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AFTER HOURS
編集後記

2015年12月02日 Vol.190

今週も最後までお付き合いありがとうございました。気に入ってもらえた記事、ありましたか。

ご承知のとおり、このメルマガで「今週こんな話題を取り上げてます」というヘッドラインというか、デジタル中吊りみたいなものをFacebookページで作っています。

https://www.facebook.com/ROADSIDERS/

今週号を準備していた月曜の昼、水木しげる逝去の第一報が入ってきて、思わず2011年にArtIt Webというウェブ版美術誌の連載で書いた記事を思い出し、一部をページにアップしたところ・・・24時間後の火曜昼の時点で、すでに9万4000人にリーチ、シェア445件! 恐ろしいほどの反響でした。コメントを書いてくれるひと、シェアしますと言ってくれるひと、黙ってシェアするひと、画像だけコピペしてツイートするひと・・・いろんな人間模様も見えて、興味深く。しかし水木しげるの前の投稿が「案山子」、次が「はぐれAV」・・・我ながら、はぐれすぎ。


ArtItに書いたのは、水木しげるの作品から始まって、大震災というような厄災を体験したアーティストがどう反応してきたのかを、両国横網町公園にある東京都慰霊堂と復興記念館を例に見なおしたものでした。慰霊堂と復興記念館は『東京右半分』で紹介済みですが、3.11の大震災以降の流れを考えるとき、すごく参考になるのではないかと思って、少し書き直したものです。せっかくなので、今週はその記事を再掲載しますので、よろしければお読みください。そして今回の大震災から、すでに4年という月日が経っているのに、「癒やす」のではなく「痛みを覚えておく」ためのこうした施設を、僕らはまだひとつも持っていないことも、忘れてはならないはず。

震災絵画

いまだ余震が続くなか、被災地の美術館が当分のあいだ閉館されるのはもちろん、被災地以外でも中止や延期を余儀なくされる展覧会が続出している。「いまアートになにができるか」とみずからに問いながら、自衛隊員にも消防団員にも、トラックに灯油を積んで被災地に届ける元ヤンキーや、ハイエースにコンロ積んで九州から炊き出しに向かう豚骨ラーメン屋の兄ちゃんにすらかなわない現実。自分が1枚の絵を描いて、それがおよそ20万人と言われる被災者のこころにどう届くのか。いま、このときにアーティストという職業でいることの意義を、根底から考え直さざるをえなかったひとも少なくないと思う(これを書いている自分も含めて)。

津波で廃墟と化した街並みや、不気味な煙を吐き出す原子力発電所から、自衛隊員に抱きかかえられた赤ちゃんまで、この2週間あまり我々は”情報の津波”とでも呼ぶべき、おびただしい量の動画や写真に翻弄されてきた。そうした”震災のイメージ”のうちで、しかし僕のこころのいちばん奥に突き刺さったのは、テレビの映像でも週刊誌のグラビアページでもなく、ニューヨークタイムズ紙のために水木しげるが描いた、1枚の絵だった。

いまにも濁流に呑まれようとしているところなのか、渦巻く水の中から伸ばされた右手。もがくように開ききった指。「みんなでひとつになって立ち上がろう」みたいな情緒的なメッセージばかりがメディアによって垂れ流される中で、最悪の現実から目を背けがちな我々の首っ玉をぐいとつかんで引き戻す、これはそういう冷厳なちからがみなぎった作品だと思う。そしてそのような作品が、売れっ子現代美術作家ではなく、ひとりの老いた漫画家から生まれたことにも、深く考えさせられた。


東京都慰霊堂の全景。手前の講堂と、背後の三重塔が一体になった和洋折衷建築。うしろにそびえるのはNTTdocomo墨田ビル

水木さんの絵を見て、瞬間的に思い出したのは両国にある小さな公園のことだった。横網町公園という名前のその場所は、かつて被服廠(ひふくしょう)跡と呼ばれ、関東大震災で3万8000人の死者を出した悲劇の地だった。

横網町公園には東京都慰霊堂と復興記念館という、ふたつの建物がある。関東大震災と太平洋戦争の東京大空襲の犠牲者、あわせておよそ16万3000体のお骨が、この場所に安置されていることを知るひとは、多くないだろう。

大正12(1923)年9月1日、午前11時58分に相模湾で発生した関東大震災が東京を襲った。ちょうど昼時のことだった。着のみ着のまま、あるいは荷車に家財道具を積んで人々は逃げまどったが、この地域の多くの被災者が逃げ込んだのがここ、横網町公園のある場所。当時は軍服を製造する工場である被服廠の巨大な工場が移転したあと空き地になっていて、東京市が買収して公園にする計画を進めていたところだった。

