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バックナンバー:2019年06月12日 配信号 収録

food & drink 新連載! はばたけ!宴会芸! 第1回「羅漢だ羅漢だ」(文:御手洗太)

ロードサイダーズのみなさまにはおなじみ『隙ある風景』のケイタタさんが、「めちゃおもしろい会社の後輩がいるんです」と教えてくれた。ケイタタさんにそこまで言わせるとは!と聞いてみると、「最近コンプライアンスなどなどで消えゆく日本の宴会芸を保存、発掘し、後世につなげようとする『日本宴会芸学会』というものを主催しているものたち」なのだという。宴会芸……たしかに絶滅危惧種かも! そして「消えゆく大衆文化」といえば、本メルマガで取り上げないわけにはいかないですよね。さっそくお会いして執筆をお願い、これから6回にわたって連載をしていただくことになった。月にいちどくらいのペースで、消えゆく宴会芸の奥義を教えていただく予定。今年末の忘年会シーズンまでには最終講義が終了の予定なので、各自研鑽に励んでいただきたいと願いつつ、第1回の開講!

はじめに 御手洗太(日本宴会芸学会会長)

ROADSIDERS' weeklyの読者のみなさま、はじめまして。
日本宴会芸学会 会長の御手洗と申します。
日本宴会芸学会とは、文字通り、宴会芸文化を研究対象とする学術団体です。宴会芸をテーマにしているという点で、少し風変わりな印象をお持ちかもしれませんが、他の人文科学とそう変わりません。

例えば、私は「20世紀宴会芸史」が専門です。明治時代からバブル期まで。あらゆる宴会芸を収集・分類をして、芸の歴史的変化を研究しています。


研究の基本が文献調査だということも、他の学問と変わりません。

我々の世代の研究者は、国会図書館に通うことで血肉となる知識を身につけました。国内で出版された書籍をすべて収蔵しているため、宴会芸文献の品ぞろえが桁違いなのです。朝から晩まで勉強をして、腹を空かせて赤坂の大衆中華料理屋に行き、納豆チャーハンをかきこむ。そんな青春が私にもありました。




古典文献『宴会お座敷芸』

最近の若い研究者はAmazonをかなり活用しているようですね。私もパソコンを叩いてみたところ、駆け出しの頃に夢中で写経した(当時はコピーなんてものはありません)宝物のような文献が多数出品されていて、心底驚きました。しかも、そのほとんどが1円で買えるのです! ガーファはビッグデータの力を活用し、宴会芸の世界にも変革を起こしているのです。




最近Amazonで買った文献

さておき。「宴会芸史」ひとつをとっても、アプローチは様々です。

古事記の「岩戸隠れ」に登場するアメノウズメの踊りを「日本最古の宴会芸」として発見した人もいます。かの有名なエロティックな踊りがなかったら、世界が暗闇のままだったことを考えると。今日の人類の繁栄は宴会芸のおかげである、と言っても過言ではないでしょう。

また、豊臣秀吉が自らの功績を讃えるために作り、自ら舞った『豊公能』を研究対象として「宴会芸と権力」に関する長大な論文を書き上げた人もいます。権力者が、自らをモデルにした芸術を作ることはよくあることですが、自ら「演じた」のは世界の歴史でも極めて異例のことです。「3日間16番舞い続けた」「徳川家康・前田利家にも舞わせた」など、芸にのめり込んだ人間の業を感じるエピソードも数多く伝わってきています。天下人として地上のあらゆるものを手に入れた秀吉が、最後に熱狂したものこそ宴会芸だったのです。

最近、若手研究者を中心に流行しているのは、エスノグラフィーのアプローチです。特異な宴会芸文化を持つコミュニティ(地域・企業・団体)の中に入り込み「芸に参加する」という調査手法です。宴会芸は「観客のためのショー」であると同時に「演じ手のイニシエーション」でもあります。今年も『遠野物語』で有名な「遠野祭」や、大阪新世界の新興の祭への若手研究員の派遣が決まっております。どんなイニシエーションを受けて、学びをフィードバックしてくれるのか。今から楽しみでなりません。こういった新しい考え方の研究も大いに結構でございます。

あくまでも、研究の基本は文献調査であることは言うまでもありませんが。

名物研究者としては、宴会哲学者のマイケル御手洗氏がいます。


マイケル御手洗氏による「宴会白熱教室」の様子

「最大多数の最大幸福のためであれば、宴会芸は可能である」とするベンサム哲学と「人間の尊厳が守られる限りにおいてのみ、宴会芸は可能である」とするカント哲学。この二つの哲学は激しく対立しながら、人類の文明と宴会芸を発展させてきた。

この名文句から始まる対話型の講義「宴会白熱教室」は宴会芸学会名物として人気を博しています。

「宴会芸フェミニスト」を自称する、キャリア英子氏。お裁縫が上手な主婦、ロブスター夫人のことも忘れてはいけません。


キャリア英子氏:写真中央左 /ロブスター夫人:写真中央右

宴会芸研究は歴史的に男性たちによって担われきてました。
しかし、社会が多様化していく中で、あらゆる人たちの宴会芸参加を実現するために「宴会芸のダイバーシティ」は大変重要なテーマになってきています。
先行研究の中に無自覚に含まれる男性優位の発想に対し、時にナイフのような言葉を突きつけるキャリアさん(私もコテンパンにやられたことがあります)。
女性ならではの細やかな手作業で、文献の宴会芸を現代に蘇らせるロブスターさん。
この2人が、次代の宴会芸を切り開く大きな力になることを、私は確信しています。

