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バックナンバー:2025年03月05日 配信号 収録

food & drink 新連載! 世界の中のインド亜大陸食紀行/日本編 01 東京の南インド料理店・ナンディニのラマさんの話・前編 (写真・文:小林真樹 / 編集:島田真人)

満を持して!というか自分が読みたいだけでお願いしてしまったワガママ連載が始まります! 題して「世界の中のインド亜大陸食紀行」。日本から始まって、世界に広がるインド料理の迷宮世界に、最強の案内人であるアジアハンター・小林真樹さんが連れていってくれます。連載は隔週掲載、これから紹介される店、ぜんぶ行きたくなること確実! 同時にいま、ほとんど気がつかないうちにどれほどインドの食文化が日本の隅々に浸透しつつあるのか、腹で実感していただけるかと。

 インド料理を「カレーとナン」というだけで片付ける人はさすがに最近減ってきたかもしれない。しかし、まだまだその奥深さが知られているわけではないというのが現状ではないだろうか。

本業はインドの食器、調理器具を輸入販売している有限会社アジアハンターの代表をしている小林真樹さんという人がいる。インド料理が好きな日本人はもちろん、お店をやっている在日インド人からも絶大な信頼のある人だ。

小林さんはインド亜大陸料理を食べるために日本やインド亜大陸各国はもちろん、世界各国に出没してはそれらの料理を食べて、ただ料理の味だけでなく、なぜここでこのようなお店をやっているのか、どんなメニュー構成にしようとしているのか、料理人の生きざまについてなどを見聞きし続けている。その活動はもはや民俗学の域に入っているともいえるし、50年後、100年後には貴重な資料となっているだろう。

小林さんによるインド亜大陸料理の奥深さがわかる日本、そして世界を飛び回る食紀行、まず第1回は小林さんの自宅からいちばん近いインド、東京を代表する南インド料理店のナンディニからスタート!
(阿佐ヶ谷書院・島田真人)


 私は仕事の打ち合わせや商談で自宅までご足労いただくような時、必ずナンディニをその場所に指定している。自宅が足の踏み場もない狭小さであるのと同時に、ナンディニが徒歩55秒というきわめて至近距離に立地していることが主たる理由だ。早い話、ナンディニが応接間代わりなのである。


自宅から最も近いナンディニ

 2025年に創業10周年を迎えるナンディニは、インド料理店の中でも「南インド料理」を出す店として知られている。代表として率いるのはアーンドラ・プラデーシュ州ネロール出身のラマさんことラマナイヤ・クリスタイアさん。いつもにこやかな笑みを絶やさず、スタッフにも慕われるナイスガイである。このラマさんについては後ほど紹介するとして、ひとまず南インド料理とは何かについて簡単にご説明しておきたい。

 南インド料理とは、読んで字のごとくインド亜大陸の南部で食べられる料理である。広大なインドは大まかに東西南北の異なる食文化圏に分けられるが、このうち南部の特徴として、まず主食はナンではなくライス。サンバルやラッサムといったサラサラしたタイプの副菜が多い一方、辛みを強く利かせたマトンやチキンなどの肉料理、また魚やカニ、エビを使ったカレーも多い。これらがのったプレートを飲食店では「ミールス」と称し、昼時になるとステンレス皿やバナナの葉に盛り付けて提供される。また昼以外の時間帯は米や豆を加工して作るドーサやイドゥリ、ワダなど「ティファン」と呼ばれる軽食料理がよく食べられていて、このミールスとティファンとが代表的な南インド料理となる。


代表的な南インド料理・ミールスは現地ではバナナの葉で提供されることが多い

 とはいえ、日本では「インド料理といえばナン」というイメージがつきまとう。現在都内を中心に増えつつある南インド料理店は、「ナンではない、もう一つのインド料理」というオルタナティブな希少性を売りの一つにしているのだが、一般的にはまだ認知されてはいない状態なのだ。ある時、私が都内の南インド料理店で食べていたら、後から入店してきた客が「えっ、ナンはないの?」と言って帰ってしまった。その時浮かべた、南インド人の店員さんの複雑な表情が今も忘れられない。

 ナンを求める客に対して店の側がどう対応するか。これは南インド料理店のみならず、広くインド亜大陸出身オーナーの頭を悩ます難問である。例えば南インド同様、自らの食習慣にナンのないネパール人オーナーはどうか。インド料理を中心に据えたインド・ネパール料理店、いわゆる「インネパ店」とは別に、急増する同胞を顧客にした本格的なネパール料理店、いわゆる「ガチネパ店」が新大久保を中心に増えている。こうした店では、むしろナンがないことがあたかも「ネパールの正統性の証」であるかのように見られている。一方、このガチネパ店に見られるような潔いナンとの決別が多くの南インド料理店には見られない。とはいえ、インネパ/ガチネパ店ほどではないにせよ、南インド料理店オーナーの間でもナンに対する明らかな温度差は感じられる。その前に、現在に至る日本の南インド料理店の流れをご紹介したい。


