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マーク・ロビンソン

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おかえり TOKYO ATOM vol. 01(文:マーク・ロビンソン)

前号で書いたように、1998年4月、東京タワーの近くにある1950年代開業のロシア料理店「ヴォルガ」で開かれた「TOKYO ATOM」創刊パーティで、僕は緊張しつつスピーチを終えた。そのころ、みるくはオープンから3年目を迎えていて、新しいフリーペーパーを気にしてくれるひとたちも増えていた。パーティには200人ほどのお客さんが来場、僕がいちども会ったことのない人が大半だったけれど、その中には広告主になってくれそうなひとがいるのもよくわかっていた。

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おかえり TOKYO ATOM vol. 04 August 1998  キス・ミー・プリーズ (文:マーク・ロビンソン)

真夜中、あるいは夜明け前。黒々とした階段を降りた先にある恵比寿のクラブみるく。そこは東京の、ほかのどのクラブよりも刺激に満ちた、日常からの避難所だった。たとえばボリス、ダイナマイト・マスターズ・ブルース・カルテット(DMBQ)、小林裕幸によるフリーフォーム・フリークアウトなどなど……こんな深夜の時間に、狂おしいライブミュージックに身を任せることができた場所はほかになかった。地下3階にあった暗闇のラウンジや、眩しい蛍光灯のキッチンバーで友だちと会ったり、会田誠が描いた鮮やかなピンク色の「腸の部屋」で、シャギーカーペットの床に倒れ込んだり。 みるくがオープンした1995年前後で覚えていること、それは毎日が「非現実的な現実」だったということ。

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おかえり TOKYO ATOM vol.25 May 2000  ふたりのトーキングヘッド (文:マーク・ロビンソン)

撃たれたり刺されたりこそしなかったものの、新宿の編集部に乗り込んできたヤクザにガラスの大きな灰皿を振り回して脅されたこともあると、雑誌編集者の岡留安則は今月号のTOKYO ATOMのインタビューで語ってくれた。 岡留さんに復讐したかった人間はたぶん何百人もいただろう。2004年に休刊した雑誌『噂の真相』で25年間にわたって公人、有名人の悪事を掘り起こし、報道してきたのだから。訴訟対策も万全で、政治家や芸能人の不倫記事では写真を掲載して訴えられるリスクを回避するため、ベッドでいちゃつくイラストを載せることもあった。

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おかえり TOKYO ATOM vol.39 July 2001  アウトサイド (文:マーク・ロビンソン)

TOKYO ATOM最終号まであと一冊となったこの号では、アウトサイダー・アーティストを特集している。ぜんぶで41冊が刊行されたなかでアウトサイダー・アートとなんらかのつながりのある記事は少なくなかったが、これは意図したものというより、偶然そうなったものだった。僕は以前から暴力温泉芸者などの音楽ユニットで知られる中原昌也のニヒルな表現が好きで、今号では中原さんが趣味でバービーみたいな人形を使って暴力シーンのジオラマを写真に撮っていると知り、インタビューと写真の転載許可をもらって紹介している。

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おかえり TOKYO ATOM 特別編! (文:マーク・ロビンソン)

先週号で1998年4月発行のゼロ号から2001年8月発行の最終号まで、全41冊の紹介&再現を完了した「おかえり TOKYO ATOM」。連載は「ほんとに毎週できるんだろうか……」とマーク・ロビンソンも僕も不安いっぱいのままスタートしたけれど、奇跡的にいちども欠けることなく完走! でも、このまま終わってしまうのはもったいないので、マークに頼んで「マイ・フェバリット・ページ」を選んでもらった。これまで毎週ご覧いただいた、一冊丸ごとを読むのとはまたちがう気分で記事を見てもらえると思う。そして、気になったらメルマガ・サイトのバックナンバー・ページから連載も読み直してください!

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おかえり TOKYO ATOM vol. 02 June 1998  Dear MIRO (文:マーク・ロビンソン)

フリーペーパーにもいろいろあるけれど、TOKYO ATOMのやりかたはとてもいいモデルだったと思う。なぜかといえば、いつもクラブが中心にあったから。クラブを楽しんでくれたお客さんや出演者が、そのまま読者や投稿者になってくれたのだった。 みるくに出演するミュージシャンやアーティストだけでなく、アルバイト、無職、学生、サラリーマン、プロモーター、デザイナー、編集者……さまざまな出会いからインスピレーションを受けてきた。そのひとたちの言葉をそのまま掲載しないとしても、彼らの生活や視点が僕らを後押ししてくれた。

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おかえり TOKYO ATOM vol. 03 July 1998  グローイングアップ (文:マーク・ロビンソン)

山で開催されるロックフェスティバルでテントを張るときに、丘の中腹を選びたくなるのは無理もない。いい景色を眺めつつ、草の上に寝転んで。すごくいい考えに思えるけれど、でもひとつ確かなのは、すぐに重力によって下へと引きずられ、パンツが尻の割れ目に食い込んでしまうという悲劇。どんな体勢を試しても快適に過ごすことはできない。重力には勝てないので、けっきょく平らな場所にテントを移動させるか、イモムシのように一晩中、傾斜地でもぞもぞする羽目に……。 これは山梨県で開催された最初のフジロックに行った人から聞いた話。みるくのお客さんをはじめ、多くのキャンプ初挑戦者がこの不運なイベントに足を運んだのだった。

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おかえり TOKYO ATOM vol. 06 October 1998  夢織りびと (文:マーク・ロビンソン)

