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バックナンバー:2024年07月17日 配信号 収録

design 刺青絵師・毛利清二の世界

京都・二条城近くの路地裏にある小さな博物館・おもちゃ映画ミュージアムで、5月1日から「毛利清二の世界 映画とテレビドラマを彩る刺青展」という興味深い展示が開催されている。新聞や週刊誌でも記事が出たので、もう見てきたひともいるかもしれないが、僕はつい最近まで気がつかず、7月28日の閉幕に間に合うようあわてて京都に行ってきた。

よほどの日本映画や時代劇テレビドラマ・ファンでないと毛利清二という名前はなじみがないかもしれない。

京都在住・現在94歳の毛利清二氏は、東映京都撮影所にて俳優・刺青絵師として40年以上活動してきた。手がけた東映・NET作品は「昭和残侠伝」(4作目以降)、「緋牡丹博徒」、「仁義なき戦い」、「遠山の金さん」シリーズほか多数。毛利氏が独自に編み出した技術と特殊な絵具によって、高倉健や鶴田浩二、藤純子、高橋英樹、松方弘樹、松平健、高島礼子などのスター150名以上、のべ2000名以上の俳優に刺青を描いてきた。
本展では東映太秦映画村・映画図書室協力のもと、毛利氏による刺青下絵、東映株式会社、東映太秦映画村、山本芳美ほかが所蔵する写真、脚本、ポスターなどを映像も交えて、二期に分けて展示する。これらは、1960年代から2000年代にかけての時代を象徴する映画・テレビ時代劇ならびに映画産業の一級資料であり、毛利氏の活動を俯瞰する貴重な企画展となる。
(展覧会フライヤーより)


千本三条から四条大宮に至る斜めの「後院通(こういんとおり)」の東側、路地奥のおもちゃ映画ミュージアム


町家そのままのミュージアム入口


エントランスから館内に進んだ奥が企画展示エリア

ちなみに協力者名にあげられている山本芳美さんは都留文科大学教授、刺青の文化史を専門とする研究者であり今回の展覧会で発起人・実行委員長をつとめている。

刺青師ではなく刺青絵師。それは映画やテレビの時代劇、任侠ドラマなどに欠かせない、皮膚に描かれた衣装であり小道具でもあるが、これまで脚光が当たることはほとんどないままだった。かつては毛利さんにかぎらず各撮影所に刺青絵師がいたそうだが、その活動は充分に記録されてこなかったし、40年以上にわたって刺青絵師の第一人者として活動してきた毛利清二による下絵なども、これが初めての展覧会となる。「昭和残侠伝」で高倉健の背中を飾った唐獅子も、「緋牡丹博徒」で藤純子の肩口に咲いた緋牡丹も、「遠山の金さん」のクライマックスでお白洲にパッと花開く桜吹雪も、みんな毛利清二の筆が描いた“刺青絵”であるにもかかわらず。


1998年には『刺青絵師 毛利清二自伝』(古川書房刊)という一代記が出版されているが、現在は入手困難。会場の一角には年表が掲示されていたので、自伝に記されたエピソードも挟みながら、まずはその生涯を概観してみよう。

1930年 京都下京区の呉服問屋に産まれる
子どものころから絵を描くのが大好きで、小学校のクレスメートからは「画伯」と呼ばれていた。
1945年 学徒動員を経て、15歳で終戦を迎える
1948年 18歳 友禅の会社に就職
紙の切れ端などに漫画を描いているのを上司が見て、絵を描くのが好きならと意匠部に配属される。そこで友禅の絵描きさんや染め物師さんと仕事をしながら、伝統のデザインなどに造詣を深めていった。
1954年 24歳 会社の人員整理で職を失い、友人の美大生に紹介されて映画のエキストラを始める
1955年 25歳 マキノ真三プロデューサーの紹介で東映京都撮影所に入所する。近衛十四郎の付き人になる。のちに剣会に入会
東映専属のエキストラになってからは、おもに時代劇の立ち回りで起用されるようになり、立ち回り専門役者を育てる組織の「剣会」に入会を許され、厳しく鍛えられた。近衛十四郎は戦前から戦後にかけて活躍した時代劇俳優。華麗な殺陣で知られる。その息子が松方弘樹と目黒祐樹兄弟。
1958年 28歳 テレビドラマ『風小僧』にレギュラー出演
1964年 34歳 『監獄博徒』や『博徒対テキ屋』(以上、小沢茂弘監督)など東映任侠映画で刺青を描くようになる
前年(63年)の『人生劇場・飛車角』(鶴田浩二主演)あたりから東映の任侠映画路線がスタート。時代劇の賭場シーンで、同僚の俳優たちの腕に花札やドクロを遊びで描いていたのをプロデューサーが見て、このころから刺青絵師として起用されるようになっていった。


