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バックナンバー:2019年09月18日 配信号 収録

food & drink はばたけ!宴会芸! 第3回「人間カクテルシェイカー」(文:キャリア英子)

キャリア英子でございます。
日本宴会芸学会に所属し、「宴会芸とダイバーシティ」及び「女性と宴会芸」を主な専門として研究をしております。


第74回学会で司会進行を行う筆者

今回は学師、御手洗会長のご指名でございますので、学会の諸先輩を差し置いて甚だ僭越ではございますが筆を執らせていただく次第です。由緒ただしきこのメールマガジンで研究の一端を発表できること、研究者冥利に尽きるという思いと、普段は地味な論文発表をしてばかりいる私にこのような場を与えてくださった御手洗会長への感謝の念で一杯です。他の会員たちからも励ましの声をいただきまして、御手洗会長とはまた違う観点から、宴会芸研究の一端をお見せできればこれに勝る幸せはありません。 

宴会芸を、未来を生きる子供たちが胸を張って取り組める文化財、すなわちレガシーにすること、それが私の夢です。宴会芸の中に、無自覚に潜む、差別的、抑圧的な面を排除して、ダイバーシティ溢れる、グローバルなソフトウェアへとシンカさせることを目指しています。このシンカとは、evolutionを意味する進化と、deepeningを意味する深化、両方の意味合いがございます。
宴会芸の持つ素晴らしい可能性は、決して男性の独占物であってはいけません。「開かれた宴会芸」を志す一人として、女性と宴会芸の関係性の再構築こそが私の使命であると考えております。男根崇拝者たちからの解放!ミソジニストたちからの解放!
宴会芸の解放こそが、自由で素晴らしい、生きるに値する世の中を作ることにつながるのです!

さて、第2回の連載におかれまして御手洗太会長は、

「バブル期の宴会場で生まれたのは「インスタント芸」だけではありません。
人類の負の遺産と言われる「バブル期宴会芸」も同時に発生しました。
バブル期宴会芸とは、非常識なセクハラ・パワハラ芸の数々であり、現代まで続く宴会芸のネガティブイメージの根源です。人類が再び同じ悪夢を繰り返さないため、目を背けるわけにはいきません。次回は、バブル期宴会芸研究の第一人者キャリア英子さんに登場いただき、罪深き芸の数々を詳細に学んでいきます。」

という言葉を残されました。第1回、第2回での20世紀宴会芸史から、さらにフォーカスを絞りまして、バブル時代の宴会芸というものについて今回は語りたいと思います。

宴会芸の歴史において、バブル期宴会芸は大変重要な研究対象です。しかしながら、バブル期宴会芸に厳密な定義はございません。80年代末の空前の日本経済の狂乱から、その後の「バブルがはじけた」と呼ばれる失速までの間に生まれ、実践された宴会芸を「バブル期宴会芸」と呼ぶ、という厳密な歴史主義をとる研究者もいれば、より広範に、いわゆるバブルを感じさせるものをバブル期宴会芸と呼ぶという向きもあり、これは日本宴会芸学会としても議論が尽きぬところであります。

バブル期宴会芸研究としての私の立場は後者、バブルを感じさせるもの、というスタンスを取っています。それと言いますのも、バブルは数年間の出来事でしたが、当時を生きていた人々はその後も長らく日本の社会の真ん中に居続け、宴会の主役であり続けたからです。いわゆる団塊の世代はバブル期に40代を迎えており、まさに宴会の中心人物としての役割が期待される年頃を迎え、バブルがはじけた後も現役世代としてその余韻に浸りながら彼らが一斉に定年を迎えるまで20年余りの月日を過ごしたのです。そして、バブル期に学生で日夜パーティに明け暮れていた人々、当時新入社員で宴会の末席に座っていた人々、青春の日々をバブルとともに生きた人々は団塊ジュニアと呼ばれるもうひとつの人口ボリュームゾーンとして、バブルの記憶とともに平成を生き、日本社会を形作ってきたのです。平成の終わりから令和にかけての大きな時代の変化、宴会の見直しというこの転換が起きたのは、バブル期に若者だった人々が段々と定年を迎えつつあるということとも無縁ではないでしょう。つまりバブルとは一過性の出来事ではなく、その時代を生きた人々の精神に深く残るエニグマ(刻印)であり、そのトラウマ的精神から生まれるものこそがバブル期宴会芸なのです。よって、今回の研究発表においては、バブル期宴会芸ということについて、バブルを感じさせるものを広く取り扱う立場をとることにいたします。