このように個性あふれる研究者達が一同に会し、宴会芸研究の成果を発表しあうのが、学術大会です。おかげさまで、これまで開催された学会は全87回を数えます。


第87回学会は六本木ミッドタウンで開催された。

日本宴会芸学会は決して大きな組織ではありません。長年、事務方仕事を一手に引き受けてくれている中野原真澄専務理事を筆頭に、宴会芸を愛する研究者たちの献身によって支えられております。


中野原専務理事:写真中央

さておき。宴会芸を取り巻く環境は、極めて厳しい状況だと言わざるを得ません。

学会の調査によりますと、21歳~39歳の約80%が宴会芸に対して否定的なイメージを持ち。約30%が、宴会芸が滅びてほしいと考えている、という報告があります。

企業の人事担当者からは、大学生が就職先を検討する際に、宴会芸の強要を恐れて、営業職を避ける風潮があるという話も聞きました。働き方改革・コンプライアンスの旗印のもとに、長く続いた宴会芸大会の伝統を廃する企業・団体が後を絶ちません。私個人の生活でも「宴会芸研究者」を名乗った時の風当たりの強さは、平成終わりの数年間で劇的に高まったと感じております。

「宴会芸バッシング」「宴会芸狩り」そんな、悪夢のような事態が現実になりつつあります。


第87回 日本宴会芸学会より

世の中が、このような方向に進んでいる今だからこそ。私たち学究の人間の使命は、毅然とした態度で研究を続けることだと考えております。

この度、ROADSIDERS' weeklyでの連載「はばたけ!宴会芸!」を始めるにあたり。まずは、この問いから始めたいと思います。

「宴会芸とは何者か?」

宴会芸とは「酒の一気飲み」「脱衣等の強要」つまり、セクハラ・パワハラ的な下品なものである。そうお考えの方が多いのではないでしょうか。

これは、危険な誤解です。

過去の文献を紐解くと、下品な宴会芸が登場するのは1986年以降。あの狂ったバブルの時代と、その後の長く続いた平成不況の時代なのです。




バブル期宴会芸:玉ねぎ占い 生の玉ねぎを剥いて涙を出す

それ以前の宴会芸には、日本古来の「あはれ」の精神を感じさせるものが数多くございました。当時の日本人にとって宴会芸とは教養であり文化だったのです。そのことを、私達は声を大にして発信していきたいと思っています。

「宴会芸とは何者か?」

ある人は歴史の中に、ある人は哲学の中に、ある人は経済の中に、その答えを見出してきました。その叡智を結集して制定されたのが「宴会芸三原則」です。

宴会芸三原則
一、自分を安全な場所に置くべからず。
一、己のアイデンティティに忠実であれ。
一、主賓(もしくは神)への捧げものであるべし。

これを満たすものこそが真の宴会芸です。
この三原則は、宴会芸を学ぶ皆さんにとって、重要な道しるべになることでしょう。

本連載は全6回を予定しています。

まず、「20世紀宴会芸史」の専門家である私から、明治時代から現代に至るまでの宴会芸の変遷を、豊富な写真資料とともに解説いたします。その後も、多彩な研究者たちが、研究成果を寄稿してまいります。

第1回、第2回:20世紀宴会芸史 (上)(下)
第3回:バブル期宴会芸批判
第4回:宴会芸の名手たちのロングインタビュー
第5回:メディアの中の宴会芸
第6回:宴会芸エスノグラフィー

※連載内容は変更になる可能性がございます。

「はばたけ!宴会芸!」という連載タイトルには、宴会芸を日本の文化的資産として、世界へ向けて発信していきたい、という大きな夢を託しております。

最後に、私の座右の銘を紹介して、序文の締めくくりとさせていただければと思います。

「世界は宴会場。生きることは宴会芸。」


20世紀宴会芸史(上) 御手洗太(日本宴会芸学会会長)

第1章 「喝采」のための宴会芸 ~明治時代の文献から~

改めまして御手洗です。ここからは、20世紀宴会芸史を学んで参ります。
最初に紹介するのは、明治時代の文献 [大通散士 編(1911)『宴会お座敷芸』 盛陽堂] に登場する演目の数々です。

『宴会お座敷芸』は、明治の宴席で演じられていた計202個の宴会芸を時にはイラストも交えて紹介する重要な文献です。はしがきの文章が、当時の日本人にとっての「宴会芸」を鮮やかに説明しているので、まずは引用します。


はしがき

酒席に列して無芸大食は野暮の骨頂。これ浮世の面白みを解せず。芸なし猿の不可趣味をして直ちに大通酔人となるの秘法をご伝授いたすは本書の特色ならんか。編者予に語るらく、素人にも出来るべき面白きもののみを選んでこれ一巻を成したりと。内容をうかがうに、その種類方法、積極的ハイカラに傾かず、また消極的形式の悪落ちにも偏せず。其の中庸を得て趣味を有てるもの多く、古きを探ねて新しきを知るとはこれか。深く本書によって練習すれば、ある意味においての喝采は請合い申すと公正証書ならねど、看板に偽りなきこと序言よって件の如し。

