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ROADSIDE SONGS vol. 01 湯浅学&チプルソ 報告
記念すべき第1回に出演してくれたのは、音楽評論家でもある湯浅学、そして先月の『夜露死苦現代詩2.0』で取り上げた大阪のラッパー「チプルソ」。自主制作によるファースト・アルバム『一人宇宙』を出したばかりのニュー・アーティストですが、すでに新潮のサイト で、名曲『I LOVE ME』を聴いて涙したひともいるのでは。ふだんは大阪をベースに活動しているので、東京でライブを体験できる貴重なチャンスでした。
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ウィークエンド・ハードコア
11月7日配信の041号で告知した、新雑誌『実話レイジ』でスタートした連載『Weekend Hardcore ― 週末ハードコア』。仕事を持ちながらハードコア・バンドを続けている「永遠のロック少年少女」たちを訪ね歩く企画でしたが・・・なんと『レイジ』が1号で休刊決定! 昔は「三号雑誌」という、その名のとおり3冊で消えてしまう雑誌のことを揶揄する言葉でしたが、最近はたった1冊で休刊なんですねえ・・・世知辛すぎ。僕が創刊まもないPOPEYE編集部で働き出したころ、編集長から聞いたのは、「いまは売れなくてもいいから、思いっきりやればいいんだ、社長も『1年は待つから』と言ってくれてる」と、僕ら若手編集者を思い思いの方向に突っ走らせてくれたものでした。
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8トラックのエロ 前編
民放FMでなにがきらいかって、いまだにはびこるバイリンガル臭いアナウンサー(と言えばいいのに、ナビゲイターとか自称したり)。でも、もっときらいなのが、あのラジオドラマ仕立てのコマーシャルだ。長くて、気取ってて、くだらなくて、中途半端で、構成作家のしたり顔がうかんできて思わず運転中に暴れたくなるような。いま、『肉の悶え』という世にも不思議なCDを聴きながら、僕はラジオドラマの黄金時代のことを思い出す。映像のともなわない、音声だけのドラマ。声とBGMがつむぎだす、ゆたかな世界のことを。そういえばかつて聞き書きに通った稀代の性豪「安田老人」も、「(性行為を記録した)ビデオより、カセットテープのほうがずっと刺激的です」と言い切っていたっけ。
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8トラックのエロ 後編
『ヒゲの未亡人』なる不思議なユニットを岸野雄一さんと展開するミュージシャン、ゲイリー芦屋さんが甦らせた8トラック・エロテープの奥ヒダ世界を、先週はご紹介した。すでに100本以上のテープを収集してきたゲイリーさんの手元には、手づくりCD-R『肉の悶え』には収録されていないものの、そのジャケット(というかボックス)・デザインだけで溜息連発の、珠玉のコレクションが秘蔵されている。Macもアドービもなかった手描き時代の、無名のデザイン美学を今回はいきなり、たっぷりお見せしよう。ゲイリーさんのご厚意によって先週号にアップしたCD-Rの冒頭部分を、もういちど載せておくので、なるべく大きな音量でプレイしながらの鑑賞をおすすめする!
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石巻のラスタファライ――ちだ原人半生記
石巻ミュージック・シーンの立役者というか、ムードメイカーというか、伝説的存在というか、とにかく石巻の象徴のような存在、それがレゲエ・シンガーである「ちだ原人」だ。そして彼もまた、3.11ですべてを失った被災者のひとりである。これからお送りするのは、この稀有なアーティストの、おそらく初めての包括的なライフ・ヒストリーだ。ものすごくメガ盛りなドレッドヘア、ものすごく日焼けした顔と、うるんだような優しい瞳、夏は半裸体、厳冬期でも足元は素足にゴムゾーリという、いちど見たら忘れられないインパクトを放つ「ちだ原人」は、1958(昭和33)年に石巻市で生まれた。いまも残る生家は日和山(ひよりやま)という小高い丘の麓にあって、周囲を役所の出張所や公民館、学校などに囲まれた、中心部ながら静かな文教地区である。
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Inter FM「ROADSIDE RADIO」田我流、そしてこんどの日曜日はイースタンユース!
先週日曜日から始まった「都築響一 ROADSIDE RADIO」。聴いていただけたでしょうか。インターFMという東京ローカル局、しかも日曜深夜12時半から1時半までという時間帯にもかかわらず、圏外からもRADIKOやLISMO WAVEといったアプリで聴いたというメッセージをたくさんいただきました。どうもありがとう! 記念すべき第1回めの放送は、3月2日に渋谷クアトロで開催された「極東最前線」から、田我流のステージを時間いっぱい、たっぷりお送りしました。『ヒップホップの詩人たち』にも登場してもらった日本語ラップの新鋭ですが、そのステージの熱さに、びっくりされた方も多いかと。
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Inter FM「ROADSIDE RADIO」、イースタンユース熱演!
先々週日曜日から始まった「都築響一 ROADSIDE RADIO」。先週は渋谷クアトロ「極東最前線」から、イースタンユースのライブをたっぷりお送りしました。聴いていただけたでしょうか。インターFMという東京ローカル局、しかも日曜深夜12時半から1時半までという時間帯にもかかわらず、圏外からもRADIKOやLISMO WAVEといったアプリで聴いたというメッセージをたくさんいただきました。どうもありがとう! イースタンユースは1988年、札幌で結成。ということは今年が25周年なんですよね・・すごい。デビュー・アルバムの『EAST END LAND』を発表したのが1989年。そして最新作が2012年9月、15枚目の『叙景ゼロ番地』。そのあいだ吉野寿(帯広出身・ギター、ボイス)、二宮友和(宇和島出身・ベース)、田森篤哉(礼文島出身・ドラムス)のスリーピース、最小編成にいささかのブレもないまま、ここまで走ってきたそのエネルギーと持続力には、ただ頭がさがるのみです。
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Inter FM「ROADSIDE RADIO」、蓄音機で爆クラ!
ヒップホップの田我流、ロックのイースタンユースと続いてきたインターFM『ROADSIDE RADIO』のフィールドレコーディング・シリーズ。21日深夜の第3回では趣向、というかジャンル一転、クラシックの世界をお送りしました。『蓄音機に溺レテ、ハマれ』――2011年から六本木のライブスペース「音楽実験室・新世界」を舞台に、もう2年間も満員御礼を続けている人気イベント『爆クラ』の、今月9日に開催されたばかりの第21夜です。爆クラ、とはその名のとおり爆音クラシック。コンサートホールではなくライブハウスで、クラブ仕様のサウンドシステムでクラシックの名曲を堪能しようという、すばらしくマニアックな人気イベントです。
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ROADSIDE RADIO ギャーテーズ降臨!
ロードサイド・ラジオ、先週日曜日にはその前の『爆音クラシック=爆クラ』から180度路線変更、フリー・インプロビゼーション・バンドの雄「ギャーテーズ」のライブをお送りしました。ギャーテーズの音楽がラジオで放送されること自体、ものすごく異例だと思いますが、1時間まるごとライブの実況は・・・奇跡じゃないかと、自分で言うのもなんですが・・・。ギャーテーズは10人前後の編成によるバンドですが、そのフロントをつとめるふたりのボーカルと、ライブではそのすぐ後ろで縦笛を吹きつづける3人が障害者。そのバックを手練のプロ・ミュージシャンが固めるという、なかなか他に類を見ないユニークなバンドです。
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民謡酒場のマスター・オブ・セレモニー
浅草、吉原、向島・・・いま都内に3軒ほどしか残っていない「民謡酒場」という存在を教えてくれたのは、山村基毅さんの『民謡酒場という青春―高度経済成長を支えた唄たち―』(ヤマハミュージックメディア)という一冊の本だった。山村さんによれば、昭和30年代からの高度成長期に東京、それもいまはソープ街として知らぬもののない吉原を中心に、数十軒の民謡酒場が盛業していたのだという。わずかに残っている数軒を、僕は山村さんに案内をお願いして訪ね歩き、それは単行本『東京右半分』に収められたが、そのうち亀戸の『斎太郎』はすでに閉店してしまっている。この記事の最後に東京右半分・民謡酒場探訪記の前説を再録しておくが、山村さんとはしごした店でいちばん興味深かったのは、民謡歌手やお客さんたちよりも、司会者の存在だった。
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ROADSIDE RADIO 2週連続で三上寛!
インターFM史上で早くも、もっともビザールなプログラムとなりつつある「ROADSIDE RADIO」。先週の障害者ツインボーカル・インプロビゼーション・バンド「ギャーテーズ」に続いて、さきおとといの日曜は三上寛のライブをお送りしました。しかも番組内で話したとおり、こんどの日曜日も続けて三上寛! しかも通常のオリジナル曲を歌うライブではなく、演歌のカラオケ・ライブ! こんなこと許されるのでしょうか・・・いつまでも(笑)。自分でもやっててドキドキしてます。
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ROADSIDE RADIO 三上寛、カラオケを唄う!
5日に続いて、12日の「ROADSIDE RADIO」では三上寛特集。それも三上さんが好きな演歌を選んでカラオケで歌い、そのあいまに僕が三上さんにいろいろ話を聞くという、奇跡的なプログラムをお送りしました。日曜深夜とはいえ、FM局で1時間、カラオケで番組をつくっちゃうなんて、放送史上でもマレなんじゃないでしょうか。舞台となったのは西荻窪のファンキーでサイケデリックなバー『ゼン・プッシー』。その店名でイカレ度がすでに察せられますが、三上さんはこの店でもう何十回もライブを開いてきた、常連スター。しかしさすがにカラオケでステージを務めるのは初めてでしょうし、お客さんの手拍子に乗って歌うのも初めてだったかも! 笑
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ROADSIDE RADIO 大阪のラッパーと高知のブルースマン
5月20日の「ロードサイド・ラジオ」では大阪のラッパー、チプルソのライブをお送りしました。『ヒップホップの詩人たち』でも取り上げた新進気鋭の、そしてかなり異質なラッパーです。記事のためにインタビューしたときはまだアルバムが、それも自主制作で1枚あっただけでしたが、今回は2枚目のアルバム・リリースを記念しての「リリパ」――去る4月5日に大阪心斎橋・アメ村のクラブ・クラッパーで行われたばかりのステージを録音してきました。
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ROADSIDE RADIO 渋さ知らズで2週間、仏恥義理!
毎回毎回、僕が好きなミュージシャンのライブを1時間もオンエアするという、ありがたい贅沢をさせてもらってるロードサイド・ラジオですが、出演してもらうミュージシャンを選ぶ基準というのは、「知られてないけど、こんなすごいひとがいる」というレア感よりも、むしろ「こんなにみんな好きなのに、どうしてラジオやテレビで聴けないんだろう」という疑問というか、焦燥感をまず基準にしています。僕らが聴きたい音楽と、業界が僕らに聴かせたい音楽がものすごくちがってしまっているところに、今日の音楽業界の根本的な問題があるわけですが(それは音楽に限らないけれど)、そういう意味で日本のみならず、世界的なレベルでものすごく人気があるのに、めったにマスメディアに乗ってこない音楽。その代表が「渋さ知らズ・オーケストラ」ではないでしょうか。
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ROADSIDE RADIO 倉地久美夫@高円寺円盤
6月16日深夜のROADSIDE RADIOでは、福岡県甘木(現・朝倉市)在住の倉地久美夫さんのライブをお送りしました。録音させてもらったのは6月8日、高円寺のレコード/CDショップ円盤でのステージ。いかに「録って出し」か、おわかりかと・・・汗。2週間続けて渋さ知らズ・オーケストラの熱いライブのあとの、うってかわってアコースティックな世界。倉地久美夫さんはギターを持った吟遊詩人と形容したい、なんともユニークなミュージシャンです。一昨年、『庭にお願い』という倉地久美夫さんを追ったドキュメンタリー映画が公開されたので、ライブは見たことなくても名前は知ってる、という方も多いかもしれません。倉地久美夫さんは1964年、福岡県の甘木市で生まれて、いまも市内に住んで活動しています。
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ROADSIDE RADIO フィールド・レコーディング特集
いつもはレコーダー片手に、ライブハウスやクラブで録ってきた音源を紹介しているロードサイド・ラジオですが、今回は珍しくスタジオからお送りしました。しかしその内容は、「フィールド・レコーディングの極北」とでもいうべき、ビザールなアウトサイダー・ミュージックのセレクション。楽しんでいただけたでしょうか。放送した曲目は:『トランジスタ・レイディオ』 ボンゴ・ジョー/『イン・ドア・ウェイ』 ムーン・ドッグ/『製糸小唄』 里 国隆/『トゥン・クイン・サンライズ』 タイ・エレファント・オーケストラ/『ジーザス・ブラッド・ネヴァー・フェイルド・ミー』 ギャヴィン・ブライアース
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ROADSIDE RADIO アーティスツ・チョイス特集
6月30日深夜のロードサイド・ラジオは、『アーティスツ・チョイス』という変わったシリーズのCDをまとめて紹介しました。文藝春秋が社が2000年に発刊した月刊誌『TITLE』のために、僕はその創刊号から2007年まで丸7年間にわたって、『珍世界紀行 アメリカ裏街道を行く』という長期連載をやりました。終わったあと、間もなく雑誌も休刊となってしまい・・・僕のせいじゃないと思いたいです(笑)。のちにそれは『ROADSIDE USA』という分厚い単行本になったものの、連載時にものすごい経費を負担したにもかかわらず、版元は文藝春秋でなくASPECTだった・・・というところに、文藝春秋のこの企画への複雑な思いが反映されてるのかも(笑)。
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ROADSIDE RADIO こだま和文 with DJ YABBY
7月7日のロードサイド・ラジオは、スタジオからライブハウスのフロアに戻って、六本木「音楽実験室・新世界」におけるライブ「こだま和文 from DUB STATION@新世界 vol.8 6.29 MU-SICな日」と題された、6月29日のステージをお送りしました。7日の七夕は、その前にDOMMUNE女将劇場があったので、続けて両方視聴してくれた方もたくさんいらっしゃったそう。長時間のお付き合い、ありがとうございました! ちなみに「MU-SICな日」とは、「6(ム)月29(ジ・ク)日」だから・・・。
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ROADSIDE RADIO コラアゲンはいごうまん・ラジオ独演会!
お聞きいただいた方も多いでしょうが、14日深夜の「都築響一 ROADSIDE RADIO」は、コラアゲンはいごうまんのひとりドキュメンタリー漫談を1時間! お送りしました。それも7月6日に開催した本メルマガ・オフ会で披露したばかりのネタを、その場で録音、録って出しで放送。NHKの落語名人会とかはともかく、民放FMで芸人のトークを、ぜんぜん音楽もかけずに1時間流すなんて、アリでしょうか・・・笑。最初で最後、にならないといいですが・・・。これだけリスキーな企画、コラアゲンさんにとっても公共放送でこんなに長時間フィーチャーされるのは初めてだろうから、最初は定番ネタで、とも考えましたが、ふたりで打ち合わせたときに、どうせなら新ネタでやろうと決定。今回の岡山ネタふたつ
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ROADSIDE RADIO FREEDOMMUNE サウンド・ドキュメンタリー!
先週日曜のロードサイド・ラジオでは、前週7月13日に幕張メッセで開催されたばかりの「FREEDOMMUNE ZERO 2013」の模様を、ドキュメンタリー仕立てでお送りしました。もうDOMMUNEについて説明する必要はないでしょうが、スタートした2010年の翌夏、東日本大震災の復興支援イベントとして第1回が予定されていましたが(そういえば地震のあった3月11日は、僕の『スナック芸術丸』が配信予定だったのでした・・)、会場の川崎・東扇島東公園がとてつもない集中豪雨に襲われて急遽中止。翌2012年には幕張メッセに場所を移して無事に開催。僕も『スナック芸術丸・特別編』として、映画監督・大根仁さんをお招きして深夜のトークをやらせてもらいました。
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ROADSIDE RADIO 2週連続、友川カズキ!
ROADSIDE RADIOでは7月28日と8月4日の2回にわたって、友川カズキさんのステージをお届けしました。7月8日に高円寺ショーボートで行われたソロ・ライブ、14日に碑文谷アピア40で開催された、こちらは永畑雅人さんのピアノ、アコーディオンと、石塚俊明さんのドラムスを加えたバンドセット。ふたつのワンマンライブを、2枚組のLPのように構成してみました。今夜が1枚めのA面、B面、来週が2枚目のA面、B面だと思っていただければよろしいかと・・。
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ROADSIDE RADIO ちあきなおみ特集・前編
2週にわたった友川カズキのライブに続いて、先週日曜日のロードサイド・ラジオでは、ちあきなおみを特集しました。この番組はなるべくライブにでかけ、その録音をお届けしたいので、すでに歌うことを止めて20年以上がたち、いまや伝説と化した彼女の新しいコンサートは存在しません。やむをえずCDやレコードでお送りしましたが、いざ構成してみるとあまりに紹介したい曲が多く! 前半・後半にわけてこんどの日曜日も「ちあきなおみ特集・後編」をお送りする予定です。
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ROADSIDE RADIO ちあきなおみ特集・後編
2週にわたる、いわば「もうひとつのちあきなおみ」特集。先週は1977年に友川カズキがちあきなおみのために書いた名曲『夜へ急ぐ人』から始まって、ジャズやロックやシャンソンやファドを歌い、そうして88年にリリースした演歌の新曲『紅とんぼ』で、11年ぶりに紅白歌合戦に出場するまでをお送りしました。先週の放送後は思いがけず、たくさんのツイートをいただいたのですが、そのなかで「喝采はかけないのか」という悲鳴のようなコメントがけっこうあって・・今週の放送はちあきなおみ特集後編をお送りする前に、まずは彼女の代表曲中の代表曲「喝采」を聴いてもらうことにしました。
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ROADSIDE RADIO:早川義夫ソロ・ライブ
先週のロードサイド・ラジオは、7月28日に神田の試聴室という小さなライブ・スペースで開かれたばかりの、早川義夫さんのソロ・ライブをお送りしました。ピアノ1台の弾き語り、休憩を挟んでアンコールまで22曲が披露されたうち、14曲を放送することができました。早川さんはジャックスの時代から現在のソロ活動まで、僕がもっとも尊敬するミュージシャンのひとりなので、この番組で取り上げられることはすごくうれしいというか、光栄です。
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ROADSIDE RADIO 緊急特集 追悼・藤圭子
9月1日のロードサイドラジオでは、予定を変更して藤圭子の特集をお送りしました。御存知のとおり先週8月22日に、藤圭子さんが亡くなりました。62歳、これからまだまだという年齢でした。死亡のニュースが流れた直後から、テレビでも新聞でも雑誌でも、こころない報道がめちゃくちゃに垂れ流されています。飛び降りた場所の、コンクリートの地面をアップで撮ったり、ベランダの図解をしてみたり、いっしょにだれがいたとか、娘が葬儀に姿を見せたとか見せなかったとか・・そんなことにいったいなんの意味があるんでしょうか。
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モッシュピットシティ・ジャカルタ 1
先週はグラフィック・デザイナー佐々木景の作品や、ジャカルタのレトロポップ・スペース「カフェ・モンド」の活動を通して、インドネシアのポップ・カルチャーの片鱗をご紹介した。ちょうど一時帰国中だったカフェ・モンドの泉本さんや景くんから、インドネシアの音楽シーンを教えてもらっていたときのこと、「実はインドネシアって、パンクがすごいんですよ!」と聞いて、びっくりというか耳を疑った。熱帯のインドネシアとパンクス・・・これほど違和感に満ちた組み合わせがあるだろうか。去年12月5日号で紹介した、メキシコシティのゴスをはるかに超えた、それは解剖台の上のミシンと蝙蝠傘の出会いのようにシュールなミスマッチに思えた。
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ROADSIDE RADIO:B.I.G. JOE
先週8日深夜のROADSIDE RADIOでは、8月9日に中野のライブハウスHEAVYSICK ZEROで開催された、B.I.G. JOEのライブをお送りしました。東京のハードコア関係には絶大な支持を得てきたヘヴィシックの、11周年アニバーサリーを兼ねて開かれたこのライブは、今年3月に発表された4枚目のソロアルバム『HEARTBEAT』をひっさげた、長期全国ツアーの一環でもあります。THA BLUE HERBのILL-BOSSTINOとともに、北海道のヒップホップ・シーンの立役者として長く知られてきたB.I.G. JOEは1975(昭和50)年、札幌に生まれました。
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モッシュピットシティ・ジャカルタ 2
パンクミュージックによって人生を導かれてきた、フォトジャーナリストの中西あゆみさん。2005年、ひょんなきっかけからジャカルタのパンク・シーンと出会う。運命を悟った彼女は約3年にわたって困難を極めながら、いちおうの取材を終了。しかし「まだ先になにかある」という直感に導かれ、インドネシア最大のパンク・バンドであり、パンク・コミューンでもある「マージナル」の核心に踏み込んでいく。2007年、いまから6年前のことだった。あゆみさんのインドネシア・パンクをめぐる旅の後編は、南ジャカルタにあるマージナルのアジト「タリンバビ」に招かれた日から始まる。
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ROADSIDE RADIO:yumbo+北村大沢楽隊
15日のROADSIDE RADIOは仙台のyumboと、石巻の北村大沢楽隊という、ビザールで楽しいカップリングをお送りしました。どちらも30分弱だったので、正直聴き足りない! という思いのリスナーも多かったでしょうが、まあふたつとも公共放送ではほとんどかかることのありえないバンドなので、ご容赦ください。yumboは8月16日に代官山のライブハウス「晴れたら空に豆まいて」における、パスカルズとのライブからの録音を。北村大沢楽隊のほうは、実はこの番組で取り上げたいとずっと思っていたのですが、後述する理由で録音ができず、1枚だけリリースされたCDから選んでオンエアしました。
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ROADSIDE RADIO:EGO-WRAPPIN'
9月22日のインターFM・ROADSIDE RADIOは、8月11日に大阪城野外音楽堂で開催されたエゴラッピンの単独ライブ「EGO-WRAPPIN' AND THE GOSSIP OF JAXXによる夏の野外ワンマン“Dance, Dance, Dance ~あなたとマリアージュ~”」をお送りしました。毎夏、東京日比谷野音でのライブが恒例になっているエゴラッピン。今年からホームグランドである大阪でも、リクエストに応えて「夏野外」を開くようになったということです。これまで半年あまりにわたってお送りしてきたロードサイド・ラジオの番組でも、もしかしたらいちばんメジャーかもしれないエゴラッピン。
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ROADSIDE RADIO:コージー大内&W.C.カラス
先週日曜日のインターFM・ロードサイドラジオでは、コージー大内とW.C.カラスという、ふたりのブルース・シンガーを取り上げました。実は最近、ブルース・ファンのあいだで「弁ブルース」という言葉が広まっているのですが、これはいろいろな地方に住むミュージシャンたちが、自分たちの地方の言葉で歌おうという動きで、もちろんそのおおもとは憂歌団などの関西ブルースマンたちにあるのですけれど、いまではさまざまな場所で、さまざまな言葉で、日本のブルースが歌われれるようになってきました。
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ROADSIDE RADIO:アシッド・マザーズ・テンプル
10月6日のインターFM・ロードサイドラジオは、アシッド・マザーズ・テンプルの、8月24日に秋葉原グッドマンで開催されたライブをお届けしました。熱狂の1時間、聴いていただけたでしょうか。アシッド・マザーズ・テンプル、略称AMTは、日本では知る人ぞ知るという感じかもしれないですが、ヨーロッパ、アメリカでは数多くの熱狂的なファンに支えられてきた、ほんとうにビッグな老舗サイケデリック・ロックバンドです。
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ROADSIDE RADIO あらかじめ決められた恋人たちへ
10月13日のロードサイド・ラジオは「叙情派轟音インスト・ダブ・ユニット」あらかじめ決められた恋人たちへ(通称「あら恋」)のライブを、1時間ノンストップでお送りしました! 9月11日に発売されたニューアルバム『DOCUMENT』の先行リリース・ライブとして、9月4日に下北沢シェルターで開催された、人数限定の轟音ライブ。人気絶頂の「あら恋」としては小さすぎるキャパのライブハウスという感じなので、もちろん超満員のお客さんたちの熱狂ぶりは、それはすさまじいいものがありました。
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倉地久美夫@東京キネマ倶楽部
今年4月から毎週お送りしてきたインターFM・ROADSIDE RADIOが、10月いっぱいで終了してしまうのにかわって、これからは本メルマガをプラットフォームに、なかなかマスメディアに乗りにくい良質の音楽を、写真とテキストと音声ファイルという形で配信していくことにしました。9月18日号で告知した東京の音楽イベント「サウンド・ライブ・トーキョー」。すでに原宿VACANTにおける「松崎順一+嶺川貴子 ラジカセ・メロトロン化計画」のサワリをご覧いただきましたが、今週はその第一弾として、10月4日に鶯谷・東京キネマ倶楽部で行われた「倉地久美夫+マヘル・シャラル・ハシュ・バズ」から、倉地久美夫さんのステージを約50分間の音声ファイルでお届けします!
