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バックナンバー:2024年08月21日 配信号 収録

book 『TOKYO STYLE』と『ゆびさきのこい』

まったくの偶然だが、8月に2冊の新刊がリリースされる。前号までにちょこっとお知らせしたが、一冊はデザイン関係に興味のあるかたならご存じのスペイン・バルセロナの「APARTAMENTO」(アパルタメント)による、1993年に京都書院から刊行された大判の『TOKYO STYLE』を、ほぼそのまま復刊した英語版『TOKYO STYLE』。いったいなぜ2024年になって、30年前の東京の安アパートの写真集を・・・・・・と、お話が来ていらい謎が深まるばかりだったけれど、ついに現実の分厚い写真集が届いて、あらためてびっくり。でも、とりあえずありがたい!

[TOKYO STYLE by APARTAMENTO]


1993年の『TOKYO STYLE』と2024年の『TOKYO STYLE』。30年前のは陽に焼けてすっかり退色したのを一冊持ってるだけ。

本のテキストは英語のみだけど、ここで序文を日本語にしたものを読んでもらえたら、いろいろ説明するより気分をわかってもらえるかと――

TOKYO STYLEの昔といま

TOKYO STYLEが初めて世に出たのは1993年のことだった。当時の日本にはまだバブル経済の余韻が二日酔いの頭痛のように残っていたから、そんなときに安くて狭くて乱雑な部屋を100軒あまりも撮影して、あえて豪華なコーヒーテーブルブックに偽装して出版しようという企画に乗ってくれる出版社があるわけもなく、やむをえず自分で初めて大型カメラを買って、クルマを持っていなかったからスクーターの足元に機材を載せて、2年間以上東京の街を走り回っていたのだった。それが僕の写真家としての出発点になり、そうしてオリジナルの出版から30年以上経って新しいバージョンがヨーロッパでリリースされるというのは、小さな奇跡のような出来事に思われる。


あのころ、バブル経済の落とし子のような異様に豪華な居住空間ばかりがメディアで紹介され、いっぽうバブルの恩恵を受けなかった「安くて狭くて乱雑」な庶民の空間はけっして紹介されることがなかった。世の中の大半がそっちなのに、メディアではそれが隠されているという事実――メジャーとは言えないがマジョリティではある――ことを追いかけていくのが、生涯をかけた自分の仕事だと、このとき僕は悟ったのだった。それから30年過ぎたいまになって、やっぱりメディアの大半はセレブや超富裕層のゴージャスなライフスタイルばかりを見せつけるけれど、それは多くのひとびとの暮らしにとってなんのリアリティもない。もしかしたら30年前よりずっとひどい経済格差が当たり前になっている現在だからこそ、30年前の東京のささやかな生活空間がチャーミングに見えてくるのかもしれない。




いまの若者と当時の若者の部屋の違いってなんですか?とよく聞かれる。写真に写っている部屋にはブラウン管のテレビやパソコンのモニター、FAXマシンや固定電話、ラジカセ、大きなステレオセット、ビデオデッキ・・・・・・いまはほぼ絶滅してしまったものがいっぱい写っている。部屋の壁や床には服が積み上げられていて、それはまだファストファッションが存在しなかった時代に、だれもがいまよりはるかに服を大切に、長く着ていたからだった。極小の台所に食材や食器が詰め込まれているのはUber Eatsがなかったからだし、レコードやカセットテープや本や雑誌があふれているのは、SpotifyもKindleもなくて、気に入ったコンテンツはクラウドではなくすべてローカルに、つまり自分の手元におかなくてはならなかったからだった(まだ携帯電話どころかインターネットも普及してない時代だったのだし)。だからこそ、そういう部屋は住み手それぞれの個性の(巧まざる)ディスプレーだった。2024年のいま、同じような家賃の部屋に住む若者を探して写真を撮らせてもらっても、ずっと薄味というか生活感の希薄なイメージになってしまうのは「このひとがなにを着て、なにを読んで、なにを聴いて、なにをつくって食べてるのか」が、部屋からちっとも見えてこないからだ。






TOKYO STYLEからしばらく経ったころ、小さな雑誌のために「部屋(ヘアー)ヌード」という連載をしたことがあった。これは若者たちの部屋に行って、そこでヌード写真を撮らせてもらうという企画で、日本語で「部屋 HEYA」と(アンダー)ヘアーが同音であることから発想したダジャレのタイトルをつけたシリーズだった。

そのころよく通っていたクラブのスタッフや常連さんたちに声をかけて、毎月ひとりずつ撮影させてもらっていたのだが、「脱ぐのはぜんぜんOKですけど、いまちょっと部屋がぐちゃぐちゃで・・・」とためらうひとが多いのにはびっくりした。彼らにとっては、自分の肉体よりも、自分の生活空間のほうがよほどプライベートなのだと、そのとき気づいたのだった。




音楽や映画はストリーミングで、読書は電子書籍で、それもすべてスマホ1台で、服はファストファッションで何回か着たら捨てて、食事はデリバリーで・・・・・・というライフスタイルで、部屋はいったいどんな個性を帯びることができるだろうか。いま、TOKYO STYLEを見直して、こみ上げてくる懐かしさは、なにもブラウン管のテレビやステレオセットが写っているからではなくて、かつては部屋が住み手の個性のもっとも豊かな表象だったから。それは部屋がひとりひとりのヴンダーカンマーだったからなのだ。
(序文和訳)

