Neverland Diner 二度と行けないあの店で 07『北京に捨ててきた金正日』向井康介(脚本家)
北京で初めて北朝鮮料理を食べた。日記を辿ると2016年7月1日となっている。誘ってくれたのは、語学学校で知り合ったNさんという夫がトヨタだかスバルだかに勤める駐在員の奥さん。まもなく帰国することが決ま…
food & drink 新連載! 世界の中のインド亜大陸食紀行/日本編 01 東京の南インド料理店・ナンディニのラマさんの話・前編 (写真・文:小林真樹 / 編集:島田真人) |
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満を持して!というか自分が読みたいだけでお願いしてしまったワガママ連載が始まります! 題して「世界の中のインド亜大陸食紀行」。日本から始まって、世界に広がるインド料理の迷宮世界に、最強の案内人であるアジアハンター・小林真樹さんが連れていってくれます。連載は隔週掲載、これから紹介される店、ぜんぶ行きたくなること確実! 同時にいま、ほとんど気がつかないうちにどれほどインドの食文化が日本の隅々に浸透しつつあるのか、腹で実感していただけるかと。 |
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インド料理を「カレーとナン」というだけで片付ける人はさすがに最近減ってきたかもしれない。しかし、まだまだその奥深さが知られているわけではないというのが現状ではないだろうか。 |
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私は仕事の打ち合わせや商談で自宅までご足労いただくような時、必ずナンディニをその場所に指定している。自宅が足の踏み場もない狭小さであるのと同時に、ナンディニが徒歩55秒というきわめて至近距離に立地していることが主たる理由だ。早い話、ナンディニが応接間代わりなのである。 |
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2025年に創業10周年を迎えるナンディニは、インド料理店の中でも「南インド料理」を出す店として知られている。代表として率いるのはアーンドラ・プラデーシュ州ネロール出身のラマさんことラマナイヤ・クリスタイアさん。いつもにこやかな笑みを絶やさず、スタッフにも慕われるナイスガイである。このラマさんについては後ほど紹介するとして、ひとまず南インド料理とは何かについて簡単にご説明しておきたい。 |
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とはいえ、日本では「インド料理といえばナン」というイメージがつきまとう。現在都内を中心に増えつつある南インド料理店は、「ナンではない、もう一つのインド料理」というオルタナティブな希少性を売りの一つにしているのだが、一般的にはまだ認知されてはいない状態なのだ。ある時、私が都内の南インド料理店で食べていたら、後から入店してきた客が「えっ、ナンはないの?」と言って帰ってしまった。その時浮かべた、南インド人の店員さんの複雑な表情が今も忘れられない。 |
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有名な銀座のナイルレストラン(1949年オープン)や麹町のアジャンタ(1961年本格オープン)といった先駆的な店は例外として、日本、というか都内に南インド料理店が増えはじめたのは2000年代以降である。ダバ・インディア(2003年オープン)や南印度ダイニング(2005年オープン)のように、日本人経営店あるいは日本人経営者の招聘で南インドからコックとして来日し、その後独立したインド人の店が徐々に現れる。と同時に、ニルワナム(2005年オープン)やアーンドラ・キッチン(2009年オープン)のように、南インド出身だが、畑違いの分野から参入するインド人が出現するのもこの頃である。 |
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南インド料理ばかりの凝ったメニューを作ってみたところで、まだまだ一般客が求めるのはナンなのだ。ならば飲食店たるもの、客の需要に応じてナンボというある種のハングリー精神がラマさんの中には確固としてある。それは来日する前の、インドでの下積み時代に培われたものかもしれない。 |
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もともと来日する直前まで働いていた現地の店も同じ「ナンディニ」という。現在の店のロゴマークも現地ナンディニと全く同じなのだが、それはラマさんなりのオマージュである。このバンガロールのナンディニで、ラマさんは約4年間働いた。 |
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「初めて来日したのは2005年です。それまで日本語はおろか日本のこともぜんぜん知らなかった。日本語は来日後、お客さんと会話しながら覚えました。ただ最初ボクはホールじゃなくキッチンに入っていたんですけどね」 |
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「キッチンでは南インドのカレーだけじゃなく、もちろんナンも焼いてました。ボクはインド時代にナンを焼いたことがなくて、日本に来てはじめてタンドール(窯)を触ったんです。よく焦がしたり落っことしたりしましたが、アニール社長は『何枚失敗してもいい、出来るようになれば』って優しく言ってくれました」 |
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やがてナンディニは、本格的な南インド料理を中心に、求められればチーズナンも提供する柔軟な姿勢で日本人・インド人双方から支持される、押しも押されぬ人気店へと成長していく。もちろんそれは、ラマさんのポリシーを具現化するプロ集団としてのスタッフに支えられて初めて可能となるのだ。 |
北京で初めて北朝鮮料理を食べた。日記を辿ると2016年7月1日となっている。誘ってくれたのは、語学学校で知り合ったNさんという夫がトヨタだかスバルだかに勤める駐在員の奥さん。まもなく帰国することが決ま…
福岡市美術館の常設展『彫刻/人形』に作品を提供していた地元・福岡のアーティスト/造形師・角孝政。毎週末に福岡郊外の『不思議博物館』館長として君臨していることはすでにご報告済みだが(2012年10月24…
どこにあるのか、どんな名前だったか、自分はそこで何を食べたのか。その詳細を、ほとんど覚えていない店がある。でも、ひとつだけ、おぼろげな記憶の中ではっきりと輪郭を持ったイメージある。ボリューム満点のサン…
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今から20年くらい前、なので30歳前後の頃、故郷広島に帰省した時のこと。帰ると必ず会う、高校の同級生である友人が「いい店があるから行こう」と言う。我々の地元はJR広島駅にほど近い府中町というところなの…