『博徒対テキ屋』©東映 ©毛利清二(1964年)
鶴田浩二に描いた「め組の喧嘩」

1966年 36歳 東映東京撮影所の岡田茂所長の命で東映東京撮影所に派遣され、『昭和残侠伝 血染の唐獅子』(マキノ雅弘監督)で高倉健に「唐獅子牡丹」を描く。以降、「昭和残侠伝」シリーズすべてで刺青を担当する。68年からは藤純子「緋牡丹博徒」シリーズで第1作から刺青を担当する。
それまでクレジットされていなかったのが、「刺青絵師・毛利清二」と肩書が出るようになったのが67年から。マキノ雅弘監督の鶴の一声だったとか。
1967年 37歳 『博奕打ち 一匹竜』(小沢茂弘監督)の準備のために、東京の彫師・山田文三(彫文)の仕事場を見学する
『博奕打ち 一匹竜』は刺青絵師として本格的に仕事を始めたころの作品。当初、越川秀雄という先輩が担当するはずが、越川さんは東千代之助のマネージャーが本職で、しかも撮影所のそばで釜飯屋も開いており、掛け持ちになってしまうので、鶴田浩二の鶴の一声で毛利さんが担当するようになった。
しかしそれまで本物の刺青は見たこともなかったので、勉強のために東京の刺青愛好会である浅草彫勇会を訪ね、彫文さんの仕事場を見学させてもらった。部屋に入ったとたんに「調理場のように、ぷーんと血の匂いが漂ったのをよく覚えています」とのこと。


『昭和残俠伝 人斬り唐獅子』©東映 ©毛利清二(1969年)
高倉健に描いた「唐獅子牡丹」


『昭和残俠伝 血染の唐獅子』予告編(Amazonプライム内 東映オンデマンドで配信中!)
映像内の刺青絵は二代目彫芳作

1970年 40歳 テレビ時代劇『遠山の金さん捕物帳』主演の中村梅之助に「桜吹雪」を描く。以降、NET(のちにテレビ朝日)版「遠山の金さん」全シリーズで刺青を担当
「遠山の金さん」は初代・中村梅之助から市川段四郎、橋幸夫、杉良太郎、高橋英樹と続いてきたが、毛利さんは全員の桜吹雪を担当。同じ桜吹雪でも俳優それぞれの体格や肌の色などにあわせて微妙に描き分けていた。
1974年 44歳 『ザ・ヤクザ』(シドニー・ポラック監督)で刺青を担当する


『The Yakuza』 1974 予告編

1975年 45歳 刺青絵師の仕事を続けながら東映太秦映画村の開村に関わり、以降、映画村の所属となる
1976年 46歳 株式会社東映京都サービスの所属となり、映画村で楽焼屋の主人を務める
1978年 48歳 『柳生一族の陰謀』(深作欣二監督)で三代目将軍家光を演じた松方弘樹の顔のメイクを担当する
1983年 53歳 『鬼龍院花子の生涯』(五社英雄監督)で刺青を描く。株式会社映画村エンタープライズの所属となり、「ロケーションスタジオ」(ロケスタ)と呼ばれる観覧場付きスタジオの配属となる
1984年 54歳 『北の螢』(五社英雄監督)、『修羅の群れ」(山下耕作監督)などの作品を手がける
1985年 55歳 東映京都スタジオを定年退職。フリーランスとなってさらに忙しくなり、全国のスタジオを飛び回る。東宝では「夜叉』(降旗康男監督)に関わる
1986年 56歳 『極道の妻(おんな)たち』(五社英雄監督)を手がける。以降、「極妻」シリーズの多くで刺青を描く
1988年 58歳 『姐御』(鷹森立一監督)、『肉体の門」(五社英雄監督)などの作品を手がける
1991年 61歳 松竹の『陽炎』(五社英雄監督)を手がける。以降、『陽炎Ⅳ』(井上昭監督)まで刺青を担当する


『極道戦争 武闘派』©東映 ©毛利清二(1991年)
火野正平に描いた「張順 水門破り」

1992年 62歳 日本アカデミー賞協会特別賞を受賞
1998年 68歳 『刺青絵師 毛利清二自伝』(古川書房)を出版
1999年 69歳 『残俠』(関本郁夫監督)で刺青を手がける
2003年 73歳 映画の仕事としては最後となる『新仁義なき戦い/謀殺』(橋本一監督)で渡辺謙に刺青を描く