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ROADSIDE RADIO 渋谷毅ピアノ・ソロ
10月20日、冷たい雨の夜にぴったりのピアノ・ソロをロードサイド・ラジオではお送りしました。日本のジャズ・ピアノ界を代表する渋谷毅さんのライブです。この番組でストレートなジャズを選んだことはなかったので、珍しいチョイスではありましたが、1939(昭和14)年生まれという渋谷さんは、もうすぐ74歳という大ベテラン。ゴリゴリのコンテンポラリー・ジャズとは一味も二味もちがう、さまざまな要素をさらりと融合させた、しっとりと静かで、さらりと豊かな音楽を奏でてくれます。
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ROADSIDE MUSIC:初音階段/非常階段・完全版配信!
10月30日のお知らせに書いたように、インターFM・ROADSIDE RADIOが終了してしまったので、新たな音楽リポートのプラットフォームとして、ROADSIDE MUSICという連載を始めました。すでにその第1回として088号で倉地久美夫さんの新録音・音源をお届けしましたが、そうした新ネタとともに、ラジオのために録音させてもらった音源を、アーティストの許可をいただけたものから再配信することにしました。ラジオでは1時間の枠に収めるためにカットを余儀なくされましたが(ナレーションなどあるので音楽は50分そこそこ)、今回はノーカットの完全版! ナレーションは入りませんが、いっしょにリポートのテキストと写真をご覧いただけたら、いっそう臨場感が高まるかと。
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時代遅れの歌姫に――渚ようこDVDと記念リサイタル
歌謡曲が好きで渚ようこの名前を知らないひとはいないと思うが、彼女の歌をどう位置づけたらいいのか、よくわからないでいるひとも少なくない気がする。年齢不詳の歌謡曲歌手で、ゴールデン街のバーのママ。その醸しだすムードも、歌の世界もいまから40年以上前の歌謡曲全盛期、というか歌謡曲がダメになっていく直前の爛熟期を、意図的に再現したものばかり。『愛の化石』時代の浅丘ルリ子からちあきなおみ、GSまで、彼女はひたすら時の流れをむりやり遡っているようだ。クレイジーケンバンドや大西ユカリのような、「過去のスタイルを武器にした現代の音」を生み出そうなどという気が、彼女にはハナからないんじゃないかという気すらしてくる――もちろん僕だけの思い込みだろうが。
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ROADSIDE MUSIC:あらかじめ決められた恋人たちへ・リミックス完全版!
インターFM・ROADSIDE RADIOの終了にともなってスタートした、新たな音楽ドキュメンタリーのプラットフォーム ROADSIDE MUSIC。先週は初音階段/非常階段を62分30秒のノーカット完全版でお届けしましたが、今週聴いていただくのは、10月13日にラジオ放送したばかりの「あらかじめ決められた恋人たちへ」。ニューアルバム『DOCUMENT』の先行リリース・ライブとして、9月4日に下北沢シェルターで開催された人数限定の轟音ライブを、アンコールまで含めて1時間23分のノーカット完全版で。
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ROADSIDE MUSIC:イースタンユース、極東最前線89・完全版!
インターFM・ROADSIDE RADIOの終了にともなってスタートした、新たな音楽ドキュメンタリーのプラットフォーム ROADSIDE MUSIC。先週は「あらかじめ決められた恋人たちへ」をお届けしましたが、今週は今年3月2日に渋谷クアトロで開催された『極東最前線89~mockingbird wish me luck~』から、イースタンユースのライブをノーカット完全版でお送りします! 当日のゲスト・ライブだった田我流も、まもなくお届けできるはず。お楽しみにお待ちください。
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ROADSIDE MUSIC:DJ CASIN「ヒップホップの詩人たち」ミックス!
ヒップホップのミックスCDが好きなひとなら、DJ CASINの名前をご存知だろうか。DJ CASINは仙台をベースに、コンスタントなペースで独自のミックスCDを発信し続けるDJであり、ビートメイカーである。そのDJ CASINと初めて会ったのは、今年2月のこと。『ヒップホップの詩人たち』発売を記念して、仙台のクラブ・パンゲアで開かれたトーク&ライブ・イベントで、書籍で取り上げたラッパー15人の音源だけを使用したDJプレイを、1時間にわたって繰り広げてくれたのだ。
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ROADSIDE MUSIC チプルソ降臨!
今年5月20日のインターFM・ロードサイドラジオで放送した、2枚目のアルバム・リリースを記念しての「リリパ」――去る4月5日に大阪心斎橋・アメ村のクラブ・クラッパーで行われたステージ。1時間の放送ではカットしなければならなかったぶんを、今回はノーカット完全版。フリースタイル・マイクリレーとなったアンコールまでの1時間10分にわたるステージを、まるごと聴いていただきます。数々のマイクバトルでも圧倒的な実力を披露してきたチプルソの、CDとはまたちがう、ナマの息づかいがダイレクトに伝わってくるロングセットのライブ。たっぷりお楽しみください!
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ROADSIDE MUSIC:アシッド・マザーズ・テンプル
先週土曜日(12月15日)は僕が大好きなバンド「アシッド・マザーズ・テンプル(AMT)」のファンにとって楽しみな、年にいちどの恒例「AMT祭り」が名古屋のライブハウス得三で開催され、僕も行く気マンマンだったのに、どうしても時間が空かずに涙のリタイア。屈辱の土曜日になってしまいました。そのかわりと言ってはなんですが、今週のロードサイド・ミュージックでは、去る10月6日にインターFM・ロードサイドラジオで放送したばかりの、8月24日に秋葉原グッドマンで開催されたAMTのライブをお届けします。1時間のラジオ番組では3曲、それも最後はフェイドアウトを余儀なくされましたが、今回は2回のアンコールを含めた全2時間35の熱演を、ノーカットでお送りします! 2時間半でもぜんぶで7曲ですが・・・。
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ROADSIDE MUSIC:コージー大内&W.C.カラス
今年最後のロードサイド・ミュージックは、クリスマスにふさわしく(?)、日本語ブルースの2本立てをお送りします。登場いただくのはコージー大内とW.C.カラスという、ふたりのブルース・シンガー。今年9月29日のインターFMロードサイド・ラジオで放送した音源の、ノーカット完全版です。10月2日号のメルマガで配信した記事に、最新情報など書き足したものを以下につけておきますので、よかったら記事を読みつつ、バーボンロックも飲みつつ、ぜんぶで1時間8分強、どろどろに濃い弁ブルースの世界を、大掃除なんて忘れてどっぷりお楽しみください!
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ROADSIDE MUSIC 友川カズキの夜
2014年最初のロードサイド・ミュージックは友川カズキをお送りします! 去年7月28日と8月4日の2週にわたって、インターFM・ロードサイドラジオで放送した録音のうち、7月14日に碑文谷アピア40で開催された永畑雅人さんのピアノ、アコーディオンと、石塚俊明さんのドラムスを加えたバンドセットのステージを、今回はノンストップ完全版でお届けします。休憩を挟んで2時間15分あまり、ライブ盤ではなかなか味わえないトークの妙とあわせ、存分にお楽しみください。
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踏まれるの待っていたライムが肩に手を回したろ?――「三島a.k.a.潮フェッショナル」というリアル
少し前にNHKの短歌番組に、歌人の斉藤斎藤さんが呼んでくれた。番組で紹介したいラップの曲があればということで、『銀舎利』を前もって推薦。そうしたら担当ディレクターから電話がかかってきて、「三島の赤潮さんから放送の許可をもらえました!」と言われ、しばし絶句・・・もちろんそれは『銀舎利』のラッパー「三島a.k.a.潮フェッショナル」のことだった。「三島」という名前だけではエゴ・サーチしてもなかなか出てこない、インパクトのある芸名をと考えたときに、「潮吹かせるのが得意だから」潮フェッショナルとみずから名づけたという三島a.k.a.潮フェッショナル。2013年7月にリリースされたデビュー・アルバム『ナリモノイリ』で、おそらく去年もっとも話題になったラッパーでありながら、その人となりはクラブに足繁く通うひと握りのファン以外に、まだあまり知られていない。
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ROADSIDE MUSIC 高知のブルースマン・藤島晃一!
昨年5月26日のインターFM「ロードサイド・ラジオ」でライブを放送、本メルマガでも6月5日号と12日号の2週にわたって、本拠地である高知県本山町の訪問記をお届けした、高知のブルースマン・藤島晃一。1月22日というから、ちょうどきょう! なんとP-VINEから初のベスト盤『通り過ぎれば風の詩』がリリースされることになった。これまでのアルバムはすべて自主制作だったため、入手が難しいものもあったが、とりあえずベスト盤に収録される14曲については、ずっと聴きやすくなるはず。本メルマガで紹介したアーティストで、自主制作からP-VINEでの再発になったものとしては、富山のブルースマン・W.C.カラスに続く快挙。こういうふうに地方で地道な活動を続ける、日本語でブルースを歌うシンガーたちが、全国的なレベルで脚光を浴びるようになるのは、いちファンとしてもすごくうれしい。
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ROADSIDE MUSIC 浜田真理子 ライブ@渋谷WWW
もともとこの「ロードサイド・ミュージック」は、去年インターFMで持っていた番組「ロードサイド・ラジオ」のために録音した音源を聴いてもらうために始めたのでしたが、メルマガ100号となる今週は記念として、このコーナーのための新録音! 昨年11月20日に渋谷WWWで開催された、浜田真理子の『Touch My Piano with 浜田真理子』から、コンサートの前半をノーカットでお送りできることになりました。当日の演奏は今年の5月ごろにライブアルバムとして発表される予定なので、今回お届けするのは僕が客席の隅で録音したものではありますが、CD発売前の特別公開ということになります。浜田さんはじめ、関係者の皆様のご理解とご協力に深く感謝します。
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DOMMUNE 弘田三枝子特集、ノーカットで再配信!
先週2月5日のDOMMUNEスナック芸術丸『めくるめく弘田三枝子的宇宙』、ご視聴いただけたでしょうか。僕にとっては長年の憧れのアーティストを、自分の番組に迎えられるというだけで至上の喜びでした。弘田三枝子さんにとっても、ふだんは長年のファンたちに囲まれた小さなサークルの中で活動しているだけに、これまでとはまったく異質のメディアでの2時間にわたるアピアランスが、ミコさんを知らない世代にその存在と実力を知らしめる、いい機会になったのではと思います。
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ROADSIDE MUSIC 醤油味のファンクネス――OLH(元・面影ラッキーホール)ライブを2セット配信!
「好きな男の名前腕にコンパスの針で書いた」「あたしゆうべHしないで寝ちゃってごめんね」「あんなに反対してたお義父さんにビールをつがれて」「パチンコやってる間に産まれて間もない娘を車の中で死なせた・・・夏」「ラブホチェックアウト後の朝マック」・・・曲名を並べてみるだけで、サバービア・フレイバーの邦画を見ている気にさせてくれる、それがOLH(元・面影ラッキーホール)の音楽だ。それは紡木たく(ホットロード)の叙情でもなければ、真鍋昌平(闇金ウシジマくん)の絶望でもない。酎ハイの甘さと涙の塩味の混じった、どうしようもなく下らなくて、愛おしくてリアルな人生のカケラだ。
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ROADSIDE MUSIC 友川カズキ@小岩BUSHBASH
今週のROADSIDE MUSICは友川カズキのライブをお届けします。先週、2月28日に小岩BUSHBASHで行われたばかりのステージの前半後半を、今週と来週にわけてお送りする特別配信です。このコーナーで友川さんを取り上げるのは今年1月8日配信号に続いて2度目になります。3年ぶりになるニューアルバム『復讐バーボン』を1月30日にリリースして以来、各地でライブを続行中の友川さん。共演ミュージシャンがあったり、バンド編成であったり、そのときどきでいろいろなセットが組まれていますが、今回の小岩ではまったくのソロ。ギターだけを相手に、前半後半あわせて2時間以上の熱演を披露してくれました。
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ROADSIDE MUSIC 友川カズキ@小岩BUSHBASH 後半
先週にひきつづいて、今週のROADSIDE MUSICは2月28日に小岩BUSHBASHで行われた友川カズキのライブ後半をお届けします。3年ぶりになるニューアルバム『復讐バーボン』を1月30日にリリースして以来、各地でライブを続行中の友川さん。後半では新譜のタイトル曲からステージが始まり、いつものように・・・と思いきや、「今年はすすめられて、若いころにつくった曲を積極的にやっていこうかと」というトークに場内騒然! その言葉どおり、長く友川カズキを聴き続けているファンからも「オオッ」という声がしばしばあがる選曲で、素晴らしく熱のこもったパフォーマンスになりました。
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新連載! 音楽に呼ばれて(湯浅学)
いまはもう存在しない文藝春秋社の月刊誌『TITLE』で、2000年の創刊号から2007年まで連載した『珍世界紀行 アメリカ裏街道を行く』は、2010年に『ROADSIDE USA』という分厚い単行本にまとめることができたが(TITLEのほうは連載終了後ほどなく休刊・・・自分のせいじゃないと信じたい)、丸7年間にわたってアメリカの隅々、というか隅っこばかりを走り回りながら、ときどき寄り道してはブルースやロックの記念碑的なスポットを探してみるのが、密かな楽しみのひとつだった。そこで撮った写真は連載記事にも、単行本にも収められることなく、単行本宣伝用ツイッター・アカウントで一瞬発表したのみ。いつかなんとかしようと思うまま時が過ぎてしまったが、このたび敬愛する音楽評論家&ミュージシャンの湯浅学さんがテキストを書いてくれることになった。
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ROADSIDE MUSIC 日本語でも英語でも、神様は泣いていた!
このメルマガの読者で、みどり◯みきさんを知らない方はすでにいらっしゃらないだろう。ライブのお知らせ、トークでのフィーチャーなど、ことあるごとに見てもらっている、インディーズ演歌歌手の女王である。告知コーナーで紹介してきたように、今年に入ってから2月と3月の2回、みどりさんのステージを見ることができた。2月2日にはみどりさんの地元である足立区の、北千住で開催されたイベント『千住ミュージックホール 第3回 サンローゼ・魅惑の駅前歌謡ショー』。そして今月3月6日、なかのの小さなホールにインディーズ演歌歌手たちが集った『2014 FM茶笛歌謡寄席』。
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奇跡の農民楽隊 1
去年インターFMで「ROADSIDE RADIO」という深夜番組をやっていたときに、いちばん取り上げてみたかったのが「北村大沢楽隊」という宮城県石巻のブラスバンドだった。創立が大正14年(89年前!)、その時点で5人のメンバーの平均年齢が80歳近いという、日本最古にして最強の農民ブラバンだった。2005年にリリースされた唯一のCD『疾風怒濤』で、とてつもないサウンドに衝撃を受けた方もいらっしゃるだろう。カウントもなければ出だしもバラバラ、チューニングも合ってない。おもな活動の舞台は演奏会のステージではなく運動会の、徒競走の伴走。そんな農民楽隊がぶっ放す、おそるべき土着のグルーヴ。それは「ブラスバンドのシャグズ」とでも言うべき破壊力で、僕もCDを一聴、いきなりトリコになった。
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高校生ラップ選手権の衝撃
いまから少し前、『ヒップホップの詩人たち』を書くために集中的に日本語ラップを聴いていたころ。たくさんのラッパーの作品をチェックしているうちに、だんだんとスキルやテクニックや楽曲の完成度よりも、「これを言わずには生きていけない!」というような初期衝動のほとばしりに惹きつけられるようになっていった。胸の奥の黒いカタマリや、どうしようもない自己顕示欲や、妄想や悲しみや喜びや、そういうすべての感情がぶつかり合う場としてのステージに、『高校生ラップ選手権』があるのをご存知だろうか。
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ROADISIDE MUSIC パスカルズ・ライブ@CAY
今週のロードサイド・ミュージックは3月19日に開催されたばかりの、パスカルズのステージをお送りする。前半、後半、アンコールまで含めて2時間以上の長いステージから、パスカルズ自身によって選ばれた8曲、50分弱の演奏をたっぷりお楽しみいただきたい。
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奇跡の農民楽隊 2(撮影・録音・文 奥中康人)
先週に続いて静岡文化芸術大学・文化政策学部准教授の奥中康人さんによる、北村大沢楽隊のフィールドワーク後編をお届けする。昨年8月30日に逝去された楽隊長・渡辺喜一さんへの貴重なインタビューも含む貴重なリサーチ。じっくりお楽しみいただきたい。
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PUNK NOT DEAD――ジャカルタ・パンク来襲!
昨年9月11日号、18日号の2週にわたってお届けした『モッシュピットシティ・ジャカルタ』は、中西あゆみというひとりの日本人ジャーナリストが、文字どおり人生を賭けて追い求めるインドネシア・ジャカルタのパンク・シーンを伝える、熱いリポートだった。若いころにパンク・キッズだったであろう何人もの読者から、「あれ読んで泣いちゃった」と言われて、僕も感無量だった。あのときたった2日間上映された中西さんのドキュメンタリー映画『マージナル=ジャカルタ・パンク』が、さらにアップデートされて、この5~6月にかけてついに渋谷アップリンクで上映決定。
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ROADSIDE MUSIC 石橋英子 バンド+ソロ、2本立て!
今週のロードサイダーズ・ミュージックは石橋英子のライブをお届けします。ジム・オルーク(元Sonic Youth)などと組んだバンド「石橋英子 with もう死んだ人たち」による去年11月22日、六本木SuperDeluxでの演奏から6曲(約47分)。そして今年2月26日に渋谷WWWで開かれた「Touch My Piano vol.05 高木正勝/石橋英子」から、68分あまりのピアノ・ソロ・ライブを丸ごとという、豪華2本立てです!
