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AFTER HOURS
編集後記

2014年11月19日 Vol.140

今週も最後までお付き合いありがとうございました! 先週のラフ&レディな南フランス・ヘタウマ・コレクションとはうってかわった、東京とパリの耽美世界。いかがだったでしょうか。

そして先週は、大竹伸朗「ロンドン/パ」Tシャツへのご応募もありがとうございました。あっというまに応募数50通超え、ラッキーな当選者6名には、すでに発送が済んでいます。おめでとうございました!

新聞雑誌やネットで知るもの、偶然チラシやポスターで見つけるもの、展覧会との出会い方にもいろいろありますが、神戸BBプラザ美術館で開催中の『タカハシノブオ』展は、メルマガ読者がツイッターのメッセージで教えてくれました。


駅からすぐ、真新しい高層ビル1階が美術館

阪神岩屋駅を降りて、兵庫県立美術館へと続く下り坂の途中にあるBBプラザ美術館は、2009年に開館したばかりの、新しい私立美術館。「あるがままに生きた画家――叫ぶ原色・ものがたる黒」と副題のついたタカハシノブオ展は、来週月曜日(11月24日)まで開催中です。




展覧会入口

戦後復興の熱気を帯びた1950年代から、高度経済成長期にある神戸の繁華街の路上の片隅で、一心不乱に絵を描く男がいました。男は地べたに座り込み、ときには寝そべりながら、周囲の視線を後目にぎらぎらした眼で対象をぎっと睨み付け、勢いよく画面を仕上げていきます。力強く散りばめられた赤、青、黄の原色。そして全体を印象づけるのは、深くどこまでも呑み込まれてしまいそうな黒。この男の中に渦巻く絵画への欲望、社会への正義感、そして、孤独の中で生きる叫びを剥き出しに、画面の中へ己自身を表現しています。男の名は、あるがままに生きた画家・タカハシノブオ。
(美術館サイトより)




展示風景

美大ではないにしても洋画を学び、亡くなるまでに数十回の個展を画廊で開いてきたタカハシノブオは、むろんアウトサイダー・アーティストではありません。その独自の画風、みずから孤立に飛び込んでいくような生きざま、徹底した反骨精神・・・画壇に背を向けるというより、群れることができない画家だったのでしょう。


画廊ルナにて 1980年

ほとんど無名のまま生きて、死んでいったタカハシノブオを支え、作品を収集してきた人たちが、生誕百年にあたる今年、この展覧会を実現させました。絵画のみならず詩作品まで含め、丁寧に編集されたカタログからも、その熱意がひしひしと伝わってきます。巻頭にあるコレクター三浦徹さんの、「これ程の才人が埋もれていたことを驚くとともに、強い怒りさえ覚えるのは単に私一人ではないだろう」という言葉に、こころうたれるひとも多いはず。巻末には詳細な年表が付されていて、彼の生涯についてはそれを読んでいただくのが最適だと思うので、作品画像とともに抜粋を掲載させていただきます。


『家』制作年不明 ミクストメディア、紙

会期終了が迫る中での紹介で申し訳ありませんが、チャンスがあればぜひ、画面からほとばしる思いの激しさを、ナマで受けとめていただけたらと願います。岩屋駅は三宮からたった2駅。ちなみに兵庫県立美術館で開催中の『だまし絵II』も、すごくおもしろい展覧会です!


あるがままに生きた画家 タカハシノブオ 叫ぶ原色・ものがたる黒
~11月24日(月)まで開催中
@BBプラザ美術館
http://bbpmuseum.jp/

[タカハシノブオ 略年譜]

1914(大正3)年 徳島県鳴門市瀬戸町に生まれ、幼少時に神戸に移る。

1932(昭和7)年 香港、カナダ航路の船員となる。航海中に描いていた外国船の絵の巧みさに、同乗の船医が眼を止め、画家になることを勧められる。
神戸洋画画壇の重鎮・今井朝路主宰のの研究所で学ぶようになる。

1937(昭和12)~1943(昭和18)年 北満州、フィリピンと2度にわたって従軍。復員したのち、サトエと結婚。九州に渡り、三井三池炭鉱で鉱夫として働く。

1945(昭和20)年 娘・美代子が生まれる。

1947(昭和22)年 妻・サトエが病死。娘とともに神戸に戻る。


『KOBEしんかいち』1980 油彩、板

1949(昭和24)年 戦後、子供を連れての生活は思うに任せず、極貧生活を送るなかで、生きる支えを求めるべく悲壮の決意を持って、ふたたび絵筆を取る。

1950(昭和25)年 神戸大学学生会館他で数回の個展を開く。現代詩神戸研究会の同人たちと交友を持つ。かたわら、神戸港で荷役労働に従事する。

1953(昭和28)年 娘・美代子を四国宇和島に住んでいた亡き妻の妹夫婦に預け、そのままになる。


『夜のタウン』1973 ミクストメディア、紙

1954(昭和29)年 「高橋信夫水彩画展」(喫茶DON・神戸元町)を開く。現在、この個展以前の作品は1点も発見されていない。

1963(昭和38)年 各地で精力的に個展を開いてきた高橋が、このころから「タカハシノブオ」と片仮名で署名するようになる。

1964(昭和39)年 個展会場で若き日の榎忠と出会う――「絵なのかどうかもわからない作品を見ていたら、酔っ払いのおっちゃんに声をかけられた。それがタカハシのおっちゃんとの最初の出会いだった」。


