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バックナンバー:2020年01月15日 配信号 収録

food & drink はばたけ!宴会芸! 第4回「遠野見聞録」 (日本宴会芸学会)

日本宴会芸学会研究員の塩見と申します。
サラリーマン稼業の傍ら「宴会芸と組織論」をテーマに研究しています。この度、機会を頂き岩手県遠野市での宴会芸フィールドワーク研究を行ってまいりました。
御手洗会長、キャリア英子さんのような先輩研究者の後に甚だ僭越なのですが、皆様の宴会芸研究のお役に立てば、という想いでここで研究報告させていただきます。

遠野まつりとは
遠野まつりとは、柳田國男大先生の「遠野物語」で有名な岩手県遠野市のお祭です。毎年9月の第三週の土日に開催されています。遠野の郷土芸能である南部ばやし、しし踊り、神楽、さんさ踊り、田植え踊り、神輿などが披露されます。

遠野の人々にとって1年で1番のイベントです。
市のウェブサイトによると

2019年は総勢64もの団体が参加し約10,000人の参加者と20,000人の観客で盛り上がった

と記載されています。
遠野市の人口は26,613人(令和元年11月時点)ですから、実に38%もの人が郷土芸能に参加してる計算になります。郷土芸能率38%。これは、とんでもない数字です。<ブラジルのサッカー><ブロンクスのHIPHOP>のような存在感で遠野には郷土芸能が屹立していることがわかります。
お隣の花巻市が「宮沢賢治の理想郷」であるのに対し、遠野は「郷土芸能の理想郷」と言えるでしょう。

郷土芸能と宴会芸の関係
日本宴会芸学会の御手洗会長は郷土芸能を「宴会芸の腹違いの兄」と位置付けています。
今では他人のように扱われていますが、両者には明らかに、同じ血が流れています。その証拠に、郷土芸能が歴史の中で宴会芸化した事例もあれば、逆に、宴会芸が郷土芸能化した事例もあるのです。

【郷土芸能⇒宴会芸の事例】
代表的なのものは安来節から派生した「どじょうすくい」。そして、伊予漫才にルーツを持つ「松づくし」です。どちらの芸も、郷土芸能にはじまり、江戸時代に寄席を通じて全国に伝わり、市井の人も演じる「宴会芸」として定着しました。両者とも数多くの宴会芸の文献に登場しています。

日本宴会芸学会では「絶滅危惧宴会芸保存プロジェクト」の中で両演目を取り上げ実演しています。
「どじょうすくい」は、若い世代の研究員から「何が面白いのかわからない」と不安視する声もありました。しかし、文献をもとに見様見真似で演じると、なぜかしっくり来る感覚があり、郷土芸能が受け継いできた「型」の凄さを再認識させられました。




写真左が塩見です

「松づくし」はシンプルに祝意が伝わる出し物であり、現代の祝い事でもそのまま通用する力強さがあります。実際、日本宴会芸学会の御手洗会長も結婚式等で実演していることは、以前もご紹介した通りです。




【宴会芸⇒郷土芸能の事例】
「腹踊り」は言うまでもない宴会芸の象徴的演目です。昨今では、上裸がネックになり、敬遠されがちですが、そんなことはお構いなしで伝統芸能化してしまったのが、富良野市・北海へそ祭りです。

富良野市・北海へそ祭り

1969年に制定された市民憲章に富良野市は北海道の中心(=へそ)である、と記載され、それを活かした町おこしを行おう、ということになった。商店街の面々(主にへそ三羽烏と呼ばれた3名)が中心となり、「へそ踊り」を開発。嫌がる若者をなだめつ、すかしつ、仲間に入れて、11人で踊ったのが最初。そこからどんどん大きくなり、今では、二日間で、約4,000人の踊り手と7万人の観光客で賑わう、夏の北海道を代表する祭りとして広く知られるようになった。ちなみに、例年7月のこの二日間は日中多少小雨が降ったことはあるが、奇妙に踊り大会の時間帯には、雨にあたったことがない。
(公式WEBサイトより要約:https://hesomatsuri.com/story/


動画ご覧になると分かるように、7万人もの観光客が訪れており、明確に経済効果を上げています。SDGs(持続可能な開発目標)と言えるかもしれません。これほどの規模で宴会芸が世のため人のためになっている事例を私は他に知りません。