1993年に20歳で『TOKYO STYLE』に出会ったとしたら、いま50歳。いったいどんな暮らしをしているのだろう。そして2024年のいま、新版『TOKYO STYLE』を手にするヨーロッパの若者には、この部屋たちがどんなふうに見えるのだろう。もしかして、大好きなアニメに描かれたトーキョーの空間がAIで立ち上がってきたような感覚なのだろうか。そういえば最初に大判の『TOKYO STYLE』が出たとき、よく買ってくれたのが漫画家さんたちで、背景を描く参考にちょうどいいから、と言われたのを思い出す。




アパルタメント版『TOKYO STYLE』はすでにいくつかの書店で販売中。輸入元のtwelvebooksのサイトからも購入いただける。

https://ja.twelve-books.com/products/tokyo-style-by-kyoichi-tsuzuki-unsigned


円安+輸入洋書とあって、税込み16,500円というなかなかのお値段になってしまったけれど・・・・・・まあ30年前の「TOKYO STYLE」だって、たしか12,000円とかだったし。

[ゆびさきのこい Outsider Photography in Japan]

ロードサイダーズやそのほかさまざまな取材で出会ってきた無名の、しかしオリジナリティあふれる写真を撮るひとびと13人を集めた、アウトサイダー・アートならぬアウトサイダー・フォトグラフィのコレクション。フィルムカメラがいいだの、ライカが欲しいだの、銀塩プリントがどうだの、そういうカメラオヤジの趣味世界から遠い場所で、人知れず表現を続ける孤独な長距離走者たちがいて、それを僕らはほとんど知らずにきた。『ゆびさきのこい Outsider Photography in Japan』は、これまでほとんど存在しなかった視点からの、写真表現を見つめ直す作品集になる。


カメラオヤジの壁

1837年にダゲレオタイプ写真が出現してからもうすぐ200年、言うまでもなく現代は史上もっとも大量の写真が日々撮影・公開されている時代だ。
2010年に登場したInstagramは、翌年ハッシュタグを導入したことでインターネット空間をいきなり巨大なバーチャル写真アルバムにつくりかえ、2024年には月間利用者数が20億人、人類の4分の1に達した。Facebookは月間30億人、YouTubeは24億人、TikTokが10億人、ついでに言えばPornhubが34億人(2020年)・・・・・・インターネットとデジタルカメラ(とスマホ)が、この10年かそこらでどれほど映像表現の世界に革命をもたらしたか。いまだその変革のさなかにいる僕らには全貌が見えていない。
エレキギターとアンプが長く退屈な楽器練習という壁を壊したように、新たなテクノロジーはつねに、持たざる者への可能性を拓くチャンスを与えてくれる。もちろんそれは入口に過ぎないけれど、表現への入口の敷居を低くすることがどれほど大切かを、既得権益に守られてきたプロほど認めようとしない。
長いあいだアウトサイダーの表現を追いかけてきて、それが絵画や立体だけでなく、写真を素材にした作品にも広がっていることに気がつくようになった。でも、そうした作品はカメラ雑誌に取り上げられることも、写真専門美術館や画廊の壁面を飾ることもまずない。アウトサイダーやアールブリュットに分類される作家が、障害者支援施設に属していればまだグループ展などで世に出る機会もあるけれど、アウトサイダーとすら認定されない、ただの無名の人間たちは、SNS上に細々と画像をアップしてはネットの大海の波に飲みこまれ消え去っていくだけ。
スマホで撮った写真をSNSで上げているうちに、ちゃんと写真を撮ってみようと思い立つひとがたくさんいる。そこに立ちはだかるのが「カメラオヤジの壁」だ。
「フルサイズの一眼デジカメ」から始まって、「いちどはライカ」「やっぱり銀塩写真」・・・・・・極めつけは写真専門学校。カメラメーカーも写真店も雑誌メディアも最大の顧客はハイエンド・アマチュアなので、高価な機材が優れた写真を生むという誤解を広めようとするし(高いギターがいい音楽を生む、というのと同じで)、写真学校の経営者や先生たちはそこに何年間も学ばないと習得できない「優れた写真家になるための秘密」があると思い込ませようとする。
たしかに、昔は10万円のカメラと100万円のカメラ(というかレンズ)では写りも違ったし、撮影から現像、プリントの暗室作業にもある程度のトレーニングが必要だった(ある程度、だけど)。
でも、そういうのはすでに遠い過去の時代だ。数メートルの巨大プリントを展示するのでもないかぎりフルサイズのデジカメなんて必要ないし、額装されて展示されたら、それがアナログプリントかインクジェットプリントかなんて判別がつかない(僕も自分の展覧会でよく間違われる)。アナログでいちばん得をするのはプリントを売る側のギャラリーで、それは(限定5枚というような)エディションを設定することで、作品価格を高くできるからだ。デジタルプリントにはエディションなんて意味がないから。
そんな依頼は来たことがないけれど、もし写真学校で授業してくれと頼まれたとして、1年間いったいなにを教えたらいいのか僕には見当もつかない。音楽をやりたかったら安いギターを買って曲をつくればいいのだし、ラッパーになりたかったらノートと鉛筆を持って、そのへんに座ってリリックを書けばいい。それだけ。なのにメーカーと小売店と評論家とレッスンプロによるカメラ産業複合体は、いまだに写真表現の敷居を下げるどころか上げておくのに必死なように見える。
ライカのシャッター音や暗室の現像液や定着液の匂いに魅せられる気持ちはわかるが、それは単なるフェティッシュにすぎない。自戒を込めて書くけれど、ひとは往々にして「高い機材を買う」ことで一歩前進と誤解する。実際は1ミリも進んでいないのに。
カメラオヤジが写真談義に興じているあいだに、スマホやコンビニのコピー機で、独自の写真世界を構築する孤独な長距離走者がいる。音楽マニアがアナログレコードの楽しみを楽しく語っているあいだに、だれにも聴いてもらえなそうな音楽をサウンドクラウドに上げつづけるひとがいるように。
写真を“学ぶ”必要なんてない。古今の素晴らしい写真集を見るのも、写真美術館に通うのも楽しいだろうけど、写真を撮りはじめる前にそんなことする必要もない。手近なカメラかスマホを掴んで、外に出て気になるものを撮りまくればいいだけだ。
オリジナルの曲をつくったり、ラップのリリックを書いたりするように、写真も撮ればいい。そうしていま、シャッターを押せば機械のほうで勝手にきちんと撮ってくれるカメラは、思いや衝動がもっともダイレクトに、エモーショナルに表現と結びつく、視覚の楽器になった。
本書はこれまで十数年にわたる採集の途上で出会ってきた、「知られざる名曲」のささやかな記録である。
(序文)