「我々研究者の中にバブル期宴会芸を好む人間は一人もいません。」
と、御手洗会長は言いました。確かに、バブル期宴会芸に対しての憎悪の念を持つ人は少なくありません。バブルが日本をおかしくしたのと同じ道理で、宴会芸もまたバブルによって変質をしてしまったのだと考えるのはむしろ自然な道理です。伝統的な宴会芸から、性的に抑圧的な、男根崇拝者たちによる女性嫌悪の一つの変奏曲としてのバブル期宴会芸への変化。景気の熱に浮かされた神をも恐れぬ所業。それは非常に破壊的な勢いをもって当時の宴会場を席巻したと、当時を知る古参研究者たちは口を揃えます。

バブル期宴会芸は一過性のものではなく、現代宴会芸にも多くの思想的な影響を残している。バブル期宴会芸を語ること抜きに宴会芸は語れません。一方で、私のようにバブルを幼年時代に過ごし、その狂乱を体感として知らない世代の人間は、あくまでもテレビや映画、文献や当時を知る人々の伝聞から推測するばかりです。バブルを知らない世代がバブルを語る。戦争を知らない世代が戦争を語るのと同じように困難なことではありますが、そこにこそ人間の学知の可能性があるのだと私は考えます。

そこでまず、宴会芸学会の規範の一つである「自らやってみる」の精神に立ち返り、若手研究者を中心にバブル期宴会芸の実践を通じて、バブル期宴会芸の本質に迫ることを試みました。お互いがお互いを傷つけ合うような壮絶な実験が繰り広げられましたが、これはあくまでも学究的な情熱のなせる業であり、各研究員の思想・信条とは一切関係のないことをここに明言しておきます。

今回、研究対象となった文献は、

『ザ・宴会芸』立川竜介(成美堂出版)
『ザ・一人芸』マイウェイ昌彦(高橋書店)
『絶対ウケる笑撃パフォーマンス130』東京夢芸倶楽部(KKロングセラーズ)
『宴会・コンパ 裏技パフォーマンス』中村仁/七海健太

の4冊です。出版年はバラバラですが、バブル期宴会芸と呼ぶにふさわしい内容を持つ、歴史的な資料価値の高い文献であるとして、御手洗会長などの助言もいただきながら選定しました。これらはいずれも宴会芸マニュアルで、宴会を控え、どんな宴会芸をやるべきかに困った人々が頼る本です。ここに書かれていることがこの社会で夜な夜な行われていたかと思うと身の毛もよだつ思いでした。中には本当に見るに耐えない、女性としてのセクシュアリティを濫用し、女性をモノ化するミソジニー(女性嫌悪)的傾向を持つ宴会芸が散見され、思わず何度か反吐が出ましたことをここに報告します。しかし、見るに耐えないおぞましき宴会芸から目を背けることで、これら男根崇拝者たちに負けてはならぬと、気を取り直して文献資料を読み漁り、代表的なバブル期宴会芸として選んだものが以下の18の宴会芸となります。

では、これらの宴会芸をその実践とともに紹介することで、バブル期宴会芸とは何かという、その恐るべき総体を描き出していきたいと思います。


1.アディダス


半裸の男が一人立ち、「いいTシャツないかなー」と独り言をつぶやく。
そこにもう一人の男が通りがかり「俺がTシャツをあげるよ」と言って、
3本指を立て、思い切り胸を叩く。胸に赤く残る3本の線。
二人は客席を向き、指を3本立てて「アディダス!」と言う。