1990年代のはじめごろ、不動産屋の伊藤さんと夏休みに釣りに行って、目のない大きな魚をもらって沼津から車で帰ってきたことを2号前に書いた。これからその話の続きをしたい。当時の妻ルリが「みるく」をオープンする前に、芝浦のハウスミュージック・クラブ「ゴールド」でママをしていた時代のことだ。気さくではあるものの社交的というにはほど遠かった伊藤さんは、知らず知らずのうちに僕とルリとゴールド、そしてみるくとTOKYO ATOMの誕生をつなぐ大きな存在になったのだった。 とはいえまず、今号のTOKYO ATOMはみるくの3回目のアニバーサリーである1998年10月に発行されたもので、ヒロ杉山が選んでくれた表紙の作品にはものすごく粗いピクセル画のパックマンみたいな、頭に血が上ったふうの人物が描かれている。弾痕のように不吉なオレンジ色の塊は、最近あちこちで目にするようになったせいでコロナウィルスにも見えてしまう。いずれにしても、偶然使えることになった志水則友によるこの作品は、今回の特集インタビューにぴったりだった。

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おかえり TOKYO ATOM vol. 07 November 1998  タフ・ラブ(キープ・ウォーキング) (文:マーク・ロビンソン)

「Dear わからないちゃん、やっぱり何か目的を持ったないと精神的にあせりが出てくると思うヨ。コレと言ってやりたいことがないんなら、アルバイトをしてでも働くこと。どんなことでも仕事は大変。でも夢中になってやると面白くなるヨ。頭で考えてもちっとも面白くないから行動すること。」 なにやら詩や歌詞のようでもあるが、この連載を読んでくれているひとなら、TOKYO ATOMの身の上相談ページ「Dear Miro」のスーパースタイリスト、堀切ミロの口調に気がつくはず。この相談が掲載された(TOKYO ATOM 1998年11月号)ころには、「Dear Miro」は人気コーナーになっていた。

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おかえり TOKYO ATOM vol. 11 March 1999  男の条件 (文:マーク・ロビンソン)

お気に入りだった寄稿者のひとりに掟ポルシェがいる。彼のTOKYO ATOMデビューは今週紹介する第10号に掲載されたコラム「おまえの家の玄関にトロフィーはあるか?」だった。掟さんを知るひとは、彼がいつもおおげさな問いを投げかけていることを知っている。男になるためにはなにが必要なのか? 掟さんの文章は大真面目と狂気のあいだにあって、その曖昧さが効果を発揮しているのでもある。もうひとつの理由は、彼のテーマである「男性的であることの不安」に、多くの人が共感できるからだろう。男らしさのイメージを極端にふくらませ、ヒステリックなテレビ伝道師のごとく説教を吐き散らす。その説得力は素晴らしすぎて、そのまま言われたとおりやってみたくなるほどだった。ナルシスティックなプライドと、とにかく尊敬されたい一心で、いきなり仕事を辞めてみたり、会計を済ませないままラーメン屋から堂々と歩き去ったり。

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おかえり TOKYO ATOM vol.15 July 1999  妖怪たち (文:マーク・ロビンソン)

前号のフィリップ・トルシエとのインタビューに続いて、今号ではゲゲゲの鬼太郎の生みの親である水木しげるを紹介することができた。居心地良さそうな、飾り気のない調布市の御自宅でお会いしたとき、水木さんは77歳。小柄なからだを大きなソファに沈めて、眼鏡を振り回しながら僕らに話してくれた。第二次大戦中、ニューギニアの島での戦闘で片腕を失ったことを、僕は取材の直前まで知らなかった。 過去の出来事を語ってもらえるかどうか心配だったが、水木さんは僕の質問に辛抱強く答えてくれた。つたない日本語でインタビューを受けるよりも、ずっと大事なことがあったろうに。TOKYO ATOMを水木さんは知らなかったし、あんなに小さな文字が並ぶ誌面をわざわざ読みはしなかったろう。もちろん、クラブカルチャーとも無縁だったし。でも、水木さんが描く妖怪一家と同じくらいの魑魅魍魎がみるくにはびこっていると思っていたから、僕は水木さんとみるく、その両方の世界に魅了されたのだった。

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おかえり TOKYO ATOM vol.27 July 2000  歴史の生成 (文:マーク・ロビンソン)

2000年7月のTOKYO ATOMには暗黒と光があった。まず、闇について。オーストリアのウィーンにあるグッギング精神病院は、第二次世界大戦中にナチスによる最悪の戦争犯罪の舞台となった場所のひとつだ。占領軍は精神科の患者たちを実験台にしたあげく、無残に殺害したのだった。友人のグラフィックデザイナー、辺土名みゆきさんはウィーンを訪れて病院の敷地内にある博物館を取材してくれた。そこに展示されているのは戦争犯罪に関する資料ではなく、敷地内に住みながら制作を続けている患者たちによって作られたアートワークだった。 辺土名さんは昨年、沖縄の海難事故で亡くなってしまったが、この記事をあらためて読んでみて、グッギングという場所を選んで僕らに伝えようとしてくれた、彼女の好奇心とヒューマニズムにあらためてこころうたれる。辺土名さん、安らかに。

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おかえり TOKYO ATOM vol.28 August 2000  怪獣たちの夏 (文:マーク・ロビンソン)

2000年8月号は夏の季節感を出したくて、怪談とはいかないけれど、おぞましい怪物クリエーターのインタビューを掲載した。特撮アーティストの原口智生さんにお会いしたのは、渋谷の坂を上った昭和の香りが漂う薄暗いマンションの一室だった。ちょうど自主制作映画『さくや妖怪伝』が公開されるタイミングで、ご自宅の雑然としたリビングで仕事道具や使用済みの怪獣のパーツ、映画のポスター、飼い猫などに囲まれながら、原口さんはハリウッドと東京での制作経験、50kgのラテックスとウレタンで作ったガメラの衣装のこと、低予算映画の可能性といった話を聞かせてくれた。また、CGが伝統的な怪獣映画の手作り要素を消し去る、時代の変化についても語ってくれた。

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おかえり TOKYO ATOM vol.29 September 2000  あったかいミルク (文:マーク・ロビンソン)