ロードサイダーズではおなじみの写真家・天野裕氏による初の電子書籍。というか印刷版を含めて初めて一般に販売される作品集です。
本書は、定価10万円(税込み11万円)というかなり高価な一冊です。そして『わたしたちがいたところ』は完成された書籍ではなく、開かれた電子書籍です。購入していただいたあと、いまも旅を続けながら写真を撮り続ける天野裕氏のもとに新作が貯まった時点で、それを「2024年度の追加作品集」のようなかたちで、ご指定のメールアドレスまで送らせていただきます。
旅するごとに、だれかと出会いシャッターを押すごとに、読者のみなさんと一緒に拡がりつづける時間と空間の痕跡、残香、傷痕……そんなふうに『わたしたちがいたところ』とお付き合いいただけたらと願っています。

稀代のレコード・コレクターでもある山口‘Gucci’佳宏氏が長年収集してきた、「お色気たっぷりのレコードジャケットに収められた和製インストルメンタル・ミュージック」という、キワモノ中のキワモノ・コレクション。
1960年代から70年代初期にかけて各レコード会社から無数にリリースされ、いつのまにか跡形もなく消えてしまった、「夜のムードを高める」ためのインスト・レコードという音楽ジャンルがあった。アルバム、シングル盤あわせて855枚! その表ジャケットはもちろん、裏ジャケ、表裏見開き(けっこうダブルジャケット仕様が多かった)、さらには歌詞・解説カードにオマケポスターまで、とにかくあるものすべてを撮影。画像数2660カットという、印刷本ではぜったいに不可能なコンプリート・アーカイブです!

プロのアーティストではなく、シロウトの手になる、だからこそ純粋な思いがこめられた血みどろの彫刻群。
これまでのロードサイド・ライブラリーと同じくPDF形式で全289ページ(833MB)。展覧会ではコラージュした壁画として展示した、もとの写真280点以上を高解像度で収録。もちろんコピープロテクトなし! そして同じく会場で常時上映中の日本、台湾、タイの動画3本も完全収録しています。DVD-R版については、最近ではもはや家にDVDスロットつきのパソコンがない!というかたもいらっしゃると思うので、パッケージ内には全内容をダウンロードできるQRコードも入れてます。

書籍版では掲載できなかった別カットもほとんどすべて収録してあるので、これは我が家のフィルム収納箱そのものと言ってもいい
電子書籍版『TOKYO STYLE』の最大の特徴は「拡大」にある。キーボードで、あるいは指先でズームアップしてもらえれば、机の上のカセットテープの曲目リストや、本棚に詰め込まれた本の題名もかなりの確度で読み取ることができる。他人の生活を覗き見する楽しみが『TOKYO STYLE』の本質だとすれば、電書版の「拡大」とはその密やかな楽しみを倍加させる「覗き込み」の快感なのだ――どんなに高価で精巧な印刷でも、本のかたちではけっして得ることのできない。

伝説のグランドキャバレー・ベラミ・・・そのステージを飾った踊り子、芸人たちの写真コレクション・アルバムがついに完成!
かつて日本一の石炭積み出し港だった北九州市若松で、華やかな夜を演出したグランドキャバレー・ベラミ。元従業員寮から発掘された営業用写真、およそ1400枚をすべて高解像度スキャンして掲載しました。データサイズ・約2ギガバイト! メガ・ボリュームのダウンロード版/USB版デジタル写真集です。
ベラミ30年間の歴史をたどる調査資料も完全掲載。さらに写真と共に発掘された当時の8ミリ映像が、動画ファイルとしてご覧いただけます。昭和のキャバレー世界をビジュアルで体感できる、これ以上の画像資料はどこにもないはず! マンボ、ジャズ、ボサノバ、サイケデリック・ロック・・・お好きな音楽をBGMに流しながら、たっぷりお楽しみください。