明治44年9月 文華山人しるす 
(※ 一部仮名遣い等改変)

どのセンテンスを取っても名文ですね。

まず、導入が痛快です。

酒席に列して無芸大食は野暮の骨頂。これ浮世の面白みを解せず。芸なし猿の不可趣味をして直ちに大通酔人となる(後略)

この時代、宴会芸をしない人は「浮世の面白みを理解しない野暮の骨頂の芸なし猿」と言われていたことが分かります。「猿」まで言うか!と驚いた人も多いのではないでしょうか。宴会芸が「人間にとって不可欠な教養」と考えられていたことがよく分かります。

さておき。最も重要なポイントとしてお伝えしたいのが、

深く本書によって練習すれば、ある意味においての喝采は請合い申す(後略)

という部分です。

そうです。この時代の宴会芸は「喝采」を得るためのものだったのです。

「喝采」とは、「声をあげて褒めそやす」という意味です。「すごいねぇ」とか「偉いねぇ」とか、そういう言葉が聞こえてこなくてはならないのです。

「酔っぱらい相手の素人芸」である宴会芸で、これを実現するのは並大抵のことではありません。バブル期以降の文献の常套句が「とにかくウケる芸!」「一発かませ!」「どさくさにまぎれて女の子といちゃついちゃえ!」であることを考えると目標設定の段階で大きな違いがあります。

それでは、早速、若手研究者による再現写真とともに紹介してまいります。


1 へりくだりの美学 カサつむり


『宴会お座敷芸』を皮切りに多数の文献に登場する有名古典芸です。

呼び名は「蝸牛の身振り」「でんでん虫」「カタツムリ」などさまざまですが、本稿では端的に趣旨を説明している「カサつむり」を採用しました。

手ぬぐいを鉢巻にして、割りばしを2本頭に刺して、角にする。蛇の目の傘を持ち、傘の柄を手前にして広げ置く。傘の横の方からにゅーっと顔を出し、かたつむりのように頭を振る。そうして、二三度伸び縮みをしながら、ゆっくりと動く。(『宴会お座敷芸』の演目説明文要約)

バックミュージックは時代によってさまざまで「傍の人に狂言の『蝸牛』の文句を歌ってもらうものです」と高度な教養を要求するものがあれば、「歌はもちろん、でんでん虫虫、かたつむり、お前の頭はどこにある~」と決めつけるものもあります。

ともあれ、音は何かしら必要だということは、すべての文献が教えてくれるところです。

「なぜ、カタツムリなんかにならなくてはいけないのですか?」という質問を受けることがあります。これはとても重要なポイントです。実は「カタツムリ」は地球でも有数の宴会芸向きな生き物なのです。


カタツムリは「のろまで」「醜くて」「弱い」生き物として有名です。すなわち、カタツムリになることで、記号的に「へりくだり」の姿勢を伝えることができるのです。

「へりくだり」の重要性は日本でビジネス経験がある人であれば、すぐにピンとくることでしょう。名刺を互いに下から出そうとして小競り合いをしたり。煙草を吸わないのに喫煙所に同行したり。タクシーで来たことを隠すために少し離れた場所で下車したり。日本のビジネスパーソンは「へりくだり」のために忙殺されていると言っても過言ではありません。

宴席で「カサつむり」を演じることほどシンプルに、力強く、へりくだれる行為は他にはありません。「百獣の王、ライオン」という宴会芸で現れる人と、「カサつむり」で現れる人のどちらに好感を持つか? 答えは明らかだと思います。

これこそ、この演目が20世紀という激動の時代を生き抜いた最大の理由と言われています。


老若男女誰がやっても、それぞれの味が出るというのもこの芸の大きな魅力です。若い女性の「カサつむり」出世頭の「カサつむり」セクハラで処罰された人の「カサつむり」。どれも、味わい深いものです。

私自身も要所要所で取り組んできた芸の一つであります。

先日も知人の出版記念パーティで登壇した際に「退場芸」として披露しました。かなり大きいホールだったのですが、会場全体から温かい拍手をいただき、古典芸の持つ力の大きさに改めてハっとさせられました。





2 逆にキツネに化けてみる 狐歩行

古来、日本人はキツネに化かされてきました。

伝存する最古の正史である『日本書紀』に「キツネが女に化けて、結婚して、子供を作った話」が登場するのを皮切りに、キツネが化けて、いたずらしたり騙したりする話は、あらゆる民話に登場します。

『宴会お座敷芸』に登場する「狐歩行」は、そんなキツネに「化ける」演目です。

方法論はただ一つ。

両足の爪先をことごとく内へまげて歩く。

そんなことで?と訝る人は、まず、やってみましょう。
畳の上で水泳の練習ができないように、実践なくして宴会芸の習得はありません。


はい、2秒で狐に化けることができました。

このポーズをなぜキツネらしく感じるのか? 実は、科学的にはまだ解明されていません。

「狐歩行とは、さんざんキツネに化かされてきた人間が、キツネに仕返しをするために編み出した術である。」というロマンチックな説を個人的には支持しています。

横から見ても非常にキツネらしくなります。


ちなみに『宴会お座敷芸』の説明文中では、

少しく難しい歩行法だが、やる時にはよく注意してやらないといけない、畳の上でも板の間でも出来る、このやり方は、両足のつま先をことごとく内に曲げて歩く。歩けさえすればそれで勝つが、中々そう歩けるものではない。ただ注意するのは、つま先を曲げて歩く時によく注意をしてください。(一部仮名遣い等改変)