この話はある事件から始まる。2000年6月、腐敗したまま販売されていた雪印の牛乳を飲んだ1万5千人近くの消費者が食中毒を起こした(雪印集団食中毒事件)。そこで東京都内で牛乳屋を営んでいる女性を取材したところ、いまも雪印を応援しているし、賞味期限切れで腐敗した牛乳もよく飲んでいると言う! もちろん、この「ミルクママ」はTOKYO ATOMをの母体であるクラブ「みるく」のママ、僕の元妻でもあるルリではない。天才的な音楽家でありDJでもあった故ウッドマンから紹介された、80歳の素敵な女性だった。ウッドマンはよくみるくでプレイしていたし、実はこのミルクママは彼のおばあちゃんだったので、なにかとミルクに縁のある男ではあった。

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おかえり TOKYO ATOM vol.35 March 2001  ミルクシェイク (文:マーク・ロビンソン)

元妻の話しかたがいつも好きだった。みるくの創設者でありママであり、1998年から2001年まで毎月発行していたフリーペーパーTOKYO ATOMを僕と共同編集していたルリのことである。ルリはいまもまったく変わっていない。英語であれ日本語であれ、シンプルかつ要領よく、しばしば人生に対する独自の視点でものを語る。TOKYO ATOMのころ、ルリは僕の文章にいつもお世辞抜きで反応してくれた。時には耳の痛いこともあったけれど、その意見は貴重なものだったので、あるときルリに、みるくでの自分の体験を書くように薦めたのだった。今号のコラムのような文章を、ルリは何度か書いてくれている。「ミルクシェイク」と名づけたこのコラムで、ルリはみるくのほとんどのお客さんが知らないでいた、自分の内面をさらけ出してくれた。いまでも僕はルリのしゃがれた笑い声と「ポジティブ」な怒りが、僕には聞こえる。

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おかえり TOKYO ATOM vol.37 May 2001  すべての関係は一過性 (文:マーク・ロビンソン)

この号のルリのコラム「ミルクシェイク」(以下PDFで読めます)を当時読んだ記憶は曖昧だけど、いま読みなおしてみると、この女性(僕の元妻で、みるくのママ)が、もっとこうした回想を書いてくれたらいいのにと思う。ルリ本人にしか書けない話であると同時に、これは素直な人間性への眼差しでもあるから。音楽活動、人とのつながり、みるくを作ること、TOKYO ATOMの立ち上げに関わったことなど、すべての活動に込められた彼女の精神が行間から伝わってくる。彼女が言う「いい男」(「30をずいぶんと過ぎて現れた)とは僕のことだと思うけれど、およそ13年間一緒に暮らして別れたのちに、ここで彼女が語っている「すべては人間関係は一過性だからこそ貴重なもの」という気づきに、僕は自分を重ね合わせている。それは僕と同じように、彼女もずっと後になってから学んだことなのだろう。

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おかえり TOKYO ATOM 最終回 August 2001  最後にひとこと (文:マーク・ロビンソン)

いよいよこれが40冊目、TOKYO ATOMの最終号です。ここまでご愛読ありがとうございました。 この連載はロードサイダーズ編集長の都築さんの発案で昨年11月から始まった。TOKYO ATOMが創刊されてからもうすぐ四半世紀になるけれど、今回の連載のポイントは、僕らの物語や作品をもういちど甦らせること、ネットの情報がほとんど存在していなかった時代の歴史的記録を作ることだった。TOKYO ATOMはもともと僕の妻だったルリが立ち上げた、恵比寿のライブロッククラブ「みるく」のフライヤーの発展形として生まれた。当時はライブのスケジュールをチェックするウェブサイトもなかったので、まずは実用的な用途だったけれど、それに加えてエンターテインメント、インタビュー、ユーモア、さまざまな意見表明や刺激――いまだにほとんどのメディアには欠けている要素――を、とりわけ若い読者に向けて提供することが重要な使命だった。

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おかえり TOKYO ATOM vol. 08 December 1998  ワーキングホリデー (文:マーク・ロビンソン)

今号のTOKYO ATOMはワーキングホリデーに焦点を当てた。きっかけはTOKYO ATOMを発行していた恵比寿のライブロッククラブ「みるく」のママだった当時の妻ルリと、オーストラリアを旅行したことだった。東海岸のビーチタウンや都市部を車で回っていて、TOKYO ATOMの読者と同年代とおぼしき日本人の若者たちに目がいくようになった。ショップやレストランでアルバイトしたり、サーフィンしたり、ただブラブラしたりして楽しい時間を過ごしていた彼ら。思い出づくりの真っ最中で。そんな彼らのライフスタイルに興味を抱いたのだった。 ワーキング・ホリデー・ビザは、世界中の若者が互いの国に短期間滞在して働くことができる素晴らしい制度である。この年ごろで得られた経験は、一生の財産になるのだし。実際、僕もこの制度を利用して東京で暮らしはじめたので、ワーキングホリデーがTOKYO ATOMの基礎をつくったとも言える。オーストラリアの記事はこのあとのページ画像で読んでみてほしい。

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おかえり TOKYO ATOM vol. 10 February 1999  未来の衝撃 (文:マーク・ロビンソン)

今週紹介する1999年2月号は、1999年の正月とほぼ同時期に配本された号だ。「Dear Miro」のコラムでは、成人式に不安を抱く若い女性が登場している。学生時代は楽しくなかったし、同級生にもあまり会いたくないという。あれからどういう大人に成長したのか、気になったりもする。いつものようにミロのアドバイスは簡潔だ―「気の合う友人と一緒にいればいいじゃない。あんまり嫌いなことを意識しすぎじゃない?」。 これを書いているのはあれから23年後の成人の日。酔っぱらったキッズたちが、僕の住んでいる建物の外、浅草の通りで騒いでるのが聞こえる。 今号の特集は、ソニー・プレイステーションのラップゲーム「パラッパラッパー」に登場する、人間そっくりのかわいい犬「パラッパ」を生み出したロドニー・グリーンブラットのインタビュー。「デジタルカメラ」や「モデム」を使ったデータ送信など、"ニューテクノロジー "に興奮している会話から、インタビューの時代がうかがえる。