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音楽に呼ばれて vol.2 Corner of Hillcrest Avenue & Bartlett Street, Macon, Georgia(湯浅学)
世界最強のギターバンド、オールマン・ブラザーズ・バンドのデュアン・"スカイドッグ“・オールマンは、傑作アルバム『アット・フィルモア・イースト』を発表した直後の1971年10月29日、ジョージア州メイコン郊外の交差点でバイク事故により亡くなった。ヒルクレスト・アヴェニューとバートレット・ストリートの交差点で、目の前で曲がろうとしたトラックをよけきれず、彼の愛車ハーレー・ダヴィッドソン・スポーツスターはクラッシュ。デュアンは即死だった。もうすぐ25歳の誕生日を迎えるという日の、あまりに悲劇的な死だった。その翌年の19972年11月11日には、その交差点からわずか3ブロックしか離れていない交差点で、今度はベースギターのベリー・オークリーもバイク事故で亡くなってしまう。いま、デュアンが命を落とした交差点には、碑銘のひとつすら残されていない。
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ROADSIDE MUSIC 三村京子
すごく不思議にブルージーな歌詞を、すごく深いブルージーな声で、すごくしっかりしたフォーク・ブルージーなギターに乗せて歌う、ぜんぜんブルージーじゃなくて可愛らしい容姿の女性アーティスト、三村京子。今週のロードサイド・ミュージックはここ4年近く活動を休止していた彼女が、友人の穂高亜希子とジョイントで4月1日に高円寺・円盤で開催したばかりのライブ音源をお届けする。早稲田大学在学中の2005年にファーストアルバム『三毛猫色の煙を吐いてあなたは暮らすけど 私は真夜中過ぎの月の青さのような味の珈琲を一杯』を発表、三村さんはいきなり注目を集め、2008年には『東京では少女歌手なんて』、2010年に3枚目の『みんなを屋根に』を発表後、活動を休止していた。
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ROADSIDE MUSIC tamamix
気合いを込めて、というよりも肩の力の抜けた演奏のほうが似合う楽器、というのは世の中にあまりなくて、ウクレレはそういう珍しい楽器だ。そこが歌うことに似ていたりもする。ジェイク・シマブクロみたいな超絶技巧もいいけれど、リラックスしたウクレレと、リラックスした歌。これほど相性のいいマッチングって、なかなかない。そういうリラックスの境地に遊べるひとは、自分の生活もリラックスできてるんだろうな~と思わせるイメージがあって、目の前のステージでウクレレをポロンポロンしながら「おれのあん娘はタバコが好きで いつもプカプカプカ~」なんて気持ちよさそうに歌ってる彼女は、まさしくそんな良性の脱力感を全身から漂わせているのだが、しかし曲と曲間のトークでは「とんでもない年上男との恋」とか、「悲惨なバイト生活」とか「野良犬との山小屋生活」とか「不倫で奥さんに乗り込まれ」とか、とうていリラックスできない逸話がさらりと披露されて、彼女の奏でる音楽と、見た目と、語られる人生のあまりのギャップに引きずり込まれて・・・気がつけばトリコになっている。tamamix(タマミックス)とはそういう、可愛らしい顔した魔性のミュージシャンだ。
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ROADSIDE MUSIC こだま和文
去年7月にインターFM『ROADSIDE RADIO』で放送、メルマガでも紹介した日本ダブ界の最重鎮・こだま和文。今年が「ダブ生活30周年」!だそうで、記念のロングインタビュー集『いつの日かダブトランぺッターと呼ばれるようになった』が刊行されることになりました。こだまさんは音楽もさることながら、エッセイもすごく独特な味があって、さらりとしているようで熱くもあり、脱力しているようで硬派でもあり、音楽と同じく重層的な魅力があります。新刊発売を記念して、今週は去年7月7日にラジオで放送したライブの、前半後半あわせて2時間にわたるステージを、ノーカット完全版で配信します! メルマガでの解説も再掲載しておきますので、爆音で和風ダブの音塊に浸りながら、読んでいただけたらうれしいです!
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ニューヨーク80年代を新潟で!
夏・・・野外フェスの季節だ。第1回フジロック・フェスが開催された1997年もいまや遠い昔。数えきれないほどの野外フェスが開かれ、「高い洋服は買わないけど、アウトドア用品にはカネを惜しまない」若者がこれほど増えると、当時だれが予測しえたろうか。今年もこのメルマガで紹介したいフェスはいろいろありすぎて困ってしまうが、個人的に推したいのが新潟県津南で今月19~21日の3日間にわたって開かれる『rural 2014』。国内外から多数のミュージシャンが参加予定だが、中でも注目すべきが『IKE YARD / BLACK RAIN』という、メンバーの重なるふたつのユニットである。
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浜松、ラッパ吹きの祝日 前編 ――Bugler's Holiday in Hamamatsu――(奥中康人)
どこの神社仏閣が主催するわけでもない、都市型の祭りである浜松まつりでは、凧揚げともうひとつ「ラッパを吹きまくる」という、他の祭りではなかなか見ることのない風習が定着している。それは浜松市民にとっては、毎年見聞きする日常のひとコマなのだが、他地方から見るとかなりの驚き。ローカルな音楽文化として、いつかきちんと紹介してみたいと思っていたら、以前に本メルマガで石巻の農民楽団・北村大沢楽隊をリポートしていただいた奥中康人さん(静岡文化芸術大学准教授)が、浜松における祭りラッパの研究を続けるとともに、みずからも一員となって練習に余年のない日々と聞き、さっそくリポートをお願いした。
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浜松、ラッパ吹きの祝日 後編――Bugler's Holiday in Hamamatsu――(奥中康人)
先週に続いてお送りする、浜松まつりとラッパの物語。毎年ゴールデンウィークに開催される、浜松市民以外にはほとんど知られていない、しかし浜松市民にはこよなく愛されてきたローカル・カルチャーの、ひとつの完成形である。静岡文化芸術大学の奥中康人さんによる渾身のリポート、その後編をお楽しみください。
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歌うマトリョーシカ——マンダリン・エレクトロンの挑戦
何百、何千の市民がラッパを吹きまくりながら街なかを行進する「浜松まつり」を、今年7月のロードサイダーズ・ウィークリーでは2週にわたって紹介した。「音楽のまち」をウリにしながら、行政からは完全に無視されつつ、しかしストリートでは異様な盛り上がりを見せるそのありさまに、音楽の持つちからをあらためて実感させられたが、浜松にはもうひとつ、以前から取り上げてみたかった音楽シーンがあった。日本に数少ないテルミン奏者・竹内正実ひきいる「マンダリン・エレクトロン」である。
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ROADSIDE MUSIC 外道
久しぶりにお送りするロードサイド・ミュージックは日本の誇るロックンロール&ブルースバンド、外道! 今月7日(本日!)発売になるニューアルバム『Rocking THE BLUES』を記念して、昨年(2014)8月28日に渋谷クロコダイルでのライブ、前半後半からアンコールまで1時間58分のステージを、まるごと聴いていただく! 往年のロックファンなら知らぬもののない外道は、1973年結成。翌74年にファースト・アルバム『外道』を発表以来、解散と再結成を繰り返しながら、すでに活動42年目に突入。日本屈指の現役ロック・バンドだ。
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特別公開・友川カズキの酔眼レコメンリスト
1月27日、渋谷タワーレコードにて『友川カズキ独白録—生きてみるって言ってみろ—』発刊記念のトーク&ライブで、友川さんとトークをさせてもらいました。来てくれたみなさん、どうもありがとう! どれくらい来るのか・・・とスタッフも心配顔でしたが、蓋を開けてみれば立ち見ありの満員御礼。仕事を急いで終えて駆けつけてくれたひともいたでしょう、ご参加感謝します。イベントの場で参加特典として配布されたのが、「友川カズキの酔眼レコメンリスト」という4つ折りのリーフレット。片面が「私を“犯した”15冊の書籍」、もう片面が「私を“冒した”15枚の音盤」というわけで、15の本とレコードをコメントとともに掲載した、すごく読み応えのあるリストでした。
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結成20周年、ギャーテーズ東大五月祭に降臨!
2014年はいちどしかライブを開かなかったギャーテーズが、今年初めてのライブを今週日曜日(5月17日)、東大五月祭で披露する。大編成のバンドであること、メンバーが施設に暮らしたり、別の仕事をしながら音楽活動をしていたりと、めったにライブの機会がないギャーテーズだけに、今回のライブは「知る人ぞ知る」存在だった奇跡のバンドを生で体験できる、貴重な場となる。今回は2013年に放送したライブ音源をたっぷりお聴きいただくとともに、ギャーテーズの活動にずっと寄り添い、記録を続けてきたAV監督・菅原養史さんに、ギャーテーズという稀有なバンドと、そのリーダーである大龍さんの波瀾万丈の歴史をひもとく文章を書き下ろしていただいた。
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浪曲DOMMUNE、購読者限定再配信!
さる6月1日にDOMMUNEで生配信された「めくるめく浪曲の世界 ~ 黄泉がえれ、肉声の黄金郷」。おそらくDOMMUNEで初めての伝統邦楽、おそらく平均年齢最年長のゲスト、と異例ずくめの内容でしたが、思いがけない反響が開始直後からツイートラインを埋め、関係者一同驚愕・歓喜でした。「見逃して涙」「再配信熱望!」などというコメントをずいぶんいただきましたが、DOMMUNEのご厚意により、ロードサイダーズ・ウィークリー購読者限定で、当日の番組をいち早く、フルで再配信いたします。宇川さん、どうもありがとう!
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めくるめくお色気レコジャケ宇宙
ずっと昔に連載していたというだけで、いまも毎週送ってくれる週刊『SPA!』で、みうらじゅん&リリー・フランキーさんの「グラビアン魂」を眺めながら、ふと思う・・どうして自分はこういうグラビアアイドルに惹かれないのだろうと。それはたぶん、「幸薄く見えない」からだ。見事な身体に、見事な顔面。極小水着を食い込ませようが、縄で縛られようが、彼女たちはすべてのカットで自信にあふれ、鼻息荒くページをめくる男性読者を上から見下ろす。その行く手に、とりあえずこれから数年は立ちふさがるなにものもない(ように見える)グラビアアイドルたちに、不幸な陰はひとかけらもない。それが僕を萎えさせる。「爆音カラオケ」でおなじみの西麻布・新世界を会場に、今年5月13日に『目眩くナレーション・レコードの世界』というマニアックなイベントを開催した。いったい何人来てくれるのだろうと心配だったが、ロードサイダーズ読者も何人か参加していただき、意外なほどの盛り上がり。予想以上に楽しいイベントだったので調子に乗って(!)、来たる7月29日に早くも第2回めを開催することに決定。
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旅姿浪曲娘――港家小柳一代記
先週告知した「浪曲DOMMUNE vol.2」は、いよいよ本日(10月14日)配信! そして6月の第1回と同じく当夜のトリを勤めていただく、今年が芸歴70周年(!)の港家小柳師匠を追ったドキュメンタリー『港家小柳 IN-TUNE』は、来週19日から渋谷アップリンクで上映開始。ベテラン浪曲ファンはもちろん、先のDOMMUNEで「明治が生んだ最強のハードコア・ストリートラップ」ともいえる浪曲の魅力に打ちのめされた初心者ファンも、今月はあらためて小柳師匠の、88歳とはとうてい信じられない、恐ろしいほどエネルギッシュな芸に酔いしれていただきたい。70年におよぶ芸歴を誇りながら、港家小柳の浪曲はかつて、それほど東京や大阪の浪曲ファンになじみのあるものではなかった。ドキュメンタリーが撮影された去年の浅草木馬亭における舞台が、「芸歴69年にして初の独演会」だったという事実が、それを如実に示している。
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いまのブルース――三村京子、5年ぶりの新譜を聴く
北京の空のように息苦しいライブハウスで2時間立ちっぱなしが辛い年齢になっても、やっぱりライブ通いをやめられないのは、CDや配信の音源だけではとうていつかめない、生音の吸引力がそこにあるからだ。今週、来週と2回にわけて、いますごく気になっている、そしてぜひライブを体験してもらいたいアーティストを紹介したい。偶然だけど、ふたりとも独自の歌とギター・ワークが沁み入る女性歌手/ギタリストである。今週はまず、三村京子さんから。
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UNO――たったひとつの音楽に向かって
ロックやブルースを何十年も聴いているオヤジたちが、いまいちばん熱くなっているのが22歳のアーティスト、Rei(レイ)だろう。目を閉じて聴いたら熟練のエレクトリック・ブルースマンにしか思えない華やかな、しかも強烈なアタックのギターを弾くRei。歌に耳を澄ませば、完璧な日本語をしゃべるアメリカ人のような、英語と日本語、ふたつのネイティブ・ランゲージを自然に組み合わせたリリックを書いて、歌うRei。まだ2枚のミニアルバムしか発表していないのに、これだけみんなをゾワゾワさせているRei。なんなんだろう、この子!?
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アイドルというパンクス――おやすみホログラム@新宿ロフト観戦記
西新宿にオープンしたのが1976年。99年に歌舞伎町に移転して、来年で40周年を迎える新宿ロフト。東京を代表するロック系ライブハウスであることは言うまでもないが、その新宿ロフトでいま、いちばん頻繁に出演しているのがハードコアパンクバンドの・・・ではなくてアイドルユニットの「おやすみホログラム」であることを、ご存知だろうか。先月の告知で紹介したとおり、雑誌『EX大衆』の連載「IDOL SYLE」で、この二人組ユニットのひとり・望月かなみるちゃんを取り上げたので、見てくれたかたもいらっしゃるだろう(もうひとりは八月ちゃん)。
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辺境のグルーヴ、共産テクノ!
本業は硬派の出版社で編集者を勤めつつ、「珍書プロデューサー」としてもマニアックな書籍をリリースしてきたハマザキさんは、みずから自費出版社「パブリブ」も立ち上げていて、すでにその第一弾として昨年『デスメタル・アフリカ』を刊行しているが、そのパブリブから「今月(2016年3月)に出版する新刊がこれです!」と手渡されたのが『共産テクノ ソ連編』。アフリカのデスメタルの次は、ソ連(ロシアですらなく)のテクノ・・・どれだけケモノ道に分け入っていくつもりだろう。著者の四方宏明(しかた・ひろあき)は序文で「共産テクノ」というものを、「冷戦時代にソ連を中心とした共産主義陣営で作られていたテクノポップ~ニューウェイブ系の音楽」と定義しているが、これはもちろん四方さん自身による造語。日本や欧米の占有物というイメージが圧倒的に強いテクノポップ~ニューウェイブが、共産主義陣営にも存在したという事実すら、これまでほとんど知られてこなかったし、海外を含めてそれらが書籍としてまとめられたこともかつてなかったそう。つまりこれもまた「類書なし」の孤独なトップランナーなのだった。
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ありがとう、グレン・フライ(文:室矢憲治)
室矢憲治(むろや・けんじ)さんと出会ったのは僕がまだPOPEYE編集部にいたころだから、もう40年ほども前になる。室矢さんは僕より少し上の世代になるが、当時から「ムロケン」と呼ばれていて、その飄々とした佇まいと、西海岸のヒッピー・カルチャーを漂わせる風貌で、年齢不詳の魅力をふりまいていた。もうまもなく、このメルマガで室矢さんが体験してきた個人的なアメリカン・ロック・ヒストリー『Rockin' Golden Road ムロケンロールな日々』を短期集中連載していただく。お父さんが外交官だったおかげで少年時代をニューヨークで過ごし、1965年のビートルス初USAライブ、ニューポート・フォークフェスティバルのボブ・ディラン「ロック転向ライブ」、そしてウッドストックまで、歴史的な現場に立ち会った、もしかしたら唯一の日本人である室矢さん。アカデミックな「ロック研究」とは別次元の、パーソナルな変革の歴史を追体験していただきたい。今週は「ムロケンロールな日々」の序章として、今年1月18日に67歳で亡くなったイーグルスのグレン・フライを追悼するエッセイを寄稿いただいた。
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DOMMUNE「スナック芸術丸」、過去3回分を読者限定公開!
いまや番組配信だけにとどまらず、高速・光インターネットサービスまでも開始、3000番組/5000時間/100テラバイトにおよぶ番組アーカイブの開放に着手したDOMMUNE。開局時の5年半前から「スナック芸術丸」も、そのささやかな一画で遊ばせてもらってるわけですが、今回はロードサイダーズ・ウィークリー購読者限定で、過去3回のプログラムを限定公開してくれました。宇川くん、ありがとう!
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電子たくあんの夜
このメルマガが始まって間もない、2012年4月4日号で初めて紹介した、福岡県大牟田市のノイズバンド「電子たくあん」を覚えてらっしゃるだろうか。当時、高校2年生だった驚異のドラマー・村里杏をフィーチャーした電子たくあんは、そのあとも幾度か記事に取り上げたり、DOMMUNEスナック芸術丸にも出演してもらった。あれからもう4年、現在も電子たくあんは活動継続中だ。村里杏ちゃんは他にもさまざまなユニットに参加したり、ソロ・ライブもやったりと、相変わらずエネルギッシュなプレイを続けている。
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森山直太朗『嗚呼』
ふだんは取材する相手も、お仕事いただく相手もインディーズというか地下というか、日の当たりにくい場所で活動するひとばかりだけれど、珍しくメジャーな企画に参加しました。森山直太朗の1年半ぶりになるオリジナルアルバム『嗚呼』のジャケットとリーフレット撮影です。森山さんの曲は好きだし、スナックでもよく聴くけれど、声かけてもらえたのにはびっくり。で、最近撮っている写真をいくつかお見せしたら、「これで行きたいです」と即決したのが、なんと「おかんアート」! 本気か・・・笑。
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浜松の演歌王・佐伯一郎物語[前編]
始まりは『ドントパスミーバイ』というラジオ番組だった。根本敬x湯浅学という、商業放送にはあまりに危険な組み合わせによる、めちゃくちゃな(ほんとうに!)番組が2010年の3ヶ月間だけインターFMで放送されていた(もちろん1クールで終了)。そのゲストに呼ばれたときに、スタジオに入っていったらかかっていたのが、「用心棒」という謎の3人組スキンヘッド親父が歌う『MAMA・・・』。それは「都築さんならこの曲だと思って」と説明された曲だったが、どう見ても聴いても、ルックスが似てること以外に共通点はない気がした。それから月日が経ち・・・本メルマガでこれまで浜松祭りのラッパや、宮城の北村大沢楽隊について書いてくれた、静岡文化芸術大学の奥中康人さんと話していたときのこと。「浜松にはこんな演歌の先生がいて、歌謡塾も開いてるんです・・」と、侠気あふれるシングル盤を目の前に積み上げてくれて、そこには「佐伯一郎」という名前が大書されていたのだが、その中になんと「用心棒」のCDシングルも混じっていた。そうか、これも「音楽都市」浜松が生んだ歌だったのか!
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浜松の演歌王・佐伯一郎物語[後編]
浜松が生んだ偉大な「歌う作曲家」、佐伯一郎。苦難に満ちた少年時代から紆余曲折を経て、1973年にデビューアルバム『逢いたかったぜ』を吹き込み、大ヒットとなったのが36歳のときだった。しかしそこで東京に活動の舞台を移さず、あえて故郷・浜松で音楽活動を続けることを選ぶ。それが浜松ローカルの「歌う作曲家」、佐伯一郎の本格的な始まりとなったまでを先週はお話しした。『逢いたかったぜ』のヒットに先立つ1965年、佐伯さんは市内元浜町に「佐伯一郎音楽事務所」を設立。多くの門弟を育てつつ、オリジナル曲も数多く生み出していく。この時期、名盤解放同盟ファンにはおなじみのマリア四郎にも楽曲を提供しているが、やはり特筆すべきはまず『情熱の波止場』『男ブルース/女ブルース』など、青山ミチに提供した曲が挙げられる。
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新連載! マージナル・パラダイス 01 世界のエアロビクス音楽を巡ってみた(文:四方宏明)
今年3月9日号で紹介した希少な音楽書『共産テクノ ソ連編』の著者・四方宏明(しかた・ひろあき)さん。インタビューさせていただいたときに、「このあとソ連以外の共産圏や、さらにいろんな辺境に音楽を探しに行くつもり!」というので、それならぜひとお願いして、「世界のマージナルな音楽コレクション」を紹介していただくことにした。そして届いた第1回目のテーマが「世界のエアロビクス音楽」! たしかにマージナル! いったいどんな音楽なのか、一緒にじっくり拝聴してみよう。
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サラヴァ・レーベルの50年
『男と女』の監督はクロード・ルルーシュだが、これはピエール・バルーの映画でもある。そしてそのピエール・バルーが1966年に創設した、ヨーロッパ最古のインディーズ・レーベル「サラヴァ」が今年で50周年を迎え、先週まで渋谷アツコ・バルーで記念展を開いていたのは、Facebookページで告知させてもらったとおり。アツコ・バルーはこの夏に『神は局部に宿る』展を開かせてもらったギャラリーだが、オーナーのアツコ・バルーさんはピエール・バルーの奥様でもある(ついでに僕の中学の同級生!)。その展覧会は1960年代からの貴重なオリジナル写真やアルバムジャケット、テキスト資料が惜しげもなく、しかも壁面に無造作に飾られて、そこに手書きポストイットが貼られるという・・・サンパティックにもほどがある!スタイルで展示されてて、こういうところがいかにもサラヴァっぽいというか、フランス的なヒップという感じだった。
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欧州生まれの日本育ち、ユーロビートという「帰国音楽」
日曜夜9時の六本木。30年前は十数軒のディスコがひしめきあっていたブロックも、いまは手持ちぶさたな黒人客引きばかりが目立つ。カラオケボックスや相席居酒屋が入る飲食ビルにマハラジャ六本木が「復活」したのは2010年のこと。今夜はそのマハラジャで月イチの定例イベント「SEF DELUXE」が開かれている。SEFとは「スーパー・ユーロ・フラッシュ」の略。エイベックスからいまだに新譜リリースが続いている奇跡のご長寿シリーズ『SUPER EUROBEAT』をかけながら踊りまくるという、オールドスクールにしてダイハードなダンスシーンが、こんな場所で生き残っていたのだった!