被服廠跡には約4万人が避難したが、人間と家財道具でぎっしりだった空き地の、どこからか火が出て、逃げ場のない人々を炎に巻き込んだのだった。焼死者数、およそ3万8000人。関東大震災で亡くなった犠牲者が、東京全体で10万人あまりだったというから、その4割近くがこの地で、火災によって亡くなったことになる。翌日から始まった遺体・遺骨収集作業では、積み上げられた焼死体の山が3メートルを越したという。


東京大空襲でこの付近一帯は壊滅状態になったが、奇跡的に慰霊塔、復興記念館とも無傷のまま戦災を逃れた


復興記念館全景

黒焦げの遺体となって身元もわからない5万8000人のお骨を収め、慰霊のために建てられたのが、この納骨堂。「官民協力して、広く浄財を募り、伊東忠太氏等の設計監督のもとに昭和五年九月この堂を竣工し、東京震災記念事業協会より東京市に一切を寄付された」と、園内の由来記にある。

二度とこのような災害に見舞われぬよう、祈願を込めて建てられた慰霊堂だったが、ご承知のように太平洋戦争で東京は計106回もの空襲に見舞われた。とりわけ昭和20年3月10日、東京大空襲と呼ばれる日の爆撃では、9日深夜から10日に日付が進んだ直後に300機以上のB29が飛来。軍需産業の拠点となっていた東京下町を火の海に変えた。そのひと晩で、犠牲となった人数は7万7000余。焼け焦げて身元のわからない死者は、都内各地の寺院や公園130ヶ所に仮埋葬されたが、敗戦後の昭和23年から、東京都(1943年に東京市から東京都になった)によって、4年間をかけてすべて掘り起こされ、都内十数カ所の火葬場で火葬しなおされた。

そのうち、幸運にも身元がわかって遺族に引き取られたものをのぞく10万5000体のお骨が、やはりこの慰霊堂に収められることになったのが昭和27(1952)年のこと。東京都では軍人については千鳥ヶ淵、靖国神社など慰霊する場所があるが、民間人の犠牲者については、この納骨堂以外に収めるべき場所がないのである。




16万3000体の遺骨が安置された納骨堂内部。ひとつの骨壺に、それぞれ200体ほどのお骨が収められている

現在、関東大震災と東京大空襲で亡くなった犠牲者のうち、この慰霊堂に収められているお骨は16万3000体。そのうち性別・氏名のわかっている3700名ほどのお骨は、ひとつずつ骨壺に収められているが、あとは大きな骨壺ひとつあたりに200名ほどのお骨が収められ、納骨堂1階に安置されている。薄暗い部屋の、天井近くまで整然と並ぶ、見たこともないほど大きな骨壺の列。これが16万人分の骨なのだ。

納骨堂はふだん非公開だが、三重塔に付随するゴシック教会を思わせる講堂は常時一般に開放されていて、参拝が可能となっている。大震災と大空襲、ふたつの大きな慰霊の牌が祭壇に奉られているが、注目すべきは堂の両側に掲げられた大震災の油絵である。


ゴシックの教会堂と、寺院の大講堂をミックスしたような講堂の大空間

関東大震災の当時、その惨状を伝える絵葉書が売り出されたことはよく知られているが、洋画家の徳永柳洲が弟子たちとともに描いた『被服廠跡』、『十二階の崩壊』、『旋風』などと題された大型の油彩作品は、地震被害の凄まじさを描ききって凄まじい迫力である。また太平洋戦争当時、警視庁所属のカメラマンだった石川光陽による、大空襲の写真群も見逃すことができない。戦時中、一般市民による空襲被害の撮影が制限されていたなかで、石川の写真は唯一残された大空襲の記録であり、戦後GHQのネガ提出命令にも屈せず、ネガを自宅の庭に埋めて守り抜いた、貴重なものだ。


浅草六区にそびえていた通称「十二階」の崩落図


被服廠跡で露天火葬されたお骨の山に合掌する僧侶


火災による大旋風に巻き上げられた犠牲者


混乱する被災者たちの光景と、画家・徳永柳州の自画像


石川光陽によって撮影された、東京大空襲の焼死者の山

慰霊堂の脇に建つ復興記念館は付帯施設として、慰霊堂が建った翌年の1931(昭和6)年に完成、一般公開された。設計は慰霊堂と同じく伊東忠太。鉄筋コンクリート造2階建ての重厚な建築である。

2階建ての記念館の1階には大震災当時の記録写真と絵画、焼け出された日用品などの資料が、2階には海外からの援助資料や、東京大空襲関連の資料、それに戦後発生した地震災害等の写真も展示されている。