『新 仁義なき戦い/謀殺』©「新 仁義なき戦い/謀殺」製作委員会 ©毛利清二(2003年)
渡辺謙に描いた「不動明王」

2005年 75歳 役者としては最後のテレビドラマとなる『名奉行! 大岡越前』(北大路欣也主演)の第五話に出演
2006年 76歳 『遠山の金さん』第7シリーズ(松平健主演)を手がける。本シリーズが「遠山の金さん」最後の仕事となる
2010年 80歳 東映を卒業。9月24日俳優会館3階にある刺青部屋を退去
2016年 86歳 自宅で資料の整理を始める
2024年 94歳 化粧文化研究者ネットワーク・京都大学映画コロキアム共催「東映・刺青絵師 毛利清二氏に聞く「俳優に刺青を描く」とは」(於・京都大学)で80名近い来場者が集まり大盛況となる。5月1日よりおもちゃ映画ミュージアムにて初の個展を開催


高倉健からもらったというサングラスをかけた毛利清二さん、御年94歳のダンディぶり!(週刊新潮6月20日号より)

展覧会場では年表の最後に記されたトークイベントの映像も流されていて、94歳という年齢が信じられない毛利さんの若々しさにもびっくりするけれど、暗中模索の状態から完全な独学で「刺青絵師」の道を切り開いていった苦労と数々のエピソードにとても興味深いものがあった。

「絵を描くのが好きだったから」というだけのきっかけで、役者をしながら刺青絵師としての人生を歩むことになった毛利さん。絵を描く絵具からして、水性絵の具では汗で流れてしまうので油性の画材を使わなくてはならないけれど、スターがそれでかぶれたり肌荒れになったりしたら大変なので、まずは奥さんの肌で実験。小学生だった息子と娘にも、腕に花や漫画の主人公の絵を描いて外で遊ばせ、動いたり汗をかいたりしても剥げないようにと工夫を重ねていき、油性の舞台化粧品を使うようになった。撮影後にコールドクリームとベンジンで落とすのも奥さんの肌で実験。役者ひとりひとりで体型も肌の色もさまざまなので、それぞれの体型を測って下絵の型紙をつくっておくし、そのひとにあわせた色味を調合して「ボトルキープ」。パレットも使いやすいように鍋の底を板金加工したカスタムメイド。さらに着物を脱いだときに刺青絵がこすれて落ちないように、衣装部と相談して普段の木綿ではなく、肌に抵抗の少なく滑りのいい人絹で下着を作ってもらい・・・・・・。スターはもちろん、立ち回り専門や大部屋役者のひとりまでけっして手を抜かず、常に工夫を重ねていった毛利さんの刺青絵への熱意が、ハダカでからだを委ねなるスターたちの絶大な信頼を勝ち取っていったのだろう。


会場壁面には毛利さんによる達筆の色紙もあった――「スターの美肌(はだ)に 墨(いろ)を流して四十年 肌絵一筋 素見(すけん)して下さい」

映画館やテレビ画面で観る毛利清二の刺青絵は、そのすじの方々や和彫り愛好家にもずいぶん憧れや影響を与えたことだろう。しかし刺青は彫ってからしだいに肌になじんで色が落ち着いていくのに対して、撮影のための刺青絵は肌とのコントラストで鮮やかに浮き出るように描かれるので、発色がずいぶん異なる。また、かつて和彫りの世界では特に赤色のインクに水銀由来の顔料が含まれていたことで肝臓疾患を誘発するとされていて、刺青絵師が描くような鮮やかなデザインは生身のからだでは難しかった。言うなれば刺青絵とはスクリーンでいちばん輝く、肌に貼りついたコスチュームだったのだろう。それも撮影のあいだ毎朝描かれ、毎晩洗い流され、撮影が終われば消え去ってしまう・・・・・・。撮影開始までの時間に仕上げることが至上命題だった刺青絵師の宿命を、トークのなかで毛利さんは刺青絵について「3時間で10の仕事ができるのに、7,8でやめなければならない、その“2”がいつもこころにモヤモヤと残る、その繰り返しでした」としみじみ語っていたのがとりわけ印象に残っている。ちなみにその毛利さんが“会心作”と聞かれて名をあげたのが「高倉健に描いた唐獅子牡丹、松方弘樹の『修羅の群れ』での「雲竜九郎」、『陽炎Ⅳ』で不知火おりんにほどこした高島礼子の「観世音菩薩」」などだった。

毛利清二が刺青絵師として活動を始めた1960年代中期は、東映が時代劇をテレビの世界に移行しつつ、任侠路線へと転換していった時期である。その任侠路線で東映は鶴田浩二や高倉健といったスターを擁して圧倒的な人気を誇ったのだが、1970年代に入ると『仁義なき戦い』(菅原文太主演、1973年)から「実録シリーズ」がスタート。ドキュメンタリー形式の犯罪・猟奇路線に大きく転換していく。藤純子が1972年の『関東緋桜一家』で引退したのがその転換期を象徴しているようだし、日活ロマンポルノが1971年にスタートしたのと同時期に東映も「東映ポルノ」として石井輝男監督によるエログロ路線がブームを巻き起こし、いま再評価が始まっているのもご存じのとおり。

