大竹伸朗展 ニューニュー:カタログ発表記念、プレゼント企画!
2013年7月から11月まで、丸亀市猪熊弦一郎現代美術館で開催された『大竹伸朗展 ニューニュー』。そのカタログが、なんと展覧会から1年以上たった今月、ようやく完成! デザイン・制作はもちろん、新潟…
art 追悼 宮間英次郎 |
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“帽子おじさん”宮間英次郎が6月13日に逝去された。1934年12月17日生まれ、89歳の大往生だった。 |
宮間さんの思い出 |
文:海老名ベテルギウス則雄 |
第一部:思い出 |
「ざれ言に淋しみを含み、可笑しまにあはれを尽くして、人情、世態、無常、観相残すところ無し」 |
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ところで私は就職後、大学時代の友人3人とともに畸人研究学会という活動を行っていた。畸人研究学会とはその名の通り畸人、すなわち変わった人の研究を活動目的としていて、1996年からはガロの連載を持つようになった。連載をする中で当然、宮間さんのことは取り上げるつもりであった。宮間さんのことを取り上げる機会を伺っている中で、担当の白取千夏雄さんから、漫画家の根本敬さんと畸人研究学会とのコラボ企画をやらないかとの話が持ちかけられた。これは宮間さんのことを紹介する絶好のチャンス到来と、急ぎ寿町に宮間さんを訪ね、写真を撮って企画の打ち合わせに備えた。 |
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その後、ロフトプラスワンの企画に登場していただいたり、帽子をかぶってサンリオピューロランドに特攻して追い出しを食らったりなどという出来事があった。もちろん年に何回かは宮間さんのところへ行って、新しい帽子作品を見せていただいた。帽子の進化はとどまることを知らずどんどん巨大化するとともに、赤い金魚を入れた容器で飾り立てるようになり、またパットのようなものを入れて胸を膨らませるようになった。宮間さんの住まいである簡宿の3畳半くらいの部屋は、帽子や帽子を飾る造花や人形などのアイテム、衣装などでいっぱいとなった。また1998年に私は結婚したが、私とともに妻も宮間さんのところに一緒に行くようになった。 |
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2006年のことであった。はたよしこさんから「都築さんからお話を伺ってご連絡しました。私たちは滋賀県でアートギャラリーNO-MAという美術館をやっています。この秋に老いてますます盛んに芸術活動を行うお年寄りたちの作品を集めた展覧会を企画しています。宮間英次郎さんにもぜひ出品していただきたいと思っています」。との連絡があった。はたさんによれば誰か良いお年寄りを知りませんか?と、都築さんに尋ねたところ、都築さんから「この人しかいない!」と紹介されたのが宮間さんであった。 |
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「快走老人録」開催中のことであった。アールブリュット(アウトサイダーアート)専門の美術館として世界的に知られる、スイスのローザンヌにあるアールブリュット・コレクションの館長らが日本を訪れた。アートギャラリーNO-MAやその関係者の招請による来日とのことであった。アールブリュット・コレクションの館長、ルシアン・ペリーさんは、アートギャラリーNO-MAで開催中の「快走老人録」を見るなり興奮しだして、はたよしこさんに「何としてでも宮間さんに会わねばならない!」と直談判したという。何でもかつて宮間さんのように自製の帽子をかぶって町を練り歩いた、宮間さんの先輩にあたるアーティストが2人いたのだという。ルシアン・ペリーさんは主に1960年代に活躍したその2人には出会えなかったのだが、目の前に3人目が現れたのである。 |
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思い出してみると一緒にいろいろなところに行った。世界デビューを果たした宮間さんは、各地の展覧会に参加するようになった。埼玉県のさいたま市、兵庫県の芦屋市、広島県の福山市鞆の津、広島市、鳥取県の米子市……新幹線にも乗ったし飛行機にも乗った。毎年のように平塚の七夕祭りに行き、宮間さんが大好きな原宿をともに歩いたこともあった。故郷である三重県伊勢市に一緒に行き、先祖の墓参りや幼いころ住んでいた場所巡りに同行したこともあった。両親のお墓に手を合わせる宮間さんの顔が真剣そのものであったことを覚えている。一緒に行動しても疲れた印象はあまり無くて、楽しかったことが数多く思い出される。とにかくどこへ行っても宮間さんは食欲旺盛で、30歳以上若い自分の倍近く食べ、タフであった。 |
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2012年、宮間さんは長年申し込んできた市営住宅が当選し、寿町近くの高齢者向けの市営住宅に引っ越した。宮間さんはその市営住宅で最期を迎えることになる。 |
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第二部:思い |