――ラブホの夢は夜ひらく
新風営法などでいま絶滅の危機に瀕しつつある、遊びごころあふれるラブホテルのインテリアを探し歩き、関東・関西エリア全28軒で撮影した73室! これは「エロの昭和スタイル」だ。もはや存在しないホテル、部屋も数多く収められた貴重なデザイン遺産資料。『秘宝館』と同じく、書籍版よりも大幅にカット数を増やし、オリジナルのフィルム版をデジタル・リマスターした高解像度データで、ディテールの拡大もお楽しみください。
円形ベッド、鏡張りの壁や天井、虹色のシャギー・カーペット・・・日本人の血と吐息を桃色に染めあげる、禁断のインテリアデザイン・エレメントのほとんどすべてが、ここにある!

――秘宝よ永遠に
1993年から2015年まで、20年間以上にわたって取材してきた秘宝館。北海道から九州嬉野まで11館の写真を網羅し、書籍版では未収録のカットを大幅に加えた全777ページ、オールカラーの巨大画像資料集。
すべてのカットが拡大に耐えられるよう、777ページページで全1.8ギガのメガ・サイズ電書! 通常の電子書籍よりもはるかに高解像度のデータで、気になるディテールもクローズアップ可能です。
1990年代の撮影はフィルムだったため、今回は掲載するすべてのカットをスキャンし直した「オリジナルからのデジタル・リマスター」。これより詳しい秘宝館の本は存在しません!

70枚のTシャツと、70とおりの物語。
あなたにも〈捨てられないTシャツ〉ありませんか? あるある! と思い浮かんだあなたも、あるかなあと思ったあなたにも読んでほしい。読めば誰もが心に思い当たる「なんだか捨てられないTシャツ」を70枚集めました。そのTシャツと写真に持ち主のエピソードを添えた、今一番おシャレでイケてる(?)“Tシャツ・カタログ"であるとともに、Tシャツという現代の〈戦闘服〉をめぐる“ファッション・ノンフィクション"でもある最強の1冊。 70名それぞれのTシャツにまつわるエピソードは、時に爆笑あり、涙あり、ものすんごーい共感あり……読み出したら止まらない面白さです。

編集に「術」なんてない。
珍スポット、独居老人、地方発ヒップホップ、路傍の現代詩、カラオケスナック……。ほかのメディアとはまったく違う視点から、「なんだかわからないけど、気になってしょうがないもの」を追い続ける都築響一が、なぜ、どうやって取材し、本を作ってきたのか。人の忠告なんて聞かず、自分の好奇心だけで道なき道を歩んできた編集者の言葉。
多数決で負ける子たちが、「オトナ」になれないオトナたちが、周回遅れのトップランナーたちが、僕に本をつくらせる。
編集を入り口に、「新しいことをしたい」すべてのひとの心を撃つ一冊。

こころがかゆいときに読んでください
「書評2006-2014」というサブタイトルのとおり、これは僕にとって『だれも買わない本は、だれかが買わなきゃならないんだ』(2008年)に続く、2冊めの書評集。ほぼ80冊分の書評というか、リポートが収められていて、巻末にはこれまで出してきた自分の本の(編集を担当した作品集などは除く)、ごく短い解題もつけてみた。
このなかの1冊でも2冊でも、みなさんの「こころの奥のかゆみ」をスッとさせてくれたら本望である。

あえて独居老人でいること。それは老いていくこの国で生きのびるための、きわめて有効なスタイルかもしれない。16人の魅力的な独居老人たちを取材・紹介する。
たとえば20代の読者にとって、50年後の人生は想像しにくいかもしれないけれど、あるのかないのかわからない「老後」のために、いまやりたいことを我慢するほどバカらしいことはない――「年取った若者たち」から、そういうスピリットのカケラだけでも受け取ってもらえたら、なによりうれしい。

いちばん刺激的な音楽は路上に落ちている――。
咆哮する現代詩人の肖像。その音楽はストリートに生まれ、東京のメディアを遠く離れた場所から、先鋭的で豊かな世界を作り続けている。さあ出かけよう、日常を抜け出して、魂の叫びに耳を澄ませて――。パイオニアからアンダーグラウンド、気鋭の若手まで、ロングインタビュー&多数のリリックを収録。孤高の言葉を刻むラッパー15人のすべて。

2012年、東京右傾化宣言!
この都市の、クリエイティブなパワー・バランスは、いま確実に東=右半分に移動しつつある。右曲がりの東京見聞録!
576ページ、図版点数1300点、取材箇所108ヶ所!