うことが出来た。


 88歳の誕生パーティ時にはまだ食欲もあり、今度カラオケにも行ってみたいと意欲的なところも見せていた。しかしその後数か月に一度くらいのペースで宮間さんのところに行くと、少しずつではあるものの体力と気力が衰えてきているのを感じた。
 2024年の1月早々、宮間さんから大至急相談したいことがあるとの内容の速達が届いた。早速宮間さんの家に行ってみると、通帳に残金がないという話であった。見てみると数か月間記帳されていない。すぐに最寄りの銀行に行って記帳を済ませ、宮間さんにちゃんと入金があることを説明した。やっぱりだいぶ衰えたなぁという印象を持ったものの、まだ歩行器で外出も出来ていて、今すぐお迎えが来そうな感じではなく、千絵さんと12月にはぜひ90歳の誕生日をしたいという話もしていた。


 3月に入り、ボーダレス・アートミュージアムNO-MAの館長となったカメラマンの大西暢夫さんから連絡が入った。宮間さんにお願いがあるのでお会いできないでしょうかといった内容だった。私たち夫婦は宮間さんのお宅に伺い、以前宮間さんの写真を撮ったカメラマンの大西さんが会いたいとのことなので、お願いしますとの依頼をした。宮間さんは乗り気ではなかったものの、断ることはなく了解された。この時宮間さんからは最近食べ物の飲み込みが悪くなっていて、喉につかえそうになることがあるのとの話があった。食も細くなっているようで、元気な頃、大食漢であった宮間さんからは想像できない話であった。
 その時点では私たちも何のお願いなのかはわかっていなかった。わかっていたとしても、私たちも会えない時期があったし、再会後、活動はやめたと帽子や写真、図録や雑誌など処分したよと言っていた宮間さんだったので、お願いごとの内容にどのようなリアクションをされるか想像が出来なかった。ただ一緒に会いに行くことについては了解してもらえたので、それで良しとして頂くことにした。大西さんには宮間さんにお願い事があるとは伝えていないこと、当日の状況を見ながらお話頂けるようお願いした。


宮間さんの大好物は吉野家の牛丼だった。入店時は邪魔にならないよう、帽子を脱いで外に置いておく配慮

 4月29日、大西さんらと関内駅で待ち合わせて宮間さんの家へ向かった。いつものように事前に今日伺う旨の置き手紙をしておいたので、特に問題なく宮間さんが現れると思っていた。しかしオートロックの呼び出しをしてみても宮間さんからの回答がない。メールボックスを見ると数日前に残した置き手紙がそのまま残っている。さては入院したか介護施設に入所したか……と思ってしまったが、医療関係の仕事に就いている妻が「呼び出しになかなか反応せずに遅れて顔を出してくることもある」と、しつこく呼び出しをし続けた。すると宮間さんからの応答があり、私たちは無事宮間さんと会うことが出来た。
 宮間さんの顔には笑顔が無かった。久しぶりに再会した大西さんのこともしっかり覚えていたが、「こんな姿を見せたくなかった」と話す。それでも過去の思い出話をしていく中で徐々に表情も和らぎ、大好きな舟木一夫の「高校三年生」を歌いだしたりもした。しかし「もう何を食べても美味しくない」と話す宮間さんに衰えを感じた。大西さんからボーダレス・アートミュージアムNO-MAで開館20周年企画として、かつて展覧会に出品した作家さんたちの、出展時の作品や本人の写真と今の様子を並べて展示する予定がある事を説明して協力をお願いした。宮間さんは「今さら展覧会なんて……」と、戸惑った様子を見せながらも出展を了承され、写真にも納まった。面会終了後、妻は「なんかガクッと落ちた気がする」との感想を話していた。


2024年4月29日 撮影:大西暢夫

 5月に入るとボーダレス・アートミュージアムNO-MAでの展覧会に関する具体的なやりとりが始まった。展覧会の中で自分が宮間さんとの約30年間の付き合いの中で撮影してきた写真の一部も紹介してもらえることになった。妻とは宮間さん自身が展覧会を見に行くことは出来ないだろうけど、自分たちが見た感想を伝えたいね……などと話していた。そのような中で6月半ば、突然の訃報が入ってきたのである。


ボーダレス・アートミュージアムNO-MA20周年企画「人生はボーダレス! 作家たちの今と回想録」
~10月13日(日)まで開催中
@近江八幡ボーダレス・アートミュージアムNO-MA
https://no-ma.jp/exhibition/lifeisborderless/


カラオケが大好きだった宮間さん、横浜伊勢佐木町のカラオケボックスにて開催された独演会オンステージ、41分20秒の熱唱!