『無題』制作年不明 油彩、キャンバス

1965(昭和40)年 この時期は目につく限りの個展会場に姿をあらわし、芳名録にサインをし、酒のふるまいを受ける。夜の酒場に出没を繰り返し、飲んでは気焔を上げる、酒と作画の生活が続いた。


暗愚展 1966年 提供・竹田マガラ

1966(昭和41)年 酔っ払っては三宮や元町の繁華街で大声を張り上げ、ベトナム反戦の演説を始め人々の足を止める。榎忠氏らに、さくらとして離れたところから拍手するよう依頼することもしばしばあった。
ならず者との諍いで顔面を刺され、鼻を七針縫う。傷害の相手方とはウイスキー1本で示談に応じる。


エーゲ画廊にて 1967年 撮影・山田清文

1967(昭和42)年 このころ医院経営・美術愛好家の常深幸生氏の知遇を得、支援を受けるようになるが、タカハシの悪酒により長続きせず、次第に常深邸から足が遠のくように。

1969(昭和44)年 若い女性と同棲生活を始めるが、昼間から酒をあおり泥酔するタカハシに女性は耐え切れず、同棲は解消される。


野犬展 1970年 撮影・島本勇二郎


常深邸前にて 1973年頃 撮影・常深幸生

1970(昭和45)年 破綻した同棲生活への追慕の思いが制作の動機となった個展を神戸で開催。サムホールから8号くらいまでの画面いっぱいに女性性器を鮮烈な色彩で拡大描写した作品を展示し、来店客の度肝を抜く。


『あい』1973 クレパス、ボード


『無題』制作年不明 油彩、板

1974(昭和49)年 神戸市兵庫区大開通りにて路上個展を開く。「ルーブル美術館に展示されている絵も、神戸新開地の場末の路上個展に並べた絵も、本質はなんら変わらない」と言い切る。

1975(昭和50)年 神戸新開地界隈の四畳半アパートを転々とする生活。長年の重労働によって、座骨神経痛を患う。


アトリエ兼自宅にて 1974年 撮影・山田清文

1978(昭和53)年 腰痛のため働くことが困難となり、生活保護を受けるようになる。


『無題(魚頭)』1973 油彩、キャンバス

1980(昭和55)年 6月、個展「タカハシノブオ USA」を開く。この個展には特別な思いがあった。この時タカハシは、40年以上精魂尽くして描き続けてきた自分の作品に対する世の評価に、深い絶望を抱いていた。身一つ、片道切符で渡米し、ニューヨークやサンフランシスコで思いの丈をぶつけた個展が開ければ、たとえそれが成否いずれであっても満足であった。不発に終わっても路上で絵を描きパン代を稼ぎ、放浪しながら異国の地で朽ち果てる覚悟もできていた。個展の売上を渡米の資金にするため、3~4ヶ月クレパス画の制作に没頭する。渾身の気迫を込めて情熱を注ぎ込んだが、思いは空しく、失意のうちに個展は終わり、追い打ちをかけるように、自宅に届くはずの売れ残った作品群が手違いにより届かなかった。作品の行方がすべてわからなくなるという結末に、タカハシを支えていた心の糧が一気に崩れる。


『くじらのゆめ』1972 油彩、ボード

7月、神戸市内の画廊でトラブルを起こし、ショーウィンドウのガラスなどを叩き割り大暴れする。大股を開いて足を踏ん張り「どうだッ、参ったか!」と見得を切るが、ただちに警察に捕まり留置場で一夜を過ごす羽目となる。


『マドモアゼル』1973 油彩、キャンバス

1981(昭和56)年 このころから体調を崩し、酒を断つ。以後、アパートの一室にこもりがちとなる。酒をやめてからは制作のインスピレーションもわかず、約8年間筆を折る。

1988(昭和63)年 友人たちに連れられネパール、バンコク旅行。旅のなかでデッサンやクレパス画を制作する。


『女体』1973 ミクストメディア、ボード

1990(平成2)年 脳梗塞で明石中央病院に入院。退院後、明石愛老園に入園する。

1991(平成3)年 最後の個展を開く。


蝶屋にて 1991年 提供・竹田マガラ

1993(平成5)年 明石愛老園にて死去、享年80歳。神戸新聞に「画壇に背を向けた港湾の画家逝く」と大きく取り上げられた。


『新宿の女』1973 コンテ、紙

(掲載作品はすべて三浦徹コレクションより)

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