復興記念館2階展示場

展示の核となっているのは慰霊堂・復興記念館完成の以前、1929(昭和4)年秋に開催された帝都復興展覧会で展示された作品と資料類。真っ黒な炭のオブジェと化した日用品や、建物の残骸。アメリカ、イタリアなど、各国で作られた「日本を救おう!」と呼びかけるポスター。復興展覧会のために制作された「新しい東京」の街路模型。なかでも大震災の模様を伝える大画面の油彩絵画の数々は、まだ絵画が美術作品である前に「記録」であった時代の、対象と向き合う画家の姿勢が滲み出るようで、ひじょうに興味深い。






関東大震災を記録した大作がずらりと並ぶ

園内で無邪気に遊ぶ子供たち、公園を囲む高層マンションに住むお母さん、ベンチでなごむサラリーマン……だれにも気に留められないまま、慰霊堂や記念館の壁を飾る震災絵画の数々は無言のうちに、いま関東大震災以来の大災害に立ちすくみ、立ち向かおうとする我々、とりわけアーティストたちに、大切ななにかを教えてくれているようだ。


「新しい東京」の街路模型。現在の靖国神社あたり

東京都慰霊堂、復興記念館
東京都墨田区横網2-3 横網町公園内

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ROADSIDE LIBRARY vol.004
TOKYO STYLE(PDFフォーマット)

書籍版では掲載できなかった別カットもほとんどすべて収録してあるので、これは我が家のフィルム収納箱そのものと言ってもいい

電子書籍版『TOKYO STYLE』の最大の特徴は「拡大」にある。キーボードで、あるいは指先でズームアップしてもらえれば、机の上のカセットテープの曲目リストや、本棚に詰め込まれた本の題名もかなりの確度で読み取ることができる。他人の生活を覗き見する楽しみが『TOKYO STYLE』の本質だとすれば、電書版の「拡大」とはその密やかな楽しみを倍加させる「覗き込み」の快感なのだ――どんなに高価で精巧な印刷でも、本のかたちではけっして得ることのできない。

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ROADSIDE LIBRARY vol.003
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ROADSIDE LIBRARY vol.002
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編集に「術」なんてない。
珍スポット、独居老人、地方発ヒップホップ、路傍の現代詩、カラオケスナック……。ほかのメディアとはまったく違う視点から、「なんだかわからないけど、気になってしょうがないもの」を追い続ける都築響一が、なぜ、どうやって取材し、本を作ってきたのか。人の忠告なんて聞かず、自分の好奇心だけで道なき道を歩んできた編集者の言葉。
多数決で負ける子たちが、「オトナ」になれないオトナたちが、周回遅れのトップランナーたちが、僕に本をつくらせる。
編集を入り口に、「新しいことをしたい」すべてのひとの心を撃つ一冊。

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書評2006-2014

こころがかゆいときに読んでください
「書評2006-2014」というサブタイトルのとおり、これは僕にとって『だれも買わない本は、だれかが買わなきゃならないんだ』(2008年)に続く、2冊めの書評集。ほぼ80冊分の書評というか、リポートが収められていて、巻末にはこれまで出してきた自分の本の(編集を担当した作品集などは除く)、ごく短い解題もつけてみた。
このなかの1冊でも2冊でも、みなさんの「こころの奥のかゆみ」をスッとさせてくれたら本望である。

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独居老人スタイル

あえて独居老人でいること。それは老いていくこの国で生きのびるための、きわめて有効なスタイルかもしれない。16人の魅力的な独居老人たちを取材・紹介する。
たとえば20代の読者にとって、50年後の人生は想像しにくいかもしれないけれど、あるのかないのかわからない「老後」のために、いまやりたいことを我慢するほどバカらしいことはない――「年取った若者たち」から、そういうスピリットのカケラだけでも受け取ってもらえたら、なによりうれしい。

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ヒップホップの詩人たち

いちばん刺激的な音楽は路上に落ちている――。
咆哮する現代詩人の肖像。その音楽はストリートに生まれ、東京のメディアを遠く離れた場所から、先鋭的で豊かな世界を作り続けている。さあ出かけよう、日常を抜け出して、魂の叫びに耳を澄ませて――。パイオニアからアンダーグラウンド、気鋭の若手まで、ロングインタビュー&多数のリリックを収録。孤高の言葉を刻むラッパー15人のすべて。

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東京右半分

2012年、東京右傾化宣言!
この都市の、クリエイティブなパワー・バランスは、いま確実に東=右半分に移動しつつある。右曲がりの東京見聞録!
576ページ、図版点数1300点、取材箇所108ヶ所!

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東京スナック飲みある記
ママさんボトル入ります!

東京がひとつの宇宙だとすれば、スナック街はひとつの銀河系だ。
酒がこぼれ、歌が流れ、今夜もたくさんの人生がはじけるだろう、場末のミルキーウェイ。 東京23区に、23のスナック街を見つけて飲み歩く旅。 チドリ足でお付き合いください!

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