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IDOL DOMMUNE ―― 地下アイドルとヲタのプラトニック恋愛譚
2月9日に配信されたDOMMUNEスナック芸術丸「IDOL STYLE連載30回突破記念/ヲタの細道」、楽しんでいただけたろうか。アイドル雑誌「EX大衆」での連載が30回を超えた記念番組だったが、その前回のユーロビートほどではないにしろ、地下アイドル、それもアイドルよりもヲタに焦点を当てた2時間。音楽にシビアなDOMMUNEの視聴者がどれだけついてきてくれるのか不安だったが、結果としてはかなり盛り上がってもらえたようで、ひと安心。今週は例によってDOMMUNEのご厚意により、再視聴リンクをプレゼントする。後半のベルリンからのDJタイムを含め5時間強。メルマガ読者限定なので、ひそやかに、たっぷりお楽しみいただきたい。
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追悼、チャック・ベリー
3月18日午後1時26分、ミズーリ州セントルイスの郊外、セントチャールズでチャック・ベリーが亡くなった。享年90歳の大往生だった。 死去の知らせはすでにニュースでご存じだろうが、本メルマガでは2014年に「音楽に呼ばれて」という連載がスタートした。アメリカ各地のロックにまつわる場所を訪れて撮影した写真に、音楽評論家の湯浅学さんが文章を書いてくれるセットだったが、その連載の第1回目がチャック・ベリーの生家のあった通りを訪れた記事だった。連載のほうは残念ながら、なかなか2回目以降が掲載できずにいるのだが、チャック・ベリーの死去に際して、ここに記事を再掲載させていただく。ロックンロールの創始者に、謹んで哀悼を捧げつつ。
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妄想カセットテープ・デイズ――「もしカセットテープでリリースされていたら?」 そんな妄想に突き動かされ、365日、この世には存在しない妄想カセットテープを作り続ける男が長崎にいた!(文:薮下“YABBY”晃正)
飲み屋のテーブルに、大きな紙袋いっぱいのカセットテープが広がっていた。手に取るとそれは生テープではなくて、ちゃんとラベルや、開けてみれば曲名リストまでついているのだったが、かぎりなく商品っぽいようでいて、なにか微妙な違和感が漂っている。ああ、こんなのもカセットになってたんだと思うが、これ本物?と疑う気持ちもあり、でも自分がコレクターではないだけに断言できず、見るほどにわけがわからなくなっていく。ロシアの市場で「ルーマニア盤のビートルズ・ラブソング集」という謎の2枚組LPを見せられたときのように。テーブルの向こうでニコニコしている男性が、そのカセットの持ち主であり、作り手でもあった。納富健さんは長崎の地でひとり、こんなふうに「あってもおかしくないけれど、実は存在しない」カセットテープを黙々と作りつづけている。「妄想カセット」と仮に名づけたその膨大な作品群を、早くから注目してきた音楽プロデューサーで、ダブDJとしても知られる薮下“YABBY”晃正さんに、今週はたっぷり紹介していただく!
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ラッパの変態@静岡文芸大
静岡文化芸術大学で教授をつとめながら、音大生の部屋めぐりにインディーズ演歌と、いつもユニークな話題をメルマガに寄せてくれる奥中康人さん。とりわけ浜松名物お祭りラッパについては、好きが高じてみずからラッパを吹いて、学生とともに毎年祭りに参加するまでになっているらしい。その奥中さんが来る12月9日に大学内で、ラッパをフィーチャーした特殊イベントを開催するというお知らせをいただいた。『ラッパの変態: 日本の民俗音楽になったヨーロッパの金管楽器』というタイトルを聞いただけで・・・あの勇ましいブロウが耳に甦ってきそう。単なるレクチャーではなくて、浜松と長野県諏訪からベテラン・ラッパ吹きを招いての実演あり! 学生だけでなく、一般参加大歓迎だそうなので、地元ラッパ好きはもちろん、ビザールなワールドミュージックに目がないマニアのみなさまも、ふるってご参加いただきたい。お知らせとして奥中さんに紹介文を書いていただいたので、予習がわりのイントロダクションにお読みください!
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ヘンデル&ヘンドリックス・イン・ロンドン!
バスキアの記事で書いたからというわけではないけれど、シアトル生まれのアメリカン人ジミ・ヘンドリックスとロンドンが深い関係にあるのは、ファンならご存じのとおり。もともとジミはアイク&ティナ・ターナーやアイズレー・ブラザーズなどソウル、R&B系のミュージシャンのバックでプレイしていたが、アニマルズのベーシスト、チャス・チャンドラーに見出されて1966年に渡英。ノエル・レディング、ミッチ・ミッチェルと「ザ・ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス」を結成し、同年12月には『ヘイ・ジョー』、翌67年3月には『パープル・ヘイズ』を立て続けにヒットさせた。ある意味でジミヘンをジミヘンたらしめたのはシアトルでもニューヨークでもなく、ロンドンだったのだ。
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佐藤ジンが見たUNDERGROUND MUSIC GIGS 70’s~80’s(取材・文 臼井悠)
去年の10月、高円寺の片隅で、佐藤ジンさんの写真展「GIG」を見た。1970年代後半から短い間、日本にはアンダーグラウンドな音楽シーンがあった。FRICTION、裸のラリーズ、LIZARD、ハナタラシ、ザ・スターリン、アーント・サリー……、名前をあげたらきりがないし、このメールマガジンの読者の皆さんなら、その時代を知っている方はもちろん、後から衝撃を覚えて聞きまくった!みたいな世代も多いと思う(わたしも!)。この文章を書いているわたしは1981年生まれで、時代的には後追いの渋谷系とTKサウンド全盛期、あとはビジュアル系とか。高校時代はだいたい「自転車に乗って 風を切ってルルルル~♫」みたいなヒットソングばっかで、そんなときに「裸のラリーズ」というバンドを、年上の友人が教えてくれた。あのときの、な、な、なんだよ、この変な音楽は!!!って、耳障りなのにサイケデリックなノイズが心地よくて、もっと爆音で聴きたいって思ったのをよく覚えている。
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境界線上の音楽――ミャンマー歌謡曲を探して(写真・文:村上巨樹)
去年の秋、新宿御苑に近い小さなバーで、「ミャンマー音楽を聴く会」という催しに誘ってもらった。ゴールデン街より小さいくらいの店で、たった数人の参加者たちのために、CDやカセットテープを山積みにして、ていねいに解説しながら風変わりな曲ばかりをかけてくれたのが村上巨樹さんだった。巨樹さんがミャンマー音楽にハマったのは2年ほど前のこと。日本で調べられることは限られているので、この2年間にもう2回もミャンマーを訪れ、CDショップ、楽器店から音楽学校までを巡って、調査を続けている。今週はその成果を、巨樹さん自身の写真とテキスト、それに選曲でお届けする。
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おきあがり赤ちゃんのビザール・サウンドスケープ
アウトサイダー・アートやアウトサイダー文学があるように、アウトサイダー・ミュージックというのもある。日本ではあまり発掘が進んでいないが、アメリカではすでに何枚もCDや研究書も出ている。これぞ日本のアウトサイダー・ミュージック!と呼びたい異端の音楽家に、このあいだ出会った。名前を「おきあがり赤ちゃん」・・・そう、おきあがり赤ちゃんというミュージシャン。でも赤ちゃんではなくて、61歳の男性だ。おきあがり赤ちゃんは、おきあがり赤ちゃんを楽器にして音楽を奏でる。いまではオモチャ屋でもほとんど見なくなってしまったが、昔は天井から吊したメリーとセットのように、赤ちゃんがいる家庭にはかならずあった、ポロンポロンルルリリンとかわいらしい音を立てる起き上がりこぼしのプラスチック人形、あれがおきあがり赤ちゃんだ。
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ヤンゴンの師匠、岩手の弟子――ミャンマーマンドリンに没頭した6日間(写真・文:村上巨樹)
岩手花巻で音楽活動を続ける村上巨樹さんによるミャンマー音楽探訪記『境界線上の音楽――ミャンマー歌謡曲を探して』を今年2月7日号でお送りした。掲載の翌週に村上さんはまたもミャンマーを再訪、こんどは本格的に現地ミュージシャンに弟子入りしてきた!というので、さっそく続報を書いていただくことにした。言葉もできず、伝手もなし。どんな波乱が、ヤンゴンで村上さんを待っているのだろう!
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DOMMUNE スナック芸術丸・第四十七夜、購読者限定公開!
去る4月3日にDOMMUNEスタジオから生配信したばかりの『スナック芸術丸・第四十七夜』が、さっそく購読者限定視聴リンクからご覧いただけるようになりました。宇川直宏くん、どうもありがとう! 当夜のDOMMUNEは「赤ちゃんとオトナとカンボジアの夜」と名づけましたが、配信直前に『独居老人スタイル』でもフィーチャーした孤高のパフォーマー、首くくり栲象さんの訃報が飛び込んできたので、生前に記録させていただいた「庭劇場」でのパフォーマンス動画を交えたトリビュート・コーナーを設け、あわただしく4部構成でお届けしました。「1 首くくり栲象追悼特集」「2 カンボジアン・スペース・プロジェクト、リードシンガー交通事故死追悼特集」「3 『キャバレー、ダンスホール 20世紀の夜』発売記念トーク」「4 おきあがり赤ちゃん トーク&ライブ」そう、今週号で掲載した『キャバレー、ダンスホール 20世紀の夜』も、編集の西村依莉さんを招いてお話してもらったので、今週は文章と映像で「キャバレーこぼれ話」を満喫していただけます!
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78回転でミャンマーは廻る――忘れ去られたレコードを探して(写真・文:村上巨樹)
小学生の頃には既にCDの世の中に変わっていた世代の僕だけど、レコードの面白さや味わい深さは知っている。盛岡でのレコードフェアに足を運んだり、国道沿いでリサイクルショップを見つけた時は積極的に寄り道をする。どんなレコードを買い集めているかと言うと、まずは資料性の高い盤、次に好きな歌手の盤、と言う順だ。僕はギターの演奏と作曲をやっているので、より参照元になりえる盤を集めている。ミャンマーのレコードも例外ではない。むしろ僕のレコード棚の中でも飛び抜けて資料性/希少性が高いジャンルだ。と言うのも、ミャンマーでレコードを探すのは至難の技だから。LPやEPの生産は無くSP盤のみ作られたそう。それらは50~70年ほど前に作られており、そのほとんどはカセット文化への移行時に捨てられてしまったと聞く。それでも少しは現地に残っているが、現存するSP盤はとにかく傷がひどい。それでも当時の音を真空パックした貴重なものなので、毎年ミャンマーに行ってはレコード探しを行っている。
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数の子ミュージックメイトの素晴らしき「身内音楽」世界(文:臼井悠)
「身内音楽」と聞いて、いったいどんな音楽を思い浮かべますか。今年の冬ごろ三宿にある『バー725』のママから、「こんど身内音楽のDJイベントやるから遊びにこない? 絶対好きだから!!!」と激しく誘われた。DJの名前は「数の子ミュージックメイト」さんといい、身内音楽ってのは合唱コンクールとかカラオケスナックの録音とか、いわゆる商業ベースにのらない素人音源で、しかも数の子さんはそのハードコアな収集家らしい。うーーーん、マジでなにがなにやらすぎ(笑)! 残念なことにその日はヤボ用でいけなかったのだけど、気になって気になってしょうがないので、数の子さんのご自宅に突撃訪問してきました。数の子さん、身内音楽って、いったいなんなんですか!!
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宇宙で一枚だけのレコード
NHK-FMの民謡番組『吉木りさのタミウタ』で小さなコーナーをもらってから民謡の専門家と知り合う機会が増え、ディレクターのひとりから町田佳聲(まちだかしょう、1888-1981)という民謡研究家を教わった。『民謡に生きる 町田佳聲 八十八年の足跡』(竹内勉著、ほるぷレコード刊)という伝記を読むと、蓄音機のラッパ部分に向かって演奏した音をレコード盤に直接カッティングする「写音機」が発売されたのを機に、これに改造を加えた「町田式写音機」を制作。病気がちで40キロそこそこしかない身体で、重さ13キロの写音機を担いで自費で全国をめぐって消えゆく民謡を記録、40年を費やし2万曲の採譜を成し遂げたという・・・アラン・ローマックスみたいな人間が日本にもいたことを知って感動。とりわけ、土地の古老を探しては頼み込み、写音機をセットして、ラッパに向かって歌ってもらうという、フィールド・レコーディングの様子に激しく興味をかきたてられた。
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SADO INFINITY 88 Cymbal、全世界配信! 「リアルスナック芸術丸」も!
2018年10月10号で特集した「さどの島銀河芸術祭2018」。3日間にわたった祭典のうち、最終日に開催された「SADO INFINITY 88 Cymbal」が、ようやく映像となって公開されます! 美しい棚田を舞台に、BOREDOMSのEYEさんの指揮のもと、88のシンバルが奏でる天上の音楽体験! まずは佐渡島内のケーブルテレビ「サドテレビ」で12月30日に「アイランドプレミア」放映され、1月1日00時00分に、DOMMUNEサイトからワールドプレミア! これはDOMMUNE版の「ゆく年くる年」裏番組!ですねえ。そのあとも1月8日までアーカイブ解放されるそうなので、元旦に初詣とか行っても大丈夫! これだけの規模の音楽体験が、これほどのロケーションで生まれることは滅多にないと思うので、現場に参加できなかったみなさまも、この機会にぜひ映像で追体験してください。
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旅する少女歌劇団を探して
「日本少女歌劇団」あるいは「日本少女歌劇座」と銘打たれた謎の元祖アイドルに魅せられた鵜飼さんの長い探索は、2016年2月に奈良県大和郡山で開催された『日本少女歌劇座展』に結実し、そのいきさつは本メルマガの同年2月24日号「旅する少女歌劇団」に寄稿していただいた。 見世物小屋や大衆演劇の研究家である鵜飼さんの少女歌劇団調査はその後も続けられて、今月19日から宮崎市で新たな展覧会『旅する少女歌劇団 日本少女歌劇座展』が開催される。なぜ宮崎かといえば、大正10年に生まれた「日本少女歌劇(団)」が昭和11年に宮崎市内に劇場を開場し、戦前から戦後の昭和30年代初めまで、宮崎ではお正月の風物詩としておなじみの存在であったからだ。 少女歌劇(団)が誕生した大正10年から、全国巡演の時代とトップスターの出現、さらに少女歌劇の生みの親にして、戦前戦後の政治裏面史にも顔を出す謎多き人物・島幹雄のプロフィールまで、これまでほとんど知られることのないままでいた「旅する少女歌劇団」を振り返る、本展は貴重な機会になるはずである。
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途切れた音を繋ぎ直すように(撮影・文:村上巨樹)
去年、3回にわたってミャンマー音楽をめぐる旅に連れて行ってくれた、岩手県花巻在住のミュージシャン・村上巨樹さん。その探索行はさらに深化しながら、2019年も続く!
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BONE MUSIC展、開幕!
すでにお聞き及びのかたもいらっしゃると思うが、本メルマガでも紹介したソビエト時代のレントゲンレコードをフィーチャーした『BONE MUSIC展』が4月27日から5月12日まで、原宿BA-TSUアートギャラリーで開催される。何度かトークで手持ちの実物を見せたことはあるけれど、今回はロンドンからやってくるコレクション。すでにイギリス国内、ロシア、イスラエルなどで開かれて評判となった展示の巡回なので、かなり楽しみだ。
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アナログの中に未来がある(撮影・文:村上巨樹)
ミャンマーの音楽を研究している僕は、毎年現地に行ってはメディア問わず音源を買い集めている。カセット、CD、VCD(ビデオCDの略、動画ファイルが大量に入ったCD)――中でも好きなのがレコードだ。理由はいくつもあるけれど、物としての存在が大きい事と、この国でレコードが生産されていた時期と僕が好きなミャンマー歌謡曲のリリース時期が重なっているからだ。レコードが廃れた後にカセット黄金期を迎えるけど、その頃の音楽は欧米ポップスに倣ったものが多く、正直面白くない。古いメディアの方が、ミャンマーらしさが残っている歌が多く吹き込まれている率が高い。しかしこの国でレコードを見つけるのは至難の技だ。カセット文化への移行期にほとんど捨てられてしまったからだ。CD店の店員に聞いても「レコード? それって何ですか?」と聞き返される始末。
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マンダレーから聞こえてきた音を辿って(撮影・文:村上巨樹)
何がきっかけでミャンマー音楽にハマったか、それははっきりと覚えている。今から6年前の2013年、たまたまYoutubeで見たこの動画だった。それ以前から僕は作曲や演奏で多少なりとも飯を食っており、人並み以上に音楽の知識を持っている自負はあった。古今東西の音楽を聞き漁ってきた過去を振り返ると、それまでの価値観を揺さぶる「なんだこれは?」レベルの出会いがたびたびあった。クリスチャン・ヴァンデ率いる暗黒プログレバンド・マグマ、西洋のオーケストレーションを使い日本の民族性を表現した伊福部昭、ブラジルが誇る作曲家兼マルチ奏者・エグベルト・ジスモンチ、複雑怪奇なリズムだけを追求したメキシコの現代音楽家・コンロン・ナンカロウ。そのたびに衝撃と勇気ともらっていた。その連綿と続く(僕が勝手に並べているだけだが)天才の系譜。次に出会ったのがこの動画だった。正直ぎょっとした。
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インドの路上で未来派サウンドシステム!(写真・文:金谷真)
蓮画家の金谷さんは、能代での個展が始まる直前、インドを旅していた。1ヶ月ほどの北東インド滞在のなかで、ときどきアップしていたFacebookの書き込みを見ていたら、路上で遭遇したインド式サウンドシステムにやられた興奮がひしひしと伝わってきた。せっかくなので能代特集にあわせて、急いで書いていただいたインディアン・サウンドシステム見聞記。爆音で動画も楽しみつつ、お付き合いください!
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クラフトワークに出会ったころ
クラフトワークのフローリアン・シュナイダー死去というニュースに、胸を痛めた音楽ファンも多かったろう。発表されたのは5月6日だったが、死去したのは4月21日。享年73歳、死因は癌だった。乏しい小遣いで初めてシングル盤を買い始めたのが中学生のころ、それからずっとレコードと本がいつもいちばん大切で、20代には壁一面のコレクションになったが、引越を繰り返すうちにどんどん減っていって、いま手元に残してあるのは100枚もない。別にいつも聴くとかではないのに、なぜか「捨てられないレコード」となっている一枚が、クラフトワークを結成したフローリアン・シュナイダーとラルフ・ヒュッターによる「ラルフ&フローリアン」。
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音楽はいまどこにあるのか――四谷アウトブレイクの「無観客住み込みギグ」
東京都心、千代田区と新宿区の境にある四谷駅から徒歩5分ほど、四谷アウトブレイクというライブハウスがある。大きくもなく、小さすぎもせず、どこの街にもあるライブハウスという感じだ。アウトブレイクはロックだけでなく、妙なイベントにもけっこう門戸を開いていて、僕もこのメルマガで取り上げたミャンマー音楽ナイトや、月亭可朝さんのイベントに参加したこともあるし、「起き上がり赤ちゃん」の取材では「人見知りが激しいので」と、店長が千葉まで取材に同行してくれもした。なんといってもうちからいちばん近いライブハウスだし。そして今回の新型コロナウィルス・アウトブレイク……。このライブハウスは2004年オープンなので当然ウィルスとはなんの関係もないのだが、全国のライブハウスと同様、非常事態宣言とともに休業させられたうえに、名前もワル目立ち。しかしそこで営業ストップのかわりに、店長がいきなり始めたのが「無観客2週間住み込みギグ on YouTube」という無謀な企画だった。
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Freestyle China 即興中華 アツい中国メタルを一気に紹介!『デスメタルチャイナ』著者インタビュー (文:吉井忍)
中国の人は普段、どんな音楽を聴いているのだろうか。もちろん地域や世代で好みは分かれるだろうが、この原稿を作成している8月時点では、『楽隊的夏天(=バンドの夏)』が再び話題になっている。昨年夏に中国最大の動画サイト「愛奇芸(iQIYI.COM)」上で配信されたオーディション番組で、今年はその第二弾が7月からオンエア中。1990年代の北京で隆盛を極めたハードロックバンドがお目見えしたり、やんちゃなインディーズバンドが会場を沸かせたりと飽きない構成も魅力で、この番組の大ヒットによりバンドブームが再燃していると言っても過言ではない。 このほか人気ドラマの主題歌など流行音楽は数多く挙げられるが、ストリーミング型の音楽配信サービスで音楽を楽しむ形態が普及しているため、皆がそれぞれに国内外の好きなジャンルを聴きまくり、たまにCD屋やネットショップでアルバムを漁ったりジャケ買いをしたりというのが現状だ。日本とそれほど変わらないとも言える。ほんの十数年前までは新しい音楽に触れるためには海賊版を買うか、または海外に遊びに行くチャンスを得た友達もしくは留学生からCDをもらうしかなく、欲しいアルバムを半年待ってやっと手に入れる状況も珍しくなかったことを考えれば、今の状況は夢のよう。ネットで気軽に最新の情報とサウンドに触れられるようになった今、中国各地では様々な音楽とミュージシャンが急成長している。
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DOMMUNEスナック芸術丸・特別追悼番組「虹の彼方の弘田三枝子」購読者限定アーカイブ!