毛利清二はそうした東映を含む日本映画の大転換期に刺青絵師として活動の頂点にあったわけで、今回の展示では触れられていないが、東映最大のポルノスター池玲子の多くの主演作品をはじめ、『徳川セックス禁止令・色情大名』でサンドラ・ジュリアン、『不良姉御伝 猪の鹿お蝶』でクリスチナ・リンドバーグにほどこした刺青も毛利さんの作品であることは、ロードサイダーズとしてはうれしいかぎりだ。


「毛利清二の世界」展入口


壁中に刺青の下絵、映画スチルやメイキングの写真、完成作品のポスターなどが並ぶ


『肉体の門』(1988年)かたせ梨乃、根津甚八の刺青下絵


健さんもお出迎え




こうして並ぶと下絵もそれぞれ絵画作品のよう




展示室中央のテーブル上にも下絵の展示が。俳優のからだにあわせてつくられた型紙に描かれている


大きな図柄だけでなく、ワンポイントの刺青下絵もさまざま




スクリーンではトークイベントの記録動画や、若き日の貴重な密着ドキュメンタリーを常時上映


『鬼龍院花子の生涯』(1982年)の夏木マリにほどこされた、手ぬぐいと猫をあしらった下絵(右下)は、手ぬぐいとなって販売中!

展覧会場となっているおもちゃ映画ミュージアムはもともと友禅の染工場だった古町家を借りて2015年に誕生した。リュミエール兄弟によるシネマトグラフ発明から120年あまり。僕らの知る“映画”の前史とも言える「光学玩具、写真、マジック・ランタン(幻灯機)など、また20世紀初頭に一般家庭で動く映画を楽しんだ手回しの玩具映写機とその映像を中心に展示」(公式サイトより)する施設であり、公共のミュージアムではなく長く映画研究を続けてきた太田米男・文代夫妻が主宰する私設のアーカイブだ。

太田さんによれば、かつて京都では「1万5千本以上」の映画が撮影されてきたが、そのフィルム原版も、関連資料も急速に散逸・消失しているということで、いてもたってもいられぬ思いから私財を投じて9年前に開館にこぎつけた。しかし建物の賃貸契約が来年3月末で終了してしまう。いまは移転とその後の運営について苦慮しているところだそうで(公式サイトで寄附募集中)、「あえて“おもちゃ映画”と名づけたのには、こんなに重要な歴史資料なのにおもちゃ扱いしかされてこなかった憤りを・・・・・・」という嘆きに、京都一流の皮肉が隠されているのかもしれない。展覧会は今月28日までだけれど、そのあとでも京都に行く機会があれば、ぜひ訪ねてみてほしい。8月1日からは昭和30年代を中心としたスターが描かれた団扇約150点を集めた「永本ツカサコレクション展 団扇を彩る銀幕のスターたち」が開催される!


企画展示室手前の常設展示も必見


館長の言う「映画前史」を彩った機器、フィルムなど厖大なコレクションで埋め尽くされた空間


















棚の上を見ると古典名作フィルムがずらり




2階の作業室にあがる階段には訪問者の国ごとにピンを打たれた世界地図があった


失われゆく映画文化の保存に奮闘する太田米男・文代夫妻


毛利清二の世界 映画とテレビドラマを彩る刺青展
~7月28日(水)まで開催中
@京都・おもちゃ映画ミュージアム
https://toyfilm-museum.jp/
(JR・地下鉄二条駅、阪急大宮駅からいずれも徒歩7、8分)


8月1日からはこちら!

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多数決で負ける子たちが、「オトナ」になれないオトナたちが、周回遅れのトップランナーたちが、僕に本をつくらせる。
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書評2006-2014

こころがかゆいときに読んでください
「書評2006-2014」というサブタイトルのとおり、これは僕にとって『だれも買わない本は、だれかが買わなきゃならないんだ』(2008年)に続く、2冊めの書評集。ほぼ80冊分の書評というか、リポートが収められていて、巻末にはこれまで出してきた自分の本の(編集を担当した作品集などは除く)、ごく短い解題もつけてみた。
このなかの1冊でも2冊でも、みなさんの「こころの奥のかゆみ」をスッとさせてくれたら本望である。

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独居老人スタイル

あえて独居老人でいること。それは老いていくこの国で生きのびるための、きわめて有効なスタイルかもしれない。16人の魅力的な独居老人たちを取材・紹介する。
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