「よく注意してやりなさい」と短い文中で3回言ってます。やる時にはよく注意をしてください。それにも関わらず「歩けさえすればそれで勝つ」とあることから、狐歩行で競走をする「やんちゃなキツネたち」が明治の宴席にたくさんいたことが分かります。


「狐歩行」は記念撮影のポーズでも使えることが知られています。旅の思い出の一枚に、使ってみてはいかがでしょうか。


温泉旅行にて:研究員の個人研究より 遠くから見てもキツネである


3 神秘のゲーム型宴会芸 羅漢だ羅漢だ!

宴会芸の中には、みんなで楽しむゲームも含まれます。

遊ぶ人が楽しいのはもちろん「(滑稽なので)周りで見ている人も楽しい」というのがゲーム型宴会芸です。昨今の結婚式の二次会でも散見される「哺乳瓶で早飲み対決」のようなものも、ゲーム型宴会芸に分類されます。

「羅漢だ羅漢だ」は江戸時代から存在する、その代表的な演目です。

まずは概要を説明するため『宴会お座敷芸』から当該箇所を引用します。

一座の人数は何人でもよく、この遊びは五百羅漢の色々な像にある身振りをするので、一座の人々は口々に「羅漢だ羅漢だ」と囃子立てれば、一座は羅漢にある身振りをちょっとして見せるのです。その中に、一度やった身振りが出る。その時には、それをやった人が罰杯を受けるのです。羅漢の真似が最もうまく出来る人が賞を受けるのであります。(一部仮名遣い等改変)

つまりは、こういうことです。

「羅漢だ羅漢だ!」



「羅漢だ羅漢だ!」



「羅漢だ羅漢だ!」


↑罰杯!

「羅漢だ羅漢だ!」


↑素晴らしい!!!

あるいは、こういうことです。

「羅漢だ羅漢だ!」


↑全員、セーフ!

「羅漢だ羅漢だ!」


↑左の二人、罰杯!

いかがでしょうか。

羅漢が見た目に滑稽であり、お酒もどんどん飲むことになるので、非常に盛り上がりそうなゲームですね。しかし、冷静に考えると。このような疑問を持つ人も多いのではないでしょうか。

「このゲームを遊ぶためには、プレイヤーも観客も、五百羅漢像の全ポーズを記憶する必要があるのではないだろうか。そうでなければ、賞も罰杯も与えることができないのではないだろうか?」

その通りです。

宴会芸学会でも、若手研究者から「羅漢だ羅漢だをやりましょう!」という声が上がり、やってみることが間々あります。しかし、このゲームができるほどの羅漢の教養を持っているのは、学会の中でも私くらいなこともあり、ただのポーズ大喜利に終始している現実があります。

このように、非常に敷居の高いゲームなのですが『宴会お座敷芸』以外にもいくつもの文献で「人気のゲーム」として登場することも、また事実なのです。

20世紀を通じて、庶民はどのようにして「羅漢だ羅漢だ」を遊んできたのか? 私自身、今後の研究の中で明らかにしていきたい重要なテーマの一つです。

※読者の中に「羅漢だ羅漢だ」を遊んだことがある方がいましたら、enkai.gakkai@gmail.comまでご一報頂けますと幸いです。

コラム:ゲーム型宴会芸いろいろ

宴会芸とゲームは切っても切れない関係にあります。

実は、『宴会お座敷芸』で紹介されている全202個の演目のうち、半分以上がゲーム型宴会芸に分類できます。70年代には「福引き」だけを紹介する宴会芸本も出版されていますし、80年代の宴会芸を語る上で「バスの中でやるゲーム」は欠かせません。


『宴会お座敷芸』 目次

「ゲームとゲーム型宴会芸は何が違うのか?」を明らかにしておく必要があるでしょう。

例えば、「ビンゴ」はゲームですが宴会芸ではありません。しかし「ビンゴ」を宴会芸化した「ビンゴマン」という演目があります。


[ビンゴマン]
司会者が自らの素肌に1~75の数字を書き、上から銀箔を貼る。参加者は前に出て、一人一枚ずつ銀箔を剥がし、下から出てきた数字を読み上げる。つまり、ビンゴ特有の抽選の仕組みの中にスキンシップの要素を盛り込んでいる。同窓会など、旧交を温める場面で活躍するゲーム型宴会芸。






高校の同窓会にて:研究員の個人研究より

「ビンゴ」と「ビンゴマン」の違いは、そこに滑稽な人間がいるか、ということです。

同窓会を盛り上げたい一心で自ら半裸のビンゴの化身となった司会者。30歳を過ぎているにも関わらず、肌にこびりついた銀箔を剥がす羽目になった同級生たち。その様子をじっと眺める子どもたち。その、すべてが滑稽です。

つまり、遊んでいる人が楽しいだけでなく「(滑稽なので)周りで見ている人も楽しい」ということが、ゲーム型宴会芸の定義なのです。

さて、ここでは『宴会お座敷芸』の中に登場する、ゲーム型宴会芸をいくつか紹介いたします。どれも現代でも遊べるものばかりなので、飲み会で誰が支払うか?を決める時などに使ってみてはいかがでしょうか。(火を使う演目もあります。火の始末にはくれぐれもご注意ください。)


