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AFTER HOURS
編集後記

2017年04月26日 Vol.257

今週も最後までお付き合いありがとうございました。そうとう大盤振る舞いの内容でしたが、気に入っていただけたでしょうか。『ディープ・コリアふたたび』は、基本的に隔週連載になります。あの一冊で人生航路を踏み外した者のひとりとして、30年目にして再訪旅行記をメールマガジンで掲載できるのは光栄であり、幸運でもあります。幻の名盤解放同盟にとことんお付き合いしながら、じっくり連載を続けていくつもりなので、お付き合いよろしくお願いします!

この1週間も北朝鮮から重婚代議士まで大小さまざまなニュースがありましたが、個人的には「作曲家の曽根幸明さんが死去」というのがショックでした。83歳、死因は肺炎だそうですが、『夜露死苦現代詩』の取材で2005年にお会いしたころには、すでに闘病生活を送られていたので、長く看病を続けてきたご家族を含め、なによりもご苦労さまと申し上げたい気持ちです。


曽根さんを取材させてもらったのは、「32種類の『夢は夜ひらく』」についてお話をうかがうため。

これまで自伝的な本が2冊出版されていますが、僕が好きなのは2007年の『曽根幸明の昭和芸能放浪記』(廣済堂出版)よりも、1985年にKKベストセラーズから出た『つっぱり芸人道 おたまじゃくしが泣いている』。新書版らしく、いかにも気軽に書かれたっぽい体裁ですが、そのぶん内容もかなりあけすけで、まさしく波瀾万丈の半生をじっくり語ってくれてます。

 ドブネズミ小僧、スパイの子、習志野の暴れん坊、鉄拳サニー、藤田功。ぼくの人生五十年の間についたニックネーム、そして芸名です。
 浮浪児、チンピラ、四回戦ボーイ、工員、数十か所の居候、沖仲仕、歌手、映画俳優、用心棒、アレンジャー、作曲家。これがぼくの人生の軌跡です。
 警察のご厄介になること数十回、死線をさまようことたびたび、勝利をおさめたケンカの数、千と五百回を越え、負けた数はウーン、ムニャムニャ。これがぼくの人生のすべてです。
(裏表紙『著者自身の広告』より)


歌謡曲の黄金時代を生きた、こんなすさまじい男がつくった歌を、僕らは知らずに今夜もカラオケでがなっているわけです。哀悼の意を込めて、ここに『夜露死苦現代詩』から曽根幸明さんにかかわる部分を再録させてもらいます。少しでもこころにひっかかるところがあったら本を、そしてなによりも音源を探して、昭和歌謡世界に浸っていただけたら、それがなによりのはなむけになるはず。謹んでご冥福をお祈りします。

32種類の『夢は夜ひらく』 あるいは無限連鎖のモノローグ

 一幕の情景や物語にとどまらない、ひとつの世界を描き出す歌というものが、たしかにある。
 戦後日本が生んだ歌謡曲というものを考えるとき、『夢は夜ひらく』は単なる名曲を超えた象徴的存在として、僕らの前に立ちはだかる。だれにでも覚えられ、口ずさめるシンプルなメロディ。起承転結を持たない、無限に続いていきそうな「歌詞」という名のモノローグ。美空ひばりの歌のような、技巧の極みにある芸でもなければ、北島三郎のように閉じられた演歌世界に縛られもしない。かすかな水割りの香りを身にまとい、ネオンがいろどる夜の闇へと僕らを引きずりこむ、それはぽっかり開いたなまめかしい穴だ。
 『夢は夜ひらく』にいくつもヴァージョンがあることはご存知だろう。最初にヒットしたのは昭和41(1966)年の園まり版だが、多くの人にとって、この歌がこころに刻みこまれたのは70年の藤圭子による『圭子の夢は夜ひらく』だった。
 大阪万博に日本中が浮かれ、よど号を乗っ取った赤軍派が「おれたちは明日のジョーになる」と言い残して北朝鮮に飛び去り、ビートルズが解散し、三島由紀夫が腹を切ったその年に、浪曲師の親に連れられ、小学生のころから北海道の場末のステージで唄っていた少女が、清楚なお色気ソングを真っ黒な怨念に塗りつぶしてみせた『圭子の夢は夜ひらく』。「雨が降るから 逢えないの 来ないあなたは 野暮な人・・・うぶなお前が 可愛いと 云ったあなたは 憎い人」と園まりが唄ったところを、「十五 十六 十七と 私の人生 暗かった・・・昨日マー坊 今日トミー 明日はジョージか ケン坊か」と引きずりおろした藤圭子に、行き場のない心情を重ねあわせた若者がどれほどいたことか。