ナンは現代日本におけるインド料理店のアイデンティティである

 有名な銀座のナイルレストラン(1949年オープン)や麹町のアジャンタ(1961年本格オープン)といった先駆的な店は例外として、日本、というか都内に南インド料理店が増えはじめたのは2000年代以降である。ダバ・インディア(2003年オープン)や南印度ダイニング(2005年オープン)のように、日本人経営店あるいは日本人経営者の招聘で南インドからコックとして来日し、その後独立したインド人の店が徐々に現れる。と同時に、ニルワナム(2005年オープン)やアーンドラ・キッチン(2009年オープン)のように、南インド出身だが、畑違いの分野から参入するインド人が出現するのもこの頃である。

 1990年代後半、IT化をすすめる多くの企業が高い技術力を有し、英語も堪能なインド人技術者を雇用しはじめた。プロジェクトを終えると帰国するインド人もいたが、中にはそのまま継続して日本での勤務を続ける人も少なくなかった。やがてインド本国からIT企業が本格的に日本進出、そこから独立して起業する人がさらに新たな人材を雇用し、都内におけるインド人人口は右肩上がりに増加していく。その多くが教育水準の高い南インド出身者だった。

 現在、日本に10年以上滞在する外国人は「永住権」の申請要件を満たすことになっている。実際の取得には単に滞在年数だけでなく、法務省の定める細かい審査基準をクリアーする必要があるのだが、多くのIT系インド人は名の通った大企業に雇用されているため大半が申請さえすれば永住権の取得が出来る。そうすれば商売も自由に出来るようになる。やがて彼らの多くは日本で自分または妻名義で法人設立し、ふるさとの味を売りにした飲食店の経営に乗り出していく。こうして都内を中心に南インド料理店が増えていくのである。この流れは2010年代以降加速し、コロナ禍でいったん停滞したものの2025年現在も衰えていない。

 こうした人たちが飲食店を開業する目的は、もちろん店である以上利潤の追求が第一だがそれだけではなく、地元の祭礼日などに同胞たちが集まれる場、あるいは言葉に壁のある日本社会で妻同士が安心して集まり、茶飲み話出来る場の創設といった側面もあるように思える。だからナンの提供に対してあまり積極的ではない。むしろない方がいいとすら思っている経営者もいる。

 そういう人たちに比べ、ラマさんはどうなのか。ラマさん率いるナンディニではナンはおろかチーズナンやガーリックナンといった、本来なら南インドという地域属性とは無縁のメニューまで出している。一体なぜだろう。ラマさんに疑問をぶつけてみた。

 「日本人はナンが好きな人が多いですよね。ウチはたまにイベントで南インド料理だけのスペシャルをやりますが、ナンがないからと帰ってしまう人がいます。だからウチは通常メニューには絶対にナンは置きますよ。まずそのナンを気に入って、2回3回とリピートするうち、じゃあ次は南インドのミールスを食べてみようというお客様が出てくるんです」


ナンディニを率いるラマさん

 南インド料理ばかりの凝ったメニューを作ってみたところで、まだまだ一般客が求めるのはナンなのだ。ならば飲食店たるもの、客の需要に応じてナンボというある種のハングリー精神がラマさんの中には確固としてある。それは来日する前の、インドでの下積み時代に培われたものかもしれない。

 男5人、女2人のきょうだいの末っ子として田舎の農家に生まれたラマさんは、一つ上の兄が大都会バンガロール(現ベンガルール)の飲食店に就職したことから10代前半で同じくバンガロールに出た。

 「最初は道端にある屋台の皿洗いからはじめました。そこからいくつかの食堂のキッチン(厨房)で働いて経験を積み、24歳の時にバンガロールのナンディニに移りました。先に兄が働いていて誘ってくれたんです」


バンガロールにあるナンディニ

 もともと来日する直前まで働いていた現地の店も同じ「ナンディニ」という。現在の店のロゴマークも現地ナンディニと全く同じなのだが、それはラマさんなりのオマージュである。このバンガロールのナンディニで、ラマさんは約4年間働いた。

 「現地ナンディニの先輩にウダイクマールさんというタミル人がいました。『日本で働かないか』というオファーは最初、彼のもとへあったんです。そこでウダイクマールさんがまず日本に行き、彼を介してボクにも声がかかりまました」