もう一つ。宴会芸と郷土芸能の血のつながりの強さを証明するのが、

宴会芸三原則
一、自分を安全な場所に置くべからず。
一、己のアイデンティティに忠実であれ。
一、主賓(もしくは神)への捧げものであるべし。

の全てが郷土芸能にもぴたりと当てはまるということです。
特に、宴会芸研究を志すものにとって特に難解とされる「捧げもの条項」に関しては、郷土芸能に一日の長があると言わざるを得ません。郷土芸能を体験することで、別の文脈で三原則を見つめ直し宴会芸研究に新しい風を吹き込むこと。それが、今回のフィールドワークの狙いです。

フィールドワーク先「張山しし踊り」
今回、私のフィールドワークを受け入れてくれたのが「張山しし踊り保存会」という団体さんです。しし踊りは、遠野を代表する郷土芸能で、現在も16もの団体が活動しています。

中でも張山しし踊りは100年以上の伝統を持ち、遠野物語の序文―

天神の山には祭ありて獅子踊あり。ここにのみは軽く塵たち紅き物いささかひらめきて一村の緑に映じたり。獅子踊というは鹿の舞なり。鹿の角をつけたる面を被かぶり童子五六人剣を抜きてこれとともに舞うなり。笛の調子高く歌は低くして側にあれども聞きがたし。

に登場する「獅子踊り」は張山だと言われるなど、非常に由緒正しい団体です。
古くからの友人である富川君(遠野在住)が昨年から張山しし踊りのメンバーに加わった、というところからご縁をいただき、私も参加させていただくことになりました。

ちなみに、ししとは獅子(=ライオン)とも鹿とも別物で、空想上の生物です。いろんな動物の部位を組み合わせて出来ているそうです。

参考:昨年の富川君のレポート
https://note.mu/gakutomikawa/n/ndce366a8aa3e

本番までの4日間
昨年の富川君が「火曜日から4日練習して、土日本番」というスケジュールだったので、私も火曜日に遠野入りしました。日本人の基本、前例踏襲です。
しし踊りの振り付けは団体ごとに違うようですが、張山しし踊りはこんな感じです。


遠野に着いてから思い出したのですが、私は、
・ちゃんと練習して踊ったのは幼稚園のお遊戯会が最後。
・ダンスが必修化されたと聞いて「早く生まれて良かった!」と心から安堵した。
・20代の頃、飲み会の流れでクラブに行く空気になると、そそくさ逃げ出していた。
と、誰よりも踊ることから逃げてきた人間でした。

動画を見て、踊れる・踊れないの前に「一連の動きに法則性がつかめない」と泣きたくなりました。


これが練習風景です。遠野駅から車で30分くらいの山に入ったところにある田んぼの脇の駐車場(?)でやります。笛と太鼓の音にあわせて1回20分のセットを2~3回輪になってみんなで踊ります。知らずに通りかかったら、キツネかな?と思うでしょう。

「習うより慣れろ」の精神で、ぶっつけで練習に参加することになりましたが、案の定、皆が右を向けば私は左を向いていたり、足がもつれて転んだり、ペアで踊る時に相手を見つけられなかったり。運動神経の悪い人間の哀しみを10数年ぶりに味わいました。

我ながら、あんまりな体たらくだったので「怒られるかな?」と思ったのですが。
保存会の皆様はとても優しく「俺たちなんか4~50年やってるんだから」「本番が練習みたいなもんだから」「それだけ無駄な動きが出来るんだから大したもんだよ」と温かい声をかけてくれました。

本番直前にいきなり東京からやってきて「ししを踊る」という。しかも、かなり鈍くさい。さらに「宴会芸を学術的に研究している」などと言っている。珍客中の珍客だったと思いますが、驚くべきことに自然に受け入れてくれました。

この異常なまでのオープンマインドさ、圧倒的にインクルーシブな姿勢に感動して、初日からすっかり張山しし踊り保存会のファンになりました。

そこから数日は「夕方出かけて練習して、保存会の皆様とでディープに飲みかわす。翌日二日酔いで昼まで寝て、だらだらして夕方また練習に出かける」という、二浪中の浪人生のような生活を送りました。