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おかえり TOKYO ATOM vol. 12 April 1999  動揺するリアリティ (文:マーク・ロビンソン)

「なにも悪いことをしていないなら、なにも隠すことはない」――警官の脅し文句みたいな言葉が、川元陽子さんの絵画を見ているとなぜか浮かんでくる。TOKYO ATOM 1999年4月号の表紙になっているのが川元陽子さんの作品だ。 川元陽子さんの絵がどこか犯罪現場のようにも見えるせいなのか。それはまた個人的にとても親しい風景でもある。川元さんが描く錆びた白いクーペのように、草むらに打ち捨てられた廃車を僕も見てきたし、ビニールのソファを汚れた陽射しが照らす寂れたダイナーで食事もしてきた。普通だったらこんな風景を気にするひとはいない。犯罪現場の記録写真家でもないかぎり。だからこそ、川元さんが描く世界に妙な共感を覚えてしまうのかもしれない。

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おかえり TOKYO ATOM vol.14 Jun 1999  魔術と音楽 (文:マーク・ロビンソン)

1998年にTOKYO ATOMを立ち上げた理由のひとつに、メインストリーム以外の記事や作品を取り上げたかったことがある。恵比寿のクラブ「みるく」を拠点にしたフリーペーパーということで「アンダーグラウンド」と思われていたかもしれないけれど、僕自身はマスメディアにも興味があり、犯罪、政治、芸能など、スポーツ新聞がどぎつい見出しで報じるようなネタも扱っていきたかった。「白い魔術師」と呼ばれる存在だったその男は、僕が会ったころにはスポーツ・メディアとの関係が最悪で、取材にはほとんど応じていなかった。でも1999年6月発行の第15号で、僕らはこのユニークな人物にインタビューできたのだった。 1999年初頭のある日の午後、学芸大学駅からフィリップ・トルシエとの待ち合わせ場所の喫茶店アートコーヒーに向かいながら、僕は興奮を抑えきれなかったのを覚えている。

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おかえり TOKYO ATOM vol.16 August 1999  クローンと携帯電話とゲイ映画 (文:マーク・ロビンソン)

元総理大臣の竹下登は驚くべき耳の持ち主だった。頭の横からパラボラアンテナみたいに突き出して危険を察知したり情報を探ったりする耳。それはいまにも逃げ出そうとするネズミを連想させた。『グレムリン』のギズモみたいでもあったし、今月号の「CLONE GALLERY」の候補にぴったりだった。

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おかえり TOKYO ATOM vol.19 November 1999  裸の真実 (文:マーク・ロビンソン)

アーティストはさまざまなやりかたで描く対象に迫っていく。なかには進んでみずからの脆さをさらけ出すことを選ぶアーティストもいる。エドヴァルド・ムンクは自分も裸になって絵を描くことがあったし、ルシアン・フロイトもそうだったはずだ。今月のTOKYO ATOM(1999年11月号)には、日本のアーティスト会田誠が自宅のアトリエで生々しい姿をさらす、素晴らしい写真が掲載されている。同じくヌードで満足げに体を横たえるガールフレンドをスケッチしながら。 巨大なミキサーにかけられる女の子たちを描いた作品などで下品だ、政治的だ、女性差別だと容赦ない攻撃にさらされてきた会田さんにとって、都築さんのカメラの前で裸になることにはなんの問題もなかっただろう。でも彼の作品は見た目の美しさや輝きとともに、そのイメージが内包する社会性という点でも評価すべきものだと思う。

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おかえり TOKYO ATOM vol.21 January 2000  アナログの天使たち (文:マーク・ロビンソン)

TOKYO ATOMで掲載していたインタビューのほとんどは、僕がひとりで担当していた。そういうやりかたが好きでもあったけれど、2000年1月号で最高のインタビューを経験できたのは、当時の妻(みるくのママでもあった)ルリに手伝ってもらったもので、それは伝説の映画監督・市川崑(1915―2008)さんを訪ねたときだった。 渋谷区の古風な邸宅に住んでいた市川崑監督は、そのときすでに80歳を過ぎていて、トレードマークのタバコを咥えながら居間に現れた。市川さんの広報担当者にしっかり見守られつつ、ルリに通訳してもらいながらのインタビューは、新作のアニメ映画「新撰組」の公開を前にしての取材だった。

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おかえり TOKYO ATOM vol.22 February 2000  東京タワーを見て死ね (文:マーク・ロビンソン)

2000年2月のTOKYO ATOMの表紙を飾った寂しげな高層ビルを見ていると、建造物がそれ自体ひとつの彫刻であり、なんのために建てられたのか、すでにだれも覚えていないモニュメントのように思えたりする。建てられてしまった建造物は、それをつくりあげ、使ってきたひとたちとはまた別の、独立した(そして気に留められることのない)存在なのだろう。 菅弘志さんによるこの表紙イラストは、誌面の中でもうひとつの高層建築探検が掲載されるという、うれしい偶然にも恵まれた。その記事とは1960年代の建造物である東京タワーの中にあった、おそろしく風変わりな蝋人形館訪問記だった。だれも知らないヘヴィメタル・ロックのミュージシャンや、その他さまざまに奇妙な蝋人形を並べていたこの珍スポットは、以下の誌面スキャンでじっくり見ていただきたい。

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おかえり TOKYO ATOM vol.30 October 2000  消えない墨をまとう (文:マーク・ロビンソン)

2000年10月号のTOKYO ATOMは、発行元の恵比寿みるく5周年記念号だった。若い読者のためのフリーマガジンを作り続けてきた僕らにとっては、感謝したいことがたくさんあった。編集部で働くインターンも寄稿者も、わずかな謝礼や無給で働いてくれてきたし、みるくのスタッフたちは毎月東京と日本全国の300もの店舗に、できあがった雑誌の束を手持ちで運んだり発送してくれたりしていた。 みるくは単なる水商売の場ではなく、スタッフたちがひとつの大きな家族のように結びついたチームになっていて、それがすごくよかった。