ライブでご視聴いただいたかたもいらっしゃるかと思いますが、先週木曜、8月13日にはDOMMUNEスナック芸術丸の特別追悼番組「虹の彼方の弘田三枝子」を全7時間、渋谷のスタジオから生配信しました(実はいろいろ延びたり、トークあとも曲を流したりしたので、ぜんぶで約9時間!)。「こんなにすごい歌手だったんだ!」とポジティブな反応をたくさんいただき、なかには最初から最後までお付き合いしてくれたビュワーもいたそうで、ほんとうにありがたかったです。 タイトルの「虹の彼方の弘田三枝子」というのは、なんとなくあの歌を思い浮かべながら、イベントの数日前に急いで付けたのですが、当日東京は夕方ににわか雨があり、渋谷の駅前でもきれいな虹が! こんな状況なのにスタジオ観覧してくれた参加者(しかも最後までいてくれた!)が、「いま、外で虹が出てましたよ!」とスマホの画面を見せてくれました(下がいただいた虹の画像)。番組スタートが迫ってバタバタ準備中だったので、まさかこんなタイミングで虹が出現したとは露知らず・・・・・・「ミコさんはちゃんと見てくれてるんだ!」と一同ウルウル。最高に勇気づけられて、無事に7時間以上のプログラムを完走できました。ミコさんも喜んでくれたらいいな・・・・・・。
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新連載!『ステレオ時代』の時代 01 一周回って通っぽい (文:澤村信)
先日、『ステレオ時代』という雑誌の取材を受けた。自動車雑誌が『カーグラフィック』を頂点に『ベストカー』(失礼!)までいろいろあるように、オーディオ雑誌にも『ステレオサウンド』を頂点にいろいろあるが、見せてもらった『ステレオ時代』は「昔の国産オーディオで安く楽しく音楽を楽しもう」という・・・・・・セット総額1千万円超え、果てはマイ電柱!というようなハイエンドマニアの対極にある、そうとうローエンドな雑誌だった。 取材に来た編集者の澤村さんは、電子書籍版が出るまで「『TOKYO STYLE』をバラして自炊してたんです」という。「部屋のディテールを拡大して見たくて」と言うので、なにを見たかったのか聞いてみたら、「いろんな部屋にあるオーディオ機器をチェックするんで」と言われて絶句。1980年代の、庶民の「オーディオがある暮らし」の良いサンプルなんですと、こちらが教えられた。 取材はつつがなく終了したが(最新刊『ステレオ時代 vol.17』に載ってます)、お話があまりにおもしろく、「ハイエンド・オーディオマニアって、ちょっとおかしくない?」というこちらの不躾な疑問にも、「そうか!」と思わずメモりたくなるエピソードをいろいろ披露してくれたので、いきなり「メルマガにもそういうの書いてください!」とお願いした。これからだいたい月1回のペースでお送りする「『ステレオ時代』の時代」。アナログレコード聞きたいけど、なに買ったらいいの?という初心者から、ハイエンド・オーディオ雑誌に洗脳されそうになってる音楽マニアまで、無駄に散財する前にぜひお読みいただきたく。だって、音が好きなんじゃなくて音楽が好きなんだから、限りあるお金は機材より音源に使いたいですよね!
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新連載! 新型コロナとフランス・アンダーグラウンド・シーン (画・文:ショビレヌ・K)
「K」さんはパリを拠点にアンダーグラウンド・ミュージック・シーンで活動する日本人アーティスト。友人の画家のダンナさんで、新型コロナ禍に揺れるヨーロッパにおける地下音楽界の状況を、現場の真っ只中からリポートしてくれることになった。おりしも春、夏に続いて3度目の感染拡大に襲われている最中のヨーロッパ。危機感に満ちた、しかし独特のユーモアと不遜な反抗精神も忘れない、ヨーロピアン・スタイルのニューノーマルがここにある。テレビや新聞のセンセーショナルな報道の外側にあるリアリティ。まだ、だれもコロナなんて気にしてなかった2月から始まる、激動の日々の記録にお付き合いいただきたい!
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『ステレオ時代』の時代 02 今どきレコードの楽しみ方 (文:澤村信)
都築さんに「レコードを聴くだけなら2万円もあればシステムを組めますよ」と宣言した私だが、なんとなくそのくらいかな、と思っただけでしっかり計算したわけではなかった。 そこで後でヤフオク!を覗いてみると、前回ご紹介した家電系メーカーのコンポ相場は予想以上に荒れていた。 「荒れていた」というのは、ただ「高い」というわけではなく、良くも悪くも「このモデルがこの値段!?」と思う出品が多いのだ。 さして名機でも人気モデルでもないのに「名作」とか「希少」とか美辞麗句を駆使してとんでもない値段で出品していたり、逆に「絶対これ良い」というものが1円スタートだったり、1000円でも流れてしまっていたり……。相場が高いということではなく、目利きという点でマニア向けだったのだ。
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おきあがり赤ちゃん・堂々8枚組新譜リリース!
ロードサイダーズにはもうおなじみの異端サウンドアーティスト「おきあがり赤ちゃん」。2018年3月21日号「おきあがり赤ちゃんのビザール・サウンドスケープ」で紹介したのをきっかけに、DOMMUNE出演や渋谷アツコバルーの展示会場でもライブ演奏を披露していただいた。 そのおきあがり赤ちゃんがリリースした3年ぶりの新譜『おもちゃの音の音楽祭』は、なんと8枚組(+無料DVD-R)という、とんでもないボリューム! 115曲、8時間33分の超大作なのだった。デビューアルバムの『okiagari akachan』こそCD1枚だったが、2枚目の『振り子人形』にしてすでにCD3枚組(+写真とポエムのブックレット)のボックスセット。しかしそれにしても8枚組とは・・・・・・。もちろんこれまでリリースされた3作品、すべてが完全自主制作盤である。
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新型コロナとフランス・アンダーグラウンドシーン 02 自宅待機令発令前夜:後編 (画・文:ショビレヌ・K)
こんにちは。ショビレヌ・Kです。前回の投稿では2月9日から22日までにジュネーブ、ストラスブール、シュトゥットガルトで行ったバンド・オフィシン(officine)の初アルバム『dieu』(絶賛発売中)のリリースツアーの様子をお伝えしました。 まだフランスでは新型コロナウィルスが流行していなかった時期です。第2回ではその後3月6日からロックダウンが開始された3月17日までに行ったライブ5本について綴ります。この辺りからフランスの新型コロナ情勢は大きく悪化します。
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『ステレオ時代』の時代 03 9395円の音 (文:澤村信/写真:山田芳朗)
前回の『今どきレコードの楽しみ方』でご紹介したとおり、プレーヤー、アンプ、スピーカーを合わせて9395円弱(送料除く)で揃えることに成功。「レコードプレーヤー:ローディ UNITORQUE 1295円/アンプ:オットー(三洋電機)DCA-A20 3500円/スピーカー:ローディ HS-780 4600円(2本)/計:9395円(すべてヤフオク!で落札)」 そして編集部の試聴室で聴くと、これが最高なのだ! とくにスピーカーは特筆モノ。それまでメインに据えていたコーラル(これも2万円で入手したもの)を押しのけて、最近はこればかり聴いている。音が良くて、佇まいが良くて、ネットを外すとギラギラ光るパストフューチャー的なアルミコーンが異様な存在感を主張する。うーん、最高。
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新型コロナとフランス・アンダーグラウンドシーン 03 ロックダウン、そして解除 (画・文:ショビレヌ・K)
こんにちは。ショビレヌ・Kです。前回の投稿では3月6日からフランスでロックダウンが開始された3月17日までに行ったライブ5本について綴りました。 今回は人生で初めて経験するロックダウンの日常、その期間に始めた自分のプロジェクト等についてレポートします。 3月18日にブレストからパリに戻った翌日からロックダウンが始まった。 どんちゃん騒ぎツアーでは嫌という程、濃厚接触の機会に晒され、何度も危機感をしっかり持つよう自分に言い聞かせたものの結局、最後の最後までしっかり楽しんでいたので自分が感染しているか否かもちろん心配だった。しかし健康状態は至って良好だったので外出時のマスク着用とうがい手洗をしっかり行い、体が冷えるような格好はせずに、いかなる時でも睡眠を最優先することを心掛けた。そして2週間後にピンピンしていたらラッキーだったと捉えるよう心に決めた。
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『ステレオ時代』の時代 04 ネットで変わる中古オーディオの世界 (文:澤村信)
「中古オーディオってどこで買うんですか」と訊かれることがある。 かつて中古オーディオは専門店を中心に流通していた。有名なダイナミックオーディオ、オーディオユニオン、テレオン、ハイファイ堂などがとくに高級な中古オーディオ店として知られていた。が、私のような庶民にはなかなか手が出にくい価格な機器が並ぶ。その敷居の高さたるや普段、牛丼屋で済ます人が叙々苑に行くがごとく。 もちろん牛丼屋にあたる安い中古品を扱う中古オーディオ専門店もあった。 これはかつて秋葉原のラジオ会館にあった名店『清進商会』だ。もともとは新品のオーディオを扱う専門店だったが、下取り販売を始めたところ、徐々にそちらがメインになっていたのだという。
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新型コロナとフランス・アンダーグラウンドシーン 04 ロックダウン解除後 (画・文:ショビレヌ・K)
こんにちは。ショビレヌ・Kです。前回の記事では3月17日から5月11日にかけて実施されたロックダウン期間の日常などに関してレポートしました。今回はロックダウンが解除されてから行ったライブのうち2本の様子を綴ります。7月8日@パリ北東部郊外 Les Lilas ファビエンヌ邸――ロックダウン解除後1本目のライブは、我々オフィシンの友人のファビエンヌとアンヌがオーガナイズしたロックダウン解除パーティーで行うことになった。
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追悼・佐伯一郎先生
2016年7月27日号と8月3日号の2週にわたって、「浜松の演歌王・佐伯一郎物語」を掲載した。音楽都市であるはずの浜松が生んだ偉大な「歌う作曲家」佐伯一郎。しかしオーケストラやオペラを愛する、意識高い系の浜松人には徹底的に無視されてきた佐伯先生がさきごろ死去されたと、静岡文化芸術大学で音楽史を研究する奥中康人さんが教えてくれた。 地元メディアですらまっとうに取り上げなかった佐伯一郎さんの追悼記事を、これからお読みいただく。書き手は僕を佐伯さんに結びつけてくれた奥中康人さん。2016年の記事では浜松市中心部の「佐伯一郎音楽学院」を訪ねたときの様子を、たくさんの写真と現在では入手の難しい音源を添えて紹介しているので、よろしければ併せてお読みいただきたい。
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ある演歌歌手の死
先週火曜日(1月26日)、小さな訃報記事がメディアに出た。「歌手・泉ちどりさんが肝臓がんのため死去、73歳『お吉物語』などヒット」という記事を、ご覧になったかたもいただろうか。その2日前の坂本スミ子、昨年末のなかにし礼、10月の筒美京平といった大御所に比べたら、ごくささやかな追悼記事だったが、その小さな扱いよりもむしろ「ちどりさんってYahoo!ニュースに出るほど知られてたのか」という驚きのほうが、僕にはあった。
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“ライブハウスの守護神”と呼ばれた、あるお客さんの死 [文:ボギー(ヨコチンレーベル)]
コロナ禍でありながらもパワフルに活動を続けるボギーさんのFacebookメッセージを見ていたら、「michiさんが亡くなった」という気になる書き込みがあった。聞いてみると、ミチさんは福岡のライブハウスの「守護神」といった存在だったという。東京には「なんのこっちゃい西山」さんという守護神がいるが、もしかしたら全国どの都市にも、ライブハウスの守護神がいるのだろうか。 福岡の音楽ファンならきっとだれもが知っている、でも福岡以外のひとはたぶんほとんど知らないミチさんのことを、ボギーさんに書いてもらった。音楽の現場としてのライブハウスが、なかなか機能できないでいる現在の状況だからこそ、黙って応援し続けたミチさんの生きざまが僕らのこころを打ち、そしてまた、あの高揚感の喪失を思い知らされるのだ。
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新型コロナとフランス・アンダーグラウンドシーン 05 ロックダウンの狭間で(画・文:ショビレヌ・K)
こんにちは。ショビレヌ・Kです。前回の記事ではフランスの1回目のロックダウンが解除されてから行った友人宅ガレージで行ったライブとレンヌのスクワットで行ったライブの様子を綴りました。今回は去年の10月15日にローザンヌ・アンダーグラウンド映画&音楽祭(LUFF)にて行ったライブの模様をレポートします。 10月15日@ローザンヌ・アンダーグラウンド映画&音楽祭(LUFF)――ローザンヌ・アンダーグラウンド映画&音楽祭(LUFF)は18年前から続いている欧州アンダーグラウンド・シーンの一大イベントで、世界中のマニアックな映画の上映会と音楽のライブが5日間に渡り開催される。
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ル・ポレンの頃 花粉は飛び続ける (文:アツコ・バルー)
2016年に亡くなって5年経ったいまでも多くのファンに慕われるピエール・バルー。1982年に自身のレーベル、サラヴァからリリースされた記念碑的なアルバム『ル・ポレン』がこのほどアナログ盤で再発されることになった。渋谷の「アツコバルー arts drinks talk」などでロードサイダーズにもおなじみのアツコ・バルーさんは、ピエール・バルーと34年間にわたって生活を共にしてきたパートナーでもある。38年ぶりのアルバム再発を記念して、当時の思い出を綴っていただいた。1980年代の東京の音楽シーンを染めていた、あたたかい空気感を受け取っていただけたらうれしい。
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キャッスルレコーズと下町ヒップホップ・シーンの10年間
上野のキャッスルレコーズが3月10日でアメ横センタービルの店を閉め、4月に湯島に移転、新店舗を立ち上げるというお知らせを聞いて、10年以上前の日々がいきなり甦った。『東京右半分』が2012年、『ヒップホップの詩人たち』が2013年リリース。それまでの数年間、日本のヒップホップを掘るのにいちばんお世話になっていたのが、アメ横センタービルの3階にあるキャッスルレコーズだった。 テレビに出るようなスターではない、ローカルでリアルなラッパーたちを探して右往左往していたころ、シーンに詳しい友人はひとりもいなかったし(そういう「通」に頼りたくなかったこともある)、雑誌やウェブサイトからも大した情報は得られず、とにかく狭いライブハウスの現場に通うこと、レコードショップに積まれたフライヤーを漁ること、そして名前も知らないラッパーのCDを買いまくることしか、僕にできることはなかった。
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福島第一原子力発電所のサウンドスケープ
明日2021年3月11日は、東日本大震災から10年目にあたる。真剣な検証記事や番組から、お涙ちょうだいの感動ポルノ系まで、ありとあらゆる「記念プログラム」がすでにメディアに氾濫しているが、その3.11を目前にして、きわめて刺激的な作品がリリースされた。『選別と解釈と饒舌さの共生』と題された一枚のCD。それは10年前の震災以来、福島第一原子力発電所に通い続けてきた社会学者・開沼博さんによるフィールドレコーディング、つまりメルトダウンした原発の「音によるドキュメンタリー」である。ラジオでも「音のある風景」みたいなほっこり系の番組があるけれど、これは音楽ではなく音そのもの――機械の通奏低音のような作動音、突然鳴り出すアラーム、予備知識がなければごく普通の会話にしか聞こえない言葉のやりとりまで――が描き出す、恐怖のランドスケープだ。すぐそこにある現実の。
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新型コロナとフランス・アンダーグラウンドシーン 06 第二回ロックダウンとラーメン・ワークショップ (画・文:ショビレヌ・K)
こんにちは。ショビレヌ・Kです。前回の記事では去年の10月15日にローザンヌ・アンダーグラウンド映画&音楽祭(LUFF)にて行ったライブの模様をレポートしました。今回はその1週間半後の10月28日にフランスで開始した2回目のロックダウン中の生活について触れます。 フランスでは第一次ロックダウンが昨年5月に解除されて以降、夏休みから新規感染者数が爆発的に増加したので、10月に入ると第二次ロックダウン実施の可能性についてメディアがしきりに取り上げるようになっていた。運良くスイスでのライブは実施されたが、案の定フランスに戻り1週間半が経った10月28日から第二次ロックダウンが実施された。
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新型コロナとフランス・アンダーグラウンドシーン 07 一時帰国 (画・文:ショビレヌ・K)
こんにちは。ショビレヌ・Kです。前回の記事では去年の10月28日にフランスで開始した2回目のロックダウン中の生活と解除直後に開催したラーメン・ワークショップについて触れました。今回は2月から日本に一時帰国した時に行ったライブと制作活動について述べます。 今年の2月、私は久しぶりに一時帰国した。フランスを発つ2日前に近所のPCR検査専用クリニックで検査を受け、陰性証明書を発行してもらった。フランスでは私のような外国人でもPCR検査は無料で受けられるのが驚きである。羽田に到着後、空港内で再びPCR検査を受けた。唾液を採取するブースには唾液の分泌を促すためにレモンの写真が貼ってあった。何とも親切だ。レモンをじっと眺めながらガブリと噛みつくシーンを想像すると確かに口の中に唾液がどんどん溜まっていった。
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NEW WAVE COSMOS 2021展!
ロードサイダーズのみなさまにはもうおなじみ、お色気ナレーション・レコードをはじめとする特殊レコード・コレクターであり、「日本でいちばん展覧会を観る男」でもある山口‘Gucci’佳宏氏がオーガナイズする、パンク・ニューウェーヴのレコジャケとアート展「NEW WAVE COSMOS 2021 ~ニューウェーヴの宇宙~」がオンラインで始まっています。 グッチさん秘蔵のパンクとニューウェイブ・レコジャケ特選コレクションと、それらの音源にインスパイアされた現代のアーティストたちによる作品を並列展示するという、アート・ファンにもパンク&ニューウェイブ・ファンにもうれしい企画。当初は東京田端のWISH LESS galleryで開催される予定でしたが、まん延防止等重点措置~緊急事態宣言のおかげでリアル開催が難しく、まずはオンラインでアーティスト作品をご披露。もしも東京の緊急事態宣言が予定どおり11日で解除されたら、13日から16日までギャラリー会場に展示されるそうです。
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ため息のかなたに――「にっぽんセクシー歌謡史」発刊に寄せて (文:スナック・アーバンのママ)
メルマガ読者の方であればすでにチェック済みの方も多いと思いますが、ついこのあいだ馬飼野元宏さんが書かれた『にっぽんセクシー歌謡史』(リットー・ミュージック)が出版されました。表紙は我らが吉岡里奈さんの魅惑的なイラストだし、帯に書かれた「歌謡史の裏街道的な扱いを受けながらも脈々と生き続けてきたセクシー歌謡の100年史」なんて文章を読んだら、もういますぐ読まずにいられない592ページ!! わたしもSpotifyとYouTubeを駆使しながらハイボール(濃いめ)片手に思わず何時間もかけて読み込んでしまいました(至福)。 私ごとですが、ちょうど非常事態宣言でスナックアーバンがお休み中なので(涙)、この機に乗じて都築編集長と一緒に馬飼野さんから、セクシー歌謡曲についてじっくりお話を伺ってきました! 教えていただいた歌や、そのころの代表的なセクシー歌謡曲のリンクも文中で一緒にお届けしますので、ぜひ水割り片手にお楽しみください!