(解説)
これは、「アディダス」というタイトルの宴会芸。文献によりますと「スポーツメーカー・用品関係者の宴会から生まれた芸で、大学の体育会系サークルでは昨年あたりからブームになっている。」と書かれているように、体育会文化の産物としての宴会芸です。
「少年の頃に憧れた縦の3本線を自前で」とあるように、貧困の象徴としての半裸から景気の象徴としてのブランド、そしてそれを暴力(=体罰)でつなぐという、実にバブル的な記号に満ちている問題作です。


そして、これを実践する場合の3か条としてこの本の筆者は

・体育会系スポーツマンを演出
・「ビシッ」の効果音が大切
・赤く腫れないと意味がない

の3つを示しているのですが、この3つ目、「赤く腫れないと意味がない」の「意味がない」という言葉から、2018年の日大アメフト事件の「やらなきゃ意味ないよ」という言葉を思い出す方も多いことでしょう。あの時は、日本中が非難を浴びせていましたが、その精神が喝采を呼んでいた時代がこの日本にはあったのです。胸に残る指の跡は消えても、胸の中に残された時代の刻印はなかなか消えるものではありません。


それはさておき、今回の実験において、指で叩くだけではっきりと赤い線を残すということはとても困難であることがわかりました。これはいわゆる机上の宴会芸の域を出ていない、男根崇拝的な、ミソジニスト的な、家父長制的、愚劣な宴会芸であると断じざるを得ません。

出典:『ザ・宴会芸』立川竜介

2.エクトプラズマ


ドライアイスを入れた箱を口に頬張り、口の中からもくもくと煙を出す。
「ここ2~3年、メーカーの研究員がセクションの社員をアッと言わせたいときに使われがちなのがこの芸。特別なテクニックや練習を要するわけでもないのに「ホーッ」とため息交じりに驚かれたりする醍醐味がある。」

(解説)
シンプルに危険な宴会芸です。古来より尊ばれてきた宴会芸の風情というものを無視し、いかに過激なことをしてウケるかということのみを考えた輩による宴会芸の過激化という一つの潮流を示すものです。それまでいわゆる芸達者による宴会芸が主流だったのに対して、素人芸が注目を浴びるようになってきた変化を感じます。


「無表情に徹したほうがウケる」というアドバイスがわざわざ書かれていることから、
「演者笑うべからず」という宴会芸の基礎の基礎を知らない層も宴会芸に参入し始めたことが見て取れます。

出典:『ザ・宴会芸』立川竜介

3.ストッキングレース


数人でストッキングを頭からかぶり、それぞれのストッキングの先端を結びつける。顔を前に出すことでストッキングを引っ張り、他の人のストッキングを脱がせる。最後まで残った人が優勝。

「パンストをかぶる、というのは宴会にありがちなことだが、これはパンストの先を何足かまとめて結び、引っ張るという応用をきかせたゲーム。」


(解説)
ゲーム型宴会芸としての新しさが評価され、今もテレビのバラエティ番組などに生き残っているものです。ここで使われるパンストは、言うまでもなく女性の皮膚の代替物であり、そこに包まれることには胎内回帰の願望が見て取れます。しかしながら注意しなくてはいけないのは、「パンストは現地調達」という文言です。用意するパンストをわざと少なめにすることで、足りないという状況を演出し、その場に参加している女性からパンストを借りて使用するということをあらかじめ考えられているところがこの宴会芸の悪質な部分です。まさに女性を道具として扱うという家父長制的な思考様式の、男根崇拝者たちによる芸だと断じて差し支えないでしょう。