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おかえり TOKYO ATOM vol.31 November 2000  恋のハスラー (文:マーク・ロビンソン)

僕らにとってクラブはなにか新しいことに挑戦したり、着飾ったり変装してみたり、いつもと違うキャラになってみたり、恋をしたり破局したりするのに最適な場所である。たとえば自分がゲイであることとか、ほんとうのアイデンティティと若いうちに折り合いをつけることができた人たちにとっては、クラブという場所がパラダイスとなり得る。でも、そこまで踏み切れない人にとっては、悪夢のような場所なのかもしれない。今月号のTOKYO ATOM ではハスラー・アキラと名乗るアーティストにインタビューしたている。アキラはずっと前から「外側の存在」であることを誇りにしていて、ゲイであることをオープンにしているだけでなく、男性売春婦として働いてきたことも包み隠さず話してくれた。

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おかえり TOKYO ATOM vol.32 December 2000  地上の楽園 (文:マーク・ロビンソン)

記憶というものはときどきおかしな細工をするもので、この連載でみるくのスタッフはみんなが仲良しの家族のようだったと数週間前に書いて、実際そう思っていたけれど、つい先日、みるくを立ち上げた元妻のルリと話をしていたら、いつもそんなわけでもなかったことを思い出した。みるくがオープンした数年後、ルリはスタッフを大幅に入れ替えた。みんなが日々の同じ繰り返しにすっかり慣れきってしまい、人間関係も複雑になっていた。みるくのオーナーである佐藤敏博が経営していた芝浦のクラブGOLDから、そのままみるくに移ってきたスタッフが多かったという事情もあったのだろう。みるくは1995年にオープンしたが、それはGOLDが閉店した同じ年でもあった。スタッフの多くは長年一緒に働いてきた仲間であり、当然ながらそこには好き嫌いや相性の善し悪しも生まれていく。

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おかえり TOKYO ATOM vol.33 Jaunary 2001  母のこと (文:マーク・ロビンソン)

父が新聞記者だったので、僕は6歳くらいのころから自分で新聞を作って遊んでいた。「ペットのネズミのトゥインキー死す!」「姉がパーティーに行くと発言!」など、地球を揺るがすようなニュースを太い鉛筆で、ドラマチックな1面記事に仕立てていた。また「ケネディの死」という見出しで暗殺事件を取り上げて、大統領の頭部を撃った弾丸の絵を描いたこともある。その記事はきっと本物の新聞から写したのだろう。ただ、特にジャーナリストになりたかったという記憶はなくて、劇場やロックバンドのライブの照明技師という、まったく別の分野で長年仕事をしてきた僕が、マスコミの世界に入ったのはほとんど偶然だった。言葉を活字にする仕事に就いたのは、きっと家庭環境によるものだったのだろう。 先週の7月7日、母が96歳で亡くなった。それからいろいろと思い出すのは、TOKYO ATOMの立ち上げも含め、僕の仕事が母がどれほど影響を受けたかということだった。毎月、母には最新号をオーストラリアまで送っていて、母は虫眼鏡で読みながらTOKYO ATOMのファンになっていた。「明ちんこ五郎の風俗探偵事務所」がお気に入りで、文章にメリハリとリズムがあるのがいいと言っていた。

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おかえり TOKYO ATOM vol.36 April 2001  食の思想 (文:マーク・ロビンソン)

地球上で生きていられる残り時間、僕らはいったい何回ゴハンを食べることができるのだろう。ふつう、こんな心配をするひとはいないけど、藤原アキコはしていた。ニューヨーク在住のアッコは連載コラム「akko is hungry!」の2回目で、当時の年齢30歳と一日3食を掛け合わせ75歳まで生きられると仮定すると、残された食事の回数が49,275回という綿密な計算をしている。ずいぶんたくさんにも思えるし、こうして具体的な数字になってみると、ちょっと驚いたりもする。食事を楽しむというごくありふれた習慣も、長生きすればするほど、預金通帳の残高が減っていくみたいに残り少なくなっていく。だからこそいまのうちに、できるかぎり人生を楽しんだほうがいいのだろう。今号のアッコちゃんのレシピはナスとチーズ。

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おかえり TOKYO ATOM vol. 05 September 1998  ロシア・バレエとロックンロール (文:マーク・ロビンソン)

20年以上も前のTOKYO ATOMから思い出を掘り起こすのは、なんだか恐竜になった気分だ。僕らはインターネットができる以前の子供だったし、TOKYO ATOM関連の情報はいま、まったくネットで見つけることはできない。この文のあとに復元されているページは、ロードサイダーズのためにオリジナルの冊子から1枚ずつスキャンされたもの。都築さん、どうもありがとう! メルマガに参加したばかりの読者のために説明しておくと、TOKYO ATOMは恵比寿にあった深夜のライブ・ロック・クラブ「みるく」のフリーペーパー。1998年から2001年にかけて、僕と当時の妻でミルクママだったルリで毎月、計41冊をつくり、日本全国に2万部を発送していた。TOKYO ATOMはけして万人向けではなくて、記事のなかにはバカげたのもあれば、「大人向き」もあった。字が小さくて読むのが大変だったのも、未成年者や頭の固い人たちにとってはよかったのかもしれない(そういうひとたちは特に「明ちんこ五郎の風俗探偵事務所」は読まないこと!)。

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おかえり TOKYO ATOM vol. 09 January 1999  恵比寿の日々 (文:マーク・ロビンソン)

JR恵比寿駅のあたりを初めて訪れたのは、1999年新年号のTOKYO ATOMが発行される10年ほど前のことだった。1980年代後半の恵比寿駅は、ふきっさらしのホームがひとつあるだけで、商業ビルと一体化した現在の駅とは似ても似つかないものだった。渋谷と目黒の間にある山手線の土手にはススキが生い茂っていて、まるで昭和の映画のようだったのを覚えている。もちろん、東京に来たばかりの頃には、恵比寿が自分の住む街になり、妻のルリがクラブ「みるく」をオープンし、僕がTOKYO ATOMを始めることになるなんて想像もしていなかった。