[片足で火を消す]
寝そべって、足で扇子を持ち、蝋燭の火を消すまでのタイムを競うゲーム。足は扇子を扱う構造になっていない、ということがよくわかります。


[闇のつぶて]
目隠しをして、3回まわって目を回した後、火吹き竹(新聞紙等を丸めたものでも可)で蝋燭の火を消すまでのタイムを競うゲーム。スイカ割りの宴会芸版。見当はずれな方向に一生懸命息を吐く姿がチャーミングであり滑稽です。「闇のつぶて」という無意味に芸術性の高い名前も人気。


[茶碗たたき]
目隠しをして、3回まわって目を回した後、箸で茶碗を叩くまでのタイムを競うゲーム。スイカ割りの宴会芸版。3回まわってみると、宇宙空間に放り出されたような気分になり、茶碗を叩くのなんて不可能なのではないか?と思います(酔っぱらっていることも大きい)。それだけに、叩けた時のチーンという音は快感。そういった一連の流れが、はたから見ているとかなり滑稽です。


[帽子の指冠り]
床においた帽子を足の指でつまんで、頭に投げてかぶる。何回でかぶれるか?を競う。
明治の紳士達は、帽子を足で投げる遊び心を持っていたのです。「できるわけないだろう」と怒りたくなるような高難易度ゲームです。これを一発で決めるような人を、痛快男子と呼んだのでしょう。


[こよりの指引き]
こよりを親指と小指ではさみ、2人で引き合う。手を離した方が負け。どれだけ握力に自信がある人でも、親指と小指で力を込めるのは難しいはず。集中力を一瞬でも切らした方が負ける、緊張感溢れる精神戦なのです。そうは思えない見た目のチープさが、この宴会芸をさらに魅力的にしています。


[叩き合いの相撲]
畳二畳を土俵として、目隠しをした2人が新聞紙を丸めた棒で殴り合う。土俵から出たら負け。「新聞紙だから痛くない」という安心感を前提に、「目隠しをしている」「酔っぱらっている」ことで自制が効かなくなり、大の大人が本気で叩き合うのが、はたから見ていて大変滑稽です。「出世に差がついた同期」「過去に職場恋愛が噂になった2人」など、ストーリーがある組み合わせにすると、より一層盛り上がることでしょう。



4 腹筋ショー 額の水茶碗

『宴会お座敷芸』のはしがきに、

素人にも出来るべき面白きもののみを選んでこれ一巻を成したり

とあるように、宴会芸とは素人のためのものです。

「素人」もいろいろです。歌も踊りもなんでもござれ、の芸達者な人もいれば。人前に立つだけで頭が真っ白になる人もいるでしょう。「額の水茶碗」は、不器用な人・プレッシャーに弱い人でも安心して取り組める演目です。

『宴会芸お座敷』によると、

仰向きに足を延ばして長く寝たる、その人の額に、茶碗に水を七・八分目に入れて載せ、水を少しでもこぼさないように起き上がれば、今度は又寝るのである。水を少しでもこぼすときは負けとなるのですが、これは熟練さえすればうまくできる。茶碗はなるべく口の広がったる方がやりにくい、飯茶碗なぞは、最もおかしみがある。これをやり損じた時には、茶碗の水が顔や着物にかかるのが、観客をして最も面白きを感じさするのです。(一部仮名遣い等改変)

早速、「飯茶碗なぞ」に水を入れて、やってみましょう。


額(身体の先端)に水茶碗を置くことで、重さが十倍近くに感じられて「水を少しでもこぼさないように起き上がる」ことが途方もない苦行と感じられるでしょう。そうです、それこそ、テコの原理です。


そして、「今度はまた寝るのです」。この辺りから、腹筋が悲鳴をあげて、ぷるぷると震えてくるでしょう。それにも関わらず、頭が地面につく直前でまた折り返し「水を少しでもこぼさないように起き上がる」のです。「水をこぼしたくない」と強く願えば願うほど、皮肉なもので腹筋の悲鳴は激しくなります。

以上を「(茶碗をひっくり返し)水が顔や着物にかかる」まで繰り返す。これが、この芸の流れです。当人はただ苦しんでいるだけですが、はたから見ると、とても滑稽な「腹筋で演じるコミカルなショー」なのです。

脳を使わずに演じるものなので、自意識やプレッシャーとは無縁です。宴会芸に苦手意識のある人。過去にトラウマを抱えている人などは、まずはこの芸から始めてみてはいかがでしょうか。



5 おめでとう、のメガ盛り 松づくしの踊り

「おめでとう」という言葉は他者の幸福を祝う、とても美しい日本語です。

子どもの世界は「おめでとう」に溢れています。「お誕生日おめでとう」「あけましておめでとう」「クリスマスおめでとう」。子どもたちは純粋な気持ちで「おめでとう」を言うことができます。

しかし、大人の「おめでとう」は難しい。妙齢の女性への「結婚おめでとう」。同期社員への「昇進おめでとう」。ママ友への「お受験合格おめでとう」。言葉ではお祝いをしているつもりでも、目の奥で笑えていないことが多いと思います。