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新型コロナとフランス・アンダーグラウンドシーン 08 一時帰国II (画・文:ショビレヌ・K)
こんにちは。ショビレヌ・Kです。前回の記事では2月から日本に一時帰国した時に行ったライブと制作活動について述べましたが、未だに日本にいるので、引き続き日本滞在中の活動をレポートします。 私は今年の2月にフランスから一時帰国した。当初、1ヶ月間の滞在予定だったがフランスに戻るフライトがキャンセルになると、タイミング良くギターリストのオータケコーハンが阿佐ヶ谷・天というライブハウスでのライブ出演に誘ってくれた。
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おかえり TOKYO ATOM vol. 00
連載の序にかえて:都築響一―― 恵比寿にあった「みるく」という店を覚えているひとが、どれくらいいるだろうか。 大学生のころPOPEYE編集部で働き始めて、編集者として最初に担当したのがディスコ・コーナー。当時いちばん勢いのあった新宿ツバキハウスで、店長だった佐藤俊博さんと仲良くなって一緒に遊んでるうちに、新しい店を開くたびに「どんな店がいいと思う?」と相談を受けて、それがイメージをつくる仕事になった。これまでずいぶんたくさんの佐藤さんの店に関わらせてもらったうち、1989年に開店した芝浦GOLDのあと、1994年に乃木坂に「ORANGE」という小ぶりなロックバーをつくり、それを発展させて大がかりな店になったのが1995年にオープンした恵比寿のみるくだった。
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おかえり TOKYO ATOM vol. 01(文:マーク・ロビンソン)
前号で書いたように、1998年4月、東京タワーの近くにある1950年代開業のロシア料理店「ヴォルガ」で開かれた「TOKYO ATOM」創刊パーティで、僕は緊張しつつスピーチを終えた。そのころ、みるくはオープンから3年目を迎えていて、新しいフリーペーパーを気にしてくれるひとたちも増えていた。パーティには200人ほどのお客さんが来場、僕がいちども会ったことのない人が大半だったけれど、その中には広告主になってくれそうなひとがいるのもよくわかっていた。
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おかえり TOKYO ATOM vol. 02 June 1998 Dear MIRO (文:マーク・ロビンソン)
フリーペーパーにもいろいろあるけれど、TOKYO ATOMのやりかたはとてもいいモデルだったと思う。なぜかといえば、いつもクラブが中心にあったから。クラブを楽しんでくれたお客さんや出演者が、そのまま読者や投稿者になってくれたのだった。 みるくに出演するミュージシャンやアーティストだけでなく、アルバイト、無職、学生、サラリーマン、プロモーター、デザイナー、編集者……さまざまな出会いからインスピレーションを受けてきた。そのひとたちの言葉をそのまま掲載しないとしても、彼らの生活や視点が僕らを後押ししてくれた。
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おかえり TOKYO ATOM vol. 03 July 1998 グローイングアップ (文:マーク・ロビンソン)
山で開催されるロックフェスティバルでテントを張るときに、丘の中腹を選びたくなるのは無理もない。いい景色を眺めつつ、草の上に寝転んで。すごくいい考えに思えるけれど、でもひとつ確かなのは、すぐに重力によって下へと引きずられ、パンツが尻の割れ目に食い込んでしまうという悲劇。どんな体勢を試しても快適に過ごすことはできない。重力には勝てないので、けっきょく平らな場所にテントを移動させるか、イモムシのように一晩中、傾斜地でもぞもぞする羽目に……。 これは山梨県で開催された最初のフジロックに行った人から聞いた話。みるくのお客さんをはじめ、多くのキャンプ初挑戦者がこの不運なイベントに足を運んだのだった。
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おかえり TOKYO ATOM vol. 04 August 1998 キス・ミー・プリーズ (文:マーク・ロビンソン)
真夜中、あるいは夜明け前。黒々とした階段を降りた先にある恵比寿のクラブみるく。そこは東京の、ほかのどのクラブよりも刺激に満ちた、日常からの避難所だった。たとえばボリス、ダイナマイト・マスターズ・ブルース・カルテット(DMBQ)、小林裕幸によるフリーフォーム・フリークアウトなどなど……こんな深夜の時間に、狂おしいライブミュージックに身を任せることができた場所はほかになかった。地下3階にあった暗闇のラウンジや、眩しい蛍光灯のキッチンバーで友だちと会ったり、会田誠が描いた鮮やかなピンク色の「腸の部屋」で、シャギーカーペットの床に倒れ込んだり。 みるくがオープンした1995年前後で覚えていること、それは毎日が「非現実的な現実」だったということ。
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カセットテープ・スクラッチャー、大江戸テクニカ!
このところ何度か紹介している吉祥寺の怪しげなハードコアショップ「吉祥寺111(スリーワン)」でのイベント告知をつくっているとき、「大江戸テクニカ」というDJのことを教えてもらった(オーディオテクニカじゃなくて!)。カセットテープDJと聞いて、ああ最近あるよな~とか聞き流しそうになったけれど、「それが自作のプレイヤーを使って、カセットでスクラッチするんです!」と店主の佐々木景くんに言われて、すぐに紹介してもらうことにした。
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おかえり TOKYO ATOM vol. 05 September 1998 ロシア・バレエとロックンロール (文:マーク・ロビンソン)
20年以上も前のTOKYO ATOMから思い出を掘り起こすのは、なんだか恐竜になった気分だ。僕らはインターネットができる以前の子供だったし、TOKYO ATOM関連の情報はいま、まったくネットで見つけることはできない。この文のあとに復元されているページは、ロードサイダーズのためにオリジナルの冊子から1枚ずつスキャンされたもの。都築さん、どうもありがとう! メルマガに参加したばかりの読者のために説明しておくと、TOKYO ATOMは恵比寿にあった深夜のライブ・ロック・クラブ「みるく」のフリーペーパー。1998年から2001年にかけて、僕と当時の妻でミルクママだったルリで毎月、計41冊をつくり、日本全国に2万部を発送していた。TOKYO ATOMはけして万人向けではなくて、記事のなかにはバカげたのもあれば、「大人向き」もあった。字が小さくて読むのが大変だったのも、未成年者や頭の固い人たちにとってはよかったのかもしれない(そういうひとたちは特に「明ちんこ五郎の風俗探偵事務所」は読まないこと!)。
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おかえり TOKYO ATOM vol. 06 October 1998 夢織りびと (文:マーク・ロビンソン)
1990年代のはじめごろ、不動産屋の伊藤さんと夏休みに釣りに行って、目のない大きな魚をもらって沼津から車で帰ってきたことを2号前に書いた。これからその話の続きをしたい。当時の妻ルリが「みるく」をオープンする前に、芝浦のハウスミュージック・クラブ「ゴールド」でママをしていた時代のことだ。気さくではあるものの社交的というにはほど遠かった伊藤さんは、知らず知らずのうちに僕とルリとゴールド、そしてみるくとTOKYO ATOMの誕生をつなぐ大きな存在になったのだった。 とはいえまず、今号のTOKYO ATOMはみるくの3回目のアニバーサリーである1998年10月に発行されたもので、ヒロ杉山が選んでくれた表紙の作品にはものすごく粗いピクセル画のパックマンみたいな、頭に血が上ったふうの人物が描かれている。弾痕のように不吉なオレンジ色の塊は、最近あちこちで目にするようになったせいでコロナウィルスにも見えてしまう。いずれにしても、偶然使えることになった志水則友によるこの作品は、今回の特集インタビューにぴったりだった。
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おかえり TOKYO ATOM vol. 07 November 1998 タフ・ラブ(キープ・ウォーキング) (文:マーク・ロビンソン)
「Dear わからないちゃん、やっぱり何か目的を持ったないと精神的にあせりが出てくると思うヨ。コレと言ってやりたいことがないんなら、アルバイトをしてでも働くこと。どんなことでも仕事は大変。でも夢中になってやると面白くなるヨ。頭で考えてもちっとも面白くないから行動すること。」 なにやら詩や歌詞のようでもあるが、この連載を読んでくれているひとなら、TOKYO ATOMの身の上相談ページ「Dear Miro」のスーパースタイリスト、堀切ミロの口調に気がつくはず。この相談が掲載された(TOKYO ATOM 1998年11月号)ころには、「Dear Miro」は人気コーナーになっていた。
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おかえり TOKYO ATOM vol. 08 December 1998 ワーキングホリデー (文:マーク・ロビンソン)
今号のTOKYO ATOMはワーキングホリデーに焦点を当てた。きっかけはTOKYO ATOMを発行していた恵比寿のライブロッククラブ「みるく」のママだった当時の妻ルリと、オーストラリアを旅行したことだった。東海岸のビーチタウンや都市部を車で回っていて、TOKYO ATOMの読者と同年代とおぼしき日本人の若者たちに目がいくようになった。ショップやレストランでアルバイトしたり、サーフィンしたり、ただブラブラしたりして楽しい時間を過ごしていた彼ら。思い出づくりの真っ最中で。そんな彼らのライフスタイルに興味を抱いたのだった。 ワーキング・ホリデー・ビザは、世界中の若者が互いの国に短期間滞在して働くことができる素晴らしい制度である。この年ごろで得られた経験は、一生の財産になるのだし。実際、僕もこの制度を利用して東京で暮らしはじめたので、ワーキングホリデーがTOKYO ATOMの基礎をつくったとも言える。オーストラリアの記事はこのあとのページ画像で読んでみてほしい。
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おかえり TOKYO ATOM vol. 09 January 1999 恵比寿の日々 (文:マーク・ロビンソン)
JR恵比寿駅のあたりを初めて訪れたのは、1999年新年号のTOKYO ATOMが発行される10年ほど前のことだった。1980年代後半の恵比寿駅は、ふきっさらしのホームがひとつあるだけで、商業ビルと一体化した現在の駅とは似ても似つかないものだった。渋谷と目黒の間にある山手線の土手にはススキが生い茂っていて、まるで昭和の映画のようだったのを覚えている。もちろん、東京に来たばかりの頃には、恵比寿が自分の住む街になり、妻のルリがクラブ「みるく」をオープンし、僕がTOKYO ATOMを始めることになるなんて想像もしていなかった。
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おかえり TOKYO ATOM vol. 10 February 1999 未来の衝撃 (文:マーク・ロビンソン)
今週紹介する1999年2月号は、1999年の正月とほぼ同時期に配本された号だ。「Dear Miro」のコラムでは、成人式に不安を抱く若い女性が登場している。学生時代は楽しくなかったし、同級生にもあまり会いたくないという。あれからどういう大人に成長したのか、気になったりもする。いつものようにミロのアドバイスは簡潔だ―「気の合う友人と一緒にいればいいじゃない。あんまり嫌いなことを意識しすぎじゃない?」。 これを書いているのはあれから23年後の成人の日。酔っぱらったキッズたちが、僕の住んでいる建物の外、浅草の通りで騒いでるのが聞こえる。 今号の特集は、ソニー・プレイステーションのラップゲーム「パラッパラッパー」に登場する、人間そっくりのかわいい犬「パラッパ」を生み出したロドニー・グリーンブラットのインタビュー。「デジタルカメラ」や「モデム」を使ったデータ送信など、"ニューテクノロジー "に興奮している会話から、インタビューの時代がうかがえる。
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おかえり TOKYO ATOM vol. 11 March 1999 男の条件 (文:マーク・ロビンソン)
お気に入りだった寄稿者のひとりに掟ポルシェがいる。彼のTOKYO ATOMデビューは今週紹介する第10号に掲載されたコラム「おまえの家の玄関にトロフィーはあるか?」だった。掟さんを知るひとは、彼がいつもおおげさな問いを投げかけていることを知っている。男になるためにはなにが必要なのか? 掟さんの文章は大真面目と狂気のあいだにあって、その曖昧さが効果を発揮しているのでもある。もうひとつの理由は、彼のテーマである「男性的であることの不安」に、多くの人が共感できるからだろう。男らしさのイメージを極端にふくらませ、ヒステリックなテレビ伝道師のごとく説教を吐き散らす。その説得力は素晴らしすぎて、そのまま言われたとおりやってみたくなるほどだった。ナルシスティックなプライドと、とにかく尊敬されたい一心で、いきなり仕事を辞めてみたり、会計を済ませないままラーメン屋から堂々と歩き去ったり。
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おかえり TOKYO ATOM vol. 12 April 1999 動揺するリアリティ (文:マーク・ロビンソン)
「なにも悪いことをしていないなら、なにも隠すことはない」――警官の脅し文句みたいな言葉が、川元陽子さんの絵画を見ているとなぜか浮かんでくる。TOKYO ATOM 1999年4月号の表紙になっているのが川元陽子さんの作品だ。 川元陽子さんの絵がどこか犯罪現場のようにも見えるせいなのか。それはまた個人的にとても親しい風景でもある。川元さんが描く錆びた白いクーペのように、草むらに打ち捨てられた廃車を僕も見てきたし、ビニールのソファを汚れた陽射しが照らす寂れたダイナーで食事もしてきた。普通だったらこんな風景を気にするひとはいない。犯罪現場の記録写真家でもないかぎり。だからこそ、川元さんが描く世界に妙な共感を覚えてしまうのかもしれない。
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おかえり TOKYO ATOM vol.13 May 1999 スティルライフ (文:マーク・ロビンソン)
創刊2年目のTOKYO ATOM13号(1999年5月)の写真連載「プライベートアイ」の被写体になった若い女性に、僕は恋をしたようようだった。午後の日差しが降り注ぐ赤い部屋。春風に吹かれて吹き飛んでしまいそうなほど、軽やかでシンプルな人生のすべてがそこに見える。服を脱いでポーズを取るのも、その子にはすごく簡単なことのようだった。女性らしさというよりも、女性でも男性でもない、押しつけがましくもない、ただ人間がハダカでいることへの自然で確かな感覚が、彼女を独特に美しくみせているのだった。同時にその光景はいまにも消えてしまいそうな、まるで短編小説のような出会いでもあった。
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おかえり TOKYO ATOM vol.14 Jun 1999 魔術と音楽 (文:マーク・ロビンソン)
1998年にTOKYO ATOMを立ち上げた理由のひとつに、メインストリーム以外の記事や作品を取り上げたかったことがある。恵比寿のクラブ「みるく」を拠点にしたフリーペーパーということで「アンダーグラウンド」と思われていたかもしれないけれど、僕自身はマスメディアにも興味があり、犯罪、政治、芸能など、スポーツ新聞がどぎつい見出しで報じるようなネタも扱っていきたかった。「白い魔術師」と呼ばれる存在だったその男は、僕が会ったころにはスポーツ・メディアとの関係が最悪で、取材にはほとんど応じていなかった。でも1999年6月発行の第15号で、僕らはこのユニークな人物にインタビューできたのだった。 1999年初頭のある日の午後、学芸大学駅からフィリップ・トルシエとの待ち合わせ場所の喫茶店アートコーヒーに向かいながら、僕は興奮を抑えきれなかったのを覚えている。
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おかえり TOKYO ATOM vol.15 July 1999 妖怪たち (文:マーク・ロビンソン)
前号のフィリップ・トルシエとのインタビューに続いて、今号ではゲゲゲの鬼太郎の生みの親である水木しげるを紹介することができた。居心地良さそうな、飾り気のない調布市の御自宅でお会いしたとき、水木さんは77歳。小柄なからだを大きなソファに沈めて、眼鏡を振り回しながら僕らに話してくれた。第二次大戦中、ニューギニアの島での戦闘で片腕を失ったことを、僕は取材の直前まで知らなかった。 過去の出来事を語ってもらえるかどうか心配だったが、水木さんは僕の質問に辛抱強く答えてくれた。つたない日本語でインタビューを受けるよりも、ずっと大事なことがあったろうに。TOKYO ATOMを水木さんは知らなかったし、あんなに小さな文字が並ぶ誌面をわざわざ読みはしなかったろう。もちろん、クラブカルチャーとも無縁だったし。でも、水木さんが描く妖怪一家と同じくらいの魑魅魍魎がみるくにはびこっていると思っていたから、僕は水木さんとみるく、その両方の世界に魅了されたのだった。
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おかえり TOKYO ATOM vol.16 August 1999 クローンと携帯電話とゲイ映画 (文:マーク・ロビンソン)
元総理大臣の竹下登は驚くべき耳の持ち主だった。頭の横からパラボラアンテナみたいに突き出して危険を察知したり情報を探ったりする耳。それはいまにも逃げ出そうとするネズミを連想させた。『グレムリン』のギズモみたいでもあったし、今月号の「CLONE GALLERY」の候補にぴったりだった。
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おかえり TOKYO ATOM vol.17 September 1999 不完全の美 (文:マーク・ロビンソン)
1999年9月号のTOKYO ATOMは表紙がすごく目を引く。黒いスリップドレス。錆色の髪。ふっくらした小さな赤い唇。漆黒のマスカラ。ロック少女のような、浮浪者のような女の子の「未完成」の絵。彼女はフレームの中で斜めにポーズをとっていて、ただポンとそこに置かれた、あるいは放り出されたような印象を受ける。よく見ていくと、からだの右側が背景に溶けこみ、真っ白な肌に汚れらしきものが付着している。荒れた生活をしてきたか、荒れた夜があったかのように。肌の汚れは背景と同じ色で、それは少女も背景も作者のつくりものにすぎないことを示したかったのか、あえて温かく濁った青い絵具を選んで肌にも乗せ、からだを周囲になじませつつ、哀しみに彩られた自意識あふれる表情を与えたのだった。
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おかえり TOKYO ATOM vol.18 October 1999 ネオ・ジャパニーズ (文:マーク・ロビンソン)
神秘の熱源から放射される美しさと、名状しがたい魅力の持主、それがファッションモデルの山口小夜子だった。初めて小夜子さんを知ったのは1977年、スティーリー・ダンのアルバム『エイジャ』のジャケットであり、そのころの僕はシドニーの高校生。オトナになって東京に移り住み、恵比寿のクラブみるくで「TOKYO ATOM」を立ち上げ、時々飲みに来て音楽を楽しんでいた小夜子さんに会うようになることなど、もちろん知るよしもなかった。1999年10月号のインタビューで、僕は日本初のスーパーモデルの謎に迫ってみた。
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おかえり TOKYO ATOM vol.19 November 1999 裸の真実 (文:マーク・ロビンソン)
アーティストはさまざまなやりかたで描く対象に迫っていく。なかには進んでみずからの脆さをさらけ出すことを選ぶアーティストもいる。エドヴァルド・ムンクは自分も裸になって絵を描くことがあったし、ルシアン・フロイトもそうだったはずだ。今月のTOKYO ATOM(1999年11月号)には、日本のアーティスト会田誠が自宅のアトリエで生々しい姿をさらす、素晴らしい写真が掲載されている。同じくヌードで満足げに体を横たえるガールフレンドをスケッチしながら。 巨大なミキサーにかけられる女の子たちを描いた作品などで下品だ、政治的だ、女性差別だと容赦ない攻撃にさらされてきた会田さんにとって、都築さんのカメラの前で裸になることにはなんの問題もなかっただろう。でも彼の作品は見た目の美しさや輝きとともに、そのイメージが内包する社会性という点でも評価すべきものだと思う。
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おかえり TOKYO ATOM vol.20 December 1999 ライフワーク (文:マーク・ロビンソン)
映画監督のジム・ジャームッシュは武士道に生きる殺し屋を描いた新作『ゴースト・ドッグ』のプロモーションで、1週間ほど東京に滞在していた。僕は映画雑誌「Premiere」日本版で彼にインタビューし、その抜粋をTOKYO ATOM 1999年12月号に掲載することができた。インタビュー記事は画像右上の「+」をクリックすれば拡大できるので、よかったら読んでみてほしい。 1984年にシドニーで上映された『ストレンジャー・ザン・パラダイス』や、その後の彼の作品に圧倒された僕としては、ジャームッシュ監督に会えたのはほんとうに幸運だった。インディペンデント精神にあふれた監督であり、一見すごくクールな雰囲気であるけれど、会ってみれば注意深く穏やかな人柄なのがわかった(背も思ったよりずっと高かった)。
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おかえり TOKYO ATOM vol.21 January 2000 アナログの天使たち (文:マーク・ロビンソン)
TOKYO ATOMで掲載していたインタビューのほとんどは、僕がひとりで担当していた。そういうやりかたが好きでもあったけれど、2000年1月号で最高のインタビューを経験できたのは、当時の妻(みるくのママでもあった)ルリに手伝ってもらったもので、それは伝説の映画監督・市川崑(1915―2008)さんを訪ねたときだった。 渋谷区の古風な邸宅に住んでいた市川崑監督は、そのときすでに80歳を過ぎていて、トレードマークのタバコを咥えながら居間に現れた。市川さんの広報担当者にしっかり見守られつつ、ルリに通訳してもらいながらのインタビューは、新作のアニメ映画「新撰組」の公開を前にしての取材だった。
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おかえり TOKYO ATOM vol.22 February 2000 東京タワーを見て死ね (文:マーク・ロビンソン)