改めて宮間さんの写真を見ながら気づいたことがあった。宮間さんの帽子姿を見入る人たちの表情が本当に楽しそうなのである。楽しそうな人々の写真を見ながら、名優と呼ばれる喜劇俳優たちの演技は単に楽しいばかりではなく、人生の“コク”を体現しているがゆえの楽しさであることを思い出した。 |
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1996年のメッセージボードから: |
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2013年のメッセージボードから: |
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暖かくなってきますと上記の様なワケの解らない人間?が異常に増えてきますが これは高令者ばかりではなく将来の日本を背おって立つ若者にも最近見受けられるようになりました。でもよく考えてみると仕事もナイ収入もない自分の両親の面倒を見たくてもみられない時代に他人の介護保険などの面倒などみれるかと心の底で思っているのが現状だと思います。日本だけでなく全世界で困った問題が起きています… |
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2014年のことであった。宮間さんから私と都築響一さんに「男だけに話したい話がある」と言われ、過去、痴漢行為に手を染めていた生々しい話をされた。30代の頃、西成で覚えたという痴漢行為によって警察沙汰になったこともあったが、逮捕拘留までには至らず、50代半ばにして足を洗った。その後、横浜の寿地区にやってきて、帽子おじさんになっていく。また宮間さんは最晩年、コロナ禍の中でマスク無しでの複数回の場外舟券売り場への来場を咎められ、出入り禁止となるまで長年の競艇マニアで、お金のやり繰りに困っていたことも再三あった。そして戦前生まれの宮間さんは戦時中、爆撃から逃げ惑った体験を持ち、成績が振るわずいじめにあった学校時代、最期まで一人暮らしの89年間の人生、不安定な日雇い仕事……メッセージボードにも書かれた人生の影は、宮間さんの持つ影や闇の反映でもあった。ただ単に明るく楽しいばかりでない人生のコクがあるからこそ、飽きが来ない、見る人々を笑顔にさせる優れた帽子が生み出されてきたのだろう。 |
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第三部:別れ |
2024年6月16日の日曜日、友人と昼食を食べていたとき、私のもとに宮間さんの訃報が入った。約30年間の付き合いの宮間さんとの別れは、なにかあっけなかった。 |
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88歳の誕生パーティ時にはまだ食欲もあり、今度カラオケにも行ってみたいと意欲的なところも見せていた。しかしその後数か月に一度くらいのペースで宮間さんのところに行くと、少しずつではあるものの体力と気力が衰えてきているのを感じた。 |
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3月に入り、ボーダレス・アートミュージアムNO-MAの館長となったカメラマンの大西暢夫さんから連絡が入った。宮間さんにお願いがあるのでお会いできないでしょうかといった内容だった。私たち夫婦は宮間さんのお宅に伺い、以前宮間さんの写真を撮ったカメラマンの大西さんが会いたいとのことなので、お願いしますとの依頼をした。宮間さんは乗り気ではなかったものの、断ることはなく了解された。この時宮間さんからは最近食べ物の飲み込みが悪くなっていて、喉につかえそうになることがあるのとの話があった。食も細くなっているようで、元気な頃、大食漢であった宮間さんからは想像できない話であった。 |
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4月29日、大西さんらと関内駅で待ち合わせて宮間さんの家へ向かった。いつものように事前に今日伺う旨の置き手紙をしておいたので、特に問題なく宮間さんが現れると思っていた。しかしオートロックの呼び出しをしてみても宮間さんからの回答がない。メールボックスを見ると数日前に残した置き手紙がそのまま残っている。さては入院したか介護施設に入所したか……と思ってしまったが、医療関係の仕事に就いている妻が「呼び出しになかなか反応せずに遅れて顔を出してくることもある」と、しつこく呼び出しをし続けた。すると宮間さんからの応答があり、私たちは無事宮間さんと会うことが出来た。 |
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5月に入るとボーダレス・アートミュージアムNO-MAでの展覧会に関する具体的なやりとりが始まった。展覧会の中で自分が宮間さんとの約30年間の付き合いの中で撮影してきた写真の一部も紹介してもらえることになった。妻とは宮間さん自身が展覧会を見に行くことは出来ないだろうけど、自分たちが見た感想を伝えたいね……などと話していた。そのような中で6月半ば、突然の訃報が入ってきたのである。 |