出典:『ザ・宴会芸』立川竜介

4.人間カクテルシェイカー


カクテルグラスを持ち、数種類の酒を口に含む。バーテンダー役の男が頭をつかみ、激しく振る。カクテルグラスに口から酒を注ぐ。注がれた酒を自ら飲む。




(解説)
「これぞオリジナルカクテルの最高峰!」
「中途半端はいけない。首の筋が切れるくらいに頑張ろう。」
「こういう芸はトコトンやってこそ意義がある。」
「翌日、首にギブスをして出社すると、もう一回ウケる。」

これらはすべて、この芸を解説する文章からの引用です。
ここにある言説からは性別を超えて、権力構造による人間のモノ化というより高次の問題意識が喚起されます。宴会における一気飲みなどの酒飲み芸の過激化が進み、この命がけの芸に行き着いたかと思うと、慚愧の念に堪えません。ミラン・クンデラが「存在の耐えられない軽さ」で共産圏の人々の命の「軽さ」を描いたのと同じ頃、極東のこの国では資本主義の爛熟という形で人間は軽くなっていたのです。

出典:『ザ・宴会芸』立川竜介

5.ウェットティッシュ


「何かふくものないかなー」と言いながら男が歩く。
口にウェットティッシュを含んだ男が座っている。
「あ、ちょうどいい」と言いながら男はティッシュを何枚か取り出す。
「なんだ、ウェットティッシュか」と言って男はティッシュを捨て、去っていく。
口からティッシュを出した男が取り残される。

「宴会ビギナー向けの確実性の高い芸。バカウケは望めないが、大きくハズすこともない。キャラクターも演技力もそれほど必要としないから誰にでもすぐできる。」


(解説)
これもまた、人間の道具化の一例です。口に含むティッシュの数により、どれだけ無茶をするかが調節されていたようです。宴会ビギナーは自らを道具化することで、所属組織への使役の姿勢を見せ、忠誠を固めていくという権力構造が見えます。階級の再生産という問題をはらんでいる芸と言ったら言い過ぎでしょうか。

出典:『ザ・宴会芸』立川竜介

6.自虐のブタおに


(解説)
割り箸を鼻と唇で挟む。

「観客の爆笑で痛みも快感に変わる」
「この顔で、思いきって裸踊りをすると、観客の目に笑いをつき抜けた感動のナミダを呼び起こします」

という言葉とともに紹介されていたこの芸。顔芸というのは最も古い芸の一つですが、そこに痛みという要素を加えることがこの芸の新しさなのでしょう。他人の痛みを笑いに変換するというこの幼児退行は、宴会における身体性ということで道具化とはまた違うベクトルを示すものと言えるでしょう。


出典:『ザ・一人芸』マイウェイ昌彦

7.圧巻!人間洗濯機


(解説)
中性洗剤を水で薄めたものを口に含み、うがいをして泡立てる。
体を回転させながら口から泡をこぼす。

「まず、キッチンにある中性洗剤を水で薄めたものを用意する。といっても、家から持っていくことはなく、パーティ会場の厨房などでちょっともらえばいい。」

これも、人間の道具化を通じた宴会芸です。人間であることから一時的に離脱し、人間ではない存在になること。そのシャーマニズム的な性格が人々の好奇心を満たすのかもしれません。中性洗剤の使い方としては著しくおすすめできませんので、決して真似をなさることのないようにお願いいたします。

出典:『絶対ウケる笑撃パフォーマンス130』東京夢芸倶楽部

8.お嬢サマのウンコ


白い皿の真ん中に、ちょこんとねりがらしを乗せ、「お嬢サマのウンコです」と言いながら差し出す。


(解説)
これは!女性というセクシュアリティをモノ化し!男性視線の固定化した!破壊的ミソジニストであると同時に、狂信的な男根崇拝者と言わざるを得ません!


出典:『宴会・コンパ 裏技パフォーマンス』中村仁/七海健太

9.がり勉のウンコ


白い皿の真ん中に、ちょこんとねりわさびを乗せ、「がり勉のウンコです」と言いながら差し出す。


(解説)
上の「お嬢サマのウンコ」のアンサーソング的な宴会芸です。
これは女性の側からのカウンターパンチとしての側面があり、平等への志向を感じますが、注意しなくてはいけません。女性の口から「ウンコ」と言わせようとする男性側のエゴイズムに根ざした罠でもあるのです。しかし臆することはありません。「ウンコ」と言えばいいのです!言いましょう!ウンコと!