これを解決するために江戸時代に生まれたのが、「祝賀宴会芸」のジャンルです。「おめでとう」を言葉ではなく身体表現で表すことで、「ニュアンス」や「含み」を排除して祝意を伝えることができます。その筆頭として挙げられるのが「松づくしの踊り」です。『宴会お座敷芸』によると、

座敷の真ん中にたって、一本の扇の要をくわえ、一本は足の指先にはさみ、一本ずつ両手にみな扇を開いて、足の扇は上げて縮める。そうして端唄の松づくしを歌わせながら、一つ所に居て身振りをするのです。これは、熟練さえすれば五本でも六本の扇でも使える。(一部仮名遣い等改変)


「松」は不老長寿の象徴であり、非常におめでたい木です。そんな「松」が描かれた扇子を、頭・口・両手・足につけて踊る。「おめでとうのメガ盛り」とでも言うべき舞踏なのです。これだけやって、祝意が伝わらないはずがありません。


これまで紹介してきた演目と少し違うのは、寄席や郷土芸能の世界にプロとして取り組んでいる人もいる、と言う点です。プロの「松づくし」は松の数が常軌を逸してます。 


松葉家奴・喜久奴 による松づくし

ここまでやると、準備・片付けがあまりに大変です。大変すぎて、最近あまり寄席では演じられない、という本末転倒な話も聞いております。

個人でできる範囲でも、十分祝意は伝わります。昨年、私が若い友人の結婚式にお呼ばれして、松づくし(新郎の名前が「岳(がく)」だったので韻を踏んで「岳づくし」にしました。)を演じた際の記録を、参考までに掲載しておきます。


読者の中に、結婚式の余興として「アイドルグループの歌や踊り」「トリセツの替え歌」「フランダス」などを準備している人がいるかもしれません。ここまで読んでいたら、もう、お分かりかと思いますが。あえて、質問させてください。

「その芸で祝意は伝わりますか?」

もし、伝わらないと思うのであれば。今からでも遅くありません。「松づくし」への変更を提案してみてはいかがでしょうか。

「深く本書によって練習すれば、ある意味においての喝采は請合い申すと公正証書ならねど、看板に偽りなきこと序言よって件の如し」です。












6 明治宴会芸の到達点 鼻毛の曲藝

週刊少年ジャンプに2001年~2007年まで連載された『ボボボーボ・ボーボボ』という作品をご存知でしょうか。

マルハーゲ帝国の皇帝が、人類を丸坊主にするべく結成した「毛狩り隊」から、人類の髪の毛の自由と平和を守るため、「鼻毛真拳」の使い手である「ボボボーボ・ボーボボ」が戦う。

というストーリーの漫画です。当時の少年少女たちは「鼻毛で闘う」新しいヒーローに熱狂しました。鼻毛には、ほどよい不潔さと間抜けさがあり。強い喜劇性があることは知られていました。しかし、大便・小便・放屁ほど身近ではないため(少年少女にあまり鼻毛が生えていない、という点が大きいと思います)漫画やアニメで大きく取り上げられることはありませんでした。

だからこそ、『ボボボーボ・ボーボボ』は衝撃的でした。極めてシュールな内容にも関わらず、全28巻/700万部が発行されていることからも、少年少女たちが鼻毛真拳に夢中になったことがうかがい知れると思います。

このように、漫画界が鼻毛を発見したのは2001年ですが、実はその90年以上前から、鼻毛を題材にした宴会芸は発明されていました。その宴会芸こそ、明治宴会芸の到達点と言われる名作「鼻毛の曲藝」です。

あまりにも衝撃的な内容なので、『宴会お座敷芸』より全文引用いたします。

鼻毛の曲藝

これはすべて手真似と身振りで芸をやるので、まず、自分の鼻毛を伸ばすように見せて、鼻の穴から一本ずつの鼻毛を手繰りだし、それを、よる真似をし、その両端を柱に結び付ければ、また一本の鼻毛を手繰り出し、更に身振りをして、綱渡りをする。まず最初に口上を言う時に、片足渡りとか、綱渡りのやる芸を言って置きそれをやるのだ。その時は三味線は軽業の時に弾く相方を用いる、すっかりとその芸をやるしまってから綱も襷の紐も、三味線の相方で元に返して鼻の穴に入れて、今度はまた最初に一本あとから一本を手繰り出して、鼻の上に立てたり、額の上に立てたり、して様々のおかしみをやる、これはほんの手真似だけで、ないのをあるように見せなれけば、本当のおかしみがないから、そのつもりでやるが好いのです。


鼻毛の手繰り出し


鼻毛の綱渡り

鼻毛を出し、こよりをつくり、綱にして、綱を渡る。そしてまた、鼻の中にしまい。また出して、鼻の上に立てたり、頭の上に立てたり、様々なおかしみをやる。

全ての要素に無駄がなく、無駄なことばかりです。


「鼻毛の曲藝」は、徹底してナンセンスな世界観と、複数の芸が集まって一つの芸を構成している複雑さで同時代の他演目との間に一線を画しています。それこそ、明治宴会芸の到達点と言われる所以です。この系譜は、次の時代の「アヴァンギャルド宴会芸」へと引き継がれていきます。