2000年2月のTOKYO ATOMの表紙を飾った寂しげな高層ビルを見ていると、建造物がそれ自体ひとつの彫刻であり、なんのために建てられたのか、すでにだれも覚えていないモニュメントのように思えたりする。建てられてしまった建造物は、それをつくりあげ、使ってきたひとたちとはまた別の、独立した(そして気に留められることのない)存在なのだろう。 菅弘志さんによるこの表紙イラストは、誌面の中でもうひとつの高層建築探検が掲載されるという、うれしい偶然にも恵まれた。その記事とは1960年代の建造物である東京タワーの中にあった、おそろしく風変わりな蝋人形館訪問記だった。だれも知らないヘヴィメタル・ロックのミュージシャンや、その他さまざまに奇妙な蝋人形を並べていたこの珍スポットは、以下の誌面スキャンでじっくり見ていただきたい。
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新型コロナとフランス・アンダーグラウンドシーン 最終回 09 ノーマスク・イン・オールボー (画・文:ショビレヌ・K)
こんにちは。ショビレヌ・Kです。前回の記事は2021年6月に書きましたが、あれからもう1年弱が経ってしまいました。私がドラムを担当するバンド「オフィシン」(ギター・ボーカルのマリオンとベースのトフとのトリオ)は去年の夏、ヨーロッパ各地でライブを行う予定でしたが、どれもコロナが原因でキャンセルになってしまいました。しかし10月にデンマークのオールボーでライブができたので今回はその時の様子をレポートします。
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おかえり TOKYO ATOM vol.23 March 2000 待つことの意味 (文:マーク・ロビンソン)
1990年代後半から2000年代前半にかけて、ルリがみるくにかかりきりで夜中まで家を空けがちになると、僕はひとりでいる時間が多くなった。それが辛かったのではないし、ひとりでいるのが嫌いでもないけれど、いま思えば僕らの関係を悪化させた原因だったかもしれない。ルリが帰ってくるのは朝方の5時か6時くらいで、僕は寝ていることもあれば、飲みに出ていることもあった。ちょっと飲み過ぎだったかもしれない。もちろんみるくにも行くのだが、興味あるライブがないのにだらだらいるのは嫌だった。
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おかえり TOKYO ATOM vol.24 April 2000 犬と心中 (文:マーク・ロビンソン)
ガングロ女子高生を描いた西沢友恵さんのイラストが表紙になった今月号のTOKYO ATOMには、ペットのいる生活を取り上げた記事がふたつ載っている。みるくのキッチンバーに君臨する女神が、当時の夫と愛犬と一緒に、天然そのもののすがたで都築さんの写真に収まった「プライベート・アイ」を、まず見てほしい。 さらに見逃してしまいがちな犬の小特集があって、これこそまさにTOKYO ATOMが得意とするタイプの記事だった。一見、「飼い主はなぜかペットに似てくる!」という、たった2ページのおもしろ記事だけど、その脇には犬を育てる上でのさまざまな考察や、犬がなついてくれない飼い主の悩みといった、深い内容も加味している。
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おかえり TOKYO ATOM vol.25 May 2000 ふたりのトーキングヘッド (文:マーク・ロビンソン)
撃たれたり刺されたりこそしなかったものの、新宿の編集部に乗り込んできたヤクザにガラスの大きな灰皿を振り回して脅されたこともあると、雑誌編集者の岡留安則は今月号のTOKYO ATOMのインタビューで語ってくれた。 岡留さんに復讐したかった人間はたぶん何百人もいただろう。2004年に休刊した雑誌『噂の真相』で25年間にわたって公人、有名人の悪事を掘り起こし、報道してきたのだから。訴訟対策も万全で、政治家や芸能人の不倫記事では写真を掲載して訴えられるリスクを回避するため、ベッドでいちゃつくイラストを載せることもあった。
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〈歌〉は揺れる〈わたし〉の残像 ~シンガー・ソングライター見汐麻衣インタビュー~(聞き手・文:松永良平(リズム&ペンシル))
シンガー・ソングライター、見汐麻衣が約2年半ぶりの新曲〈水曜日 Wednesday / 永い瞬間 Eternity As Instant〉をアナログ7インチ・シングルで5/8にリリースした。 このメールマガジンを購読者なら、もしかしたら彼女のことをスナックアーバンのスタッフのひとりとして認識している人も少なくないと思う。彼女のミュージシャンとしてのキャリアは意外と長い。ソロ・ユニットの埋火(うずみび)を2001年に福岡で結成し、2014年の解散後には新バンド、MannersでEPを発表。そしてここ数年は見汐麻衣のソロとしてThe Goodfellasというサポート・バンドを迎えてレコーディングやライブを行っている。シンガーとして、ソングライターとして、ギタリストとして、そのときどきの自分と向かい合いながら彼女は自分の音楽を作り、歌を歌ってきた。
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おかえり TOKYO ATOM vol.26 June 2000 からだをめぐるあれこれ (文:マーク・ロビンソン)
今月号はTOKYO ATOMで初めて、からだと健康を特集してみたが、そこでなぜ女性の膀胱炎の問題をテーマにしたのか、いまとなってはよくわからない。もしかしたらそのころ話題になっていたのかもしれないし、編集部の周辺に女性スタッフが多かったこと、そして男性より女性のほうが膀胱炎にかかりやすいことがあったのかもしれない。もし興味があれば今回の「Dr WHO」のページで、いろいろ知識を得られるかと。最近では一般のメディアも製薬会社も月経前緊張症(PMS)を取り上げることが増えてきた。女性特有のからだの問題が、男性の「タートルネック問題」(上野クリニックの、あの包茎コマーシャルね)みたいに「普通」に語られるようになってきたのは、いいことかもしれない。
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おかえり TOKYO ATOM vol.27 July 2000 歴史の生成 (文:マーク・ロビンソン)
2000年7月のTOKYO ATOMには暗黒と光があった。まず、闇について。オーストリアのウィーンにあるグッギング精神病院は、第二次世界大戦中にナチスによる最悪の戦争犯罪の舞台となった場所のひとつだ。占領軍は精神科の患者たちを実験台にしたあげく、無残に殺害したのだった。友人のグラフィックデザイナー、辺土名みゆきさんはウィーンを訪れて病院の敷地内にある博物館を取材してくれた。そこに展示されているのは戦争犯罪に関する資料ではなく、敷地内に住みながら制作を続けている患者たちによって作られたアートワークだった。 辺土名さんは昨年、沖縄の海難事故で亡くなってしまったが、この記事をあらためて読んでみて、グッギングという場所を選んで僕らに伝えようとしてくれた、彼女の好奇心とヒューマニズムにあらためてこころうたれる。辺土名さん、安らかに。
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おかえり TOKYO ATOM vol.28 August 2000 怪獣たちの夏 (文:マーク・ロビンソン)
2000年8月号は夏の季節感を出したくて、怪談とはいかないけれど、おぞましい怪物クリエーターのインタビューを掲載した。特撮アーティストの原口智生さんにお会いしたのは、渋谷の坂を上った昭和の香りが漂う薄暗いマンションの一室だった。ちょうど自主制作映画『さくや妖怪伝』が公開されるタイミングで、ご自宅の雑然としたリビングで仕事道具や使用済みの怪獣のパーツ、映画のポスター、飼い猫などに囲まれながら、原口さんはハリウッドと東京での制作経験、50kgのラテックスとウレタンで作ったガメラの衣装のこと、低予算映画の可能性といった話を聞かせてくれた。また、CGが伝統的な怪獣映画の手作り要素を消し去る、時代の変化についても語ってくれた。
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おかえり TOKYO ATOM vol.29 September 2000 あったかいミルク (文:マーク・ロビンソン)
この話はある事件から始まる。2000年6月、腐敗したまま販売されていた雪印の牛乳を飲んだ1万5千人近くの消費者が食中毒を起こした(雪印集団食中毒事件)。そこで東京都内で牛乳屋を営んでいる女性を取材したところ、いまも雪印を応援しているし、賞味期限切れで腐敗した牛乳もよく飲んでいると言う! もちろん、この「ミルクママ」はTOKYO ATOMをの母体であるクラブ「みるく」のママ、僕の元妻でもあるルリではない。天才的な音楽家でありDJでもあった故ウッドマンから紹介された、80歳の素敵な女性だった。ウッドマンはよくみるくでプレイしていたし、実はこのミルクママは彼のおばあちゃんだったので、なにかとミルクに縁のある男ではあった。
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おかえり TOKYO ATOM vol.30 October 2000 消えない墨をまとう (文:マーク・ロビンソン)
2000年10月号のTOKYO ATOMは、発行元の恵比寿みるく5周年記念号だった。若い読者のためのフリーマガジンを作り続けてきた僕らにとっては、感謝したいことがたくさんあった。編集部で働くインターンも寄稿者も、わずかな謝礼や無給で働いてくれてきたし、みるくのスタッフたちは毎月東京と日本全国の300もの店舗に、できあがった雑誌の束を手持ちで運んだり発送してくれたりしていた。 みるくは単なる水商売の場ではなく、スタッフたちがひとつの大きな家族のように結びついたチームになっていて、それがすごくよかった。
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おかえり TOKYO ATOM vol.31 November 2000 恋のハスラー (文:マーク・ロビンソン)
僕らにとってクラブはなにか新しいことに挑戦したり、着飾ったり変装してみたり、いつもと違うキャラになってみたり、恋をしたり破局したりするのに最適な場所である。たとえば自分がゲイであることとか、ほんとうのアイデンティティと若いうちに折り合いをつけることができた人たちにとっては、クラブという場所がパラダイスとなり得る。でも、そこまで踏み切れない人にとっては、悪夢のような場所なのかもしれない。今月号のTOKYO ATOM ではハスラー・アキラと名乗るアーティストにインタビューしたている。アキラはずっと前から「外側の存在」であることを誇りにしていて、ゲイであることをオープンにしているだけでなく、男性売春婦として働いてきたことも包み隠さず話してくれた。
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おかえり TOKYO ATOM vol.32 December 2000 地上の楽園 (文:マーク・ロビンソン)
記憶というものはときどきおかしな細工をするもので、この連載でみるくのスタッフはみんなが仲良しの家族のようだったと数週間前に書いて、実際そう思っていたけれど、つい先日、みるくを立ち上げた元妻のルリと話をしていたら、いつもそんなわけでもなかったことを思い出した。みるくがオープンした数年後、ルリはスタッフを大幅に入れ替えた。みんなが日々の同じ繰り返しにすっかり慣れきってしまい、人間関係も複雑になっていた。みるくのオーナーである佐藤敏博が経営していた芝浦のクラブGOLDから、そのままみるくに移ってきたスタッフが多かったという事情もあったのだろう。みるくは1995年にオープンしたが、それはGOLDが閉店した同じ年でもあった。スタッフの多くは長年一緒に働いてきた仲間であり、当然ながらそこには好き嫌いや相性の善し悪しも生まれていく。
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おかえり TOKYO ATOM vol.33 Jaunary 2001 母のこと (文:マーク・ロビンソン)
父が新聞記者だったので、僕は6歳くらいのころから自分で新聞を作って遊んでいた。「ペットのネズミのトゥインキー死す!」「姉がパーティーに行くと発言!」など、地球を揺るがすようなニュースを太い鉛筆で、ドラマチックな1面記事に仕立てていた。また「ケネディの死」という見出しで暗殺事件を取り上げて、大統領の頭部を撃った弾丸の絵を描いたこともある。その記事はきっと本物の新聞から写したのだろう。ただ、特にジャーナリストになりたかったという記憶はなくて、劇場やロックバンドのライブの照明技師という、まったく別の分野で長年仕事をしてきた僕が、マスコミの世界に入ったのはほとんど偶然だった。言葉を活字にする仕事に就いたのは、きっと家庭環境によるものだったのだろう。 先週の7月7日、母が96歳で亡くなった。それからいろいろと思い出すのは、TOKYO ATOMの立ち上げも含め、僕の仕事が母がどれほど影響を受けたかということだった。毎月、母には最新号をオーストラリアまで送っていて、母は虫眼鏡で読みながらTOKYO ATOMのファンになっていた。「明ちんこ五郎の風俗探偵事務所」がお気に入りで、文章にメリハリとリズムがあるのがいいと言っていた。
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おかえり TOKYO ATOM vol.34 February 2001 ピグモンと良いバーの秘密 (文:マーク・ロビンソン)
みるくにいたる恵比寿の商店街の入口角にある、1階にハンバーガーショップ・ウェンディーズが入った普通のマンション。1998年から2000年にかけて、その上階に僕を寛がせてくれる秘密めいた場所があった。ルリがミルクにいるけれども、僕としては店に行くのが気乗りしない夜、エレベーターを上がって表札のないドアのベルを鳴らす。ドアが開くと暗い廊下を通って、ろうそくとオレンジ色の電球に照らされた薄暗い、木材で飾られた小部屋に通される。右手には、これも安っぽい原木を使ったバーカウンターがあり、背の高いバースツールが並んでいる。奥の棚には逆光に照らされた酒瓶の列。小林弘幸、明ちんこ五郎といった、みるくの常連客が何人か飲んでいる。弾む会話、絶えない笑い声。ソウルミュージックかレディオヘッドが流れる。時には静まりかえって、僕と伊藤さんのふたりきりになることもある。
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おかえり TOKYO ATOM vol.35 March 2001 ミルクシェイク (文:マーク・ロビンソン)
元妻の話しかたがいつも好きだった。みるくの創設者でありママであり、1998年から2001年まで毎月発行していたフリーペーパーTOKYO ATOMを僕と共同編集していたルリのことである。ルリはいまもまったく変わっていない。英語であれ日本語であれ、シンプルかつ要領よく、しばしば人生に対する独自の視点でものを語る。TOKYO ATOMのころ、ルリは僕の文章にいつもお世辞抜きで反応してくれた。時には耳の痛いこともあったけれど、その意見は貴重なものだったので、あるときルリに、みるくでの自分の体験を書くように薦めたのだった。今号のコラムのような文章を、ルリは何度か書いてくれている。「ミルクシェイク」と名づけたこのコラムで、ルリはみるくのほとんどのお客さんが知らないでいた、自分の内面をさらけ出してくれた。いまでも僕はルリのしゃがれた笑い声と「ポジティブ」な怒りが、僕には聞こえる。
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おかえり TOKYO ATOM vol.36 April 2001 食の思想 (文:マーク・ロビンソン)
地球上で生きていられる残り時間、僕らはいったい何回ゴハンを食べることができるのだろう。ふつう、こんな心配をするひとはいないけど、藤原アキコはしていた。ニューヨーク在住のアッコは連載コラム「akko is hungry!」の2回目で、当時の年齢30歳と一日3食を掛け合わせ75歳まで生きられると仮定すると、残された食事の回数が49,275回という綿密な計算をしている。ずいぶんたくさんにも思えるし、こうして具体的な数字になってみると、ちょっと驚いたりもする。食事を楽しむというごくありふれた習慣も、長生きすればするほど、預金通帳の残高が減っていくみたいに残り少なくなっていく。だからこそいまのうちに、できるかぎり人生を楽しんだほうがいいのだろう。今号のアッコちゃんのレシピはナスとチーズ。
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うなじの匂い
ロードサイダーズにはもうおなじみ、福島県が誇る本宮映画劇場の秘蔵ピンク映画ポスター・コレクションをご開帳した「本宮映画劇場 ポスター番外地 ~野方闇市篇」@野方文化マーケット。5月25日号、6月15日号でも紹介したが、ポスターと共に興味深かったのが、6月11日に行われた「津軽のため息・哀愁の重ね着女うなじ嬢」によるポスター惹句朗読タイム。 漫画家お東陽片岡先生お墨付きの「お湿りヴォイス」で女の切なさ、痛み、情念を語ります… なんて書かれていて、なにがなんだかわからないけれど見逃す選択肢はない!というわけで駆けつけ、運良く味わえた「お湿りヴォイス」。しかし「哀愁の重ね着女うなじ」って、いったいどんなひとなんだろうと興味は募り、7月13日に西荻のスナックで開催された定員8人のライブ「うなじ&米内山尚人/背徳の中央線」に足を運び、後日ゆっくりお話を聞く機会も持つことができた。野方文化マーケットのイベントもそうだったけれど、ここが2022年の東京か!と目と耳を疑う場末の昭和感……時空を超えた「津軽のため息」をたっぷりご賞味あれ。
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おかえり TOKYO ATOM vol.37 May 2001 すべての関係は一過性 (文:マーク・ロビンソン)
この号のルリのコラム「ミルクシェイク」(以下PDFで読めます)を当時読んだ記憶は曖昧だけど、いま読みなおしてみると、この女性(僕の元妻で、みるくのママ)が、もっとこうした回想を書いてくれたらいいのにと思う。ルリ本人にしか書けない話であると同時に、これは素直な人間性への眼差しでもあるから。音楽活動、人とのつながり、みるくを作ること、TOKYO ATOMの立ち上げに関わったことなど、すべての活動に込められた彼女の精神が行間から伝わってくる。彼女が言う「いい男」(「30をずいぶんと過ぎて現れた)とは僕のことだと思うけれど、およそ13年間一緒に暮らして別れたのちに、ここで彼女が語っている「すべては人間関係は一過性だからこそ貴重なもの」という気づきに、僕は自分を重ね合わせている。それは僕と同じように、彼女もずっと後になってから学んだことなのだろう。
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おかえり TOKYO ATOM vol.38 June 2001 ジャズ (文:マーク・ロビンソン)
この連載もいよいよ終盤戦、残るはあと3回。これまでのお付き合い、ありがとう! イマムラミズキさんが描いたアンドロイドのような不思議な女性の表紙のあとに「マイルス・オブ・ブルー」というイベントの広告が入っている。2001年6月28日に行われたこのイベントのことは、ついさっきまでまったく忘れていた。マイルス・デイヴィスのアルバム『カインド・オブ・ブルー』一枚をじっくり聴き込む試聴会を開いたのだった。きっかけは、そのとき読んでいたマイルス・デイヴィスの自伝『マイルス』。僕はこのアルバムに深く魅了されていた。並外れた演奏、間の取り方、グルーヴ、ジミー・コブのスネアドラムとシンバル。このアルバムはまるで麻薬のように僕を夢中にさせていて、その感動を分かち合いたいと思ったのだった。地下3階のラウンジにターンテーブルを置いて、バンド「キリヒト」と「グループ」の一員である竹久圏と、同じく「グループ」の太一。ジャズとロック両方の領域でプレイするユニークなプレイヤーに参加してもらい、自伝に描かれているアルバムの制作秘話などを話題にしつつ、アルバムをみんなで聴いたのだった。
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おかえり TOKYO ATOM vol.39 July 2001 アウトサイド (文:マーク・ロビンソン)
TOKYO ATOM最終号まであと一冊となったこの号では、アウトサイダー・アーティストを特集している。ぜんぶで41冊が刊行されたなかでアウトサイダー・アートとなんらかのつながりのある記事は少なくなかったが、これは意図したものというより、偶然そうなったものだった。僕は以前から暴力温泉芸者などの音楽ユニットで知られる中原昌也のニヒルな表現が好きで、今号では中原さんが趣味でバービーみたいな人形を使って暴力シーンのジオラマを写真に撮っていると知り、インタビューと写真の転載許可をもらって紹介している。
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おかえり TOKYO ATOM 最終回 August 2001 最後にひとこと (文:マーク・ロビンソン)
いよいよこれが40冊目、TOKYO ATOMの最終号です。ここまでご愛読ありがとうございました。 この連載はロードサイダーズ編集長の都築さんの発案で昨年11月から始まった。TOKYO ATOMが創刊されてからもうすぐ四半世紀になるけれど、今回の連載のポイントは、僕らの物語や作品をもういちど甦らせること、ネットの情報がほとんど存在していなかった時代の歴史的記録を作ることだった。TOKYO ATOMはもともと僕の妻だったルリが立ち上げた、恵比寿のライブロッククラブ「みるく」のフライヤーの発展形として生まれた。当時はライブのスケジュールをチェックするウェブサイトもなかったので、まずは実用的な用途だったけれど、それに加えてエンターテインメント、インタビュー、ユーモア、さまざまな意見表明や刺激――いまだにほとんどのメディアには欠けている要素――を、とりわけ若い読者に向けて提供することが重要な使命だった。
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おかえり TOKYO ATOM 特別編! (文:マーク・ロビンソン)
先週号で1998年4月発行のゼロ号から2001年8月発行の最終号まで、全41冊の紹介&再現を完了した「おかえり TOKYO ATOM」。連載は「ほんとに毎週できるんだろうか……」とマーク・ロビンソンも僕も不安いっぱいのままスタートしたけれど、奇跡的にいちども欠けることなく完走! でも、このまま終わってしまうのはもったいないので、マークに頼んで「マイ・フェバリット・ページ」を選んでもらった。これまで毎週ご覧いただいた、一冊丸ごとを読むのとはまたちがう気分で記事を見てもらえると思う。そして、気になったらメルマガ・サイトのバックナンバー・ページから連載も読み直してください!
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新連載! フランス雑草音楽図鑑 (文:ショビレヌ・K)
2020年1月、新型コロナウィルスの到来とともにスタートしたショビレヌKさんの不定期連載「新型コロナとフランス・アンダーグラウンドシーン」。前回の第9回が今年4月27日号だったので、早く次が読みたい!というファンのかたもいらっしゃったでしょう。僕もそう!ではありますが、ご存じのとおりフランスを含むヨーロッパ全域ではもはやウィズ・コロナがすっかり定着してしまい、コロナ出現以前の日常が完全復活。そこで新たな趣向で、ショビレヌさんがこれまで出会ったひとたちのことを書いてくれることになりました! 類は友を呼ぶ……じゃないけど、きっとヒトクセフタクセ系の人物が続々登場するはず。「雑草という名の植物はない!」と昭和天皇もおっしゃったそうですし。どんな面々が登場するのか、お楽しみに!