出典:『宴会・コンパ 裏技パフォーマンス』中村仁/七海健太

10.あなたについてイッキます


上司の靴に酒を注ぎ、それを一気に飲む。

「上司や先輩への忠誠心を誓う芸として威力を発揮する。ただし、対象とする相手の性格を見抜いた上で“この人なら受け入れてくれそうだ”という確信がない場合にはやらないほうがいい。」

「理屈抜き。上司の靴でイッキ!」


(解説)
ここで意外なのは、相手を選ぶことの重要さを説いているところです。
やはりこの時代においても、度のすぎた悪ノリについていけない人々は確かに存在していたということを図らずも語っていると言えるでしょう。全員が狂っていたわけではないのです。もちろん単に、自分の靴を酒で濡らされたくないという実利的な側面も大きいとは思いますが。文献においてもハイヒールが用いられていることから、キャリアウーマンという存在が一般に広まり始めたことと、この従属関係の戯画化ということは結びつけて考える方が自然です。女性上司という存在に対して卑屈になる男たちの幼児性が産んだ宴会芸と断罪しましょう。


出典:『ザ・宴会芸』立川竜介

11.呼吸困難


顔にビニール袋をかぶった状態で熱唱する。

「人の苦しみは自分の喜び!?」
「悲惨な顔を見せつけるように、会場中を歩き回って歌う!」
「歌がヘタな人には、救いとなる芸。とくに何の技を使うこともない。」


(解説)
これは、今回紹介するバブル期宴会芸の中でも特に危険なものの一つです。
芸がないものは苦しめばいいという間違った思想が蔓延し、ことここに至るという感があります。命をかけてまでやることでしょうか。


出典:『ザ・宴会芸』立川竜介

12.サーフィン


男たち数人が床に寝そべる。その背中に女性が乗り、サーフィンに見立てて動く。

「学芸会的なノリの芸ではあるが、自由気ままに波乗りを楽しむ女性上司と汗水たらして波作りに励む男新入社員という構図を取り入れるなど、大人の味付けを加えれば、社員旅行でも活用できる。」

・すぐに倒れてはいけない
・30秒くらいは続けたい
・波のメリハリをつける


(解説)
これもまた、男と女の関係性を戯画化するという、男根崇拝者のねじれた精神病理から生まれた宴会芸です。


出典:『ザ・宴会芸』立川竜介

13.ジャガバター


アルミホイルで顔を覆った男が登場し、寝転がる。ハシを持った他の人が囲み、ハシでアルミホイルを開けながら、中の男をつつきつつ談笑する。

「寒い忘年会シーズンにはもってこい。奇怪な登場シーンからいきなりホノボノムードへ変化する落差がいい。」
「ジャガバター役よりも、むしろハシでつつくために群がる人々のキャラクターのほうが大切だ。」
「塩をふったり、バターを顔中につけるとよりリアルになる!」




(解説)
道具化の延長線上にある宴会芸です。自らを食物として提供するということは、
他の道具化の芸と比べ、宴会芸三原則の一つ「捧げものであるべし」という精神への接近の点で評価してよいでしょう。しかし、自ら望んだものでない場合、これは単に生贄ということになり、より深い病理が潜んでいることになります。自主性が求められます。


出典:『ザ・宴会芸』立川竜介

14.焼きイクラ丼


どんぶり飯の上に大量の正露丸をのせ、「焼きイクラ丼!」の掛け声とともに勢いよく食べる。

「普段から胃や腸を患っている人がやるとリアリティがあって、涙あり笑いありの芸になる。」
「元気はつらつとしたタイプの人がやっても単なるガサツな芸になってしまうからあまりオススメできない。」