 その声の主は、現在首都圏各所で支店を展開する南インドレストラン、ニルワナムのアニール社長。この時直接誘ってくれたウダイクマールさんもその後独立し、現在は江東区亀戸で南インド料理店、タミルナードゥ・キッチンを経営している。


タミルナードゥ・キッチンのウダイクマールさん

 「初めて来日したのは2005年です。それまで日本語はおろか日本のこともぜんぜん知らなかった。日本語は来日後、お客さんと会話しながら覚えました。ただ最初ボクはホールじゃなくキッチンに入っていたんですけどね」

 現在でこそ多店舗展開しているニルワナムだが、ラマさんが働き始めた頃はまだ港区神谷町の一店舗のみだった。当時から私もよく食べに行っていたが、昼のバイキングが大人気だったことをよく覚えている。


ニルワナムのランチバイキング

 「キッチンでは南インドのカレーだけじゃなく、もちろんナンも焼いてました。ボクはインド時代にナンを焼いたことがなくて、日本に来てはじめてタンドール(窯)を触ったんです。よく焦がしたり落っことしたりしましたが、アニール社長は『何枚失敗してもいい、出来るようになれば』って優しく言ってくれました」

 忙しくなってくると、厨房は二人のコックでは回らなくなってくる。やがてアニール社長から人材補充の相談をもちかけられると、ラマさんはかつて働いていたバンガロールのナンディニの同僚たちに声をかけた。こうして現在の都内のナンディニで働く主要なスタッフらが続々と招聘されるようになる。

 ちなみに立ち上げ当初の人材こそオーナー自らコックの人選をするが、その後は信頼を置いたコックに紹介を依頼するケースが多い。コックの持つネットワークの方が深く確実だからである。国内にインド料理店が増えるにつれ、主にネパール人コックの間でこうした「口利き」そのものがビジネス化していくのだが、南インド料理店は数も少ないせいかそうした話は聞かない。

 コックが一人増えるたびに持っている調理スキルに合わせてメニューも増えていった。特にバンガロール時代の先輩格にあたるマハリンガムさん(ラマさんの兄と同期で、現在は世田谷区祖師ヶ谷大蔵でスリマンガムを経営)が入った時はメニュー数が一気に増えたという。

 このニルワナムでラマさんは約9年働いた。この間、仕事上必要な言葉や商習慣、日本人の好みや傾向といったあらゆることを学んだ。今でも自分を招聘してくれたアニール社長と、そのきっかけを作ってくれたウダイクマールさんには感謝しているという。その後独立し、江東区南砂町のチェンナイ・キッチンを仲間たちと2年ほど営業したのち、同じ江東区の清澄白河にナンディニ1号店を2015年にオープン。わが自宅から徒歩55秒という至近距離で、のちに応接間代わりとなる物件である。


ナンディニの美味しいミールス

 やがてナンディニは、本格的な南インド料理を中心に、求められればチーズナンも提供する柔軟な姿勢で日本人・インド人双方から支持される、押しも押されぬ人気店へと成長していく。もちろんそれは、ラマさんのポリシーを具現化するプロ集団としてのスタッフに支えられて初めて可能となるのだ。

 現在もナンディニの主なスタッフはラマさんのバンガロール時代の同僚が中心で構成されている。条件や待遇にあわせて店を転々と渡り歩くインド人コックが多い中、がっちりと生え抜きメンバーで固められているのが特徴だ。その強い結束力は、屋外イベントに出店する時にとりわけ顕著に感じられる。イベント前日、通常営業を終えた夜の店内で、スタッフ総出の大量調理が夜を徹して行われる。翌日は大声を出してそれを会場で販売するのだから想像を絶するハードワークだが、働きや売り上げに応じて手厚いボーナスを支給するからスタッフ全員やる気を出す。その金で故郷の家を新築した人も少なくない。

 今や都内のどんな街にもある、日常に溶け込んだかのようなインド料理店。外観やメニューは似ているところもあるが、それぞれの店には当然のことながらオーナーやスタッフの、来日から開業し現在に至るまでの物語がある。そこには提供される料理とは別の、得難い味わいが潜んでいるのだ。

ナンディニ 清澄白河店:https://nandhini.jp/shirakawa

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このなかの1冊でも2冊でも、みなさんの「こころの奥のかゆみ」をスッとさせてくれたら本望である。

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たとえば20代の読者にとって、50年後の人生は想像しにくいかもしれないけれど、あるのかないのかわからない「老後」のために、いまやりたいことを我慢するほどバカらしいことはない――「年取った若者たち」から、そういうスピリットのカケラだけでも受け取ってもらえたら、なによりうれしい。

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