今回は「日本のアウトサイダー・フォトグラフィ」としたが、世界には当然ながらこの何十倍、何百倍の素晴らしいアウトサイダー・フォトグラファーがいる。だってフルサイズのデジタル一眼レフやライカのフィルムカメラを持ってるひとが何万人いるかわかならいけれど、世界にはきょうもスマホで写真を撮ってるひとが何億人もいるのだから。


木原悠介 Yusuke Kihara

1977年生まれ、「カメラマンになったら楽しそう、くらいの軽い気持ちで写大(東京工芸大学)に進学」するも、卒業後に写真業界で働くことはなく、さまざまな仕事に就いてきた。学生時代から卒業後のかなり長い期間に働いていたアルバイトが建物のダクト清掃。ダクトとは、換気扇と建物外部の排気口をつなぐ、排気のためのトンネル。オフィスビル、デパート、駅ビル、工場、どんな建物にもダクトはあって、それはふだん利用者の目には見えない、建築物の血管のような存在である。そして血管が詰まれば病気になって死に至るように、ダクトも定期的に清掃しないと、さまざまなトラブルが建物を襲う。空気の汚れ、空調の非効率化、油の引火によるダクト火災まで。

建物が使われない時間、つまり夜中に、四つん這いになって狭いトンネルを這いずり回りながら、あらゆる種類の汚れを清掃していく、それはとてつもなくハードな仕事で、しかも決して表に出ることのない、都市の陰にうごめく世界だ。そして作業着とヘルメットと防塵マスクに身を固め、ダクトのなかで汗にまみれながら「写ルンです(レンズ付きフィルム)」で撮影されたのが「DUST FOCUS」と名づけたシリーズだった。なんだか近未来感が漂う「ダクト景」だが、木原さんによれば「絵としてみるときれいかもですけど、実際は『トレインスポッティング』の冒頭で、汚い便器の中に吸い込まれちゃう場面があるでしょ、ああいう感覚なんです」! ダクトという、ふだんは見ようとしても見ることのできない、しかも僕らのすぐそばにあるとびきりの異空間。それは、オシャレに装われた都市の日常の、内側に隠されたおぞましきリアリティをべろりと裏返して見せられるような、奇妙でスリリングな視覚体験でもある。
(2014/11/26号「東京のマルコビッチの穴」参照)


北村公 Ko Kitamura

1930年大阪生まれ、画号を「豚山」(トンザン)とみずから名乗る「アマチュア女体カメラマン。超富裕一族に生まれ、高校生のころに画家を目指し東京藝大油画科に入学、小磯良平に師事するも、「いくら絵を描きなぐるよりも、さらに素早く直裁的な」メディアである写真に惹かれるようになって以来、写真ひとすじの生活を送った。絵筆をカメラに持ち替えたのも偶然で、絵のモデルがバカチョンカメラを持っていたのを借りたら、これがおもしろくてハマったという。あとは一気に「アメリカ式物量作戦」で撮りまくり、プリントしまくり。それからほどなくして写真展開催(71年ニコン・サロン)、写真集出版と怒濤の快進撃。当時、細江英光さんに作品を見てもらっていたことがあり、「細江さんは『写真の地位をもっと高めなくてはならない、せめて版画ぐらいまで。君はたくさん撮っているようだが、ただ撮りまくるだけではダメだ』と一点傑作主義で意気込んでおられたが、私はヤミクモに駄作を並べる駄作羅列主義。写真の地位なんか高めて、どうしますねん!という感じだったので、結局、破門されてしまいましたわ」と笑う。

そうやって40年近くにわたり、北村さんは女体写真のケモノ道をひとり歩んできた。基本的に発表することに対して、まったく興味はないまま。ただ女体に遊び、女体に遊ばれ、老いてますます盛んな、ただそれだけの、すばらしく充実した人生を送り、2008年に世を去っている。


大倉史子 Fumiko Okura

1984年生まれ、もともと創作が大好きで高校卒業後、活動を続けられる場所を求めて、埼玉県東松山市の支援施設「川口太陽の家・工房集」をみずから選んで2003年から通うようになった。大倉さんは他人とのストレートなコミュニケーションが難しく、たいていはみんなと離れて置かれた庭の机などで絵に取り組んでいる。いつもひとりで。ただ、それは「みんなのなかに入っていかない」だけで、すぐそばにはいるという、大倉さんなりの「一緒にいる」ありかたなのかもしれない。