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おかえり TOKYO ATOM vol.13 May 1999  スティルライフ (文:マーク・ロビンソン)

創刊2年目のTOKYO ATOM13号(1999年5月)の写真連載「プライベートアイ」の被写体になった若い女性に、僕は恋をしたようようだった。午後の日差しが降り注ぐ赤い部屋。春風に吹かれて吹き飛んでしまいそうなほど、軽やかでシンプルな人生のすべてがそこに見える。服を脱いでポーズを取るのも、その子にはすごく簡単なことのようだった。女性らしさというよりも、女性でも男性でもない、押しつけがましくもない、ただ人間がハダカでいることへの自然で確かな感覚が、彼女を独特に美しくみせているのだった。同時にその光景はいまにも消えてしまいそうな、まるで短編小説のような出会いでもあった。

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おかえり TOKYO ATOM vol.17 September 1999  不完全の美 (文:マーク・ロビンソン)

1999年9月号のTOKYO ATOMは表紙がすごく目を引く。黒いスリップドレス。錆色の髪。ふっくらした小さな赤い唇。漆黒のマスカラ。ロック少女のような、浮浪者のような女の子の「未完成」の絵。彼女はフレームの中で斜めにポーズをとっていて、ただポンとそこに置かれた、あるいは放り出されたような印象を受ける。よく見ていくと、からだの右側が背景に溶けこみ、真っ白な肌に汚れらしきものが付着している。荒れた生活をしてきたか、荒れた夜があったかのように。肌の汚れは背景と同じ色で、それは少女も背景も作者のつくりものにすぎないことを示したかったのか、あえて温かく濁った青い絵具を選んで肌にも乗せ、からだを周囲になじませつつ、哀しみに彩られた自意識あふれる表情を与えたのだった。

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おかえり TOKYO ATOM vol.18 October 1999  ネオ・ジャパニーズ (文:マーク・ロビンソン)

神秘の熱源から放射される美しさと、名状しがたい魅力の持主、それがファッションモデルの山口小夜子だった。初めて小夜子さんを知ったのは1977年、スティーリー・ダンのアルバム『エイジャ』のジャケットであり、そのころの僕はシドニーの高校生。オトナになって東京に移り住み、恵比寿のクラブみるくで「TOKYO ATOM」を立ち上げ、時々飲みに来て音楽を楽しんでいた小夜子さんに会うようになることなど、もちろん知るよしもなかった。1999年10月号のインタビューで、僕は日本初のスーパーモデルの謎に迫ってみた。

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おかえり TOKYO ATOM vol.20 December 1999  ライフワーク (文:マーク・ロビンソン)

映画監督のジム・ジャームッシュは武士道に生きる殺し屋を描いた新作『ゴースト・ドッグ』のプロモーションで、1週間ほど東京に滞在していた。僕は映画雑誌「Premiere」日本版で彼にインタビューし、その抜粋をTOKYO ATOM 1999年12月号に掲載することができた。インタビュー記事は画像右上の「+」をクリックすれば拡大できるので、よかったら読んでみてほしい。 1984年にシドニーで上映された『ストレンジャー・ザン・パラダイス』や、その後の彼の作品に圧倒された僕としては、ジャームッシュ監督に会えたのはほんとうに幸運だった。インディペンデント精神にあふれた監督であり、一見すごくクールな雰囲気であるけれど、会ってみれば注意深く穏やかな人柄なのがわかった(背も思ったよりずっと高かった)。

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おかえり TOKYO ATOM vol.23 March 2000 待つことの意味 (文:マーク・ロビンソン)

1990年代後半から2000年代前半にかけて、ルリがみるくにかかりきりで夜中まで家を空けがちになると、僕はひとりでいる時間が多くなった。それが辛かったのではないし、ひとりでいるのが嫌いでもないけれど、いま思えば僕らの関係を悪化させた原因だったかもしれない。ルリが帰ってくるのは朝方の5時か6時くらいで、僕は寝ていることもあれば、飲みに出ていることもあった。ちょっと飲み過ぎだったかもしれない。もちろんみるくにも行くのだが、興味あるライブがないのにだらだらいるのは嫌だった。

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おかえり TOKYO ATOM vol.24 April 2000  犬と心中 (文:マーク・ロビンソン)

ガングロ女子高生を描いた西沢友恵さんのイラストが表紙になった今月号のTOKYO ATOMには、ペットのいる生活を取り上げた記事がふたつ載っている。みるくのキッチンバーに君臨する女神が、当時の夫と愛犬と一緒に、天然そのもののすがたで都築さんの写真に収まった「プライベート・アイ」を、まず見てほしい。 さらに見逃してしまいがちな犬の小特集があって、これこそまさにTOKYO ATOMが得意とするタイプの記事だった。一見、「飼い主はなぜかペットに似てくる!」という、たった2ページのおもしろ記事だけど、その脇には犬を育てる上でのさまざまな考察や、犬がなついてくれない飼い主の悩みといった、深い内容も加味している。

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おかえり TOKYO ATOM vol.26 June 2000  からだをめぐるあれこれ (文:マーク・ロビンソン)

今月号はTOKYO ATOMで初めて、からだと健康を特集してみたが、そこでなぜ女性の膀胱炎の問題をテーマにしたのか、いまとなってはよくわからない。もしかしたらそのころ話題になっていたのかもしれないし、編集部の周辺に女性スタッフが多かったこと、そして男性より女性のほうが膀胱炎にかかりやすいことがあったのかもしれない。もし興味があれば今回の「Dr WHO」のページで、いろいろ知識を得られるかと。最近では一般のメディアも製薬会社も月経前緊張症(PMS)を取り上げることが増えてきた。女性特有のからだの問題が、男性の「タートルネック問題」(上野クリニックの、あの包茎コマーシャルね)みたいに「普通」に語られるようになってきたのは、いいことかもしれない。

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おかえり TOKYO ATOM vol.34 February 2001  ピグモンと良いバーの秘密 (文:マーク・ロビンソン)