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フランス雑草音楽図鑑 02 サマンサ・ニッキー・ホートン(Samantha Nikki Horton 41歳) (文:ショビレヌK)
今回は私が2013年に渡仏して間もない頃、パリのとあるジャムセッションで出会い、その後、彼(彼女)がニューヨークへ旅立つ2017年間近まで一緒にバンド活動をした友人をインタビューしました。現在、彼女はニューヨーク在住のため、インタビューはネット上で行いました。
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フランス雑草音楽図鑑 03 ミッシェル・ヘンリッツィ(Michel Henritzi 63歳) (文:ショビレヌK)
ある日の夕方、私はパリ在住のドラマー、村山政二郎とリハーサル後にパリ郊外のカフェでお茶をしていました。そこに偶然、村山氏の知り合いが通りかかり、彼に声をかけました。ギタリスト、音楽ライター、レーベルAKTの主催者のミッシェル・ヘンリッツィであります。この時の出会いをきっかけに友人となった彼を今回、インタビューしました。
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フランス雑草音楽図鑑 番外編01 さよならAtomic City (文・写真・音楽:ショビレヌK)
皆さま、明けましておめでとうございます。どうぞ今年もよろしくお願いいたします。新年一発目はいきなり通常のインタビューから脱線して、最近閉鎖されたパリ市内にあるスクワットの写真レポートで始めようと思います。 昨年の12月初旬に私はデュオグループ・Wash Clubと3人でミニツアーを行った。フランス北西部ルーアンで開始し、二日後にパリ、その二日後にストラスブールで演奏をするというツーマン・ライブ3本立てだったが、結構な長距離移動となった。
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フォルテシモ・イン・クー (写真・文:村上巨樹)
2022年11月24日 20時過ぎの成田空港。僕は3年ぶりに飛行機に乗っていた。行き先はミャンマーの最大都市・ヤンゴン。2016年から年に一度のペースで現地を訪ね音楽調査をやっていたが、ここ数年は行けずじまいだった。理由は2つ。コロナとクーデターだ。 ミャンマーでコロナが流行り始めたのが2020年初め。クーデターが起きたのが2021年2月1日。そのどちらも今現在収束しておらず、さらにそれらが原因でインフレや若者の海外流出などの問題が起きている。クーデターを起こしたミャンマー国軍とそれに対抗する国民防衛隊(民主派側がクーデター後に設立した政府=NUGの武装部隊)の戦闘は国内各地で続いており、悲惨な写真や映像がSNS上で拡散されている(もっとも、国軍と少数民族軍との戦闘はクーデター以前からあるが)。 ミャンマー情勢を伝える日本国内の報道は今やほとんど無い。クーデターが起きた当初は連日連夜大きく取り上げられていたが、ロシアのウクライナ進攻に取って変わられ、多くの日本人にとって「まだやってるの?」が正直なところだろう。 あの日以降、SNSが僕にとってメインの情報源となった。ヤンゴンでの大規模なデモを知り、国軍による辺境地での空爆映像を見る。その中には、現地に住む友人/知人の悲しいニュースもあった。
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極東アフリカン・オルタナティブ・ブルーズ (文:ウエダテツヤ)
このメルマガでもおなじみ、バンド「ベッド・イン」のドラマーとして紹介され仲良くなったウエダテツヤさんから、ある時「カメルーンのミュージシャンから連絡がきて、一緒に楽曲を作っている」と聞いた。ときはコロナ真っ最中、東京とカメルーンで会うことはままならなかったが、だからこそ圧倒的な熱意のなかで生まれた楽曲にはふたりのルーツが描かれているように聞こえる。 4月にはすべての曲が完成し、カメルーンからパートナーのHervé Ngueboさんも来日、まずは日本で、続いてカメルーンをふくむワールドツアーが計画されている。来日公演を記念して、ウエダさんに彼の波乱万丈な音楽人生から始まる、この壮大なプロジェクトについての抒情詩を書いていただいた。
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ルーツ・レゲエとラヴァーズ・ロックは同じコインの裏表? 80年代初頭UKブラックの軌跡 ――石田昌隆「RELAXIN’ WITH LOVERS ~photographs~」 @神泉JULY TREE (文:薮下 晃正)
今月、3月25日に神泉の閑静な住宅街にオープンしたばかりの坂本慎太郎がロゴ・デザインを手掛ける音楽をテーマとした展示を標榜する小さなギャラリーJULY TREE(ジュライ・トゥリー)。 ギャラリー名のJULY TREEはポール・トーマス・アンダーソンの映画『リコリス・ピザ』の冒頭でも使用されていたニーナ・シモンの同名曲に由来する。 “7月には大きく育った木に真実の愛が花開く”というリフレインの歌詞は当時の60年代の黒人や女性を取り巻く状況のおそらくメタファーであり、いにしえのフォークソングのような美しさを持つ『JULY TREE』は、ニーナのために進歩的な二人の女性が書き下ろした新曲だった。 不安や絶望、憤りを感じる事が多い今日この頃、静かに厳かに、真実の愛、希望が時間をかけて7月には実る様子を描き出すこの楽曲のような思いを託したく命名したのだという。 今月のロードサイダーズではこちらのこけら落としとして開催されているフォトグラファー石田昌隆(いしだ まさたか)による「RELAXIN’ WITH LOVERS ~photographs~」をご紹介したい。
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フランス雑草音楽図鑑 04 Emiko Ota 太田恵美子 (文:ショビレヌK)
太田恵美子さんに初めてお会いしたのは私が渡仏して間もない頃(2014年頃)に故Mami Chanのライブを観に行った時だった。物静かでおおらかであると同時に強烈なエネルギーの持ち主というのがその時の印象だった。大阪の伝説のパンクバンドOXZのドラマーだった彼女は90年代にフランスへ移り、今日まで様々なバンドで歌手、ドラマー、また俳優としても活躍してきた。今回はパリ郊外の彼女の自宅を訪れ、お話を聞いた。
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追悼 おきあがり赤ちゃん
おきあがり赤ちゃんが亡くなったというツイートを見た、と友人から早朝に連絡があった。急いで探すと、white heat(@KatayamaS)さんというかたの書き込みに、「「おきあがり赤ちゃん」として一部を震撼させていた高山吉朗さんが、ご自宅で逝去されていたことがGW明けにわかりました」とあった。おきあがりさんの携帯に連絡しても留守電の応答がなく、こころが揺れていたところ、先週末にwhite heatさんが続報でご家族からの情報を上げてくださっていた。「死体検案書によると推定5/6に発作性心疾患発症の疑いと。5日のライブに現れず連絡もつかないとの主催者さんの心配を受け電話するも応答無、旧友間で連絡とりあい警察呼んで発見」されたとのこと。
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あずさ愛ディナーショー in 秋田!
少し前になってしまったけれど、『演歌よ今夜も有難う』で取り上げた秋田の演歌歌手・あずさ愛さんがディナーショーを開くというので、秋田市に行ってきた。演歌はテレビ番組からカラオケスナックまでいろんな場所で歌われ聴かれているが、ディナーショーにはまた格別の味があって、僕は大好き。一握りのスター歌手がホテルで開くショーは何万円もするけれど、多くの演歌歌手がもっと手ごろな値段で、こんなディナーショーをいまも日本中で開催している。
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『ロック自身』のロックな半生記
ラグビー・ファンにはおなじみの花園ラグビー場に隣接する東大阪市民美術センターで、「視覚の迷宮 ヒトとイヌとの美術館」という風変わりな企画展が今年4月末から6月まで開かれていた。ロードサイダーズ読者のかたから教えていただいたのだが、そのかたから「京都でもう20年くらいつくってる『ロック自身』というフリーペーパーをご存じですか」と言われ、本人が集めてきたバックナンバーを東大阪まで持参してくれた。 あまりに手作り感満載の風合いにまず痺れ、読んでみると新旧のロックと一緒になじみの定食屋(王将とか)の熱い記事も、すべて勢い溢れた手書き文字で綴られて、ニンマリせずにいられない。企画・編集・制作・印刷(コピーだけど)・配布まですべてひとりでやっているという編集長の星直樹さんは、調べてみるといま京都を引き払って故郷の帯広に住んでいるという。さっそく連絡を取って、先週号で紹介した岸キエコさんと同じ日の夕方、仕事帰りの星さんと帯広のコメダ珈琲でお会いした。
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フランス雑草音楽図鑑 05 Thomas Le Lay aka Dom Tom (文:ショビレヌK)
Dom Tomに初めて会ったのは2020年3月、新型コロナがいよいよフランスでも猛威を振るい始め、全土で自宅待機令が発令される2日前にブルターニュのブレストでライブパーティーを行った時だった。そのパーティーのオーガナイザーがDom Tomだった。本来は大きなハコで行う予定だったがコロナの影響で中止となった。しかし自宅待機令がひょっとして長期化するかもしれないと、Dom Tomがゴリ押しに最後に一発、派手にやろうと動いたのだ。この時の様子はRoadsiders’ Weeklyの「新型コロナとフランスアンダーグラウンドシーン」という連載の第2話「自宅待機令発令前夜:後編」で取り上げているので、是非バックナンバーも読んでみて下さい。今回はブルターニュの山奥にある彼の自宅まで行って、インタビューを行った。
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地下鉱脈に耳を澄まして ~ミャンマー音楽探訪録~ (写真・文:村上巨樹)
ソウル市内から仁川国際空港へ向かう路線バスに僕は乗っていた。昨日はソウル市内のライブハウス(と言うよりは古びた雑居ビルをDIYで爆音が出せるよう改造した、雑然としたたくましき場)で自分のバンドのライブをやったばかり。 自分以外のメンバーは今日の昼便で日本へ帰るが、僕は今からミャンマーへ向かう。第一の目的は、ミャンマー人の義母を迎えに行き、日本到着まで付き添う為だ。義母は長らく日本に住む娘(=僕の妻)との再会を待ち望んでいたが、2019年に発生したコロナ、2021年のミャンマー国軍によるクーデターのせいで延びに延びていた。妻も「平和になるまでは絶対里帰りしない」とミャンマー行きを固辞している。
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紛争地で今、音楽は ~ミャンマー音楽探訪録~ (写真・文:村上巨樹)
2023年12月7日 夜行バスと電車を乗り継ぎ、寒さ厳しい岩手からまるで冬らしくない陽気の成田空港へやってきた。今から半年ぶりにミャンマーに行く。今回の滞在は13日間。これだけあれば腰を据えて音楽調査ができるだろう。しかも最大都市のヤンゴンに加え、4年ぶりに最後の王朝があった古都・マンダレーにも行くつもりだ。 この日の航空券を予約したのが10月。その時は「ポイントを守りさえすれば、市内を散策しても何らトラブルに巻き込まれる事はないだろう」と思っていた。実際、これまではそうだった。しかし11月下旬、事態は急変した。ミャンマーの北東部に位置するシャン州の北部でミャンマー国軍と対抗勢力(クーデター以前から存在している、複数の少数民族軍による合同部隊)の抗争が勃発し、後者が勝ち続けたのだ。
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シブメグの人生小劇場 37 心の銃をぶら下げて (写真・文:シブヤメグミ)
TBS『ザ・ベストテン』のスポットライトってコーナーで、『涙のリクエスト』を歌ってるチェッカーズを見て彼らに夢中になった。 アイドルらしくみんなお揃いのチェックの衣装。 代官山にあったBIJINって美容院で刈られた独特の髪型。 燕尾服を崩したような衣装と髪型には、それまでのアイドルとは違うカッコよさとかわいいが共存していた。 そしてなによりも違っていたのは、自分たちで演奏していたところ。 歌もうまかった。 サックスがメンバーにいたのも新鮮だった。 ボーカルがひとりじゃなかったのも。 たぶん、私が生まれてはじめて「バンドってカッコいいな」って思ったのはチェッカーズだ。
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民謡の“おつゆ” 文:佐藤千春(民謡研究会ゆたちた)
みんな興味があるはずなのに、なかなか他で見られないもの、聞けないお話を共有する場として始めた大道芸術館のイベント。今月28日にはお色気民謡――昔からいろんな時と場所で歌い継がれてきたのに、公式の民謡史やコンサートではけっして歌われない春歌――を紹介する「ニッポンの春歌を嗜む会 おつゆナイト」が開催される。最近、話題に上ることがずいぶん多くなってきた民謡だけど、春歌を知る資料や音源もなかなか見つからないし、実演に接する機会はほとんどない。僕自身、すごく興味を持ってきたテーマなので、ひとりでも多くのかたに参加してもらえたらと願う。
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シブメグの人生小劇場 39 マグマ (写真・文:シブヤメグミ)
叔母が死んだ。ひとり暮らししてたあの家で、死後3、4日経過していた遺体で見つかった。倒れたのはたぶん7月が終わる頃のあのクソ暑い夜。心臓のあたりをギュッと掴んで倒れていた。92歳と8ヶ月。世間的には大往生だろう。だけど私と母親は、そんな気持ちになんかなれなかった。 叔母は4人姉弟の長女。いちばん上のお姉さん。私にとっては祖父の家で、叔母と母親にとっての実家は、郵便局を営んでいた。祖父は生まれつき身体が弱かったので、徴兵されなかった。その代わりなのかどうかはわからないけど、祖父と祖母は家庭のことを放って、戦地から届く郵便物をとにかく配り歩いていたそうだ。
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カテゴリ別バックナンバー
BOOKS
ROADSIDE LIBRARY
天野裕氏 写真集『わたしたちがいたところ』
(PDFフォーマット)
ロードサイダーズではおなじみの写真家・天野裕氏による初の電子書籍。というか印刷版を含めて初めて一般に販売される作品集です。
本書は、定価10万円(税込み11万円)というかなり高価な一冊です。そして『わたしたちがいたところ』は完成された書籍ではなく、開かれた電子書籍です。購入していただいたあと、いまも旅を続けながら写真を撮り続ける天野裕氏のもとに新作が貯まった時点で、それを「2024年度の追加作品集」のようなかたちで、ご指定のメールアドレスまで送らせていただきます。
旅するごとに、だれかと出会いシャッターを押すごとに、読者のみなさんと一緒に拡がりつづける時間と空間の痕跡、残香、傷痕……そんなふうに『わたしたちがいたところ』とお付き合いいただけたらと願っています。
ROADSIDE LIBRARY vol.006
BED SIDE MUSIC――めくるめくお色気レコジャケ宇宙(PDFフォーマット)
稀代のレコード・コレクターでもある山口‘Gucci’佳宏氏が長年収集してきた、「お色気たっぷりのレコードジャケットに収められた和製インストルメンタル・ミュージック」という、キワモノ中のキワモノ・コレクション。
1960年代から70年代初期にかけて各レコード会社から無数にリリースされ、いつのまにか跡形もなく消えてしまった、「夜のムードを高める」ためのインスト・レコードという音楽ジャンルがあった。アルバム、シングル盤あわせて855枚! その表ジャケットはもちろん、裏ジャケ、表裏見開き(けっこうダブルジャケット仕様が多かった)、さらには歌詞・解説カードにオマケポスターまで、とにかくあるものすべてを撮影。画像数2660カットという、印刷本ではぜったいに不可能なコンプリート・アーカイブです!
ROADSIDE LIBRARY vol.005
渋谷残酷劇場(PDFフォーマット)
プロのアーティストではなく、シロウトの手になる、だからこそ純粋な思いがこめられた血みどろの彫刻群。
これまでのロードサイド・ライブラリーと同じくPDF形式で全289ページ(833MB)。展覧会ではコラージュした壁画として展示した、もとの写真280点以上を高解像度で収録。もちろんコピープロテクトなし! そして同じく会場で常時上映中の日本、台湾、タイの動画3本も完全収録しています。DVD-R版については、最近ではもはや家にDVDスロットつきのパソコンがない!というかたもいらっしゃると思うので、パッケージ内には全内容をダウンロードできるQRコードも入れてます。
ROADSIDE LIBRARY vol.004
TOKYO STYLE(PDFフォーマット)
書籍版では掲載できなかった別カットもほとんどすべて収録してあるので、これは我が家のフィルム収納箱そのものと言ってもいい
電子書籍版『TOKYO STYLE』の最大の特徴は「拡大」にある。キーボードで、あるいは指先でズームアップしてもらえれば、机の上のカセットテープの曲目リストや、本棚に詰め込まれた本の題名もかなりの確度で読み取ることができる。他人の生活を覗き見する楽しみが『TOKYO STYLE』の本質だとすれば、電書版の「拡大」とはその密やかな楽しみを倍加させる「覗き込み」の快感なのだ――どんなに高価で精巧な印刷でも、本のかたちではけっして得ることのできない。
ROADSIDE LIBRARY vol.003
おんなのアルバム キャバレー・ベラミの踊り子たち(PDFフォーマット)
伝説のグランドキャバレー・ベラミ・・・そのステージを飾った踊り子、芸人たちの写真コレクション・アルバムがついに完成!
かつて日本一の石炭積み出し港だった北九州市若松で、華やかな夜を演出したグランドキャバレー・ベラミ。元従業員寮から発掘された営業用写真、およそ1400枚をすべて高解像度スキャンして掲載しました。データサイズ・約2ギガバイト! メガ・ボリュームのダウンロード版/USB版デジタル写真集です。
ベラミ30年間の歴史をたどる調査資料も完全掲載。さらに写真と共に発掘された当時の8ミリ映像が、動画ファイルとしてご覧いただけます。昭和のキャバレー世界をビジュアルで体感できる、これ以上の画像資料はどこにもないはず! マンボ、ジャズ、ボサノバ、サイケデリック・ロック・・・お好きな音楽をBGMに流しながら、たっぷりお楽しみください。
ROADSIDE LIBRARY vol.002
LOVE HOTEL(PDFフォーマット)
――ラブホの夢は夜ひらく
新風営法などでいま絶滅の危機に瀕しつつある、遊びごころあふれるラブホテルのインテリアを探し歩き、関東・関西エリア全28軒で撮影した73室! これは「エロの昭和スタイル」だ。もはや存在しないホテル、部屋も数多く収められた貴重なデザイン遺産資料。『秘宝館』と同じく、書籍版よりも大幅にカット数を増やし、オリジナルのフィルム版をデジタル・リマスターした高解像度データで、ディテールの拡大もお楽しみください。
円形ベッド、鏡張りの壁や天井、虹色のシャギー・カーペット・・・日本人の血と吐息を桃色に染めあげる、禁断のインテリアデザイン・エレメントのほとんどすべてが、ここにある!
ROADSIDE LIBRARY vol.001
秘宝館(PDFフォーマット)
――秘宝よ永遠に
1993年から2015年まで、20年間以上にわたって取材してきた秘宝館。北海道から九州嬉野まで11館の写真を網羅し、書籍版では未収録のカットを大幅に加えた全777ページ、オールカラーの巨大画像資料集。
すべてのカットが拡大に耐えられるよう、777ページページで全1.8ギガのメガ・サイズ電書! 通常の電子書籍よりもはるかに高解像度のデータで、気になるディテールもクローズアップ可能です。
1990年代の撮影はフィルムだったため、今回は掲載するすべてのカットをスキャンし直した「オリジナルからのデジタル・リマスター」。これより詳しい秘宝館の本は存在しません!
捨てられないTシャツ
70枚のTシャツと、70とおりの物語。
あなたにも〈捨てられないTシャツ〉ありませんか? あるある! と思い浮かんだあなたも、あるかなあと思ったあなたにも読んでほしい。読めば誰もが心に思い当たる「なんだか捨てられないTシャツ」を70枚集めました。そのTシャツと写真に持ち主のエピソードを添えた、今一番おシャレでイケてる(?)“Tシャツ・カタログ"であるとともに、Tシャツという現代の〈戦闘服〉をめぐる“ファッション・ノンフィクション"でもある最強の1冊。 70名それぞれのTシャツにまつわるエピソードは、時に爆笑あり、涙あり、ものすんごーい共感あり……読み出したら止まらない面白さです。
圏外編集者
編集に「術」なんてない。
珍スポット、独居老人、地方発ヒップホップ、路傍の現代詩、カラオケスナック……。ほかのメディアとはまったく違う視点から、「なんだかわからないけど、気になってしょうがないもの」を追い続ける都築響一が、なぜ、どうやって取材し、本を作ってきたのか。人の忠告なんて聞かず、自分の好奇心だけで道なき道を歩んできた編集者の言葉。
多数決で負ける子たちが、「オトナ」になれないオトナたちが、周回遅れのトップランナーたちが、僕に本をつくらせる。
編集を入り口に、「新しいことをしたい」すべてのひとの心を撃つ一冊。
ROADSIDE BOOKS
書評2006-2014
こころがかゆいときに読んでください
「書評2006-2014」というサブタイトルのとおり、これは僕にとって『だれも買わない本は、だれかが買わなきゃならないんだ』(2008年)に続く、2冊めの書評集。ほぼ80冊分の書評というか、リポートが収められていて、巻末にはこれまで出してきた自分の本の(編集を担当した作品集などは除く)、ごく短い解題もつけてみた。
このなかの1冊でも2冊でも、みなさんの「こころの奥のかゆみ」をスッとさせてくれたら本望である。
独居老人スタイル
あえて独居老人でいること。それは老いていくこの国で生きのびるための、きわめて有効なスタイルかもしれない。16人の魅力的な独居老人たちを取材・紹介する。
たとえば20代の読者にとって、50年後の人生は想像しにくいかもしれないけれど、あるのかないのかわからない「老後」のために、いまやりたいことを我慢するほどバカらしいことはない――「年取った若者たち」から、そういうスピリットのカケラだけでも受け取ってもらえたら、なによりうれしい。
ヒップホップの詩人たち
いちばん刺激的な音楽は路上に落ちている――。
咆哮する現代詩人の肖像。その音楽はストリートに生まれ、東京のメディアを遠く離れた場所から、先鋭的で豊かな世界を作り続けている。さあ出かけよう、日常を抜け出して、魂の叫びに耳を澄ませて――。パイオニアからアンダーグラウンド、気鋭の若手まで、ロングインタビュー&多数のリリックを収録。孤高の言葉を刻むラッパー15人のすべて。
東京右半分
2012年、東京右傾化宣言!
この都市の、クリエイティブなパワー・バランスは、いま確実に東=右半分に移動しつつある。右曲がりの東京見聞録!
576ページ、図版点数1300点、取材箇所108ヶ所!