絵を描いている大倉さんの手元には、いつも不思議な写真コラージュのようなものが置かれている。好きなひとなのか、気になるひとなのか、とにかくいろんなひとの顔写真を雑誌などから切り抜いてセロテープで貼り合わせ、マーカーで色をつけ、大小さまざまな不定形のシートにしたものを、大倉さんはダンボール箱に一杯になるくらい持っている。いつもそのいくつかを持ち歩くのと、大きいものは幾重にも折り畳んでいるので、多くはぼろぼろになってしまっているが、大倉さんはそれがどんなに傷んでしまっても、けっして手放そうとしない。作品と言うよりそれは “お守り”のようなものなのかもしれない。
(2019/10/23号「工房集の作家たち2 大倉史子」参照)


mimi

生足あらわな太ももをグッと締めたあいだに挟まれ、醜く顔を歪ませた男たち……。2014年に広尾のお洒落なギャラリーで出会った笑撃的な写真の撮影者であり、太ももの主がmimiさんだった。茨城県古河市出身。高校卒業後、19歳でOLをしながら「男のひとを責めるだけの仕事があります」と出会い系で(笑)誘われて、いきなりフリーの女王様になった。SMには興味すらなかったのに。だからボンデージ・ファッションとか身につけたこともなく、普段着でプレイに行ったり、道具の使い方をお客さんに聞いたりしながら独自のスタイルを確立。たちまち売れっ子になった。

男の顔を挟むようになったのは、M男たちを集めた飲み会を開くようになったころ。「テレビの『めちゃイケ』で中居くんが岡村さんをふざけて挟んでいたのがすごくおもしろくて」やってみたら、「わたし、顔面騎乗が嫌いなんだけど、これなら空気が通って蒸れないし。それで2回めか3回めから写真も撮るようになりました」。2014年の時点で「挟みキャリア」が約8年、挟んだ男たちがすでに300人を超えていたので、いままでいったい何人がmimiさんの太ももを味わったことか。
(2014/1/15号「挟む女」参照、現在「おいでよヘンタイの森」隔週連載中)


井口直人 Naoto Iguchi

1971年三重県生まれ、1987年より名古屋の「さふらん生活園」に通所している。障害のあるひとには自分の好きなもの、お気に入りのアイテムを常に抱え持ち歩くことがよくあるが、井口さんもそのひとり。愛用しているタオル、好きなシール……お気に入りのインスタント麺「中華三昧」は袋を開いてシャツに貼りつけたりもしていた。2003年に施設にコピー機が導入されたときに、「ここに並べてコピーを取ったら好きなものが紙一枚に写せて持ち歩くのに便利だよ」と職員がささやき、さっそく実験開始。好きなアイテムと一緒に顔を入れてみたら、撮ってる最中に揺らしてみたら、と職員と一緒にいろいろ実験しながら、コピー機を操る遊びにハマっていった。当時、施設のコピー機はモノクロ機だったので「あそこのコンビニならカラーコピーができるよ」と、またも職員のささやきにより、井口さんのコンビニ通いが始まる。障害者が店のコピー機をいじり回すのはどうかな、と心配した職員が最初の数年は毎回付き添っていたが、そのうち慣れてひとりで通うように。

井口さんは一年365日、施設の行き帰りに2回、さらにいちど帰宅してから2、300円のお小遣いを補充してもう1回、計3回のコンビニ通いを欠かさない。毎回購入する缶コーヒーや中華三昧の袋、レシート、好きなタレントのグラビア、さらにコピー機に置き忘れただれかの免許証など(いちどは置き忘れの結婚証明書まで!)と、自分の顔を重ねてコピー。ときには排出されたプリントをもういちどトレーに戻して、2度刷りしたりといったワザも習得済み。コピー機という大型で精巧なカメラ兼スキャナー兼プリンターを駆使し、コンビニというコミュニティのハブを舞台に、井口さんはこんなふうに街とたわむれているのだった。


青木大祐 Daiyu Aoki

1974年生まれ、会社勤めで商品企画を担当し、商品を撮る必要に迫られて写真を始めた。40代なかばになって写真専門学校の夜間部に通い始め、制作のテーマを探すうちにカビに出会う。もともと水の表現に興味があり、ゼラチンを使ってなにかできないかと試したのを放っておいたらカビが生えてきて、よく見てみるとおもしろいなと。そこからプリントにカビを重ねるようになったが、最初のうちは部屋中にカビが生えてしまったり。家族の目を盗みつつ試行錯誤を重ねてきた。

制作のプロセスはまず、トレー状の容器にベースとなる写真を貼り、その上に培地としてカビの養分を含ませた寒天を流し込む。そこにさらに写真を重ねてコラージュして、立体感を出す。ただカビの種類や生えかたは偶然性に頼る部分が大きいうえ、日々の変化も急速。セットしてカビが生え始めるのは2週間ほど経ってからだが、そこからは一日ごとに状態が変わっていくので、仕事でどんなに疲れて帰宅しても、夜中に撮影しなくてはならないことがよくあったり。作品の元になる写真はすべてセルフポートレート。いちばんよくわからない存在である自分自身のイメージが、カビによって死の影をまとったり、生えかたによってカビが自然につくったドローイングのように見えてくるのがおもしろいという。


露光零 Rei Tsuyumitsu

『美脚星人』という奇妙な自費出版写真集に出会ったのは2015年だった。いきなり表紙がピンヒール姿の美脚。しかも下半身だけで、上半身がない! それがコラージュかフォトショップかと思いきや、上半身を絶妙の角度に曲げて、それを三脚に据えたカメラを使って自撮りしてるという(写真集の最後にも「これらの写真は修正して上半身を消したのではありません。ポーズや角度を試行錯誤して撮りました」と、ちゃんと記されている)。