(解説)
食べてはいけないものを食べる。これも一つの身を呈すという手法ですが、
正露丸を焼きいくらに見立てるという常軌を逸した発想が宴会芸としての強度を高めています。胃腸が弱い人がやることを推奨しているあたりは、宴会芸三原則に照らしたとき、
己のアイデンティティに忠実であれという項目に適っており、その点は評価せざるを得ないでしょう。ただ、正露丸を大量に食することは、胃腸が弱い人にはむしろよくないのではないかという心配があるため、医学に詳しい方の見解が求められるところです。


出典:『ザ・宴会芸』立川竜介

15.生ごみTO友だち


全身にスミをまばらに塗り、ポリ袋に入る。客に足を向けゴロゴロ転がって登場。袋の端を両手で持って立ち上がり「生ゴミ」。ライターをつけて吹き消し「不燃ゴミ」。「原宿竹下通り」といって「人ゴミ」。最後に両足で袋をけ破り「粗大ゴミ」。


(解説)
自らを汚し、異界の者として登場するというのは、沖縄の宮古島に残る「パーントゥ」の風習をはじめ、世界各地で見られる文化人類学的な風習であり、それを宴会に持ち込もうという意思は、民俗学的宴会芸としての可能性を感じますが、これは単なる言葉遊びに終始している面があり、その本来の可能性を自ら閉じてしまっているところが悔やまれます。


出典:『ザ・一人芸』マイウェイ昌彦

16.懐かしの金太郎飴






正面から見て全員の顔が重なるように一列に並ぶ。「ポキン」と言いながら最前列から一人ずつ顔をずらしていく。

(解説)
自らを殺し、集団に同化するという企業戦士としての忠誠心を表現するタイプの宴会芸と言えましょう。金太郎飴という一本の棒になるというところが、男根崇拝を感じさせます。

出典:『絶対ウケる笑撃パフォーマンス130』東京夢芸倶楽部

17.エレキトリカルパレード


全裸の男が体に豆電球を巻きつけ、歌を歌いながら行進する。

「男女混合のクリスマスパーティで演じれば、75%以上の確率で拍手喝采になる。」
「全裸芸のほとんどがハード&グロテスクになる中で、この芸は男が裸になっても「キレイ」といってもらえるという意味において、とても貴重だ。」

(解説)
ゴミになるのとは逆に、自らを飾り立てることで場に華をもたらすというタイプの宴会芸です。全裸になることを目的にしているため、男根崇拝的なそしりは逃れようもありません。男根崇拝者の、男根崇拝者による、男根崇拝者のための芸です。

出典:『ザ・宴会芸』立川竜介

18.自衛隊のポスター




自衛官募集ポスターのように「斜め上を見上げる」ポーズをとる。

「国際舞台での多様な活躍が求められ始めた自衛隊。5年前、10年前とはずいぶん状況が変わった。遠くを指差す若者たちの目にはどんな未来が映し出されているのだろうか」と、ナレーション付きで演じるとかなりウケる。

(解説)
ここに引用されているナレーション案が現在でも通用することにまず驚きを禁じ得ませんでした。しかし現在、自衛隊の募集ポスターは2次元キャラの世界へと大きなシフトをしているため、時代の遺物的な側面の強い宴会芸と言えるでしょう。
あの頃の若者たちが見ていた未来と、今の社会はどのくらい違っているのだろうかと、
フェミニズム批判とは別の文脈で考えさせられる宴会芸です。

出典:『ザ・宴会芸』立川竜介

以上、18の宴会芸をご紹介しました。
参考までに、実験映像をまとめましたので、ここに公開いたします。



まとめ

ここまで、バブル期宴会芸を極力幅広くご紹介してきましたが、
そしてこれはまさに氷山の一角。ほんの一握りの例です。
文献の中では実践をすることをはばかられるような芸も多数紹介されていますので、ご興味のある方はぜひ原典に当たってくださればと思います。バブル期宴会芸の解釈は多様です。そしてそこから学ぶこともまた多様なのです。