宿泊先のゲストハウスU。Wi-Fi完備でとても快適だった。昼間はかなりの時間をここでネットサーフィンをして過ごした

「本番になる頃にはなんとかサマになるよ」と言われていたので、そういうものかと思ってたのですが、本番2日前になっても全く上達しませんでした。相変わらず「一連の動きの中に法則性がつかめない」の世界から一歩も動けていません。

これはいよいよまずい。
「やっぱ、踊るのはやめておこうか」と笑顔で言ってもらえたら、喜んで飛びつこうと思っていたのですが、一切その気配はありません。「タンタラ、タンタン、タタンタ、タンだよ」みたいな長嶋茂雄さんのようなアドバイスをくれるばかりです。
しかも、遠野まつりには、全国から郷土芸能ファンの人が集まってくると言います。「全く踊れていない“しし”」が居たらがっかりするでしょう。何よりYoutubeにアップされるかもしれません。これはもう、大変なことです。

富川君に踊ってもらいiPhoneで撮影し、深夜一人で猛特訓しました。


ただただ、無心で「全パート10回」を目標に踊り続けました。
2回目までは全く踊れず、富川君の後ろ姿に唾を吐きかけたりしましたが、
5回目くらいから振り付けが意外と少ないパターンの繰り返しだと分かり、
10回目を終える頃には「適当に鳴らしてる」としか思えなかった笛や太鼓の音が意味を持って聞こえてくるようになりました。


筆跡から当時のギリギリの精神状態が伝わってくる

夜が明けるころには「生来の運動神経の悪さから不格好ではあるものの”おおよそ踊れている”」状態には持っていくことができました。翌日は頭の中で笛と太鼓が鳴りやまず、遠野市立博物館をしし踊りのステップで回ったりもしました。

【ししの衣装】


張山しし踊りは遠野で主流派の「幕踊り系」に分類されており、両手に幕を下げて踊ります。この「幕を切る」動きのダイナミックさが非常に重要なので、練習の時もタオルを持って踊るのです。

しし頭のタテガミ部分はカンナガラ(木材をカンナで薄く切ったもの)でできていて、遠野まつりの前に新しいものに付け替えます。


尾羽の部分は、竹(?)に色とりどりの折り紙を巻き付けてできています。どんなガラの尾羽になるか?は各人のセンスに任されています。


立てかけてある棒状のものが尾羽

こういう衣装のメンテナンスもお手伝いしたのもとても良い経験でした。私の主な担当はカンナガラを短く切ることだったので、次第にみんなから「床屋」と呼ばれるようになりました。

このように、おじさんが和気あいあいと身近な材料で作っているのですが、すべてが組み合わさって「しし」が完成すると急に神聖かつ勇壮な仕上がりになります。これぞ、伝統の力。

【本番前夜】
本番前夜には宴会芸学会の先輩の三島さんが東京から到着しました。さすがに練習1日で、ししを踊るのは厳しいね、ということで太鼓をやることになりました。訳も分からず巨大な太鼓を渡されて「雰囲気で叩いてみなよ」とか言われる三島さん。

ちなみに、太鼓はとても大事で適当に叩くとみんな踊り間違えます。生命線と言っても過言ではありません。それにも関わらずガツンとハードルを下げて巻き込んでいく姿勢。聞けば、過去にはフランス人観光客に太鼓を持たせたこともあるとのこと。
繰り返しになりますが、この狂気すら感じるダイバーシティ&インクルーシブっぷりは、間近に迫った東京2020に向けて全ての日本人が学ぶべきことなのではないでしょうか。
夜には妻と子どもも合流。私が4日間積み上げてきた人気はあっという間に凌駕されました。


遠野まつり本番
いよいよ本番がやってきました。富川君のレポートによると、

・2日で21時間踊る
・初日に足がパンパンになってシップを5枚貼って寝た
・結果、4キロほど体重が落ちた

とのこと。想像するだけで辛すぎるので考えないようにしていたのですが、さすがに、当日朝足袋を履く段になると現実に向き合わざるを得ず。他の先輩ししにも聞いてみました。「今日明日、結構大変ですか?」