その「美脚」の主が露光零。結婚して日本から移り住んだ台北で見つけたセクシー系の服をヤフオクに出品し始めたのが2002年ごろ。そのために自分で着用した写真を撮ってアップするようになったのが、自撮りのきっかけだった。既製品だけでは物足りなくなって、自分でデザインした衣装を生産・販売するのに自分で着て前、後ろ、横から各1枚、それぞれ自撮りをしているうちに、「ヤフオク出品って自己表現なんだと気づいたんです」。美脚星人もそうやって「男性が好きなバックショットのポーズを撮っていたら、偶然上半身が写っていない写真が撮れて、ビジュアルがおもしろいので撮り始めたんです」。衣装を選び、着用し、三脚に据えた一眼レフをセットして、上半身をグッと折り曲げてポーズ。一枚ずつディスプレーを確認しながらの自撮りを、露光さんはいまも続けている。
(2016/4/13号「美脚の自撮り宇宙」参照)


島尻武史 Takeshi Shimajiri

蒸気機関車は高山植物や祭や子どもや動物と並んでアマチュア写真の代表的なテーマ。1939年生まれの島尻さんは子どものころから汽車が大好きで、赤んぼうの時も汽車の音が聞こえると泣き止んだそう。60歳の定年まで38年間を自動車会社のセールスマンとして勤め上げつつ、休みをフル活用して全国各地の鉄道を撮影旅行で訪れ、そのため「家族で正月の年越しをしたことはいちどもなかった」。鉄道写真コンクールにも応募を繰り返し、何度も入賞。ただ汽車が走ってるだけではあまりに変わりばえがないと思うようになって、ちょっと変わった写真を撮りたいと仲間と話していたときに「やっぱり女の子を写真にいれたいな~」とアイデアが浮かび、たまたま鉄道写真仲間の会社の女子社員が協力してくれることになったのが、「島尻ワールド」と仲間たちが呼ぶスタイル誕生のきっかけ。その成果が1998年に自費出版写真集『ロマン汽行 汽車と乙女たち』として発表された。

モデルになってくれる「乙女」たちはすべて自分で調達。列車に乗った隣席の女の子に声をかけては「こんな写真を趣味で撮ってるんです」と説明して住所交換。そのあとすぐに写真をプリントした礼状ハガキを出して文通開始。それで撮影に協力してもらったあとも交流が続いて、茶飲み友達になったり、家族ぐるみで遊んだり、毎年同窓会を開いたりして、何十年もお付き合いが続いているモデルさんがたくさんいる。ちなみに撮影に際してモデル料は払わないし、撮影料も要求しない。おたがい全部ボランティアで、それがこころを通わせる秘訣だそう。


今井次郎 Jiro Imai

美味しそうじゃない食事が、美味しそうに見えない容器に盛られている。箸をつけたくないな~という気持ちのあらわれのように、ご飯におかずを載せて雪だるまみたいな顔をつくってみたり。バナナの皮を皿から伸ばして手足にしてみたり。たわいもない「食べ物あそび」の写真が、実は末期癌の患者が入院中に出される食事を病床で撮影したものと知った瞬間、胸が締めつけられて目が離せなくなる。最初の写真ページには2012年6月21日午前8時48分に食べ始めて、57分に食べ終えた朝食。最後は同年10月9日8時1分の朝食。およそ3ヶ月半の「ミール・アート」が、時系列に沿って淡々と並んでいる。本を包むカバーの薄いピンク色は、病院食のトレーの色だそう。写真はすべて今井さんが愛用の古いタブレットで撮影したもので、いまとなってはとても高精度といえないクオリティだけど、そういうことはどうでもいい。病床に捕らわれ、放射線治療の苦しい日々を過ごしながら、わずかな希望をあの、好きなひとなんてだれもいないであろう病院食に込めざるを得なかった気持ちが伝わってきて、つらいけれどページを繰る手を止められない。

JIROX=今井次郎は1952年東京生まれ、2012年11月、悪性リンパ腫により逝去した。肩書きはいちおう「ミュージシャン、パフォーマー、造形作家」となっていたが、もちろんそんな言葉に収まりきらない振り幅でダイナミックな生を全うしたひとだった。
(2021/4/21号「病床童夢 JIROX MEALSと今井次郎」参照)


北村千誉則 Chiyonori Kitamura

1974年東京生まれ、日常を超望遠レンズで切り取ることで、シュールであったり、滑稽であったり、不穏であったり不条理であったりする非日常的な瞬間を連続写真、あるいは単体の静的イメージとしてInstagram上で発表しつづけている。

2011年、バイト先で倒れてパニック障害を発症。人混みのなかにいられないので、電車もバスも飛行機もひとりでは乗れない。写真を撮ってもラボにフィルムを持って行けず、暗室に入ると過呼吸――「だけど、ファインダーを覗いてるときだけは、パニックのことを忘れてることに気がついたんです。それでリハビリに外を歩きながら――といっても50メートルを20分とか30分かけて歩くんですが――ただファインダーを覗いてシャッターを押す。そういう作業を取り憑かれたように繰り返しました」。
 
だから北村さんにとって写真は表現である前にリハビリだ。「いま使ってるデジカメは望遠側にいっぱいにズームすると最大で600ミリ、デジタルズームも使うと35ミリ換算で2000ミリ以上になる。それでフルHD動画を撮影します。だいたい10メートルとか離れて撮るんですが、5秒から10秒撮ると震えがきちゃうので、家に帰って休む。ほぼ玄関先から外を、というより空気の揺らぎを撮るという感じですね。それをWi-FiでiPhoneに送って、アプリでコマを切り取ってインスタにアップ。色味を直したりするのもインスタの中でやれるし。だから必要なのはカメラとスマホだけ」。フルHDの動画から切り取られた画像は、静止画としてもちゃんと鑑賞に耐えるレベルの画質なので、「これまでシャッターボタンを押したことがなくて。シャッター邪魔なんです笑」。
(2017/8/23号「日常の切断面」参照)