みるくにいたる恵比寿の商店街の入口角にある、1階にハンバーガーショップ・ウェンディーズが入った普通のマンション。1998年から2000年にかけて、その上階に僕を寛がせてくれる秘密めいた場所があった。ルリがミルクにいるけれども、僕としては店に行くのが気乗りしない夜、エレベーターを上がって表札のないドアのベルを鳴らす。ドアが開くと暗い廊下を通って、ろうそくとオレンジ色の電球に照らされた薄暗い、木材で飾られた小部屋に通される。右手には、これも安っぽい原木を使ったバーカウンターがあり、背の高いバースツールが並んでいる。奥の棚には逆光に照らされた酒瓶の列。小林弘幸、明ちんこ五郎といった、みるくの常連客が何人か飲んでいる。弾む会話、絶えない笑い声。ソウルミュージックかレディオヘッドが流れる。時には静まりかえって、僕と伊藤さんのふたりきりになることもある。

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おかえり TOKYO ATOM vol.38 June 2001 ジャズ (文:マーク・ロビンソン)

この連載もいよいよ終盤戦、残るはあと3回。これまでのお付き合い、ありがとう! イマムラミズキさんが描いたアンドロイドのような不思議な女性の表紙のあとに「マイルス・オブ・ブルー」というイベントの広告が入っている。2001年6月28日に行われたこのイベントのことは、ついさっきまでまったく忘れていた。マイルス・デイヴィスのアルバム『カインド・オブ・ブルー』一枚をじっくり聴き込む試聴会を開いたのだった。きっかけは、そのとき読んでいたマイルス・デイヴィスの自伝『マイルス』。僕はこのアルバムに深く魅了されていた。並外れた演奏、間の取り方、グルーヴ、ジミー・コブのスネアドラムとシンバル。このアルバムはまるで麻薬のように僕を夢中にさせていて、その感動を分かち合いたいと思ったのだった。地下3階のラウンジにターンテーブルを置いて、バンド「キリヒト」と「グループ」の一員である竹久圏と、同じく「グループ」の太一。ジャズとロック両方の領域でプレイするユニークなプレイヤーに参加してもらい、自伝に描かれているアルバムの制作秘話などを話題にしつつ、アルバムをみんなで聴いたのだった。

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BOOKS

ROADSIDE LIBRARY
天野裕氏 写真集『わたしたちがいたところ』
(PDFフォーマット)

ロードサイダーズではおなじみの写真家・天野裕氏による初の電子書籍。というか印刷版を含めて初めて一般に販売される作品集です。

本書は、定価10万円(税込み11万円)というかなり高価な一冊です。そして『わたしたちがいたところ』は完成された書籍ではなく、開かれた電子書籍です。購入していただいたあと、いまも旅を続けながら写真を撮り続ける天野裕氏のもとに新作が貯まった時点で、それを「2024年度の追加作品集」のようなかたちで、ご指定のメールアドレスまで送らせていただきます。

旅するごとに、だれかと出会いシャッターを押すごとに、読者のみなさんと一緒に拡がりつづける時間と空間の痕跡、残香、傷痕……そんなふうに『わたしたちがいたところ』とお付き合いいただけたらと願っています。

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ROADSIDE LIBRARY vol.006
BED SIDE MUSIC――めくるめくお色気レコジャケ宇宙(PDFフォーマット)

稀代のレコード・コレクターでもある山口‘Gucci’佳宏氏が長年収集してきた、「お色気たっぷりのレコードジャケットに収められた和製インストルメンタル・ミュージック」という、キワモノ中のキワモノ・コレクション。

1960年代から70年代初期にかけて各レコード会社から無数にリリースされ、いつのまにか跡形もなく消えてしまった、「夜のムードを高める」ためのインスト・レコードという音楽ジャンルがあった。アルバム、シングル盤あわせて855枚! その表ジャケットはもちろん、裏ジャケ、表裏見開き(けっこうダブルジャケット仕様が多かった)、さらには歌詞・解説カードにオマケポスターまで、とにかくあるものすべてを撮影。画像数2660カットという、印刷本ではぜったいに不可能なコンプリート・アーカイブです!

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ROADSIDE LIBRARY vol.005
渋谷残酷劇場(PDFフォーマット)

プロのアーティストではなく、シロウトの手になる、だからこそ純粋な思いがこめられた血みどろの彫刻群。

これまでのロードサイド・ライブラリーと同じくPDF形式で全289ページ(833MB)。展覧会ではコラージュした壁画として展示した、もとの写真280点以上を高解像度で収録。もちろんコピープロテクトなし! そして同じく会場で常時上映中の日本、台湾、タイの動画3本も完全収録しています。DVD-R版については、最近ではもはや家にDVDスロットつきのパソコンがない!というかたもいらっしゃると思うので、パッケージ内には全内容をダウンロードできるQRコードも入れてます。

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ROADSIDE LIBRARY vol.004
TOKYO STYLE(PDFフォーマット)

書籍版では掲載できなかった別カットもほとんどすべて収録してあるので、これは我が家のフィルム収納箱そのものと言ってもいい

電子書籍版『TOKYO STYLE』の最大の特徴は「拡大」にある。キーボードで、あるいは指先でズームアップしてもらえれば、机の上のカセットテープの曲目リストや、本棚に詰め込まれた本の題名もかなりの確度で読み取ることができる。他人の生活を覗き見する楽しみが『TOKYO STYLE』の本質だとすれば、電書版の「拡大」とはその密やかな楽しみを倍加させる「覗き込み」の快感なのだ――どんなに高価で精巧な印刷でも、本のかたちではけっして得ることのできない。

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ROADSIDE LIBRARY vol.003
おんなのアルバム キャバレー・ベラミの踊り子たち(PDFフォーマット)

伝説のグランドキャバレー・ベラミ・・・そのステージを飾った踊り子、芸人たちの写真コレクション・アルバムがついに完成!