『圭子の夢は夜ひらく』藤圭子

 デビューLP『新宿の女』がオリコン・アルバムチャートで20週連続1位、そのトップを奪ったのが2枚目の『女のブルース』。1970年3月31日付から翌71年1月11日付まで、およそ10ヶ月間にわたってアルバムチャートの1位をひとりの歌手が独占するという、おそらく芸能史上前例も、またこれからも起きようのない空前の大ブームが、ひとつの歌をきっかけに巻き起こったのだった。
 藤圭子はそのあとクールファイブの前川清と結婚したり、すぐ離婚したり(クリスチャンだったため、バチカンを訪れて離婚許可を取った)、79年引退を発表してアメリカに移住したり、藤圭似子の芸名で再デビューしたりしたが、82年に再婚してからは子育てに専念、そうして育った子供が宇多田ヒカルになったわけだが、『夢は夜ひらく』のほうは一歌手のヒットソングであることを超えて、独自の生命を授かり、変容を重ねていく。
 緑川アコ、三上寛、バーブ佐竹、水原弘、八代亜紀、ちあきなおみ、梶芽衣子、藤竜也、五木ひろし、細川たかし、牧村三枝子、香西かおり・・・多くの歌手たちが、それぞれの『夢は夜ひらく』を唄うようになった。他人のヒット曲をカバーしたのではない。メロディだけはいっしょだが、歌詞はすべて異なる「新曲」としての『夢は夜ひらく』である。今回、日本著作権協会に確認したら、歌詞の異なる『夢は夜ひらく』がなんと32曲もあった(うち1曲は宮川泰によるBGMなので、歌詞はないかもしれない)。たとえば緑川アコ版の『夢は夜ひらく』は美川憲一や黒沢明とロス・プリモスも唄っているというように、同一歌詞版を複数の歌手が唄っているケースを含めれば、現在40人の歌手による登録がある。世にスタンダードと呼ばれる歌曲は多いけれど、ひとつの曲でこれだけ異なる歌詞を持つ曲というのは、世界的に見ても稀なのではないだろうか。この曲の持つなにが唄い手たちの、作詞家たちの創作意欲を、これほどまでにかきたててきたのだろうか。
 『夢は夜ひらく』のメロディを書いたのは、作曲家の曽根幸明(こうめい)である。テレビの『勝ち抜き歌謡天国』や『スターものまね大合戦』の審査員として、またカラオケ番組でキーボードを弾きながら歌の指導をしてみせる姿を見てきた人も多いだろう。
 『銀座の女』(森進一)、『座頭市』(勝新太郎)、『いつかどこかで』(細川たかし)、『昔があるから』(内山田洋とクールファイブ)、それに最近の『マツケンマンボ』まで、曽根幸明は40年以上の芸歴と400曲以上の作品を持つ大御所作曲家であり、かつては藤田功(いさお)という名で活躍した歌手でもあった。
 昭和10(1935)年東京都世田谷区駒沢に曽根幸明は生まれている。父はNHK交響楽団の前身・東京放送交響楽団のバイオリニスト、母もピアニストという音楽一家だったが、幼くして戦争のまっただ中に放り込まれた曽根少年は、空襲で肉親と生き別れ、髪の毛にシラミ、服にウジ虫を同居させながら上野駅の地下道で寝起き。復員軍人のリュックから乾パンを掠めとってはぶちのめされ、警察に突き出される「名物少年浮浪者」になっていた。
 終戦から半年ほどたって肉親の所在が判明、母親と兄弟とともに「馬小屋のような」千葉のあばら屋で暮らしはじめる。ピアニストだった母親が慣れない手で鍬を握って荒れ地を開墾するのを手伝いながら、地元の小学校から中学校へと進学。悪ガキどもと抗争を繰り返しながら学年トップにのしあがるも、「はじめて恋した少女に向けて書いたノートの裏表10枚にわたる大長編ラブレター」が教師に渡って説教され、その日から勉強への関心を失い「青春彷徨の日々」へと踏み出す。
 当時、習志野の旧騎兵連隊駐屯地は接収されて米軍の駐屯地になっていた。GIがいればかならず娼婦がいるというわけで、曽根少年の地元でも「赤い灯青い灯のともる妖しげな掘建て小屋」が並び、厚化粧の女たちがGIに流し目をくれていた。
 乱暴狼藉を働くGI たちに、一般人はもちろん警察までも手出しできない状況の中で、多感な曽根少年は地元で唯一、悪ガキたちを束ねてGIたちにも真っ向から立ち向かう愚連隊グループに入り、頭角をあらわしていく。
 無法な兵隊を懲らしめようと、盗んだダイナマイトで兵舎を爆破させたり(さいわい死者は出なかった)、基地の給水を担うポンプの、真鍮製の巨大なスクリューを盗み出して鉄屑屋に叩き売ったり(当時の金で50万円になったという)、映画のような実話の世界を生きていたが、ついに盗みが発覚して逮捕。関東特別少年院練馬鑑別所(通称・ネリ鑑)送りとなる。昭和29年のことだった。
 9ヶ月ほどになったネリ鑑生活の中で、「ヒマだけはたっぷりあったから、そのへんにあったギターをポロポロやりながら」作るともなく作ったというのが、『夢は夜ひらく』の元になる『ひとりぼっちの唄』だった。はじめは「いやな看守ににらまれて 朝もはよから便所掃除~」なんて、いい加減な歌詞をメロディに乗せていたのだが、しだいに同房の仲間たちも歌詞を付け加えるようになり、「何十番にもなった」という。
 ネリ鑑を出てからも家には戻らず(収監されていたことも、母親には内緒だった)愚連隊に舞い戻り、それから喧嘩三昧の腕を生かしてボクサーになってみたり、ミュージシャンになってロカビリー・バンドの一員としてステージに立つうち、レコード会社のディレクターに見出され、藤田功の芸名で歌手デビュー。NHKの新人コンテストで一位になったのをきっかけにレコード発売、映画出演とスターの座へと駆け上がるが、「ちょっと思い上がって」荒れた生活へと逆戻り、あっというまに落ち目になってしまう。
 地方のキャバレー回りで細々と生計を立てる中、再起を期して昔のハワイアン仲間と吹き込んだのが、ネリ鑑時代に口ずさんだあのメロディ、『ひとりぼっちの唄』だった。