天野裕氏 Yuji Amano

1978年生まれ。種田山頭火を放浪の俳人と呼び、山下清を放浪の画家と呼べるならば、天野裕氏は放浪の写真家である。2017年に出会ったとき、彼は展覧会をせず、写真集の出版もせず、軽自動車に寝泊まりしながら日本中を走り回り、ツイッターで「きょうはこの町にいます」とつぶやき、喫茶店やファミレスやスナックや公園で「客」を待っていた。旅の時間のなかで撮影した写真をコンビニでプリントして束ねた「写真集」をテーブルに置いて。そうしてやってきた客に「一冊千円」で写真集を観てもらう。1対1で。その見物料で食費やガソリン代をまかない、また次の場所に行く。毎日が旅で、毎日が撮影で、毎日が一期一会の極私的な展覧会。そういう生活をずっと続けてきて、愛車の走行距離が20万キロを越えて潰れてから飛行機や新幹線やバス移動に変わっただけで、いまもあいかわらず続いている。

撮影はコンパクト・デジカメと携帯で。撮ったらパソコンで写真の並びとか編集して、セブンイレブンでプリント。「写真やろうと思ったときに、もう隠すのやめようと思って、いろんなこと全部。病気のこともセックスのことも全部出そうと思った。それがおもしろくないなら俺はおもしろくないし、才能ないんだってことにしようって」。20年くらい前に鬱病で初めて精神病院に入って、いまも入退院を繰り返している天野さん。「写真を始めてからずっと写真のこと、それか本読むっていう暮らしをずっとやってて、だから本当に俺にとって写真ってもう、彼女みたいなもんなんですよ。写真がなかったら死んでたんじゃないですか」。
(2017/8/13号「走り続ける眼」2022/8/24号「2022年の天野裕氏」参照、2023年ロードサイド・ライブラリーにて電子写真集『わたしたちがいたところ』刊行)


杉浦篤 Atsushi Sugiura

埼玉県東松山市の支援施設「川口太陽の家」に所属する杉浦篤の膨大な写真群。それはもともとサービス版かもう少し小さいくらいの写真プリントの、表面がすり切れ、角がちぎれ欠けて、丸みを帯びた、イメージの破片だ。こんなふうに写真プリントを加工するなんて、どれだけクレバーな作家なんだろうと思ったら、そうではなくて毎日、毎日写真をいじっているうちに、自然とすり切れ角が欠けて、こんなふうになったのだという。意図してこんな造形にしたのではなくて、「眺めすぎて」こんなかたちになったのだった。
 
杉浦さんは1970年生まれ、現在は川口太陽の家グループの入所施設・太陽の里に暮らしている。かなり重い障害の持主だが、いまは亡きお父さんが元気なころに、毎年夏に連れていってもらった旅行先の記念写真、施設の仲間たちとの集合写真、運動会やお祭りのスナップ、家にいた愛犬・・・・・・そうしたイメージの断片を日々、長い時間にわたって触れ、いつくしむうちに、角張った石片が水の流れで丸石になるように、岩が風化して砂漠の砂粒になるように、丸くかすれたプリントとなって立ちあらわれる。そこにはどれほどの長い時間が積み重ねられてきたことか。自分がいないはずの写真の中にさえ、杉浦さんが見ているものはなんなのか。乳剤が剥がれかけたプリントの表面から、指を伝って杉浦さんの脳内に流れ込むのは、どのようにリアルな感覚なのか。シャッターを押していないだけで、これはまるごとが杉浦さんの「作品」としての写真プリントであり、言い換えれば杉浦さんはカメラの代わりに指先でこの写真を撮っているのだった。


山口慧太郎 Keitaro Yamaguchi

2000年生まれ、京都市在住。山口さんの作品と出会ったのは2021年に京都のギャラリー「art space co-jin」でのグループ展「ゆびさきのこい」だった(そのタイトルを本書にも使わせていただいている)。最初に見たとき、山口さんがなにを写しているのかわからなかったけれど、よく見るとカメラのレンズ面を指が覆ってしまっていて、その指の隙間からわずかな外景や、指の輪郭から滲み出す太陽光が写し取られているのだった。それは普通に見れば「よくある失敗写真」だったが、膨大な数のバリエーションを見ていくうちに、もしかしたらこのひとは写真を撮るのではなくシャッターを押す行為そのものを楽しんでいて、それが本人の意図しないままに「光を撮ること」につながってしまっているのかもしれない、と思うようになった。

毎週1、2回、担当者と一緒にお散歩に出かけるタイミングで付き添いの担当職員から簡易なデジカメを渡され、散歩の終了とともにカメラは回収される。なので、基本的に写し取られた画像そのものに本人は興味がない。デジカメはスイッチをオンにすると鏡胴(レンズ部分)がググッとボディからせり出してくるので、そのレンズ部分をグリップのように左手で握りしめ、右手でシャッターボタンを連打。だいたいは下を向けて持ち歩くので、撮られる写真は足元の地面や、長く伸びる周囲の人影であったりすることが多いけれど、ときたま公園の緑や午後の青空が映り込むこともあって、それは山口さんが顔を上げて、陽光を浴びながら周囲を見回していることを示す。

撮影の設定は軽いJPEGなので、一枚のSDカードで千枚を超えるカットが撮れているはず。これがフィルムカメラだったらまったく不可能なので、山口さんと写真をつなぐ「ゆびさきのこい」は、デジタルカメラだからこそ成立する現代的な恋のかたちなのかもしれない。
(2021/3/10号「ゆびさきのこい」参照)

コンパクトカメラ、写ルンです、スマホ、コンビニのコピー機・・・・・・自分のいちばん身近にある道具を使って、ほかのどこにもない写真を撮るひとがこんなにいる。こんなにというか、もっともっとたくさんいるけれど、これ以上入れると本が分厚くなりすぎるので、第1弾としてこういうふうになっただけ。気持ちとしては第2弾、第3弾とまだまだ出したいし、なにも僕でなくてはできない仕事ではないので、もっと若い編集者にバトンを渡せたらいちばんうれしい。元気なキュレーターが展覧会にしてくれたら、もっとうれしい。


『TOKYO STYLE』と『ゆびさきのこい』刊行記念トーク!