今回、私がバブル期宴会芸の実践を通じて痛感したのは、そのビジュアルインパクトの強さ。皆が無茶をして体を張るということが推奨されていた時代だからこその、野放図なたくましさがあるのは否めない事実です。この卓抜な発想を、なぜより良いことに使えなかったのか。時代の病理のせいにするにはあまりに惜しいと思います。

冒頭、子供たちの未来のために多様で明るい宴会芸を用意したいということ、レガシーとしての宴会芸を残していきたいということを語りました。
それは、単に過去を批判すればよいというわけではありません。それは単に数十年という時間を味方にできる圧倒的に優位な立場から、後出しじゃんけんをしているようなものです。それが宴会芸研究者として真に必要な態度なのか、答えはノーだと思います。
御手洗会長が蛇蝎の如く嫌うバブル期宴会芸、しかしそこに学ぶべき要素があるからこそ、私はバブル期宴会芸の批判的研究を続けています。
宴会は、その一晩、その2時間を一生として生きることです。
バブル期宴会芸を生きた人々においては、現代的な課題意識がそもそも存在しませんでした。驚くほど無邪気な精神においてなされた愚挙たちなのです。もちろん、それは過去を肯定することでもありません。女性がそこで不当な扱いを受け、道具化され、あるいは不当に持ち上げられるという逆差別を受けていたことを負の遺産として直視しなければいけません。
今回の原稿において、一人の女性として宴会芸に携わることの困難を感じたのも事実です。単なるフェミニズム批判は宴会芸を前進させない。そこにはよりラディカルな態度が必要なようにも思います。それは、性差を超克することにもつながるはずです。
私の敵は私ですと中島みゆきが歌ったように、敵は己の中にあるのです。
確かにペンは剣よりも強い。だけどペンは常に諸刃なのです。
批判の矛先は常に自らにも向けられているのです。
宴会芸学会内で私のことを、会長の愛人だなんだと言われていることを私は知っています。今回の抜てきもそれが理由であるだろうと。
そしてそれを言っているのは、他ならぬ女性なのです。男根崇拝的な女性なのです!
ああ!どうしましょう!どう生きましょう!この世界という宴会場を!

私は負けない!
真にインクルーシブ(包括的)な宴会のあり方というものを構築することが、21世紀における宴会芸学会の使命なのですから!

次回は、宴会芸の名手たちへのインタビューを敢行することにいたします!
さようなら!ごきげんよう!では!

宴会芸三原則
一、自分を安全な場所に置くべからず。
一、己のアイデンティティに忠実であれ。
一、主賓(もしくは神)への捧げものであるべし。

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――ラブホの夢は夜ひらく

新風営法などでいま絶滅の危機に瀕しつつある、遊びごころあふれるラブホテルのインテリアを探し歩き、関東・関西エリア全28軒で撮影した73室! これは「エロの昭和スタイル」だ。もはや存在しないホテル、部屋も数多く収められた貴重なデザイン遺産資料。『秘宝館』と同じく、書籍版よりも大幅にカット数を増やし、オリジナルのフィルム版をデジタル・リマスターした高解像度データで、ディテールの拡大もお楽しみください。
円形ベッド、鏡張りの壁や天井、虹色のシャギー・カーペット・・・日本人の血と吐息を桃色に染めあげる、禁断のインテリアデザイン・エレメントのほとんどすべてが、ここにある!

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ROADSIDE LIBRARY vol.001
秘宝館(PDFフォーマット)

――秘宝よ永遠に

1993年から2015年まで、20年間以上にわたって取材してきた秘宝館。北海道から九州嬉野まで11館の写真を網羅し、書籍版では未収録のカットを大幅に加えた全777ページ、オールカラーの巨大画像資料集。
すべてのカットが拡大に耐えられるよう、777ページページで全1.8ギガのメガ・サイズ電書! 通常の電子書籍よりもはるかに高解像度のデータで、気になるディテールもクローズアップ可能です。
1990年代の撮影はフィルムだったため、今回は掲載するすべてのカットをスキャンし直した「オリジナルからのデジタル・リマスター」。これより詳しい秘宝館の本は存在しません!