次回、第2回は「20世紀宴会芸史(下)」です。60~70年代を象徴するアヴァンギャルド宴会芸、80年代に登場するインスタント宴会芸の数々を余すところなくご紹介します。

日本宴会芸学会・公式Facebookページ:https://facebook.com/enkaigei/

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飲むことについての原稿をよく書いていたりするので、酒場に詳しいと思われることが多い。でも実は、一人で酒場に行けなかったりするのだから、酒飲みとしては半人前だ。家で一人飲みするのは好きなのだが、一人で酒…

Neverland Diner 二度と行けないあの店で 28『東京ヒルトンホテル オリガミ』篠崎真紀(イラストレーター)

父親の仕事の関係で、子供のころはよく赤坂の東京ヒルトンホテルに行っていた。家族4人で年末から新年にかけ宿泊して、隣の日枝神社に初詣にいくことも多かった。ヒルトンホテルは1963年、日本初の外資系ホテル…

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BOOKS

ROADSIDE LIBRARY
天野裕氏 写真集『わたしたちがいたところ』
(PDFフォーマット)

ロードサイダーズではおなじみの写真家・天野裕氏による初の電子書籍。というか印刷版を含めて初めて一般に販売される作品集です。

本書は、定価10万円(税込み11万円)というかなり高価な一冊です。そして『わたしたちがいたところ』は完成された書籍ではなく、開かれた電子書籍です。購入していただいたあと、いまも旅を続けながら写真を撮り続ける天野裕氏のもとに新作が貯まった時点で、それを「2024年度の追加作品集」のようなかたちで、ご指定のメールアドレスまで送らせていただきます。

旅するごとに、だれかと出会いシャッターを押すごとに、読者のみなさんと一緒に拡がりつづける時間と空間の痕跡、残香、傷痕……そんなふうに『わたしたちがいたところ』とお付き合いいただけたらと願っています。

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ROADSIDE LIBRARY vol.006
BED SIDE MUSIC――めくるめくお色気レコジャケ宇宙(PDFフォーマット)

稀代のレコード・コレクターでもある山口‘Gucci’佳宏氏が長年収集してきた、「お色気たっぷりのレコードジャケットに収められた和製インストルメンタル・ミュージック」という、キワモノ中のキワモノ・コレクション。

1960年代から70年代初期にかけて各レコード会社から無数にリリースされ、いつのまにか跡形もなく消えてしまった、「夜のムードを高める」ためのインスト・レコードという音楽ジャンルがあった。アルバム、シングル盤あわせて855枚! その表ジャケットはもちろん、裏ジャケ、表裏見開き(けっこうダブルジャケット仕様が多かった)、さらには歌詞・解説カードにオマケポスターまで、とにかくあるものすべてを撮影。画像数2660カットという、印刷本ではぜったいに不可能なコンプリート・アーカイブです!

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ROADSIDE LIBRARY vol.005
渋谷残酷劇場(PDFフォーマット)

プロのアーティストではなく、シロウトの手になる、だからこそ純粋な思いがこめられた血みどろの彫刻群。

これまでのロードサイド・ライブラリーと同じくPDF形式で全289ページ(833MB)。展覧会ではコラージュした壁画として展示した、もとの写真280点以上を高解像度で収録。もちろんコピープロテクトなし! そして同じく会場で常時上映中の日本、台湾、タイの動画3本も完全収録しています。DVD-R版については、最近ではもはや家にDVDスロットつきのパソコンがない!というかたもいらっしゃると思うので、パッケージ内には全内容をダウンロードできるQRコードも入れてます。

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ROADSIDE LIBRARY vol.004
TOKYO STYLE(PDFフォーマット)

書籍版では掲載できなかった別カットもほとんどすべて収録してあるので、これは我が家のフィルム収納箱そのものと言ってもいい

電子書籍版『TOKYO STYLE』の最大の特徴は「拡大」にある。キーボードで、あるいは指先でズームアップしてもらえれば、机の上のカセットテープの曲目リストや、本棚に詰め込まれた本の題名もかなりの確度で読み取ることができる。他人の生活を覗き見する楽しみが『TOKYO STYLE』の本質だとすれば、電書版の「拡大」とはその密やかな楽しみを倍加させる「覗き込み」の快感なのだ――どんなに高価で精巧な印刷でも、本のかたちではけっして得ることのできない。

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ROADSIDE LIBRARY vol.003
おんなのアルバム キャバレー・ベラミの踊り子たち(PDFフォーマット)

伝説のグランドキャバレー・ベラミ・・・そのステージを飾った踊り子、芸人たちの写真コレクション・アルバムがついに完成!