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ボーダレス・アートミュージアムNO-MA20周年企画「人生はボーダレス! 作家たちの今と回想録」 |
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衝撃的な写真を目にした。お婆さんがゴミ袋をかぶって可燃ゴミとして処分されていたり、車に轢かれたりしている。どう考えても尋常ではない。けれど、それがセルフポートレート写真だと気付いたとき、一気に笑みがこ…
「気分」という言葉から人は何を思うのだろう、時々そんなことを考える。「気持ち」といってしまうと若干杓子定規な印象とでもいうのかどこかあたりさわりのない距離感を感じてしまう。が「気分」だと心の中に風船が…
ロードサイダーズではおなじみの写真家・天野裕氏による初の電子書籍。というか印刷版を含めて初めて一般に販売される作品集です。
本書は、定価10万円(税込み11万円)というかなり高価な一冊です。そして『わたしたちがいたところ』は完成された書籍ではなく、開かれた電子書籍です。購入していただいたあと、いまも旅を続けながら写真を撮り続ける天野裕氏のもとに新作が貯まった時点で、それを「2024年度の追加作品集」のようなかたちで、ご指定のメールアドレスまで送らせていただきます。
旅するごとに、だれかと出会いシャッターを押すごとに、読者のみなさんと一緒に拡がりつづける時間と空間の痕跡、残香、傷痕……そんなふうに『わたしたちがいたところ』とお付き合いいただけたらと願っています。
稀代のレコード・コレクターでもある山口‘Gucci’佳宏氏が長年収集してきた、「お色気たっぷりのレコードジャケットに収められた和製インストルメンタル・ミュージック」という、キワモノ中のキワモノ・コレクション。
1960年代から70年代初期にかけて各レコード会社から無数にリリースされ、いつのまにか跡形もなく消えてしまった、「夜のムードを高める」ためのインスト・レコードという音楽ジャンルがあった。アルバム、シングル盤あわせて855枚! その表ジャケットはもちろん、裏ジャケ、表裏見開き(けっこうダブルジャケット仕様が多かった)、さらには歌詞・解説カードにオマケポスターまで、とにかくあるものすべてを撮影。画像数2660カットという、印刷本ではぜったいに不可能なコンプリート・アーカイブです!
プロのアーティストではなく、シロウトの手になる、だからこそ純粋な思いがこめられた血みどろの彫刻群。
これまでのロードサイド・ライブラリーと同じくPDF形式で全289ページ(833MB)。展覧会ではコラージュした壁画として展示した、もとの写真280点以上を高解像度で収録。もちろんコピープロテクトなし! そして同じく会場で常時上映中の日本、台湾、タイの動画3本も完全収録しています。DVD-R版については、最近ではもはや家にDVDスロットつきのパソコンがない!というかたもいらっしゃると思うので、パッケージ内には全内容をダウンロードできるQRコードも入れてます。
書籍版では掲載できなかった別カットもほとんどすべて収録してあるので、これは我が家のフィルム収納箱そのものと言ってもいい
電子書籍版『TOKYO STYLE』の最大の特徴は「拡大」にある。キーボードで、あるいは指先でズームアップしてもらえれば、机の上のカセットテープの曲目リストや、本棚に詰め込まれた本の題名もかなりの確度で読み取ることができる。他人の生活を覗き見する楽しみが『TOKYO STYLE』の本質だとすれば、電書版の「拡大」とはその密やかな楽しみを倍加させる「覗き込み」の快感なのだ――どんなに高価で精巧な印刷でも、本のかたちではけっして得ることのできない。
伝説のグランドキャバレー・ベラミ・・・そのステージを飾った踊り子、芸人たちの写真コレクション・アルバムがついに完成!
かつて日本一の石炭積み出し港だった北九州市若松で、華やかな夜を演出したグランドキャバレー・ベラミ。元従業員寮から発掘された営業用写真、およそ1400枚をすべて高解像度スキャンして掲載しました。データサイズ・約2ギガバイト! メガ・ボリュームのダウンロード版/USB版デジタル写真集です。
ベラミ30年間の歴史をたどる調査資料も完全掲載。さらに写真と共に発掘された当時の8ミリ映像が、動画ファイルとしてご覧いただけます。昭和のキャバレー世界をビジュアルで体感できる、これ以上の画像資料はどこにもないはず! マンボ、ジャズ、ボサノバ、サイケデリック・ロック・・・お好きな音楽をBGMに流しながら、たっぷりお楽しみください。
――ラブホの夢は夜ひらく
新風営法などでいま絶滅の危機に瀕しつつある、遊びごころあふれるラブホテルのインテリアを探し歩き、関東・関西エリア全28軒で撮影した73室! これは「エロの昭和スタイル」だ。もはや存在しないホテル、部屋も数多く収められた貴重なデザイン遺産資料。『秘宝館』と同じく、書籍版よりも大幅にカット数を増やし、オリジナルのフィルム版をデジタル・リマスターした高解像度データで、ディテールの拡大もお楽しみください。
円形ベッド、鏡張りの壁や天井、虹色のシャギー・カーペット・・・日本人の血と吐息を桃色に染めあげる、禁断のインテリアデザイン・エレメントのほとんどすべてが、ここにある!