「大変なんだけど、耐えられないほどではない。」
これは絶妙なコメントでした。

【ししの装着】
なんとなく想像出来るかと思いますが、ししをかぶるのは大変です。
カンナガラをサラーと前に流して、頭をはめて遠心力をつけてグルんと、回す。
タテガミを均等にするために「グルん」が非常に重要なのですが、これが難しい。
グルんの思い切りが足りず何度やってもしても装着できなかったり。
人より二周りほど頭が大きいので「そもそも入らない」という緊迫感漂う瞬間もありしましたが、みんなに手伝って(押し込んで)もらって、なんとかかぶることができました。かぶったら信じられないくらいギューっとあご紐を絞る。こうしないと、しし頭がガタガタして踊れたもんじゃないとのこと。
こうして「しし」になってみると改めてよく出来た衣装だということが分かります。


まず、しし頭自体が見た目より軽くできています。「重そうに見えて意外と軽い」これはとても大事なことです。見る人が踊りを3割増しで評価してくれます。ちなみに、視界も「見えなさそうに見えて意外と」見えます。

【門掛けに次ぐ門掛け】
「さぁ、祭りだ!」ということで、すぐに目抜き通りで万来の郷土芸能ファンの前で踊るものだと思っていたのですが、実はそうではありません。
遠野まつりの95%は門掛け(かどかけ)です。
門掛けとは、家々や商店を廻り、無病息災や商売繁盛などを祈念して芸能を演じること。地域によっては門付(かどつけ)門打ち(かどうち)ともよばれています。
これを、国道沿いを歩きながら、しらみつぶしにやっていく。普段東京でもよく使うチェーン店の前で芸を披露する。非常に興味深い経験でした。


お店の前に行くと、旗持ちという役割の人がお店と「門掛けやっても良いですかー?」と交渉を行います。そこでOKが出ると、笛と太鼓の音が鳴り始めて、みんなで踊る、ということになります。門掛けで踊るのはアンコールと呼ばれる2分程度の短い踊りです。
踊り終わると、またみんなで並んで歩き次のお店に向かいます。この繰り返し。


しし頭をかぶって延々と歩きます。現代的な郊外の風景と共存する伝統芸能。
日本好き外国人からしたらヨダレものの景色だと思います。そんな中に一体化出来たのはとても興味深い経験でした。ちなみに、横断歩道をわたるのは一苦労です。


この時期、遠野を車で通行される方は、ししを轢かないように気を付けてください。あんまり見えてないし、早くは動けません。


芸を披露した後にお酒をふるまってくれるお店もあります。草履履きでずっと歩き続けているので足が痛くなったりするのですが、断続的にお酒を飲み続けることで忘れることができます。


しし頭をかぶって踊ると、練習と感覚が違って最初はややパニックになっていたのですが、こうして「踊って、飲んで、歩いて」「踊って、飲んで、歩いて」を繰り返していると、だんだんと、身体がししにフィットしてきました。保存会の皆さんがずっと言っていた「本番が練習みたいなもんだから」の意味がなんとなく分かった気がします。


ちなみに、1週間会社を休んで踊っているので、仕事の連絡もちらちらと来ます。そんな時は、ししをかぶったままで返信することも出来ます。しし頭はスマホ対応もしているのです。


完全にぶっつけ本番でしたが、三島さんの太鼓もだんだんサマになってきました。


【いざ街中へ】
門掛けを5-6時間繰り返すことで心身ともに”しし”になってきた頃。ようやく遠野市街に到着しました。ここで立ちはだかったのは、全長500メートルに及ぶ目抜き通りを「踊りながら通過する」という遠野まつり最大の難所です。


この動きを500メートル分繰り返すのだから、これは大変なことです。タンタラタンタンタンタン、で手を上げるのが回を追うごとにキツくなってきます。40肩や50肩の気持ちが良くわかりました。とはいえ、沿道にはたくさんの人がいるので逃げ出すわけにもいきません。しし頭の下で少し泣きながら頑張りました。
終わった時には、かなりの達成感を感じたのは言うまでもありません。




「今日はもう、だいたいこんなもんですか?」と聞いたところ、スケジュール的にはこれで、1日目のちょうど半分くらいとのこと。少々絶望しましたが、だいぶ慣れてきたこともあり、例の感覚が分かって来ました。
「大変だけど、耐えられないということでもない。」

その後は市街地のお店でひたすらに門掛けを繰り返しました。かなり狭いスペースで踊ることも多く、どこでも踊れるポータブルさの重要さに気づきました。練習を田んぼの脇の駐車場?でやるのも、そういうことかもしれません。