お前のかァさん 何処に居る
いいや おいらは ひとりぼっち
冷たい雪の 降る夜に 淋しく死んでった

お前の父さん どこに居る
いいや おいらはひとりぼっち
おいらが生まれる その前に
ママを捨ててった

オヤジよ どこかで聞いてくれ
ママは死ぬ時 言っていた
パパを怨んじゃいけません
私が悪かった

男だ 頑張れ 泣かないで
悪いパパなら探さずに
せめて笑って 優しいママの顔
夢を見ろ

 昭和40年テイチク・レコードから発売された『ひとりぼっちの唄』は、数千枚どまりと売れ行きさっぱり。親しい友人からは「曲はいいけど、お前が唄ったのがまちがいだったなあ」などと、けなされたり慰められたりしたというが、翌年になって芸能事務所の女性敏腕ディレクターが「歌詞を変えて使いたい」と言ってた。そこで富田清吾と中村泰士による歌詞に、曲名もあらたにつけかえ、ナベプロ三人娘のひとり園まりに唄わせたのが、『夢は夜ひらく』をめぐる歴史の始まりになる。
 「ぼくの人生にとってみれば起死回生、土壇場の逆転サヨナラ満塁ホームラン。この曲のヒットがあと一年、いや半年遅れていたら、借金で首を吊っていたかもしれないし、現在の曽根幸明も存在しなかっただろう」と抱腹絶倒の自伝『つっぱり芸人道 おたまじゃくしが泣いている』で語っている曽根さんは、いま脳梗塞のリハビリ中にも関わらず、昔のヒット曲なんかのことを聞きにきた僕と編集者を、美しい奥様(『プレイガール』に出演していた太田きよみ/橘モナ/山崎一美さん)とともに快く迎え入れてくれた。
 「『夢夜』(ゆめよる、とおふたりは言う)はたくさんあって、どれくらい出ているか、正確には僕にもわかりません」と曽根さん。使用許可を出したあと、テスト版を送ってくれるレコード会社もあれば、なんの連絡もないところもあるそうだ。こんなにたくさんの『夢夜』がある理由はわからないけれど、まず「1オクターブしか音域がないので、曲としてむちゃくちゃ易しい」こと。そして「五、七、五に全部乗ってるから、歌詞がつきやすい」のが、いいんじゃないかという。前回の玉置宏さんもそうだったが、ここでもやはり五七五が大きな役割を果たしていたわけだ。


『夢は夜ひらく』三上寛

 それぞれの人が、好きな世界を歌詞にしてくれればいいという曽根さんだが、作者としては「年中命からがら、喧嘩三昧の日々に明け暮れる真っ暗けの人生、そういう思いで作った唄ですから、暗く暗く唄ってくれるとうれしい」。あの『夜ひらく夢』は眠りながら見る夢ではなくて、「少年院では夜寝るしかない。真っ暗な部屋の中で、逃げることもできず、ただひたすらに寝てるしかない。その暗い中で目をあけ起きていて、昔のことを思い出したり、想像したり、いろいろな夢を思い描いているわけです。うまいもの食いたいなあとか、女と仲良くしたいなあとかね(笑)」。そういう手の届かない世界を、夢に託した唄なのだ。


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編集に「術」なんてない。
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編集を入り口に、「新しいことをしたい」すべてのひとの心を撃つ一冊。

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このなかの1冊でも2冊でも、みなさんの「こころの奥のかゆみ」をスッとさせてくれたら本望である。

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あえて独居老人でいること。それは老いていくこの国で生きのびるための、きわめて有効なスタイルかもしれない。16人の魅力的な独居老人たちを取材・紹介する。
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