帰ってこいよ~雪国~南部蝉しぐれ~街のサンドイッチマン~おーい中村くん~白い花の咲く頃~街のサンドイッチマン~おーい中村くん~湖愁~長崎の鐘~南部蝉しぐれ 2014年7月16日

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天野裕氏 写真集『わたしたちがいたところ』
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ロードサイダーズではおなじみの写真家・天野裕氏による初の電子書籍。というか印刷版を含めて初めて一般に販売される作品集です。

本書は、定価10万円(税込み11万円)というかなり高価な一冊です。そして『わたしたちがいたところ』は完成された書籍ではなく、開かれた電子書籍です。購入していただいたあと、いまも旅を続けながら写真を撮り続ける天野裕氏のもとに新作が貯まった時点で、それを「2024年度の追加作品集」のようなかたちで、ご指定のメールアドレスまで送らせていただきます。

旅するごとに、だれかと出会いシャッターを押すごとに、読者のみなさんと一緒に拡がりつづける時間と空間の痕跡、残香、傷痕……そんなふうに『わたしたちがいたところ』とお付き合いいただけたらと願っています。

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電子書籍版『TOKYO STYLE』の最大の特徴は「拡大」にある。キーボードで、あるいは指先でズームアップしてもらえれば、机の上のカセットテープの曲目リストや、本棚に詰め込まれた本の題名もかなりの確度で読み取ることができる。他人の生活を覗き見する楽しみが『TOKYO STYLE』の本質だとすれば、電書版の「拡大」とはその密やかな楽しみを倍加させる「覗き込み」の快感なのだ――どんなに高価で精巧な印刷でも、本のかたちではけっして得ることのできない。

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書評2006-2014

こころがかゆいときに読んでください
「書評2006-2014」というサブタイトルのとおり、これは僕にとって『だれも買わない本は、だれかが買わなきゃならないんだ』(2008年)に続く、2冊めの書評集。ほぼ80冊分の書評というか、リポートが収められていて、巻末にはこれまで出してきた自分の本の(編集を担当した作品集などは除く)、ごく短い解題もつけてみた。
このなかの1冊でも2冊でも、みなさんの「こころの奥のかゆみ」をスッとさせてくれたら本望である。

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独居老人スタイル

あえて独居老人でいること。それは老いていくこの国で生きのびるための、きわめて有効なスタイルかもしれない。16人の魅力的な独居老人たちを取材・紹介する。
たとえば20代の読者にとって、50年後の人生は想像しにくいかもしれないけれど、あるのかないのかわからない「老後」のために、いまやりたいことを我慢するほどバカらしいことはない――「年取った若者たち」から、そういうスピリットのカケラだけでも受け取ってもらえたら、なによりうれしい。

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ヒップホップの詩人たち

いちばん刺激的な音楽は路上に落ちている――。
咆哮する現代詩人の肖像。その音楽はストリートに生まれ、東京のメディアを遠く離れた場所から、先鋭的で豊かな世界を作り続けている。さあ出かけよう、日常を抜け出して、魂の叫びに耳を澄ませて――。パイオニアからアンダーグラウンド、気鋭の若手まで、ロングインタビュー&多数のリリックを収録。孤高の言葉を刻むラッパー15人のすべて。

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東京右半分

2012年、東京右傾化宣言!
この都市の、クリエイティブなパワー・バランスは、いま確実に東=右半分に移動しつつある。右曲がりの東京見聞録!
576ページ、図版点数1300点、取材箇所108ヶ所!

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東京スナック飲みある記
ママさんボトル入ります!

東京がひとつの宇宙だとすれば、スナック街はひとつの銀河系だ。
酒がこぼれ、歌が流れ、今夜もたくさんの人生がはじけるだろう、場末のミルキーウェイ。 東京23区に、23のスナック街を見つけて飲み歩く旅。 チドリ足でお付き合いください!

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