かつて日本一の石炭積み出し港だった北九州市若松で、華やかな夜を演出したグランドキャバレー・ベラミ。元従業員寮から発掘された営業用写真、およそ1400枚をすべて高解像度スキャンして掲載しました。データサイズ・約2ギガバイト! メガ・ボリュームのダウンロード版/USB版デジタル写真集です。
ベラミ30年間の歴史をたどる調査資料も完全掲載。さらに写真と共に発掘された当時の8ミリ映像が、動画ファイルとしてご覧いただけます。昭和のキャバレー世界をビジュアルで体感できる、これ以上の画像資料はどこにもないはず! マンボ、ジャズ、ボサノバ、サイケデリック・ロック・・・お好きな音楽をBGMに流しながら、たっぷりお楽しみください。

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ROADSIDE LIBRARY vol.002
LOVE HOTEL(PDFフォーマット)

――ラブホの夢は夜ひらく

新風営法などでいま絶滅の危機に瀕しつつある、遊びごころあふれるラブホテルのインテリアを探し歩き、関東・関西エリア全28軒で撮影した73室! これは「エロの昭和スタイル」だ。もはや存在しないホテル、部屋も数多く収められた貴重なデザイン遺産資料。『秘宝館』と同じく、書籍版よりも大幅にカット数を増やし、オリジナルのフィルム版をデジタル・リマスターした高解像度データで、ディテールの拡大もお楽しみください。
円形ベッド、鏡張りの壁や天井、虹色のシャギー・カーペット・・・日本人の血と吐息を桃色に染めあげる、禁断のインテリアデザイン・エレメントのほとんどすべてが、ここにある!

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ROADSIDE LIBRARY vol.001
秘宝館(PDFフォーマット)

――秘宝よ永遠に

1993年から2015年まで、20年間以上にわたって取材してきた秘宝館。北海道から九州嬉野まで11館の写真を網羅し、書籍版では未収録のカットを大幅に加えた全777ページ、オールカラーの巨大画像資料集。
すべてのカットが拡大に耐えられるよう、777ページページで全1.8ギガのメガ・サイズ電書! 通常の電子書籍よりもはるかに高解像度のデータで、気になるディテールもクローズアップ可能です。
1990年代の撮影はフィルムだったため、今回は掲載するすべてのカットをスキャンし直した「オリジナルからのデジタル・リマスター」。これより詳しい秘宝館の本は存在しません!

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捨てられないTシャツ

70枚のTシャツと、70とおりの物語。
あなたにも〈捨てられないTシャツ〉ありませんか? あるある! と思い浮かんだあなたも、あるかなあと思ったあなたにも読んでほしい。読めば誰もが心に思い当たる「なんだか捨てられないTシャツ」を70枚集めました。そのTシャツと写真に持ち主のエピソードを添えた、今一番おシャレでイケてる(?)“Tシャツ・カタログ"であるとともに、Tシャツという現代の〈戦闘服〉をめぐる“ファッション・ノンフィクション"でもある最強の1冊。 70名それぞれのTシャツにまつわるエピソードは、時に爆笑あり、涙あり、ものすんごーい共感あり……読み出したら止まらない面白さです。

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圏外編集者

編集に「術」なんてない。
珍スポット、独居老人、地方発ヒップホップ、路傍の現代詩、カラオケスナック……。ほかのメディアとはまったく違う視点から、「なんだかわからないけど、気になってしょうがないもの」を追い続ける都築響一が、なぜ、どうやって取材し、本を作ってきたのか。人の忠告なんて聞かず、自分の好奇心だけで道なき道を歩んできた編集者の言葉。
多数決で負ける子たちが、「オトナ」になれないオトナたちが、周回遅れのトップランナーたちが、僕に本をつくらせる。
編集を入り口に、「新しいことをしたい」すべてのひとの心を撃つ一冊。

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ROADSIDE BOOKS
書評2006-2014

こころがかゆいときに読んでください
「書評2006-2014」というサブタイトルのとおり、これは僕にとって『だれも買わない本は、だれかが買わなきゃならないんだ』(2008年)に続く、2冊めの書評集。ほぼ80冊分の書評というか、リポートが収められていて、巻末にはこれまで出してきた自分の本の(編集を担当した作品集などは除く)、ごく短い解題もつけてみた。
このなかの1冊でも2冊でも、みなさんの「こころの奥のかゆみ」をスッとさせてくれたら本望である。

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独居老人スタイル

あえて独居老人でいること。それは老いていくこの国で生きのびるための、きわめて有効なスタイルかもしれない。16人の魅力的な独居老人たちを取材・紹介する。
たとえば20代の読者にとって、50年後の人生は想像しにくいかもしれないけれど、あるのかないのかわからない「老後」のために、いまやりたいことを我慢するほどバカらしいことはない――「年取った若者たち」から、そういうスピリットのカケラだけでも受け取ってもらえたら、なによりうれしい。

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ヒップホップの詩人たち

いちばん刺激的な音楽は路上に落ちている――。
咆哮する現代詩人の肖像。その音楽はストリートに生まれ、東京のメディアを遠く離れた場所から、先鋭的で豊かな世界を作り続けている。さあ出かけよう、日常を抜け出して、魂の叫びに耳を澄ませて――。パイオニアからアンダーグラウンド、気鋭の若手まで、ロングインタビュー&多数のリリックを収録。孤高の言葉を刻むラッパー15人のすべて。

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東京右半分

2012年、東京右傾化宣言!
この都市の、クリエイティブなパワー・バランスは、いま確実に東=右半分に移動しつつある。右曲がりの東京見聞録!
576ページ、図版点数1300点、取材箇所108ヶ所!

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東京スナック飲みある記
ママさんボトル入ります!

東京がひとつの宇宙だとすれば、スナック街はひとつの銀河系だ。
酒がこぼれ、歌が流れ、今夜もたくさんの人生がはじけるだろう、場末のミルキーウェイ。 東京23区に、23のスナック街を見つけて飲み歩く旅。 チドリ足でお付き合いください!

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