8月22日(木)19:30~ 代官山蔦屋書店 3号館 2階 SHARE LOUNGE
(ZOOM配信もあり)
イベント詳細・ご予約はこちらから:
https://store.tsite.jp/daikanyama/event/art/41926-1647330801.html

『TOKYO STYLE』を中心にトーク予定。もう一冊の「ゆびさきのこい」はこの日に!印刷所から代官山に直接納品なので、できたてホヤホヤの一冊をご覧いただけます。

8月27日(火)はDOMMUNEスナック芸術丸で「ゆびさきのこい」特集! 今回がなんと70回目になるご長寿企画「スナック芸術丸」。こちらもお楽しみに!

スナック芸術丸 8月27日(火)19~21時
DOMMUNE:https://dommune.com/

蔦屋書店は京都店でも9月6日(金)に『ゆびさきのこい』刊行記念イベントが決定。金曜日の夜7時から、関西のみなさまよろしくお願いします!

9月6日(金)19時~21時
@京都蔦屋書店6階SHARE LOUNGE
https://store.tsite.jp/kyoto/event/t-site/42113-1501330809.html

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BOOKS

ROADSIDE LIBRARY
天野裕氏 写真集『わたしたちがいたところ』
(PDFフォーマット)

ロードサイダーズではおなじみの写真家・天野裕氏による初の電子書籍。というか印刷版を含めて初めて一般に販売される作品集です。

本書は、定価10万円(税込み11万円)というかなり高価な一冊です。そして『わたしたちがいたところ』は完成された書籍ではなく、開かれた電子書籍です。購入していただいたあと、いまも旅を続けながら写真を撮り続ける天野裕氏のもとに新作が貯まった時点で、それを「2024年度の追加作品集」のようなかたちで、ご指定のメールアドレスまで送らせていただきます。

旅するごとに、だれかと出会いシャッターを押すごとに、読者のみなさんと一緒に拡がりつづける時間と空間の痕跡、残香、傷痕……そんなふうに『わたしたちがいたところ』とお付き合いいただけたらと願っています。

特設販売サイトへ


ROADSIDE LIBRARY vol.006
BED SIDE MUSIC――めくるめくお色気レコジャケ宇宙(PDFフォーマット)

稀代のレコード・コレクターでもある山口‘Gucci’佳宏氏が長年収集してきた、「お色気たっぷりのレコードジャケットに収められた和製インストルメンタル・ミュージック」という、キワモノ中のキワモノ・コレクション。

1960年代から70年代初期にかけて各レコード会社から無数にリリースされ、いつのまにか跡形もなく消えてしまった、「夜のムードを高める」ためのインスト・レコードという音楽ジャンルがあった。アルバム、シングル盤あわせて855枚! その表ジャケットはもちろん、裏ジャケ、表裏見開き(けっこうダブルジャケット仕様が多かった)、さらには歌詞・解説カードにオマケポスターまで、とにかくあるものすべてを撮影。画像数2660カットという、印刷本ではぜったいに不可能なコンプリート・アーカイブです!

SHOPコーナーへ


ROADSIDE LIBRARY vol.005
渋谷残酷劇場(PDFフォーマット)

プロのアーティストではなく、シロウトの手になる、だからこそ純粋な思いがこめられた血みどろの彫刻群。

これまでのロードサイド・ライブラリーと同じくPDF形式で全289ページ(833MB)。展覧会ではコラージュした壁画として展示した、もとの写真280点以上を高解像度で収録。もちろんコピープロテクトなし! そして同じく会場で常時上映中の日本、台湾、タイの動画3本も完全収録しています。DVD-R版については、最近ではもはや家にDVDスロットつきのパソコンがない!というかたもいらっしゃると思うので、パッケージ内には全内容をダウンロードできるQRコードも入れてます。

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ROADSIDE LIBRARY vol.004
TOKYO STYLE(PDFフォーマット)

書籍版では掲載できなかった別カットもほとんどすべて収録してあるので、これは我が家のフィルム収納箱そのものと言ってもいい

電子書籍版『TOKYO STYLE』の最大の特徴は「拡大」にある。キーボードで、あるいは指先でズームアップしてもらえれば、机の上のカセットテープの曲目リストや、本棚に詰め込まれた本の題名もかなりの確度で読み取ることができる。他人の生活を覗き見する楽しみが『TOKYO STYLE』の本質だとすれば、電書版の「拡大」とはその密やかな楽しみを倍加させる「覗き込み」の快感なのだ――どんなに高価で精巧な印刷でも、本のかたちではけっして得ることのできない。

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ROADSIDE LIBRARY vol.003
おんなのアルバム キャバレー・ベラミの踊り子たち(PDFフォーマット)

伝説のグランドキャバレー・ベラミ・・・そのステージを飾った踊り子、芸人たちの写真コレクション・アルバムがついに完成!