――秘宝よ永遠に
1993年から2015年まで、20年間以上にわたって取材してきた秘宝館。北海道から九州嬉野まで11館の写真を網羅し、書籍版では未収録のカットを大幅に加えた全777ページ、オールカラーの巨大画像資料集。
すべてのカットが拡大に耐えられるよう、777ページページで全1.8ギガのメガ・サイズ電書! 通常の電子書籍よりもはるかに高解像度のデータで、気になるディテールもクローズアップ可能です。
1990年代の撮影はフィルムだったため、今回は掲載するすべてのカットをスキャンし直した「オリジナルからのデジタル・リマスター」。これより詳しい秘宝館の本は存在しません!
70枚のTシャツと、70とおりの物語。
あなたにも〈捨てられないTシャツ〉ありませんか? あるある! と思い浮かんだあなたも、あるかなあと思ったあなたにも読んでほしい。読めば誰もが心に思い当たる「なんだか捨てられないTシャツ」を70枚集めました。そのTシャツと写真に持ち主のエピソードを添えた、今一番おシャレでイケてる(?)“Tシャツ・カタログ"であるとともに、Tシャツという現代の〈戦闘服〉をめぐる“ファッション・ノンフィクション"でもある最強の1冊。 70名それぞれのTシャツにまつわるエピソードは、時に爆笑あり、涙あり、ものすんごーい共感あり……読み出したら止まらない面白さです。
編集に「術」なんてない。
珍スポット、独居老人、地方発ヒップホップ、路傍の現代詩、カラオケスナック……。ほかのメディアとはまったく違う視点から、「なんだかわからないけど、気になってしょうがないもの」を追い続ける都築響一が、なぜ、どうやって取材し、本を作ってきたのか。人の忠告なんて聞かず、自分の好奇心だけで道なき道を歩んできた編集者の言葉。
多数決で負ける子たちが、「オトナ」になれないオトナたちが、周回遅れのトップランナーたちが、僕に本をつくらせる。
編集を入り口に、「新しいことをしたい」すべてのひとの心を撃つ一冊。
こころがかゆいときに読んでください
「書評2006-2014」というサブタイトルのとおり、これは僕にとって『だれも買わない本は、だれかが買わなきゃならないんだ』(2008年)に続く、2冊めの書評集。ほぼ80冊分の書評というか、リポートが収められていて、巻末にはこれまで出してきた自分の本の(編集を担当した作品集などは除く)、ごく短い解題もつけてみた。
このなかの1冊でも2冊でも、みなさんの「こころの奥のかゆみ」をスッとさせてくれたら本望である。
あえて独居老人でいること。それは老いていくこの国で生きのびるための、きわめて有効なスタイルかもしれない。16人の魅力的な独居老人たちを取材・紹介する。
たとえば20代の読者にとって、50年後の人生は想像しにくいかもしれないけれど、あるのかないのかわからない「老後」のために、いまやりたいことを我慢するほどバカらしいことはない――「年取った若者たち」から、そういうスピリットのカケラだけでも受け取ってもらえたら、なによりうれしい。
いちばん刺激的な音楽は路上に落ちている――。
咆哮する現代詩人の肖像。その音楽はストリートに生まれ、東京のメディアを遠く離れた場所から、先鋭的で豊かな世界を作り続けている。さあ出かけよう、日常を抜け出して、魂の叫びに耳を澄ませて――。パイオニアからアンダーグラウンド、気鋭の若手まで、ロングインタビュー&多数のリリックを収録。孤高の言葉を刻むラッパー15人のすべて。
2012年、東京右傾化宣言!
この都市の、クリエイティブなパワー・バランスは、いま確実に東=右半分に移動しつつある。右曲がりの東京見聞録!
576ページ、図版点数1300点、取材箇所108ヶ所!