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捨てられないTシャツ

70枚のTシャツと、70とおりの物語。
あなたにも〈捨てられないTシャツ〉ありませんか? あるある! と思い浮かんだあなたも、あるかなあと思ったあなたにも読んでほしい。読めば誰もが心に思い当たる「なんだか捨てられないTシャツ」を70枚集めました。そのTシャツと写真に持ち主のエピソードを添えた、今一番おシャレでイケてる(?)“Tシャツ・カタログ"であるとともに、Tシャツという現代の〈戦闘服〉をめぐる“ファッション・ノンフィクション"でもある最強の1冊。 70名それぞれのTシャツにまつわるエピソードは、時に爆笑あり、涙あり、ものすんごーい共感あり……読み出したら止まらない面白さです。

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圏外編集者

編集に「術」なんてない。
珍スポット、独居老人、地方発ヒップホップ、路傍の現代詩、カラオケスナック……。ほかのメディアとはまったく違う視点から、「なんだかわからないけど、気になってしょうがないもの」を追い続ける都築響一が、なぜ、どうやって取材し、本を作ってきたのか。人の忠告なんて聞かず、自分の好奇心だけで道なき道を歩んできた編集者の言葉。
多数決で負ける子たちが、「オトナ」になれないオトナたちが、周回遅れのトップランナーたちが、僕に本をつくらせる。
編集を入り口に、「新しいことをしたい」すべてのひとの心を撃つ一冊。

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ROADSIDE BOOKS
書評2006-2014

こころがかゆいときに読んでください
「書評2006-2014」というサブタイトルのとおり、これは僕にとって『だれも買わない本は、だれかが買わなきゃならないんだ』(2008年)に続く、2冊めの書評集。ほぼ80冊分の書評というか、リポートが収められていて、巻末にはこれまで出してきた自分の本の(編集を担当した作品集などは除く)、ごく短い解題もつけてみた。
このなかの1冊でも2冊でも、みなさんの「こころの奥のかゆみ」をスッとさせてくれたら本望である。

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独居老人スタイル

あえて独居老人でいること。それは老いていくこの国で生きのびるための、きわめて有効なスタイルかもしれない。16人の魅力的な独居老人たちを取材・紹介する。
たとえば20代の読者にとって、50年後の人生は想像しにくいかもしれないけれど、あるのかないのかわからない「老後」のために、いまやりたいことを我慢するほどバカらしいことはない――「年取った若者たち」から、そういうスピリットのカケラだけでも受け取ってもらえたら、なによりうれしい。

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ヒップホップの詩人たち

いちばん刺激的な音楽は路上に落ちている――。
咆哮する現代詩人の肖像。その音楽はストリートに生まれ、東京のメディアを遠く離れた場所から、先鋭的で豊かな世界を作り続けている。さあ出かけよう、日常を抜け出して、魂の叫びに耳を澄ませて――。パイオニアからアンダーグラウンド、気鋭の若手まで、ロングインタビュー&多数のリリックを収録。孤高の言葉を刻むラッパー15人のすべて。

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東京右半分

2012年、東京右傾化宣言!
この都市の、クリエイティブなパワー・バランスは、いま確実に東=右半分に移動しつつある。右曲がりの東京見聞録!
576ページ、図版点数1300点、取材箇所108ヶ所!

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東京スナック飲みある記
ママさんボトル入ります!

東京がひとつの宇宙だとすれば、スナック街はひとつの銀河系だ。
酒がこぼれ、歌が流れ、今夜もたくさんの人生がはじけるだろう、場末のミルキーウェイ。 東京23区に、23のスナック街を見つけて飲み歩く旅。 チドリ足でお付き合いください!

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