かつて日本一の石炭積み出し港だった北九州市若松で、華やかな夜を演出したグランドキャバレー・ベラミ。元従業員寮から発掘された営業用写真、およそ1400枚をすべて高解像度スキャンして掲載しました。データサイズ・約2ギガバイト! メガ・ボリュームのダウンロード版/USB版デジタル写真集です。
ベラミ30年間の歴史をたどる調査資料も完全掲載。さらに写真と共に発掘された当時の8ミリ映像が、動画ファイルとしてご覧いただけます。昭和のキャバレー世界をビジュアルで体感できる、これ以上の画像資料はどこにもないはず! マンボ、ジャズ、ボサノバ、サイケデリック・ロック・・・お好きな音楽をBGMに流しながら、たっぷりお楽しみください。

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ROADSIDE LIBRARY vol.002
LOVE HOTEL(PDFフォーマット)

――ラブホの夢は夜ひらく

新風営法などでいま絶滅の危機に瀕しつつある、遊びごころあふれるラブホテルのインテリアを探し歩き、関東・関西エリア全28軒で撮影した73室! これは「エロの昭和スタイル」だ。もはや存在しないホテル、部屋も数多く収められた貴重なデザイン遺産資料。『秘宝館』と同じく、書籍版よりも大幅にカット数を増やし、オリジナルのフィルム版をデジタル・リマスターした高解像度データで、ディテールの拡大もお楽しみください。
円形ベッド、鏡張りの壁や天井、虹色のシャギー・カーペット・・・日本人の血と吐息を桃色に染めあげる、禁断のインテリアデザイン・エレメントのほとんどすべてが、ここにある!

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ROADSIDE LIBRARY vol.001
秘宝館(PDFフォーマット)

――秘宝よ永遠に

1993年から2015年まで、20年間以上にわたって取材してきた秘宝館。北海道から九州嬉野まで11館の写真を網羅し、書籍版では未収録のカットを大幅に加えた全777ページ、オールカラーの巨大画像資料集。
すべてのカットが拡大に耐えられるよう、777ページページで全1.8ギガのメガ・サイズ電書! 通常の電子書籍よりもはるかに高解像度のデータで、気になるディテールもクローズアップ可能です。
1990年代の撮影はフィルムだったため、今回は掲載するすべてのカットをスキャンし直した「オリジナルからのデジタル・リマスター」。これより詳しい秘宝館の本は存在しません!

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捨てられないTシャツ

70枚のTシャツと、70とおりの物語。
あなたにも〈捨てられないTシャツ〉ありませんか? あるある! と思い浮かんだあなたも、あるかなあと思ったあなたにも読んでほしい。読めば誰もが心に思い当たる「なんだか捨てられないTシャツ」を70枚集めました。そのTシャツと写真に持ち主のエピソードを添えた、今一番おシャレでイケてる(?)“Tシャツ・カタログ"であるとともに、Tシャツという現代の〈戦闘服〉をめぐる“ファッション・ノンフィクション"でもある最強の1冊。 70名それぞれのTシャツにまつわるエピソードは、時に爆笑あり、涙あり、ものすんごーい共感あり……読み出したら止まらない面白さです。

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圏外編集者

編集に「術」なんてない。
珍スポット、独居老人、地方発ヒップホップ、路傍の現代詩、カラオケスナック……。ほかのメディアとはまったく違う視点から、「なんだかわからないけど、気になってしょうがないもの」を追い続ける都築響一が、なぜ、どうやって取材し、本を作ってきたのか。人の忠告なんて聞かず、自分の好奇心だけで道なき道を歩んできた編集者の言葉。
多数決で負ける子たちが、「オトナ」になれないオトナたちが、周回遅れのトップランナーたちが、僕に本をつくらせる。
編集を入り口に、「新しいことをしたい」すべてのひとの心を撃つ一冊。

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ROADSIDE BOOKS
書評2006-2014

こころがかゆいときに読んでください
「書評2006-2014」というサブタイトルのとおり、これは僕にとって『だれも買わない本は、だれかが買わなきゃならないんだ』(2008年)に続く、2冊めの書評集。ほぼ80冊分の書評というか、リポートが収められていて、巻末にはこれまで出してきた自分の本の(編集を担当した作品集などは除く)、ごく短い解題もつけてみた。
このなかの1冊でも2冊でも、みなさんの「こころの奥のかゆみ」をスッとさせてくれたら本望である。

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独居老人スタイル

あえて独居老人でいること。それは老いていくこの国で生きのびるための、きわめて有効なスタイルかもしれない。16人の魅力的な独居老人たちを取材・紹介する。
たとえば20代の読者にとって、50年後の人生は想像しにくいかもしれないけれど、あるのかないのかわからない「老後」のために、いまやりたいことを我慢するほどバカらしいことはない――「年取った若者たち」から、そういうスピリットのカケラだけでも受け取ってもらえたら、なによりうれしい。

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ヒップホップの詩人たち

いちばん刺激的な音楽は路上に落ちている――。
咆哮する現代詩人の肖像。その音楽はストリートに生まれ、東京のメディアを遠く離れた場所から、先鋭的で豊かな世界を作り続けている。さあ出かけよう、日常を抜け出して、魂の叫びに耳を澄ませて――。パイオニアからアンダーグラウンド、気鋭の若手まで、ロングインタビュー&多数のリリックを収録。孤高の言葉を刻むラッパー15人のすべて。

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東京右半分

2012年、東京右傾化宣言!
この都市の、クリエイティブなパワー・バランスは、いま確実に東=右半分に移動しつつある。右曲がりの東京見聞録!
576ページ、図版点数1300点、取材箇所108ヶ所!

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東京スナック飲みある記
ママさんボトル入ります!

東京がひとつの宇宙だとすれば、スナック街はひとつの銀河系だ。
酒がこぼれ、歌が流れ、今夜もたくさんの人生がはじけるだろう、場末のミルキーウェイ。 東京23区に、23のスナック街を見つけて飲み歩く旅。 チドリ足でお付き合いください!

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