かつて日本一の石炭積み出し港だった北九州市若松で、華やかな夜を演出したグランドキャバレー・ベラミ。元従業員寮から発掘された営業用写真、およそ1400枚をすべて高解像度スキャンして掲載しました。データサイズ・約2ギガバイト! メガ・ボリュームのダウンロード版/USB版デジタル写真集です。
ベラミ30年間の歴史をたどる調査資料も完全掲載。さらに写真と共に発掘された当時の8ミリ映像が、動画ファイルとしてご覧いただけます。昭和のキャバレー世界をビジュアルで体感できる、これ以上の画像資料はどこにもないはず! マンボ、ジャズ、ボサノバ、サイケデリック・ロック・・・お好きな音楽をBGMに流しながら、たっぷりお楽しみください。

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ROADSIDE LIBRARY vol.002
LOVE HOTEL(PDFフォーマット)

――ラブホの夢は夜ひらく

新風営法などでいま絶滅の危機に瀕しつつある、遊びごころあふれるラブホテルのインテリアを探し歩き、関東・関西エリア全28軒で撮影した73室! これは「エロの昭和スタイル」だ。もはや存在しないホテル、部屋も数多く収められた貴重なデザイン遺産資料。『秘宝館』と同じく、書籍版よりも大幅にカット数を増やし、オリジナルのフィルム版をデジタル・リマスターした高解像度データで、ディテールの拡大もお楽しみください。
円形ベッド、鏡張りの壁や天井、虹色のシャギー・カーペット・・・日本人の血と吐息を桃色に染めあげる、禁断のインテリアデザイン・エレメントのほとんどすべてが、ここにある!

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ROADSIDE LIBRARY vol.001
秘宝館(PDFフォーマット)

――秘宝よ永遠に

1993年から2015年まで、20年間以上にわたって取材してきた秘宝館。北海道から九州嬉野まで11館の写真を網羅し、書籍版では未収録のカットを大幅に加えた全777ページ、オールカラーの巨大画像資料集。
すべてのカットが拡大に耐えられるよう、777ページページで全1.8ギガのメガ・サイズ電書! 通常の電子書籍よりもはるかに高解像度のデータで、気になるディテールもクローズアップ可能です。
1990年代の撮影はフィルムだったため、今回は掲載するすべてのカットをスキャンし直した「オリジナルからのデジタル・リマスター」。これより詳しい秘宝館の本は存在しません!

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捨てられないTシャツ

70枚のTシャツと、70とおりの物語。
あなたにも〈捨てられないTシャツ〉ありませんか? あるある! と思い浮かんだあなたも、あるかなあと思ったあなたにも読んでほしい。読めば誰もが心に思い当たる「なんだか捨てられないTシャツ」を70枚集めました。そのTシャツと写真に持ち主のエピソードを添えた、今一番おシャレでイケてる(?)“Tシャツ・カタログ"であるとともに、Tシャツという現代の〈戦闘服〉をめぐる“ファッション・ノンフィクション"でもある最強の1冊。 70名それぞれのTシャツにまつわるエピソードは、時に爆笑あり、涙あり、ものすんごーい共感あり……読み出したら止まらない面白さです。

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圏外編集者

編集に「術」なんてない。
珍スポット、独居老人、地方発ヒップホップ、路傍の現代詩、カラオケスナック……。ほかのメディアとはまったく違う視点から、「なんだかわからないけど、気になってしょうがないもの」を追い続ける都築響一が、なぜ、どうやって取材し、本を作ってきたのか。人の忠告なんて聞かず、自分の好奇心だけで道なき道を歩んできた編集者の言葉。
多数決で負ける子たちが、「オトナ」になれないオトナたちが、周回遅れのトップランナーたちが、僕に本をつくらせる。
編集を入り口に、「新しいことをしたい」すべてのひとの心を撃つ一冊。

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書評2006-2014

こころがかゆいときに読んでください
「書評2006-2014」というサブタイトルのとおり、これは僕にとって『だれも買わない本は、だれかが買わなきゃならないんだ』(2008年)に続く、2冊めの書評集。ほぼ80冊分の書評というか、リポートが収められていて、巻末にはこれまで出してきた自分の本の(編集を担当した作品集などは除く)、ごく短い解題もつけてみた。
このなかの1冊でも2冊でも、みなさんの「こころの奥のかゆみ」をスッとさせてくれたら本望である。

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独居老人スタイル

あえて独居老人でいること。それは老いていくこの国で生きのびるための、きわめて有効なスタイルかもしれない。16人の魅力的な独居老人たちを取材・紹介する。
たとえば20代の読者にとって、50年後の人生は想像しにくいかもしれないけれど、あるのかないのかわからない「老後」のために、いまやりたいことを我慢するほどバカらしいことはない――「年取った若者たち」から、そういうスピリットのカケラだけでも受け取ってもらえたら、なによりうれしい。

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ヒップホップの詩人たち

いちばん刺激的な音楽は路上に落ちている――。
咆哮する現代詩人の肖像。その音楽はストリートに生まれ、東京のメディアを遠く離れた場所から、先鋭的で豊かな世界を作り続けている。さあ出かけよう、日常を抜け出して、魂の叫びに耳を澄ませて――。パイオニアからアンダーグラウンド、気鋭の若手まで、ロングインタビュー&多数のリリックを収録。孤高の言葉を刻むラッパー15人のすべて。

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東京右半分

2012年、東京右傾化宣言!
この都市の、クリエイティブなパワー・バランスは、いま確実に東=右半分に移動しつつある。右曲がりの東京見聞録!
576ページ、図版点数1300点、取材箇所108ヶ所!

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東京スナック飲みある記
ママさんボトル入ります!

東京がひとつの宇宙だとすれば、スナック街はひとつの銀河系だ。
酒がこぼれ、歌が流れ、今夜もたくさんの人生がはじけるだろう、場末のミルキーウェイ。 東京23区に、23のスナック街を見つけて飲み歩く旅。 チドリ足でお付き合いください!

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