そうこうしているうちにどっぷりと日が暮れて。いよいよメインステージ、夜の郷土芸能共演会です。


男根を模した屋台が出てきたりして気分が盛り上がります。これでこそ東北のお祭りですね。いざ張り切って入場。夜のししは、カンナガラが黄色く見えて、また雰囲気があるものです。


最大のハイライトは張山しし踊り保存会が誇る秘芸、女獅子狂い。この辺りは私はもう完全に観客です。この道数十年だからこその切れと抜け感。とにかくかっこよくて見とれていました。


出番が終わって、さぁ解散かと思いきや。最後の門掛けへ。


スナックが集まるエリアに行き「諸先輩が自分の行きつけの店の前で門掛けをする」を繰り返しました。ディープな日常が垣間見えて大変興味深かったです。


【外国からのお客さん】
ししをかぶって歩いていると「Can I take your picture?」と英語で話しかけられることが何度かありました。東京から5~6時間かかるこの町まで外国からのお客さんが来てくれている、ということはなぜか私まで嬉しくなりました。
私が出会った中で1番遠くから来ていたのはボリビア人の若者5人組。地球の裏側のinstagramでかなりのいいね!を稼いでいることでしょう。


1日目は結局14時間踊り、泥のように眠りました。

【2日目:神々が集う神社】
1日目が市街地の祭りなのに対し、2日目は神社の祭りです。
午前中さんざん門掛けをした後、遠野郷八幡宮の境内に行きました。
既に遠野中の団体が集まっており、流鏑馬あり・男根崇拝あり・神楽ありと「郷土芸能の理想郷ここにあり」という様相を呈していました。










ここでのメインイベントは「境内に作られたトラックを踊りながら通り過ぎる」というものです。「昨日のパレードより全然楽だよ」という前評判だったのですが、これはこれでなかなかでした。




しし頭の上からも分かるくらいの必死の形相

パレードを終えると、仕上げの門掛けをいくつかして終了です。

遠野まつりが終わると、遠野は一気に冬が訪れると言います。
獅子を脱ぐと急に寒くなった気がして、祭りの後の寂しさをかみしめました。


全行程を終えて、三島さんと。会心の笑顔で映ったつもりがゾンビになっていた

2日間を終えた感想は「大変なんだけど、耐えられないほどではない。」


パレード終わりに富川君と

まつりの後に

こうして、1週間の遠野滞在が終わりました。
レポートの最後に、今回得られた知見をまとめさせていただきます。

張山しし踊りが100年続く郷土芸能として魅力的であり続けている要因は、

間口が広い×奥が深い×かっこいい

の掛け算だと思います。


【間口が広い】
文中で何度も触れさせていただきましたが、とにかくダイバーシティ&インクルーシブ。
そもそも富川君もIターンで遠野に移住している人だし。その友人として現れた私や三島さんのような珍客も含めて、全てを受け入れる度量がありました。
もちろん、過疎による後継者不足はあると思うのですが、そういった事情を超えた「他者への愛」を感じとても嬉しかったです。
また、遠野まつりは、膨大な数の本番(=門掛け)をこなせるイベントであり、組織に「受け入れる」ための機能を果たしているのではないかと思いました。

【奥が深い】
今回、間口の広さばかり強調してしまいましたが、芸としての奥深さはもちろんあります。1日目の夜の郷土芸能共演会での張山しし踊りの秘芸「女獅子狂い」は恐ろしいほどの迫力と色気がありました。
能・狂言・歌舞伎のようなメジャー伝統芸能だけでなく、郷土芸能にもこのレベルの奥深さがあることは、日本が世界に誇れることではないでしょうか。

【かっこいい】
かっこ悪い芸には、なかなか人はついてきません。
しし踊りはとても無骨ですが、衣装・振り付けともに絵になる世界観があります。
しし頭が「とても重そうに見えてそこまで重くはない」「視界が塞がれているように見えて、そこまで塞がれてはいない」という、演者を「かっこよく」見せるための伝統的な工夫も大変勉強になりました。


これらは郷土芸能だけでなく、全て芸事の本質だと思います。
私は宴会芸研究者なので、宴会芸を実演することが多いのですが、実践出来ていないことばかりで大変反省いたしました。これからは、
「仲の良いメンバーだけで宴会芸をやろうとしていないか(間口)」
「その宴会芸は、打ち込むの価値があるものなのか(奥深さ)」
「その宴会芸をやっている姿を子どもに見せられるか(かっこよさ)」

を自問自答しながら宴会芸の企画立案に励みたいと思います。

読者の皆様ももし、歓送迎会や結婚式の余興等を担当することがあれば、上記の3点を意識しながら「インクルーシブで奥の深いかっこいい」芸を生み出すことを目指してみてください。

【芸のある人生を】
最後に、私が遠野まつりを体験して強く感じたのは「芸のある人生」の豊かさです。
冒頭にもご紹介した通り、遠野市は人口26,613人の約38%にあたる10.000人が何らかの形で郷土芸能に参加している「郷土芸能の楽園」です。
その10.000人の中にプロとして郷土芸能の収入だけで生活している人はおそらく1人もいないと思います。普通の人が普通の人として生活しながら一生をかけて芸を深めていく。そんな人生が当たり前に成立しています。この豊かさに気づかされる1週間でした。


帰りの釜石線にて。少しばかり感傷に浸りながら考えました。
「芸のある人生」を求めるこの気持ちは日本人のDNAに刻まれた本能なのではないのでしょうか。
「都市に適応した郷土芸能」がカラオケであり、宴会芸であり、コスプレなのではないか。そんな仮説が頭に浮かびました。「郷土芸は宴会芸の腹違いの兄である。」いや、それ以上のつながりを、もしかしたら見つけられるかもしれません。

今回の経験を糧に、これから先も論考を深めていきたいと思います。
長文お付き合いいただきありがとうございました。

【おまけ】


今回の遠野見聞録を日本宴会芸学会カメラマンである青木さんがまとめてくれた動画です。戦前に見えますが令和に撮影されたものです。最初の「道の駅」での門掛けで、しし頭をつけられなくて出とちって非常に哀しかったです。そんな私に冷静にカメラを向け続ける青木さんが印象的でした。

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書評2006-2014

こころがかゆいときに読んでください
「書評2006-2014」というサブタイトルのとおり、これは僕にとって『だれも買わない本は、だれかが買わなきゃならないんだ』(2008年)に続く、2冊めの書評集。ほぼ80冊分の書評というか、リポートが収められていて、巻末にはこれまで出してきた自分の本の(編集を担当した作品集などは除く)、ごく短い解題もつけてみた。
このなかの1冊でも2冊でも、みなさんの「こころの奥のかゆみ」をスッとさせてくれたら本望である。

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独居老人スタイル

あえて独居老人でいること。それは老いていくこの国で生きのびるための、きわめて有効なスタイルかもしれない。16人の魅力的な独居老人たちを取材・紹介する。
たとえば20代の読者にとって、50年後の人生は想像しにくいかもしれないけれど、あるのかないのかわからない「老後」のために、いまやりたいことを我慢するほどバカらしいことはない――「年取った若者たち」から、そういうスピリットのカケラだけでも受け取ってもらえたら、なによりうれしい。

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ヒップホップの詩人たち

いちばん刺激的な音楽は路上に落ちている――。
咆哮する現代詩人の肖像。その音楽はストリートに生まれ、東京のメディアを遠く離れた場所から、先鋭的で豊かな世界を作り続けている。さあ出かけよう、日常を抜け出して、魂の叫びに耳を澄ませて――。パイオニアからアンダーグラウンド、気鋭の若手まで、ロングインタビュー&多数のリリックを収録。孤高の言葉を刻むラッパー15人のすべて。

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東京右半分

2012年、東京右傾化宣言!
この都市の、クリエイティブなパワー・バランスは、いま確実に東=右半分に移動しつつある。右曲がりの東京見聞録!
576ページ、図版点数1300点、取材箇所108ヶ所!

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東京スナック飲みある記
ママさんボトル入ります!

東京がひとつの宇宙だとすれば、スナック街はひとつの銀河系だ。
酒がこぼれ、歌が流れ、今夜もたくさんの人生がはじけるだろう、場末のミルキーウェイ。 東京23区に、23のスナック街を見つけて飲み歩く旅。 チドリ足でお付き合いください!

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